悲惨…。ペリリュー島に残る戦争の悲惨な爪痕。現地で体験してみたら 2日目1/2 5日間の旅【パラオ一人旅#2】(4K動画)

前回までに綺麗なサンセットにお出迎えさ
れつつパラオに到着した悠々旅ですが今回
については船でベリトへはっきり残る戦争
の爪跡それでは
スタートゆ旅は他では味わえないマ不思議
な旅系チャンネル
です新珠ワ攻撃で始まった太平洋戦争
ミッドウ回線で大敗北きした日本軍は
ガダルカナル島の戦いでも敗北をき
そして裁判島も陥落し打に追いやられてい
まし
たアメリカ軍の日本本土攻撃に向けての
一歩としてペリ龍と攻略は重要な任務で
ありました日本軍にとっては絶対に死す
べき地であり重要拠点でありましたペリル
島の戦いは1944年9月から11月まで
行われましたこの戦いではアメリカ軍と
日本軍が激しい戦闘を繰り広げ両軍合わせ
て約2万人が戦するなどに多くの犠牲者が
出ました今回についてはそのペリトを探索
していきますおはようございます朝になり
ましたいや清々しい朝ですねはいで雨が
降った後がありますねちょっと濡れてます
でえっと朝食が来たのではい食べていき
たいと思います今日の朝食はこちら
パンケーキかなパンケーキとあとこちらえ
が目玉焼きとあとこれはポテト魚フライか
なんかですかねとあとオレンジになり
[音楽]
ますはいパラはですねあの紫合線が日本の
7倍ぐらいあるんですよねはいなので今
からあの日焼けめをたっぷり塗っていき
たいと思い
ます朝のホテルからの景色ですちょっと海
まで見えてます
ねあの日焼け止め塗った方がいいとか言っ
てたくせに僕がですね下半身だけ
日焼け止めクリーム塗るの忘れてたんです
よねはいそんでちょっと今あの送迎の途中
なんですけど下ろしてもらって日焼け止め
クリーム買えるとこ探してるんですけど
あの今時間帯が9時前ってことでお店が
やってないですね
あうんこれまいった買えないな
[音楽]
多分ツアーの受付が終わりましたはいペリ
島のこちら案内になりますこれから船で
ペリ流島に向かうんですけれども船乗り場
がこちらになり
ますでやっぱここでも海が綺麗なんですよ

はい超透明度が高いああ魚いますね
ちっちゃいですけど魚がい
ますロ好きな人はそれだけ来るんです
ねあああ

そうじゃ私が今日一日ガイドします日本人
の平野正斗と申しますお願いいたします
ありがとうございます見た目の通り元々陸
を支隊務めてましたこのファラオに来た
理由もペリトのためだけですねま10年前
からこのツアはですね指名感責任感持ち
ながらえご案内してますだいぶ真面目な
1日のツアなりますがどうかねよろしくお
願いいたしますま今でもこうペリ流と
いろんな課題が残されてますがそのうちの
1つねそれがですね日本も沖縄とかでよく
ありますが発団ですね地雷の処理を今でも
してますま幸い他のクリと違ってま危険な
え危ない事故とかはね聞きませんがそう
いう恐れはね何十年経っても今でもござい
ます部活にジャングの中入ってしまうと
危ない場所もありますんで基本的に私が
通ったところ通ってきてくださいで今日
1番最後には戦いの終わった場所司令感が
自決された場所に行くんですがそこがね
往復20分ぐらいの山の中険しい道では
ありませんが山の中入る工程があります
ここがねルート外れると危なくなりますん
で通ったところ常にねしてくださいあとは
ですねえ激戦がねありましたんでアメリカ
日本ともにいろんな戦績とか移流品が
生々しく手に触れる環境を残ってるんです
ねま手に触れたい気持ちも分かりますが
こちら法律でも動かすこととか持ち替える
ことも禁止されてますまこれからも残して
いくものというね意識をね持ってお願い
いたします
[音楽]
この辺の海の色が違いますね違います
