【そうだ京都、行こう】新幹線で2泊3日の貴族ツアー

jr東海ツアーズの優秀なパック商品EX
ずらし旅の宣伝に挑んでいる当チャンネル
では最近大河ドラマのおかげで紫式部を
はめとした貴族や現地物語が話題になって
いますのでそれにあかりまして京都方面の
宣伝動画を制作することになりましたその
紫式部は1000年ほど昔の京都で朝定に
おいて働いていた貴族です1868年まで
朝定の中枢で働くことができていたのは
藤原市を筆頭とした貴族の人たちだけで市
ももちろん藤原市の一族の生まれでした
つまり当時の調定は親戚繋がりで運営され
ていたような割と狭い社会であったそう
ですがその狭い貴族社会で楽しむ連載形式
の恋愛小説として学問に引出た紫式部が
現時物語りを書いたのだそうです今で言う
と貴族しか読むことのできない週刊少年
ジャンプのような感じではないかと思い
ますこのような歴史を知った上で今回訪れ
ます主な行き先は5所の東方滋賀県と西方
にあります佐賀嵐山さらに京都から
ひたすら南下し大きな山にあたるギリギリ
のところ明鳥の参加者としましたこれは昔
京都に詰まった貴族たちの旅行気分を
味わってみることを主旨としていますまず
滋賀県の西部は飛鳥時代に都があったこと
もあり石山寺右寺遠略寺など京都に劣ら
ない大臣院が置かれました平安時代には
ここへ多数の貴族が後楽へ出かけていた
そうで現地物語も石山寺で書かれたとされ
ていますま滋賀県は当時の平安貴族たちに
とってのハワイみたいなリゾート地として
扱われていたのではないかと思います同様
に宮の西にある佐賀嵐山も蔵都地や別荘地
などとして皇族貴族の方たちから愛されて
いたそうです光る源子の家が置かれた場所
の1つも魚野であったとされています実際
琵琶の美しさとこをつけがい広い川の景色
や山の渓流の景色など今でも京都の中で
後楽的な不を楽しめるところとなってい
ますちなみにヒの家は今の小川下の下線
場所付近にあった設定とのことらしく私も
実際に船に乗りその場所を眺めたりしてみ
ましたまた3日目に訪れた飛鳥は京都より
もはるか昔に都であった場所でありまして
西暦645年大下の開心が行われ中富の蒲
を外する藤原市が生まれた発生の地である
わけですこのように今回訪問する場所は
必ずしも定番の観光地ではありませんが今
タイのドラマでやっている平安貴族を知っ
てみるには良い旅行先だと言えそうですし
どこも大すいていてゆったり楽しむことが
できましたjr東海ツではこのように超
定番をあえて外すような旅行をずらし旅と
目打って宣伝しておりそのずらしたに
役立つ完全自由工程のツアーを新幹線と
宿泊施設さらに旅先で使える引かクーポン
付きで大変安い価格にいてセット販売して
います例えば今回と同じ旅行を6月23日
日曜日から行く場合往復の新幹線と宿泊
施設をEXずらしたで予約すると低下より
も1人当たり1万240円安く購入する
ことができますこれを無理にでも使って
欲しいとまでは言いませんが大抵の場合は
大変安く旅行できますので動画を参考に
使っていただきたいと思いますお申し込み
は画面のQRコードスーツチャンネルの
コメント欄を経由していただくと僕の営業
実績になりますのでよろしければご協力お
願いしますそれでは是非どうぞ本編をお
楽しみ
くださいEXずらしを使って京都へお得に
行ってみましょうというコーナーですま
こんな感じでねもう予約するじゃないです
かで予約終わりますともはや切符受け取り
の手間もなくこんな感じのQRコードが
届きましてこのQRコードを携帯して改札
のところに持っていってこれピッとかざせ
ばもそれで新幹線に乗れるそうですね面倒
な手続きなししかし実はQRコードを
かざす必要もありませんこれでもいける
はずだ裏向きQRコードこれはですね僕の
使っているスマートフォンがICカードに
もなっていますまつまりモバイルスイカ
でしてえこんな感じでねICカードで乗る
ことができるようになってます今新幹線は
そうやって乗る人が多いようですけど
つまり面倒な手続きはなくピッとタッチ
するだけでどんどん行けてしまうように
こういう格安のパックでもなったんですね
さすが公式ツアーですね乗車列車は6時
51分発博多行のぞみ7号です今回僕は
選んでこの列車にしましたもう予約の時に
こういう感じでかなり豊富な選択肢があり
ましてでちょっと豊富すぎるんですけどね
その3分感覚で出てるよでこれでこ好きに
選ぶことができますもっと後の時間団体も
選ぶことができますえまたまに満席のやつ
とかもありますがえ面白いところとしては
グリーン車が追加料金2810とかでねえ
利用することができると思います普通京都
までグリーン車に乗る場合追加料金が
5000円弱かかるんですけれどもEX
ずらしたで申し込んだ場合は多分それより
グリーン車に安く乗れると思います一応
価格変動なんですけどねあの安く乗れ
ちゃいますんで今回も雪はグリーンにし
ました朝のみ号は混んでますからね
まとはいえ朝の6時台の新幹線に乗るのっ
て不安もありますよね寝坊したらどう
しようとかね電車が遅れたら新幹線が行っ
ちゃうみたいな心配もあると思うんですが
もこれすごいことに心配ご無用でこれは
すごいですよもし都合が悪かったらまこう
いう風な色々条件を確認した上
でじゃあ間に合わないから10時の新幹線
にしようとかねそういうのも変更すること
ができ特に差額などもないみたいです
ねここここういう風に行けるんですよ
便利ですよ
ねこういう格安漁港ツアーって大体ねはい
もう乗り遅れたらあなたの切符はみくで
救済措置もありませんよみたいなは普通な
んですけどJR東海ターズの方から聞いた
時になんでそんな安いんですか見びっくり
しましたよま公式だからでしょう
ねだから絶対利用した方がいいと思うんだ
よねま旅行自体が中止になってしまったら
キャンセル量を払ってクリケしかないって
のあるかもしれないですけど
変更は非常にに対応することができると
思い
ますこっち側消してもいいな東京駅出る
あんまねこっち側見ないんです出た出た出
たバスの
乗り場まこれjr東海ツアーズの宣伝です
からねあんまりバスとかを映すのはやめ
とくか新幹線にしましょう
[音楽]
いつも宣伝してるようにEXずらしたは
大変得で普通に新幹線の菊かて京都まで
往復するよりも京都までの往復とホテルと
選べる体験がセットになってる方が安いし
しかも時間の変更もできてえさらには
グリーン車も安い追加料金で乗れる場合が
多いみたいなですねまちょっと飛んでない
になってると思いますがそもそもねこれ
ずらしたっていうのこれさっきから言って
これ何なのかこれJカズのとこにね
ちゃんと入ってますずらしとは何ですか
回答わずか2行の完結な回答です時間や
場所旅先での移動手段行動など定番から
ずらした新たな旅のスタイルを提供する
プランです2020年にゴース
キャンペーンとかえ懐かしいですよね三密
を避けましょうとかそういうことが言われ
ていた時代にえjr東海がえ系列で作った
言葉で要は定番の観光地に行くと混雑して
いての状態になってしまうしえ定番から
ずらした旅行も十分面白いのだからえ
ちょっとずらしたにしてそれでコロナとか
の心配もね防ぎつつやっていきましょうと
いうのJR東海では今でも受け継いでいる
ということですもう京都に着きますまあ僕
に言わせればずらし旅なんてのは得意中の
得意なんだっていつもずらし旅ばっかりし
てますから前に静岡に行った時も全然観光
客に合わなかったですしこの豊島もね別に
観光客とかに会うことはほとんどなかった
ですしえ例えばこの中央防波堤に観光に
行った人とかいますか超定番ハワイ旅行
っていうのもねなるべく定番観光地を回る
ようにしてたんですけど視聴者から頂いた
コメントはスーツさんて本当に定番の
ところに興味ないんですね定番のところに
行くと人が多すぎて動画撮影がままなら
ないので僕の動画撮影はほとんどいつも
ずらしたなんですね金とか僕の動画に出て
きたことないでしょう正直ね楽しみ方さえ
知っていれば旅行なんてどこへ行っても
面白いんですよね
ことはどこ行っても面白いんだったら空い
てるところとかね定番からずらしたところ
行った方がまちょっとおに楽しめるとい
ことになるじゃないですかまだから今回も
普段通りに走してずらし旅しようと思い
ますじゃどこへ行くか不動改札タチ位も
ずらし旅ちょっとだったらずらしても
大丈夫ですずらしすぎないようにし
ましょう後ろが詰まるから
ね京都駅から在来線に乗り換えてこの山に
囲まれた町である京都の
東方にそびえる東山を越えていきたいと
思いますこれを超えるとどうなるかと言い
ますとまこんな感じのりになっておりまし
て滋賀県大津市の方面に抜けますおいおい
京都旅行なのに滋賀県にいきなり行くとは
タイトル詐欺というやつじゃないかいや
そうでもないですよ穴がちそうでもない
ですそれ後でお伝えするとして間違えて
あの電車に乗ったら東山はか全部の山を
超えて本までノンストップで行ってしまい
ますの駅福井駅ですからねも今週末には
そういう福井まで行ってしまう危険な列車
は廃止されて新幹線に変わります特急に
乗りさえしなければ大丈夫です
ねちょうど快速電車と同時に出発しました
ね向こうは結構お客さんが乗ってるんです
がこっちは全然いませんあちょうど向こう
のスピードを出していなくなりました今の
うちに見ておきましょういなくなったら
見え
[音楽]
ますこれでトンネルを抜けましたが山は
まだ終わりません東山トンネルに続いて
この向うに大阪山がありますこれを抜け
ますと滋賀県
です一息お隣の山駅で降りましたこの山の
向こうへ抜けていくのには電車に乗り
続ければ大丈夫でもうどちらの電車によっ
ても次は滋賀の県所地津駅ですがここはね
一この電車を降りてこれ電車は山を
トンネルで抜けていくんですよでトンネル
で抜けるんじゃなくて山を直接登っていく
別の電車もありますのでそっちを使ってみ
ましょう今ね藤原の道長とか平安時代の
貴族みたいな方々がもうすごい流行って
ますよねタイガドラマやってます紫式部が
ま特に流行っているかと思うんですがそう
した人たちが平安時代にお出かけ先として
すごく愛していたのが今から行く滋賀県
方面だそうですねえこの後の目的地として
石山でをまずは目指したいと思いますが
ここも紫式部が滞在してここで現地物語を
書きましたみたいな有名な場所ですその後
に訪れる予定のミーラもありますがミデも
藤原の道ながらとかそうした人たちがみな
一生懸命お金をそこに費やして合成なお寺
の経題となったと言われていますまつまり
これから京阪電車に乗り換えて山科より
方言を超えて琵琶浜大津とかねえ石山寺と
かえそれから反対側の右寺とかを見に
行こうと思うんですけれどもまこうした
場所は京都の人たちも昔から観光地として
リゾート市として使っていたような場所で
ま今で言えば芸能人がなんかみんなハワイ
に行くとかいう話ですけどまハワイみたい
なもんでしょ平安時代のハワイに行くと
いう感覚で見に行ってみると京都旅行と
感じられると思いますそしてこの動画の
冒頭でもお伝えしたと思いますがずらし旅
利用者は選べる体験までついてきますでえ
関西に行く人はですねえ京都滋賀奈良大阪
神戸エリアからおまけをもらうことが
選択肢は豊にありますが今回
は色々あるんですよ
石山寺右寺ま他にもね琵琶方面のおしゃれ
カクテルビュー日本最長平山坂本ケーブル
往復乗車と庭園のリフレクションミシガン
に戦体験あるんですが今回はその中で紫式
今流行っておりますしこれにしたいと思い
ます石山での紫のやつチケット付
はまそれぞれの引き換え場所がありますが
今回の場合は京阪電車の山駅でこの改札口
のところで駅員さんにお申ししますすい
ませんずらし旅の引き換えお願いします駅
さんと確認をしていただくとこういう風な
もの出していただけますのでこれをですね
スマートフォンで読み取りをしまして予約
番号は予約した確認のページのとこに書い
てありますのでこれをコピーしてじゃこれ
であの紹介をさせていただきますねはいお
願いしますあこれ
じゃ大人2枚分はいお願いしますはい
じゃあ利用スロさせていただきますはいて
おりますすいませこちら大人様2います
はい確かにいただきましたはいどうも
ありがとうございますありがとうござい
ます失礼します豪華ですよ色々ついてい
ますまずねこの琵琶湖周の京阪電車の乗り
放題チケットがついていてまこれ自動改札
こビュンビュン行けますしさらに行った先
の石山寺には無料で入ることができ無料で
入れるだけではなくこの500円分の
クーポンももらえてさらにソフトクリーム
もプレゼントしてくれるそうですねで色々
あるんですその京阪電車が来ましたここ
から山を越えて滋賀県へ行くやつですが
この京阪電車京神線はとんでもない性能を
持っていますよもう性能はブレーキも加速
も強いしえ値段も新幹線並みになんか
すごい高級な高級車なんですよねこれ
ねでカーブもバンバン対応できるとま座席
でもねなかなか豪華な感じで座り心地も
いいんですがやっぱり凄まじいのはその
走り振りじゃないですかね今どんどん標高
が上がってるの分かると思います上り坂
ですこれはかなり急な上り坂で全国のJR
線でもあまり見られないような急な
登り下り急カーブを繰り返しながらこの
電車は滋賀県への登山を始めますせっかく
乗り放題キップがあるんでね一旦降りて
どれだけこの電車がすごいやつかというの
を見ていただこう思ましたこの登坂
うわいやこれ本当すごいですよ京都登山
電車っていう名前に名前変えたらいいと
思うなおお下山電車がやってき
たこの勢いです
よこの追駅を出ますと国道1号線が目の前
にあります東海道に面した駅で東海道の
交通のにあり
ますっていうのがそもそも分岐点っていう
意味の地名らしいですねほらほらほらもう
大昔に作ったと思います石垣済のところに
お家が並ぶ景色があるじゃないですかもう
すぐそこが東海道です江戸時代なんなら
もっと大昔から使っていた交通の幼少郵便
のバイクが通りましたもうすでにこちらは
滋賀県に入っているんですけれどもマン
ホールを見ますとですね滋賀県大津市と
書かれていますえ一方でここから海岸を
向きますとゴミが捨てられているんですが
このゴミに京都市とありますつまりここが
滋賀県と京都府の教会なんですね東海道の
この道がそうですこ面白いですよ今まで
東京から自転車に乗ってここまで2回やっ
てきましたけどこここそ駅名の由来にも
なっておりますおいで右手へ行きますと
東海道左手もま実質東海道の大阪方面大阪
に行くか京都に行くかの主要分岐店がここ
なんですね
右は今道って書いてあるのかなもこれね
東京から延々と東海道とか中仙道とかを
食しててねここに来るとねああいよいよ
旅行も終わりだなって気持ちになりました
ねというあの多分昔の人たちもここを通る
時に気持ちを新たにしたようなところだと
思い
ます紫式部とか道長みたいな人もま大体
こういうところは歩いて今から進む山を
超えて琵琶の周辺を目指したんですねでこ
なんですが結構ねこの下の部分を補修し
たりしているんですけれどもこれは
やっぱり場所が狭いので車がバンバン
当たってしまうようで何回も壊れている
ようです多分もうここの部分ももうこう
使いながボロボロになってしまってるん
じゃないかなそれをこう頑張って補修して
今に受け継いでいますが運転の際は
くれぐれも注意し
ましょうというのをブラッと見てまた駅に
戻りますかねここ駅から5分ぐらいで来
られるすごく便利のいいところですよ古い
時代を振り返ることのできる光景が残って
います建物はね新しく建て変わっても道の
狭さあんまり変わってない
でしょう駅までは下りだったこともあって
2分で着きましたね坂を登ってきている
京神線の電車もっともっと今から坂は急に
なります
よ鉄道は一般的に急な坂や急なカーブには
弱い乗り物なのですがええみたいな目を
疑いたくなるような急カーブがこの先連続
するところになり
ます江戸時代やそれよりもも昔から使われ
てきた東海道の道に沿うために急な山に
頑張って登る高性能な鉄道路線となって
いるんですねえあそこの坂が40%ミルと
いう数値だったようですが40というのは
JR東海の飯田線に一瞬だけあります
40%Mというのがあるんですがまそれと
同じ数値でそれがJRでは他にルを見ない
最勾配となっていますしかし京神線では
60というものもありますちょっとすご
すぎるよね車だったらね多少坂があっても
大丈夫なんですが電車ではこんな光景を他
で見られることはまずないと言っていい
でしょう昔宮に暮らした人たちが滋賀の
リゾート地へ遊びに行こうという時この山
を越えていたわけですねその山の景色を
そのままに電車で越えられるとは楽ですね
しかし今降り立ちました途中の大谷駅は
なんか駅の光景が変な気がしますこの駅は
駅自体が大きく傾いている全国で1番急な
駅なの
です見ていただくと分かると思うんですが
駅のホーム自体もこのように急な下り坂に
なっていますこのような関係で坂道停車
坂道発信をしなければいけないのでこの
電車も特殊な装備を必要とされて車両の
価格は上がるんだそうですねここでお
昼ご飯としましょう横には今の時代の国道
1号もありましてまた側には駅を出てすぐ
のとろ
に江戸もしくは琵琶湖へ続く東海道があり
ます昔みんなここ歩いてたわけですねと
いうことでここにはいろんな当時からやっ
ているようなお店もありましてお昼ご飯は
この大阪山金をこれ有名ですよね来たかっ
たんですよこれだこれだ昔の雰囲気も敵
感じさせてくれますただね今お伝えした
ように人気店ですからご覧いただくと予約
なしとかね色々書いてあるんですけれども
予約とかま人気のところは混むわけですよ
ねまでもねこれ回転同時にちょっとお昼に
は早いかなぐらいの時間にずらしてやって
くればもう空いててね特にいい時間が
楽しめると思いますよちここんなにすごい
ところだったの
[拍手]
か東海道の裏にこんな高大なお庭があると
は知らなかったいや僕知らなかったんです
けど何こんなに立派なところもあるんです
かえここはねえ予約すると使うことが
できる個室だそうなんですがえここで食事
させていただけるんですか国道1号を生き
する車や電車を見ながらあいいところだね
ちなみにシーズンは一応夏となるそうで今
ねま割とオフシーズンらしいですだから
予約も比較的しやすいんじゃないかな
ずらし要素ですねいやそういうのは大事
ですよ人が来ない時に旅行するといいと
思うな僕はいつもそうしてますますします
なんとすごいことにタブレットにも対応し
ていましたしかもね結構建物自体が離れ
てるんですけどこのタブレットの電波状況
もスコブルいいみたいですねアンテナが4
本立っていますあどれにしようかなここは
結構ねあのお頃な価格でも出してくれてる
んですよね
うーまジにしとくかなんかジと波の差額が
330円だったら上にしたいですよね
さっきのグリーン車を選択するみたいな
感じで普通大盛少し多めちょっと難しい
ですね少し多めはこれ無料でできるのかで
じうんま普通にしようかな普通にします
うんやっぱこうしようしかも肝水と湯が
つくんですねあなんか色々なオプションが
ありますね面白いなこんなになんか色々な
楽しみがあるとはま敷物もいいな明治対象
ぐらいですかね多分ねもうここがこう今
通ってきたところじゃないですかこんな
ものも出してくれました
敷物には別バージョンもありましてえここ
を見ると明治5年に創業と書いてあるん
ですがじゃあ明治時代のか江戸時代を経験
していないのかと言とあの江戸時代も
そもそもここでえ茶見をやっていたそう
そうですねみんなここ歩いてましたからで
その時にえ伊勢から京都の間うを運ぶ行商
人の若者がおりましてえその人とえここの
人が仲良くなってえその結果うを仕入れ
られるようになったでこの辺に川が流れて
ますますがその谷の水でウナギを生かして
おくと美味しくなるということを発見した
のでウナギ屋になり今日に至るとのこと
です持ってきていただきましたこれがね
これ名物のすごく美味しそうな卵焼きです
ねえ菌糸丼でございます写真を移すには
この状態の方がより取りやすいということ
でタレなしで持ってきていただきました
これねあの発症がありましてえ大正時代か
昭和の初め頃まだやろか早く焼いて
くださいみい言いに来た人がいたので
じゃあもうそのままぶつ切りで出しても
いいんじゃないかしてみたとろ意外いや
こっちの方が美味しいじゃないかこれで
大変好評になってそうですこの卵自体も
とても良さそうですよこっちがより楽しみ
だったもちろんウナギも美味しいと思い
ます京都から大阪山の峠を越えて滋賀県へ
抜けていく時には是非ともこれを口にして
から行きたいですねあいい卵だなんか
ふわふわとしっかりさ両立してる気が
する卵丼としてこのまま食べに来ても十分
問題なく問題
これを食べにきたいぐらいの美しい卵
[音楽]
だ驚異的な組み合わせの良さでしたね是非
一度お試し
くださいお庭もすごいですけどあこういう
ことかつまりここに川がこれは多分本当
谷側なんでしょうねこ青龍が流れていて
ここでウギやあと恋もメニューにあります
けれどもが変われておりますがこういうの
をばいてれてくのかなこれは買用の恋かも
しれないですけどね昔はここにウナギ恋を
入れていたんだと思いますよ小倉100人
一にも出てくる大阪山の実かずがうわっ
てるらしいんですがこれかなこれですねあ
書いてありますね何しば大阪山の実人に
知られてくるよしもがなこの三条宇大臣の
一中の女性にえ会いたいのだけれどもえ
この会うというのはですねまなんか女性と
結婚する的な意味があの昔はあっただそう
ですがこういう蔦をこう大阪山に履いた
やつこう
べべと引っ張って愛の一中の女性がこ手元
の方にこう人知れず近づいてこないかなと
いう嘆の歌なんだそうですね平安時代の人
たちなんかクの人たでこんなことばっかり
考えてるっていう印象なんですけどま
ずっと5所の中にいるからね他に考える
こともちょっと多くはないのかなという
ような気もしますが失礼なでしたらすみ
ませんお食事も終わり終わったとはいえ
まだなも強く漂うウナギの香りが後ろ髪を
引かれる思いですがここから先いよいよ
東海道がちょっとね峠を越えるような感じ
になってきますね大阪の席です山から
ずっと登り続きでありましたこの国道1号
東海道はちょうどここ大谷を過ぎますと坂
は下へ変わっていきます琵琶へ今度は
降りる峠の場所なんですね
というまさにこの場所が古くは交通の干渉
するための大阪の席が置かれていたところ
だそうです名前は有名ですよねああここは
あの大阪の席ですかあ大阪の席ってこう
いうところなんですねと思われた視聴者の
方も多いと思いますが昔の人もそういう
ことを思ったそうですね有名な歌があり
ますねこれやこの行も帰るも別れては知る
も知らぬも大阪の席セミ丸が坊めくり最強
の人物であったとわこのセミまがですね
ここでそのように歌ったそうです今でも
同じ気持ちになれるんですね素敵なずらし
旅だと思い
ます100人一緒には他にも世を込めて鳥
の空には測るともよに大阪の関はゆさじ
っていうのありましてこれ青書の名が作っ
たやつなんですがま当時の平安時代の人
たちはなんか恋愛ごばっかりやってた
みたいですねで私はそんな浮ついた女では
ないですよ私の心の大阪の席はざされてい
ますみたいなえ感じのことを部え青書名言
はここれなぞられて行ったと言われてい
ますま他にも現地物語ではヒカル源二が
ですねあの色々な女性に未練持ちまくりの
主人公のようなんですけれどもま未練を
持った女性を心に浮かべながらえ大阪の席
を通りかかるとちょうど向い側からその
未練を持った女性のこう相手が現れて
あれ偶然出会いましてそこから中が深まっ
ていったみたいな下りもあるそうです
駅へ戻ろうとするとセミ丸神社がありまし
たこれねえ先ほどの歌を作ったセミ丸を
祀る神社ですがあれですね明治時代の旧
社格が存在した時代の名残りで村社を埋め
た後がありますこういうの僕は非常に関心
がありますね大阪の席はこの辺にあったん
じゃないかとも言われてるそうです正確な
場所は分からないそうですねまとはいえ
大体ここでしょう突然駅があるの面白い
ですね町みたいなところにトイレあったか
なさすがにないですねま金をさんで行って
くればよかったおおすごい狭いホームま
電車が来るのはたまにですから来る時だけ
気をつけて立ち止まれば何の問題もない
でしょうこのベンチに座ると黄色い線の外
へはみ出ることになるんですね面白い
ベンチですね失礼しますおおあ
なんか面白いね駅が大阪の席へ向けて急
角度で傾いておりましてベンチはね平に
作らない座りが悪くなってしまいますから
ここに技術力を揮して右足と左足の高さを
ぴったりと揃え水平な座り心地の良い
ベンチを作っていますここ座ってますが
非常に座り心地はいいですこれ待ってる間
に京阪電車で配っている原人物語について
のパンフこれ面白いですねえヒルジ優しく
て強いのに涙もく顔がイケメンでも
マザコン微少に全女子が泣いたなんかここ
に映ってる女性のほとんどとは多分関係を
持ってるんでしょちょっとなんかねすごい
話ですけれどもまななんて言うのかな
なんか土曜の夜にやってる連続ドラマ
みたいな感じなんじゃないですか実際中の
女性たち男性たちから非常に人気がある
連続もの小説ということでねこに書いて
ありますね藤原の道長の支援を受けながら
現地物語を書きまし
[音楽]
たずっと中にいてずっと貴族と藤原みたい

