【観光】横浜名所奇跡の船「氷川丸」Sightseeing at Yokohama, Hikawamaru, old ship of NYK
前のなじみルテナチャンネル旅の埼です 横浜の山下公園なんですけれどもあちらに 見えてます船がですね氷川丸と申します 日本優先のですねえ過客線貨物とですね客 線両方運行できるですねえ船なでござい ましてですねあれね公開展示されてるん ですでこの氷川丸というのはですねもう 非常にね幸運な船でございましてですね 日本のね近代の歴史をね語る1つね重要な ね実は遺産となっておりましてですね中も ね公開して展示であの見学できますので ちょっとなんかをね見ていきたいと思い ますあとよろしくお願いいたしますで近く までやってきますと氷川丸ねなかなか でかいですよね250mぐらい確かね先体 長あったはずなんですけどもいや結構なね 規模の船でございますほとね戦前にこの 程度のねやっぱりね大型線を作 るっていうのはねなかなかなかったんです けどもやっぱり日本優先がですね作ったの 事情がありましてですねこの船は千治頂線 と言いましてですね日本海軍がですね千に なった時時にですね徴用してですね軍艦に えしてですね要は運行することをですね 一応ねたまれていたそのためにですね海軍 から予算のね補助がねあったんですよね 氷川丸の千美でございましてね氷川丸横浜 とね右から左に読むというですね昔ながら のですね横文字のえ感じの書き方をして ますこれがねやはりレトロ感を感じさせ ますもう走ることはないのでスクリは 取り外されていますがここのラダーのすぐ 下のところにですねスクリがあったという ことを記してい ますこういったね原川のね窓もなかなかね レトロですよね撮影許可いただきまして ここは仙内入ってからのエントランス ロビーですよねま昔はいろんな設備があっ たんですけれどもま今はもうねトップ現れ てこういったえダダピロ広広間になって ますえそして仙内入っていきますけども おあのドアがなんかもう昭和間満載だよ 本当 絨毯も敷かれていてね本当ね立派な船だっ たことがよく分かりますしこういうね配管 ま新しくなっていますけどもこういう配管 がねしっかりむき出しになってるのもね やっぱり昔の骨だなっていうのがね本当 表しています消化線ホスも通しのままです ねこの暖房はさすがにあれだ無理がある なこういう風に客室は窓にに向かっ て施設されてますねこっちの方には客室は あるっちゃあるのかまだのない客室も もちろん備わっている と限りあるスペースをねしっかり有効活用 していますこちらがね一等選出のですねお 子様とのねお遊戯施設お子様がね遊べる ためのスペースがこちらでございます子供 を意識したね明るい内装になってるのが 微笑ましい こちらが一等選出の食堂でござい ますしっかりとねドレスコードもあった みたいでなかなかねこれすごい豪華な作り です よいや本当ね今い通じるものがありますし デザイン的には本当ねレトロなグラン メゾンえっとね一緒ですよねこんなのが昔 船で毎晩マを強されてたとすごいですよね 一等の客の多分ね運賃っって相当高かった と思いますよま前場前場ねこんな合成な 食卓されるとね人間飽きちゃいますんでね まおそらく この展示されてるものはね特別デナーで ございましてですね秩父宮両電化上船地の 特別デナーという風になっております やっぱりねそういったのは特別なん でしょうね普段のメニューってそどうなん でしょうまもうちょっとシンプルなになと 思いますがおおおおおこれ本当のフル コースですよねオートプルスープ魚 そして肉が来てちょっと日本料理挟んで ロースト料理様々な料理が来てサラダ デザートチーズいやいやこんだけ食えへん やろ食た食べられないよがねれてるはねみ ませんけどねやっぱりね今に通じるね やっぱ物がね感じるこの階段のですねこの 手すりとかの作りがねやっぱりレトロです よね今の客船とは全く違いますよ一等の 読書室という場所でございます図書館です ねライブラリールームここでま時間を 尽くしたりとかま手紙借りたりとかしたん でしょう ねえそしてこちらが車高室サロンでござい ます さすが一等は格別でございます暖炉が あり本当にね中流会計の方がここで後悔を ね楽しむためにえ時間潰しのためにここで 