広島県 楽しい街歩き 広島県尾道市 2024-11-17 楽しい街歩き 広島県尾道市 #尾道 #広島 #寺 #坂道 他にも尾道の動画を出してます^_^ 尾道の夜の商店街や飲み屋街を散策します 尾道の平日 ディープな街散策 尾道市JR尾道駅周辺 尾道の坂の上の小さなショップ巡り 尾道の商店街散策 尾道の正月 7 Comments @publictaki 1年 ago いい季節になりましたね!まだまだ散策出来る所が沢山ありますね。私もしばらく尾道に出かけてないので、そろそろ行ってみようと思います。 @teardrop-td7 1年 ago たまには電車で行こう駅出発で街を散策してみたくなりましたやっぱり尾道好きだなあ @名無権兵衛-w1n 1年 ago 尾道駅より直ぐのあおぞらパパド行かれましたか?今のところカレーならここかな @水澤秀成 1年 ago 2:51茶房「こもん」の店内には、現在も1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」の撮影で使用された「実加の譜面台」が置かれています。「実加の譜面台」は、薩谷和夫美術監督がつくったものです。茶房「こもん」から徒歩2~3分の山陽本線線路沿いに「福善寺の立体駐車場」がありますが、そのすぐそばにある石の階段は、1953年8月、小津安二郎監督が東京方面へ走行する汽車を撮影するためカメラをセットしたポジションです。その場面で汽車の進行方向のはるか先に「浄土寺山」が映り込みますが、大林宣彦監督は、これを映画「転校生」のラストシーンで模倣しています。海岸通りの「料亭旅館魚信」の前辺りで一夫が助手席側の窓からカメラを取り出して、一美の姿を撮影し始めた場面です。一夫が乗ったトラックの先に「浄土寺山」が映り込むのは意図的な演出なんです。ところで、小林聡美さんが演じた一美の15歳の誕生日は、どうして「1981年7月12日(日曜日)」なのでしょうか。私は、その理由を40年以上理解することが出来ませんでしたが、香川京子さんが演じた平山京子先生の背後にカレンダーが映り込んでいることに気づきました。町医者である幸一に急患が現れた結果、東京見物に行けなくなった場面において、幸一の妻が「次の日曜日に」と語るシーンがありますが、それが「1953年7月12日(日曜日)」だったからでしょう。信じ難いことですが、なんと「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は曜日配列が同一だったのです。ところが、平山周吉ととみは、同月10日(金曜日)の昼過ぎには帰って来たのです。とみが亡くなった具体的期日は明らかにされていませんが、大林宣彦監督が主張したかったことは、一美はとみの生まれ変わりであるということなのでしょう。「料亭旅館魚信」の前は、1960年に新藤兼人監督が映画「裸の島」で夫婦を演じた乙羽信子さんと殿山泰司のことを撮影したロケ地です。ご存知でしたか、一美の背後に映り込む「仁井時計店の看板」は単に「栗吉材木店の看板」のオマージュであっただけでなく、「仁井時計店」が腕時計専門店だったことを。 @水澤秀成 1年 ago 3:47「お寺」ではありません、「艮神社」です。大林監督とそのスタッフは、映画の商業的成功を祈願してクランクイン前に必ずお参りした神社であるそうです。また、「艮神社」の境内は、1983年7月16日劇場公開の映画「時をかける少女」と1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のロケ地でもあります。4:47映画「ふたり」では、実加と真子が「前野万里子の家」へ討ち入るために通った階段がここです。映画「転校生」では、一美と一夫が「斉藤一美の家」から逃げてきた階段です。「前野万里子の家」と「斉藤一美の家」は同一の民家ですが、2021年12月27日付けでY場さんが第三者へ売却してしまいました。その結果、2022年GW明けには美しい松の木はすべて伐採されてしまいました。 @水澤秀成 1年 ago 尾道で撮影された映画で世界的に有名なものは、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」です。 