ねそういう人たとあとは天皇とかの族の方
とそういう人しか登場しないような物語
ですから現地物語まそういう狭い世界に
生きてたらたまには大阪山を超えて滋賀県
に行ってみようかってなると思うんすよね
じゃあ電車が来たら立ち上がりましょう
これが安全な乗り方だと思いますより安全
に電車で大阪山を越え
ましょう本とんでもないカーブだな
町おお
おカーブも坂も一流のきつさですよこの
エレベーターかなみたい
な普通の電車ではまず見られない電車が
横向きに走るような高景ですあの急な
カーブを抜けるために列車は時速20km
まで速度を落としました
東海道並び進ん
で琵琶湖へ向けて共に共に降りていくん
です
ね今前方の電車が見えたような急カブ
あそこでしたけれどもあそこにちょっと
線路が濡れてるんですよねあまりにも
カーブが急すぎるということで電車が線路
を安全に通過できるようわざわざ水を巻い
て滑りをよくしてい
ます次は岩浜大津終点です西山坂本線はお
乗り換えですこの上坂町駅を出ると
いよいよです
よあれ駅を通過してると思うかもしれませ
んがどうも土地がないために反対側の駅の
ホームと全然違うところに上下の駅がある
みたいですねまで駅を通りすぎているよう

お願いいたします車内美のため新聞そして
ここから線路は旧東海道の上へ出ていき
ますをゴミ箱にお入れください
[音楽]
こんな面白い電車乗り放題なら言うこと
なしですよね終点琵琶浜大津駅に着きまし
た山越の電車はここで終点ですが他にも
ここには路面電車が通っていてこの駅で
乗り換えることができますそしてこの駅の
交差点から目の前を見れば一面に琵琶が
広がりますこの景色です
よ景色がいいというだけではなくこの琵琶
の眺めは京都の町を形作る上で重要な水運
を提供しまして今日もヨットが進んでい
ますがこの琵琶の上を船でビュンビュン
行きかって重要なものを運んだことで京都
は大都市になれたと言ってもいいんじゃ
ないですかねここが京都の海の玄関湖と
書く海の玄関ですね大津市です京都市と
大市はお互いにすぐ隣り合っている県庁
所在地ですが他に全国でそういう場所って
あり地がすてのあまりにも密接な関係が
ある大都市のつりですよねでは京阪電車の
乗り放題切符はまだまだ使えますうお
すごい電車が折れて
いるこれも鉄道マニアとしては興味があり
ますがこれまでにも何度か訪れてきました
ね今日はこれぐらいにして京阪電車の乗り
放題切符はまだまだ使える区間がたくさん
ありますからねそれでは改めてこの辺りの
地形のご案内をいしますとから山駅を経て
山を越えて大津琵琶浜大津駅にやってき
ましたここからさらに京阪電車石山線が
伸びていて東方に行けば石山寺また西方に
行けば右寺などがありまもっと行けば平山
とかね色々見所のあるところです来た来た
来た来たなんかいいやが来たなまもなく2
番乗り場に参ります電車
はなんか普通と色の違うやつが来ましたね
これ昔はこういう色だったのかなコアボ
書いてあります2両編成かな行っちゃい
ましたねまここで大勢お客さんが降りる
でしょうかちょうどいい場所でしたこの
車両いつから使ってんの相当古いんじゃ
ないか石山寺行きです路面電車らしいです
ね最機がついていますお足元にご注意
くださいまそういうのを使うまでもなく
高成のブレーキを装備しています
けどすごい加速能力だこは
方い思ってる早いな路面電車って感じじゃ
ないのえこんなに早いのほとんどの区間は
路面電車ではなく専用の軌道になっていて
かなり高速で行けるようです明治時代いや
対象時代か対象時代の初期ぐらいからある
古い路線だそうですねそりそうですよ
ねもう電車はびっくりするほどキビキビ走
ますねでカーブになったらグイっと曲がる

ね協力お願い
[音楽]
ますなんだこの
電車滋賀県の電車はみんなすごいな次が
終点の駅目的地の市山ですえ上に何かあり
ますがこれ東海道新幹線の線路です現物語
発ののすぐ四実は新幹線が毎日
ビュンビュン通ってるんですねさっき僕も
通りまし
た駅を紫一色に塗ってしまったとは随分力
を入れましたねタガドラマの効果はすごい
スーツチャンネルも便乗しています駅から
テクテクお散歩程度の距離にあります
石山寺はここで紫式部が現時物語を描いた
という場所ですがいやこういうねもう門の
前に立つだけで心きよらかになるような
ところでよくあの世俗的な物語を作れたな
と思うんですけど
ね乳残量が大人1人600円かかりますが
ずらしのこれについていますこれをお見せ
すれば入れるそうですねそもそも石山寺は
京都の宮よりも歴史が古く奈良時代に商務
天皇によって作られた直のとてもすごいお
寺だとということでしてその名の通りと
いうことなのか石の山がありますけれども
くぐりはこれくぐっていいということです
かこれをくぐると願いがかるという言われ
ていますいいということだったらば
ありがたくくぐらせていただきましょうお
結構狭い
な行っていけないことはなさそうだ
うおおうさぎ跳びのような姿勢で真ん中の
方まで来ちゃったんでねここまで来ると
あのリタイヤもできないからよし
あでも景色が綺麗で楽しいところです
ね京都の都九州とはまた違った重きが感じ
られて昔の身分の高い人たちも来られたら
楽しかったでしょうあよかったちゃんと体
疲労があったもう1回くぐって戻ることに
なったらなかなかきつかったですねいや
とてもくぐれるようには見えないんです
意外になんとかなるもんです
ね大変歴史が古いこのお寺は建物も大昔の
ものが残っていまして平安時代のもが見
られますあこういう場所なんですね石山
石山だ滋賀県内京都府内をうろうろして
いると石山という地名はよく聞きますけど
あこんな立派な石の山があったから石山な
んですね名前の由来はこの石でまたご本尊
もこの石から作られたのだと書いてあり
ますじゃどっか削り取った後があるのかな
と思いましけどま分からないでしょうねご
本尊とか作ったのは相当大昔でしょこの
石山も相当大きいそうでまだまだ続き
向こうに見える本道もこれもまた岩の上に
立ってるんだそうですもう全部石山の上に
作られたお寺なんですねあこんなにすごい
とはあ本当だ今の建物は内人が1096年
に再建ということでまギリギリ藤原市とか
貴族とかの全盛紀がちょっと過ぎてるかな
ぐらいの頃だと思うんですが外側はねえあ
桃山時代に淀君があの整備したものらしい
ですそれもすごく古いですけどね建物の
基礎部分を見ると確かに基礎の部分が
ゴツゴツしていて岩が並んでいることが
分かりません本当岩の上に立ってるんです
ね紫祝部がここに滞在して物語を考えたと
いう現地の間があります国宝に指定されて
いましてこれ実際に当時紫シプが本当に
ここに滞在していた本当のそっくりその
ままのものではないはずですがというのは
紫シがここに来た後に焼けてしまったはず
ですが
ここに日本の歴史に延々に残り続けること
になった現地物語が書かれた場所を記念
するために古くから色々なものがわれ置か
れたようでして鎌倉時代の頃からはすでに
現地の間と呼ばれていたらしいという話
です内部の撮影につきましては遠慮させて
いただきたいですがこの内側へ入っていっ
た内人のところに平安時代の当時の建物が
今も残っているということです映像にて
紹介させていただける部分としてはえ
例えばこうした王道が立っていますが
こんな感じです
ね石山の上に柱や針を立てて今日の都でも
なかなか見ることのない石のお寺となって
います樹木を折りコケを抜き取ることを
禁ずるとのことですがこのさっき下から
見上げた天然記念物の石山の上に登らせて
いただけるだけでも嬉しいですねあここ
歩いていいん
だ山形県の山寺みたいな感じですねあそっ
か山形県は山寺でここは石の山なんで石
山寺なんですねなんかアスレチックみたい
なところですね次のあれは安山の腰掛け石
があるのはいいんですがここに入ってって
いいんですか高式の下に僕は男性なので
座るのは遠慮申し上げようと思いますが
ええ石山寺は結構入り込みに用なお寺
みたいですこれ面白いですね塔の向こうに
景色の開けたところがありまして紫式部は
あの景色を見たと言われていますここ
石山寺は横を流れる瀬田川のすぐ脇に位置
しておりまして高台から見下ろす景色が
大変美しいと古くから有名ですまず向こう
にいくつも高速道路や今新幹線なども通過
しているのが見えますがえここにかかって
いる橋があって若干塞がれていますがよく
見てみれば目の前には広い琵琶が広がって
おりましてえ向かい側の平山の方まで今の
冬の時期には平三の上に積もる雪の姿まで
美しく見ることができますそして平安時代
ぐらいにもこれちょうどねえ夜になると
向こう方面に月が出るようなんですけれど
もその満月の明かりが琵琶の上に移ってま
その美しい景色を見てえ大変素晴らしいと
思江戸時代にもね大江八景のうちの1つと
して浮いに描かれてま大変有名な景色なん
ですがこの景色を紫式分を見ておは名月
なり蹴りとしてここの現地物語をかけ始め
たと言われてい
ますいずれの温とにが尿こいあた云々
かんぬんみたいなのがあの現地物語の
スタートだと本当は小いは明月なりけ
りってのが書き出しらしいですねえそんな
月を見る場所としてここにありますのが
月見亭
です昔から身分の高い人もここへ登ってき
て見てたんでしょうねちなみにあの目の前
のとろにこの背が流れてますが琵琶湖と
背側は直結していてで琵琶湖から自然に
流出する川というのはこの背側1つだけな
んだそうですねだから琵琶と手前の背側と
の境界というのは実は地味に曖昧なところ
でもありましてで実はこの手前に見えて
いるここもちょっと細くなっているだけで
ここもまだ琵琶なんじゃないかとかねま
言われております水を流すかどうかとかも
あの全部このそこの先にある席のところで
決められるのでここのも普段は流さないで
全部止めてしまうということもできるん
じゃないかなだからま実質琵琶なんですよ
目の前のここもこの月見は原平カテの時に
有名ですねえ最初に立たのは小白川天皇の
良港の時に建てられたということですが
なんかその前のところにここも足元が
すごい岩場になってるんですけれどもこれ
ゴリゴリ削ったような感じがしますよね
これわざとここはもう全部石山なわけじゃ
ないですかでこの石山を削ってここだけ
ちょっと不自然にまったいらなってますよ
これもしかするとその身分の高い人たちは
ねここでなんかお茶会いかなんかわかん
ないですけどこ敷物を広げたりとか月を見
たりとかまイベントをやったりするのに
必要な場所で昔の時代に鳴らしたりしたと
かはないですかねまちょっと分からない
ことが多いと思いますけどまたその横に
建てられている他方島もえどうも1194
年のものだということでえ源の友によって
立てられたそうですがこうしたものは全国
で国が1番古いそうです実は滋賀県も相当
いいお寺が揃ってるんですよねここは京都
の都そのもではありませんがしかし京都の
都の人たちがみんな揃って出かける先とし
て1000年の歴史を持ってたと言って
いいでしょうねコケコーナーがありますね
冬でも綺麗だ大黒様が置いてあるんですが
これも石山の石で作っているんでしょう
ねすごいな作る技術もすごいな目元のシも
完璧だその大黒様が祀られている道の前に
はおみくじのコーナーもありましたみくじ
は30円でいいんです
か30円って言うと小銭をねどうしても
銀行に預ける時に手数料がかかったりとか
するのでお寺さんももしかするとかなり手
マがかかってるんじゃないかと思いますん
で相当な新設価格だと思いますよ石山寺は
人の多く訪れる名札ですからお寺周辺のお
店外も充実しておりましたでこれねお忘れ
なきよにこれも今回のツアーについてきた
500円分のクーポンです50000円分
のクーポンというだけではなくさらに
ソフトクリームもついてくるそうです2階
部分がカフェになっておりましたここの
高い建物からおおちょ新幹線が行きすぎる
のも見えます
ね昔の人の気持ちになって背側を見ながら
お茶でもして休憩しましょうメニューは
色々あるんですがメニューにブルーベリー
があったのでま紫式っぽくブルーベリーに
しようと思ったらみんな同じことを考える
のかブルーベリーは売り切れでしたカフェ
ラテにしましたでさらにこの半転の
チケットだけ返されるのでえこれを持って
いくとソフトクリームがもらえるとこれ
ちょっとあれですねこれだけだとソフト
クリームがもらえるかどうか分からない
状態になってるの面白いなさっきの喫茶店
だけではなくお芋屋さんとかですねプリン
屋さんとかで使うこともできましてその下
のプリン屋さんこれなんですけどあ結構
こっちにしてもよかったなソフトクリーム
も普通のバニラアイスクリームなのかなと
思ったらこんなのいい感じのほじちゃん
またはプリン味のソフトクリーム食べた
ことないいただきますすいませ
んずらし旅はのどかで楽です
ねま今シーズン的にもねオフシーズンなん
で特にのどかだあ垂れる垂れる垂れる
タイミングはずらさなくていいなあと最後
に紹介したいものはお手洗いなんですがお
手洗いのところにね横に書いてあるんです
よこの付近にみに多少便することを固く
禁止しますもうトイレまで来てあと
ちょっとのところに正式なトイレがあるの
にみんなここでしった人昔はいたのかな今
はさすがにないと思いますけどねあと石山
寺なのに横イラストは鳥になってますこれ
これもちょっとね突っ込みどころかなその
後京阪電車で1駅戻りまして空橋前駅で
降りましたここには日本の中でも名だたる
橋の1つ瀬田空橋があり
ます京都の街中鴨川を越えてその後東山
大阪山と援をして最初に渡る大きな川が
この背側ですつまり京都の東側にある最初
の南関ということになりますこの瀬田川
こそが京都の東側を支える1番の防御の
拠点だということで小田信長とかですねま
もっと昔で言えば多分小徳大使のちょっと
あとかもそういう風な時代からここは軍事
場の拠点として重視されてきたところだ
そうですあのよく言う言葉ですよね背側を
制するとそれは天下を制することだ言い
ますがそんな中で昔からかけられた重要な
橋がセタの空橋なんですが愛にただいま
工事中ああ本当ま仕方ないですよね大切な
世の空橋をいつのよにも残し続けるために
今維持管理の工事が行われるところです
いや横から見るとかっこいいんですけどね
この橋
はどんな交通も京都へ入るためにはこの
背側を渡らなければいけません今ではいく
つもの橋がかけられていますしかし見る
べきものはちゃんとられていますねえまず
ここに自動車がたくさんつって渋滞して
いるみんな白い車が多いようですけれども
渋滞しているというこの光景がまさに今で
もここが天下ならい重要な通り道だという
ことを理解させてくれますしあとはねこう
した義母というものが橋の飾りとして付け
られているんですけれどもこれが一番見る
べきものです江戸時代とかねえ非常に核の
高い橋にはこうした義星という飾りが
取り付けられていたんですがこの橋には
大昔の義星がそのまま使用されています
博物館にしまわれていてもおかしくない
ようなものが実際に設置されてるんですね
えこれはね昭和54年多分今の橋に更新し
た時のやつだと思いますがもちょ向こうに
行ってみましょう
か文字がかれて読めないちょっと次に行き
ましょうでこの義母にも相当色々ありまし
てえ物によって実は年代が違うんですよね
えこれがね大江の国瀬田橋と書かれてい
ますが結構はっきりした書き方ですがえ
明治27年今から120年ぐらい前のもの
ですか120年前とかでもすごいんです
けどいやとんでもなくすごいやつもあるん
ですねこれだったような気がするんだけど
なあこれは比較的読めますねこれはなお
古いわ
え文正って書いてありますね文正10何年
え虎年って書いてありますこのように飾り
の部分だけとはいえ大昔からのものを今で
も現役で使い続けているのです面白いです
よねでえここにはねえまた大江の国瀬田橋
と書いてあっていうこれは漢字が違うん
ですけれども明治8年とありますあこれは
明治8年に作ったんですかと思いきやこれ
よくわからないんですがえっとねどこだ
ここら辺にあこっちには名和9年って書い
てある江戸時代ですよねで大江の国世橋て
またこ書いてあるんですよなんかねこう
古くなったやつを作り替えてえこれ明治8
年え2月16日え作り替えて書いてあるん
ですけどなんここもねゼゼ上手えホンダ
なんとかとかこう書いてあったところに
無理やり上書きして背橋って書いてあっ
たりとかねなんかよくわからないんです
けど過去に一度作ったやつを作り替えたり
とかしてもう何回も何回もねえ上書きし
てるみたいなんですよねだから履歴が
ちょっとよくわからないんですが古いと
戦国時代ぐらいのやつもあるんじゃない
ですかねちょっと今回は時間の関係で
そろそろ行かないといけないんですが1個
1個この義母を読むだけでも相当楽しめる
昔からの幼少でしたやっぱ昔の交通事情に
よるものだと思いますが滋賀県も瀬田川
より西は京都間が強いですよねいつも新
幹線乗せて瀬田川渡るとさあ京都だという
気分になりますし
実際じゃあまた京阪電車に乗っていや
さっきの安が来ましたよ次の目的地右寺駅
の手前ビア浜大津駅からはこう見所ですね
え線路が左手に分岐しながら交差点を渡
っていく路面電車の区間となりますこう
いうのを併用気道と言いますが東海道の
三筋が奥につるのを見ながらそして反対
方向右手にはもう1本線路が引かれていて
いつ反対の電車が来てもおかしくなさそう
な迫力特によそ様のお家やお店の玄関先を
電車が通り抜けていくこの感じはなかなか
味わえないと思いますよこの辺りのお店を
訪れる時には出た後左右確認をして電車に
ぶつからないように気をつけましょうね
ずらしたのクーポン持ってくればこんな
面白い電車にも乗れるんですねこの
パンタグラフがでかいというのもちょっと
見所だと僕は思ってい
ますミー駅に着きましたここも見所が
たくさんのところです
よこれがミデ駅なんですがえ目の前の
ところちらりとだけ琵琶があるのが見え
ましたあっちが琵琶ですねでちょうどここ
に今僕の乗ってきた路線の橋がかかってい
てまた旧カーブの方から電車が現れたりし
ているとこですがこの橋の下にかかって
いる川
は第一素水橋という名前からしてお分かり
いただけると思いますが人口の河川
琵琶湖釣りから人口的に改作して明治時代
に作った京都の心大運河でありまして
こんな風になっているんです
ねここから大阪山東山と抜けていき京都
市内鴨川へと至る琵琶素水です琵琶の水が
実際にトンネルなどでここへ引き込まれて
いますこのトンネルはただ水を運ぶという
だけではなくこの水の上に船を浮かべて
通り抜けられるようになっていてえ実際に
今でも船が通りますねお客さんを乗せて
運行するということもあります昔は荷物を
運ぶためのま人力の貨物線みたいなのが
この中を行きかっていたのだそうです
しかしそれにしては水が少ないと思います
琵琶は東によって部締め切られている
みたいですね向こう側も締め切られている
んじゃないかなだここまで琵琶の水が来て
いますが締め切られているので京都方面に
現在は流れていませんよく滋賀県の人がね
京都府大阪府に対してそんな調子乗った
ことばっかり言ってるとお前たちが使って
いる母なる水琵琶の水を止めてやるぞと
いう風にま脅し文句みたいな感じで言わ
れる冗談なんですがところが有名な話なん
ですけどこの琵琶の水のえ明しをつってる
のは実は京都市の管轄なんですねここは
滋賀県なんですけれどもところがこの施設
はま歴史的な経緯で京都のものでありまし
てま実
はこれを開けるも閉めるも基本的には京都
市の自由ということになっており滋賀県に
は明けする権限はえ基本的にはないという
ことらしいですでもう1個琵琶湖から
流れるこの人口の河川ではなく先ほどご覧
いただいた天然の河川の背側もあるんです
が背側もえ席があって明けしめされており
ましてこれもねえ滋賀県でなく国が管轄し
て明けしめをするんだそうですですねそう
した面白い話を拾いながらやってこられる
のが京都や滋賀県西武の面白いところです
ねさて到着しましたここが右寺こと御上寺
ですまず立派な門がお出迎えですがこの門
は元々伏見城にあったそうですえお城から
一してきたんですかあの伏見城というと
徳川家康とか豊富秀吉が政治の拠点として
使っていたところですが元々は飛鳥時代
からの歴史があるすごいお寺右寺はまず豊
秀吉のの時代に一旦組織として解散させ
られたという経緯があるそうですすいませ
ん僕はね今ここで教えていただいたんです
けれども力のあるお寺だったようですが
理由は不明ですでえその後もミデを許して
あげてはどうですかいう風な話が出て最終
的にその後徳川家康がじゃあ伏見城のもを
ここへ移築して今の立派な表玄関になって
いるということなんですねつまりその頃
からの古いものは結構この先も残ってる
わけですね特にお寺の金が有名でです今藤
も豊富秀吉の性質の北の満所の時代に
立て直したものだそうですこの1599年
に建てられた近藤はもちろん国宝
ですそして空いています昔から京都の人
たちがここへやってきて力のある人たちが
住まい合成にしていったこのお寺ですが
今日の参拝者はま今が1年で1番空いて
いる時期だということもあるらしいんです
けれども100人ほどだそうでしてずらし
旅の趣旨にもぴったりですよやっぱりね
みんなまだ滋賀県方面っっていうところ
まで意識が回らないのかなもう京都と
ほとんど繋がりがあるというかねここが
京都だと言い切ってしまうことはできない
んですけれども滋賀県ですからとはいえ
一流のものが同じように揃っていながら楽
同等もしくは京都の街中よりも土地がある
のでむしろそれよりもいとにある立派な
建物を非常に落ち着いて見学することが
できますで内部は撮影は基本的に今回は
遠流しますがご本尊についての解説の部分
だけ紹介させていただきますご本尊魅力
菩薩は絶対の秘密となっていて図司に入っ
た外側の様子を私たちも配管できますが名
天皇の時にくだよりトした日本の仏教の
最初期の話をしています国来の物と伝えて
います日本の仏教の歴史の中でも輝かしい
ことばかりが書かれていまして以来
1304年にわたってご会長されたことが
なくまたこのミデは何度も焼き打ちにあっ
たりお寺を滅ぼされたりという危機に品し
ているそうですがそうした時になってもね
え緊急に避難できるような構造で格納され
ているんだそうですということで焼かれ
たりとかした時も何度もこの仏様は外へ
持ち出され南を逃れてきたと伝わってい
ます天字天皇はますなわち中富の鎌を
取り立てて藤原市の歴史を作り上げたよう
な人ですからそれはね藤原構も昔の貴族の

