【地理雑学】愛鷹山の麓に不思議な2列平行集落がある…いったい何?暴れ富士川へつながる謎の集落群(国道1号・アシタカ区間)

今回は富士山の南にある愛鷹山の麓が主役です。古地図を見ていると、不思議な2列の平行集落、しかも規模が馬鹿でかい集落群を見つけました。
これを調べていくと、暴れ富士川へつながっていきました!

静岡県三島市、清水町、長泉町をかすって、沼津市、富士市を走ります。

「交通・道路雑学」をテーマにテンポよく「分かりやすく」解説!

地理院地図/治水地形分類図より
https://maps.gsi.go.jp/

■■以下雑学、地理案内一覧

【三島と沼津】どっちが大きい街?仲は良い?1:40
【三島溶岩流】はるばる富士山から流れる地下水3:31
【平行集落】愛鷹山の麓に、デカい規模の2列平行集落の謎6:30
【暴れん坊】富士川の暴れ具合をGoogleアースに!昔の人は大水龍をどう制したのか?10:29

【参考資料】
浮島沼 – Wikipedia
河東の乱 – Wikipedia
黄瀬川谷とその扇状地 :溶岩流・泥流・水流・地下水流/渡辺 精
現在の雁堤を見る | 甲府河川国道事務所 | 国土交通省 関東地方整備局

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https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1CTO9EbrbkG5vXeoxOar4W49MiwxAGC8&usp=sharing

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32 Comments

  1. 【読み間違い】
    根形街道→正)ねがたかいどう
    吉原宿 誤)よしはらじゅく→正)よしわらじゅく 9:25

    ご指摘ありがとうございます!

  2. 旧東海道と根方街道は昔から地盤の良いところですね。間の部分は雨が降ると直ぐに水が溢れて大変でした。

    根方街道近くには新幹線も通っています。地盤が安定しているからですね。
    古郡という苗字は根方街道辺りに多い印象です。

  3. 以前富士市民でした。
    江戸時代の吉原宿は当初JR吉原駅付近にありましたが1639年(寛永16年)、1680年(延宝8年)の2回の高潮(動画中は3度移転したとありましたが正しくは2度)で現在の位置に移りました。結果不自然なルートとなり広重の『東海道五十三次 吉原左富士』で有名なの左富士が見えるようになりました。
    東海道新幹線の駅を三島にするか沼津にするかで当時結構侃々諤々があったようですが、結果三島になりました。
    わたしは富士川を渡る新富士川橋から見る「新幹線と富士山」が、日本が世界に誇れるもの2つがそろっており、日本中で一番富士山が誇らしくきれいに見える場所だと思っています。動画を撮られた日も晴れのようなのできれいな富士山が見えたのではないでしょうか。

  4. 東海道筋ならば南西に下った大井川は 富士川を遥かに上回るスーパー暴れん坊でしょう!大井川の氾濫原 旧河道たるや半端ないものです

  5. 根方沿いは流れ着いた溶岩の先端で、そこから愛鷹山、富士山からの伏流水が湧き出ている地域でもあります。なので、水がキレイ。あと田子浦港は人間が浚渫して作った港なので、昔はなかったです。

  6. 富士の地元民です。
    かつての富士川は動画の通り暴れ川で、決まった流路を持たず、潤井川・沼川と河口を共有していたと聞いたことがあります。
    ですので、現在も潤井川・沼川ともに富士川水系となっています。
    また、動画 10:00 ぐらいに出てくる浮島ヶ原は現在も浮島、もしくは浮島沼と呼ばれております。
    ちなみに、旧東海道の砂州によってできた浜には古の時代より防風林として松が植えられており、千本松と呼ばれていたりします。