1953年8月16日(日曜日)早朝、浄土寺の境内で撮影されたのが「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」という笠智衆さんの名ゼリフです。 1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンの意味を調べてみると、とても驚くことがあります。 次の2点に着目してください。 (1)「実加」が現れた「東久保町の坂」にはどんな意味があったのか。 (2)「実加」の背後に映り込む「久保三丁目の松本病院」にはどんな意味があったのか。 「東京物語」を1回、2回程度見ただけでは、絶対に気づけないことが「ふたり」のラストシーンに隠されています。 その意味を知ると、大林監督とそのスタッフがどれだけ小津監督のことを敬愛していたかがわかります。 ちなみに、「石田ひかりさんの入浴シーン」は、1990年に「糸崎のミカン倉庫」で撮影されたものですが、そこがロケ地として選ばれた理由は、1960年に新藤兼人監督が撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったためです。 信じられないことですが、映画「裸の島」が撮影されたのが「宿禰島」であって、出演者(乙羽信子さん、殿山泰司さん、田中伸二さん、堀本正紀さんの4人)の背後に映り込んでいたのが三原市糸崎町だったからなのです。 なお、映画「時をかける少女」でタイムリープ中の芳山和子が石段で出会った坊主頭の二人の男の子は、田中伸二さんと堀本正紀さんが演じた「太郎・次郎兄弟」のオマージュです。 @水澤秀成 1年 ago eko ekoさんは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」をご覧になったことがありますか。 「二十四の瞳」には、「桜の花」、「菜の花」、「修学旅行の船上で香川マスノが独唱する浜辺の歌」、「大石先生と偶然再会した松江の後ろ姿」がありますよね。 私は、これらすべてが大林監督によって映画「時をかける少女」の中で模倣されていると思いますが、いかがでしょうか。 「大石先生と偶然再会した松江の後ろ姿」については、ちょっとわかりづらいかもしれません。 「時をかける少女」の芳山和子が福島先生のネクタイを誉めた時、嬉しくてたまらない立花先生の感情を根岸季衣さんが背中で上手に表現していると思うのですが、いかがでしょうか。 Write A Commentコメントを投稿するにはログインしてください。
@水澤秀成 1年 ago 2:51茶房「こもん」の店内には、現在も1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」の撮影で使用された「実加の譜面台」が置かれています。「実加の譜面台」は、薩谷和夫美術監督がつくったものです。茶房「こもん」から徒歩2~3分の山陽本線線路沿いに「福善寺の立体駐車場」がありますが、そのすぐそばにある石の階段は、1953年8月、小津安二郎監督が東京方面へ走行する汽車を撮影するためカメラをセットしたポジションです。その場面で汽車の進行方向のはるか先に「浄土寺山」が映り込みますが、大林宣彦監督は、これを映画「転校生」のラストシーンで模倣しています。海岸通りの「料亭旅館魚信」の前辺りで一夫が助手席側の窓からカメラを取り出して、一美の姿を撮影し始めた場面です。一夫が乗ったトラックの先に「浄土寺山」が映り込むのは意図的な演出なんです。ところで、小林聡美さんが演じた一美の15歳の誕生日は、どうして「1981年7月12日(日曜日)」なのでしょうか。私は、その理由を40年以上理解することが出来ませんでしたが、香川京子さんが演じた平山京子先生の背後にカレンダーが映り込んでいることに気づきました。町医者である幸一に急患が現れた結果、東京見物に行けなくなった場面において、幸一の妻が「次の日曜日に」と語るシーンがありますが、それが「1953年7月12日(日曜日)」だったからでしょう。信じ難いことですが、なんと「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は曜日配列が同一だったのです。ところが、平山周吉ととみは、同月10日(金曜日)の昼過ぎには帰って来たのです。とみが亡くなった具体的期日は明らかにされていませんが、大林宣彦監督が主張したかったことは、一美はとみの生まれ変わりであるということなのでしょう。「料亭旅館魚信」の前は、1960年に新藤兼人監督が映画「裸の島」で夫婦を演じた乙羽信子さんと殿山泰司のことを撮影したロケ地です。ご存知でしたか、一美の背後に映り込む「仁井時計店の看板」は単に「栗吉材木店の看板」のオマージュであっただけでなく、「仁井時計店」が腕時計専門店だったことを。
