宇都宮の地名の元となった、東国守護の神を祀る都会の中の神域:栃木県・宇都宮二荒山神社 (Utsunomiya Futarayama Shrine)

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 社号碑、大鳥居
0:53 表参道、表参道末社
1:54 神門周辺
2:42 手水舎、神楽殿周辺
3:49 拝殿
4:41 本殿
4:56 末社・女体宮、十社
5:25 明神の井
5:40 末社・初辰稲荷神社
6:23 末社・須賀神社、市神社
6:47 摂社・下之宮

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は栃木県の県庁所在地、宇都宮市に鎮座する宇都宮二荒山神社(うつのみやふたらやまじんじゃ)を紹介します。

県庁所在地でもある栃木県宇都宮市の中心部に鎮座する宇都宮二荒山神社。宇都宮駅から大通りを進むと、街の中央に大きな鳥居が現れ、その奥に長い石段がまっすぐ伸びています。周囲には商業施設やビルが立ち並び、まさに都市の中心にある神社ですが、鳥居をくぐり、石段を上り始めると、少しずつ空気が変わっていくように感じられます。

現在の社殿が建つ場所は、明神山、または臼ヶ峰と呼ばれる小高い丘です。この小高い丘の標高はわずか135m。しかし、この小さな丘こそが、古代から宇都宮の信仰と都市形成の中心となってきました。

宇都宮二荒山神社は、単に街中にある神社ではありません。ここは、宇都宮という町の成り立ち、旧下野国の古代史、東国開拓の記憶、そして「二荒山」という社名の由来を今に伝える重要な古社です。栃木県には、もう一つ有名な「二荒山神社」である日光二荒山神社があります。そのため、宇都宮二荒山神社と日光二荒山神社は混同されがちですが両社は同じ「二荒山神社」という名を持ちながら、祀っている神様も、鎮座地の性格も、信仰の中心も大きく異なります。

宇都宮二荒山神社の主祭神は、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)。豊城入彦命は、第十代天皇・崇神天皇の皇子で、天皇の命を受けて東国の統治に関わった人物として伝えられています。古代の毛野国、現在の栃木県から群馬県にかけての地域と深く結びつき、のちの上毛野氏・下毛野氏につながる祖神としても重視されました。そのため、宇都宮二荒山神社に祀られる豊城入彦命は、単なる一柱の神ではなく、東国を拓いた神、栃木の地を守る祖神、そして宇都宮の始まりを象徴する存在として信仰されてきたのです。

配神として、大物主命と事代主命も祀られています。大物主命は、大和の三輪山信仰と深く関わる神で、国づくり・開拓・守護・産業の神として知られています。事代主命は大国主命の子神であり、託宣の神、また恵比寿信仰とも結びつく神です。つまり、宇都宮二荒山神社には東国を治めた祖神としての豊城入彦命に、国土経営や繁栄に関わる神々が重ねられています。この祭神構成からも、この神社が山そのものを拝む山岳信仰というより、地域社会の成立・開拓・政治・生活の守護と深く結びついてきたことが分かります。

社伝では、宇都宮二荒山神社は豊城入彦命の子孫にあたる奈良別王が、祖神である豊城入彦命を祀ったことが創建のきっかけとされています。最初に祀られた場所は、現在の社殿の南方へ向かって約200m離れた場所にあった荒尾崎、現在の摂社・下之宮(動画では6:47)のあたりと伝えられています。その後、現在の社地である臼ヶ峰へ遷座したとされます。

同社は、古代から旧下野国(現在の栃木県)の重要な神社として崇敬され、下野国一之宮として知られるようになりました。中世以降は武家からの信仰も集め、戦勝祈願の社としての性格も持ちました。ただし、宇都宮二荒山神社を理解するうえでより重要なのは、武将の逸話そのものよりも、この神社が宇都宮の町の中心に鎮まり、地域の祖神を祀り続けてきたという点です。同社の社殿は市街地の平地にそのまま建っているのではなく、石段を上った丘の上に配置されています。街中から鳥居をくぐり、石段を上って神域に入る参拝の動線そのものが、日常の都市空間から、神の鎮まる高みへ向かう構造になっているのです。

ここで、日光二荒山神社との違いを整理しておきます。日光二荒山神社は男体山、女峰山、太郎山という日光三山を中心とした山岳信仰の神社です。男体山は二荒山とも呼ばれ、日光二荒山神社の信仰は、霊峰そのものを神の山として仰ぐ性格を強く持っています。祭神は、大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の三柱で、日光三山と結びつけて理解されます。

一方、宇都宮二荒山神社の祭神は豊城入彦命です。つまり、日光が「霊峰を仰ぐ山岳信仰」であるのに対し、宇都宮は「人々の暮らす土地の中心に祖神を祀る信仰」といえます。日光の二荒山は、男体山という大きな山の神聖性と結びついています。それに対して宇都宮の二荒山は、町の中心にある小丘である臼ヶ峰を神域とし、そこに東国開拓の祖神を祀るという性格を持っています。同じ「二荒山神社」という名を持ちながら、日光は山を仰ぐ神社、宇都宮は町を守る神社と見ると、その違いが分かりやすくなります。