ポートがね溜まってる場所がこの島の西
北山北羽場ですねでこちらから上陸をし
たいと思いますまこの北ハも日本の時代
ですね元々穏やかな時代から作ってるハ
日本が作ってます当時はガルコハトバと
言われましたまこのペリ流島と同じように
玉地さした隣のアンガウルではですね産業
があったんですね地下にエル資源で臨石に
よって肥料の原料の採掘がありましたんで
ま日本の国作会社の臨石のねえ最初ここに
ありましたのでま輪行席をここで集める
場所精錬所として作ってます今よりも全然
投手の方が発電してる島ではあります
ねペリと到着しましたなんかペリ島内への
物資をこちら運んでるみたいでした
[音楽]
これからですね東内はツアー会社さんの
えっと用意してくださったバスに乗って
移動していくことになり
ますこち分かりますかね左手側鉄筋
コンクリート小部屋があります天井周囲
全部鉄筋コンクリート覆われてまして手前
側にこう窓がついてますよねあれを銃眼
って言います銃を突き出す穴ですね右側
側面にも銃眼がついてありましてこ日本の
ものですね当時のものそれも戦いの始まる
前から元々あります人数の規模1000人
の方が入れる洞窟の人いうわけですね規模
が大きいただこの洞窟に関してもさっきの
当地下同様に元々い海軍が元々備え付けた
海軍の防空号として作ってですね本音式の
防空号ですね元々あるものを使お方が早い
わけですねだここはそういう場所ですね
海軍の陣地防空を陸軍が北地区帯称しまし
て約840名この動物山この周辺に戦って
序盤に敵に囲まれて玉さなくなってる場所
ですねここも激戦があった場所上陸はあり
ませんが激戦があったという認識をねお
願いいたしますでこの中に入る前に戦いの
概要をねま共有事項として簡単に話して
いきたいと思いますがこのペリ優戦が
始まったのが1944年9月15日ですね
修正の約1年前に始まった戦いですね日本
はいい危ない認識ですねでえ日本軍が戦う
んですがもちろんアメリカ軍が上陸をし
ますアメリカ軍の中でも1番最初は海軍
主力の部隊が上陸するんですがその海軍の
中でも上陸作戦特化したアメリカ最強部隊
と言われた第1海兵団っていう海兵隊です
ね今でも沖縄に基地があって今でも強い
部隊知られてますその1番強い第1海兵士
団が南西のオレンジビーチから上陸して
始まりますで対する日本軍は先ほど申した
ように元々日本の海軍しかいないと立派の
飛行場を持ってますねその非行場を
アメリカが狙ったんですね当時東洋一と
言われた立派の非行場十字の活ですねこの
だけじゃないんですねその未工場を
アメリカ欲しかったその情報も日本の陸軍
分かってましたから背後には守れないから
わざわざ満州から強い14品を発見するで
日本軍だけで言うとトータル1万500名
で収支戦います対するアメリカ軍は4万
8000円に投入するわけですね4倍5倍
の戦力の差があるというわけで海兵隊は
上陸ま気軽な気持ちで上陸をします司令館
が言うんですね23日あれば十分この島は
制圧できる発言をしますま誰もがそう思っ
たと思いますが上陸までの3日間ですね9
月121314とこの島に対して17万発
という恐ろしい数字の砲弾方射与えてこの
ジャングは全部なくなるんですねでこの
ジャングルければね山がちっちゃなものが
あるんですがこの山のね形も変わるぐらい
デコボコ上で一層なってるでそんな様子
アメリカ区が必ず偵察行為飛行機で回り
ますで地上日本見たら日本軍の姿が全く
1万500円見えないプラ地形変わってる
ともう全滅に確信して安心して23日発言
をするんですねでそれをふすのが日本軍
です日本軍はこの島の地形しっかり生かし
ます元々作ったものあえて作ったもので
当地か500以上あってこの洞窟もねここ
