下川裕治のアジアチャンネル がライブ配信中!

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するとうんいう風にあの山たちは作るわけ ですうんうんうんでえ ま長い距離ずっと京都から歩いてですね うんあのま最後にこう熊の本宮対子が見え てくるんですけどうんそれはもうどの ぐらいで見えてくるのかな1ヶ月以上 かかったり する あのでま僕もねそうやっぱりね あのあのそういう気持ちにはなるとこなん ですけどうんえっと 結局ねえ京あれどっか行っちゃった京都 から往復でですねうんえっと大体1ヶ月 ふーそれ でその間うん天皇たちが行っちゃうわけ ですからねうんあいなくなっちゃいますい なくなっちゃうわけですからあのまその国 のあの政治とかそういうのはどういう問題 かっていうの出てきますよねうんはいそれ で えっと結局まコロナの時もそうだったんだ けどこれ旅って考えるとうん あのあそうそうここの風景がね中須熊野 本宮大社があるっていうあれなんですけど うんはい旅て考えるとうんせ天皇がですね そんなに京都を開けていいのかって問題に なるわけですようんうんうんそれ行けない わけですようんだけど旅に行ってきますっ ていうとうん行っちゃいけないんねうん じゃななんて言う上土に行くうん上土に 行くうんえための修行に行ってきますと ああそうするとみんなが許すわけですうん ああ仕事ってことです仕事なんですねうん はいはい仕事というかま死ぬっていうこと なんですけどはいはいはいはいそれをえ がうんそういうツアーを作るんですね ツアーというか旅を作るんですねうんそう するとうんあの天皇皇族たちも乗っかれる んですねうんで天皇皇族はもうとにかく 京都荒れてるし治安も悪いしやるあのめど まちょうどあの平安末期ですからねああ はいはいはい揺れこう良くないわけですま 逃げたいんですようんはいでその実を作っ てあげたみたとかあるんですねああはい それでねあの例えばこれあの今のタガドラ マってそこなんですようん光る光る君え ってそれでねうんあそうなんですかそう それでえっとここのですね えっとなんだったっけさっき の えっとイ これ取ってのあこれだこれだここのねこの 水ごりするとかあるでしょうんこの1番上 にこう区があるじゃないですかうんなんて ことだったけくえいやわかああああわか はいはいはいはい岩田川はい渡る心の 深ければ神も哀れと思わざらんはいはい これ火山天皇なんではいあ火山天皇って 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にこう属してるんでえっとまそっから面倒 見てもらうみたいなとこもあったんだけど まそれは皇室と直接繋がればうんそれは これからも安泰だみたいなこともあったか もしれない ああ皇室の専属ガイドみたいなそうそう いう感じですかだって毎年とかいっぱい 行くわけですからとにかくあでみんな やっぱり藤の問題とか色々で平屋末期ても 揺れてるからうんまどっちか逃げたいん ですよねうんうんうんそれにしっかりこう じゃ行きますかみたいな感じでああでそれ がねそんなに工業だったらねあのゴシ条項 にしてもね34回も行くかっていう問題 ですよねうんやっぱりいいんですこれうん だから死にし死ぬ上土へ行くうん苦行を するといううんう大義名文を うん山武が作ってくれたというのが熊の モデの多分本質じゃないかなと思うねうん うんそれはじゃあ基本皇室が行くって形で そういう風に広まったと思そうであの熊野 モデってのはもう一般の人も商人とか みんな行けるよう行くんですけどまそれは どちらかというとまあの平屋巻きも鎌倉 ぐらいまではそれもかなりあったみたいだ けどまある程度あのなんお金のあるえ商人 みたいな人たはいたでしょううんという ただそこの区別はあの要するにあの皇室 しかいけないとか物資しかいけないとか そういうものではなかったらしいけどうん うんあのかなり自由な感感じで行けたこと はいけたらしいですけど要するに大阪から 歩いて行って歩いて同じ道を帰ってこ なきゃいけないというルールを山が作っ ちゃうんですうんうんだから馬乗れないん ですよ うんでもそれコスの人がうん行ってる間の 期間ってうん一般の人はそこにあんまり 出入りできないんじゃないですかかもしれ ないあのあの火山天皇なんかすごく人数で たっていうか行ったけどあの本当ののが 行く時は500人とか700人とかそう いう規模で行くわけだからそん時は ちょっとあの山道ですからね本当のそう 入れないでしょうねうんうんうんうんと 思いますなんかこう治安上っていうかね 安全状がなんかこうねうん下手な人が来 ないようにうんうんそうそうそうそうだ からそういうルートがこの中下とうんうん 中はいいうルートなんですねはいはいうん