【離島を歩く】愛媛県忽那諸島睦月島 松山市の瀬戸内海国立公園に属する離島は、人口減少の中にあって、長屋門の連なる伝統的家屋とゴミのない砂浜が輝きを保っている。みかんに支えられ、観音様に守られています。
本日は四国松山市の睦月島という離島を訪れます。 忽那諸島に属しており、 瀬戸内海国立公園の西部に位置しています。 この島は江戸時代以降、 伊予絣の行商で栄えました。 明治時代の最盛期には、なんと島民の 三分の一の500名ほどが、大型の帆船で、 山陰、九州まで出向き販売していたといいます。 今も島内には立派な長屋門を備えた 伝統家屋が数多く残り、 往時の繁栄を忍ぶことができます。 この島に渡るには、松山市内にある三浜港 または高浜港から中島汽線の船を利用します。 東線、西線の二つの定期航路があり、 それぞれフェリーと高速線が就航しています。 睦月島へ行くには東線に乗ります。 正面に見える山は、興居島(ごごしま)にある小富士です。 「中」の字をあしらった中島汽線の ロゴマークは、なかなか味がありますね。 睦月港に到着です。 この睦月島、多くの離島と同じく人口は激減し、 現在は200人を切り、その七割は高齢者となっています。 久々に見るバキュームカー。 三台も乗船していきました。 忽那諸島の複数の島を、 この3台で担当しているのでしょうか。 私がこの島を訪れようと思ったのは、 島の北東側にイボのように飛び出している 梅ノ子島砦に興味を持ったからです。 この梅ノ子島の情報を得るため、 切符の販売員の方に、 行くことができるのかお聞きしましたが、 道がメンテナンスされていないので、 通れないのではないかとのことでした。 もう少し詳しく状況を知りたかったのですが、 何か小包の伝票作成でご多忙のようで、 すぐに奥の方に移動されてしまい、 聞きづらい雰囲気になってしまいました。 これは、現地を直接確認するしかなさそうです。 港には観光客向けの地図が描かれた看板がありました。 初めて訪問する観光客の頼りになるのは、 これだけのようです。 桟橋から海の中を見ると、 小魚がたくさん泳いでいます。 先ほど、茶髪の若者が、私と共に下船して、 港に停めていたバイクに乗って走り去っていきました。 若い方が全くいないわけでもなさそうです。 港を見る限り、想像していたより、 この島には活気がありそうです。 この先に古い建物が密集している 集落があるので散策してみましょう。 この小さな川が作った扇状地の上に集落があるようです。 このような細い路地が、 網の目のように張り巡らされていました。 このような路地を、当てもなく歩くのも楽しいものです。 塀の外側からは伺い知れませんが、 おそらく、これらの古民家の相当割合が、 空家かと思います。 こちら郵便局ですね。 焼杉の板塀が美しいです。 あえて焼くのは耐久性を高めるためで、 伝統的建築物に利用されているのをよく見ますね。 メンテナンスコストが、比較的かからないというメリットから 近年再評価されていて、 都市部でも焼き過ぎが使われた住宅を 結構目にするようになりました。 海岸側の車道に出ました。 ここを逆方向に少し港側に戻ると、 島内唯一の飲食店があります。 事前に予約が必要だそうです。 このあたりは、長屋門が海側に向かって軒を連ねています。 他では見られない風景で、壮観です。 だいぶ現代的に補修されているものも ありますが、形は長屋門のままです。 梅ノ子島方面に行くため、海岸沿いの 車道から北側に左折しました。 この左側も長屋門が続いています。 石垣の向こう側は耕作放棄地のようです。 木の根が石垣に絡みついてますね。 小さな峠のところから 海岸沿いに下る道が分岐していました。 途中の道脇に見慣れた構造物が。 そうです。イノシシの箱罠です。 みかんを食うんですね。 後で、地元の人にイノシシが多数 生息しているとお聞きしました。 この舗装道路は東側の海岸沿いに ずっと続いているのが分かります。 対岸に見える島は野忽那島です。 前方に見える小島は芋子島で、こちらは無人島です。 海の水は透明度が高く、ほとんどゴミの 打ち上がりは見当たりません。 美しい砂浜です。 左側にみかん畑へ通じる分岐があるところまでは、 問題なく進んでくることができました。 ここから先は覆いかぶさる草木で、 ところどころ通せんぼされています。 ここは倒木で道が完全に覆われています。 チケット販売所の方がおっしゃっていた通り、 荒れるに任せている感じです。 