【阿波・徳島】邪馬台国・古事記ゆかりの地めぐり【後編】

今回は邪馬台国・古事記に関連するスポットとして最近注目の
徳島県・気延山付近に点在する史跡・古社をタビトレ!
徳島の史跡や神社は車でしか行けない場所が多いのですが
今回は路線バスと徒歩だけで巡れるコースをご紹介します
この動画は[前編・後編]2回シリーズの後編です
#阿波古事記 #阿波説 #邪馬台国
#神社 #古事記 #徳島 #japan

【チャプター】
00:00 前回のダイジェスト
01:04 宮谷古墳
04:38 阿波史跡公園
07:13 徳島市立考古資料館
12:14 大御和神社

【BGM】
Music by Khaim: https://www.khaimmusic.com/
@khaim

5 Comments

  1. 地元の者ですが、邪馬台国の王城が置かれていた場所は恐らく徳島県の善入寺島(日本最大の中洲島)だったと考えてます。
    善入寺島は周囲を吉野川という自然の堀に囲まれていて城を築くにはもってこいの場所だと言えます。
    今は無人の島となっていますが、かつては約3000人が島の上で生活していて、卑弥呼の次女1000人に加え、色々な役職の人間が島の上で暮らして行く事が出来ます。
    この説は阿波説の中でも異端ですが、ぜひ一度善入寺島についても調べてみて下さい。

  2. 旅行会社の方ならば、もっと四国の有意義性を信じた方が良いかと思います。
    僕の見解ですが、四国は大和王権の配下に入った古代仏教の地です。
    古代仏教は上座部仏教で、現在の日本で展開されている仏教とは異なります。弥生時代以降に中華の戦乱から追われて逃れたブッダの教えを守るが故に安住と修験の地を求めて四国に辿り着いた人々の所に王権が配下におさめるために臣下の者達を送ったものと考えるのが矛盾もなく、後の空海による多数の修験場(寺院)発見に至っていると考えます。
    四国の忌部氏は内裏を出ているので、宮廷で云うところの陛下と口に出来る立場にはなかったと考えます。せいぜい殿下と口に出来る地位の者ではと思います。四国説を唱える方々が大嘗祭に使われる品々を造る事を主張しますが、それらを天皇位に就く者が自ら造る事は最上位にあるはずの方がやることではありません。臣下の栄誉ある仕事のはずです。
    四国にしてみれば、本来神社は侵略者の象徴と捉えなければならないと考えます。
    それでも歴史ある神社は多いはずです。西日本が戦乱に混乱した弥生時代から古墳時代に四国は平和な地であったとも考えます。神武東征と云う記述に四国が入らないのは平和まま王権配下に入り、乱れる九州北部、山陽地域と比べ何も変わらなかったと云う事です。

  3. 八倉比売神社の石積みについて、博物館の学芸員に尋ねてみました? 面白い話が聞けたことでしょう。日本に神社なんてコンビニ、歯医者より多いと聞きます。論社は好き勝手な由緒を作るのです。阿波・邪馬台国説も町おこし、村おこしの一つのエンタメだと銘打ってやるなら罪はないのですが。

  4. 阿波・徳島に関する一連の案内動画 ありがとうございます。
    阿波・徳島は魏志倭人伝に書かれた邪馬壹国(やまと国)の所在地であり 古事記の神話と繋がる国内唯一の場所です。 邪馬台(たい)国は
    江戸時代に新井白石が命名した国名ですので 国内には存在しません。「阿波・徳島 邪馬壹国 古事記ゆかりの地めぐり」が適切と思います。
    古事記の正式名称は「磯上乃古事記」でして、「磯上乃」とは「阿波」であると空海は書いています。

    魏志倭人伝または日本古代歴史書は邪馬台(たい)国でなく、邪馬壹(臺)国(やまと国)と書かれています。

    下記にピッタリするのが邪馬壹国で阿波となります。九州・近畿等の他説はピッタリしません。

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    候補地は魏志倭人伝記載通りに、山から丹(辰砂)がでますか? 真珠青玉(原石:青石)が取れますか?

    帯方郡から12000里ですか? さらに狗耶韓国から7000里ですか?

    会稽東治(豫洲・下相城)の真東にあたりますか?

    壱岐から松慮国迄1000里ありますか? 宗像が松慮国ではないですか?

    東に開けた海と山が近くにありますか?

    1000里隔てた東海の先には別の倭人が住んでいますか?

    山間部(高天原)にあり周りに21国ありますか? 牛馬はいませんね?

    卑弥呼および後継者に関する伝承が残っていますか?

    古事記(倭・やまと)との深い関連が認められますか?

    古い神社(延喜式神社)や初期古墳等遺跡が多数ありますか?

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