でこん中で小越とか大平ってのどっちかと 本当のそっちは修行道なんでうんあの中平 ってのは公式の熊のモデの道にしてうん こういう風に京都から来てまあ1ヶ月うん うん え苦労の旅ですよって言いながら実は そんなに苦労じゃないとうんいうところを 作ったのが要するに旅の原点 おお日本の旅の原点パッケージツの原点 っっていうのま旅はやってたかもしんない けどパッケージはあの原点だという気が するですうんその後だ追いまりとかその コンピラさん参りとかそういうのに繋がっ ていく感ですお勢参りの方が後の方が後な んですねうんお伊勢参りはもっとこう実際 に楽しいってのがもうじわじわ分かっ ちゃうんだけどこっちはまだまだあの上土 に行くんだというねうんあえいう前提とし てはちょっと修行というかのういう感じな んですねだからねその旅っていうものはね うんつまりいつもその当時はあしちゃいけ ないものだったのねあの役職のある人がね まあそうですよねまちょっとやっぱり仕事 じゃない遊びみたいなそうそうそうそう うんまコロナの時の不要普及と同じですよ あはいはいはいだけどそこにこうなんか うん視察なんかなんか名作ってくれるもの があればいけたんですねでここがやっぱり 平安時代の面白いとこでそのテーマは死な んですよ死ぬことなんですよなそれを死ぬ ことで上土へ行くということを作ってくれ たからえっとみんなが許すんですねうん うんうんで人間は最後に上土行きたいわけ だからうんあの要するにぶ あの仏教の上土なんですですけどそこへ 行きたいっていうあの思いは誰でもこう 共通して天皇であろうがみんなであろうが うん上で行きたいわけですよねそんための 修行とうんいう風にあの作るんですねうん うんうんで山星は山そっち言ってるから この山道のルートを作るわけですようん それを僕はずっと歩いたんだけどうんうん あの大体分かるです僕元だから道の切り方 って大体わかんない山登りのあの道を作る 人じゃないけど僕はうんこういう風に作っ てくと楽だとかこの道を作るとやがてその なれで道がダメになっちゃうとかうんあの この沢の道はすぐダメになるとかそういう 経験があって安全な道かつまそんなに負担 がない道ってのを作るっていうのがまあの 山の男たちのうんまんですねうんで山も やっぱりそういう人たなんでえっとそう いう道をこう作ってくんで熊の道が残っ てるというのはやっぱ彼らの能力が高いん ですよあ道として選択が間違ってないそう 流れ流されちゃったりしないんですうで 熊野ってやっぱり日本でも優秀有数なあれ でしょあの豪雨 多いそういうとこでその当時の熊の鼓動が 残ってるっていうのはすごいことなんで それは彼らの能力の高さですねああ 道づくりの ああでねこ今回2日間ぐらい歩いた2日間 歩いたんだけどうん前半は全部ほとほぼ昔 の熊の鼓動なんですようんでどちらかと いうと骨を中心に歩いてるんでお道って やっぱり登り始めきついんですよね登り 切ったらこうねをつらつら行くでアップ ダウンはあるけれどもまあまあ行くみたい な感じはいなんだけど2日目のコースで えっと2011年だったかなやっぱさすが にね土砂崩れで通れなくなっちゃった道が あるんですようんそれに対して2011年 にそのま田市ここ田市なんで田市から依頼 を受けたま山でこう木を切ったり色々どう いう人が作ったかわかんないけどその人 たちが新しいこう道を作るんですねカなん ですけど ああそれはえそれを今の人は歩かなきゃ いけないのね3時間ぐらい迂回を歩くんだ けどそれを歩いてみるとあのあ昔の人と今 の人は道の作り方が違うなってすごくよく わかるうん へどういうまずねあの明るい今の道の方が 要するに日差しの入るところをこ選んでく ます あで昔の道はねやっぱり宗教上の問題も あったと思うんですこういうで色々こう うん あのお祈りしなきゃいけないとかあるんで うんなんかイメージ的にはねあの落ち着い てなきゃいけないであのこうなんかこう レキが流れてなきゃいけないっていうのも あるんで比較的暗いんですよ道がうんうん オープンエアじゃなくてなんかちょっと通 て感じそうそうそううんはいそういう感じ がするしそれから今の道の方が安全を考え てるのできついはいああり 安全な場所安全な場所っていうのは熊野の 場合沢から離れることなんでうんあの やっぱり途中からガンガン登らせられ ちゃいますよねうんだからやっぱりきつい うんうんでそこらをま山星は微妙に考えて え道を作ってったんだなとうんうんいう風 なことを思うからかなりこう能力の高い人 たちだったんだなという気はしますようん やっぱ下川さんのその山岳部という その験ならではていう感じがしますああ そうですかあの大体分かるんですよ道沢道 ってね要するにあの沢道もあの要するに山 って冬道と夏道ってあるんですよ冬道道で 