集ってまあでもねこうでねって話があった んでしょうね横浜からシアトルまでのね 船旅をですねどういう船になったのかを 展示しています日本からシアトルまで13 日間約 週間一等クラスが客の片運賃が1等 500円初任休は70万ちことだから約 10倍1000円あればいが経ったちこと だからこれ1等ってことはいや600万と か1000万ぐらいのですね価値があっ たってことですよねういやマジかいな と そうちゃんとね1等2等3等っていう風に 船は投球が分かれていてですね その投球数に応じてですねきちっとね食事 もね実はくけされてたんですよね神戸を 出行して横浜に立ったらシアトルまで一気 に進むというおおたそれだけのですね長 距離走ることができるんですね燃料を搭載 してたということですよねびはとの戦いで ございますのでどう暇にならないかをね やっぱり2週間工夫しなければいけません やっぱりパーティーとかそういったのをね あったりとかして1等に限っていやそりは ね超豪華いりくさいでございます2等3等 は知らんけど北米コールはね北の海という 勝されるほど網波が荒いそう決して別に これ順風マンパ安全な後悔じゃないんです よねまもうとにかく荒れる 船の海をね走んなきゃいけないから命がけ でございます そして貨物線の役割も果たしてるのが丸な ので当然乗客だけじゃなくてね大切なね 荷物もね運ばなきゃいけないのでいや上院 のね苦労は大変ですよ2週間もいりゃそれ あれでしょう人間関係濃密になります船旅 っていうのはね初めて出会った人が仲良く なってえそして別れていく様々な人間 ドラマで再びの醍醐今の時代みたいに GPSなんかあるわけないレーダーすらも ないところなので山間でこれ船を創生し ないといけないから自分の位置がどこに あるのかというのね本当ねこういうね6分 着天体のね観測を行ってですねどこにいる んだろうっていうのをやってるという昔の 後悔って大変だったんだよねこちらが右の デッキでございましてですねこういった デッキチがございますま今はね普通の港の ですけど大原何にもないところでぼーっと するのは1つのいい時間だったかもしれ ません一等客のための喫煙しでございます こういった設備は整ってるのも一等選のね 良さですよねタバコはねやっぱり1つの 思考品として当初は立れていましたので まいったらラウンジでしょうねいや食堂や ねとね車高場とは違ったね趣きのある質に なってましてここは結構そそれで重感が ありますねえそして面白いのがタバコの煙 を逃すための換気のねこうやって穴を設け られてるのがね心にくいですねこちらが 一等客室の中でござい ます日本のね船らしく飾り毛布があったり ちゃんと洗面機もついている風呂はないさ そうですけれどもここで2週間過ごすには なかなかいい部屋の設備となってます さっきのがツインルームねこっちは シングルルームちゃんとねこうやって洗面 内が設けれてクローゼットがあるとそして このドア がこっち隣の客室と繋がっていますのでま 別々に部屋を使いたいという乗客のための ハルでしょうねこちらは一等室の中でも 特別室スイートルームですねあっちが ベッドルームアスレチクス 面積はね大きくないけどもこんだけの設備 をこの当時ちゃんと備えていたってのはね いや超絶すごいですよねよく考えられてる 設計ですで上部カパまでやってきまして ですね煙突のこのねマークはね日本優先の 赤の城えそしてこちらはね本当これ クレーンだよねこれ ねそうだよ ねおそらくクレーンだと思うんですけども この蓋がですね要は荷物を入れるためのね 収容するとの蓋でございますクレーンで 釣り上げて貨物をね真ん中の選出に ぶち込んでいたということでしょうね そして両サイドによは客室を設けてえお客 さんを運搬してたという形になるん でしょうねおそらくここは昔レストラン やってたんでしょうねま当時の食堂を多分 これ改造して作ってたんでしょうけども今 は資材置場になってしまってますこちらが 相ブリッジでございますいやさすがに時代 を感じさせますまレーダーもなければ何も ない時代にですね要は船を動かすわけです からま当然ねこれ戦後も運行されてました ので多少ねレーダーとかは追加装備されて ますが当時はなかったはずですデビュー 