もすごいお寺だとみここに集まってくる
わけですよね今注目されている紫式部に
ついての展示もありまして通常はね撮影
禁止なんですがえお許しをいたいて撮って
いるところです紫式部ご本人がここに来て
何をしたかとかいうことはもあまりにも昔
のことで分からないんですがえしかし紫式
部の親族のあの腹違いの親族とそれから紫
式部のお父さんがここへ来てえそれで実際
にお勤めをされていたということがですね
ここに履歴が掲載されていますこのように
都に暮らした身分の高い方や藤原市のそう
した方々が来て実際に深い繋がりを持って
いたということが分かるわけです
ねつまり僕が言いたいのはそういう風にし
て昔から京都の人がもういっぱいここへ来
ていたわけですから京都のずらし旅として
滋賀を訪ねることは全然おかしなことでは
ないということですねえちなみにご本尊は
この中の図司に先ほどね僕も同じ光景を見
ましたけれどもえありましてそれから他に
も大昔からの平安時代と室町時代からの
大昔のたくさんここに守られてきた仏が
ずらっと並べられているのを見ることが
できますつまりそれだけ昔の人たちが貴重
な文化剤を守ってきたということなんです
よねまた織田信長による平山遠慮寺の野球
は有名ですがの焼き打ちによって略寺が
後輩してしまったのでミーラに制裁を貸す
のに兼ねてこのミデの建物を一旦遠慮寺の
方に一したそうですでここが全部なくなっ
てしまったのでその後豊秀吉の許しを得た
後からですねこの1599年には近藤が
また再建されてということでア桃山時代
終わり頃に建てられたものが多いという
ことらしいですよ昔から平山遠慮寺との
対立関係にあったミーラはあの今はね今は
もう対立関係という時代ではありません
けれどもそういう時代がかなり長くあり
ましてえその長い争いの歴史の中で右寺の
文化財が何度も比山の方に持っていかれる
ということがありましたえここにあります
のは日本を代表する重要な金でありますえ
弁慶がと呼ばれてるそうです重要文化財と
書かれています奈良時代に醸造されたと
思われる非常に貴重な金ですがここには
いくつもの筋上の傷がついていましてえ
これは引きずった傷だと言われているそう
ですでえこれはつまりその争いの中で比山
の人たちがここに攻め込みこの金を持って
これ2Tあるそうなんですけれども2T
ある金を力づくで持っていってえボロボロ
にした状態でエリ時まで行ったものをそれ
をまた円略時から後の時代に取り返したの
でえここにこう置かれているとのことです
そのまこれ江戸時代の時に書かれたものの
ようですけれどもえ伝説を絵にしたものが
ここにあります
こんな風に粗雑に扱われてしまったので金
はボロボロになりもう今これをゴーンと
つけるような状態にはないようですね上
からもぶら下げるということはなく大切に
置かれていますで伝説によればえこの金を
持っていったのは武蔵脂肪弁慶であったの
で弁慶が冷え山にいたのでえこれですね
右寺に攻め入りこの金を奪って冷え山まで
引きずりあげてついてみるといのいのと
響いたのでそんなに右た帰りたいのか谷底
へ投げ落としたと言いますだったら金が
いいのいいのとか言い始めたらさすがに
ちょっとかわいそうでね連れて帰ってやり
たいなと思うんですけどもそんな泣き方を
してそんなに帰りたいなら返してやるよ
ズドンて昔の人たちはなかなか凶暴だった
みたいですねその使用はできなくなった前
の金ともう1つ新しいものがありますえ
新しいと言いましても例によって右寺が
最高されたあも桃山時代の時の大変古い
ものでありましてえ一応日本で3つある
素晴らしい金のうちの1つだとかいう紹介
がされてることもあると思いますがま日本
のお寺の金といえばここが一番有名ですよ
ね大江八景のミの万象というのがあります
がそれでももう古くから大変有名な金です
そしてこのミデにやってきたら是非とも
やりたいこととしてこの非常に貴重な金を
なんと普通でお寺に行ったらば金はつか
ないでくださいと書いてあるもんなんです
けれども一般の人でも金をつくことができ
ますすみません失礼します
あの金にはつくのにやはりねえ技術がいる
んですけれども僕はお寺の金をつく経験も
ほとんどないですしちょっと恐れ多くて
ついていいのかなって感じなんですがえ皆
さん観光でつけますのでえ僕もやらして
いただきたいと思います行く年来る年を
イメージして素人ながら
いつまでもなり続けるのを聞き続けたい
ですね
今聞こえなくなったかなこのようになり
終わるまで非常に長い時間がかかって
ずっと進んだ音で聞くことができるそう
です1回
800円いいと思いますいい経験だと思い
ますよ相当大きいですからねこの大変良い
音がなるというお寺の金はまお寺の金を
聞き慣れていない人だとねえあまりまだ
違いが分からないかもしれないんですがま
僕もいい音だなとしか感じないんですが他
のお寺の金と比べて聞いてみると他のお寺
の音はあ意外とちょっとノイズが入ってる
なみたいなねえ金の義足の違いも分かって
くるそう
ですJA
[音楽]
[音楽]
T
[音楽]
[音楽]
[音楽]
[笑い]
ミデの形代の建物の多くが同じ時代に作ら
れていましてあ桃山時代の終わりつまり
江戸時代の始まる直前ぐらいに建てられた
ものが多く並んでいますが大体お寺の建物
ってね部分部分によってこれはいつの年代
でというのが違うんですけれどもミーラは
大体皆同じ時代に立った建物が並んでいる
という点が統一的でいいなと思いますね
この大きな鏡像は関ヶ原の戦いでおなじみ
のモ照本が地元の山口県から一したものな
のだそうです3の塔は徳川家康が豊徳川の
拠点であった伏見城にに立っていたものを
一したものでこちらはその復興の時代に
また立て直したというものこれが一際神聖
な場所なのだそうですというのはここは
天台州密教の修行のお寺でもあり明日から
もここで皇位のお坊さんたちがその資格を
得るための修行に励むことが決まっている
そうですがまさに修行の場所して現在でも
使われている密教の重要施設だとのこと僕
は密教についてあまりよく知らないので
密教の主いうのは何をしているんですかの
お聞きしたんですけれどもそれは密です
からえどうした修行をしているのかという
ことも基本的には分からないよう
ですじゃあ今日は終りにしましょうま滋賀
県に止まっても良かったですがおおお客
さんいっぱい乗ってるなあ大丈夫です
そんなに長く乗りませ
んこっから京都へ戻ります戻り方にも色々
あります前です
大津京駅に着きましたこれ結構お客さんが
降りていきましたね乗り換えの拠点です
からまそうですよね上から電車のゴトゴト
という音が聞こえますまこれ今日の終電
まで使えるんですけれどもとりあえず今日
はここまでか
な現在地大津橋は京都市と東山を挟んで
すぐ裏手のところに位置しまして本当に
京都まではすぐで2駅で行くことができ
ますちょっとだけ歩いての乗り換え大下の
開心の時代天治天皇がここに大津宮宮子を
作りましてそして駅名は大津駅とされてい
ますま平安教よりも130年ほど早くここ
に都が置かれていた時代があったわけです
からそれ当時からの飛鳥時代の立派なお寺
が今も残るわけですねまさに大津が日本の
首都であった時代の名残りが先ほど訪れた
右寺だったわけですね大津教駅の景色は
相当いいですねこの路線は新しい路線で
あり結構高いところを通るので高架の上
からぎっちりと兵長を埋め豊かな滋賀県
大江の家並を見ることができます美しい山
も並んでいて特に日本海に近い平三経には
雪が白く積もり冬の名物となっています
ねこの裏手京都市街との間を隔てる東山が
つっていますこれを超えていくのは極めて
大変なことのように思えますが実際には
電車はトンネルであっという間にここを
通り抜けていってしまいますその電車が来
てくれました普通電車ですね普通とは言い
ますが早いですよあと2駅で京都に着いて
しまうわけですから大津山科京都です
あんまり乗っていないなこれはいいです
ね次は山下山下です
でもトンネルとは大したものですよねあの
険しい山越は一体何だったんだという
ぐらいにあっという間に山絵そしてもう1
発トンネルを使って京都に抜け
ますこれ山科の景色も相当いいと思うん
ですよね正直昔はね山を超えるのも大変
だったからまこれ山の西側が京都で東側が
滋賀県ってのは分かるんですけどもう今や
トンネルができて一瞬で生できますんでね
もう実質琵琶の西側が京都みたいなもんな
んですよねこんな言い方ちょっと問題発言

な全然あの辺に行くの大変じゃないんで
京都の旅行にねこの世よりも東側のこの辺
を選択肢に含めるということを是非検討し
ていただきたいですねいや別に草もいい
ところだと思いますけどね現在京都駅に来
ていますが次に嵐山の方へ行ってまた
ずらし旅をやってみましょうここも昔から
平安鏡の偉い人たが訪れていた目的地だ
そうです嵐山方面に行く電車次は17時
58分がま今から出るようですがこれこそ
1本ずらした方がいいでしょうね18時9
分発の快速で行った方がいいですよもう今
ラシュ時間だから混んでるし快速の方が
乗車時間短いですからね観光地嵐山に
向かう電車も乗車位置をずらした方がいい
ですねここにアピールされていますが前が
空いています本当ですよ列車の後ろの方が
階段やエスカレーターに近いのでみんな
後ろの方から座っていくんですが前の方
まで行く人は少ないということで前が空い
ていますもっと前へ前へ
まこれはでももう有名かなみんな前の方へ
歩いてますよね今通勤の時間ですし今出て
いった普通電車は立ち客もいっぱい
いらっしゃって後ろの方は特に混んでい
ます編成も4両ですからね対するこちら
快速電車は8両繋いでくれているようだ
じゃガラガラだ絶対こっち行った方がいい
すよあついに1番前に来たな各いう僕も
京都駅のサイホーム1番前に来たのは
初めてですこんな風になってんだこれね
面白いんです
ここから先線路が完なんですよねここから
出ていく線路全部最終的にはこの場所で1
本に合流するそうですその関係でねちょ
どうしても昔から列車の本数を増やすこと
が難しいみたいなんですねでも10分間隔
で出してくれてんだから
ありがたい待いたしましたご乗ありがと
ございます快速
[音楽]
1本ずらして良かったですねもう座って
いけるし途中全然止まらないから体感の
速度もかなり早くま実際の速度もね相当
早かったですけれども佐賀嵐山行きに着き
ましたで佐賀嵐山というんですが元々はね
佐賀だったんですよねでま割と最近の時代
だと思いますが観光客への案内も兼ねて佐
が嵐山を付け出しましたまどういうことな
のかと言いますと到着した佐賀嵐山は桂川
または小川のほに一する町でこの北岸を
佐賀南岸を嵐山と呼びましたしかし
ほとんどの人たちはそれぞれを動している
のでまセックで差が山と言った方が話は
分かりやすいわけですというか単純に嵐山
という地名の方がなんでだか分かりません
が有名なんですよね嵐山の名物ビーフカ
山道を買いましょう京都嵐山中村屋さんの
広告が出ていますがこれ中村屋さんはここ
からすぐ近くにあるんですけども住所を
見ると右京佐賀佐賀と書いてあるんですよ
ね佐賀なんですよ本当嵐山でないんですよ
まとはいえ佐賀という地名もあまり知られ
てはいないのでえ一般の宣伝としては京都
嵐山という言い回しにしてるみたいです
一応ちゃんとね書いてありますお店として
は佐が嵐山に着いたらちゃんと真ん中に点
が打たれているのが重要ですねこの佐賀の
地は東側の大津石山と並んで平安時代頃
から後続貴族の方たちが滞在するリゾート
地のような場所として栄えてきたそうです
そのきっかけを作った平安時代初期の時の
天皇陛下は分泌に大変ならい方でこの場所
を選んで過ごすことが多くその後の繁栄の
きっかけを作ったということで佐賀天皇の
名前でで呼ばれるようになりました高校の
日本酒の授業で習いますね中学だと習わ
ないかなま平安時代には貴族たちから
どちらもねこの東側の大津石山も西側の
佐賀嵐山もどちらも観光地として人気が
あったと思いますがま現在はこの佐賀嵐山
の方が断然観光地間がありますこれは多分
ねここが京都府京都市だからじゃないです

