「邪馬台国がわかった」総集編 やさしくわかる論点とポイント #三国志魏志倭人伝の経路をたどる旅 #三国志 #邪馬台国 #女王国 #卑弥呼
漢字訂正: 会稽統治 → 会稽東治 02:19付近
この動画1本見れば、邪馬台国マスター!!
邪馬台国の場所を特定する時の、論点とポイントを
初心者や素人でも、わかるようにシンプルに解説した総集編動画です!!
本動画は、リンクのシリーズ動画を総集編として、まとめるにとどまらず、
皆様から頂いた、ご意見、コメントを反映し進化させた動画です
00:00 帯方郡治 ソウルの街
02:17 動画の目的と論点
10:00 帯方郡治 ソウル 風納土城
18:45 ソウルから釜山へ 「水行」の解釈 KTX青龍
31:29 狗邪韓国 釜山
33:55 末盧国 黒岩前田遺跡と出雲王国
54:18 伊都国 吉野ヶ里遺跡
1:15:09 奴国 みやき町
1:21:33 不弥国 久留米から鹿児島出港
1:27:14 水行20日水行10日
1:39:02 投馬国 奄美大島
1:41:22 女王国
1:54:33 傍国21国の地図
2:03:52 邪馬台国 陸行1月 沖縄本島
2:18:30 女王の都 沖縄北谷
2:23:04 女王国の原風景 慶良間無人島
2:26:23 女王卑弥呼の墓
参考
三国志魏志倭人伝 現代語訳
https://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm
北谷海底遺跡調査文献 卑弥呼の居城と墓について 木村正昭
http://npominder.justhpbs.jp/newpage110_10th_5.html
三国志魏志倭人伝で、移動に使った船は、人力で漕ぐ原始的な船ではなく
地中海交易の覇者、海洋民族のフェニキア人が、世界中を航海して得た
卓越した航海術と世界航海が可能な、高度な技術による帆掛け船だったと考えられます
特に、魏や帯方郡の船はともかく
倭国内で水行20日水行10日の大移動に使った船は、
地中海交易の覇者、フェニキア人の帆掛け船と航海術が元となった
当時では、最先端の船であったと考えられます
屋久杉(縄文杉)とレバノン杉 → 重要情報
https://momo-momomat.blogspot.com/2012/03/blog-post_16.html
屋久杉は、フェニキア人が、レバノンからレバノン杉を運んできて、日本を拠点として活動するために、船の建材用に植樹したものである
唐津湾の古代の海岸線
松浦川のかなり上流のエリアまで海だったことがわかります
https://nihonkodaishi.net/special/maruchi/images/202103/fig_m04.png
現在の川面の標高は、0.7mと、ここまで海であったことを想定するのに十分な標高です。
https://x.com/vega_traveler/status/1851580782051205180
三国志魏志倭人伝 九州北部の経路図まとめ
https://x.com/vega_traveler/status/1847266396499235207
次の点から、吉野ヶ里遺跡が、「伊都国」であったことが確認されます。
①三国志魏志倭人伝との「末盧国から伊都国の経路の一致」と「年代の一致」
これまで、倭人伝原文の方角が間違っていると解釈している方が多い印象ですが
伊都国は、帯方郡の使者が「常駐する場所」とあります。
帯方郡の使者がしょっちゅう来ていて、常駐していたのが、伊都国です。
いつも倭国に行く時に、常駐している、伊都国へゆく経路の方角を間違えて記述した?・・・そんなわけが、ありません!!
