【ヤバい街】マニアックな横浜を歩く Yokohama, walkin altinative side

毎度なじみルテのチャンネル旅の道草埼
です横浜は石川町でございましてですねえ
横浜といえば山下公園やハンマーヘッド港
未来いやなかなかねいいね観光名所がね
ずらいと揃ってございますえそしてここは
ね元町という場所でございましてですねま
あの小規模なお店たちが立ち並ぶですね
なかなかねいい商店街ではございますけど
もさてなんでここにやということですがは
ね石川町ありにですね実はえ日本でもね
結構有数なやばいところがあると聞きつけ
ましてねやってきましたえそのまコ長日本
3大のドヤ街と呼ばれてるですねえつきの
やばい場所でございましてえ東京の山屋
大阪の西成とですね行ってきましたので
やはりここはね石川町のね近くにあります
町にね行かなければならないといたしまし
てですねえちょっと気をつけながらね行き
たいと思いますので何とよろしくお願い
いたしますよろしく頼むぞ石川町でにして
ですね中村川という川を渡りましてね
松影町という場所になってきましたがね
やってきました
よ社会民主党というですねお絶賛左巻きの
ですねえ公金をねちちせめることしかね
考えていないね政党がねおるやないかいな
ああいったのがねいるっちゅうことはね
大外がねやばい雰囲気をね醸し出しますよ
ねあんまりね入ってねヘラヘラしるとね
やられちゃいますからね民ないと同じよう
に気をつけていかんとあけませんおおお
おおお令は新撰組に社会民主党に立見名主
とあかんとこばっかりやないかなっていう
とこですけどね消費税インボイスは配信
なんて言うてますけどねインボイス廃止し
たらも税金だだ漏れやろ脱し放題になるや
ないかなんていうこと分かってへんなって
いうねえことでございますけれどもねま
愚痴はさておきましてもうちょい行ったら
ねそのこき町というねところにね至ります
横浜のねいやマニアックなディープな
ところをねご紹介ですよ準備はいいですか
さてやってまいりましてコブ町2丁目で
ございます間ね東京の山屋みたいにね別に
ね怪しげな雰囲気はないすね西成ほど別に
なんかさんでるわけでもないただ普通に
えビルが立ち並んでるだけのね普通のごく
街ですけどもやっぱりねなんかね雰囲気
ちゃいますよねあの港未来とは違ってね人
の目もね鋭いっすわどうやってなんなんて
いうことなんですけども要は宿です1泊
いくら1000いくらっていう簡易宿泊上
をねこの辺によきあったんですよ繊細復興
のためにま人手がいるじゃないですかで
自然とねそういったね労働者がね建築業は
ない集まってきましてですねえそういうね
人たちの目的のためにねこういうね街が
形成されていきます会員宿泊場であって
ですねえそしてちょとしたね飲食店がある
とえいう場所がね形成されていってえ
そして日に稼いたねえ労働者がとりあえず
ね飲み食いして1泊止まってさてまた明日
金がなくなったから仕事するとえいうです
ねそういう実はえ場所が形成されてきまし
てですね日本に3箇所1番でかいところが
ですねま先ほど申し訳ましたね東京の山屋
え大阪西成そして横浜のこのコブ町とえ
いうことなんですけどもやっぱね山屋に似
てますよねそんなめちゃめちゃなんかね
汚いわけじゃないですやべえなと思って
思うねもんじゃないすねマチはかなりね
綺麗にはされてはいますけれどもねやぱで
あと高齢化が進んでるなっていう感じがし
ますでまやっぱ表目ね横浜のああいう
キラビアかなね観光調はね観光調面白い
ですけどねやっぱねこういうね裏の部分ね
街の裏の側面っていうのもやっぱね未だに
あるんだなということをね感じさせるね
場所ですよねこれ公園ですよねこれこき
公園なんですけどなんか遊具とか全く何も
ないどういう場所やねんていうなんか
ちょっとね怖なってきた横浜市ことぶき