  7. 名前が出た武田信玄は富士川(海峡)の上流(釜無川)に信玄堤を設置して水害を軽減したのです🌊

  8. 根方街道が、旧東海道であるとの推察は正しいと思われますね
    三島大社から富士川に続く、栄えた街道で、地元では「根方街道周りは、掘れば遺跡が出る」と言われる位ですね
    その最大が、興国寺後で、教科書で記憶に有る「北条早雲の起城」で、北条氏の始まりの城です
    また、大河ドラマで話題の、織田信長が本能寺の変前の遠征で宿泊した城である事が記録に残っていますね
    当時は、素晴らしく発展した城下町だったと推察出来ます

  9. 盟主争い…合併の話が持ち上がった時…
    色々あったと噂がありましたねぇ。

  10. 近住者です・・・。画像の国道1号線は特に沼津市あたりは旧東海道ではなく、旧東海道としてさらに海側にもう1本まっすぐな道路があります。そこに松並木なども残っています(実は海沿いの道はさらにもう1本並行する道路がある)。この辺りは遠浅の浜の地形で、ずらっと街道沿いのような住居が並んでいますが、寺社にも御神木級の太い木がなく、定期的に波に攫われてるのでは?と想像してしまいます・・・。その意味では愛鷹山ヘリの集落の方が歴史的な積み重ねが残っているのかもしれませんね。

  11. ららぽーと沼津の近くに住んでいます。根方街道も近くにあり、道が狭いのに交通量が多いです。根方街道沿いに住宅が多いなと思っていたら、そういう事だったのですか、勉強になります。

  12. 昔の東海南海地震で海岸線が変わった?津波な来ない場所に古道はあります。福島、宮城の古道も同じように津波が来ない場所にありました。

  13. 隣接民です…国一バイパス、地元では旧国、旧国1と呼ぶ海側の松並木を行く旧東海道、そして旧々東海道と思われる根方街道…どれも静岡県東部を東西に結ぶ動脈として現役の道ですね。
    ただ、いちばん古い北にある根方街道は道幅が狭く、車同士のすれ違いが大変な場所がいくつも。しかし、原にある興国寺城跡も根方街道沿いにあり、地盤が安定していた土地だと先人も知っていたんでしょうね。

    一方で大変なのは、その南側…特に根方街道と国一の間は、原〜浮島のあたりなどは湿地帯の名残で今も水捌けが悪く(「沼津」と言うくらいですから)、大雨が降るとすぐに冠水しやすいエリア。このあたりの防災倉庫には、ボートも備えられています。

    そして、東海道の富士の吉原宿が3回も移ったとありましたが、その原因は前に起きた東海地震による津波でした。最初は海に近い旧東海道沿い…現在の富士マリンプールあたりが吉原宿でしたが、大津波で壊滅(現在そのあたりは「元吉原」と呼ばれてます)。北に大きく迂回する東海道沿いへ移り、現在も吉原商店街として賑わっています。

    この東海道の今の吉原の手前に「左富士」という名所があって…東海道を江戸から西へ京都方面に進むと、方角的に富士山を北側である右に見ながら進むのが普通ですが(今も下りの新幹線はそうですよね)、東海道が富士川を渡るため大きく北上する道で、珍しく富士山が左に見える部分があり、当時のランドマークとして左富士と呼ばれるようになったそうです。今も交差点名と記念碑が残ってます。

    地形、地盤、そして新旧の道…これらの点を線で結ぶと、その土地の歴史が見えてくる…たいへんよく調べられてますね。お見事です。

  14. 沼川の治水は未だ治めているとは言い難いのです。
    2021年7月3日熱海で土石流が発生した同日、2年後の6月3日に沼川第二放水路が氾濫し、周辺では我が家も含め(詳細不明ですが1000戸ほど?)床上浸水が発生しました。
    ヘリコプターからの映像で国道1号線の左右は水浸しなのが衝撃的でした。