ねあの昔の貴族たちはずっと京都に住んで
たわけですから京都ブランドみたいなもの
にはあんまり関心がなかったと思うんです
けどま今の時代の人たちが京都に旅行に行
くって言って京都府外に出ていくって発想
はなかなかま自然ではないのかもしれない
ですねどちらもいいところだと思いますよ
昔の貴族の人たちもそう思っていたと思い
ますそんな佐賀と嵐山を結ぶ橋が長海都月
教ですね京都に来てここは観光名所に入り
がちでしょうえ平安時代に人々がここは
遊びにやってくるようになって作られた橋
だそうですこの川辺に見るライトアップさ
れているあの山こそが本当の嵐山だそう
ですねこの景色を見ずに嵐山に行ったとは
さすがに言えなそうですまたいいですね
あえてライトアップをしていないの
でしょう夜の闇の中に浮かび上がる都月鏡
の景色もいいですしスマートフォンでえ
ちょっと写真撮ってみるか夜景モードって
いうので写真を取れば存在しない景色を
作り出すことも可能
ですこんな感じかな5秒待てばいい写真が
できると言っています
ね綺麗ですよね他にも何枚か写真を撮って
みました背景に嵐山を入れておくのが
やっぱり一番ト鏡らしいですよねこの
アングルが大体正解となるのかなと思い
ましたま正解ってっないんですけど橋の上
からの眺めもいいですよはるか遠くに京都
市中心部の景色が京都タワーを目印として
見えますがだいぶ遠くまで来たものだと
思い
これね多分遠くまで来ることもまた重要
だったんだと思うんですよね現地物語とか
読んでると平安鏡の中にここ代理という
場所がありますがこの代理の場所にみんな
貴族とか天皇陛下とかそういう方たが一緒
になって住んでいてかなり狭い社会だった
ようですずっとそこにいたらやになります
よね多分平安時代の人たちが佐賀やら嵐山
やら石山やら大津に出かけていくのも納得
だと思いますま実は今日の泊まり先は阪急
電車でやってきて阪急の山駅に着いた方が
良かったんですけどねすごくいい雰囲気
ですねあとなんか昔の京都らしい暗さも
兼ね備えてるのがいいと思います今日の
四角説はこの向かい側ですホテルドミイン
とか
間違えるとショックですよ夕食朝食2食
付きのプランですここに2泊実はスーツ
チャンネルで同じ場所に2泊するというの
はかなり珍しい
ですあいい
ねなん正直昔の貴族の邸宅よりいいんじゃ
ないいやそれは確実にそうか貴族の邸宅も
こんな豪華な建物じゃなかったですからね
鉄筋コンクリートだし館内は大変清潔です
ね新しいところなかないや新しくなくても
いつも綺麗ですけどね今立さんはここで靴
を抜きまして畳敷きとなっており
ます今立リゾートのいいところは我々の
求めるものをいいお頃な価格でたくさん
出してくれることですよね浴衣は好きなの
を選べます今日はね在庫は比較的少なめの
ようでえここの部分はなくなっているもの
もあるんですがでもこのホテル予約はし
やすかったですよあのいつも満室とかいう
感じじゃな結構こう予約入れやすいところ
だったのでえむしろ安心してね予約の時も
心配が少ないと思いました宿泊されてる方
は海外の方も多いしあと日本の若い方も
多いですね大学生ぐらいの方も多いかなあ
なんか昔のねあのヒカル源二とフツが
なんか面会する時とかに使ってる感じの
あのすれがあるじゃないです
かちょっとご所風なんですねはい失礼し
ます
ありがが香りはま普通によく清掃された
部屋の香りかなここにねお香が立ててあり
ましてこれは自分で火をつけていい香り
作ってくださいっていうやつじゃないです
か違うか
これあいい香りだうお心が違う状態になり
ますよねおこをかむとこちらは火をつけて
もいいそうですあそうですかまですがえ火
をつつける道具自体は設置していないよう
に見えますま多分あじゃあるからやって
みようてってこ慣れない道具を操作してね
火傷したりするってのは危ないと思います
から自分で持ってて使い慣れている人が
使い慣れてる道具で火をつつける分には
自由ってことなんじゃないですかねまだ2
泊しますんでね今日からねえ手に入ったら
火つけてみたいなお食事どころは素敵な
雰囲気でついたてが大きくなっていて個室
風ですなんですがその一番奥の奥の
コーナーに今日は当てがってもらいまして
今日は完全個室じゃないですか明日もそう
なのかな今回は取材で一緒にjr東海
ツアーズの皆さんと一緒に夕飯ですま僕は
ねそういうの大好きなんですけれどもいつ
もありがとうございますそれ以上に夕飯は
大好きですよねすいませんちょっと冗談
ですけれどもえ白えイクラサーモン色々
あるですねなんか京都に行ったらなんか
こういうの食べたいよねみたいなの
どんどん出してくれます2食
付きここにはお豆腐が入っておりまして
これも地元京都のお豆腐すいませんおおお
あこれが豆腐になるっていうことあ違う
この中に入ってるんですね開けていい
良かったなちょちょっとこあのいやいい
ですかこれちょっと触ってみてもすいませ
んあ入ってますねおおあこれは楽しみです
ね本物って感じがしますねことは婦系の
食べ物が非常に多いですねこれなんでなの
かなと思ってねえ調べましたらえ我らが
そうだ京都1行サイトに書いてありました
京都で食べたいお豆腐室で豊富な水に
恵まれることからえ
京都のえ豆腐の鍵は水と大半が水でできて
いて良質な水が欠かせません地水が
たくさんあり鉄分が少なくいい水が商人
料理との関係全習が広がり豆腐は肉類を口
にしない送料の大切なタンパ原として商人
料理に明水と商人料理が豆腐の発展を支え
たと言われるでしょそうす
ねいくら乗せていただいてなんかいいとり
をして食べる感じですねいただきます
そしてこの野菜なんですがなんか食べたら
ねがなんかだろうと思って食べたら全然
食べたことない味がするいやとても
美味しいですねこれこれ自分家の食卓に
取り入れたいこれは胸野菜だそうでして
京都では普通に通用している言葉だそう
です畑なという野菜なんですね他のところ
では滅多に見ないものらしいです初めて
食べましたね春の食べ物ですねたけのこだ
たけのこがメインになると思います今日は
あんまり気にしてなかったんですけどこの
三生の風味がついてジュレが結構美味しい
ですね
川魚のゴリの煮付けもありますまこっちに
ね海のお魚も届いてますこれ美味しそう
ですけれどもゴリは結構ね色々なところで
昔ながらの雰囲気を留めてるところには
こういうの出してくれるあるんですが
スパイスの味が美味しいですね生姜が効い
てんのかな京都はスパイスが美味しいです
よねうんやっぱスパイスのなんか種類が
色々ある気がする三生に生姜にわさびと
こういうのもありますねこれシソかまこれ
これもシソですねうまいすよあとね次にえ
湯などが届きましたそしてこれで鍋をする
んだそうですしゃぶしゃぶのような形で色
が変わるまであいいすねこういうのほ強力
リゾートってこういうの全部分かってくれ
てますよねこういうのがいいんす
よいいです
[拍手]
ねでタレも入れて豆乳で終わりながら
食べるとああこれですよあじゃあ塩でも
食べられるってことですねあと役とあそう
役薬味もありますからねあちなみにサラダ
もいただきましサラダはねイカがイカが
乗っとります続いて天ぷらを持ちいただき
ました天ぷらは1人あたり3つまで選んで
持ってきていただけるということになって
いますですがこれはねじゃあこの中の3つ
しか食べられないのかということではなく
実際にはその後も注文できるそうですだ
実質的に食べ放題なんでそうですねただ
初回の注文は1人3つまでとのこと天つゆ
もありますようおあこの波なってのは
なんか結構好きですねえこちらがたけのこ
ですたけのこの天ぷらってあんまりない
です京都で食べるたけのこめちゃくちゃ
美味しい山がいいからかな物がいいん
でしょうねこれたけのこかと思ったらイカ
じゃないですか立派なやつなんでね
たけのこだと思ったたけのこはどれなん
だろうこれね大阪の串カと一緒に分から
ないんですよこれがたけのこでしたねち今
衣をねわざと取り外してみたんですけれど
もサクサクプチプチちぎる楽しみがあり
ますね鍋には塩というオプションもあり
ますこれこれもいい塩ですよね天ぷらは
早速追加注文しましょうJR東海ツアーズ
と観光有株式会社のえ注文
内容力強い注文だ全部3つつ総勢15個
届きましたその他5種類のお万歳も実質
もい放題ですまた油を注文してしまいまし
たご飯と味噌汁に至るまで特別揃いにして
いただきましたいいですよねこれ先ほどね
混ぜてよろしいですか桜エビを混ぜて
いただいて作っていただいたんですねタ服
食べてフロントへ戻ってきましたそして
ですねえマッチをいたいてまいりましてえ
どうも喫煙のお部屋もあるようなんですが
まここは金エスですがおこを炊きたいので
マッチいっぱいあります
ねおこ火つけんの難しいですねあ大丈夫だ
おお見事に燃えて
いるいい香りで眠りましたおはようござい
ます今日雨かちょっと雨降ってますねこの
後ね良くなるのかな朝ご飯の並びを朝から
豪華ですお魚が紅白で2枚もあるんですか
でそれから昔の牛肉文化が入ってくる前
ぐらいのね鶏肉とカモ肉とお魚中心の
メニューだやっぱ漬け物が普通と違います
よね美味しいですよね全部食べたくなっ
ちゃう全部食べようかな焼きのりもあり
ましたドミンの焼きのり
です日本人にとってはいちいち廊下を歩く
前に靴に履き替えたりスリッパーを
引きずられなくていいというのは楽だ嵐山
はまあまあの雨が降っています雨つったら
普通は嫌なんですけどね今日に関しては
相当も嫌ないですよ雨なのでバスで佐山駅
までまた歩いてきましたが今日は小川下り
よいやります川下りは雨が降ると水量が
増えます増えすぎると結構になってしまい
ますが今日はこのぐらいならやれるよう
です現在地佐賀嵐山は京都盆地の生誕に
位置しておりましてちょうどここまで流れ
てきた桂川がここで名前を変え都から上流
方面はしばらく亀岡まで険しい山の中の
区間となりますこの小津強と呼ばれる名前
を変えた細川を亀岡から流れ下るていくの
が定番的な観光のやり方です京都から平穏
な景色が続いてきたんですがこっからは
一気に荒くなるわけですねあそこを船で
抜けるなんて楽しいですよねでそこまでの
アクセスにはJRの一般の電車を使うこと
もできますここから先小川の渓谷をズバン
ズバンと貫くような形でJR山陰本線が
通っていますしかし1980年代までこの
山陰本線はローカル線のような雰囲気で
谷側に沿うような形でゆっくりゆっくりと
走っていました昔と今とで線路が全然違う
んですね昔の線路は1度配線になったの
ですがディーゼルカーがごとごとと音を
立ててゆっくり走るような感じだった古い
山陰本線はもう必要なくなって配線になる
かと思いきや京都市街市からも近い空行
名尾の観光路線としての活路を見出され
そのまま現役続行今でも人気のトロッコ
列車として運転が継続されています今の
会社面は佐野観光鉄道ですねえ今日はね朝
の9時の便が運休となってましてえまだ3
月だからでしょうね10時2分からの運転
です1時間に1本程度ここがその佐野観光
鉄道のトロッコ佐駅です2024運転開始
とありますが冬の時期は運休しております
のでえそこら辺を調べていただくといいと
思いますあとね水曜日も運転してないはず
ですで今日はまだ3月で14は比較的
少ない時期だからでしょうねえ朝9時から
の便もあるのですが今日はそれは運転して
いません10時から1時間間隔となってい
ますさらにこの駅で小川下の線券も一緒に
購入することができますでトロッコもいい
んですけどねせっかく新しい電車も古い
電車も2つあるわけですからじゃ両方乗っ
てみりゃいいんじゃないかなと思ってね
まず新しい電車で途中まであこれどっちが
いいかなこれ青いやつだね昔関西空港に来
たやつなんですよこれ一緒なんですよね
観光鉄道と現役の線路でねこれ合流して
くるんですよこれこれこれ一緒なんです
よ今日もjr西日本をご利用くださいまし

ありがとうござい
ますでちょっとするとまたその線路は観光
用のものと別れてお互いに小倉山に
突っ込みますここから山道の始まりです
昨日はね高架線から楽中を見てボンチだな
ていう感じ広い景色を見て佐賀嵐山に着き
ましたが嵐山から景色が変わるんです
ね電車信じられないほ早いんですけど
時折り渓谷の上を一瞬だけ渡りその一瞬
だけ警の景色がパッと開けずっとトンネル
の中を走るという感じになりますそして
このいかにも通勤電車みたいな感じのこの
車両は今からすごい駅に止まり
ます有名な小津京駅に着きましたすごいす

これ京都駅からちょっと電車に乗ればこの
景色いいですね雲が立ち込めている雨の
景色もあ前に来た時より水が多い
わ京都駅からやってきた八両編成の電車が
もうこんなですよ
おお世界に来たよう
だ佐賀天皇もこんな経験はしなかったです
よいい時代に生きてますよね我々もこれ
普通電車かな電車もね結構いっぱい来ます
通過電車もあって通過する時は怖いです

すげえこのホ教駅はもうJRの制度でです
ね切符の制度でえ京都市内の駅として含ま
れていましてここが京都市内の駅がよ京都
って色々あんですねえちょっと雨が周りが
全て雲に取り囲んまれあそこになんか山道
がこんな凄まじい環境にもう道路もまとも
なのがないですからねうわあなんか音がし
てきましたよこれ快速電車も来たわこんな
ちょっと怖いからね
みんなここを通って通勤してるんですよね
京都まであそしてこの駅の見所としまして
は昔の山陰本線の線路もあそこに崖に
へばりつくようにして走っているのが
見えるということ
です昔はあっちをね多分60km70km
とかせそのぐらいでごとごとごとと走って
んですね今でもそこをトロッコで走ること
ができますじゃあ行ってみましょう実は
この駅はま一応乗り換え駅でもありまして
ここから歩いて15分ほど行きますと
トロッコ列車の駅にも行けるんですねうわ
すごい景色
だ今はこの山に穴を開けて昔はこの向こう
に見えていますあそこの崖にへばりついて
ここからこうこうこうこう抜けてきたん
ですねえっとねトロッコ駅は確かあっちに
あんのかな道案内も多分してくれてるん
じゃないかな15分ほど歩けば着きますあ
京駅こんな立派な駅舎がちゃんとあるん
ですねえっとも対応だ自販機まであるここ
に自販機を補充に来る車もたまにやって
くるということですねえっとも無人駅
です駅前広場が必要以上に広いような気が
するんですけどどうもこの辺の険しい渓谷
に鉄道を新しく建設する時にここが建設
拠点になってそれを流用してるみたいです
ねああの橋を渡っていくの
か誰もいないすよずらした所じゃないわ
チャンネルは普通にやってるだけでずらし
たですからね
正直でえっとここからね剣道に並行する
ようなんですけれどもこれがその山陰本線
とぴったり横を行く唯一のこの谷の剣道
らしいんですよねやばいなこれこれ大丈夫
なのか落石とかちょっと雨降ってるます
けど早く通り抜けよう
ま最近崩れた後はないのでね大丈夫だと
思いますが
うわ谷の深
さ状況はまちょっとあんまりいいところで
はないと思うんですよねあのみんなが京都
の旅行に来る時にここまで来なくても
大丈夫だと思いますが晴れてる時なんか
いいかもねあとは動物に気をつけ
てすげえこれ差が荒らしたものはあの賑い
から1駅でこれですかああっちがホ強駅ね
こ見えるんだでもちょっとなんか色々崖の
崖の何崖の突起に注意はいはいはいはい
落石にも注意ですね一応大いをしてくれて
ますねうわあ僕の通ってるこの道はいつ
作ったのかな多分明治時代とか昭和所ま
山陰本線と同じかするよりちょっと新しい
ぐらいの歴史があると思いますうわ世の中
スリル満点という言葉があります
けどそれははかに上回っているじゃない
ですか
も全くさっきまでねあ誰もいないと思っ
たら1人歩いてる方がいますねいるんだな
誰もいない鳥の中に電車がやってきて僕と
電車がいるこの時だけこの谷に大勢の人が
集まってるんですねみたいなこと言おうと
思ったら普通にカスさして歩いてる人いる
なやっぱ京都なんですね人とすれ違うとは
思わなかった贅沢なことにこの電車の線路
そして昔の列車の線路この谷の下の川全部
を楽しむことができますよあ何こんな
トンネルとこあんのあ昔はなかったんです
ね昔はこの外側のところこう崖そいに行っ
ていたんですね雨も避けられて快適だいつ
のトンネルか
な何々水道ま右から左ですからね多分戦前
のやつだと思い
ますこっちが大元の道なんですよね分かり
やすいねまこ感じの道とはいえ15分
ぐらい歩けば目的地につつけるんだから楽
ですよねはい着まししたこれが小津駅です
信じられん昔はjr西日本の駅だったん
ですねこれがねというか今もあの線路の
設備はJR3位本線なんじゃないですかね
釣り場を渡っていく駅なんですねここから
でもご乗車できます1番最初のトロッコは
10時13分です
ね元々駅前にお店とかが色々あったのかな
あそうみたいですねとがありますいつの
時代からそのままなんでしょう
[音楽]
ねこれも古い釣り橋だ戦前性のやつ
でしょう
うわあ
素晴らしい佐賀嵐山から1電車に乗って
15分ばかし歩いただけでこれ
かあめちゃくちゃいいところですねそれは
そうなんだけど知ってましたよそういう
場所だっことはでこを後で船に乗って
くぐるわけです
ねこんな狭く荒々しい渓谷をよく船で
通れるな思うんですけども江戸時代から船
で通れるように改造工場を行っていたので
今でも通れるんです
ね満席の場合はご乗車いただけませんあ
そうなんですねま今はねえ換算機なんで
平日で大丈夫だと思うんですけどちょっと
事前に佐駅できっと買っといた方がいいの
かも
なこの駅はJR本線時代からずっと使われ
ているところですがあここが元々のこの1
段低いところが元のプラットフォームです
ねでここは後から増設したんだ昔はね線路
が2つあったはずですよほらあそこに当時
の保線橋もあり
[音楽]
ます乗り込みましてからは進行方向の右側
がしばらくいいと思います上の方を
見上げればいやあがさっき歩いてきた
ところなわけですよねガードレールが上の
辺りにちらりてらりと見えていますが
あそこを歩いてきたとはとても信じられ
ません奥に見えていますのが先ほど最初に
降り立ったjr西日本の小強駅ですあの橋
の上に設置されていますさっきのあの佐賀
嵐山の賑いから一駅お隣でこの景色になる
のですから本当に信じられないですよね
谷底の厳しいところを行く昔の山陰本線今
走っている明治時代の線路も今の時代の谷
をトンネルでズバッと抜いてしまう新しい
線路もどちらもすごい迫力だと思います
両方楽しめるのは最高ですね横に見えて
いる小川は随分浅いようですけれどもいや
よくこの浅いところをねこの後通るわけ
ですが船で通れますよね江戸時代からそう
いうことができるようにしていたようです
またこの観光鉄道をたる昔の山陰本線は
このようにトンネルあまり作れないため川
に沿うような形でまほとんどトンネルなし
で走っていますが一方で新しい今の山陰
本線はもうトンネルを掘り放題の新しい
技術を採用し谷の間ちょっとだけ橋を作っ
てねこうズバっといきなり谷の間に時折り
出てくるという感じになりますですから
もう距離は昔の線路と今の距離の線路で
全然違うわけですよねもう半分以下になっ
ちゃったんじゃないですか
[音楽]
駅に着いたらバス乗り場にすぐ行けるん
ですけどこの何このレンガのやつこれ本物
か昔山陰線作ったやつですねイギリス済み
のやつだ貴重な通路じゃないですか
本はス
ござい元々は木材とか解散物を流して下ら
せていたんですよねでも明治時代ぐらい
から観光のやり方になりましたこれ有名
ですよねえ元々はもう下へ置いていった船
をまた上に戻さなきゃいけないので人が
こうやって頑張って引っ張って持ち上げて
いたんですね4時間かかったそうですと
いう4時間でできたんですねえ今は
トラックで行けるようになりましたと説明
されていますでこの明治時代とかそれ
ぐらいから始まった観光は大変人気があり
ましてすい
エリザベス女王も乗られましたイギリス
王室の有名人みんな乗ってるじゃないです
かチャールズこは乗ってないのかな乗れば
いいのにねさっきのトッコ列車の終点に
なっております亀岡は山の険しいところ
小強の区間を全部過ぎましてま結構広く
なっているんですがこの広々とした亀岡
からよいしょ失礼します2列目でいいか
なこっからさっきの恐ろしく狭い区間を
通り抜けてまた広いまで降りてくんですね
面白いですよこれそれでは佐山までの川下
に出発ですこの船は乗組員さん3名によっ
て運行されています川底をつく手を振って
くださっている方と貝で船を進める方
そして千美で家事を取る方の3名が乗務し
ていますこのように動力なしで運行して
いるので本日のように水の増えている時
増水の状態になりますと特に船は早く流れ
ていき見応えのある乗り心地になると思
思います一切の動力なく運行されるこの船
はつまり川の水位が高い時ほど早く運行
することになるのですということで確かに
船底のところにも水が通ってるのなどが
見えています
ね新橋四国などでよく見られる有名な橋に
差し掛かりました増える時はこの橋の上の
ところまで水が上がるということもあるの
だそうです安全対策については例えば非常
に高性能な救命同意に交換がされ水に
触れると自動的に膨らむものになったそう
です前は紐を引っ張って膨らませる方式
でしたがそれよりもさらにいいものに変え
たとのことでし
たこの辺りで右手側を見ると騎士が低く
増水すると右側は沈みそうです一方左側は
騎士が高く沈まなそうな景色です400年
ぐらい前からはここから船が出ていたそう
で地名は小浜と呼ばれているそうです広々
した景色はここまでで行くよこデンジャー
ゾーンジャージーゾ
お前に乗った前に乗った時に波の立ち方が
違うもんねたくさん入ってきてい
ますトロッコの運行会社とこの小が地の
組み合いはま基本的な繋がりとか何も関係
はないんですけどもお互いに手を振り合う
ということ
下の方を鳴らしてくれることがあり
ます明治時代ぐらいからこの辺はこんな
感じだったですね上は山陰本線のお客さん
が下は川の観のお
客岩と岩の間が船が通せるように空気を
読んだような感じで隙間が入っていますが
これもわざとですよね400年ぐらい前
から岩と岩の間を切り裂いて通れるように
したそう
ですそうね軽に
わなんか右手側に崩壊した石垣が落ちて
ますけどこれ昔のサイ線の線路が崩壊した
のがそのままになってるんですね大昔の
災害の跡があちこちに残ってい
[音楽]
ます大嵐の時にこの辺の崖がれて直し
ながらですよ
ね天さんは船が岩に続しないように見張り
ながら位置をコントロールしてると思結構
通れる場所は狭いです
ねあなんかも壊れた道路が中に浮いたよう
になってますまそれはちゃんと直したん
でしょうご案内によりますと給料として
1番長く連続する区間がこれからだそう
ですしばらくの間激流が続く体験をする
ことができます見所の1つです
ね水が多いので特に見応えがあると思い
ますが先頭さんたちにとってはここは危険
箇所となるので左右よく目を凝らしながら
船がぶつかってしまわないようにかじ取り
竿をさし様々な方が全身前例で安全を確保
している姿を見ることができます江戸時代
頃からこうした滝の間を改作するような形
で激流の運河を通すというのがこの辺りの
やり方だったわけですねそれを今でも昔と
同じように楽しめるというのは大変贅沢な
体験で日本で他にこういう場所というのは
そうはないと思います
タちゃんベスト
ポジション先導さんたちはガイドをし
ながら安全の確保にも売出されています
流れの緩やかなところで先頭さんが交代し
ますさてここで左手奥の方を見ると石の裏
にももう1筋船が通れそうな場所があり
あの奥は江戸時代明治時代頃までは使って
いたようなんですが現在は使っていない
ようですま石が多すぎてちょっと確かに怖
そうなところですからねそして昔はも輸送
量が多かったかもしれないですよねそう
するとあの奥の方も船を通せるようにして
おく必要があったんでしょうこの川も
インフラですから手間をかけて維持をし
なければならないわけで今でも石の撤去と
かを行っていると思い
ます15m折れ曲がるとこだといい
ますあれが
Jだから竿をさしても意味がないから竿の
方はおどうするの15mですよ