生活感やっぱね高齢者向けのねこういった
ねやはり施設なんでしょうね落書きが
なんか変な落書き書いとるかなすごいで
これ本当
にいややっぱりねちょっとね街の雰囲気ね
少し怖いっすね一応保育園もあるんすけど
も建物のこの窓の割れ方とかなんか察しの
乱れ具合とかちょっとね普通じゃ考えられ
ないねやっぱね物件が多いすね
ええこういうねスタッフキボとかもあり
ますし
建物の地年数何年やねんていう
本当地区
これ何十年って経ってるよねもう原価償却
完全に終わってる物件ばっかりやないかに
なっていう
おおティープだよおおコーラ1人に
100円っってうそ時代が取り残されとる
あ言ったようにね本当に日割りのね何千
thesというねホテルがねやっぱりね
多いんですよね
街がやっぱりちょっとね続けている時代が
ね止まっちゃってるね令和の用字はね
なかなかないね
やっぱりこういうね看板があったりとかね
え道がありますよねえそしてあちらに並ん
でる竹田の列まさにここがねやっぱりね異
世界だっていうことをねよう知らしてくれ
ますいやいやいやいやいやこれは遺産です
よね歌と踊りで楽しく飲みたい人全部
集まれ大ちゃんおもろいなんかテーマやの
というところですごいすごい弁当惣菜お酒
ドリンク30000円ちょっと待って安
なんでやねんさすがにねアイリンチクもね
えと思いましたけどねモーニング
50000円とかねすごいね値段よね本当
よこれで本当に経済成立してると思うとね
ここ独特ですよねいやでもね思っていた
以上になんかね西成みたいにおとかって
いうねなんか吹きだまりみたいなもんはね
なかったですちゃんとねきれに整備されて
ますあの山もそうなんですけど関東の
ドヤ街てちゃんとねそういったとこの情が
ね結構進んでますよねこれが本当ね来てみ
てちょっとねおっていう感じでしたわ
コインランドリー7のコインシャワー5分
100円こんなところで体を洗うことが
できるすごい設計なっとること要あんねん
ななんやっておここは桜が咲いとりまして
ですね春の吹を感じますがございます演歌
が流れてですねカラオケ居酒で酒をかい
ながら飲んでいるね人たちが追って経済が
成立している様々なねホテルがあってえ
そしてこ今もねやっぱりねこういった
ところで生活してる人がいるというのはね
面白いですよねでこういったねドヤをね今
再戦しようということでですねえ
バックパッカーとかね人気があるんですよ
海外のバックパックとかはねこよ宿泊量の
安さに見えつくてねこういうところで
泊まりにんですよねでそれをやっぱ目つけ
てどやから宿へという形でですねやはりね
この街をね再生していこうじゃないかって
いう動きもね実はねあるんですよねま言う
て海外の人からすればねこの辺りの別に
治安の悪さなんてねどこっとこな気になら
へんでしょ普通に海外の方が治悪いから
ねっていうだからねあんまりね気にせずに
ね泊まる人は止まるんですよで観光地もね
結構ねフットワーク近くていいんでね意外
とねリッチいいからねあれですよね安くだ
と思われてねで旅行できる人にとってはね
いやね本当ねここはね天国やと思います
けどねなんか意外にねそんなねなんか
うおっというね興味育られるような街じゃ
なかったすよね残念でした西成みたいに
なんかエグいなんかもうあんのかと思っ
たら意外とそうでもなく街の警備員さんは
多いなっていう程度でございますけれども
とりあえずねもう1か所ねちょっとね横浜
ディープの横浜をね行ってみたところが
あるんですよそこ行ってみましょうか覚悟
を決めましょくね歩いてくるとね伊勢崎町
までやってきましてですねいやなんかね
やっぱちょっとね雰囲気違いますよねあの
港未来のねキやかな雰囲気と違ってね結構
なんかねディープななんかこう下町のね
商店街的なね感じがえしますがね横浜のど
真ん中ですからねここやっぱちょっとね
雰囲気がね7なね変わってきてるというこ
