脱北者と北朝鮮を見に行ったら…

かつて一つの国だった朝鮮半島は 第2次世界大戦を経て 2つの国に分断されました そうしてできたのが韓国と北朝鮮 南側の韓国はK-POPやドラマをきっかけに 社会や文化が知られている一方で 北朝鮮の内情については多くが謎に包まれています 政府の話は全部ウソだ 政府や金一族を称賛するように洗脳されている 今回は北朝鮮から出てきた青年とともに 北朝鮮の姿を見に行きます 韓国の首都ソウルに来ています 朝6時半を過ぎたところなんですけれども 今日はこれから北朝鮮を見に行きます その前に朝鮮半島の歴史を 知るためにソウルにある戦争記念館を訪れました 朝鮮半島は1910年から日本が統治していましたが 日本の敗戦が見えてくると 各国は日本の領土をどうするか協議を始めました その中で 朝鮮半島については 新しい独立国家ができるまで 共同で管理することになりました しかし日本の敗戦が決定的となった頃 ソ連が日本への攻撃を開始 朝鮮半島にも軍を進めるソ連の動きを見て アメリカはソ連が朝鮮半島を 独占しようとしているのではないかと考え始めます このころ アメリカとソ連は 連合国としての協力関係にはあったものの 資本主義と社会主義という 考え方の大きな違いがありました 日本を資本主義国家として育てようとしていた アメリカにとって 朝鮮半島に社会主義国家ができるのは 好ましい状況ではありません そこでアメリカはソ連に このような提案をします 朝鮮半島を北緯38度線に沿って分割して 北部をソ連、南部をアメリカが支配しよう こうして日本の敗戦と同時に 朝鮮半島のアメリカとソ連による 支配が始まりましたが 両国とも朝鮮半島に一つの 新しい国家を作ることを望んでいました しかし 考え方の対立する両国に 都合のいい国家を作ることは簡単ではありません そこでアメリカは南部の中で 自分たちの考え方に近い人物を支援して 1948年に韓国を作りました そしてすぐ後には北部に北朝鮮が誕生します 事態が急変したのは1950年6月25日 北朝鮮が38度線を南に越えて軍を進めました 北朝鮮は朝鮮半島全域を 領土にしようとしていたのです 当時 北朝鮮は韓国を 圧倒的に上回る兵力を持っていました 勝利を確信していた 北朝鮮は わずか3日でソウルを占領 危機感を持ったアメリカを 中心とした国連軍が部隊を派遣しましたが 北朝鮮の勢いを止めることはできず 韓国側の勢力は釜山周辺にまで追いやられました しかしその後 補給ルートを断たれた北朝鮮は 逆に 一気に平壌まで攻め込まれることになりました 危機に陥った北朝鮮はソ連に支援を要請 しかし アメリカとの対立を避けたい ソ連はこれを拒否し 代わりに中国が名乗り出ます とはいえ 中国もアメリカとの対立を避けたかったため ボランティア軍という名目で 民衆が自発的に戦ったという体で軍を派遣しました もちろんこれはボランティアという名目の 強力な中国軍だったので 一気に戦力を南下させて再びソウルを奪還します その後また韓国がソウルを奪還し 侵攻前の38度線とほとんど変わらない位置で 膠着状態になりました 疲弊した参戦国は戦争を休戦することにし 軍事境界線を停戦 ラインとしました こうして1953年7月27日 38度線近辺の板門店で休戦協定が結ばれました これはあくまで休戦であり 戦争は今なお終わっていません そのため いつ武力衝突が始まっても おかしくはありません 南北の兵士が境界線付近でにらみ合うことを防ぐため 軍事境界線から南北それぞれ2キロずつを 兵器や軍事施設を設置しない 地域にすることにしました これが非武装地帯です さらに 非武装地帯の南方 5キロから20キロは 民間人統制区域となっており 一般人は立ち入ることができません しかし 認可を得たツアーに参加することで 非武装地帯への立ち入りができます 今回は何社かのツアーの一つに参加しましたが このツアーでは脱北者が同行してくれました ということで 今回は脱北者が体験した リアルな北朝鮮の話を聞きながら 北朝鮮に限りなく近づいていきます ツアーは朝の7時半に ソウル中心部のミョンドンから出発 他のツアーの中には 午前5時ごろに出発するものもあります というのも 非武装地帯への立ち入りには 人数制限があり 先着順だからです 今回のツアーは非武装地帯の 立ち入りを想定していますが チケットが入手できるかどうかは着いてみないと わからないということです 冗談じゃなくて 6時-7時前から並んでいます 午前中のバスに乗れるかどうかも 正直 いまは断言はできません 一応先に言っておきますが残念ながら 今回は非武装地帯の立ち入りはできませんでした でも 代わりのコースも用意されており 民間人統制区域の中には入ることができ 北朝鮮を見ることもできました 実はソウルから北朝鮮までは40キロ足らず バスで1時間ほどで行くことができます 拠点となるイムジンガクに到着した頃には 観光バスがずらりと並んでいました ここイムジンガクは民間人統制区域の手前にあり 誰でも訪れることができます これが自由の橋って言うんですよね ここで自由を求めて 南北の捕虜たちをここで交換した場所です 捕虜たちが渡ってきたのはかつての鉄道橋で ソウルからシベリアを通って ヨーロッパまで続いていました 