【中山道碓氷峠】古代から現代までの積み重ねられた歴史を体感する街道の難所
信州と上州の境界線上にある碓氷峠。 古代から街道が通じており、 日本武尊が亡き妻をしのんで嘆いたと伝わります。 鎌倉時代末期には、新田軍と足利軍が争い、 戦国時代には武田軍と上杉軍が相まみえました。 江戸時代には、五街道の一つである中山道の 難所として知られました。 幕末には、皇女和宮が徳川家に 降嫁する折、この地を 経由しています。 明治時代には、明治天皇も この道を歩いて、 視察をしています。 本日は、今や押しも押されぬ 高級別荘地となった信州軽井沢から、 峠の釜めしで有名な 上州横川までを歩きます。 ここ、軽井沢駅から中山道の碓氷峠に向かいまして、 そこから旧道をですね、群馬県側の 横川まで下っていきたいと思っております。 実際この軽井沢駅はですね、 旧中山道は通っておりません。 まずは歩いて北側に20分ほどの旧軽井沢、 そこに出まして旧中山道にまずは 合流したいと思っております。 この軽井沢駅から旧軽井沢に向かう沿道、 なぜかやたらとケーキ屋さんとパン屋さんの数が多くて めちゃくちゃ比率が高いですね。 旧軽井沢に着きました。 軽井沢駅の一つ西側の中軽井沢駅、 こちらの方から中山道の旧道がこちらに 直接向かっておりましてですね、 ここから、さらに碓氷峠側に続いております。 それで、ここから中山道沿いに歩くんですけれども、 最初は軽井沢の中心地といっていいと思います。 飲食店やお土産物屋さんが立ち並んだ 中を通り抜けていきます。 今日は4月の16日火曜日、平日なんですけれども、 やはり外国人、特に中華圏の方が大変多いです。 先ほどの喧騒が嘘のように鎮まり返っております。 ここから、この車道が旧中山道に ほぼ沿って続いておりますので、 まずはこの車道を碓氷峠まで登りきって しまおうと思います。 おそらく1時間ちょっとぐらいだと思います。 旧軽井沢の繁華街の喧騒を抜けてまいりましたら、 ここに立派な中山道の石碑が建っております。 今日、しなの鉄道で上田方面から 軽井沢まで移動してきたんですけども、 途中、南側の美ヶ原とか蓼科山方面も ちょっと見える区間があったんですけども、 まるっきり雪のかぶっている状況でした。 碓氷峠も雪が残っている可能性が あるかなと思いますが、今のところ雪は 見当たりませんね。 碓氷峠に着いたようです。 見晴台だそうです。 随分立派な門がありますね。 近藤氏が寄贈されたものらしいです。 さあ、上毛三山。 遠く南アルプス北アルプス。 今日はちょっと厳しいな、これ。 ここが正道、右側が長野県、左側が群馬県。 妙義山の岩のカクカクした険しいところが、 もうここからだと丸わかりですね。 こういうのを見ると無性に登りたくなる 人がいるでしょうね。 浅間山もやっぱりまだ北側の斜面は雪が べったり張り付いてますね。 南側はだいぶもう消えてますけど。 この真ん中のポコッとした山、離山ですね。軽井沢の。 ダンコウバイかな。 上の方を伐ってありますね。 展望を確保するために。 今ちょうど12時になりましたね。 万葉集で2首、碓氷峠が読まれていると。 この熊野皇大神社にも県境が走っているので、 2つの神社があるそうです。 行ってみましょう。 石の風車。 神木の「しなのき」だそうです。 日本武尊の史跡でもあるんですね。 さて、一応車道は続いておりますけれども、 道の状態が一気に悪くなりました。 こちらにも、なんか歩道が分かれていますね。 あ、なんか下に畑があるね。 ん?ワサビ畑かな?もしかして。 思婦石。 関橋守の作、安成4年1857年の建立。 ありし代に かへりみしてふ 碓氷山 今も恋しき 吾妻路のそら 仁王門跡。 神宮寺があったんですね。 元禄年間に再建されたけれども、 明治維新の時に廃棄された。 仁王様は、熊野神社、先ほどの熊野神社の神楽殿に 保存されているそうです。 こちら側、中山道だそうなので、 こっち側に行きます。 こちら真っ直ぐ行くと霧積温泉という 横川駅からかなり、またの方の山奥に 入ったところにある温泉ですね。 そちらの方にも行けるようです。 全く雪がなくて良かった。 下り出しは極めて立派な道ですね。 下までこのような感じの道が 続いていればいいんですけど。 ちょうどこの落ち葉の積もり具合が、 足に優しいというか、 滑らかに着地できるので、膝への負担が 少なそうですね。 