面白いっすよねまでも伊勢崎たら横浜1番
のねで言われてますでまあのあれですよ
カガって言うたらやっぱねちょ怪しいな
雰囲気あるんですけど建物がねそんなにね
高い建物がね多くないのと蓄熱数がね結構
ね経過してるなっていう雰囲気があってね
ちょっとそういったところでねえ少しね
なんかこう怪しさ的なものをねちょっとね
醸し出してるなっていうねそういうね
ちょっとね見た感じでそういう風な雰囲気
をねちょっと私ね感じましたえなんか
怪しいなとかて思いましたけどねそう系と
ね韓国系がねやたらとね多いおおなんかね
ごちゃ混ぜですよね建物のねやっぱね
ちょっとねこう古び感も熟年スね古び感も
あるんですけどそうどちらかというとね
入ってるテナントかやっぱりねそんなに
賃料高くないんでしょうね知らんけど大体
ね綺麗なねバジだったらね大体大手資本の
ねペナントしか入れないんですけどもそう
いうわけでもないテントがねちゃんとね
こういうね路面点でね営業できてるって
やっぱりそういったとで考えるとねあ
ちょっとこう雑した感覚がね出てくるまた
ねちょっとね違った雰囲気をね感じました
ねだからある意味法的用のこういった提と
も多いんですけれどもちゃんとね個人のね
経営ね見やってるっていうねところもね
あるんでまそういったところがねないませ
んなってねそういう風に街をね作っていっ
てるっていうのはねこの伊勢崎町の面白い
とこなんかなっていう風に思います
からね歩いてきてそして伊勢崎町ちょっと
うろっとしてねえそしてね目的最終点まで
向かうところにねこれなんですよ川沿いに
ある何このスナックのね群れこの建物がね
結構ねディープですごいんですよね横浜の
ねディープスポットここもね面白いですま
ゆうてね川沿いなんでねこの辺りもね要は
ね本当ねヤザのね要は感覚っていう
でしょうかまあのあれですわ元々闇市えま
そっからねま様々なえ利点がね絡んできて
ねこんなね建物がねできちゃったんです
けどねすごいっすよねもうめきやています
飲食店がすごいそうここはねもうね立ち
のせようにもどうにもできないような部分
でね手付けられへんところなんですけども
ねいやね1個1個やっぱでもね見せてたら
ねすごい個性的なねいやね楽しいねとこや
と思いますよここはね本当ね多分ねずっと
ね登りすぎるんじゃうがっていうぐいのね
レベルですよね建物自体もここどうしよう
なんやろっていうちかしてだだこうだ
できるようなもんじゃないよねっていう
部分になってますいやからねめちゃくちゃ
ね年期入ったね建物があったりとかしてね

そして食べる飲むにはね全くもってね困ら
ないですねえマチですよね部分ですよね
まあねおっちゃんおばちゃんがなんかやか
にしりますけども楽しそうでええよなと
いうところでございますまこういったね
ちょっとねさびてたねこういうところで
ですね何があったかて言とですねあの
ドラマのね危ないでかじゃないですか人気
ドラマ今年のまた5月にね最新作はあの
劇場復帰されますけれもこういったところ
でね横浜でね完全にロケやってたんですよ
ねちょいちょいね怪しげな建物とかってと
かね怪しげな雰囲気のね街とかなってく
こういうところでですねでロがされてたと
いうことらしいですすごいですさん
オーシャンウイスキーとかさ世界最高級の
ロンドン人ビフィーターとかやってます
けどもここだけなんかも時代止まってるよ
ななんかね雰囲気的に言うとね20年前の
ねほプロンペンかっていうねそんな感じし
ますマジでねあの世界世界じゃない日本で
ね2番目に大きなね大都市精霊して都市の
ね雰囲気じゃないですよマジ本当ね香港
中国ベトナムカンボジアみたいなねそんな
のね雰囲気をねめちゃくちゃねビシバシ感
させるねえそういうね雰囲気ねですよね
本当いやでも好きな人はねこれ多分ね好き
やと思うんすけどもいや好きでもなければ