戦争で爆破された橋は 一部復元されており渡ることができます この黄色い線は民間人統制線 この線を超えると民間人統制区域に入ります 軍関連の施設があるため 橋の左右は撮影禁止です ところどころ真下が見えるところがあります そこを覗いてみると いくつもの銃痕が見えます 鉄道橋は上下線それぞれにありましたが どちらも爆破されました しかし2000年の首脳会談を機に 片側のみ復元工事が行われました もし南北統一が実現すれば この橋を通ってヨーロッパまで行くことができます 橋から人の姿が見えました 民間人統制区域の中にも人が住んでいますが 軍の管理下にあり 夜間の外出禁止など 様々な制限が設けられていま 橋のすぐそばには朝戦争の時に爆破された 機関車が展示されていました 機関車のすぐ隣には 平和のリボンが結ばれています 平和を願うメッセージが無数に書かれています 朝鮮戦争では 大勢の家族が離れ離れのまま 国が分断されてしまいました 毎年 旧正月と 日本のお盆にあたる8月15日には 人々がここを訪れ 祈りを捧げます 非武装地帯のチケットが入手できた場合は ここからバスを乗り換えて向かいますが 今回はゴンドラで川を越え非武装地帯の 一歩手前にある民間人統制区域へ向かいます (冬になると)ここは凍ります よくウナギが穫れます 軍事境界線付近には 無数の地雷が埋められています 韓国軍は 地雷の撤去作業を行っていますが 命の危険があるにも関わらず 隊員への手当は1日400円とのこと 今回のツアーにはキムさんという 脱北者の男性が同行してくれています 音声を録音しても? いいよ 声だけなら大丈夫 顔は撮らないほうがいいよね? 顔は出せない 家族が北にいるから キムさんは16年前 17歳の時に北朝鮮を出てきました その際 北朝鮮国内では 死亡したことになっているため 顔を明かせないということです 北朝鮮国内にまだ家族がいるため 国外に逃亡したことがバレてしまうと 家族が処罰されるからです この世界には5つの国しかないと教えられていた アメリカ、日本、中国、韓国、北朝鮮 韓国とアメリカと日本は敵国だと そう洗脳されていた 北朝鮮こそが世界一の国だと そんな国に生まれてラッキーだと思っていた おかしいでしょ? ごはんも食べていけてるし 飢えからも逃れられていた 北に生まれてラッキーだと思っていた 洗脳は異常だよ 外のことなんて何も知らなかった 2002年にW杯があったとき テレビで見ていた もちろん… それは違法なんだけど… オーストラリアとどこかの国の試合だった どこの国だったかは忘れたけど そのとき知ってしまったんだ ほかにも国があるんだと でも最初は アメリカ人がほかの国を 演じているのだと思っていた そしてオーストラリアに行ってみたくなった それがずっと夢だった 脱北して4年後にそれが叶った オーストラリアに行けたんだ 彼は脱北後 猛勉強を重ねて 韓国でトップ5に入る大学に進学 その後アメリカでMBAを取得して 金融業の職に就いたそうです 流暢に英語を話す彼ですが ABCの勉強を始めたのは 21歳になってからとのこと 現在もなお 税理士など 国家資格を得るために猛勉強を重ねています そういえば そもそも彼はなぜだか知ったのでしょうか お父さんとお兄さんと3人で住んでいた お父さんが強盗にあって怪我もして 仕事ができなくなってしまった 兄か自分のどちらかが中国に行って お金を稼がなくてはいけなかった 兄は19歳だから もし中国に行って捕まったら 大人だから厳しく処罰されるが 彼は17歳=満16歳だから もし捕まったとしても大目に見てもらえる だから自分が中国に行ったわけです 当時彼が住んでいた 北朝鮮東北部での平均年収は10万円ほど 国外で稼いだお金はブローカーを通じて 国内の家族に送ることができます しかし 手数料は当時で30%ほど 今では50%になることもあるようです さらに地元当局への口止め料で さらに半分が失われることもあるそうです 食文化はほとんど韓国と変わらない ただし食料 食材がない 6割の人は米を食べることができない オクススパッ(とうもろこしを炊いたもの)と 野菜スープを食べていた 肉があれば入れるけど ほとんどない とうもろこしご飯すらないこともある 肉を買うこともできる? 牛肉を食べたことはない 韓国や日本では牛肉を輸入できるけど 北朝鮮はそれができない 牛はいるけど食用にするのは違法だ 牛は労働力として大切なんだ じゃあ豚や鶏を食べる? 鶏も卵を生むからあまり食べない だから豚がほとんど でも高価なの? もちろん 確か… 17年間で10回しか豚を食べたことはない 60歳にはあの世に行くもの だから60歳以上生きてあの世に行ったら よく頑張ったねという感じ そんなに悲しまない もちろん長生きする人もいる 平均寿命が65歳 韓国の平均寿命は83歳 脱北当時身長150センチに満たない 彼の体重は37キロだったと言います 非武装地帯へ入れなかったため 代替コースとして烏頭山統一展望台へ向かいます この展望台から北朝鮮の領土までは 川を挟んで3km弱 晴れた日には北朝鮮がよく見えます みなさんがいるのはここで 川幅の広いところで2.1kmくらい 対岸に村がありますが 韓国が展望台をつくったので どんどん村を大きくしていった 夜にご飯を炊く煙は見えないそうです 住んでいる人もいますが 宣伝村のようになっています 展望台に上ると すぐ目の前には 北朝鮮の宣伝村が見えています 双眼鏡を使ってよく見てみましょう 国境からは中国が見える だから中国が自分たちより 発展していることは想像できる だから政府のウソがバレるのか 政府は何にでもウソをつく 国民は政権や金一族を 称賛するように洗脳されている ただひとつ確かなのは 国境から見えるものだ 中国はここよりもいいところだ だから中国に行って働こうと思った でも中国へ行くのは難しい もし内陸部に住んでいると そもそも中国の情報すら入ってこない だから脱北は困難だ 幸いにも自分は国境近くの町に住んでいた だから中国に行ったことのある人の情報に触れられた 16年前の夏 父と兄の生活費を稼ぐために 中国へ渡った彼はあるブローカーと出会います 自分の生い立ちを話すと ブローカーにはある人物のことが浮かんできました それは離婚して姿を消していた キムさんの母でした お母さんも脱北して韓国にいたのです 息子が脱北していることを知った母は すぐさまブローカーを中国に送って キムさんを韓国に連れてきました 始めて仁川空港に着いたとき 何もかもが驚きだった 韓国のすべてが衝撃的だった まず車が走っていることに驚いた それまで車は見たことがなかった スナック菓子やチョコレートは? あるよ でも同じようなものではない アメリカや中国製のものもある 中国製のものはいろいろある お酒は? 自分たちでつくる マッコリや焼酎をつくるけど 韓国のものとは違う 北朝鮮が恋しい? もちろん 故郷だから 政権のことは別だけど 家族や友達や家は恋しい もし国境が開かれるなら行きたい 北朝鮮では食べものがなくて脱北する人もいます でも お金のために脱北する人も 少なくないと言います というのも 北朝鮮は資本主義社会以上に お金がものを言う世界だからです 仕事は自分で選べない 社会主義だから仕事をして 給料をもらうし仕組みではない 仕事は家系と個人の能力のどちらで決まる? お金がものを言う 賄賂 男性は10年間の兵役があるが 配属先を決めるときには… 賄賂があれば希望の地域に行ける 人気の職業は? それもお金がものをいう 男性の場合は保衛部が人気 あとは商売人も人気がある 女性はほとんど商売人になりたがる 要するに 奥さんがビジネスをしていて 夫が保衛部にいれば 違法なことをしてもカバーできる しかし いくらお金を持っていても 平壌に住むことだけは難しく 事業や学業で成功を収めた ごく1握りの市民だけが住めるそうです 事業や軍の関係で国が認める人は 平壌に住むことができる あとは結婚 平壌の貧しい男性… 逆玉の輿のような状況 平壌に住んでいる男性は地方から嫁をもらおうとする 出身成分が良くて金持ちの嫁がもらえる 平壌にいる男と結婚すれば平壌に住める 北朝鮮では 隣の町へ行くことすら許されませんが 金さんは 命を賭けて 韓国へやってきました 韓国はどう? 料理も美味しいし あなたのような素敵な人もいる たしかに韓国人は優しいね そういえば京都と大阪に行ったことがあるよ 日本人も本当に親切だった 何て言えばいいか… とにかく優しかった 日本食も大好きになった ラーメン、寿司、うどん… 美味しすぎるよ 北では日本のことは何ひとつ教えられなかった 人に親切にするのは難しいことは でも日本ではそれが当たり前になっている 他者のことを気遣うのはとてもいいと思う 夢があって… 日本人の彼女をつくることなんだ(笑) 日本語は話せないけど でも親切かどうかは人によるよね でも親切かどうかは人によるよね 日本もそうだよね? 親切で育ちの良い人もいれば 失礼な人もいる 親切そうに見えてそうじゃない人もいる 韓国も同じ 僕は北朝鮮出身だけど 高学歴といっていいと思う 高校と大学を出てアメリカでMBAまで取得している 韓国では高学歴なほうだ アメリカの銀行でも働いていた 韓国で自分の経歴を話さずに 「北朝鮮から来た」と言うと 見下してくる人もいる 彼らはあまり「教育」を 受けていない人たちなんだけど… だから全ての人が親切なわけではない でも大学を出てMBAを取得してと… 経歴を話した途端に態度を変えるんだ ひどいよね(笑) でも経歴を話さずに北朝鮮から来たことを伝えても 興味を持って接してくれる人もいる 彼らは僕のこともそうだけど あらゆるものに対して敬意を払っている お互いを尊重しあうことが大切だ 韓国に親友が5人いるんだけど ある日 みんなでバーに行って伝えたんだ 「みんな 話したいことがあるんだ」 「実は北朝鮮から来たんだ」 でも全く信じてもらえなかったよ(笑) でもアクセントとかで気づかれなかった? 頑張って直したからね 最初は北朝鮮訛りだったけど 高校から勉強して完全に韓国式になったよ だから彼らは気づかなかったんだ 全然信じてもらえなかったよ 南北統一なしに韓国に来れるはずがない!って 生まれ故郷を証明するものもないしね だからこう言ったんだ 「脱北者だから兵役に行ってないんだよ」って それでようやく信じてくれたよ(笑) キムさんはいま33歳 16年が経った今でも学ぶことを続けています 差別は偏見から 偏見は無知から 学ぶことは平和への第1歩になると僕は思います