落ちて降り積もっている葉を見ると、 ホウの木がこの辺多いみたいですね。 沢を渡るんですね。ここで。 橋は架かってないですけど、楽勝で渡れます。 結構広くて気持ちのいい沢です。 人馬施工所跡。 ここ笹沢って言うんですね。 文政11年、江戸呉服の与兵衛が、 安中藩から間口17軒、奥行き20軒を借りて、 人馬が休む家を作ったそうです。 気持ちのいい林ですね。 カラマツですね。 夏になるとカラマツの葉が生い茂って、 こんなに遠くまで見通しが効かなくなると思います。 分岐点に到着したようです。 安政遠足。 陣場が原と言うそうです。 太平記に新田方と足利方の碓氷峠の合戦が記され、 戦国時代、武田方と上杉方の碓氷峠合戦記がある。 2回合戦が起こったんですね。 南北朝時代と戦国時代。 笹沢から小持山の間は茅の原で、 ここが古戦場と言われていると。 茅の原ありませんでしたけどね。 一人対向者が現れました。 今ここで出会ったということは、 9時ぐらいに横川を出発されているということですかね。 上りだとしたら1時間ぐらいで碓氷峠にまで着くので、 まあいいペースですよね。 ハシリドコロがもう花を開いてますね。 一つ家跡、老婆がいて旅人を苦しめた。 おせっかいババアだったんですかね。 その下に一里塚があったが、 浅間山大噴火で消滅したそうです。 江戸日本橋より36里目。 なんだこれ。 やっぱ、これ、車道が通じてたんですね。 あれ、これ、千曲バスじゃないの。 うわ、千曲バスの古い車両だ。 やっぱりここ昔車道だったんだな。 ドライブインがあったってこと? 謎の遺構ですね。 コンクリートで固められた護岸があるってことは、 やっぱりここは昔、車道だったんですね。 バスも侵入できるほどの。 開けた場所に出てきました。 ここは大きく崩壊しています。 こんなところに学校があったんですね。 明治11年、明治天皇御巡行の時、 児童が25人いた。 1人1円奨学金の下附があった。 プレハブの壊れた小屋が残ってますけど。 元々、茶屋があった跡に小学校が建ったってことですね。 峠の真ん中にある茶屋。 13軒の立場茶屋ができて、 寺もあった。 かなり大規模な平地があります。 もう水があれば普通に生活できるでしょうね。 一気に開けました。 植林帯を抜けて落葉紅葉樹林の林に 入ってくると、このように一気に明るくなりますね。 この時期はね。 この辺で、おにぎりを頬張りたいと思うんですけど、 どこかに、いい場所ないかなぁ。 座れそうですね。 栗が原。 明治の初めに交番が設置されたということですね。 バリバリになってますね。 もしかしたらクマさんの仕業かもしれないです。 ここが分岐になってますけど、右側にメガネ橋って 書かれてますが、横川から軽井沢の間、 昔国鉄の線路が通ってて、 そこの橋梁の一つですね。 今はその昔の橋梁が観光地になってて 昔の路線跡を歩けるようになっている。 そっちの方にここから抜けることができる。 今日の目的地横川駅までは7.5キロ。 あと2時間ぐらいですかね。 ちょっと傾斜が急になってきましたね。 座頭ころがし。釜場。 急な坂道、岩や小石がゴロゴロしている。 それから赤土となり 湿っているので滑りやすいところである。 ここはちょっと崩れてますね。 落石注意。 気持ちいい林ですよね、周りは。 落ち葉の下に岩が隠れていると、 ちょっと厄介なんですけど、 そういうこともなさそうなので、 この辺りは、スイスイ進めますね。 谷がどんどん深くなってきました。 あ、もう一里塚? ここは東山道も通ってた。 旧道のところに一里塚があるってことか。 あの谷底に東山道が通ってたってことですかね。 立派な馬頭観音ですね。 文化15年4月吉日。 信州善光寺。 あ、ちょっと画像ではわかりにくいかもしれませんが、 下に旧国鉄の橋梁らしきものがかすかに見えますね。 南側ですね。 こちらはかなり深い谷になっています。 先ほどのが北向きの馬頭観音で、 こちらは南向きの馬頭観音。 二つセットで建てられたんですかね。 あー、これも熊さんにバリバリやられてるっぽいです。 豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を 松井田城主、大導寺駿河守が 防戦しようとした場所で、 道は狭く両側が掘り切られている。 なるほど。 そうすると、これが土橋ってことですかね。 ほんとだ。