冬道って沢通ると危ないんですね要するに あのなれが来ると沢に入ってきちゃうんで うんあのお道通らなきゃいけないんですよ うで夏はえ3道行きないんであのなんです 最後のほ場に水があるんであああの水場が あってそこを通るんで楽なんですねでそう いうでも3道ってのは土砂崩れあの雨降る と危ないんであのま両方使い分けていっ たりするんだけどねうんそういう面では 非常に山星は熊野の山をよく知っている いう感じがしますうんでも僕はずっと山岳 で北エルプスだったからに比べればも ものすごくあるづらいというのは木が多 すぎ木が多すぎ根っこがありすぎって感じ ああそ道にですか道に歩くのがこうきち そう要するに山ってねあの何にもこう下が なくて平らんところを急斜面でもペース 作れるんで比較的登れるんだけどもうこう いう左右に目がいっぱい出てんですよ熊の てでそれだけやっぱ木が多いんですね あそこだからそれをこうよいしょって登 なきゃで階段みたいになっちゃうわけです よあそうするとやっぱり筋肉力使うんで だんだん疲れが出てくるんですねそういう ことから言えばあのよくそれはね山やっ てる人がよく言うんでクのきついよという のは意外ときついんですよそんなにあの標 がくなくてもそうあだからそれだけ やっぱりね自然が濃密ですねああなるほど うん熊のはねうんでねえっとこれが やっぱりこの熊のモデを作った1つのあの パターンあのからくなんですけどうんもう 1つ今度それは あの天皇とか皇室とか一般人向けの世界 ですよねうんうん でもうその熊戸ってのは霊域なんだけど 本当の上土は熊のなにあるとされてるわけ ですようんうん熊のってここの海うんうん なんですねうんうんえ不落て言んですけど うんうんうんあのそこが観音菩薩の上土 あの僕今回までちょっと色々仏教のまた 勉強しなきゃいけなくて上土っていっぱい あんのうだからブッタが作ったのは極楽 上土あうんえ誰々が作ったのはなんとか 上土って色々あるんうんでまブッタが作っ た極楽上土が1番のうんあの人気なんだ けどうんあのあの土っていうのはえ熊野に ある観能モサが作ってくれ作った土でそこ 行くと観能坊がいて全部色々聞いてくれて うんというとこなんですねうんでそこに 向けてうんこの1番南に うんじくだくさじって今でもお寺があって ですねうんうんそっから今度これは僧侶の 世界です一般人じゃないですうん一般人に のを代表して私たちが上土へまず行きます とうんみんなを扇動するちょっと症状仏教 に近い発あるんだけどうんそれをえやるの が不落カトと言ってですねうんその船の あの復元がああなんか見たことあります これが1番南の札さじってこの熊野の1番 南のナのとこにあるんですようんうんでね これどういう構造かというとですねうん ここんとこにあの船の上に小屋みたいの あるでしょうんここん中にソルを入れるん ですねおでえっと30日分の食料と水を 入れてうん沖に出しちゃうんですままあ 栄光する船あるんだけどねうんそうして そこで離しちゃうんですうんでまもう漂流 ですよねうんでそこで えま帰ってこないんです うそのままそ はいま要するに今で言うイスラム教徒の うんテロのあ自爆テロの順境に近いものが ありますよねあうんはいはいはいうんそれ をこのお寺に来ると60歳ぐらいまで僧侶 をやるとそれが待っているというまそれが ま売やりたくてここへ来るさあが全国から 集まってくるんですよ うで あの実はこれ明治時代まで ええただえ要するにみんなの心の中には 一般人ですよ僧侶じゃないですよ一般人の 中にはそりはぶッの教えでそこに上土があ るっていうのはまた信じないわけじゃない けどうん本当あんのみたいなそういうのっ てのあるわけじゃないですかうんそれは その進康心が熱い平安時代の人たちだって うんそうは思うかもしんないけどうんなん となくそれはわかんないとこの話だからね うんねうん でそこんところに対してだから熊のモーデ をやった人は全員帰ってくんですよ このつまりうん上土に行く訓練をしてる だけに過ぎないわけですよ死には行って ないんですようんうんうんうんここがまた ね山星を作ったポイントで結局あの 上土行って死死に行くわけじゃないんです ねうん死ぬ訓練に行くんですねうん上土 行くためのうんでみんなの心の中にはちと はま信じてる人当時は日本今よりは ものすご多かったと思うけどうん あのどっかわかんない部分の宗教の話です よね上土ってのはねうんでも生殖者って いうのはそうもいかない追求しなきゃいけ なていう部分がん うんで えにしてま死んでちゃうていうかもう戻っ てこないんでま死んだんだろうなという 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えっとこう行くと中下の最終大体熊野モデ ての多くはえ熊野本大社まで行くんだけど そっから船でねあの熊野川下ってナあたり まで行って帰る人もいるんでそれがもう 歩かないんです うんでも絶対言えることは熊野から帰って くるんですうんでまた仕事につくんですよ ねうん天皇はとかそこがやっぱりポイント なんですよねであのなんか周りからは大変 でしたねっていう風にうん実は楽し 楽しかったっていうかその楽しいうんああ だからいっぱいそういう楽しむ要素を山は 色んなとこに作ってってくれたていううだ からやっぱりあの今のいうパッケージツに なるわけですよねうんでただま今ほじゃあ 今度今の日本人の旅ってこと言うと旅先で 何が楽しみかっていうことから言うとうん まあのなんかすごい景色を見るとかねそれ は熊野はあったような気がしますあのうん でもう1つは例えば食べ物うん美しい いうことから言うとそれはできないんです ここはあのもう要するにそのさっきの富川 今の岩川入るともう魚もだめ要するにあの 本当の商人料理にはいただ相当工夫して 作ってくれたみたいですけどね山たちがあ うんでえそういうのよりまあそんな今現代 の人に比べればもう少し精神性はあった だろうなといういうようなうん気はします けどねうんただやっぱりあの当時の色々 見るとやっぱいかに京都の治安が悪くて うんあれが大きかったですね疫病うんああ で自分がいつ死ぬかわかんないみたいな怖 さみたいのがあるんだけど熊野にはその 疫病が来ないうん土地そこにいるだけで 安心みたいなうんそういう要素もあった ような気がしますねうん 平安時代ってやっぱり疫病がすごいですね うんあの端かみたいなもあるしうんあのま ま当然インフルエンザとかねうんあるし それあのあれにも出てましたよね光見えで もそのそういうそのうんあのまだウイル スってものってことを知らないんでただ 隔離施設は作るんですねうんでやっぱり映 るってことはある程度分かってるうんて いう気はうんうんうんかなり分かってるん だろうで隔離して抑えていくってのは そそう経験的に分かってるんだけどうん うんやっぱり相当その死者が多く出ちゃう うんうん京都はねそこへ行くと熊野は やっぱり来ないそういう人が金が入らなて ウイルスが来なて平和なんですねうんだ からそこもすごくこう安心できるところと いうような意味もあったんだろうなという 気がしますうんまじゃああれですね京都 自体がちょっとこう正期末っていうかな世 も末みたいな雰囲気があるからそっから ちょっとでもこう逃れていうのが結構で 精神的にはえっとマポ走って言ってあの ブッタが生まれてから1000年過ぎると 利き目がなくなってくっていうのがあった わけですよ遠いとこはいはいねそうすると その頃ちょうど平安時代当たってるんで これから世の中はもっと乱れていくぞと いうようなまあの不安のうんっのはすごく あったうんて言われますよねうんでただ そのそこらの心のうちってのは僕らももう わかんないしうんあのどこまでそういう ことを信じたかってのはわかんないけれど もうんまあでも楽しかったんだろうなと 思います熊のもでは楽そういう色々から 離れてあ皇室の人にとって高室の人あ それってあれですよねなんかあの今の なんかあの議員の人とかがそうそう仕事と 海を兼てくだけどまちょっと遊びも入っ てるみたいだから今は殺ですって言って 許されてるわけじゃないですかで平安時代 は私は上土に行く苦行に行ってきますと うん言うと許されたこの違いみたいな ところはあるんでょねはいうん うんだからあのそういう こう人間のこう心理みたいがねうんそう いうようなところをうまくこうあの入っ てったうんあ山口たちの作ったパケ実はと いう気がしますね山星の人今はいるんです か今いるいますようんただあの修行にバン と生きてく山星もいますからここの小平 なんてのは本当にまだそこを歩くあただの おあの普通のお坊さんですよいつもはお寺 にいるんだけど年に1回ここを歩くとか ですねうんえそういう方もいらっしゃるし うんというのでそういう本あの士の本流は ま少数ですけどまだ残ってうんでこの熊の モデがまあのありの熊有りのモデっていう のらものすごい人が行くよう鎌倉になると 行くようになってそれの延長でお伊勢回り になるんですけどお参りになるともう なんて言うのかな楽しみが全面に出てくる わけですうんうん今のはやっぱりちょ きついのねやっぱりねそういう面ではだ からあのお店回りになるとえっとこおせお 伊勢さんでここからですよねこっちですよ ねうんうんうんここですよねはいうんここ までクのがどこですか熊野ここうん熊野で だからお伊勢参りから熊野に行くっていう 人はお伊勢回りで行っておあの伊勢神宮 から熊野に行くって人はちゃんとした人 ああうんであのおイスマりってなんとか こうみたいにみんなからお金をあのもらっ てね一生に一度行くものじゃないですか そうすると1番楽しいていうのはうん伊勢 から京都にうんルートだったらしいですね うんから そのここのうんこっちを海沿い道楽なんだ ね山じゃないんでここへ来てからんま こっちもある人もいるしここらからこう 入ってく道もあるらしいんです京で江戸 時代ってそういう宿に行くと京都の宿の チラシ立ったつま商売なんですよあうち来 たら私んとこに止まってねみたいないや 普通のね今の安宿みたいなそうそう そうそうで江戸時代のその旅行業って すごかったなっていう ああはねそううそうなるともう完全に観光 ですねうんだからお伊勢回りってどんどん こう日本人も俗っぽくなってくんですね うんうんどんどんどんどんうんうん そのあの美味しいものを食べて楽しんで うんうんというでもそこにお伊勢回りと いう大義名分をつけてくれるんだけどね うんうんうんそれがこうなんか日本の旅の こう変遷の言いうような気がしますね うんあれ海道中膝クゲとかああいうのって あれおいまりいいですよねうんはい落語と かもねねおりの話が出きうんでも真面目な 人もいますよおおさんからあ熊野行く人も いるわけですからまそこはもうしっかり 歩くみたいな上土みたいなうんうんそう いう人いてま帰ってくるとあなたは立派 ないみたいなで言われたのかもしんないし あのそういう世界はあったかもしれない けども多くはそんそんなに苦しいのはもう 生きたくないみたいなうん世界はあった みたいですねその頃にはもうそうですよね 上土上土っていう発想っていうよりももう なんていうの経を唱えればうん えべてるという風なこうその後のこうあの 仏教会のうんあれがもう広まってるからま 苦行があの必要だとはならないうんていう 気がしますねうんうんちなみに うん 中下の道ってうんあの田辺からうん本宮 大社までのってうん全部あげたら何日か3 日3日うんうーん片道でああ片道観客で うそんなかこいんですね日日で行くかな それ途中宿結構あるんですかえないだから あ今はあるんですよね今はじゃない宿の あるとこまで行かなきゃいけないから結構 プレッシャーですよ要すに途中でリタイア できないんですようんうんあでまあるとこ はもう決まってるんですあの地下とかです ね民宿があるところは決まってるんですよ そこまでは行かなきゃいけないま山ってま そういうとこあるけどねだから民宿がある ポイントがあるんでそこがあるんだけど僕 が最後にこう地言ってとこうんのそばの あの野中ったとこ泊まるんだけどそこから 先はもう熊野本宮大社まで宿はないうんあ だからえ食堂も何もないんですよつまり そこの野中の民宿へ泊まるともうお昼まで 次の日のお弁当まで作ってもらわないと うんダメなんですうんだからその何にも ないんですよ10時間へえ10時間そうな んですそうで最後の本大佐の方に行くと また宿はねうんある温泉もあるしまあの そういう世界が待ってるんだけどえっと その間ってのはまですねまえあれですか これインバウンドの人もじゃここのナヘチ を歩く人が結構一番多い多いそれしか知ら ないんじゃないでしょうかねあでそれ以外 はもっと厳しい要するに宿が少ないとか ここが1番整備されてるんですあ道もいや 道はねこののは海のの道ずっと歩かなきゃ いけないそも整備されてるといえば ただただまただただひたすらその道を歩く 世界でこの小平っていうのはもう本当山星 の世界で山70kmっと歩くんで一般の人 はちょっときついと言われてますよねだ からまそういう面では中とこのルート みんなが行くんだけどこれがもう9%以上 じゃないですかねうんあのでえそこは オーストラリア人が今すごく多いとうん いうことなんだけど彼ら強い客前も言って ましたねあだ からちゃんと2日で歩いちゃうますよああ う うん結構もうちゃんと山登りって隠しされ てるんいやえまハイキングでもまちゃんと した格好はしてますその要するにあの別に サンダルとかTシャツがそういうもう用意 はしてきてますね 気します うんで彼らに僕道を教えられてんだからね ちダメとストップストップとか言ってあの うんうんだからえなかなか あの山がある程度分かっだって表示 ほとんど日本語で下のに英語で書いてある だけだからねまでもネット情報がすごい しっかりしてるような気がしますね彼らの ねえこれじゃあれですか普通になんか ガイドの人とかつかなくても普全然あの 個人で普通に歩けるあのオーストラリア人 とか欧米人は全然つけてないうんで日本人 のグループはいるみたいそういうのがある けど僕1回もなで日本人ほとんど会わない んだようんうんであった人たちはみんな 個人うんでもパッケージツはあると思い ますよ日本人向けのねうん うんだからまあみんななんで熊ので今の 日本人が行くかっていう問題から言うとま 上土ないしね日本人の心の中に