  15. 雁堤はコスモスと、近隣の🌻ひまわり畑から変わる秋の蕎麦畑の花々が美しい場所、という認識でしたが。
    それが楽しめるのは、建造者のおかげですね☺️🙏

  16. まぁ、だから「沼津」という地名なんですけどね。
    椎路から西の根方街道と国道1号の間は、今も昔も地元人の間では家を建ててはいけないと言い伝えられている一帯。
    実際に今も地盤沈下は進行しており、根拠のない伝承ではないです。新幹線や東名高速がここを避けた経路になっているのはそのせいですし、地元人なら一帯の分譲地や建売住宅は絶対買いませんね。
    当該地域にかつて所在したある個人医院の例ですが、地盤沈下で地面が下がり(建物は杭のおかげで沈下しなかった)玄関前の階段を1段増やした話は地元でよく知られています。

  17. 根方街道と旧東海道の間にある浮島が原や浮島沼といわれる地域。
    お今は亡き大伯父の話によると昔は前夜に置いた重機が翌朝には無くなっていて、盗まれたと思ったら軟弱地盤の中に沈んでいたとか。

  18. ららぽーと沼津とか沼津市立病院とか沼津市立今沢小中学校のあたりって、地盤が悪くて、地震がおきれば、液状化現象が起こるって言われているようなところだし、今沢小中学校なんて、校舎が傾いていて、コンクリートが壊れて立ち入りできないところが、30年くらい前にあった。もうすっかり改善されているんだろうけど、そんなに高度な技術がなければ、あんなところに家は建てないでしょう。旧の金岡村や鷹根村の地域なんて宅地化が進んだのはつい最近で、それまでは田んぼばかりだったと思いますよ。

  19. 六つ眼鏡までは言わないが、昭和第一放水路は言及して欲しかったかな
    私のような古い世代では小学校で必ず背景と開削経緯を教わった重要な水路です

  20. ちょうどこの辺りの東海道ルートは、元々は海側を通っていて、元吉原、中吉原、そして現在の吉原と江戸中期から後期にかけてルートが変更されています。
    原因は高波で、元吉原も中吉原も流されて大被害を受けました。
    ちなみに、古代道路と呼ばれる奈良平安時代の東海道は、現在の東名高速道路、新幹線ルートあたりを通っていたと言われています。

  21. 沼津と三島は盟主争いするような関係では無いです。
    そもそも三島は沼津の半分程度しか人口が居ません。
    新幹線駅がある事で三島のほうが大きな都市だと勘違いしてる人が多すぎます。
    元々新幹線は旧日本軍が軍需物資や人員の高速輸送の為に計画した弾丸列車を踏襲していて、用地も戦争中に接収されたルートをほぼそのまま使用しています。
    計画では沼津駅には在来線の機関区、車両基地があり、新幹線駅を作れる状況では無かった為に駅北側の海軍工廠の北縁を沿うように通り、そこに新沼津駅を作って海軍用のレーダーやソナーの出荷拠点となる予定でした。
    しかし戦争も終わり、東京オリンピックに間に合わせて新幹線計画が復活した時には海軍工廠は存在しません。
    代わりに台頭してきた新興財閥である西武グループによって三島駅が画策され、沼津に新幹線駅が出来る事は消滅しました。
    いずれ東海道新幹線も改修工事やルートの直線化が必要になります。
    その時こそ本来出来る筈であった沼津に駅を移転する好機でもある訳です。
    というかそうなるだろうと私は予想しています。

  22. 根方街道の奥の住宅地へすすむ小道(複数)が 途中から曲がって、
    その箇所をつなげると街道と並行な線が引けそうな所があるのだが
    ナゾのままだ

  23. 珍しい地区の紹介をありがとうございます。浮島沼の南北の街道はどちらも古い街道で、両方に古墳があるようです。愛鷹山麓には船津などという地名があり、浮島沼を挟んで船で行き来していたようですね。

  24. 北条早雲がまだ伊勢宗瑞を名乗っていた天正以前の頃、根方街道沿いに興国寺と言うお城があり、当時はそちらが東西を繋ぐ主要道路だったみたいです。

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