【お遍路の帰りに大阪城】御座船ツアーの映像とともに大坂城の歴史をお届け!大坂の陣も解説します!【だーちーのベタ旅】
こんにちはダチですさあ今回の動画は大阪
城公園駅からお届けしていき
ますここ最近すご六カンパニーのメンバー
でお変路をやっておりましてちょうど今
ですね永一ブラリ旅でお変のの徳島編が
公開されているところなんですねで徳島県
でのお変のが全部終了した後大阪に戻って
きてそこでみんなで打ち上げをして一泊し
たんですよでまあは帰るだけだったんです
けどこのままね札幌帰るのもちょっと味気
ないなと思いましたんで大阪場の撮影に
やってきたというところでございますです
ねもうみんな帰っちゃったんで完全に僕
1人ですねはい少しこめのパラつくね
いまいな天気ではありましたけども駅から
少し歩きまして大阪場到着いたしました中
に入るとすぐにですねお城の周りを回って
おりますごを発見いたします
いやなんともね気持ち良さそうな感じに
見えましたので気がつくともうチケット
売り場にいましたねチケットを買い求めて
いるのは圧倒的に外国人が多かったんです
けどもまそんなの関係ねえということでね
早速購入いたしましたごというのは何かと
言うと天皇ですとかクですとか将軍ですと
か大名みたいな身分の高い人が乗る
ちょっと豪華な船という感じの意味合いが
ございますまご覧の通り黄金に輝いてます
んでねそらご座でございますよ係員の方に
席を指定されますのでそこに座って早速
出発でございますご覧の通り天主角の周り
にある内堀の部分をぐるっと回るという
コースになっておりますでよく見るとです
ね石垣に様々な大名の刻印が掘られてい
たりですとか人面積と言われているですね
人の顔のように見えるらしい石があったり
するとまこんなところ注目しながら回って
みるとより楽しむことができるんじゃない
でしょう
かさあそれでは船からの美しい景色を眺め
ながら大阪城の歴史を振り返っていき
ましょう実は元々大阪城っていうのは石山
本願寺があった場所なんですね石山本願寺
といえば有名なのはあの織田信長と11
年間にもわたって戦い続けた石戦ですよ
ね当時の石山本願寺のトップだったケと
織田信長のバチバチの関係に関しましては
漫画やドラマ映画こういった創作物で描か
れることが非常に多いところでございます
ちなみに織田信長はなぜ11年間にも
わたって必要に石山本願寺を狙い続けたの
かまこれには諸説あるんですけども有力な
説の1つがですね石山本寺のリチにあり
ますさあこちら当時の地図ご覧くださいま
ご存知の方も多いと思いますけども昔海面
ってもっと高かったんで日本の大部分って
いうのはこう海の中にあったわけですね
もちろん戦国時代はもっと海面が下がって
はいたのでご覧の通り陸地が広がっては
いるんですけどもそれでもね雨がいっぱい
降ったりすると川が氾濫して水浸しになっ
てしまう土地っていうのはたくさんあった
んですよところがこの赤い四角でくられて
いる当時の本願寺があった上町大地という
場所はですね雨が降っても乾いた状態を
維持できるこの地域では唯一の大地だった
んですねしかも当時は当然飛行機とかあり
ませんからね物を運ぶってなったら物流の
基本は船を使うことになるんですよ上町
大地は当時非常に商業が盛んだった境と
近いので貿易の拠点にもなっている場所な
んですねさらに頂がある京都もすぐ近くに
ありますんで調定の動きを監視するとか
牽制するっていう意味でも非常にリチが
いいと戦争をするにしって船に兵士を乗せ
て送り出せばですね西日本にいる有力な
戦国大名たちにすぐに攻撃を仕掛けること
もできるというこの上町大地を1個抑えて
おくだけで貿易をする上でも戦争をする上
でも政治をする上でも非常に便利になると
いうですねものすごく大事な場所だったん
ですねですのでこの場所を織田信長に取ら