もまあねで目的意識うんこんなにこっちの 熊野に美味しいものがあるわけじゃないし うんでもなんかねく野っていうとすごく 神秘的なそうそうそうそうそうでもそれっ てすごく精神的な問題だからうんああ あの優先順位低いよね たねあそれとね東京から言うとね遠いうん まあねちょっとね遠いですよこどラですよ ねそうえどうやって行くたあの1番早く 行くのには白浜何白浜まで飛行機で行って そっからトに入るっていうんで僕はいつも あの関空まで飛行機で行ってそっから 和歌山へ出て列車でたべですたけどあまあ そこまでで半日以上かかりますからねうん そっからバスで1時間ぐらいて登り口です からもう1日目はできないからまうん うん3泊4日ぐらいになっちゃいますよね うんうんさ咲いている3泊4日ぐそうそう そうそうあのあのちゃんと歩くとすればね うんうんうんうんうんねそうなっちゃうん で ちょっと行きづらいでま北海道沖縄のが よっぽど近いていうあそういう意味ではね ああうん うんなんなんかで見ましたけどなんか やっぱり熊の来てる韓国薬の9割ぐらいは もう外国の人っていうかインバーの人日本 人が本当に少ないていうねそうでねあの1 つの原因はね水の問題で大きな宿を作れな いっていう事情があるんですってこの辺だ からほとんど民宿レベルなんですねで一件 が少ないし宿数も少ないんですよで来る人 ってのは外国人とのさっきの言った熊の つうんツーリストビューローてに一括し欲 が入るんですよほああそうなんでそこが 空いてますって言ってあの民宿を割り振っ てく感じなんですねあうんで彼らは外国 旅行だからかなり早めに予約が入るんです ねうんうんうんうんでそれで割り振られ ちゃうから日本人って日本の国内旅行って 比較的まこうゴルデンウとか違うかもしん ないけど直前にこ今週末行こうかなみたい なそれで行くともう宿取れないんですよ うんああそう日本人が少ないっていう説も あるあなるほどなるほどうんそれから やっぱり民宿がそのある意味ではどこも みんな限界集落みたいな村ですよね民宿 だけがあるみたいなうんうんうんだから やっぱ結構高いああそうなんですが高い宿 が高いえ1万5000円から1万8000 ぐらい民宿でま民宿しかないんだけどその もその宿は本当に民宿っていう感じです うん本当に民宿ですおじいさんとばさんが やってるような民宿ですうん だからまそんな安くないってこともあるし それから予約も取りにくいみたいなことが あるとあだめかみたいな方になっちゃうで 結構キャンプが禁止されてるエリアなんで あね今キャンプできないんですかて聞こう かなと思っんですけどうんそういうエリア なんでああなるほど だからでもまあ あの僕も1回途中までで帰ってやっぱり気 になっていっちゃうんだからうん何かか あるんです熊はあると思ううんああそう ですかなんかかあるんですよへえそれは今 の人よりも昔の人の方が敏感だった気もし ますねうんあ景色はね決して良くない 要するに木がすごく多いんで歩いてる道は ほとんどねうん木の間木の間ていうかえ 暗い暗い暗い昼でも暗いそうそうあ要する に頂に出てこうめいうようなそういうとこ はほとんどないうんえでも逆になんか すごく興味があったそうそうそうそうそう そうなんかね良さそうそうそういうところ ひたすら歩くうなんか良さそうですなんか 盗賊でそうなうん感じだよねあの動物はい ないんですかいあんまりいなかったな なんか昔のよとヒがすごいとか色々苦労し てるの今回あんまりなかったですねうんま 鳥とかはね普通にねうんうんえとかいない んですねいないいるかもねうんなねクマ っていうなかイノシシとかあそう うんまあ あのでもこれあれですよねスマホはどう 電波はどうなんですかあダメえ入らない 入らないんですかあのいやあのドコもと auは大丈夫だと思いますよあああ僕もね カして繋がってるけど遅いうんうんうん そうだからさっきの地をもらわないとうん よだめあの加入会社によってあんまりじゃ スマホもそこまで当てなでいない当 ああなんかでもね良さそう行ってみたい うんだからまあ200に1泊要するに東京 から行くとにそのぐらいになっちゃうけど まあひたすら歩いても長いですよ歩いても 歩いても今のこうんえ景色がじゃあ あんまり変わり映えがしないずずっと同じ ずしの道ああまさに修行って感じですね うん ああでもあれですよねそんなにあのこう木 があの一手してると夏でも結構涼しあ 涼しいかもしれないそれからま オーストラリア人はそこが魅力なその木が 多いそのなんて言うのかなアジア的な自然 の中っていうのかなうんうんあの要するに これとスペインがま両方行ってる人多いん ですよオーストラリアに最初スペイン行っ て次こっちみたい全然違うでも向こうは 感想地帯だから結構広いなんか見晴しとこ ポコポコ歩くじゃないですかこっちはもう 