だけではなくてこの島至るとこに500
以上作ってます合わせて1000以上の
こういう人の中に入ってその砲弾から
見守ってダメージがなかったんですねで
上陸した日にはを構えて敵を向打ちますん
で日本軍は23日を覆して2ヶ月半という
長期戦に持っていくいうわけですねま当時
としては慰霊の長さこういう長期戦はあり
ますでこれが終わってから3ヶ月後には
伊島が始まりますし1ヶ月後に沖縄が
始まるとこの戦いから戦い方を変えていく
んですね簡単に死ぬこと許されませんこの
サパングアもねこの前できた自決行為とか
自爆行為禁止するんですね生きて戦い自給
戦ですねどうするかというとこ中へ中へ
適応に入れるんですね水屋で阻止ではなく
て山の中へ入れていくそこえ数の洞窟の中
に敵を引っ込んで迎えをす方針を
切り替えるまそれぐらい日本はもう
いよいよ危ないっていう認識なんで日本を
守るたびに長引かそうと思っですねま他に
もこう長期線持ち持ち込んだ要因がね色々
ありますがまた後ほどね紐解いていきたい
と思
ます見てもすごい分かりました看護流機の
回の元々天然の洞窟くみが多いんですね量
の原料臨石を再しました
があるから拡張していきやすいをのが
日本軍とねもうこういうのが至るところに
散乱してる島ですねビル良かったらこれ見
てください大日本って書かれてます刻印が
残って
ます第2ああローマです
ねこの洞窟ですね高さがあの低いところが
大体1mぐらいですはい高さあるととはま
2mとかあるんですけどちょっと通るのに
注意が必要
です空権正解権て空の権利海の権利も
アメリカに奪われてますから日本語はある
ものが減っていく人も物も一緒ですねでも
死ぬことができない武器を作るんですね
ガソリンを詰めて手投げな火炎瓶わですね
あとこの島苦しんだものが食べ物ではなく
て飲み水ですね湧き水がない島せかがの閉
上から閉めてくるイ水ですね雨水をこん中
に貯めて口を潤せほと我慢できない最後
なくなる方水をくれてなくなるわけですね
今入っている洞窟があの迷路みたいになっ
てていろんな出口に繋がっているよう
ですこの洞窟はもう当時のまま残っている
とのこと
ですこちらが酸素分米だそうですはあ
こちら部屋皆さん見えますかねでちょっと
他と違って頑丈な感じしませんかね天井
高くて奥行きがしっかりねありますよ立つ
こともできますよねで同中1本だけね散乱
してましたここも同じものがありますこれ
純酸素の酸素本面ですね2つありますで
骨組らしく丸からベッドがあったと思うん
ですねでここはね排水ここだけ完備されて
ますねお水を流すところでこの仙人動物と
言われてる場所大事な場所でいわゆる野生
病院が使ってるですね医療室治療室ですね
でこの中も840名戦いますよねもちろん
敵にすぐ囲まれて負傷者とかね死者が出
ますよねま簡易な医療だと思いますがま
この中でもねこの人数でも苦しいと思い
ますでもっと人もくうん中衛生悪い中戦っ
て玉砕とま簡単手当てができたというも
ありますねでアメリカと日本はねやっぱ
違うのが物量が1番違うんですね人の多さ
もね4万8千円対日本語1万500円です
よねで物もずっと引きなし補給のが
アメリカでで沖に船が400止まってて
その中病院線病院機の持った船大きなもの
4隻持ってますよってアメリカ軍の無小兵
は運んでしまえば手当ができるし復帰も
できるし違う場所避難もできるとそういう
違いが1番大きいというとこですねこちら
火炎放射機の後のようです最後足元頭注意
してください焼かれた後です
ねうん黒くなってますね
ちょっとあの切開岸なんで本当は白い岩の
はずなんですけどはいそれが黒くなって
ます今出た洞窟の出口なんですけどもう外
からは見えなくなってますもう木々で覆わ
れてしまってますねいろんな形がある地下