れたらやばいぞということに気づいていた
かの有名なモ照本は村上水軍と力を合わせ
て石山本願寺の味方をして織田信長に対し
て攻撃を仕掛けたりもしていますちなみに
モ照元は水軍を使って一度は織田信長を古
天パにやっつけるんですけども信長は鉄で
覆われた鉄鉱線という船を開発いたしまし
てこの船を使ってモの水軍にリベンジを
果たしたと言われております
ただま鉄戦が実在したっていう資料は何も
残っていなかったりするのでこういう船が
あったらしいよっっていうですねま
あくまでも噂でしかないんですけどもま
実際にはですね鉄砲を打ったり弓を打っ
たりする人間を守るところだけ薄い鉄が
貼られていたんじゃないかという風に言わ
れておりますとまこんな感じで様々な大名
ですとか一向一期の妨害に会いながらも
ですね11年かけて織田信はこの土地をに
入れるわけですねしかしその直後本寺の編
で織田信がなくなってしまいますので
代わりに天下を統一した豊富秀吉がすぐに
ここに大阪城を作ったという流れでござい
ますさあ大阪城の歴史を振り返っている間
にですね真として有名な人面石を発見
いたしまし
た
じ
かじ人面一応船に乗る時にこういった資料
は配布されるんですけどもいやまこの写真
がすでに人面かどうか大変怪しいところで
ございますねこれは僕が撮った写真なん
ですがまあ人面ね
うまあまあとは言ってもね非常に気持ちの
いい風を浴びながらこんなにはっきりと
美しく大阪城を見ることができるとござ
最高ですよ
はいさあごをたっぷりと満喫したところで
続きましては天主角に向かって歩いていき
ましょう最初に大阪場を作ったのは皆さん
ご存知豊秀吉なんですが江戸時代に入って
から実は徳川によって作り直されており
ますはいお城を上から見ると構造こんな
感じになってます
ねのに作られた天主角は落雷が原因で燃え
てなくなってしまっておりますので江戸
時代に入ってから盛土をして地面を高い
位置にしてから作り直したのが今右下の図
に出ております徳川時代の天主泊ですね
盛土をして土台の位置を高くしただけでは
なくて当時の最新技術でより大きなお城を
作っておりますそして現存しているこちら
の天主角は昭和6年に作り直されたものと
なっております
ま平成に入ってからも1回大回収行われて
おりますけども現在ではこの中は大阪城
天主閣という博物館になっているという
ことで中に入るとねより深く大阪城につい
て知ることができますということで早速中
に入ってみましょうもうね外国人の方
だらけですね日本人の方が圧倒的にここに
並んでる列の中には少ないですねもう完全
に多元語太陽がなされておりましていや
時代は進化してるなという感じですねさあ
それでは早速中に入っていき
ましょう残念ながらお城の中は撮影禁止の
場所がたくさんありますんでね今回映像で
お見せすることができるのは本当にごく
一部だけになってしまうんですけども今
映っております着物やカブの試着コーナー
があったり様々な種類の模型が置かれてい
たりま当時の人々の関係性ですとか歴史を
勉強することができるようなパネルが
たくさんあったりとですねじっくり見ると
だいぶ見応えがありますんで1時間くらい
は簡単に経っちゃうんじゃないかなと思い
ますねそして最上会の展望台からの景色も
非常に美しいので是非ねゆっくりと見て
いただければと思います気がつけば時間が
もう午後の2時くらいになっておりました
んでねそろそろお昼ご飯を食べに行きたい
なというところですねさあ大阪城でまして
少し歩くとですね実はすぐに非常に立派な
建物が見えてまいります昭和6年に現在の
大阪城の天主閣が復元された時に同じ
タイミングでですね軍隊の司令部として
作られた場所なんですね第2次世界対戦が
終わった後は大阪市立の博物館として使わ
れておりまして2017年から現在の