@水澤秀成 1年 ago 3:47「お寺」ではありません、「艮神社」です。大林監督とそのスタッフは、映画の商業的成功を祈願してクランクイン前に必ずお参りした神社であるそうです。また、「艮神社」の境内は、1983年7月16日劇場公開の映画「時をかける少女」と1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のロケ地でもあります。4:47映画「ふたり」では、実加と真子が「前野万里子の家」へ討ち入るために通った階段がここです。映画「転校生」では、一美と一夫が「斉藤一美の家」から逃げてきた階段です。「前野万里子の家」と「斉藤一美の家」は同一の民家ですが、2021年12月27日付けでY場さんが第三者へ売却してしまいました。その結果、2022年GW明けには美しい松の木はすべて伐採されてしまいました。
@水澤秀成 1年 ago 尾道で撮影された映画で世界的に有名なものは、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」です。 1953年8月16日(日曜日)早朝、浄土寺の境内で撮影されたのが「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」という笠智衆さんの名ゼリフです。 1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンの意味を調べてみると、とても驚くことがあります。 次の2点に着目してください。 (1)「実加」が現れた「東久保町の坂」にはどんな意味があったのか。 (2)「実加」の背後に映り込む「久保三丁目の松本病院」にはどんな意味があったのか。 「東京物語」を1回、2回程度見ただけでは、絶対に気づけないことが「ふたり」のラストシーンに隠されています。 その意味を知ると、大林監督とそのスタッフがどれだけ小津監督のことを敬愛していたかがわかります。 ちなみに、「石田ひかりさんの入浴シーン」は、1990年に「糸崎のミカン倉庫」で撮影されたものですが、そこがロケ地として選ばれた理由は、1960年に新藤兼人監督が撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったためです。 信じられないことですが、映画「裸の島」が撮影されたのが「宿禰島」であって、出演者(乙羽信子さん、殿山泰司さん、田中伸二さん、堀本正紀さんの4人)の背後に映り込んでいたのが三原市糸崎町だったからなのです。 なお、映画「時をかける少女」でタイムリープ中の芳山和子が石段で出会った坊主頭の二人の男の子は、田中伸二さんと堀本正紀さんが演じた「太郎・次郎兄弟」のオマージュです。
@水澤秀成 1年 ago eko ekoさんは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」をご覧になったことがありますか。 「二十四の瞳」には、「桜の花」、「菜の花」、「修学旅行の船上で香川マスノが独唱する浜辺の歌」、「大石先生と偶然再会した松江の後ろ姿」がありますよね。 私は、これらすべてが大林監督によって映画「時をかける少女」の中で模倣されていると思いますが、いかがでしょうか。 「大石先生と偶然再会した松江の後ろ姿」については、ちょっとわかりづらいかもしれません。 「時をかける少女」の芳山和子が福島先生のネクタイを誉めた時、嬉しくてたまらない立花先生の感情を根岸季衣さんが背中で上手に表現していると思うのですが、いかがでしょうか。
7 Comments
いい季節になりましたね!
まだまだ散策出来る所が沢山ありますね。
私もしばらく尾道に出かけてないので、
そろそろ行ってみようと思います。
たまには電車で行こう
駅出発で街を散策してみたくなりました
やっぱり尾道好きだなあ
尾道駅より直ぐのあおぞらパパド行かれましたか?