のうちの1つですね一番最初に見たのが
1番シンプルな小さな形こ横長の丸壁の
ような形ですよねでさっきと違うのが重が
先2つしか空いてませんが10個以上遠眼
開いてますよねでパッと入ってパッとすぐ
に海を警戒できるたくさんの方をいぺに
守れる作りですねで日本人にね染みのこの
形分かりますかね日本のお城にありますよ
ね玉ねこう銃を打ったりとかね指を離す穴
視界広く狙いますし外から穴が小さい守り
やついですねでこの銃眼のこの厚みでね
頑丈さも分かりますしまさっきの投資か
同様これもね基本的に大きな重根がない
ですね綺麗ですねま北から陸してないこと
表してるですねでこの振り返ってもねあの
ジャングルがで山の高さ分かりませんが
非常に低い山ですね多分30mあるかない
かぐらいですねでもこのお自体はずっと
向こまで長くて各場所にこういうね穴が
あるんですねこれはごくごく一部の仙人
洞窟ですねもっとお城のような島ですね
これは日本の時代の国民学校日本の時代の
小学校の校門をそのまま使ってますねこの
フェンスのところですね黄色と青にられて
ますまこのま日本人だけでもねま林工石の
採掘もって民間人が200名ぐらいいたん
で一定数子供がいたんですね同じ場所に
学校があったとただパラオ人の子供は日本
人と一生勉強できませんこれ差別じゃなく
てあの国際連盟の委任統治がありました
から一生勉強してはダめていうね世界の
監視があるんですね日本色に染めてしまう
ことがま良くなというところですよねよっ
てパラジ用の学校は大の学校と書いて高
学校っていう場所がここではなくて今日
1番最後に行く中央コチ島の真ん中付近に
ありましたでこの左見るとね日本らしい
乗り物が止まってますね救急車とかね消防
車伴うトラックとか右の小さなものも消防
車の小さなもので書いてある文字がねひ
大宮って書いてますねうんこれ茨城県の
地名ですね日大宮市これ戦い関係してるん
ですねというのが茨城の方が亡くなってる
方が多いですね戦った方が茨城の方が多い
とあの満州から来た14段ってねあまり
聞き馴染みないと思いますが簡単に言うと
段っていうのは舞台の単位ですねま戦闘
単位で大きなとところですねま陸粉と
大きな括りがあってまその次に言うとま
手段っていうものがあったりしますま当時
で言うと1つの手段が1万人から2万人
ぐらいの規模ですねその中でも強かった第
14士関東軍最強部隊をマネた戦いですね
よって陸軍を凝縮してますからさっきのね
病院機能持った部隊がいたりとか戦車の
舞台大砲の部隊いろんな部隊がある中で
1番の主役というのが皆さんが想像する
兵隊さん歩兵って言いますね普通の兵隊
さんの部隊歩兵連体が3つあるんですね
全て元々北関東の地域で編成されてますね
1番の主役が今言いました茨城県ですね
水戸平第2連隊全員来ましたこの島ねで次
が群馬県の高崎15連隊の一部がこの島来
てますね北関東ですねでもう1つがペリー
のすぐ隣激戦玉砕したアンガウルとを守備
した栃木県の宇都宮59連隊よって陸部に
関して若い方現役兵の方は北関東出身の方
圧倒的に多かったわけですねよって日大宮
市のえ遺族の方おられるんで今でもそう
いうペリリトとこういう関係があるんで
いろんなもを造してますで今向かっている
のがですね日本の慰霊費に向かっています
まこの島にも様々なねアメリカ日本の慰霊
費がありますが1番最初は日本の三玉と
いう慰霊費に向かっていきますそこには
日本の各団体各部隊とかあとはねあの遺族
の方のねモニュメント慰霊費があります
そこに関してはご遺骨が眠ってるわけでは
なくて慰霊費ですねお墓ではないです
ねこちらが先発者さんあのの方々の慰霊費
だそうです
[音楽]
こちらイレ正面ですねこちら見てください