なければねいやいやこんなとこあるん
かっていう風にねいや思っちゃいますよね
でこの辺りがコリアンタウンだそうで
ございますけれどもいやコリアンタウンっ
てなってくるとねもうね言うたらね戦後の
ねドサクサに紛れてね言うちゃ悪いけどね
ここにもうね要はごなったところに勝手に
土地占拠してでと俺の土地なんて言うてね
もうね規制地質を作っちゃったわけなん
ですよなのでどうしようもないっちゃどう
しよもないですよねね多分横浜市からする
とねもうね浄化したいなっていう風に思う
んですけどもなんともねもうね時間が経ち
すぎてしまってどうにもないからもうこの
まねもうね手つかずのまね残ってくん
ちゃうかっていう風に思いますよねこの
ビルなんかなんち何年なんていう話でしょ
50年なんか言に超えてるかなってビルの
看もう測れとるやなっていうどういうこと
やねんっていうね本当ねすごいですよ
ねいやね言葉出てこないすよ本当言葉
見つからへんマジかてこんなとこあってん
なっていう物の強がね隠せません本当まあ
ね通りはさねこうね屋根があってね買い物
しやすくなってたりとかね元にアジア
チックなね作りしてるんですけどねこう
いったところが本当ね日本のね2番目に
大きたね精霊し都にねあるっていうこと
がね
案外ね僕ね好きですね結構ね僕は交換持ね
受け入れたいと思いますさてではね目的と
していた場所にね向きましょう
かということでやってまりましてですね
横浜はですね小金町でございますそう小町
とですね同じくですねディープな部分はね
この小金町にあるんですよねここの小金場
なんですけども結構ね歴史的にはね古い
場所でございましてこの駅え実はですね
横浜大空Myの際に結構な被害に合ってる
駅なんですよねま元々高架線の駅だったん
ですけもあのね効果のね強弱のねちょっと
したコンクリートの作りなんかはね今の
ような作りじゃないなっていうのをね感じ
させますまちょっとね目新しくなってい
ますけれども耐震補強があってですね
やっぱあの回収工事がね最近なって行われ
てますのでだいぶね目新しくなってますが
ここはね昔からあるですね効果施設で
ございますまこの橋がねやっぱり昔ながら
のねもんだっていうことをね表す一承認で
ございますそう耐震補強やってるおかげで
ですねこのようにですねえ駅のねもうね
あたり昔はね高架下のところにですね要は
住みついてるっていうかもうね戦後の
土作り紛れてですね不法選挙してえ要はね
商売飽きない始めてるやつがねいたんです
よまこれって関西で言うとですねあの3宮
からですねえ神戸近たをですね降下した
辺りにですね商店が貫きま元々闇1化し
たっていうところがですねま本当はね
鉄道会社の持ち物なのにね不法選挙されて
しまってるというですねわけのわかんない
状態でですねえずっとそのは放置されてい
ましたがえさすがにねえ戦後ね100年着
なってくるとですねもうねえ本当ね高架し
のコンクリートがボロボロになってきて
ちゃんとね補強工事入れてかないと鉄道と
しの資産が保てない中ことでですねま強制
的に立ち退きさせてですねえ今このように
やりかえてるとこです神戸もね同じような
ね感覚になってますね特に元町ら辺のね今
ね効果下のありはねもう完全に入れ替えて
ですねえ工事してですねえJRも本気に
なってですねえ鉄道をね運転させための
ですね実はえ仕掛けをやっていますでこの
小金町なんですけれどもこの小金町の
ところにですね要は空中のさ中に電車が来
てですねこう爆撃受けてるがですね緊急
停車したんですねでその緊急停車をした時
に風にもですね爆弾がこの上に落ちてきて
ですねえ乗客上員でと諸々ですねもうね
アビ強化の地獄衛になったというところで
ございましてですね結構ね悲惨なね歴史を
ね実はね持ってるのがねここのこ長駅で
ございますお京急線が出発していく
ちょっとね駅の見ていきましょう高台に