倒木帯は、どうにか掻き分けてすり抜けてきましたが、 次に現れたのは葦の化け物のような ダンチクという植物です。 茎が小型の竹のようにぶっとく硬いです。 しばし、進むべきか否か俊巡しました。 前方には、、まだまだこの先、さらに物凄い ダンチクの覆いかぶさりが目視できます。 おそらく梅ノ子島は前方200メートルくらい 先に見える岩のすぐ裏側だと思われますが、 絶望的に道を覆い隠すダンチクの塊に 心を砕かれました。 好天で且つ大潮の引き潮の時を狙えば、 舗装道路の下の海岸が陸地化して 島まで簡単に到達できるのかもしれません。 あるいは夏の波の穏やかな日であれば、 海水に多少浸かりながらでも、 訪れることが可能なのかもしれません。 残念ですが、 このルートでのアプローチは断念することにしました。 分岐まで戻って、 今度は左側の舗装道路を進んでみることにします。 すぐに島内を8の字に結ぶ 睦月スカイラインと名付けられた農道に合流しました。 この睦月スカイラインの東側、 つまり今歩いているルートには、 ミニ西国33箇所巡りの観音像が、 点々と配置されています。 この石碑には島西国33カ所再建記念と、 刻まれています。 一度、荒れていたのかもしれません。 言われてみれば、確かに仏像は新しいです。 この石垣の積まれた段々畑には 新しいみかんの苗木が植えられていました。 数年後が楽しみですね。 イノシシの被害を受けなければよいのですが。 梅ノ子島にまつわる歴史を見てみましょう。 この睦月島の西隣に忽那諸島最大の中島があります。 11世紀末に藤原道長の後裔である 親賢が流刑に処された場所です。 この地に根付いたその子孫は、後に忽那水軍を組織し、 海上を監視するため、 この梅ノ子島に砦を置いたそうです。 12世紀後半の源平合戦では平家方の 一艘の船がこの地に流れ着きましたが、 源氏に味方する島民から攻撃を受け、 この梅ノ子島の岩の上に登って 防戦するも全滅したと伝わります。 また、南北朝時代の1342年には、 北朝側の河野道盛の軍勢により 忽那水軍が攻められ、 この地が主戦場の一つとなりましたが、 三日間の激戦の後に撃退したとの記録が残っています。 実はこの睦月スカイライン東ルートは、 高松山という標高218メートルの山を 一周する形で作られています。 この高松山の中腹は中世の城跡があり、 石垣や堀切などの遺構が残っているそうです。 梅ノ子島の砦は、この城の出城だという説もありますが、 確かなことはわかっていないそうです。 みかん畑の中を進むようになります。 立派なハウス栽培がされていますね。 この島に活気が感じられるのは、 このみかんのおかげのようです。 ちょうどみかん畑で作業をされている 結構ご高齢のお父様がいらっしゃったので、 もしやと思い、この辺りの畑から下の梅ノ子島まで 降りられないかとお聞きしたところ、 今は道はないとのことでした。 残念、これで梅ノ子島に渡る希望は完全に潰えました。 みかん畑の間から梅ノ子島の全貌が姿を現しました。 しっかり舗装道路で結ばれているのがわかります。 この岩のてっぺんに、砦があったのですね。 確かに海上の眺望は良さそうです。 案内板がありました。 先ほど説明した梅ノ子島出城説が紹介されていました。 この場所からは隣の中島の北端越しに 本州の呉市のあたりが、はっきり見えました。 これはお正月の締め飾りに使われるウラジロの葉ですね。 実をつけたままの木が多いですね。 私の最寄りの三浦半島だと片っ端から 台湾リスに食われてしまって、 なかなかこの時期まで様々な草木に実が 残っているのを見ることは難しいのですが、 ここではリスはいないのでしょうね。 小鳥たちも十分木の実をついばうことができそうです。 スカイラインを西側に回り込むと、 忽那諸島最大の島である中島を 手に取るような近さで眺めることができます。 舗装道路が十字に交差した地点に到着しました。 ここがスカイライン西ルートの起点のようです。 今度はミニ四国88カ所巡りが開始します。 このような場所は島四国と呼ばれ、 小豆島や今治市の大島など 瀬戸内海の島々に数多く存在しています。 少し進みましたが、西側ルートを一周すると、 船の乗船時間に間に合わなくなりそうなので、 途中で切り上げて港方面に下ることにします。 扇状地の開けた場所を下りますが、一面みかん畑です。 農作業をされている若い女性にも出会いました。 