この一部が日本の慰霊費です小さなものは
個人の慰霊費ですね名前書いてあったりと
かなくなって年齢も書いてますよね22歳
とか24歳若い方が多かったですね10代
後半とか20前半の現役兵が多かったと
いうわけですねでちょっと大きなものが各
舞台とか各ねえ遺族の方のね団体の方が
作られてます
記念費があちらの三玉と書いてあるあの
辺り一体のみてそれ以外については現地の
方のお墓だそうですはいキリスタンの方の
お墓です
[音楽]
ねあの聞いたことありますかね骨収ですね
よく沖縄とかでねよくあのニュースとかね
新聞乗ったりしますがまは今で労省の管轄
ですねで民間のそういう団体があって委託
してその団体が今ですね年間ま4回5回
ぐらい来てま10日とかね20日間滞在し
てペリ島とかアガの日本の遺骨を探すと
ちなみに2ヶ月半の間日本軍が
1万500円守備しますね1万2名大半が
戦死して玉砕してるということですねで今
でも80年経ちましたけども今でも
2000柱ですね2000体以上の方が
まだ見つかってない未骨なかなか個人はね
特定できないとDNA鑑定難しいわけです
ねで日本に持ち帰りますよね持ち帰った後
はその名前が特定できない方々は東京の
高居の近くの千フの先発車防衛に濃厚さ
れるとま先の対戦伴民間人も軍人も一緒
ですねで毎年あの族の皇族の方がねイレサ
を行ったりとか一般の方もね入ってあるお
花もあの喧嘩できますからまた近く行った
際はねあの千の展望者へね入れお願いし
たいと思いますでこちら唯一写真がある
入れ費ですが中川国を中将と書いてますが
当時は中川邦を大佐ですね選されまして2
階級特進ですね名誉の階級ま今の自衛官と
かもねあ警察官も重職するとねま階級
上がったりしますでこの方がペリ流島の
守備隊長をなられた有名な優秀な指揮感
ですねでもちろん頭がいいだけではなくて
人望があるからこそ2ヶ月3っという長い
ね仲間にえ部下を唐突して長期戦持ってい
た方ですねで中川国を大佐はもちろんこの
島にいた海軍ではなくて戦うためだけに来
ました満州ですね関東軍最強14手段から
派遣されたんですねその中でも1番の主役
となった茨城県の水戸歩兵第2連隊の連帯
調をしてました水戸の隊長さんですねただ
優秀な方っていうことはもう上から見た
分かってましたからこの島で抜擢されて
海軍陸軍合わした1万500目の頂点守備
隊長を認でられるというわけですねで実は
中川大佐が1番上の階級ではなくてね
ちょっと遅れてくるのがその14手段3房
から村井少々村井権次郎少々というね1つ
上の階級の方来るんですね普通なら階級中
に行きますから村井少々が守備隊長になる
のが必然ですがなったの1つした中が与え
たなぜかというと村も優秀な方で若干年齢
も上の方で勉強されてる方でその方の専門
が陣地とか要塞構築のスペシャリストです
ねこの戦いのねえ地形行かする戦いをね
知ってる方なんですねよつその方が3房長
としてこの市を不妊しますいわゆるこうね
アドバイザー相談役ですよねで中が大を
支えて競技し戦って長期戦に持っていくと
でこのお2人が亡くなった日がね同じ日
ですもう時間もね特定されてます16時
過ぎですね戦いが始まった9月15日から
2か月半後11月日の夕方に彼らが責任を
取る形で自決で幕を閉じるとその日が日本
軍の発表で戦いの終わった終焉の日という
わけですねこ1番最後目指す場所がその
近くに慰霊費がありますんで山の中入る
とこですねで最後はねそこ出してからこの
最後の話をしてえツアーを終えたいと思い
ますねまた後ほどご案内し
ますでこちら四角入日がありますがこれを
混流された方が船坂と書いてます船坂浩さ
んという方でこの方生き残りの兵隊さん
ですがヘリ龍ではないですねすぐ隣祭した