宇都宮二荒山神社の「二荒山」という社名は、どこから来たのか。ここが宇都宮二荒山神社を理解するうえで非常に重要な点です。宇都宮には荒尾崎と臼ヶ峰という二つの峰を持った小高い山がありました。荒尾崎と現在の社殿が建つ臼ヶ峰とは、距離にすればおおむね200mで、かつては一続きの小丘陵的な神域でした。南側の荒尾崎と、北側の臼ヶ峰という二つの小高い山を持つ荒山。これが「二荒山」という社名の由来です。「二」は二つの峰、「荒山」は人の生活圏に接しながらも、神の領域として意識された小高い丘。そう考えると二荒山という社名は、古い地形と神域意識に基づく名前として見えてきます。

現在では、旧社地である荒尾崎の地形はほとんど残っていません。江戸時代の町割りや道路整備、市街地化によって、かつての荒尾崎の高まりは削られ、山としての原形を失いました。一方で、臼ヶ峰は、宇都宮二荒山神社の社地として現在まで残りました。つまり、二荒山神社の石段を上っている参拝者たちは、かつて二つの峰を持っていた神域のうち、今も残された北側の峰へ上っているともいえるのです。

日本には雄大で象徴的な山を信仰する文化があり、その山を御神山として祀る神社が数多くありますが、標高135m程度の小さい山が何故宇都宮を代表する神社の鎮座地となっているのか。それは、宇都宮二荒山神社が「地域の祖神」を街の中心に祀る社だったからです。鎮座地に必要だったのは人々の生活圏に近く、周囲より少し高く、町を見守り、水害を避け、祭祀と都市形成の中心になれることでした。

現在の鎮座地である臼ヶ峰はまさにその条件に合っていました。霊峰として遠くから仰がれる山ではありませんが、宇都宮の街の中では周囲より一段高い場所にあります。低すぎる土地は水害の危険がありますが、丘の上であれば安全性が高い。一方で山奥ではないため、人々が日常的に参拝しやすく、政治や交通・商業の中心にもなりやすい。つまり、臼ヶ峰は「町の中心にありながら、日常より一段高い場所である」ことによって神聖視されたのです。

また、同社は「宇都宮」という地名の由来にもなりました。同社は古く「宇都宮大明神」とも呼ばれました。また、下野国一之宮であったことから「一之宮」が転じて「宇都宮」になったという説もあります。いずれの説にしても共通しているのは、宇都宮という地名の中心に、この二荒山神社があったということです。つまり地形の名が「二荒山」という社名を生み、その社が下野国一之宮として崇敬され、門前に町が発展し、やがて「宇都宮」という地名が定着していったのです。

宇都宮と日光にある二荒山神社。同じ「二荒山神社」という名を持ちながら、日光の社は山を仰ぎ、宇都宮の社は街を守る。その違いを意識して参拝すると、宇都宮二荒山神社の石段の意味も、社名の響きも、より深く感じられるはずです。

Utsunomiya Futarayama Shrine is a Shinto shrine located in the city of Utsunomiya, Tochigi Prefecture, Japan.

According to the shrine’s legend, when Emperor Nintoku divided the ancient province of Keno at the Kinugawa River into Kamitsukeno and Shimotsukeno (later Kōzuke and Shimotsuke) in the 5th century, he appointed Narawake-no-kimi as the kuni no miyatsuko of Shimotsukeno. This Narawake-no-kimi built a shrine to honor his great-grandfather Prince Toyokiirihiko as ujigami of the region. Per the Nihon Shoki, Prince Toyokiirihiko had been dispatched by his father Emperor Sujin to rule over Keno in response to a dream in which he had climbed Mount Miwa and swung a spear and a sword to the east. When he travelled to his new territory, he brought with him a bunrei of the kami Ōmononushi from Ōmiwa Shrine. The original location of the shrine was a place called Araozaki on the south side across the main street from the current location, but in 838 the shrine was relocated to the current location at Usugamine (Mt. Myōjin). There are many shrines called “Futarasan Shrine”, mainly in the Kantō region, but only this shrine, and the one in Nikkō have an ancient origin and are listed in the early Heian period Engishiki. As Prince Toyokiirihiko excelled in the martial arts, the shrine was patronized by famous military commanders throughout its history.

The place name of “Utsunomiya” is derived from the name of this shrine, and the Utsunomiya clan, a cadet branch of the Fujiwara clan who ruled his area for some five centuries from the end of the Heian period, were originally kannushi of the Futarasan Shrine.

1 Comment

  1. 素晴らしいですね〜🤣🤣厳かでそして優雅な時が流れて行きます🤔🤔
    やはり撮影は早朝に限りますね☺️☺️

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