圧倒的なアジアのモンスーン気候の土地を 歩くって感じですよねだからね全然あの彼 らはこっちも綺麗だっていうんですようん そうだと思いますなんか良さそうできっと オーストラリアにはこれほどの森はない そまでくのは大だみたいなうんそういうの と歴史があるんで結構みんないいいいって 言いますよねうんうんうんだから日本人 より分かってるかもしれないみたいな感じ もしますけどねうんもっとこう気軽に味 わる方法とかあるんですかいやありますよ そのツアーで3時間だけ歩くコースとか そういうのいっぱい作られてるそうあ シニア向けに途中までバスで行ってねうん ああうんうんでもねそれね多分ね行ったら ねなんかくのに悪いなみたいな感じになる ような気がするへあちょっとみするみたい 感じそうクマのってやっぱりね歩かないと 面白くないうんへえ変なとこですよ へえ私パこのの方にいらっしゃるも実は パソコンがクラッシュしまして撮ったこれ なんかこう資料いっぱいプリントしてきた のは実はあの写真が消えたんです 自前の写真がねないんですねそうそうで本 は本の原稿本なんで本は編集者に現行送っ てあったんでそっちに残ってたんでうん うんえ助かったイこの方はうんでえま ちょっと全部入行してから編集者と 打ち合わせなんですけど写真同士にしょう ねって話になってえもしかしたら写真取り にもう1回ただもうポイント上がってるん でなんかもう一気にねあ運転できないんで はいまあうまくカメラマンとと一緒にだ からもう本当にいい写真を撮るというよう な形で行くか考え方書いてね ああなのにまた近々行かれる可能性がある とうん来週 ぐらいうんそううんえ3回目3回目あの なんかえっとチャットの方で地元の方って いう方が書いてことあの気軽に行きますよ て 地元地元の方そうなですね気軽に行けるか あの僕本当思います日帰りコースを選んで えっと今日今回ここまでその先は来月とか やってくといいかもしんないですねああ あの関西の人なんかはねああうんま フェンロでよくあるパターンそうそう早朝 に行ってあの夕方まで歩いみたいな感じで やるとまあの止まるとこの予約が大変な だけなんでああうん うんで僕途中歩いてた日本人はみんなその パターンですかねどうもあそうなんです うん朝一緒に歩き出した人は途中からもう いなくなったからあここで帰ったんだな みたいなここでバスで帰ったんだなみたい なうんあ途中でとか抜けられる道が抜け られるっていうか民宿のあるとこはバスが 来るんでああそうなんですかそこまで行け ばああられるとこありますそこ行くと林道 出て林道下ってくとバス道路に出るとか うんああそうなんですねああなるほどなる もう1本道しかないのかと思ってました ないそうあの昔はそうだったかもしんない けどね今はねあの林道が脇走った歩いたり とかでそこへ入っちゃうと道間違ったりと か結構めんどくさいこと起きたりするけど うんでも宿ていうかその民宿のなんか良さ そうな雰囲気がいいんじゃないかというい あのすごくあのまあの小人数しか止まれな いっていうところもあるだろうけど一生 懸命外国人がほとんどでしょ今ねだけど ベジタリアンも多いしねそういうのに対応 して一生懸命英語覚えてあれ廊下を防いで ますよ ね景色良さそうです景色とかなんかねこう 木々に囲まそうただやっぱり客観的に見 たら限界中力ですね201とうんでもう 病院に行くのにどうするみたいなそういう とこですねあの要するに熊の鼓動がある からお客来てくれるけどもしこれがなかっ たら本当にあの熊のはうん不便なとこです ねうんうん うんま林業ぐらいしかなかったんじゃない かなと思いますね [音楽] うん はいじゃ今日は ちょっと50分ぐらいですけどもねはい あの本当に今日は何分ぐらいに始まったん えね9時9時10分ぐらいですかねあそう ですかはいはいなんかどうしましょうね これからもうこのにこのやりますか ちょっとそうなんですよあのねちょっとね あの一体何の結局何のトラブルがあったん ですかということをちょっとのトラブルえ あのつまりですねスマホをねスマホを電話 がこっち昔のスマホかけられなくなって 機種を変えたんですよでそっちでやろうと したらさっきの途中で止まっちゃうてのが 起きたうんそうなんですよねで今やってる のは今まで使ってたのに戻しはい前のだ からまこれからあの僕はスマホニコ持ちっ ていう感じになっちゃう のね面倒なんですけどねうんそうですで 理由がわかんないですね新しい方がその 途中で止まっちゃうっていううん途中で 止まって音もちょっとねあんまり最初から くないかなって感じだそうね なんでなのかちょっとこういうのって 分かる人いるんでしょう かま分かる分かる人いるんじゃないですか ね詳しい人ね本当にしょうがないですね これでまあこれでこっちだってことが 