あそこの一部だけが極端に細く なってますよね。 休憩所があります。 まだ新しいですね。 ここが関所だったと思われる場所だそうです。 茶屋跡。 石垣が。ちょっと見ていきましょうか。 4軒の茶屋が建っていた跡だそうです。 面白い組み方をしている石垣ですね。 お墓もあるって書いてあったけど、 ちょっと見当たらないですね。 奥の方にあるんでしょうか。 中山道と近道。 せっかくだから忠実に中山道を辿りましょう。 杉が伐られてます。 ここでさっきの近道と合流するんですね。 あんまり時間的には変わんなかった。 下界の集落が見えるところにやってきました。 覗(のぞき)。 あそこの一本道のあるところが坂本宿らしいですね。 もうすぐそこですね。 十返舎一九、東海道中膝栗毛の作者ですね。 たび人の 身をこにはたく なんじょみち 石のうすいの とうげなりとて 地蔵様は無かったですよね。 だいぶ標高が下がってきたので、 落葉広葉樹の葉っぱも、だいぶこの辺は開いてますね。 また、どでかい石碑が出てきました。 ちょっとあまりにも達筆すぎて読めないです。 倒れかけている板碑ですか。 大日尊か。 多くの石像物があって碓氷峠では一番難所である。 昔、芭蕉碑もここにあったが、 今は坂本宿の上木戸に移されている。 南無阿弥陀仏の碑、大日尊。 あ、やっぱ尊だ。 馬頭観世音。 ここを下った曲がり角に 溶岩の節理がよく分かる場所がある。 文政3年だ。 ケルン。 モミジイチゴが咲いてる。 柱状節理。 火成岩が冷却、固結するときに熱を生じ、 自然に四角または六角の柱状に割れたもの。 堂峰の見晴らしの良い場所、 坂本宿に向かって左側の石垣の上に 番所を備えた。 住宅が2軒あった。 あ、石垣ありますね。 この看板のすぐ裏にありました。 この上に番所があって、ここになんか門が、 設けられてたということですかね。 あそこで国道に合流するみたいです。 国道に合流です。 ここから、このように旧軽井沢を抜けて、 碓氷峠、熊野神社、小持山ずっと降りてきて 今ここに降りてきました。 あとは車道を歩くだけですかね。 今ここに降りてきたんですが、 こちらに道標が奥まったところにあって 分かりにくいんですが、 中山道の続きの道がありました。 この辺まで降りてくると、タンポポが咲いてますね。 ここで林道っぽいところに合流です。
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よっしょ。 これは何でしょう?浄水場? 電気柵がありますね。 危険さわるな。 この電子柵に沿って道が続いています。 あそこ入ってよかったんだね、多分ね。 だって、これ、中山道のコースになってる。 さて、出てまいりましたよ。 坂本宿です。 これが元々、山の上にあった芭蕉の句碑を ここに移設したってやつですね。 「ハネイシ」っていうのが正しい読み方だった。 これやっとわかった。 安山岩ですね。 ひとつ脱いで うしろにおひぬ 衣かへ たかさごや、小林一茶の定宿。 坂本や 袂の下は 夕ひばり なんとなく残ってはいるんですけど、 手が加えられてしまって。 ここで国道から左手に入ります。 薬師の湧水だそうです。 関所跡にようやくたどり着きました。 碓氷関所跡。 群馬県指定史跡。 本日は軽井沢からここ横川まで 旧中山道を歩いてまいりました。 ほぼ安全に歩行できるよう、 整備が行き届いていたと思います。 山中の歩道であるにもかかわらず、 古代から近代までの歴史の痕跡が 至るところに刻まれていました。 お手頃なトレッキングコースとして大変おすすめです。 興味のある方はぜひ訪れてみてください。 この動画をお気に召しましたら、 高評価とチャンネル登録よろしくお願い致します。
碓氷峠は、古代には既に東山道が通じていました。標高1200メートルの難所とはいえ、東西を結ぶ要衝でした。古道には、幅広い時代の歴史的遺構が散りばめられ、中には理解し難い謎の構造物もあります。時間を要する割には、退屈しない楽しい行程です。
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【タイムコード】
◆旧軽井沢 : 1:26
◆見晴台 : 3:41
◆熊野皇大神社 : 4:51
◆山中茶屋跡 : 10:48
◆刎石坂 : 17:15
◆坂本宿 : 19:57