ミラザ大阪城というですねま中には売店
ですとかカフェですとかレストなんかが
多数入っておりますショッピングモールの
ような施設に生まれ変わっておりますと
いうことで2階に上がりましてこちらの
レストランでお昼ご飯をいただきたいと
思いますやってまいりましたのは
クロスフィールドウィズテラスラウンジ
出てくるメニューはモダなイタリアンなん
ですが内装は昭和の後続とかが使うような
洋風建築と言いますかねレトロな雰囲気を
残したものになっておりますということで
普段は真っ先にビールを飲むところなん
ですけどねこのおしゃれな雰囲気に流され
まして今回は白ワインからスタートして
おりますおいしい出てくる料理も予想通り
大変おしゃれですねこちらは3種類の
キノコを使ったチーズのサブレそして
こちらカモのタルタルですね
フランボアーズと梅を使ったソースが
かかっておりますそしてこちらはサワを
使ったぶたスカまイタリアでは定番の
トマトソースのパスタですねで最後はこれ
洗濯することがはできるんですけども僕は
スキを使ったサルティンボッカを注文
いたしましたま通常は多分お肉とかを使う
んですけどねその上に生ハムを乗せて小麦
こかをかけて焼いた料理となっております
珍しくおシャンティーなメニューをワイン
と一緒に堪能させていただきましたこれ
ボノ食後はミラザ大阪場の売店を少し
うろうろいたしましてさらに足強くなって
たんですが最後にもう1歩きすることに
いたしましたやってまいりましたのは豊富
秀吉を祀るために作られました報国神社
ですねでこれかなりややこしいんですけど
京都にも同じ感じの神社がありまして
そっちはね豊国神社って読むんですよで
こっちは報告神社ま違いはと言いますと
報告神社の方っていうのは豊富秀吉だけ
じゃなくて豊富秀よとか豊富秀なとかです
ねこういった方もひっくるめて祭っている
んですけども京都の方の豊国神社は豊臣
秀吉をこの主な神様として祭っているとま
こういう違いがあるらしいですね今映って
いるのが2007年に復元されました豊富
秀吉の像となっておりますさあそれでは豊
秀吉の像が出てきたところでですね大阪城
といえば豊秀吉が亡くなって江戸時代に
入った後の大阪冬の陣と夏の陣この2つの
戦いが非常に有名だと思いますので最後に
このですね大阪の人について簡単に解説を
して動画を占めたいと思い
ます豊富秀吉なき後ですね関ヶ原の戦いに
勝利した徳川家康は誠意大将軍となって
江戸幕府を開きますついに天下統一を
果たした徳川家康ですが心配事が残ってい
たんですねこれは何かと言いますと先ほど
解説いたしました上町第一という非常に
素晴らしい地にですね大阪場を生き残って
いる豊のひよでございますやはりなんだ
かんだ豊氏っていうのはまだまだ強い影響
力を持っていますからね彼が生き残ってい
てはやがて江戸幕府を滅ぼすような強い力
を持つんじゃないかという心配を家康はし
ているわけですですのでなんとかして豊市
を滅ぼしておきたいというのが家康の本音
なわけ
ですそんな時に起きたのが宝寺証明事件
ですこれは豊秀織が父の豊富秀吉を供養
するために宝光寺というお寺を再建して
そこに大きい金を吊したわけですこの金に
ですね実はこんな文字が刻まれておりまし
た国家暗行ま意味合いとしてはこの国が
平和であるようにっていう全然普通の言葉
なんですけどもここに目をつけた徳川家康
はですねおいおいと家の字と安の字をこう
やってあえて切るように書いてい
るっていうのはこれはもう完全に徳川家康
に喧嘩売ってるよねという風に言いがかり
をつけたわけですねま諸説ありまして豊富
川が本当に悪意を持ってこれを作ったって
いう説もあるんですけどもまともかくこれ
をきっかけとして大阪冬野陣という戦争が
スタートするわけですこの図で言うと左側
が豊軍になりますねまなんと言っても真田