あにはあるんだなけるところが水深の深い
ところでも時折り岩があるようでそこを
場所を覚えてらっしゃるわけですよね全部
ついて船を進めていくささの方のご活役
ですちなみにこの川を下っていった船昔は
反対側に引っ張りあげて回送していたよう
です船に紐をくくりつけて登っていく川を
遡る作業もぐやっていたらしく当時の人た
はこの岩の上を歩いていたのだと言い
ますお注意ここに丸が沈めてありますあ
なるほどねこれ整備を行ってるおお
おに乗り上げないように注意して
ください江戸時代とか名代も別の形でああ
いう式が色々あったんでょう
ねりたJRのに到達し今そこをくぐってい
ますこの場所の真上にさっきのJRの駅が
あるというのもすごいですまたちょうど
この真正面のところに先ほど歩いたあの
細い道があります上のところにちらっと
映ってるの分かりますか
ねここで一気に川が曲がるので火事を切っ
たり貝を漕いだりしてはキュっと向きを
変えました見所だらけですよこんなすごい
ところに駅があ大体くところが決まってる
そう
さんは力とかの狙うべきポイントがある
そうですも
ねねでこの辺は岩が
ねぐる余裕がある間なんですねサービス
ですね
謎の階がになるトロッコ駅の近くまでやっ
てきましたこの辺りから見ていただくと川
の岸のとろに石垣がしっかり詰まれている
のが分かると思いますまこれがさっき言っ
た昔下っていった船を逆側へ改装するため
に人が3人がかりで体にツを括り付けて船
を頑張って何時間もかけて持ち上げていた
という帰り道の名残りなんですね確かに川
の騎士はちゃんと人が歩けるように整備さ
れていた後が伺えます
一番いいところでトロッコと交差ホがを1
回だけトロッコが通過する場所があります
がこの大昔に作られた古い鉄橋のところで
ぴったり交差することができました機関車
が後ろから押していくバ運転の方式になっ
ていますこの鉄橋も明治時代に作られた
古いレンガの構造がそのまま残っているの
を川から見上げることができ見応えもあり
ますそろそろ最後の給だと教えていただき
まし
左手にはあっちも昔船が通ってたんじゃ
ないかなという場所の後みたいなのがあり
ましたがここを今は使ってい
ますやっぱり幅が狭いです
ねしかしもう前方さっきまでは山が空の
ほとんどを覆ってしまっていたのがだいぶ
空もすっきりとま開いてくるような感じに
なってきまして佐が嵐山の町が近いという
ことを感じさせ
ますここで左手を通る山陰本線の線路の
基礎の構造物部分を見るとま石垣で固め
られていますが昔の鉄道はねコンクリート
とか使わず石垣だったわけですが結構その
石垣がまだまだよく残っていて見応えが
あるところですね不がありますその後嵐山
が近くなってきますと左手にいくつかお家
がこれは随分静かなところに昔の身分の
高い人たちの藤原市の石関系ヒトこの駅の
別荘だったそうです元々総理大臣で戦争中
に名前も有名になった人だと思いますこの
首相の別荘だっったそうですねといった
ところを過ぎましていよいよ街の争から
少し離れているようなところを抜け
て対岸に嵐山を見て下仙場に着きました船
はこの後指定の回送場所がありましてそこ
まで送られますあこれが家事だったんです
ねましすごくよく聞きましたよね嵐山は
背後に来たこの場所でついに
跡が設けられていましてここから先船が
下ることが物理的にできず峠橋の手前の
ところが終点となっているわけですねなお
この席の向こうのところにこう小さく船が
通れる場所がありまして以前船で日本一周
のシリーズで紹介したんですけれども
こんな感じでトラックで持って最後は
クレーンとトラックで引き上げてまた船を
上流に戻すという作業を行っていますこれ
も見所です今日ちょっと雨で濡れちゃうん
だそっちまで行かなくていいかな今日は
水流が早かったので1時間30分ほどで
到着しましたがこの到着した場所からお
昼ご飯を食べるために移動したいと思い
ます津屋さん駅周辺は混んでいましたが魚
には本当に素晴らしい場所がいくつもある
んですよねえ今回はここまで車で連れてき
ていただきましたがここが佐賀鳥とか僕も
初めて来ました今回の趣旨はずらし旅です
けれども本当に素晴らしい建物が並びつつ
あまり観光の人がなぜか来ていないさっき
ねえロンドンからいらしたという方と
すれ違ったんですけどももうそれちょっと
道案内などしたんですが本当にそれだけ
です
ねこの先に赤い鳥居が立っていてその鳥居
の下にある町なので佐が鳥居本というそう
です昔ながらのかぶき屋根が並ぶ国の充電
券に指定されたところだったかと思います
この先に赤子山って山その上に神社があり
まして昔そこへ登っていく人が大変多かっ
たそうですその手前にある今は食事できる
ところや宿泊もまだあるのかなというよう
な建物が並んでいるところこんないい
ところで静かにお食事ができるなんて京都
でなんでここが人でいっぱいにならないん
でしょうね本日食事をさせていただくのは
あの宿つやさんですちょうど先ほど注文を
させていただきまして煙があのかきの上の
隙間から出てきますよこんないい景色が
あったんです
ね実は前から知ってはいたんですが
ようやくいい機を得て来ることができまし
た傘もねこれ貸していただいてるんですね
素敵なところですよなおここから剣道50
号がこの左側ですか分れていくんです
けれどもこれを進んでいきますと先ほど
小方駅の辺りで歩いたあの狭い道に至り
ますもちろんあご神社にも至りますその
手前のここでお
食事お食事のメニューも非常に高級なもの
から比較的お頃なメニューまであります
よ今回はjr東海ツアーズさんと決して決
してjr東海ツアーズさんのご協力も
いただきお昼から海石料理を食べようと
いうことになりました靴は先ほどここに
脱がせていただいたんですが知らぬ間に
片付けていただいていますね失礼し
ます1番古い玄関の部分は400年以上前
に立てられたのだそうでここはここでここ
はその400年前の部分ではありませんが
イ野口さんに発注して作ったものなんだ
そうですね食前地から順々お持ちいただい
ておるところですがえこれがまずねえ梅
そうです梅の実より梅の話がします
突き出しからもこんなにいいやつないや
それねあの外観とあの親切な皆さんからし
ていいものが出てくるってのは想像に固く
ないんですけどいいウですねこれこれオス
のウかしっかりしてるこう食べごたえの
あるバージョンですね柚やウニやその他
解散物の香りが合いますねこんなに合うん

か下の緑色のアは名の花だそうですこれ
これハグかこれこんなに立派なんですね
いや色々僕もハグねいただく機会もあり
ますけど今まで食べたやつで一番立派だな
ま僕もね美味しい料理散々食べさせて
いただいてますしあの向側にJR東海
ツアーズさんも一緒にいらっしゃってるん
ですがまみんなねいろんなこう出張でこう
食べる機会あると思うんですけどみんな
うまいうまい口口にうんもう全てに圧的に
手間がかかっていますよね名の花をここ
まで薄くスライスしてたくさん入れてくれ
次はですねこちらですえのこと上はウとそ
からカスを会えてくれてるんだそうです
ねこ三勝とかのこ組合せのうわすごいな
なんすかこれなんかねこういう言い方し
たらちょっと比べるのは失礼な言い方な気
もするんですけどあのものすごくパラパラ
でね1個1個があの分離している様はうん
なんかマクドナルドのフライドポレット
みたいなそういうこうパラパラ感があるん
ですよ物はねそのそれよりも非常に繊細な
味ならもちろんそうなんですけど説明でき
ない美味しさですね今までに感じたことの
ない味覚を提供してくれていますやっぱ
この混ぜ込まれている京都の色々な
スパイスがあるからね柔らかい竹の子
しかし歯ごたえがあってそれに今までに
嗅いだことのない香りと味覚が加わります
本当に美味しいですよ説明の言葉の力を
超えているっていうだけでねご飯に青く
混ぜ込まれているのは木の目だそうです
スーツチャンネルもこの季節感に見習わ
ないといけないよ
[音楽]
何が素晴らしいこの皮がねお刺身みたいの
美味しいですねこれだけで食べたくなっ
ちゃいますよ続いてもまたすごいのが来
ましたねえまず薬から行きますか薬味だけ
でもねのとこれは花わさびというのがある
そうですね上に散らしているこれは何のお
花か僕ちょっと共用がなくてね分からない
んですけどそれからこのネギも大変細か切
られたものがあり上にかけられている
ソースはこれはフグの白子のソースでえ
このメイン中に入っておりますのがフグの
小目を炙ったものだそうですそして1番下
にはポン酢が敷かれているということで
いやどれだけ途方もない手間がかかってる
のかなそれをねえ今
から開封させていただきますがフの白子を
ソースにするんですねああああもう完成さ
れてるじゃないですか
[音楽]
圧倒的な噛み応え食べ応えですよこうした
素晴らしい料理を食べ続けてお腹いっぱい
になることができるなんて幸せだと思うん
ですなお皿も美しいですよね余白を多く
残したこれありた焼きですよねえ裏側を
変えさせていただくと失礼ながらはいあ
かきえもん書いてありましたこのかきえも
は皆さんご存知のjr九州の7つとかでも
ねあの車内の内装品に全部使われてまま
そんなことを言わずとももう日本の古来
からの最重要輸出品でもあった時代もあり
ます人間国法の方の作品ですね不動の
メインはあですよねえ本来今シーズンでは
ないのですが特別に仕入れていただきまし
て本当にすいませんありがとうございます
ここはあの宿ツヤということですねこれは
ねえ料理があゆあの料理が名物の宿泊施設
という意味ではなく昔この上流の方で小川
で取れたあを5書に献上するという時に鮎
の水を一旦ここで交換して休憩させた後に
また5所へ持っていくということであが
止まるところだからあの宿なんですね
すごいこういうのはねま京都に行けばこう
いうことをされてるところてあるでしょう
けど僕みたいなやつがここを取材させて
いただけるともう中からたけのこの香りが
炭がもうすでに入れていただいてあります
が湯も小などの天ぷらものももう全部いい
具合に仕上がっているのでお好みでどうぞ
となことでしたあ軽い
ね昔佐野に集まっていた貴族や皇族の方
たちもこういうことをしてたんです
ねそういう場所ですからここ
は僕は別にそのね家族とか貴族とかそう
いう生まれではありませんけど平民生まれ
ってのもいいことですよねこれ特別な体験
としてうわこれはすごいと感激できるのも
いいことです
スーツさんどっか京都のいいお店知らない
ですかって言われたああそれならもうサの
一番奥に行ったつやさんがいいですよ
そんなこと言えたら周りからの尊敬を集め
そうですよねここを知ってるなんて
すごい一々に紹介したら一目置かれるよう
なところだと思いますこういうのも計算さ
れてるんだと思うんですけど炭が下から
ほかに温めてきてこのたけのこは常に熱い
状態ですしかし熱いと言っても熱々では
なくこのまま口に入れてえけしてしまうと
かそういう心配もありませんちょうど良く
なっています
うん完璧
[音楽]
や続いては大牛です出ました大牛最高です
ね日本の誇るね有名な牛肉って色々あり
ますけど神戸ビーフとか松坂牛牛ここら辺
じゃないですかこれそのまま食品サンプル
にして自分地に飾っててもね来るお客さん
からの超得そうな美しさあんですなこれは
しゃぶしゃぶということらしいですえ
さらに横についてもうこれだけを見ても
京都を感じるのにはぴったりですがチリと
おっしゃりましたねえ京都のスパイスです
よね大根おろしやえポン酢のようなものこ
会えられた特別な味のするものだと思い
ます嬉しいですねん肉が絨毯みたいに
柔らかいです本当そんな感じですね食べた
ことのない味ですねいろんな肉料理を食べ
てきたはずなんです
けどこれも
なんか最適化された味
だ僕ごきがこの素晴らしい料理を評価する
のもちょっとおこがましいことなんです
けどいや本当ねこの細かく入ったネギが
あるのでこれを少し口に入れると遠くで
ネギの音がするんですよね噛むとね
うん今回の旅行の1番の思い出はこれに
なりそうですがまだ分かりませんよ明日も
ありますからねこれは何かなとこれ三勝
らしいんですよ三勝の要はつぼみつぼみと
かなのかなこういう味がするんですねお花
なの