登ってみるとねこの辺りのね位置関係がね
ちょっと分かるかもしれませんでね高い
ものがねこの辺りないんですよね意外とね
あの低いね低層会のね建物が多いござい
ます駅になりますんで登ってきたんです
けどもねまかつてのね空襲のねとかね跡と
かまもしくはねえ鉄道線にしてもね昔
ながらのこの効果だったっていうね名残
りってあんまりね残ってで残ってなかった
ですねまこの鉄橋のですね橋のこの鉄骨の
く錆加とかねリベットの方あとホームがね
こうやってちゃんとさげされてるっていう
ところでですね昔からねあった駅の名残り
がねやっぱありますよねあとこのガセ中の
ですね鉄骨の組み方がねやっぱりね今の
組み方ではないていうところぐらいで
ございましですねえ既にねもう駅のね
ホームに関しては新しくねもう完全に
作り替えられてるっていう風にね考えても
いいかもしんないですちょっとどころ鉄骨
のね病打ちがねそれっぽいなとかっていう
風に思うんですけどもうほぼほぼねもうね
やりかえられちゃってますよねまでもね
このね小待というのがね本当ねディープな
とこなんですよ心の準備をしないとやっぱ
ね横浜のディープスポットということで
ですね間にく横浜を探してみるとねこう
いったね昔ながらねやってます昭和から
ずっと営業しますねっていうね居酒屋がね
ちらほらと見かけるのもここのねえ地区の
特徴でございますま人がね集まってくる駅
でございますのでま居酒屋だったりとかね
様々なねやっぱりお店がねこうやってね
自然と集まってくる場所だったんです
けれどもえここのね場所をね私が選んだの
はねもう1つね別の理由があるんですよね
小金町駅からこのね日出町の方に向かう
ですねロジ裏なんですよ
ねなんかね気な臭いっすよね
ねそんなね雰囲気をね漂わしています
けれどもこのね右側の建物がねちょっとね
注目でございます嫌にね扉がです
ねこれ狭いじゃないですか建物自体
なんか結構なこうね長屋的な感じで大きさ
なんですけど入り口がなんかね異常に多い
じゃないですかこれなんじゃこれという
とこです今ねもうゲストハウスになっては
いるんですけどもここね小町といえばです
ね20年以上前ですよねもう25年30年
ぐらい前にちょん待てわれましてですね
いわゆるですね沖街だったんですよね青線
地区と言いましてま女性がねま春を売ると
いうところでま海外からねジャパ雪さんと
言いまして金を稼ぎにですねやってきたえ
その一角がね実はここ残ってたんです今は
ねもうね20年ぐらい前にもう完全にもう
浄化されましてですねまそういった店舗は
全部ねもうねえ軒並みに撤退いたしまして
今はね小金城バザールということで
ギャラリーとかねこういったアートのです
ね街にね生まれ変わろうとしているんです
けれどもまさにこの建物なんかもそのまま
でございますよね一軒屋なのになぜかね
区切りが4つあってですねドアも4つある
そうここにですね要は春をひくね人たちが
ねずっとねやっぱりいてですねえそういっ
たことをやってたとえいうことをね伺い
することができるねもう意向になってます
よね元々はねこの辺りも闇位だったんです
よね戦後のねでまヤザがねこうありはこう
仕るになってですねまそういった資金源
どこじゃ見つけんだというところですけど
まそういったことのですねま手出すのはね
まじゃ上等手段でございますどこの世界も
同じなのでこの小金町あたりがねそういう
1つの発展場としてね栄えましたまあとね
川がねこれ大なんですけども近いじゃない
ですかで川のね辺りってね地域的に言うと
ねあんまりね実はねよくいいね評価受け
ないんですよ土地財産としてなぜかと言う
としっけるじゃないですかで川の近番が
弱いえそして川が氾濫するとねすぐ水浸し
になるちゅうことでですねあんまりねこの
辺り土地っていうのはね評価が高くなくて
ですねあまりねこうどちらかというとね