小川に沿って下っていくと、 最初に散策した集落に戻ってまいりました。 船の時間まで逆に余裕ができたので、 今度は先ほど回れなかった、 集落の西部を歩いてみることにします。 こちらが島内唯一の店舗楠酒店です。 酒だけではなく加工食品なども販売しているようです。 この道の両側に立つ石柱は、 注連石(しめいし)です。 三輪田米山(みわたべいざん)という 江戸時代から明治時代の書家による 「孳孳為善(じじぜんをなす)」の揮毫が彫られています。 こちらは小学校の跡地のようです。 猫たちが会合を開いてますね。 人懐っこい猫たちです。 みんな私に注目している。 本日お目当ての梅ノ子島に 渡ることはできませんでしたが、 立派な長屋門を備えた古民家群との出会いや みかん農家の活気ある姿に感動を覚え、 最後には猫に癒されました。 このような旅は、いかがでしたでしょうか。 梅ノ子島までは、舗装道路が 続いていることは確認できました。 どなたにお願いすれば、 よろしいのか、わかりませんが、 少しでも観光客にご配慮いただけるのであれば、 途中で道を塞いでいるダンチクの塊を、 どうか、取り除いていただけることを希望して、 この動画を終わりたいと思います。 しかし、この迷路のような網の目状の道、楽しいな。
睦月島は、立派な長屋門のある古民家が今も数多く残り、かつての伊予絣の行商で栄えた歴史を今に伝えています。島内には、中世に忽那水軍が活躍した頃の城跡や、海に面した砦跡が残り、古戦場としても知られています。島四国八十八カ所や島西国三十三カ所の観音巡りもできます。
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【タイムコード】
◆中島汽船 : 0:51
◆睦月古民家集落 : 3:10
◆梅ノ子島へ続く海岸 : 5:45
◆西国三十三カ所 : 8:11
◆梅ノ子島現る : 11:23
◆猫の集会 : 15:24
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【睦月島 紹介】
◆睦月島の集落は、港周辺のみです。この集落内には、多数の長屋門が残っており、全国的に見ても、大変貴重な古民家群だと思います。
◆梅ノ子島(忽那海軍の砦跡)までは、舗装道路が続いており、途中の倒木や草の処理を行えば、容易にアプローチできます。貴重な観光資源なので、ぜひ、定期的に整備して欲しいと思います。
◆睦月スカイラインは、東側は1周6キロの西国三十三カ所のミニ霊場、西側は1周9キロの四国八十八カ所のミニ霊場となっています。動画内では、前者をほぼ1周と、後者を数百メートル歩いています。東側の海岸部分も含めて、ほぼ3時間で歩けました。
◆この島の経済は、大部分みかんで成り立っていると思われます。
◆三津浜港から睦月島までは、フェリーで45分で、1日4往復運航、高浜港から睦月島までの高速船は、18分で、1日3往復運航しています。
◆島内の交通機関は、一切ありません。レンタカー、レンタサイクルを利用したい場合は、松山市本土側で借りてからフェリーに乗船しなければなりません。
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【チャンネル】
@歩いて旅するにっぽん 離島を歩く
・離島独特の文化
・貴重な手つかずの自然
・忘れ去られた過去の人の活動した痕跡
実際に出向いて初めて接することができる貴重な体験。
有名観光地に匹敵する、あるいはそれ以上の感動が得られる場所を
徹底リサーチして厳選の上紹介しています。
◆運営会社:アスタービジョン株式会社
ウェブサイトはこちら
https://astervision.co.jp/
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【撮影機材】
◆iphone13Pro
◆GoPro HERO10 Black
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【編集ソフト】
◆PowerDirector 365
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動画の一部で、地理院タイルに地名・アイコン等を追記した画像を利用して配信しています。
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