大コケないなと思いましてあよく考えたら
まだお梅が残すたそれもに飲み干しました
もうそうしてしるべきです全部美味しい
からねさて石料理といえばにご飯こおつも
があいい綺麗ですねえいただけますけれど
もこんなに美しいお鍋で炊いていただいて
中身はこいうですね
え当然ですが葉っぱ1枚残さずに頂だいて
帰りたいですね春のたけのことウナも合い
ますねいやあと参照もま全ての合うんです
けれども昨日はうに合う卵焼きを食べ今日
はこんないいものを食べその合によく入っ
ているこの歯ごたえのいい食べ物は何
だろうなこれはね教えていただいており
ますこれはアワビアワビだそうですおけに
至るまで普通じゃないですよ何ですかこれ
これこれね何なのか分からないんですよね
非常に歯ごたえのいい多様の多分僕の知っ
てる食べ物だと思うんですよだけど調理が
うんいわからんうどかな持月のかけたる
こともなしみたいな感じのお食事でしたね
こんな経験人生でそう何何度もしてこ
なかったですわお代わりをお願いすれば
するだけまだまだね鍋の中にこういういい
ものが残ってますからお腹がはち切れるの
と調整しなければいけないな嬉しいこと
ですね夢心地のコースの最後はイゴの
ゼリー寄せのデザートでおわりとなりまし
た食べ物飲みならず美しい内外装にも目を
向けてから帰りたいです
ね春の掛軸に春のイケばなんです
ねアドの傘はあああいうな可愛いですね
へえ長いしたですけどここに1日滞在して
もいいぐらいですしなんならここを目的地
として京都にお越しになるのでねあの十分
そういう風の場所だと思いますんでま予算
が少しするかもしれませんがその予算はね
大丈夫ですよEXずらし旅で演出されば
大丈夫ですご帰る前に見ていくべきものが
ありましたねえこれがアギの水槽です上流
から水をここに吸い込んでえそしてまた
ここに川に戻していくそうです水槽なん
ですが溜め込んでいるというわけではなく
常に上流からですね水がこう流れ出る構造
になっていて川と同じ状況なんですねそう
することで鮎があの生きられるそうです
今回知れていただいた血合いがこんな感じ
です上げていただくとビチビチビチと
小さいから逃げないように網の中に入れて
あるんだそうですね建物の一番古い部分に
はいくつもこう札が並べられていますが
これあれですね昔あご神社にに集団で参拝
してねあの定期的に参拝する方たちがこと
いう集団を作っていた時代の常連さんたち
の札ですね大昔のものですね建物のかきは
にちょうど1週間前に直したんだそうです
ね絶対ここ来るべきだと思いますね空車の
タクシーも来てい
ます奥と言われるエリア佐野の1番奥に
こんな綺麗なところがあるんです
ねさんご主人もでしたうわあんなトンネル
もあるんだこっから奥もさらに面白そう
ちょっとね奥はまた来たいと思いますいや
ほ僕はね偉そうになんかここが佐嵐山で
云々んだとかなんか言ってますけど僕も
あんまりちゃんとこの辺回ったことなかっ
たんですなんかこんなに色いいものがある
んだったらもうあのここで1日全て
ついやしていや3日ぐらい費やせると思い
ますねまどこも京都はどこでてもね3日
ぐらいつい合せますけどもま本当はこの山
のものすごく上の方へ行ったえ登るべきな
んですけれどもでもねちょっとそれ
ものすごく大変なんですよもう車で行くと
いうこともできないですしねえ今回は
ちょっとその登山になりがちなコースは
まあ一旦外しておくことにします予想通り
雨も止みまして静かな魚の景色になりまし
たすごいお寺がたくさんありますよ僕前
から来たかったんですが二村院です小倉山
と書いてあります有名な小倉100人一種
もここで藤原のサエが選んだそうですね門
は町時代のものでさっきの小川の渓谷を
切り開いた住倉両院が一したそうです大人
のランの時に後輩してしまったそうでして
でその後これもまた伏見城に立っていた
ものを一したんだと言います伏見城には
ものすごく昔お寺みたいなのがたくさん
あったということなんですね今はね近鉄の
テーマパークのお城が残ってます
がここも時にいいですね目線の高さに桜が
咲くでしょうこの2院は元々は平安の前期
に昨日紹介した佐賀天皇が開いた眼のお寺
となってい
ます大で静かな参道はさっきたくさん降っ
た雨がまだ少し残って流れていてとても
いい雰囲気で京都で私たちはこういう場所
に来たかったんじゃないかということに
気づかせてくれますが芳ばしい香りも漂っ
てきますこれはね人長というそうでま僕が
今調べた限りでは室町時代ぐらいに日本に
どうも入ってきていたようだということな
んです
が分れぐらいの頃からここで受け継がれ
てる可能性はあると思うんですよね歴史
自体は平安時代から皇族貴族たちの集まる
ところとしてずっと活躍してきたわけです
からすごい貸切参拝みたいな感じじゃない
ですかいいんですかあ出たこの壁ですね
この壁に何本線が入ってるかってのは確か
見所なんですよね京都5所とかもそうなん
ですが壁に5本の線が入っているものが
こういう京都ににある壁では最高ランクと
なっていてすなわちここが元々天皇陛下の
一族によって開かれたところですから最高
ランクの壁が設置されてるわけです
ね前の両陛下の時かな建てられた行光の
記念費も立っています今でもゆかりがある
わけですよねちなみに日村院と言いますが
五本尊がお二方いらっしゃるのでその名前
なのだそうですでここがその正面ですから
ということは本来は多分ここから来るのか
な改めて直子問をくぐり中に入れさせて
いただきましょういや本当に貴重な機会
ですよ通常は直子問というのは大抵の場合
閉じられていると思いますなかなかこうし
た直子問を我々平民がくぐれる機会はない
ですもう一度上を見上げてみたいと思い
ますが小倉山と書かれておりますこの変額
は直学5柏原天皇によるものだそうです5
柏原天皇というのは京都がみんな後輩して
しまった1番大変だった時期大人のらの
時期にござにあった天皇だということで
1番大変な時のものですねさらに中に入り
5本道上にはまた変額が掲げられています
がこちらはその5柏原天皇の後やはり1番
大変だったという時代に即位されていたご
なら天皇により書かれた変2イとあり
ますおそらく歴史上皇室が1番大変な状況
のに深くここに帰依した奈良天皇がこの
二院を復興させるために作られた建物が今
にも残っているそう
です今回は特別にお寺の名前の由来にも
なっております2の5本尊様も撮影させて
いただきまし
た最も撮影ではなく見ることであれば誰で
もここへ来ればできるわけでしてそれも
また貴重な機械だと思います並びてい
ますなお手を少し片側に寄せたような姿の
お釈迦様Okのようなマークを作っている
のがあ様となっています横にはすごいこと
がたくさん書かれた解説な気がありました
まずこの建物は京都の都のま今で言う高居
のような建物と同じ作りになっているそう
ですつまりここに天皇陛下がいらっしゃる
という前提で作られているということだ
そうである週利のようなところにお邪魔し
てるということになりそうですね
また解説を読んでみますと現在でも旧石関
系2条系3条系など藤原市の皆様がここを
膨大児としてお使いになっているそう
ですご本尊は大人のランの中にあっても
守られていたそうで鎌倉時代のもっと前の
ものとなっていますさらに大人のラの前後
の時期1番大変な時に書かれた5柏原天皇
による明法連結を貴重な文化剤も公開され
ておりすぐ近くに見ることができまし
た佐賀天皇もそうですが昔の皇族の方たち
はいや今でもそうかもう本当に分泌に優れ
た方ばかりですまそれが一番重要なこと
でしたもんね文学がほれ商人の書いた文章
も残ってる7剰制裁えどれどれ鎌倉時代
念仏に極楽王城と年商人あ随分年商人のは
現代風に書いてあ違うこちらはねえ解説の
お寺の方がお書きになったのこちらです
ねこんなのが残ってるのすごいですねその
弟子の1人としてシラの名前もここにあり
ます当時はシラという名前ではなくそう
シャックシャックさんだったそうです
極めていいずらしたになっていると思い
ます
ねこれ
で街中降りていけばあの京都のいつもの
観光の争があるんでしょうま実際には今ね
実は換算期なので街中も比較的ついている
んですがお寺の中に神社がありました八車
の宮発車の宮というものかな
えすごいまず厳重な屋根がこの屋根自体も
もうすでに文化剤の息に足していると思い
ますが板の屋根の下に8つの神社が並んで
いますすごいね北の神社坂神社吉神社田
神社アタ神宮ごめんなさい熱田神宮伊勢
神宮などすごい神社が勢揃いしているこれ
自体が室町時代のものだそうですよく明治
時代の新物分離廃物役の時代にも耐えて
残りましたねわすごい味噌院にももちろん
墓所がありますがここには住倉両院の像が
ありますこれ先ほども名前を出しましたが
小川藤川天竜川あとは京都の高瀬川とか
ですね鉄道マニアをやって鉄道の歴史を
調べてると結構この人の名前が元は住の
領域が改作したみたいな出てくるところで
もありますねそうした方の早々たる
メンバーが並ぶ墓所に行ってみ
ましょうおここも金をついていいですね心
を落ち着けて静かについてください合唱
[音楽]
ちなみにこの金はびっくりするほど長く
なります1分ぐらいなり続けるんじゃない
かな昨日のミーデラのとはまた音が違う
ようですけどね5所の一角にはこの場所で
100人一種が選ばれたというしぐれての
跡地がありましてここからの眺めは
素晴らしいです
佐野愚かはか遠くの京都市街中心部まで
全てを見渡すことができ昔の人もきっと
この晴れやかな気持ちは変わらなかっ
たろうという思いに浸ることができました
墓所は色々な方のお墓がありますが僕が見
たかったのはここかなあここですねそう
ですねえこのお墓ここに眠る方が二条成行
さんという方でこの二条成行は最後の関白
そして進化として最後の接しをされた方で
えすなわち石間政治の終わりに位置した方
だそうです今ねちょうどテレビでも石間
政治についてやってますけれども藤原の
道長とか寄道とかのねえ西暦1000年頃
が石間政治と言われていますが学校では
そうわるんですが実際には明治維新まで
ずっと石間政治というかセシ関白の制度
自体はあったんですねそしてずっと藤荒市
の一部の人たちがえ苗字は1条2条3条と
か高塚小江え九条とかですねそういったお
名前の方ただと思いますがえ藤原市の一族
の方がずっと代々接しカパを務めていまし
たがそれも明治維新の時にじゃあもうそう
いうことはやめようという突然決まって
大勢復古とともにセシ関白の制度が
なくなったそうですつまりこれを持って
藤原市が接収していく日本の貴族の政治と
いうのは終わったということなんですね逆
に言うと割と最近までそういう時代はあっ
たんですねま振り返れば645年の大下の
開心から始まって藤原市は
ずっと政治の調定の中枢にい続けたわけ
ですよねそんなに歴史の長い一族って他に
ありますか次に行くところはですねまた例
によって日本酒の授業だったら太地で書か
れてあのテストにはまず間違いなく出るで
あろう大閣です佐賀のもねテストに出ます
けどここは大角でありますんね清林寺です
すごい立派立派です
ね佐にも結構いいところが結構っていうか
とんでもなくいいところがたくさんあり
ますんででもあんまり人は歩いてないじゃ
ないですか有名になる前に先取りしておく
ずらし旅です
よ有名な場所ってのは当然ながら有名なん
で混んでますからねここが大角の表参道で
すでに並び立つ関連のお寺の壁の雰囲気も
すごいものがありますがあ
すごいあ例によって私のような身分ではね
ここを通ることはもちろんないですけれど
もこれが大各自の直子問ですね元々はこの
地を選んだ佐賀天皇の利宮として開かれた
大閣はその後も陰性により歴代の法王たち
が過ごした場所
です史跡大閣5章後と書いてありましてで
元々宮殿のような場所であったところへお
邪魔しますまずは取材のご挨拶からここは
観光の人たちが訪れるような建物ではない
みたいですがこの比較的新しい建物でさえ
うわあ相当な見応え
ですではその豪華見学ルートを見させて
いただきますここで靴を脱ぎまして一般に
は撮影は禁止されていますが今回はお許し
をいただきました私たちはこの靴箱の
ところから入りますが本当の表玄関は
こちら側菊の五紋章があわれたまさしく表
の入り口ですでここから向かい側を見ます
とこれはすごいです
ね乗り物が置かれていますがこれをおこし
と読むそうでこの五問章を見るとこれはね
昔のゴルダ鳳凰の使われたものだそうです
ゴダ鳳凰というのはどうした方かと言い
ますとあの大変優秀な方でえここで実際に
陰性を行ったということでそんなすごい
ものが置かれているとは僕は知らなかった
んですが入っていきなり驚きましたそして
またこの立派な表玄関は江戸時代の初め頃
5所から一されてきたものだと言います
こう書いてあるんですね5書より一された
ものでこれに京都5書に行くと今でも四神
殿とか星稜電とか昔の皇族方がお使いに
なっていた立派な建物がそのまま残ってい
ますこれ見るべき場所ですがその前のやつ
を持ってきたということなのかなそんな
驚くべき豪華な乗り物があるとは僕知ら
なかったのでえ来てまずいきなり驚きまし
たあこういうすれをかけて三門のお顔が
直接は見えないような形になるわけですね
あの時代劇で見るやつですね本物ですよ
鎌倉時代のただ一応あるいは後に復元され
たものとも考えられると解説があります
この驚くべき立派な玄関は江戸時代の初め
5所より一されたものでありましてま
つまり元々との宮殿がここにそのまま残っ
てるということなんですねまた豪華な背景
のえこれもまた可能栄徳とその名を聞いて
知らぬ人はいないえごめんなさい僕ねこの
作品の名前自体初めて聞いたんですが松に
山頂図というの綺麗ですねこのように玄関
だけ見て帰っても十分豪華だと感じられる
場所になっていますがまだ玄関に好きませ
んから大確実リパで行きましょう次は殿
ですあの天の居所を神殿と言っていた時が
ありましたが皇室の方
が出されて法りになる時に使う施設がこの
先です
ねこれがその5所より一したという神殿
ですすなわちここに出血された元天皇陛下
あのつまり法王様がお住まいになるという
ことなんですね法王さんの法王様の継承は
法陛下でいいんですかね今の時代には使わ
ない言葉になりましたあちらを見ますと
先ほど裏側から見ました本当の正式な
入り口ですね法王様や直子の方はあそこ
から入られるということになるようですね
壁には5本の線が入っていますまたおひな
様のお代り様とおひな様と同じようにえ
左側に左側の方が上という風な考えをする
わけですねえ左側が立花でえ右側が梅と
なっておりますがこれは元々中国の昔の
平安時代の初め頃に塔の文化が非常に強く
入っておりましたがその当時からの伝統で
サコンは梅となっているそうです今日は
ちょっと暗めなんですが雨戸が開けられて
いてこれがこう上にバーンと開けて
くださっているわけですがここにはねえ
飾りのセミが付いていますこれは全部職人
さんが1個1個手作りで作ったもので1つ
1つ形が違うそうですセミは生まれてから
死ぬまで1度も摂取をすることはないので
そのような清らかな生き方清らかな国に
なりますようと願いを込めて作ったと言わ
れていますまたタガドラマとかで見るやつ
ですねミスですねすだれがこの内側に可能
山落の描いた美しい金兵部本日は天候が
それほど良くはありませんが晴れている日
など光が差し込んで極めて美しいそうです
今も極めて美しいですが天井はまた甲子場
の作りになっていてえこれが
天井の作りとして最上位の角に当たります
と今教えていただきました特別に症状を
開けていただいたんですがこの内側の金具
のところは真ん中が青いの語問でえ周りに
菊の語問がわれていまして徳川が後続とえ
関係を深めたりですねえ筋中並びにくし
ハットとかで取り締まりをしたりした時の
その力加減をもしかしたら表そうとしたの
かもしれないようですねこの殿から続く村
の廊下はあ確かにそうですね今これ教えて
いただいたんですが天井が少し
低く頭がちょっとつっかえるんじゃないか
という近さですがえこのように近い場所
ですとまつまり上部分が狭いので刀が上に
使えてしまいここへいらっしゃった身分の
高い方たちの体を守るためにも役割を
果たしたと考えられていますまた歩いてみ
ますと床がもうちょっと先の方か
な廊下を皆さんが気になるとキュキュキュ
がなりますウス張りです
ね物が現れた時にもその音が分かるように
と抜き足差し足で歩いて
も音は立ってしまうわけですね鳳凰様をお
守りするための大切な監視装備だったよう
です前回も忍を訪問しましたが忍も悶絶寺
として有名ですがこうした皇室の方が実際
にやってきてお勤めになるお寺として1番
古いのがここだそうです
松が植えられていますが右側は高松の宮様
で左側はひの宮様のお上の松随分大きく
育ちました昔に植えられたものですねと
いうことで今でも皇室との関わりが大変
深い大角樹はこのまた立派な建物三戸ここ
はですね菊のご問がわれておりまして大正
天皇のご意の際にお祝い事などをしてここ
に一した建物だそうです天皇が元々お使い
だったものだそうですね向かい側には真
正面に直子問がありましてえ手前にあり
ます石部隊はこれは何ですかときしたら
元々ここに本道があったのではないかと
言われるところだそうです撮影させて
いただけるありがたいまたとない機会
です向い側にもまた菊のご問で閉ざされた
扉がありまして60年に1度あの向こうに
ある分泌に優れたとならい佐賀天皇の書物
があ書かれたお社教が公開されるとのこと
え佐賀天皇の書いた室が見られるなら次は
いつ公開なんですがあと55年後え僕が
81歳の時に公開だそうです頑張って
長生きしたいですねその60年に一度開か
れるという新行電この中にお経が収められ
ておりましてでここに今ねえ石が敷いて
ありますが実際に公開される時にはここに
橋が渡されるそう
です次はえ20799年頑張りましょう
ここの説明によれば元々佐賀天皇が当時
活躍していた空海攻防大使と共に社長を
行って祈願したところ例言新たかに悪病
悪霊退散し多くの尊命が救われたと言われ
ていますという当時からの歴史ある社標が
奉納されてるわけですねこのように古く
から高室と仏教というのは深い関わりが
ありましたが明治時代の頃はねえ日本のま
国防の関係もあって日本は神の国である
からえそもそも新党が本来だみたいな考え
がですねえ主流とさせられた時期もあり
まして廃物希釈の時には大変だったのかな
と思いましたでそしたら教えていただいた
んですがここに映ってるこの建物はえ元々
京都の東山の別のお寺の小道だったそう
ですで廃物希釈の折りにこの建物は使わ
なくなりえここに移築されたのだそうです
ねということは一されてくるぐらいです
からま比較的その廃物希釈の波も穏やかな
ところだったとそうですよねま明治時代に
より天皇を中心にしようという時代になっ
てそれで廃物希釈をやったわけですけれど
も元々ここは皇室とゆりの深いお寺なわけ
ですから許可をいだいて中も映させて
いただきましたが確かに廃物希釈の一言で
これを失ってしまうには惜しい見事な内装
です特に今年は竜年だということでこの達
を見に来る方が多いとのことですよ道のの
中央には江戸時代の初期に徳川家との
難しい関係を構築していたゴミの条項の姿
が祀られてい
ます日光東小宮とかもねえゴミの条項の
あの書かれたものが置いてあったりします
よねまた大閣といえばこの池が大沢池と
いうそうですけれどもありまして有名です
よね今教えていただいたんですが佐賀天皇
の時代からこの池は存在しすごいだから
西暦が800年とそれぐらいの頃からここ
にあったわけですよねすごいなますけども
でここにこう船でこう出ていって夜の時間
にね船遊びをするとで満月の月の時に月を
こうやっぱりね昔の人は月を直接見るので
はなくこの大きな池に移った満月の姿を見
て宮に楽しむということだったそうですが
そんな昔からこの池あったのかと思ってね
そんなに古い時代と思ったら日本最初の
庭池で最も古い庭園と言われておりえ日本
で1番古い人工池らしいですですよねダム
の皆さんもここに来るべきですよね日本の
ダム八の地とも言えるんじゃないでしょう
かちなみに現在はえこの下流のところに
ですねえまた田んぼとかね畑とかにこのお
水を使われる方がたくさんいらっしゃい
ますのでえ実際にこの水を開けたりえ閉め
たりという管理はえ地元の組み合いの方が
されていてその農業のためにも連携して
日々運用されているそうですですよねそう
いう話が興味深いなえまた発症の地として
のものは色々ありあそこの奥に島があり
ますがあの島のところに佐賀天皇がお船で
上陸されて咲いていた野をお積みになって
それを生けられたのが日本の池家道の
始まりなのだそうですあそこに船が止まっ
ているのが見えますが月の時期には私たち
平民も今ではあに乗せていただいておつみ
をすることができるそうですそして肝心の
本道にまだ行っておりませんでした大閣の
本道は五大道と呼ばれておりまして
ありがたく許可をいいて取らせいいている
ものですが私もね今ここに来てあの教わっ
たことなんであんまり偉そうに説明でき
ないんですが平安時代の初め頃攻防大使
空海がここに来て五大明王像を掘りまた
同時に分泌に優れた佐賀天皇がここで社業
を行ってそして祈願をし始めたのが始まり
だということですねその時からここでは五
大名像をご本尊として祭っているのだそう
ですそのた
同じくらい古くから重視されているのが社
五大道は社道場ですお社されている時はお
静かにお願いしますありましてここに分ち
などが敷物などが置かれていますが今ね
もう皆さんえ今ちょうど閉まった時間なの
で誰もいらっしゃいませんけれども
たくさんの座席が並んでおり佐賀天王の昔
のお勤めに習っ
て私たちも車に務めるというのもいいと
思いますちなみに車にも色々なパターンが
ありましてこうした形であの海外の方
なんかねえ言葉を使わなくてもこうした
ものを借用するという体験もできるそう
ですもちろんこういう風なあの比較的簡単
なものなどもあってこれも人気があるそう
ですね大閣自の観光も終わりました今回は
ねカーシェアを利用して移動させて
いただいたんですけれどもあの大角時から
今回利用してるホテルとかね佐賀嵐山界隈
まではバスの便がありますんでそれも便利
ですよ2日目の工程はこれで終わりですね
旅館の温泉に入るとましたらこんなんおる
んですねこれ昔のこの辺りの写真じゃない
ですかあの戦前エがきというやつですね
これは明治時代か大正時代ぐらいかなこれ
いつですかね今はこういう風に船を都月鏡
に繋いだりはしていませんあ昔の都月鏡
ですね昭和10年代より前だあこれなんか
いいじゃないですか昔の京都観光の小川
下りですねまやってることは今と何も
変わっていないように見えますけどね先導
さんも3人体制だ人数が違うぐらいじゃ
ないですかでこういう風に用にやってるの
もあれば戦後しばらくの頃まではこういう
い流しがあったそうなんですよね要は上流
の木材を川にそのまま繋いでくらせて
しまえばいいとで多分いの方が水の抵抗が
だいぶ大きいのでえこういう急流の区間で
は速度が早くなりがちブレーキをかけるの
もま多分多少に早かったと思うんですけど
もでそうするとね田の業者さんとこの船の
業者さんとでなんか対立関係があったそう
ですねで船の方があの加速力がゆっくりな
んですけれどもいはどうもこの給区間で
一気にスピードが上がってしまうようでえ
そうするともしもこのいくつもね船といが
行列して進んでいるという時にこの船の方
が給区間に先に出ていってしまうといは
衝突防止のために船がしばらく先の方まで
行くのを一旦止まって待たなければいけ
ないということで船が先に行くといな人
たちは怒ってくそみたいな感じですねえお
互いに場所の取り合いをしていたそうです
ま今はねもう船しかいないみん力の差は
生まれないので関係ないんですが道民系列
といえばお風呂ですよね天然温泉えここに
ですねそのドミ系列おなじみの湯がり
アイスコーナーもあります無料サービス湯
がりに一休みして遅れやす湯上がりにえお
湯上がったら1回だけ食べてくださいって
いう意味なのかもしれませんねここは京都
ですからあの一休みはいいけど2休み3
休み5つ休みみたいながダメですあここの
書お風呂にお1ついかがですか2つ以上は
食べないでくださいねっって意味なんじゃ
ないですかいやわかんないですけどね京都
風じゃないですかそういうのはあったら
食べましょうそのお風呂もですね普通の大
浴場もあるんですがま僕はそれでもいいん
ですけれどもこういうのもあるんですね
貸し切りよやご案内貸し切りコーナーがえ
なんと5種類もありまして予約不要で利用
できますで僕があの一般の風呂の方に
ビデオカメラ回しながら入っていたら大変
なご迷惑になりますので今回はこの5種類
の中からうん地底の露天風呂炭酸風呂青
だけに囲まれた世界が人々を静かにじゃあ
ここにしましょうこのランプの消えている
ところは自由に入れそうですあお風呂もお
風呂じゃタオルも無料サービスねま持って
きましたけどね部屋
からちゃう違うタオルが使い放題っって
いうことじゃなくてここにお風呂の足拭き
マットがあってこれを各自1枚持っていっ
てで自分で敷いて使い終わったらまたそれ
を次の方と交換するというスタイルなん
ですねだこれ必ず取る必要があるんだ
よしこういうことですね服もうちょっと
綺麗に脱げばよかったかなあいけるいける
いけ鍵かけ
ないこういう感じです
ねあのねこ僕が一番気に入ったポイント
は広さ及びモラルいいゆか分かりませんが
謎のこの清潔さもいいんですけども謎のつ
の清潔さもいいんですけどあそこにね電柱
がです多分あそこに行動とかがあるん
でしょうね外から全く見えないですけど
これを見るとお外で風呂入ってるって
気持ちになれてねえすごくいいですでも
あそこの電子柱の工事する時はちょっと気
を使いそうですよね誰かねあの電柱に登る
時もあると思うんで関西電力の方がかま
そこはうまく調整している
でしょうお風呂はかなり広いです4人でも
入れるんじゃないか
なここは竹ささがテーマのところだそう
ですが他にも色々ありますからね
おなんかすいコケとか結構力入れて整備し
てますね少々短いですけれども入浴の時間
はこれぐらいにして夕飯食べに行き
ましょう今日は1人で私はご飯を食べるの
でここを用意していただきました今日はね
JR東海ズさんたちは一緒には食べません
扉閉まるの閉まるんですかあ閉まりますね
あすいませんよくできてるじゃないですか
あの昔のブルートレインのあけぼの号の
ソロ寝台室があるを思い出しますね限られ
たスペースをうまく仕切りを使ってえ効率
的にお客さんを配置してくれていますいや
でもまあの1人当たりのスペースもとはい
めちゃくちゃ広いですけどねそうそう
jr東海ツアーズの案件で開けとか行って
いいのかまま大丈夫でしょういいな今から
説明してくださると思いますおもうあり
ますね僕は勝手に開けてるんですけれも
昨日と全然違うじゃないですかさっぱり
フレッシュな感じですねこれアン肝だそう
ですアン肝かお結構食べやすそうだね
レモンをこうガチャッとつけて食べ
ましょううんさっぱり
だしそやネギも入れてくれるからさらに
さっぱり
だ風の子もありますねうんこのかの子が
使っている出汁がものすごく濃い昆布の
香りなんですけれども昔からあの日本海
から福井県の今度新幹線ができる敦を経て
琵琶からかのとかが京都まで運ばれていた
あと昆布ですね昆布かのは日本海ですよま
京都の典型的な伝統的な高級な
食べ物
うん出汁の出汁を吸いまくってね昆布もか
のもそれからゆり根も多分何ヶ月っていう
単位で保存が効きますよね要は保存色なん
ですよねで北海道分ゆり根もね北海道が
すごく多いと思うんですけれどもその
北海道からの食べ物をうん
運んできて京都の直文化が完成してるん
ですね蒸し物もできたか
なできてますねおおうわー気圧が変化した
みたいです肉の厚みが変わりましたなんて
言えばわかんないけど袋みたいになってる
な神社のお守りみたいです
よあけすぎちゃったまいいごまだれの
レベルが高いですねなんか中の成分が色々
入ってます
ごまを食べてるって実感を与えてくれます
ねこれが本当のごまだれ
だ1日に2回石料理食べたのて僕人生で
初めてですねアカ2でもそう石料理って
ことじゃないですもお昼
は他にですねご飯とかも先に持ってきて
いただくようにお願いしてしまったんです
が昨日の天ぷら食べ放題サービスもあり
ますねもう食べすぎないようにしないとな
昨日は食べすぎてしまったわ
東海の皆さんもめちゃくちゃ食べるからね
僕もなんかこもうみんな食べるなら僕も
行っちゃうと思っご飯と一緒にお持ち
いただいたものとしてあそうこれ僕は里芋
あんま好きじゃないですけど里芋まじはね
サクサク食べられますね里芋まじとそれ
から最強焼きをも色乗ってますねこの味噌
とかねこれいいなと思いますが最強焼きを
持っていただきました最強焼きこれあり
ますけども最強焼きってつまり焼きのこと
なんですよね明治になって戸がになりえ
今日は最強になったんですね一応ねえ今で
も東京と京都がえ両方とも日本の首都とし
てえ並存しているんじゃないかとあくまで
え両方とも首都なんじゃないかみたいな
日本の都をどこにするかっていう決める
ルールもないですしねえいうこと説もある
そうです最強は別に戸田公園ではないん
ですねその分かる人少ないかなこの話味そ
から行く
かあと他に持ってきていただいてるのは
これですねえ類これは昆布と一緒になっ
てるのかなこれをご飯に乗せて食べるそう
ですこね物系とかやっぱ昆布とか保存性の
着物が美味しいですよね漬け物もあいます
もどんどん乗せてしまうなやっぱ京都は
大昔からのね歴史のある食べ物色々持って
いてで海から遠いですから海産物をどう
やって保存して食べるかということで
いろんな美味しい物が揃ってんです