資産のねあのレベルの低い方がねやっぱり
川付いて集まってくる傾向がありますこれ
は日本全国どこも同じなんですけどもま
そういったところでねどういう風になりい
をねつけていくかっていうとねやっぱりね
ま考えことはねみな世界一緒でございまし
てですねまここはね完全にもうアートの町
にですね生まれ変わっていますけれども今
ね日本人のね方々がね今空雪さん現代版
からさんでですね世界にね飛び立ってっ
てるなんていうねちょっとね逆転現象が
起きているとがねちょっと悲しいえものが
あるんですけどもまそれでもねこの辺りが
ですね未だにですね浄化されたとは言え
ましてもねちょっとね見る人が見ればです
ねおおっていうようなえ雰囲気をね叩いて
いる街にはですねなってるんですよね昔
20年ぐらい前にねちょっとした雑誌のね
ルポルタージュでですね私そういうの知る
ことができてですね久しぶさに来たんです
けれどもいやもうか初めて来た時もねもう
完全に浄化されていてねた建物がねえ
名残りが残ってるだけだったんですけども
よりですねこの街をですねえ発展させてえ
そしてですね活かさせていこうという風な
ね取り組みがねなされているねえ様をね
両方ね買い見ることができてねあ今回来て
良かったですねここもそう専業食品
スーパーになっていますけれども建物の
構造的にはねやっぱりねおっていうような
手てもですよね
これとてそうですよ手は入れられて回送さ
れてはいるけれども昔残ってる建物は
やっぱそういう仕様になっているとえ
そして新築になるとやっぱり完全にねただ
の住居でございます確かねこの辺りもね
結構ねいろんなねなんかね雑貨屋さんとか
まそういう沖屋的なね建物がねあったんす
けども完全にもう耐震強化工事このね脚を
ね全て新しくするっちゅうことでねもう
全てがね立ち退きになってましたねで完全
にもう破壊されて後方も残っておりません
そしてね小金町バザールえ芸術センターと
いう形でね新しくねこういったテナントル
をね入れたりとかしてですねま元々ね当然
ねこの置き屋ってのはね敷地面積
めちゃくちゃ背ございますのでま最近はね
こうゲストハウスだったりとかミニ
ギャラリーとかにしてですねま小さい分ね
賃料安くねわは賄うことができる部分です
ねこういったね
建物をね再活用しているとえいうのはね
伺いすることができてね面白いですよねで
もこれなんか軸何十年なんだっていうね反
世紀以上たっとるやないかいというですね
未だにでもちゃんとねそきちっとね活用さ
れてるのがいいすよねま言うてでもね
やっぱねこんなん言うとあかんけどね
やっぱりジバで住んでる人ってねちょっと
なんかね雰囲気ね怪しいなっていうのが
感じますねまでもこうやって
新しいね吹きがねこう吹き込んできてえ
そしてねまたねこう知る人は知ってるん
ですよよない街だったってことねそれはね
だんだんだんだんねちょっとずつねこうね
いい街にね変えていこうっていうねいう
気持ちとねそのね行動力はねやっぱね
すごいですよねそう新しい形でねやっぱり
こういったね空屋をね活用して安くで
止まってねまがバックパカなんか気にし
ないですからね僕もやってた経験あるんで
ねそんなね別に狭いとかねえ多少のね不
具合とかね全く気にしないタイプなんです
けどもこういうところをねしっかりとえ
街づくりをねもう1回やり直していくって
いうねえ着替をね感じますおこういうね
攻防とかねいいですよね本当再活用されて
ますよねここにですねこの辺りのですね
街づくりの歩みというのがですね白されて
ますそうかつて20年ぐらい前はですね
本当この辺りはねマジでそう売買収の行わ
れるですねまあいい方なね印象店一応飲食
店です建前上はねそういったところはね
存在してはいましたけれども一気に浄化が
ね進められていきますえそしてやっぱりね
この辺り普通にねやっぱり小学生とかね