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【中山道 碓氷峠】
◆碓氷峠は、古代には既に東山道が通じており、日本書記や古事記にも登場します。中山道は、幕末に皇室から和宮が第14代将軍徳川家茂に嫁ぐ際に、一部歩きやすい別ルートが設置されました。明治天皇御巡幸の際にも、群馬県側の南側に更に別ルートが設けられました。戦後に造成されたと思われるコンクリート造りの壁やドライブインのような遺構もあります。山深い街道でありながらも、幅広い時代の遺構が沿道に次から次と現れ、楽しませてくれる古道です。道中に案内板も豊富です。
◆中山道は全般的によく整備され、一部急坂はあるものの、危険個所はほぼ無く、冬季や荒天でない限り安全快適に歩くことができます。
◆碓氷峠周辺には数件の飲食店があります。そこから坂本宿までは、店舗は無く、水場もありませんので、飲み物、食べ物は、準備する必要があります。
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【チャンネル】
@歩いて旅するにっぽん
【今に生きる古道】
・できる限り往時のままの土の道をたどりたい
・昔の人と同じ気持ちで、歩きたい
・実際に歩いてみることで分かることが、たくさんある
市区町村や地元観光協会などのHPで紹介はされていても、
情報が不足していることも多いと思います。
徹底リサーチして厳選の上紹介しています。
◆運営会社:アスタービジョン株式会社
ウェブサイトはこちら
https://astervision.co.jp/
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【撮影機材】
◆GoPro HERO10 Black
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【編集ソフト】
◆PowerDirector 365
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動画の一部で、地理院タイルに地名・アイコン等を追記した画像を利用して配信しています。
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11 Comments
話がテンポよく進み、楽しむことができました。ありがとうございました。この道の存在は、信越本線(軽井沢ー横川)の廃止の時から知っていたのですが、行った人が見近にいないため、どうなっているのかよく知らなかったのです。(クマ出没など良い話もあまりききませんでした。)石像や案内板、そしてお茶屋さんなど”人の痕跡”が想像以上に多く、時間を見つけて行ってみてもいいかなと思うようになりました。
本当は、釜飯では無くて力餅が名物。
古代は土器、陶器などの出土品などの多さと峠の緩やかさからも国道18号バイパスの通る入山峠が東山道であったといわれていますね。
こちらの碓氷峠は陣屋を置き敵を待ち構えたり往来を封鎖する関所を置くに適した切り通しが数多く存在。戦国~江戸時代の往来は賑やかだったのであろう。
坂本宿から熊野神社までは安政遠足侍マラソンの峠コースが関所コースから分かれて山登りになるコースですね。10回以上走りましたが、だらだら上るのはきつかったですね。
鳥居峠?
軽井沢側の登りの車道は和宮新道で、分岐している遊歩道が旧街道だったはず。
昔からの古道などをゆくと、歌碑や解説板などあって、それらを読んでいるだけでも楽しいです。
とても聞きやすく、看板の文字も読んでいただけてストレス無い映像でした。
ここの中山道はもう登る体力ないので行くことは無いと思っていましたが、下るという方法がありましたね。
楽しい映像でした。ありがとうございます。
江戸時代の頃まで山賊とか多かったのでしょうね。
歩くの好きなので歩いてみたいです♬でも途中で迷子になりそう!
4月の頭くらいだったらまだヤマビルは大人しいんですかね。
群馬県が碓氷峠の廃線跡(アドプトロード)を世界遺産に登録しようと動いてるみたいで、薬剤撒いて退治しようと頑張ってるみたいです。
私は先週旧中山道ウォークで碓氷峠歩きましたが見事に血を吸われておりました。(;´д`)トホホ…
でも確かに噂に聞いていた足下でピョンピョン跳ねてる姿は見てないので減ってはいるのかも?
まぁ、減っても一時的かな。