おいめちゃくちゃ昆布なするこれ全部昆布
ですもんねどうすんの
これ全部食べたらもう今日塩分取すぎだ
な悩ましいなどんどん食べ
ちゃうさらに選べるおかが出るわけですよ
ねいや相当食べたなデザートにいただく
このピンク色のものは何ですかとナタで
ココだそうですあ好きなんすよねピンクお
柔らかいなこのナタデココは
アイスキャンディも食べて
ますドミの味です
ね朝ご飯の前にも無料サービスがあった
いいよこれ目覚めの1杯じゃ
グレープフルーツネガ
でしょ昨日チェックインした時もね黒豆が
あったんすよね豆飲むれ
全部制覇しながらいきたいですねよし
朝ご飯メニューは大体同じなんだろうと
思った全然違いますね昨日ともう1泊し
たらさらに変わるのかな変わりそうですね
こういうのもあるんだなこれねえ温度を
管理してくれてあの黄色い硬くなった卵に
してくれてますねこれこれがいいですよ
半熟卵だとちょっと食べづらいからね今日
は晴天ですね背景の嵐山外観もいい建物
ですねあこの電信柱があれかな向こうの
やつかな僕は昨日ニューヨーク町に見た
やつだで画面の奥に阪急の嵐山駅があり
ましてあの嵐山駅のねこの脇にあるこの謎
の広場これが阪急電鉄の土地らしいんです
ねでこの駐車場も阪急系の土地らしいん
ですよここ元々駅だったのかなこれね航空
写真見ていただくとこんな感じで駅の目の
前に旅館があってその向い側に川が流れ
てるんですけどなんか使ってたのかなこれ
多なんかね急電鉄との関連があると思うん
ですけどあれ寝癖が治ってないな何なのか
分からなかったんですよね旅館の設立の
経緯が朝時間帯は人がいないので今が
チャンスですおお飛ぶとり
があのおじさんが餌をくれるおじさんなの
かなここねまた席がありましてこの向こう
のところに今は一層も見えないですけれど
も小川下の船が最後到着するところがある
んですよねそこからクレーンに上げられて
回送されていきますハトの荒山が
素晴らしいね今から渡るところは中野島
でしてまこんな感じで暇になっていますだ
から昔ここが水温の拠点として使われ
まくっていたはずですよま今でもそうか
この川を流れ下っていけばま東海道新幹線
が京都駅を出発した時にねえ通ります桂川
になるわけです
ね阪急電車もいいんですけどねやっぱ晴れ
てる状態の付きを渡りたいのでJRで帰り
ます3嵐山は結構面白かったですねまた
しっかり行きたいですね
今一度の美ゆきまたなんて感じかなあっち
が小倉山ですねあ小倉も食べなかったな
あのアコ発生の地ですよねバスもいっぱい
来ます
ね京都はバス発生の地でもあります日本で
最初にバスが走ったのが京都らしいです
ちなみに今のト鏡は昭和初期からかかって
いるそうです結構古いですねもちろん木造
ではありませんがこの橋がかかってからは
橋が流出してしまうみたいなことは
なくなりました2018年にも増水があっ
てえ橋の柵が全部流れてしまったという
ことはありましたが橋自体は大昔のもの
からずっと変わっていませんあいいですね
日が刺してきましたね佐嵐山の駅に着き
ましたこっからの景色はね結構馬鹿にでき
ない見といた方がいいですよここまでの
落ち着いていた広い景色から一気に山岡の
小強に入っていく小倉山も見渡せる眺め
でしたあ今日は雑炊で川中止ですよよかっ
いや2つの意味で良かったね昨日行けた
からっていのもそうですし昨日増水になる
結構ギリギリのところでね行くことができ
たんでいやそのギリギリの基準がかなり
余裕を持ってるから安全性は大丈夫だと
思いますがいいタイミングに小がくれまし
た雨のおかげです今日は水曜日ですから
トロッコ本給なんですよねトロッコを水で
洗って掃除してあげていますあこのホーム
の端っこの部分この佐賀嵐山駅はね知っ
てる人は知ってる電車運転のゲームの聖地
なんですけどもここで電車運転するゲーム
があるんですよあここは昔のまんまって
感じだなあまでかい声で喋るとうるさいね
おおホ強から一気にかけれてきましたまた
2種類の電車がくっついてね前と後ろ
だ後ろのやつは古いすよかなり
もう京都駅の構造の関係上後ろの号車の方
が続いていますが乗り換えには時間かかり
ます
[音楽]
[音楽]
京駅に降りましたらまた先日見た恐怖の
列車が福井までノンストップで止まるやつ
が出てきましたこの間見たのと同じ時間の
やつですねま今から向かうのはねアカです
から間違えてあれに乗る人はいない
でしょうなそうなんです次に行くのはアカ
でございましてここから近鉄特急で南方に
奈を超えて行ったところです今回京都
ずらしたずれすぎだろギは意外とそうでも
ないかもま今回一応紫式文人気にあって
貴族とか皇族とかねえそうした方たちの
ゆりの地を見て回ってるわけですけどま
藤原市ですよね今から行くところなんか
まさに貴族発生の地ですからお待たせし
ました近鉄特急を
利用伏見駅の手前では伏見城の建物が見え
ます最もこれは本物ではなく近鉄が昔
テーマパークとして作ったものが今でも
残されているのですが徳川家康や豊吉の
時代にここが政治の一大中枢として機能し
壮大な景色だったらしいですねそして当時
の建物がミデや二村院などを復興させる時
に流用されていったのだと言います伏見城
がよく見えるのは伏見駅の前後の辺り割と
一心ですからぜひ注意してGoogle
マップなどながら写真にめてみて
[音楽]
くださいさて列車は京都盆地から奈良盆地
へやってきましたこの奈良盆地は昔からお
米がよく取れるところだったそうですて今
は水があまり多くないということでため池
がかなりたくさん設けられています川と川
の間3角のため池を掘ったりとかね色々
頑張ってやっていますがどうも大昔は大な
池がこのにあったらしく実は水の弁が
良かったんですねえそしてあまり大きな
大きな川というのがありません昔ねこうし
た開けた土地は大抵水害で洪水の被害を
度々受けざるを得なかったようですがどう
も奈良は昔からま今も水害が少ないと言わ
れていますが技術のまだ整わぬ時代には
この奈良こそが日本で一番安定した年だっ
た可能性があるそうですねほらまたため池
と小さめの川の組み合わせです地図を見て
いきますと現在地の奈良盆地よりも西側の
大阪平野の方が広く土地が使いやすいよう
に見えますしかし実は奈良時代頃までは
この辺りはだいぶ海が広がっていたよう
でして土地も広くなくまた大きな川が流れ
ていて水害の心配などもあったようです
それに比べると奈良盆地の方が大きな川
などは比較的少なく災害の懸念が少なかっ
たようでさらにその中でも奥まったところ
にこれから行く柏原の宮さらにもっと奥に
行ったところにアカの宮が作られまして
ここが日本の中枢として古から使われて来
たようでしたこの間日本銃弾の時に降りて
またやってきたなという感じです奈良盆地
の南端柏原神宮前駅に着きまし
た広い奈良の盆地はここまででここから先
は少々山口な区間となりその先に飛鳥が
あります伝説によりますと京都が都となる
よりもはかに昔今から2600年ほど前に
ここに任務天皇が最初の宮殿を置き首都と
なったそうですその柏原神宮も駅を出れば
すぐのとろにありますがただ本当に
ちゃんと根拠を持って科学的に存在したの
が間違いないと言われる古い昔の都として
飛鳥の宮があります行ってみましょう飛鳥
村へそこまでは電車に乗っていくというの
がま一番すぐ考えられそうですが駅で
ゆっくり写真などを撮り過ぎて電車が行っ
てしまいました次は30分後の11時の
電車だと言いますちょっとそれでは時間が
かかりすぎると思いましてでも駅にもね収
バス乗り場など色々と出てましてアクセス
の方法が多くあるアですバスに乗りていく
ことにしまし
た出発して左手を見ますと丘が見えますが
これは丘ではなく古墳らしいですなんでも
どなたの古墳なのかということはまだ
分からないそうですが参考地とされており
もしかすると大昔の天皇金明天皇のお墓な
のではなかろうかと言われているとかいう
話ままだまだ調査中ということですがこう
したものが大昔のそんなに昔のものがあっ
てゴロゴロと出てくるのがこれから先の
アカ
です簡単にきましたと言いたいところなん
ですが実はバスを乗り間違えておりまして
ちょっと違う方向行っちゃったんでねそっ
から走って巻き返してきましたア駅前こう
いう風になってんですねレンタサイクル屋
さんがあり名所が点在しているアカを回る
にはぴったりですJR東海タのずらし旅の
クーポンでここを利用することもできます
一旦道の駅へ行って引き換えが必要なんだ
そうですけど
基本的にはこの自転車の貸出しということ
になっておりしかし差額を支払うと電動
自転車になります絶対こっちがおすすめ
ですよこう見ていただくと分かると思うん
ですがアカは大変気腹の多い土地でして
足腰のトレーニングをしたいというので
なければあの電動自転車って高いんですよ
ねだからね50000円の差額でこれに
変えられるんだったらこっちの方がいいと
思いますけどねブリストン製
です僕もね昔ア来たに自転車で回って分ま
便利でしたよ見所点在してますからねただ
今回はちょっとあちこち取材させて
いただくという兼ね合いでえ時間を正確に
やっていく必要があるので自転車で行った
という手にして実際にはあの車で行きます
本当にこんな感じで点在しておりまして
自転車で回るにはぴったりのところですね
さあ楽しいサイクリングの始まりです郊外
学習の中学生たちがたくさん歩いている
ところをjr東海ツアーズさんの
ドライビングテクニックを発揮しおお急に
道が狭くなってきましたねジンジン進み
ますもちろん安全第一で運転中左手にも何
やら畑のようなものがありますがこれもね
こう木の生えているところありますよね
これも古墳らしいんですよねだから古墳が
多分古墳だと分からなくなって死地になっ
てそれで人々が畑を作ったりとかしたと
いうことなんでしょう
[音楽]
かどうも天自天皇量と書かれていますが
それが今は畑になったということなのか
なアカは奈良ボンチよりもさらに1段
上がったところ山に塞がれた奥まった
ところにあるところでしかし結構土地は
広いです大きな川とかもないので昔水害の
危険がなかったからかなり使いやすい土地
だったのではないかなと思い
ます今から1500年ぐらい前の時代と
いうのは想像以上に水害が激しかったのだ
そうです
ようわすごく狭いとバスがバスも
ビュンビュン早いなあのバスさっきここ
通ってきたのかなこんなこんなところなん
です
ね今どこを目指しているかと言いますと無
事故に終わった大下の開心の場所を
訪れようとし大丈夫ですね
素晴らしいjr東海ターズの誇運転技術が
発揮されていますここ行けるんですよね
この先も僕だったら絶対脱する
おお安心と信頼のjr東海ツアーズですよ
まこうしたようにちょっと難しい道も多い
のでやっぱり自転車がねおすすめなんです
ねずらし旅のクーポンを使ってどうぞご
利用くださいずらし旅のクーポンはあの
1人1個なのでえ今回は使ってないんです
けどもう使っちゃいましたか着きました
ここですねこの場所が今日本で分かって
いる限り最古の天皇の住んでいた宮殿の
跡地とされておりますアカの宮跡です
そして藤原市の長い歴史もここで始まり
ました645年に天皇暗殺ほどの強い力を
持っていたというそのイルカを中富の
かたりと天天皇がよっしゃあいつはもう
滅ぼさなければならないこの場所でみ力
合わせて首を切りましたそして天皇の知性
は守られたのですみたいな話がですねよく
言われますがいわゆる大下の開心もここで
始まったのだそうですねましかしこうやっ
て見ると随分小さいなという感じがします
があのここに解説がありましてこんな
小さい宮殿にねみんながこうぎっちり
まとまってあの天皇もねなんかそのケの人
たもみんなこうちっちゃいところであの
座敷みたいにしてギチギチに暮らしていた
わけではないですよもっと大きかったんだ
そうですねえ今分かっているのがま大体
この辺のエリアが大体発揮されたという
ことでえ全体としてはまこのぐらいの
サイズであっただろうま確かにこの辺の兵
を見るとそういう宮殿とかが気付けそうな
広大な平らな土地となっておりましてこの
1番奥のところにですねちらっと今見え
てるあの2階建ての建物ありますけれども
あそこら辺までがまちょうど宮殿のサイズ
であったということだそうですねだここ
あくまで発掘されている部分の一部だと
いうことでしょうでここに発掘されたのが
1400年前の井戸だそうでして大下の
開心の時の井戸ですねこっからこれはね
排水溝らしいです結構しっかりしてたん
ですねまそうじゃないとね昨日降った雨も
ここにまだ残って若干ぬかるんでます
けれど人が過ごすのにはなかなか不快な
状態になるでしょうから排水溝をきちんと
掘って使いやすい都を整備したようですあ
奥に現在の排水溝もありますねこの公園を
使いやすくして中学生たちもお弁当を食べ
やすくするわけですねまた向こうにここ
から見下ろすといい景色が見えるじゃない
ですか奈ボンチの方向北側が開けています
ここが随分上へ登ってきているということ
が分かります多分こっちの方がね土地的に
安定してたとか攻められとそういう事情が
あったんだと思うんですけどね645年に
藤原のがえイルカの首を跳ね飛ばしてで
その後ずっと今に至るまで密接にあの皇族
との関係は今の時代でもね藤原市の方って
あのいらっしゃいましてでそれ中に出入り
とかされてる方多いみたいなんですけれど
も今の時代でもあの密接に繋がってるわけ
ですからすごいですよねよっぽどその鉱石
があのレジェンドレベルだったんですね
じゃなかったらもしかしたらその時に滅び
かもしれないですからのイカがねなんか
やったりとかていうのがあのこう今に
伝わっているあの今の時代の人たちからの
味方の歴史だということですね中学生たち
からねチャンネル登録者何人って聞かれて
何人って聞かれるってことはあじゃあ僕の
ことは知らないんだなと思って逃げてき
ましたこれこの後の肯定も詰まってるから
中学生たちにまあまあ致命度なる
YouTuberだってことがバレるとね
記念写真を永遠に取り続けなきゃいけなく
てあの程にが出るんでさてあ今ちょっとね
看板が行き過ぎましたけれどももここは今
分かっている限り日本で1番古い都があの
確かに存在したという場所ですで当時日本
には仏教が入り始めてきたわけですがその
時のえま当時で言えばあの最新Aのあの
仏教がですねえここにまだ残ってますそれ
もすごいよく残ってますよねまやっぱり
それだけ昔の人たちがこの場所を災害の
少ない場所を都の地として選んだ先の名が
あったということかそれプラスあんまり
ここがその後ね兵に焼き打ちされたとか
そういうことがあんまりなかったんじゃ
ないです信長がアカを全部焼きましたと
そういう話もないですしねあというまに
到着しましたアカデラには自転車も
たくさん置かれていますこ自転車で来るの
はいいところですよここはアカデラは日本
で1番最初のきちんとしたお寺でありまし
てお寺の歴史はここから始まったと言って
もいいと思います藤原市の先輩にあたり
ます蘇市が自分たちのお寺として仏教を
取り入れて作っていったま当時最新Aのお
寺ですよね
日本最の仏来の流がここで行われたつまり
日本で1番最初の国産の仏像ですね605
年からのアカ大仏を拝むことができます
このアカ大物と書かれた石碑も完成4年と
ありますから江戸時代の200年前の大変
古いものですが仏像はその7倍以上古い
わけですねあでもこの石もまたアカラ剣の
だからこれやっぱやっぱ1400年前の
やつなのこの石もア本道です今は小さめの
お寺となっていますが元々は大変大きなお
寺だったそうで日本最初にして最大レベル
の大きさだったようですこちらが我々が目
にすることのできる日本サコのブス像五
本尊のシニ像です奈良の大仏でも長い歴史
を持っているとどうしても部分的に壊れ
たり直したりする部分がありますが少なく
とも顔と手の部分についてでは剣当時作ら
れた当時と全く同じ状態で特にその顔付き
が他のお寺で見るような仏像と大きく
異なる印象を受けますまだ伝わってきた
ばかりの日本化されていない大陸式の顔と
いうのかな鼻筋がキリっと通っているの
など海外から入ってきたばかりの仏教文化
最新鋭という感じがします仏様は石の上に
乗っているのですがよく見るとその石の
両脇には穴が空いておりまして反対側にも
穴がいますこの穴には
元々このような形でま本当はねえ左右にも
また仏像が置かれていたそうですそしてえ
放流寺の釈迦三尊像が有名ですけれども
それと同じようなこういう状態であって
さらにはですねこのお道がここに再現の
イラストが置いていただいてるんですけも
もこのような剣Over豪華な構造であり
あこれはあのガラ配置が直線的ですよねえ
門から塔からえ近藤動と並ぶあの大昔の今
でも大阪の四天王寺を安野はから見下ろし
ますと一直線に建物が並んでいる初期の
仏教のガラ配置というのを見ることができ
ますがアスカデラはさらには近藤が3つも
ありましてここに123とありますけれど
も最初にして超豪華な構造となっています
当時日本にこんな立派な建物というのは
存在しなかったそうでおそらく日本で一番
立派な建造物群だったと思いますこういう
道の造技術だってまだ日本には当時なかっ
たでしょうしねえ仏教を取り入れることに
よって今の日本の住宅にも続く重要な河
屋根の技術とか高層の安定した木造建築物
を建てる技術とか色々なものが経済的な
利益も伴って伝わったようですお寺は一般
的に南向きに立てられるのですがよく見る
と五本尊は少しだけ南と違う方向を向いて
作られてるようにも見えますでこれはま
理由はよくわからないらしですがもしか
するとこの当時まだあの方位をね南北を
知るのは天体を観察することによってのみ
を行われていましたがこの建物自体は今の
この建物は江戸時代のものでして当時磁石
を使ってより正確に作れたそう
です5本尊は見された1400年以上前
から全く場所は動いていないそのままなん
だそうですですからそう考えると後から
作られたこの建物の方がまちょっと五本尊
に対して斜めに作られているということも
ま言えるわけですよねもしかしたらこの
角度の違いは1400年前とまそれから
江戸時代とになって方位を知る技術が向上
したことによってま生まれたものなのかも
しれないと教わりまし
た横にですねその当時の三尊のようにして
えここにはまずアニラ像が置かれています
がこれは網上土進行というのは平安時代に
ありましたけれども藤原の道道が活躍した
艦政治全盛紀に実際にここに藤原の道長が
アポなしで訪問したこともあるそうですね
1400年前の部材も展示されています
こうしたものが1400年前日本には存在
しなかったのでえ仏教が取り入れられたの
と同時にこうした新技術を取り入れて建物
はグレードアップしていったわけですねえ
こちらはね平常教先度1300年記念で
作られたタペストリていうのかな西陣折り
で作られたそうなんですがこれが元々
オリジナルの状態元々は全部で30km
もの金を金髪として貼り付けてゴールデン
の姿だったそうですあとはけまりのマが
ありましたけまりは飛鳥時代からあった
そうで今でもね藤原市の方とか九州に行っ
てけまりされてるそうですけれどもこれを
中野大江の王子と中富のかたがこうお互い
にけまりをしているところで出会って蘇の
イルカを倒しましょうと結びついていった
んだそうです
ねそのけりが飛鳥時代にここで行われてい
たそうでしてこの名の花とかが咲いている
先のところかなここで中富の蒲と中野大江
の王子がけまりをした時に出会ってそがの
イルカはもう殺しましょうよと話があの
膨らんでいくきっかけになったのだそう
です本来はそ市のウデとして建てられた
アスカデラ現在でもそがのイルカの首塚が
置かれています花が備えられています
ね言われていることの1つとしてはこの
向こうの方にあります宮殿のところでソノ
イルカの首がえとこのように跳ねられまし
て跳ねられた首はその後向こうから飛んで
きてここに落ちたのだといやまさすがに
それはないと思いますけどねあのそういう
風な話もま誰かが作ったのかえ一応話とし
ては言われているそうです今の建物は江戸
時代つい最近だと思えてしまいますね江戸
時代がアカ時代の時にここに立っていた
豪華絢爛な建物の書籍だけが一部残ってい
ますここに昔の近藤がありましたが近藤は
1つではなく3つあったとここに1個ここ
に1個さらに向こう側に1個あったわけで
普通近藤というのは1つしかないですから
ままるでねあの某鉄道会社のグリーン車が
3両連結になってるような感じですよまた
五十の塔はここに立っていておよそ600
年ほどは早見からずっと存在していたそう
です600年間も残ってたとはすごいです
ね鎌倉時代に落雷でここにあった五十の塔
は失われてしまったとのことですがまみな
ねえガランはその時に失われてしまった
そうなんですが鎌倉時代さえ割と最近に
感じてしまうな最近まであったんですね
建物が落雷で燃えてしまったとこのの解説
にもありますが室町時代からしばらくは
後輩しなんとかまおそらく地域の方々とか
がこう小屋を立てたりとかしてここにある
日本最古の国産の仏像を守っていたという
ことですで江戸時代のある時下の柏原の方
からやってきて通りがかった方がこんな
ボロボロなではなんとかいつか立派な道を
私たちが作って差し上げたいなと思って夜
眠りに着いたところその日の晩の夢枕にて
え早速仏様が現れもう近頃そういう風な
立派なことを考える人はいないですから
もうあなたたちはすぐに実行した方がいい
ですよと言われていやもうやるのは今しか
ない今でしょうとそれですね立派な小を
立ててまその後えまた現在のように安定し
てえできてきた時代のようですまあまあ
まあま歴史は長いですからねすごく色々
あったと思いますご住職が見送って
くださいましたあのご住職はね僕の動画を
ご覧になってるそうですねでなんか近鉄
特急のこの動画を皆ましこの動画も最近
出かけられないのでえスーツさんの動画見
て一体気になってますもしお出かけになる
際はぜひずらしたご利用くださいて言って
お別れしましたアデラのご住職にも動画見
ていただいてるとは光栄です
ねはい続きましてお昼ご飯はこちらですも
一瞬で着きました食べてみたかったんです
よねアカ鍋もちろん現代風にアレンジされ
ていると思いますが
年の昔から伝わる同料理牛乳スープで煮鍋
というのがこれです
ねアカ時代当時もねえそというものが大陸
から入ってきたそう
で出汁は何の出汁なんですかき出汁はね
秘密だそうですあそれは
面白いお鍋待ってこんな綺麗ななもん
ばっかり食べてこの3日できましたこの
白いつぶつぶと浮いてのこれは牛乳の成分
ですよねアカは日の牛乳文化発症の地だ
そうです興味深いことにさっきは真っ白で
あったおつはですね全部牛乳の成分が
固まりまして済んだ色に変わりましたでも
匂いはクリーミーな匂いすますこれ面白い
食べ物です
ねいただきます農水産のページによると
地域の方も食べてるらしいですねという
ことはそれだけ美味しいってことだ地元の
人は名物なんか食べないよとか言本当に
美味しいものは
ねあ本当は風味が違うブロッコリーに特に
こうよく絡みついてね風味が良くなります
よこれは他の場所では滅多に食べられない
味ですね自分地で鍋に牛乳作れ入れれば
この味になるかって言ったらならないと
思うんですよ
ね聞いたこの鍋を食べるためにもう何十回
何百回で来るお客さんもいるそうですよ
これを目的として店の方がおっしゃる通り
なんですけど他の何に似てるみたいな味の
説明しはないんだ
よここれを味わうためにここに来るしか
ないということですかとたら目の前に
さらに牛乳が追加されました次第にまた
これが済んだ色に変わっていくのでしょう
牛乳を混ぜていただいた後また再加熱して
全部固まるまでは早しでご覧いただくこと
にしましこんな感じでどんどんどんどん中
のが発生しまして最終的にはご覧のような
状態にここなるんですね下の方を作って
みるともう全部透明になっています他に
煮えるまでの間にですねこんないいものも
食べられますこれかの外しです柿の外して
元々奈良県の南部でね食べてるものらしい
んですけれども和歌山で取れたサバをこう
柿の葉っぱに包んで持ってくるというもの
なんですがあなんかすごいちょ僕が知っ
てる駅弁の柿の外とかいなんか本来っぽい
お寿司っぽい柿の
柿の葉っぱらしい香りも少しついているの
がいいですね最後は牛乳成分おじやみたい
にまとめさせていただきました
うん牛乳を食べる体験です
よお店の方も親切今回はなんか親切な方
ばっかりですねもなんか怖い人とかに合わ
ないですねそそえ石部古墳が次の目的地
です鳥は全般的に空気もいいし雰囲気は
いいとこなんですがやってきたこの石部隊
古墳はお墓ですよねつまりね偉そうに言っ
てる僕も来るのは初めてです小学生の時に
手塚オの漫画に見ましたねこんな古墳は他
にはないですよままず周りをこういう風に
お掘りを巡らせているようでその内側に土
を持ってお墓を作っているわけですがまず
これが誰のお墓なのかと言うと藤原市の前
に例によって高速の近くで活躍をしており
ました蘇市の蘇のうのお墓ではないかと
いうことなんですがま普通古墳はねこんな
前方公園墳とか有名ですけれども土が持っ
た状態になっていて石がゴロゴロしてると
かはありませんしかしここには巨大な石が
ボンボンボンボンこうこう置かれていてえ
その中がどうも石室になっていてえお墓と
して使われていた場所ではないかという
ことなんですがこれ本来はこの上に土を
被せるそうなんですねでこう山盛りにする
らしいんですよで他の古墳もそういう風に
山盛になっているような古墳というのは
たくさんあるそうですそして見晴しも
よければ周りのお掘の規模も大変立派な
この石部隊古墳もやはり元々は上に土が
持ってあったようなんですけれどもそれが
人為的に取り外されてま破壊の作業をされ
てこのように石が露出してしまっていると
いうことなんですねこれ僕の感覚なんです
けれどもちょっとね何かいるようなんです
が中にまその馬このの嘆の声かもしれない
わまともかくですねえ僕の感覚ではここに
を盛り立ててでこの大晶にこう持ってきて
てのものすごく大変な作業なわけでそれ
一度やって完成したらもうあとは掘って
おきたいですよねできればねところがえ
わざわざ完成した後にえ時間と大勢の労力
をかけてえこれをこう壊していったじゃ
なんで壊したのかってことですよねそれは
多分あの本当の理由は昔すぎて分からない
と思うんです要は天字天皇や藤原のかたり
によってそが市の時代は完全に終わりまた
そがは悪いことをした人ですですという風
なのがま今のね日本の歴史の一般的な
イメージじゃないですか古墳というのは
個人の権力を示すために作られるものだと
言われますけれどもそんな悪いやつのお墓
を権力を示すために残しておくとは
けしからんということでえ一生懸命この土
を取り払ってですね破壊する作業をしたん
じゃないかという話がありますよね僕も
そんな気がしますだつまりそがのうこ
なんてやつのお墓をここにこ残しておく
なんてもお前の古墳はこうしてやるこうだ
こうだまこはこれで立派な景色なんです
けれどもまあの一応古墳としてはえ
ボロボロの状態で今も残っているとのこと
ですすごく立派
だそが馬子はなんとのスシ天皇って大昔の
承徳大使より少し前の天皇を暗殺したと
いうようなこともありましてニコの歴史上
ねあの天皇を暗殺したのはもうその蘇う
しかいないらしいですそんな強大な権力を
持った人のお墓の中に入れるになったら
良い機ですよね一般的にこういう立派な
古墳は内町が管轄していてまなかなかね
YouTube撮影のカメラを入れると
いうことも難しいのかなと思うんですが
ここはあの後続方のお墓ではないので要は
ソうの墓と思われるので内町管轄ではなく
ア村の地元の管理のようですま飛鳥時代の
一時期にねここに眠っていたかもしれない
あの蘇市が力を持った後それが藤原に
変わって藤原は何百年もずっと皇族と一緒
にいるわけですからすごいですよねそ市の
有名な3台は馬子エミシイルカですけども
馬子とエミシなんてねもう名前にバカと
入ってますしエミシもあのそれ自体が
あんまり良くない意味の名前なんですよね
元々はそういう名前じゃなかったんじゃ
ないかって気がするんですけどねちょっと
なやっぱその後の時代になってそがは悪い
ことをしていたので私たちが取って変わっ
て素晴らしい政治をするようになりました
みたいなま後の勢力のあれもちょっと
感じるところでありますけどねそういうの
もあったでしょうね分からないですけど
もうまこれがどうやって作ったのかって方
がね気になる方も多いと思うんですけども
え元々サチにあった石をもうめんどくさい
ですよねわざわざこう石をこう1個ずつ
こうずらしながらバランスを取ってえテコ
の原で浮かせたものをうわあ大変ですよ
これをこう引っ張ってこの人は何するん
でしょうあお前そっちちょっと右行ってる
ぞみたいなこと指示するのかなと思います
でその後その石をえまっすぐにしてもう
この作業するだけで何人か潰されて
なくなったりしてるんじゃないかなって
いう気がしますけどねえそしてえ縦にした
後一旦その縦にしたものを2つ立ててえ
その真ん中のところに砂を詰め込んでいっ
てえ上にもっと大きな蓋となる石を乗っけ
て最後にこの部分のねえ砂をこう取り除い
ていくとこの地中にえお墓のスペースが
できるということらしいですで出来上がっ
たその立派な古墳ですが最終的には全部砂
もう取り除いてしまって現在に至るという
ことですねまなんならこっちの方がかっこ
いいんじゃないかっていう気はしますけど
ねで結局そがのうこと思われるあのお墓の
上にかかっていた土は最後どうなったのか
というとどうもねこの辺の整備に使われ
てるらしいですあだからもしかしたら今ね
我々の車が止まってるあの駐車場とかも
元々はそがうこのお墓の上にかけるための
土だったかもしれないです自転車便利です
よ今回訪れた全ての場所が自転車でなん
なら歩きでも回れるぐらいの範囲だと思い
ますけどねえいよいよ訪れる場所は次は
最後になりました向こうに見えてるあの
屋根は立花寺で元々はあそこにね馬屋が
あったらしいですよここら辺にあった馬屋
で小徳大使が生まれたそうです馬宿の王と
いうのがそのあた小徳大使ご誕生所と書い
てあり
ますその跡地は今お寺になっておりまして
立派なお寺ですね立花寺です
つまり元は小徳大使そのお父さん陽明天皇
の宮殿ま5所がここにあったということな
んですよねその上にあります立花寺は
さすがに作った時のアカ時代の建物が
ずっと残っているというわけにはいきませ
んがしかし長い歴史の中ではお寺の建物が
ほとんどなくなってしまっているという
時期もやはりあったそうなんですが
1776年からはあの奥の建物を仮の本道
としてその後江戸時代の終わりから明治の
初めにかけて徳対象尊敬する人たちの
集まりによって次々と建物が復興していっ
たそうですだから江戸時代の終わりとか
明治の初めにこれらの建物が復活していっ
たということなんですがつまり明治時代の
初めに日本は元々神の国でお寺と神社が
一緒になってるのは良くないですよね
みたいなことになってですねえ神社に
手厚いえ待遇が与えられる一方でお寺は
かなり不遇の時代を過ごしていたらしいん
ですがそうした時代にあっても承徳大使
尊敬のねを持つ人たちがこのお寺を復興さ
せていただから明治時代の初め頃にこう
立派な道が立てられたお寺多分ほとんど
ないと思うんですけど内部の撮影は遠慮し
ますが中には小徳大使の姿がご本尊として
祀られていてまた新物集合の雰囲気でねえ
中には神社で見られるような鏡も設置され
ていますまた小徳大使は皇族の方です
けれどもえ菊のご問が廃されえ2段3段
高いところにえ五温存が置かれてですねま
神社風というか五所風というかそういう
雰囲気になっていてあの内容は豪華です
しかもその段の上に上がって見学すること
ができます撮影はね遠慮しましょうじゃあ
飛鳥時代の建物とかもう残っていないのか
やはりね石作りのものは結構残るそうです
ねよく見るとこの灯ろはまるで中に浮いて
いるかのように下の部分だけはね違う感じ
の石になってますけれどもこの下の部分は
飛鳥時代に建物の書籍として使われていた
ものだそうです2面もアカ時代のものでえ
右は全面これはいい顔をしてるいい顔いい
顔してるみたいです
ね左はこれは悪い顔してるそうです悪い顔
してるかちょっとアカ時代のですからね僕
にはなんかこっちもいい顔にもちょっと
見えてしまうんですが逆になんか右側の方
が悪い顔してるようにもなんか見えてきた
なこれはなんか僕の心が汚れているからな
のかなとか思ったんですがあそれ別に逆に
穴見えたりとか両方いい顔に見えたりとか
してもあの問題はないそうですまた使を
しってここへ参拝にやってきて立派なお寺
を作り上げていった人たちは何者なのかと
いうとやはりですねそういう参拝の組織が
あるんですねえ大阪に特にものすごく
多かったそうですえ太子光というのがあり
まして伊勢子とかね富士校とか今でも言い
ますけど伊勢神宮とかね第2次対戦の
終わりまではそういした集まりが結構盛
だったみたいですねえところが戦争によっ
てその組織のまとまりも失われてしまった
のだということですこれ見るとですね結構
その大阪の方からえ大勢参拝が来てまして
大阪市とかね池田とかえ色々あるんですが
横の年号を見ると昭和18年とありまして
割と戦争の後期まで大阪からここへ人々が
やってきているみたいです戦争中とか
あんまりねあのお出かけは良くないですよ
みたいなあの星がりません勝つまでは
みたいな感じだったらしいんですけども
ただあの皇室とかねえ天皇陛下の5先祖に
挨拶に行くのはそれはあの戦争の一致団結
のためにも大切ですねというのがありまし
てそれでねあの本当にえこの時代までえ来
てあの参拝のあれが入ってるっていうのは
結構珍しいと思います最初に作られた時は
先ほど言った四天の寺のように一直線に
建物が並んでいたということですがこの
手前にあった50の塔はすごいですね
40mこんな大きなもう書籍だけは今でも
残っていますでこれが随分変わった形をし
てるので住職にお聞きしたんですがえ
真ん中にその塔を支えるま首頭のような
ものがあってでその脇にこれ3箇所ですね
え斜めにさらに支える支柱を設けてえそれ
で高い建物を支える工夫だったそうです
仏教と共に高層建築の技術も伝わってきた
ということですよね40mはもう真上です
ねちなみにあの通常はこういう風になって
ましてあの入ることはできません今回はね
特別におよしをいただきましたまあのここ
からでも十分見られると思いますそもそも
なぜここに生まれた小徳大使が評価尊敬を
受けているのかといえば簡易12重条憲法
建水士派遣など政治主案が大変優れていた
からだそうでしてそんな招徳大使は何だっ
たのかというとま天皇になりそうだったん
ですが天皇にはならずに亡くなってしまっ
たんですけれども初めて女性の天皇が日本
の歴史上登場した時水子天皇のセシとして
その政治の手助けをするま実質的に政治の
中心だったんだと思うんですけどね当時
天皇が対位するという制度がなかった
らしくて小徳大使がま実質的にえ男性の
天皇としして政治をつかさどるということ
だったらしいんですが名目上はナンバー2
事実上はナンバー1て感じじゃないですか
その承徳対子に始まった清勝の制度は今の
日本にも残っていますがそれを活用し天皇
の手助けをして政治の中心に立ったのが藤
わし一族だったわけですねでその時代に
現地物語も書かれ紫式部も出てきてタガ
ドラマにもなっているということだそう
です自転車観光の方が多いすね自転車便利
ですよ自転車は返却したという手で阿駅に
やってきましたねもうあは電車に乗って
戻るだけなんですけどすごいねご案内名所
案内が書ききれないじゃないですかご乗車
ありがとうございまし