丸を作って大活躍した真田雪村が以上に
有名でございますそして右側徳川軍は豊富
軍の約2倍の兵力を持って大阪場を攻めた
と言われておりますが大阪城は堀が大量に
ありまして攻め込むのが非常に難しいん
ですね徳川軍はなかなか城を攻め切ること
ができずに戦いは長期戦となっていくわけ
ですそこで徳川軍は作戦を変更します
イギリスから購入していたこちらの
カルバリ砲という大砲を使っで大阪城に
砲弾を打ち込みまくったんですね結果とし
て豊臣軍の中心人物であった豊秀織の
お母さんのヨ殿この方の事書が攻撃によっ
て次々と亡くなったこともあり繊維を喪失
した豊臣軍は徳川軍と和木を結ぶことに
なるわけ
です和木をする際にですね徳川軍は大阪城
の外堀を埋めさせてちょうだいねというの
を和木の条件としますところが実際には
外堀だけではなくて内堀も全部埋めて
しまうんですね一般的にこれは徳川家康が
嘘をついて内堀を埋めたという風に言われ
ているんですが実は当時の資料をよく見る
と内堀を埋めること自体は豊臣方も承知を
していたことが分かりませんただ豊臣側と
してはゆっくりと埋め立てをすることに
よって当時恒例だった徳川家康が死ぬのを
待っていたという意図があったと言われて
いるんですが実際には徳川軍がそんな
ゆっくりやるんだったら手伝うよという
ことであっという間に内も埋めてしまった
ということらしいです
ねそして1度は和木を結んだもののこの後
も徳川幕府は豊市に対してですね大阪を出
て三重県もしくは奈良県の方に引っ越して
ねというこの国替えなどをはめとした様々
な条件を提示してきたためやはり徳川幕府
は許せないわということでもう1度戦争が
始まるんですねこれが大阪夏の陣でござい
ますですが先ほどの大阪冬の陣の和木の
条件として大阪城の堀っていうのはもう
埋まっちゃってますから
老上海軍は徳川軍に対して攻め込んでいく
わけですねま普通に考えると数が少ない
豊臣軍には勝ち目はないところなんですが
ここでも真田幸村が大活躍をしましてあと
一歩で徳川康を倒すことがでできるという
ところまで攻め込むことに成功するんです
ねですが風船虚しく最終的に豊臣軍は破れ
まして徳川イアの徹底的な残党狩りもあり
とうとうトヨは滅亡してしまうんです
ねこの辺りの歴史を辿っていきますと徳川
イアスってなかなか悪いやつねという風に
思ってしまう資料も出てくるんですけども
結果として大阪冬の陣夏の陣が終わった後
っていうのは江戸バは250年間平和な
状態が続くわけですよねやはり戦争におい
て何が正しいかっていうのはすごく難しい
なというのを改めて感じましたねここまで
の話に出てきた真田幸村そして徳川イアス
はNHKでもさだまるどうするイアと
立て続けにドラマ化されている非常に人気
の高いところじゃないかと思います他にも
漫画や映画や様々な作品で描かれている
ところですので戦国時代や江戸時代が好き
な方はですね特にこの大阪場を楽しむこと
ができるんじゃないかと思いますので是非
足を運んでみてくださいということで今回
の動画は大阪場についてお届けいたしまし
た最後までごご視聴いただきまして
ありがとうございまし
[音楽]
たで
[音楽]
徳島でのお遍路を終えて、大阪で打ち上げ後に大阪城へ!
お城巡りと、ミライザ大阪城でのイタリアンを楽しみました。
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#だーちー #ベタ旅 #札幌 #営業 #すごろく #沖縄 #千田涼介
4 Comments
1コメ🎉
さすが社会科の先生、ありがとうございます。
歴史に疎い私でも信長さんが貿易による利権で戦費を出させたのは知ってますね。土地からの米収入だけには見切りを付けた時代ですよね。😊
オシャレな場所でイタリアンを食べるなんていいですね。