アンガウルを守備した同じ14団でも栃木
県ですね宇都宮59連隊の兵隊さんで本人
も地元栃木出身の方ですね彼は生きて帰る
んですね禁止の重視を追って捉えられて
捕虜助かりますでいろんな捕虜収容所点々
しながら無事に日本に帰るとで日本に帰っ
てから授業でも成功します今でもねあるえ
企業ですがえ渋谷のスクランブル交差店
ありますよねあの目の前にビルにね大きな
地で大堂本屋さん書いてます名前ね歩いた
ことでもなで本屋さん開くんですねあとは
基本的に生き残った方っていうのは
生き残るが端って気持ちがあってね自分だ
けって気持ちがね知るまでそういう気持ち
があるんであまり語りたがらない方が多い
んですが逆に彼は仲間のことを思って話
広めてくれますで本をたくさん出版して
くれるんですねその本の印税とかを使って
戦後21年たてよこの島帰ってこれるん
ですね慰霊団としてでこの慰霊費を購入し
てます
ね特徴が1つあるんですがえなくなったり
怪我した方は基本的に軍人さんしかいない
んですねアメリカ日本ともに元々日本人
200名この島民間人いましたよねプラス
900名のパロ人のもうローカルの方々が
おられたんですねその方々を事前に中川
大佐含めて日本の司令官のねえ統制として
パラオ本島ですね空港のなる1番大きな島
の田舎の市に阻さしますその影響でこの島
では民間人の視聴者が出なかったと言われ
てますねまこれ結構すごいことですよね
この後の沖縄何万人と民間士なくなって
ますかそれがなかったのはま1つのこと
ですねで引て用意にも繋がってるっていう
のがま住民を庇いながら戦うとね戦いに
集中ができなということもありますしね
そういうことも禁して長期線になったりと
かあとはねこスパイ活動を防げ
るっていうこともねあったりしますねも
獣道分かりますかこう右ちょっと口開いて
ますよねこっから150mぐらいこう無骨
なねこう切開がの岩のね危ない岩を超え
ながらずっとと行くと穴がありますでその
穴もね私は何回も言ってますがこう何回か
道迷ったぐらいで方向感覚もなくなる
ぐらいもう周りジャングルばかり気も何も
ないんででプラスねあのあのパッといって
も多分分からない場所足元に小さな穴が
あるだけですねでその穴もですね全身ド
だらけなって入れる小さな穴入れば中開け
てます奥10mぐらいありますねでも立つ
ことができませんでハバとかやっとでその
中に34名がいたというわけですね実際
そのえ出てきたきっかけを作った土田さん
もね90超えてからもこの島来られてその
場所も確認してここっていう話もねされて
ますで彼らもその投式アメリカの前でね2
年後行うんですがその写真は見たことが
あるんですがしてガリガリじゃなくて精神
的にもしっかりしてるんですね生きる術を
知ってるとでも2年間潜伏したら食べない
と生きていけますよねどうするかというと
でもなかなか派手な行動はできませ
アメリカがまだいるっていうね懸念もあり
ますからでもっとすごいのがアメリカは
しばらくこの島いますよねでえ倉庫があっ
たりしますアメリカ区の食料庫から缶詰を
調達するんです夜中に入ったりしてで今で
もね栄養区が高いスパムとかコンビーフて
ありますね当からアメリカ持ってるんです
ねあいうのを地道な作業でねずっと
コレクトしますでできた2年後洞窟内調べ
てみるとまた1年2年近くのその食料が
まだまだあったと大量の調達したんですね
で普通に考えた結構おかしいですよねま
これ正しい話はアメリカがね逆に準備し
てるんです日本ためにでその情報分かって
ますよ日本の生存者でもこうドンパチあっ
て死ぬの嫌ですよねその避けるために別に
用意した話が一番正しい言われてますね
日本ために別に置いた話まそれでもすごい
ですねリスポを言いながら