②卑弥呼の居城と同じ、3つの設備「宮室」「楼觀」「城柵」の存在から、北の王の居城と推定される
③吉野ヶ里から、王の墓が発見されない。「伊都国は、代々王ありて、皆女王国の所属」とある。
つまり、伊都国(吉野ヶ里)の、代々の王の墓は、出身地の、女王国に造られたと考える 。
また、「伊都国」と「邪馬台国」との関係性において
④吉野ヶ里遺跡と、邪馬台国の卑弥呼の居城だったと考えられる、沖縄「北谷海底遺跡」の
年代が一致しており、規模の大きさ、形状も類似している
「吉野ヶ里遺跡」と「北谷海底遺跡」以外に、年代、規模、形状が一致する遺跡は、他に見つかっていない
⑤吉野ヶ里遺跡から、奄美大島、沖縄の、貝のアクセサリーの出土があり
「貝の道」と呼ばれる航路で、船で「奄美大島」「沖縄」と交易があったことが確定している
ここで、奄美大島(南へ水行20日)、沖縄(さらに南へ水行10日と陸行1月)である
⑥魏志倭人伝に記載のある、青大句珠(翡翠(ヒスイ)の勾玉)は、当時、貝の道と呼ばれていた航路の交易品と考えられるが、吉野ヶ里から出土があり、魏志倭人伝の記述と合致する
以上の検証により、帯方郡から、伊都国までの経路は、ほぼ100%確定します。
まず、なにはさておき、
吉野ヶ里を経由しない、邪馬台国の場所の仮説は、きわめて信憑性が低い説だと、わかります。
「伊都国から奴国を経て不弥国」
当時の海岸線を考えると、「伊都国」から、海岸線に近い街「奴国」に移動し
この海岸線に沿って、港町の「不弥国」まで移動した経路だと考えられます
「不弥国から南へ水行20日」
帯方郡から狗邪韓国までのような「海岸に沿って進んだ」という記述がないことから
海岸線の港町「不弥国」から、船で、有明海を経て海に飛び出して南へ進んだと読みます
古代の日本の出雲王国、出雲族のエリアは
青銅器の分布と、出雲系の神社の分布を見ればわかります
https://x.com/vega_traveler/status/1850904307388067899
九州北部は、現在の福岡県以東は、出雲族のエリアです。
ここからも、倭国のエリアが、現在の佐賀から南西諸島の沖縄までの
エリアであったことが推定されます。
九州の佐賀以外の説や畿内説は、出雲系のエリアですので、整合性が取れません。
任意の2地点間の距離を測る
距離:一寸千里法 方位:インディアンサークル法
古代の測量は、距離と方位で測ります
一寸千里法は、現状、参考文献が少なく、添付のものは簡単に書いてありますが
方位が異なる任意の2地点間の距離の説明が不足していると思います。
https://www.geog.or.jp/files/h27-autumn_02.pdf
https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1675.html
任意の2地点間の距離が地球と比べて極短距離であれば、
地球の表面を平面と仮定することで、
太陽光と影を利用し
①棒と②方位計と③メジャーを使って
簡単な、数学で、2点間の距離を測ることができます。
中学程度の数学ができれば、誰でも測定できます。当時、三角関数なんてありません。
興味のある人は、頭の体操で、考えてみてください。
わたしは、やり方が、すぐわかりました。
なにはともあれ、古代でも、方角を間違えることはなかったでしょう。
リンク「会稽東治」は「会稽東冶」の間違いで2都市並記
https://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-246.html
「会稽東冶」が会稽群の東冶県であれば「会稽東冶県」と記載する
「会稽」と「東冶」の2都市並記と読むのが自然
https://toyourday.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-b8a3.html
「会稽」と「東冶」の2都市は、当時の東海岸の2大港湾都市
https://x.com/vega_traveler/status/1842587354940473427/photo/1
九州北部と、沖縄、奄美大島は、弥生時代から船で貝交易がおこなわれていた
沖縄・奄美大島から九州北部を経て、瀬戸内海、日本海側を経て、北海道(アイヌ)までの交易路が貝の道である
吉野ヶ里から翡翠(ヒスイ)が出土しており、日本海糸魚川付近との交易と考えられる
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch1/sakishima_up/up04.html
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch1/sakishima_2.html
吉野ヶ里には、沖縄、奄美大島から交易された
多数の貝のアクセサリーの出土がある