当時ねこっからですね要は進路を定めてえ 色々とですね船の期間操作よなんやかんや をですね行ったということを考えるとです ねいや時代を感じますよねこちらがその火 を切るためのですね打でございますが今 こそねGPS等との機械で持ってですね 運行されてるの見るとですねいやあこれは すごいレ消感じせる遺産です日本の船得意 なのがね神社があることなんですよねこう やってね氷川神社から分身してもらって船 の守り神をねここに祭ってましてですね 後悔の安全えこれをね祈願したということ でございます未だにですね僕ね神社持って ますし会場ジタの五衛ガなんかは必ずね船 の名前にちんだ神社神社をですねこうやっ て分してもらってえ実は祠を作ってんです よねで再戦箱も実はあるっていう寸法へえ チャートと言われる改これもですねやっぱ 1番1番神今でこそねもうすでに電子改に なってますがやっぱり紙でこうやってね あの線を引いて航路を確認しながら進んで いくという足の公開術がここに残ってます これが通信室ですねこれがなくなるともう 船は終わっちゃうんでねちゃんとね無線 通信大事です当でかい機材ですよね電波が どの方向が飛んでくるかをタッチしてそれ に合わせてですね周波数等々え更新してる ということですえそしてこれがスピード メーターでございましてですねえ全身競争 とかね色々のこの英語でされてますえ そして性感ですよねこれによってですね要 は声で持ってえ令を伝えてるのがすごい ですね今じゃありえないですけどね性感 ってなかなか面白いですねこちらが船長室 ございまして豪華な作りになってます やっぱり船長はねちゃんとした食全ての ですね船の高校の責任を追いますのでそれ なりの待遇ということでございましてです ねえただこの先端にあるということはです ね効果何が起こってもですねすぐ対処 できるようにですねえ船の先端部に個室が 設けられていますが安なんかなかったん でしょうね大変な仕事ですよデッキから 降りてくるとここは客室になります開放的 ではなくちょっとこうやっぱりね下の向こ になると階層も下がっていくという風の 一般的な作りになってますこちらがですね 氷川丸のですねエンジンルームディーゼル エンジンでございます1930年代まだ ディーゼルエンジンでですね開発されて ですねまだそんなにね実は手探りの状態 だったんですけどもこういった新規軸を 採用してえ高速性をね出していたという いうのもねこのヒカマの特徴でございます すごいすごいすごいですよねこれが ガチャガチャガチャガチャ動くわけです から相当うるさかったんでしょうねこう やってね氷川丸のディーゼルエンジン の動きをねここで解説してくれてい ますこちらがエンジンのね回をね調整する え聞き質になりましてです ねそして いやクランクシャフトとかがですね生前と 並んでいるこの機械感圧倒的な機械感いい すねたまりませんこちらは機関室でござい ますここでエンジンのね制御を行うえ そして発電機とですね電気系統もですね ここで要 は管理していてです ね線内の電気その他をですねまかなってた ということですね1個1個これ聞き以上が ないかね本当ここでも三構造になってるん だからこのエンジンがどれだけでかいかが よくわかります船のエンジンってやっぱ 迫力ありますよね未だにこういうくそ でかいエンジンで持ってですね要は船を 動かしてるんだからね事態が変わっても 変わらないものてありますよねこのこれ クランクなんじゃこのでかさと お強烈ですよねこの機械のこの動いてる感 いやいやい電子制御こだと言ってもね やっぱりねこういう油臭いものはね未だに 引き継がれてるということでございます 香りまでね別にねあのお届けすることでき ませんがねやっぱり当時のね重油とかえ そして機械油のね匂いがね未だに残ってる のがすごいですよ ねこういうね操作ハンドル修道だったって ことですよねこちらも伝艦がございまして どっから繋がどこに繋ん だろう選かなブリッジの方が繋がってんの かな知らんけどくそうるさいとこなんでね 聞き取るの大変だったでしょうねやっぱ ちゃんとね連絡しやすいようにえ電話もね 備わっていますあの赤い線が奇線でござい ますなのでここはねもうね水の中でござい