でこちら上空から見た写真後ほどまだ
近づきますうっすらこれね十字の滑走路
海軍の立派な飛行場ですねまこれを奪う
ためにアメリカ来たんですが今ちょうど
この付近も飛行場がもだいぶ近いんですね
でこう見るとこれアメリカの船が沖合い
浮かんでるの分かりますでこう白くなっ
てるも全部こう遠浅でこれ元勝です船が
乗り越えれませんで向こうも言うとこう
アウトレンジなんで日本手も届いてはダメ
ですし遠くの方に船を止めるわけですねで
漢方車駅によって撃破していくと実際この
距離漢方射駅全然射程範囲ですねで建物
振り返ると海側面してる目はしごがあり
ますよねで室駅があって窓枠が2つあり
ますよね手前のシ駅の窓枠元々の窓があっ
た場所ですね奥側の窓枠ちょっとおかしく
ないですかこう鉄筋がえぐれてますよねで
差しが後付けあれは漢方車駅によって穴を
開けられてますねただそれ以上に頑丈なん
で今でもつえ立ってるで近づくとねまた
分かるのがね鉄の1本1本の軽が太すぎる
んですね今いろんなお客様をねご案内る
建築の方ね来られてもね異常に太いて言い
ますねでこの厚みがね1mあることも
分かりますがぎしにこう太いね1本1本の
鉄筋が入ってるで縦だけじゃないです横に
も入ってますからねでよく見た東地下
なかった重根ですねいろんなホダが当たっ
てること分かります砕け散ってるんですよ
ね中間で響いてないですよねこういうのも
ねま漢方車焼は20か40cmあります
から全貫くには容易なもの
ねでこちらは元々の窓でこの奥ですね右側
これが漢方車です
この奥が上陸地てホワイトビーチとか
オレンジビーチね大きに船がいっぱい
止まっ
てすごいな意なそういうことですねへえ
アメリカ部もね無駄打ちができますよね
日本がは玉がありませんから一発一中です
よねアメリカどんどんどんどん補給もあり
ますでこれも興味深い穴があってね漢方
だけじゃなくてちょうどこう鉄の隙間に
入っていったいこう多分まっすぐ入ってる
か洗車法でしょうねこちら分かります中
見えますよ室内が見えるぐらいちょうど
鉄気の間ねほんとだここっちから打っ
たってことですアメリカの進分かりやすい
ですよね方もそうですこっちの壁見てもね
全部こっちから角度が入ってますここも
漢方射ですねこの上の
日差しちょうどオレンジビーチ方面上陸側
ですねここももう上陸したすぐに制圧され
てますからねこちらがオレンジビーチだ
そうであちらから砲弾が打たれたそうな穴
があるってことはこれ照レベルです
ライフルということは日本軍とアメリカ軍
とのも銃撃線があったていうとこんですよ
ねでアメリカこっちですから日本語はこの
兵物裏側にこもるとあの壁をねしながらこ
るいうとこですねやこちら側よりホダの頭
が多いですよね裏側逆に日本がこった側な
んですごい綺麗ですよ
ねこれを壁にしながら戦ってる
とやっぱりその弾薬庫燃料庫ですから中で
こうね爆弾とか燃料が誘発しないように
より頑丈には作るんですねこういう建物
っていうのはね用途によっても建て方もね
変わってきたりしますで裏側すごい綺麗
ですよね日本語い方ですねこういうの壁に
しながらこう銃線をしてるとでこ周りもね
まフダてよりもね元々あった空爆もちろん
中は処理してますねまいろんなサイズが
あります空爆も
ねねでこっち後ろ側の穴というかねこれも
こちら側ではなくて海側の漢方車でしょう
ねおそらく風圧によってね外側にそうそう
いうことです側そう圧力かかってこっちに
ね威力が出てるぐらいこうね大きな衝撃が
あるわけです
ねこ間が抜けてるんですけどこれ魚雷です
ね魚ねただこれ本当は9mぐらいあります
ね直径は60cmぐらいですねでこの魚雷
って言っても2本しか持ってなかった優秀
な魚雷ですね2本しか持ってない技術って