また、日本海側糸魚川付近から交易された翡翠(ヒスイ)も出土されている
https://www.yoshinogari.jp/ym/episode05/trade_2.html
吉野ヶ里から、貝のアクセサリー、翡翠(ヒスイ)とともに
貝紫に染色された、絹織物や絹糸が発掘されている
「貝紫の染色織物」は、フェニキア人のシンボルである
https://tontonzizii.livedoor.blog/archives/28746778.html
吉野ケ里から発掘された石棺からは、「水銀の成分を含む赤色顔料」が発見されており、これも貝の道の交易品、あるいは、魏への朝貢の時に返礼品としてプレゼントされた「鉛丹」と考えられる
吉野ケ里遺跡の石棺から骨の成分 赤色顔料から水銀も、佐賀県
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd911bdd8f9eb58b3a71111b8f316d7808eac3a7#:~:text=%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C%E3%81%AF5%E6%97%A5,%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E5%88%86%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82
女王国の地図
https://x.com/vega_traveler/status/1853389004923961601
倭国と傍国21国の地図
https://x.com/vega_traveler/status/1854522041581633908
邪馬台国 首都圏の地図
https://x.com/vega_traveler/status/1863140951021285516
琉球王国の外交 識名園
中国からの使者「冊封使」が来ると
同じ那覇市内の天使館から識名園までの至近距離を
沖縄の領土を広く見せるため、6時間かけてかごに乗せて案内した
識名園の展望台の「勧耕台」からは、海岸が見えず
これは、沖縄本島の領土を広く見せるための政治工作であったことが知られている
http://rca.open.ed.jp/city-2001/heritage/shikina/11.html
https://www.okinawastory.jp/feature/heritage/shikinaen
裸国・黒歯国・・・ラピタ人 メラネシア、ポリネシア
奴国(ナ~)は那覇(ナハ)
https://x.com/vega_traveler/status/1849783534166344035
極南界の奴国
https://x.com/vega_traveler/status/1849785514528014471
卑弥呼と代々の王の墓
嘉手納の円形の塚の情報 ゆっくり古代史新解釈 チャンネル
https://youtu.be/2DVy46ekGGg?si=vyqvW3aSXU3Xaw61
#邪馬台国 #沖縄 #北谷
#三国志 #魏志倭人伝
#三国志魏志倭人伝の経路をたどる旅
9 Comments
年末スペシャル動画 これ1本を見るだけで、邪馬台国の謎が解ける!!
三国志魏志倭人伝の経路をたどる旅 総集編
・初心者が見てもわかるように、論点を絞った内容としました。
・皆様からいただいた有益なコメントを動画に反映しています。
魏志がどうこうは置いといて
呉と南洋諸島沖縄、甑島列島
五島列島、天草熊本は既に
呉の刀銭を介した通商関係に
あったようですけど、、、
邪馬台国の場所と卑弥呼の墓はもう解明されているんですけど、あまり公になっていないので、一部の人しか知らないんです。
魏志倭人伝が全て真実なのか・・・。
あの国においてそんなことはあり得ない笑笑
もしかしたら少しくらい事実が書いてあるかもしれませんね笑笑笑
魏志倭人伝は、信憑性が無いらしいですね。役職なんかが、当時とは、全然 違うらしい何百年後に数人の人物が書き換えたらしい。
宇佐神宮が怪しいですね。
沖縄説もがんばってるではないか
伝にある通り、末盧国・唐津からは、東南へ、松浦川を遡り、笹原峠(海抜97m)を越えて佐賀平野へ出るのが正解だね。
今までの、本居宣長以来の糸島回り畿内説・九州説は、大間違い。
面白いですね。
当時は有視界航行だったでしょうから、南の端は沖縄糸満か久米島まででしょう。
そこから宮古島は目視出来ません。
これは、ゴホウラ貝の集積遺構の南限が慶良間列島である事とも符合します。
「當在会稽東治之東」は書き間違いではなく、これが正しいのでこれを読み解くと邪馬台国の場所に近づけます。これまでの研究者も東大教授も京大教授も「當在会稽東治之東」を読み解けず都合の良い解釈をしたため見つけることができませんでした。