今のところカレーならここかな
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茶房「こもん」の店内には、現在も1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」の撮影で使用された「実加の譜面台」が置かれています。
「実加の譜面台」は、薩谷和夫美術監督がつくったものです。
茶房「こもん」から徒歩2~3分の山陽本線線路沿いに「福善寺の立体駐車場」がありますが、そのすぐそばにある石の階段は、1953年8月、小津安二郎監督が東京方面へ走行する汽車を撮影するためカメラをセットしたポジションです。
その場面で汽車の進行方向のはるか先に「浄土寺山」が映り込みますが、大林宣彦監督は、これを映画「転校生」のラストシーンで模倣しています。
海岸通りの「料亭旅館魚信」の前辺りで一夫が助手席側の窓からカメラを取り出して、一美の姿を撮影し始めた場面です。
一夫が乗ったトラックの先に「浄土寺山」が映り込むのは意図的な演出なんです。
ところで、小林聡美さんが演じた一美の15歳の誕生日は、どうして「1981年7月12日(日曜日)」なのでしょうか。
私は、その理由を40年以上理解することが出来ませんでしたが、香川京子さんが演じた平山京子先生の背後にカレンダーが映り込んでいることに気づきました。
町医者である幸一に急患が現れた結果、東京見物に行けなくなった場面において、幸一の妻が「次の日曜日に」と語るシーンがありますが、それが「1953年7月12日(日曜日)」だったからでしょう。
信じ難いことですが、なんと「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は曜日配列が同一だったのです。
ところが、平山周吉ととみは、同月10日(金曜日)の昼過ぎには帰って来たのです。
とみが亡くなった具体的期日は明らかにされていませんが、大林宣彦監督が主張したかったことは、一美はとみの生まれ変わりであるということなのでしょう。
「料亭旅館魚信」の前は、1960年に新藤兼人監督が映画「裸の島」で夫婦を演じた乙羽信子さんと殿山泰司のことを撮影したロケ地です。
ご存知でしたか、一美の背後に映り込む「仁井時計店の看板」は単に「栗吉材木店の看板」のオマージュであっただけでなく、「仁井時計店」が腕時計専門店だったことを。
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「お寺」ではありません、「艮神社」です。
大林監督とそのスタッフは、映画の商業的成功を祈願してクランクイン前に必ずお参りした神社であるそうです。
また、「艮神社」の境内は、1983年7月16日劇場公開の映画「時をかける少女」と1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のロケ地でもあります。
4:47
映画「ふたり」では、実加と真子が「前野万里子の家」へ討ち入るために通った階段がここです。
映画「転校生」では、一美と一夫が「斉藤一美の家」から逃げてきた階段です。
「前野万里子の家」と「斉藤一美の家」は同一の民家ですが、2021年12月27日付けでY場さんが第三者へ売却してしまいました。
その結果、2022年GW明けには美しい松の木はすべて伐採されてしまいました。
尾道で撮影された映画で世界的に有名なものは、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」です。
1953年8月16日(日曜日)早朝、浄土寺の境内で撮影されたのが「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」という笠智衆さんの名ゼリフです。
1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンの意味を調べてみると、とても驚くことがあります。
次の2点に着目してください。
(1)「実加」が現れた「東久保町の坂」にはどんな意味があったのか。
(2)「実加」の背後に映り込む「久保三丁目の松本病院」にはどんな意味があったのか。
「東京物語」を1回、2回程度見ただけでは、絶対に気づけないことが「ふたり」のラストシーンに隠されています。
その意味を知ると、大林監督とそのスタッフがどれだけ小津監督のことを敬愛していたかがわかります。
ちなみに、「石田ひかりさんの入浴シーン」は、1990年に「糸崎のミカン倉庫」で撮影されたものですが、そこがロケ地として選ばれた理由は、1960年に新藤兼人監督が撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったためです。
信じられないことですが、映画「裸の島」が撮影されたのが「宿禰島」であって、出演者(乙羽信子さん、殿山泰司さん、田中伸二さん、堀本正紀さんの4人)の背後に映り込んでいたのが三原市糸崎町だったからなのです。
なお、映画「時をかける少女」でタイムリープ中の芳山和子が石段で出会った坊主頭の二人の男の子は、田中伸二さんと堀本正紀さんが演じた「太郎・次郎兄弟」のオマージュです。
eko ekoさんは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」をご覧になったことがありますか。
「二十四の瞳」には、「桜の花」、「菜の花」、「修学旅行の船上で香川マスノが独唱する浜辺の歌」、「大石先生と偶然再会した松江の後ろ姿」がありますよね。
私は、これらすべてが大林監督によって映画「時をかける少女」の中で模倣されていると思いますが、いかがでしょうか。
「大石先生と偶然再会した松江の後ろ姿」については、ちょっとわかりづらいかもしれません。
「時をかける少女」の芳山和子が福島先生のネクタイを誉めた時、嬉しくてたまらない立花先生の感情を根岸季衣さんが背中で上手に表現していると思うのですが、いかがでしょうか。