のもあったんです当時はねこれがですね
いわゆる酸素魚雷って言いますねま9三式
3酸素ぐらて言って普通の魚雷と違ってま
メカニズムは難しいんですが純酸素を酸加
剤に使うんですねそうするといろんなガス
が混合して海中進んでいく水深力出します
よねそのガスが2酸加炭素炭酸ガスです
炭酸ガスとこ青のイメージがあって敵に
ばれるってイメージがありますか海水溶け
やすいんですねほぼ無効泡が出にくくて逆
にバレないですねでこ強はすごい増やつ
ですねでから高速距離もすごい生まれます
投手の魚大っていうのは日本もアメリカも
ま10km行けば結構いいとこです高速
距離これそれ以上はるかに20kmとか
30km先まで飛ばすことができるで威力
を増すというわけですねで製造課程非常に
難しいんでアメリカも途中爆発しますから
作れなかった日本もそういった技術はない
ことはないというと数がないというとです
ねただこの時代背景1944年の終わりの
方ですからもう特攻兵器をね日本作って
ますねま0線は結局特攻兵器じゃありませ
んからね戦闘機ですよね国の策として若い
方が乗ってでこれに関してはこれのもっと
1mの直径にした酸素魚雷がいわゆるこう
人間魚雷回転ですねもう1回乗って出れば
ねもう変えることができないです爆薬
いっぱい積んだもんですねこの穴が開いた
状態で上陸後すぐに制圧して病院に使うん
ですねアメリカアメリカであるもの使える
もの使った方が早いわけですね頑丈なんで
病院に使うで右足なんてね今と形変わって
ますよねこれ反対側の漢方車の穴ですね
うんでこれがね建物が残ってでこれ今日は
見れませんがアメリカ軍の陸のの戦車でM
4シャーマン抽選車っていうねこう30両
を持ってきてますこう人の大きさと車体の
大きさ比べてくださいこの後日本の戦車お
見せしますが全く大きさが違うんね物量が
違うことが分かると
思い今回についてはこちらで以上となり
ますいやすごいですね戦争の
爪跡次回も続きますこの動画が参考になっ
たという方はチャンネル登録高評価
よろしくお願いしますコメントも気軽に
とても励めになり
[音楽]
ます次回の悠遊旅は引き続き壮絶な戦いの
後をご覧いただきます日本人なら知って
おくべき歴史ですそして平和の思いが込め
られた慰霊費にも行ってきました次回もお
見逃しなく十神優旅は世界192カ国制覇
を目指す1人旅系チャンネルです動画が
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♪パラオシリーズの動画はこちらへ♪

♪エジプトシリーズの動画はこちらへ♪

【目次】
03:01 ペリリュー島ツアー開始
05:40 ペリリュー島到着
06:10 小さなトーチカ
06:27 千人洞窟
12:50 大きなトーチカ
17:07 慰霊碑 みたま
23:55 弾薬庫跡

・パラオについて
パラオは、太平洋西部、ミクロネシア西端に位置している島国です。
日本(東京)から真南に約3200km。
面積は約488平方キロメートルで、(日本の屋久島とほぼ同じ広さ)
公用語はパラオ語と英語で、主な宗教はキリスト教です。
通貨は、USドルです。

・RITC ロックアイランドツアーカンパニー
今回のペリリュー島ツアーは、RITCさんにお願いしました。
費用:US$147/ 1人
ガイド:平野さん(元自衛隊)

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・宿泊先
シェル ヴィラ アパーテル リゾート(コロール市内)3つ星
1泊13000円程度

※訪問時期は、2024年2月頃となります

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