いろんな子供たちもただの街ですからね
住宅街なのでまやっぱりね風気が見られ
るっということもありましてですねやっぱ
ここをねしっかりと立て直していかなけれ
ばいけないということをですねえ町の人
たちが立ち上がりましてですねこの約10
年以上かけてやも20年以上かけてですか
ねえ普通の街っていうことをですね
やっぱりやっていこうということでですね
この街をですねしっかりと浄化しえそして
ですね健在な街づくりにですね変えていた
ということが書いてございますいやでもね
完全に今はね普通のねいい街なんです
けれどもそれがねやっぱりねちょっとずつ
ちょっとずつ変わっていったですね歴史と
ねあとねやっぱ未だにねやっぱそれがね
こう残っているっていうねそのね歴史をね
しっかりとねえ見ることが大事でやっぱ
事実ををねしっかり事実としてね
受け止めることがね大事だと思うんですよ
ねなのでねそういったねこう歴史のね香り
とかえそういったことをねこのね横浜
デープなところ誰もね気づきはしません
けどもこういったところをねちょっとね
放したいなと思いましてですねえ今回
取りあげた次第でございますこの年期入っ
た建物なんかまさにそうですよねおそらく
そういったねご商売がねなされていたよう
ななんかねちょっとねそんなねやぱ雰囲気
感じますよねこうね屋根ね3つこう
ちょんちょんちょんとね三角があったりと
かま入り口は1つじゃないですかえ2階に
上がって部屋がねこ紛れにこうきちっとね
細分化されてるっていうのはねあやっぱ
そういった商売で金稼ごうっていうねま
時代ですよねそういったね必要枠がねここ
にあったとおおおおおおすごいねこの冷蔵
庫ふてられてるけどいややっぱりね浄化さ
れてね20年以上経ってんのに未だにこう
いったねものが残ってるっていうのが
すごいですよねまちゃんと知見者がいてま
建物としてはねまおそらく多分大丈夫だ
からこうやってやってるんでしょうけれど
もまここをね強制撤去してですね一気に
やり替るとかまいうことはできないです
からね日本でねやっぱその辺が放置国家だ
なって思いますしいやでもねこういったね
建物がね残ってるっていうことがね
やっぱり面白いです大都会なのにこうやっ
たね歴史的建造物がね未だに残って再活用
されてるってことにねやっぱりね僕はね
価値はね見出していいのかなと思います
何かもがねこうね新しいね綺麗な建物がね
その然と揃ってるっていうのよりもねこう
いったねワダな部分がねちゃんとね感じ
られてるとはねあこれはこれでねあのね
人間みがってね面白いなっていう風にね
感じましたえそして何やらあちらの方では
ねなんかイベントやってますねえそしてね
ここがね長からね日根町の方にね歩いてき
たんですけども大野芸人さんが黄色い
ペインティングしてゲやってますねまいい
んですけどもお誰か投げ銭を出す人がいる
おリアクションしてくれたありがとう
ございますってことですねいいですねこう
いったのがあるとねでそしてまこのように
ね新しいですね街作り街がね発展してくっ
たなっていうことをね知ることができてね
いや面白かったですちょっとね横浜のね
マニアックなところをねご紹介いたしまし
たがえ街のね観光明るい部分もありながら
ですね影の部分もちろんあるえその影の
部分にですね光を当ててですですねまたね
新しいものを作っていこうじゃないかえと
いうことですね知っていただければね
嬉しいございまして今回の動画ここまで
最後までご視聴いただきましてありがとう
ございますまた次回の動画でお会いし
ましょう
[音楽]
T
[音楽]
[音楽]

毎度お馴染み流転のチャンネル旅の道草才谷です。

ベイサイドと違った横浜。

ちょっとしたヤバい部分を紹介します。

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