北朝鮮から逃れてきた青年と一緒に、北朝鮮を見に行ってきました。
ソウルから北へ約30km、北朝鮮の領土まで3kmのところへ行くと、北朝鮮が目の前にありました。そこで彼が語ってくれたことは…

[Guide]
韓国の非武装地帯には、認可を得たツアーに参加することで立ち入りができます。今回は日本の代理店が手配するツアーに参加しました。
同行してくれた金さん(仮名)は2008年に17歳の若さで脱北してきました。お話しは主に当時のことですが、後にやってきた脱北者仲間からの情報も含まれます。

[Note]
この動画では、個人の旅行で見たものをそのままお届けしています。客観性・正確性に欠く内容もありますので、あらかじめご了承ください。(明らかな間違いなどはキャプションなどで補足します!)

[Recommend]
🎥https://youtu.be/fA-jbmtJndg

[Index]
0:00 イントロ
0:56 朝鮮半島の歴史
4:45 ツアーに参加
6:16 民間人統制区域
8:12 脱北者が受けていた洗脳
10:48 なぜ脱北したのか?
11:57 北朝鮮の食事
14:00 烏頭山統一展望台
14:50 これが北朝鮮の姿
18:32 北朝鮮の仕事と汚職
20:56 脱北して感じたこと

#北朝鮮 #脱北者 #非武装地帯

Write A Comment