アラフィフ散策ママがゆく~淀宿~
京の都と大坂をつなぐ京街道沿いにある、東海道55次の旧宿場町・淀界隈を自転車でめぐりました。
桂・宇治・木津川が合流する水陸交通の要所だった淀には、かつて舟運で賑わったであろう港があり、京街道に架かる重要な橋・淀小橋がありましたが、いずれも現在は石碑や立て札でしか往時を偲ぶことができません。
また、淀は激しい歴史の変革の舞台でもありました。
豊臣秀吉は淀城(後の「淀古城」)に側室・淀君を住まわせ、伏見城築城時には淀城を解体してその資材をあてがい、のちに徳川家康によって伏見城が解体され、その資材が新しい淀城にあてがわれたといいます。
幕末には鳥羽伏見の戦いの激戦区となり、複数の慰霊碑が立っています。
「長円寺」は旧幕府軍の野戦病院となり、土方歳三の太刀・和泉守兼定の兄弟刀が奉納され、榎本武明が慰霊碑を建立しています。
※レポート日:2024年4月初旬
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◆参考文献:
今昔マップ・Googleマップ・GoogleEarth/その他、淀宿に関する多くの記事を参考にさせていただきました!