分かったんでこれからはこれあのちゃんと 充電してきます よはいはいあの皆さんご迷惑おかけしまし た失礼いたしましたはいはいはいではえ 置いといてもいいかもねはあ使わないんで あればそれでもはいはいはい はい本あああの本じゃあどうぞあののまの 本ですねはいはいはいはいはいすませこれ あのちょっと歩くっていうのでちょっと 共通する感じになりますけどこれあのみや 林蔵のことを書いてる本で国境の人まみ 林蔵っていううん高橋大輔さんていう書い てはいこなんですけどあのこれ高橋大輔さ んってまそのまノンフィクションライター でかま自身もちょっと冒険化みたいな感じ なんですけどまあなんかロビンソン クルーソーがその本当に あの島に本当にたどりついそこにあのいた のかみたいなそれをあの調べた本とかそう いうなんかこう歴史とあの探検をこう 掛け合わせたみたいなそういうのをテマて いつも書いてるこの書い実際に行かれ行っ てそうそう実際にして行って調べるってい まそういうスタイルをずうんうんいもう 貫いて本けどその高橋さんが今回このうん まやりのいや面白そうこれはすごい読み たい感ですね調べてこれサのことそうなん ですまその実際にまやリゾがそのままや 海峡でま見つけたはいはいあのルートを 実際にこの高橋さんも辿ってってあの真宮 林三っていうのが一体どういうルートを こう食しててあたどれるの僕も途中前たれ あそうなんですかあのね人の方へ行くとね かなり難しくなるうんあのま言葉の問題と か色々もあるのかもねけどねすごいなそう そうあとはもうそのまや林蔵が そのなんて言うんですかそっちのその サハリン以外にも行ってたところを色々 こう訪ね歩いてこの人自身が一体どういう 人なのかっていう崇が一体何なのかって いうなんかちょっとまスパイなんじゃない かとなんかいろんな説があるらしいんでね もそうだけど日本国内で歩いた人って みんな大体 スパイスなんか三明を受けてねバの三明を 受けてま探りてたんじゃないかっていう そういう説もあってその辺にちょっとこう 探ってどういう人だったのかっていうの 調べて書いてあの面白かったですよ僕あの あ僕あの面白いと思うんだけどあのサリン に何回か行ったんですにサリが島かどう かってすごい重要なことであの繋がってる とロシアのもそれあんなんででヨーロッパ の圧力もあってね宮駅を見つけることに よってあそこをねうんという問題があった ことと僕あの本読んままだこの本読んで ないんだけど途中で病気になってアヌが なんか油魚の油を食べろとか言ってあそれ で一気に治る一気に治っちゃうみたいなで 結局日本人って油をあんまり食べなかった ああというのがあって 当時だからあの寒い方に行ったらそ生き てくために油を取らなきゃいけないって いううんあそこんところをこう気づく みたいなね教えられる教えられるみたいな ところて面白かったですねうんうん面白 そうですねはい国境マニアみたいな人多分 これ多分面白そう今買うとちょっと 締め切りなんで 夜変わったらはいはい はいはいではえっと次回ですねはい次回は 何日ですかっけ先に調べたえっと18日 ですねでしょういるのでえっとはいはい何 の話えっとソウルあたりを話そうかと思い ますあ坂あソウルだけじゃないんだけど坂 の町坂うんうんうん魚町ソウルてすごい 魚町なんですよああそうですかいやそう ですかあれそうでしたっけドラマでもよく 出てくるで阪階段が 階なるほど階段ですねはいはいあは ポルトガルのリスポンとかねい世界の坂の まあの首都っていうか坂にできた大きい街 というね坂の街はいっぱいありますけどね はいあいいですねそあもう階段大好きなん です私うんあ横須賀とかねいやあ横須賀 すごいですねでもねあの向こうでねあの 韓人と一緒になって最後素住飲んでねうん タシかなけもう今タシもあんまりつまない んけどあの地下鉄の駅から宿までと安い宿 ほど上 じゃんまそうそうですねであの石段を登っ てく時の辛さっていうかもう途中で一休み ですよねあはいはいはいはいあその上の方 に宿があるそう安いほどねはいはいそう ですよねうんいや住んでる人も大体こうね そうですね韓国ドラマでも大体上に住んで るっていうことがそういう意味を示して ますねそは大変ですもんねうんうんそう ですそんな話ははいはいそうしましたら えっと来週月は5月の18日次回は土曜日 8時半にあのスタートできますはい古いで やるのではいはい大丈夫ですはいえっと 次回はどし坂の町坂町です坂の町はい ソウルを始めとした坂野町のお話をという ことですはいえ今回は大変あの皆さんにご 不便おかけいたしましたはいえどうも ありがとうございましたえ次回もどうぞお 楽しみに

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