ますねなので常に回線に浸食されています ので当然ね水が染み込んでこないように ですね鉄板の補強がいくよにも張りされ てるということになってましてこの補強が ねあったからこそねやはりま幸運でもね 打撃とか受けてないからねやっぱり 生き残ったんでしょうけどもやっぱねこう いった様々なね守りのね工夫がなされてる からこそね生き残ったのかもしれませんね 開中にねエンジンの調子が悪くなったらね シリンダーの一部を止めてねあやって クレンでねシリンダーをね取り出してえ そしてね修理するねことができるんです けどそういった機材もねちゃんとね整って ます いや天井も高いしエンジンがね本当 やっぱり重要な部分でございますので しっかりとね作り込まれてますのねこの裏 がメインのキッチンですね様々な料理が ここで作られてたということになります まあ何百人ものね人の食事をまかなきゃ いけませんそれは乗客もそうですし船員も そうなんですけどもここがですね1番の 大変な場所ですね食事の食事作るのが1番 大変ですからねそしてこちらがね3等のね エリアになり ます3等1番安いのでねやっぱりね重油 臭いこちらがね山東の客室でございまして ですねま今のですねフェリーと相大差は ないですよねやっぱりベッドがあって雑魚 じゃないのがまだいいんですけどねま今の ですねツーリスト1番安いとこなんかは反 個室のカプセル上のホテルのね継承になっ てますけどもまそれでもですねきち カーテン1枚ですけどねプライバシーが 確保されている今とねあんまり変わんない いっす そしてフロトイレはやっぱり 共同氷川丸がですね現役時代に ずっと伝っていったコルなんですけども まさに世界希望 どんなとこまで行っとんねんなっていう ぐらい世界のあちこちを行っています行っ ていないとすれば南米ぐらいですねこっぱ に ね太平洋戦争大都戦争の影響もあってです ねアア系のはですね後悔が多いんです けれどもいや本当の命がけだったのはこう いうことですよね水感がういるところで ですねなんとかして船を出して帰ってこ なきゃいけないってことでございますから いや船員さんたちのまさに苦労をしいます 1930年にですねシアトルアメリカの ですねコロとしてですねえデビューいたし ましたがこれもちろんですね氷川丸って いうのは先ほども申し上げた通りですね 日本海軍がえ有事の際には徴用することを ですね条件に予算を出していますのでこの ような形になります1941年からですね 病院線としては南方行路に着くことになり ますこれは病院線ってのはくもですね病院 線はねアメリカのですね実は潜水艦の格好 の餌食でございましてですね本当ねいつ 狙われるか分からないですねやばいですね 任務もついてましたがそれも終わり53年 までですね南方からのですね兵隊さんの 引き上げ戦として活躍しますえそしてです ねやはり船がねまだまだ足りないので現役 のです ねアメリカ厚労はですね再びこちらがです ね担うことになりましてですねえ ラスト61年ここでですねえ横浜に帰って きてえそして現役を終え今に至るという ことでございますさてさてさて見学もね これで終わ以上でございます いやあ本当に横浜のねシンボル的存在です よねこちらが氷川丸のですね内部構造に なっています 室とせまとばかりに選出貨物室が装備され ていてですねいやコンパクトにまとめられ ているいやすごいすこの内部構造はね本当 ねすごいすおいやいやいやいやいやいや 一連見をましてですね昔の船今とはね 通じるねやっぱりなんかこう歴史感じる ロマンがございましてですね横浜のですね やっぱりこれランドマークでございます 今後もね末学やはりでい続けていてほしい なと思いましてですね今回の動画はここ まで最後までご視聴いただきまして ありがとうございますまた次回の動画でお 会いしましょう [音楽] [拍手] [音楽]
毎度お馴染み流転のチャンネル旅の道草才谷です。
日本郵船が所有していた貨客船、氷川丸が山下公園に係留されて展示してますので、見学してきました。歴史の荒波で生き残った証人です。
【公式サイト】
https://hikawamaru.nyk.com/
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