な乗った電車は大阪阿部野橋行きでした
これ乗っていけばそのままもう天王寺の真
正面に着きますから徳大使が直で作った点
の見られますよて感じなんですがもう
さすがに帰る時間です一応この刑事の通り
ここから大阪にも長屋にも京都にも行ける
んですが京都が断然近いですで今すぐの
京都方面の連絡列車は急行なんですけれど
ももう疲れたので特急で帰ろうと思い
ます2号車の12Dにしましたこれはね今
もう夕方で太陽が西向きに向こうから差し
てくるので今ホームで見えないですけど
向こうから差してきて眩しいのでこっち側
にしておいた方がいいんですねあとこれが
なくちゃ始まらないおしりはあれおしりが
おしがおしどこだ多分ここにあるはだあっ
たおしりもそうんですけどまず手を洗って
からっていうのは実は昨日お伺いしたあの
宿つやさんがお土産をくださっていまして
あちょっと僕がね少し形を変えてしまった
なこの美しい桜餅をご覧いただきたいです
ねつぶつぶですよ歯ごたえのしの良さ本当
は2個入っていました餅はお米からできて
いるのだということを復習さてくれる
つぶつぶ感でありながら滑らか
ですをご利用いただきありがとうござい
まし
たもう寝てたんで一瞬で着きましたね
そしてそのまま新幹線ホーム10分後の新
幹線に乗り換えの予定ですが今日の朝
行こうと思って時間の関係で飛ばして
しまったところがあったのでこれですね
帰りの新幹線の時間を
変更パスワード等をログインして予約の
マイページのところから新幹線の時間を
簡単に変更することができますこれはね
このEXずらしたの1番大きなと言っても
メリットですんでこれ見てください列車
のみ変更差額なし普通こうした格安ツアー
は帰りの列車の予定時間を変更するなんて
ことは到底許されないんですけれども好き
な時間を選んで予定に合わせじゃもう
ちょっと遅く帰りたいな新幹線の時間を
変更することができますま他にも色々格安
の航空ツアーとかありますけどにして差額
もなく好きなように変更できてまた座席
位置も空いている限りにおいてですけれど
も好きなようにして選べますはい変更する
購入とありますが差額はありませんのでお
金はかかっていませんこれで19時30分
のあと1時間30分後望みで帰ることにし
ましたただねこれ選択肢が18時21分発
の次が19時30分発となっていて実は
18時台と19時台の間が空いています今
のはねjr東海の越した情報処理能力に
よりまして本当に混雑する時間はまたまに
こんな感じでその日によるんですけどま
ちょっと選べない時間帯というのが発生し
てくることもありますこれはつまりあの
その点でえ我々はずらし旅の大きなね
割引きの効果を受けているわけですねで
その見たい場所というのは地下鉄今出川駅
に向かうんですが今出川駅から地上へ出
ますと同志者大学のレガの建物が並んでい
ますが門の内側はほぼ全てが同志者大学に
なっていますがごく一部ほぼ全方大学の
ビルに囲まれた中に和風の建物群があり
ますここから先ですねこれは本物です
よ何かと言いますと本当に今も昔と同じ
ように使われているという貴族の方のお家
ですま貴族というよりはクという言い方が
正しいのかもしれませんが藤原市1問の
冷静系住宅があります洞察なんかかかって
ないですよ
ね京都はどこに住んでいるかによってまた
どれだけ長い間そこに住んでいるかによっ
て人々の力関係が決まると言われています
が京都に住んでいる人たの中で力関係の
トップに立っているのはまずこのレゼさん
のオタだと言っていい
でしょうこのレゼさんのオタのすぐ反対側
には京都五所がありますすなわち明治天皇
まではここで身分の高い人たちが皆過ごし
ていたわけですこの辺は京都で最も歩くの
が恐れ多くなる場所だと思い
ますの方に近寄ってみ
ましょう門から中を覗いてみますとまご
存知の通りこのようにだいぶ暗くなってい
ます昔はここに皇族や貴族身分の高い人
たちがみ集まって住んでいたわけですが
現在はもう全員明治地震で東京に引っ越し
てしまいまして自転車の通り道なっている
まそういう公園としての使い方が主流です
しかし中一部は昔の雰囲気をまた
取り戻そうと壁などを復元している場所も
ありましてちょうどこのの近くには桂の
宮宅族のお方の壁が復元されています5本
の線が入っていておそらく後続だから
でしょうね最高位の壁として扱われている
ようです一方でこちらのレゼさんのオタク
の壁を見ると確かに壁に線は入っていませ
ん皇室に使えるま進化というかあの貴族の
身分でありますしまたその貴族藤原市の中
でもセシ白をされるような家柄というわけ
ではなかったのでま我々からすれば
とんでもない家柄なんですけれども
ともかく5本の線が入っていないていうの
は多分そういうことなんだと思いますです
がこのレゼさんの住宅は京都5所の外側に
位置していたということもあって明治期の
取り壊しも免れることになったようでまた
明治になってからもうほとんど貴族は
みんな東京に移り住み藤原はみんな京都
からいなくなってしまったわけですがこの
レゼさんのオタクはずっとここに住み続け
て今京都に残る最後の本物の貴族として
ここでなおも活動されているのだそうです
我々一般人がこう見るということはでき
ませんがま例えば先祖には藤原の定あの
100人一種を選んだ方とかここのお家の
方ですからまそういう歴史を外から垣見
られるだけでも十分幸せなことだと思い
ます何でもよく言われるのは明人心の時は
あくまで天皇や久一族は京都から
とりあえず東京には行ったけれどもまた
ここに戻ってくる可能性もあったという
ことでそのを預かるために冷機がここに
残り続けたのだそうですねまちょっとここ
は本当のところなんでねあの中を撮影する
とかそういうことは今後もできないと思い
ますけれどもえ確か年に1回ぐらいあの中
が重要文化剤だということで公開されまし
て1000円ほどお支払いするとあの門の
中に入ってですねえ建物を外から見ること
ができるそうです僕も1回行ってみたいん
ですよね個人的には冷機にも
インターフォンがついてるというのは
なんか印象深かったですねのインターホン
か見るもの全部見ました帰りますが今7時
6分帰りの新幹線まであと24分ぐらい
ありますねそこで新幹線のホーム下にあっ
たカレーうどん屋さんで食べていくことに
しました大丈夫ですもし19時30分に
間に合わなくてもその後の39分や45分
54分といった時間にワンタッチで変更
できますからもうこの時間からあは選択肢
が多いみたいですねま45分も列車として
は空席があるようなんですけれどもこDX
旅パックの格安で申し込める石数には
ちょっとね制限があるみたいなのでえ
462号の方が落ち着いて座って帰れます
危ない危ない9分もあるからゆっくり
買い物してから行こうと思ってよく考え
たら9分しかないですからなるだら乗り
遅れるかと思った大丈夫でした乗り遅れ
たらちょっとまずいと思いますよ変更は
聞きますけど多分乗り遅れたらどうなるの
かなちょっと僕も確認できてないですが
多分下に字幕が出ていると思います
まもなく品川
です10時に品川駅に着きまし
た地下鉄直通に乗って大門駅にやってき
ました動画は間もなく終わりにしますまだ
続くのか感じですよね昼間だったら人通り
が多いと思うんですが夜この時間なら
怪しまれまいと思いまして日本石中自社を
見に来ました一応今回は貴族を知る旅と
いうことでやってみたわけですけれども
貴族の方はじゃ今何やってんのかっていう
と明治新の後東京に移り住んだ後ですねえ
戦争で負けてからはもう貴族という程度も
なくなったのでま逆にそうした縛りも何を
しなきゃいけないってのは昔ほどはないの
でしょうがご存知の方も多いと思いますが
日石の名誉総裁は公王陛下で名誉社長は
藤原市のトップの方だとで今度の4月から
はここで愛子様もねお勤めになるそうです
けれどもいやそれ知ったのはねもう僕は
大学生の頃でしたけど初めて知った時は
びっくりしましたあなんだ家の方っての
まだねその続のすごい近いところでそ色々
活躍されてるんだなと思いますまそうです
よね何百年も一緒にいたんですからま今は
ほの元の平等の時代ですがとはいえ多分
藤原市の今の時代の方たちもまやっぱ我々
の分からない大変なえ色々とかがあるん
じゃないかなと思うんですけどそういうの
はねあそこは貴族の方のお家でま嵐の人は
今ここで生活ここで勤務しててま僕も自分
の祖が何やってたのかとかね自分の家柄が
いいのか悪いのかもよくわからない人間な
んですけれどもまそういう風にあの
1000何百年の伝統とかをあの背負う
プレッシャーもなくえ別にセシ関白とか
そういうのでね何の無縁なあの平民の
生まれお気楽にああこれは貴族の人のね
みたいな見に行ける身分もねいいもんだな
と思いましたあまあのお金は多分その昔の
藤原市とかの人に比べれば全然ないと思う
んですけどあのそういうの見に行く予算は
ねjr東海ツアーズですjr東海ツアーズ
の家ずらし旅を覚えていただいて多ここに
ねQRコードが出てると思うんですけれど
もすいませんもしよければあのQRコード
がこの動画のコメント欄のところにあの
本当いい商品だと思うんですよねえお得だ
と思いまし他の会社でこういうの出してる
とこもないですからあのjr東海のえ直接
のグループ会社であります東海ツアーズの
格安ツをよければあのうちのえところから
ねえ申し込んでいただくとあの僕の動画の
営業実績になりますのでまそういう風に
あのあのな別にセシ白とかじゃないのでえ
そういうので営業してあの生活してる人間
ですのでえよろしければえ申し込んで京都
に行っていただけると幸いです

新幹線と宿、選べる体験がセットの旅行商品「EXずらし旅」の宣伝動画です。
▼動画内で紹介する料金計算方法
2024年6月23日(日)出発の金額の一例 ※2024年4月16日検索時点
EXずらし旅を利用する場合:
往路:東京-京都 のぞみ号グリーン車指定席[EX旅C利用]
復路:京都-東京 のぞみ号普通車指定席[EX旅C利用]
京都 嵐山温泉 花伝抄 京町屋ツイン(2名1室) 夕・朝食付き 2泊
68,770円(おとな一人あたりの金額)

新幹線とホテルを別々で予約する場合:
往路:東京-京都 のぞみ号グリーン車指定席 19,040円
復路:京都-東京 のぞみ号普通車指定席 13,970円
ホテル公式:京町屋ツイン(2名1室) 夕・朝食付き 2泊 47,000円
計80,010円(おとな一人あたりの金額)

「EXずらし旅」の詳細は下記リンクからご確認ください。
https://bit.ly/4b9VHdx
昨年10月よりサービスが大幅に刷新されました。新幹線と宿泊先、さらに選べる体験がセットになった旅行商品です。
上のリンクからご購入頂けると私の営業実績になります。
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38 Comments

  1. 新幹線と宿、選べる体験がセットの旅行商品「EXずらし旅」の宣伝動画です。
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    往路:東京-京都 のぞみ号グリーン車指定席 19,040円
    復路:京都-東京 のぞみ号普通車指定席 13,970円
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    計80,010円(おとな一人あたりの金額)

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  2. 6月に京都に帰省します。飛鳥村は中学校の遠足で行きました。三重県在中なので近鉄で帰省します

  3. 小学校の社会の教科書にスーツさんの動画が採用される日も近そう

  4. 京都の宿がとれなかった時、ずらし旅をポチポチとやったら取れちゃことがあって、おすすめです。

  5. スーツさんは何やかんや言うて、逢坂の関好きなんやなぁ〜、といつも楽しく感じております😊

  6. 東海も東日本も攻めてるな
    昨日は西園寺で今日はスーツか

    ずらし旅では無いですが嫁が東海系列のキヨスクで働いているんですがぷらっとこだまのドリンク引換増えたよと言ってました

  7. 昭和の頃でも京都市民にとって滋賀はワクワクの場所でした。特に夏は日帰りで琵琶湖や紅葉パラダイスというレジャー施設のプールで泳ぐのが楽しかったです。冬は琵琶湖バレーでスキー。延暦寺、三井寺、石山寺は遠足の定番でした。

  8. ずらし旅いいですね!スーツさんと同じコースの貴族ツアーしてみようかなぁ😊

  9. 今、視聴中
    JR東海ツアーズ『EXづらし旅』
    お得感満載ですね
    スマホの説明わかりやすい

  10. 35:05 石山ともかの後ろと正面を巧みに写すショット
    35:33 おば…お姉様お二人のシンクロが気持ちいい
    石山寺の魅力たっぷりですね

  11. 今日、前にも京都編あげられてたの観たところなんです、娘が進学で京都に行ったので嬉しいです、ありがとうございます。

  12. oh‼️個人的に紫に塗らずに奥行きさを表現して欲しかった😂
    スーツさんの動画を見るとほんと行きたくなる‼️

    まぁお金無いから
    今は
    行った気になって満足してるの
    だけだけどw
    いつかはいきたいので
    アプリはダウンロードしてる!
    だけど
    まぁ、Suicaからつまずき
    クレジット連携出来ず😂

    やる気が失せてしまって
    そのままw

    もう、若くないのよ私ww

  13. 西日本民には東海ツアーズは使えないんだよねぇ
    だから企画切符で関東発より高くつく場合が多いと思う

  14. 保津峡駅は確か亀岡市だったようなぁ、京都市内の駅に含まれるとは初めて知りました。

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