温江知新4〜光る!紫式部の軌跡探訪編 〜
[音楽] 皆さんこんにちはこの番組は一般社団法人 東京滋賀健人会がお届けするYouTu チャンネルです東京はもちろん故郷滋賀 ゆかりの文化や歴史隠れスポットやグルメ まで滋賀県の魅力をたっぷりとお届けして いきますよ私は滋賀県の騎お寺大好きMC の森田愛奈ですよろしくお願いし ますそして今回もこの方をゲストにお迎え しています滋賀県在住の日本市学者大江 歴史文化研究所の太田浩先生ですよろしく お願いしますよろしくお願いします太田 先生よろしくお願いしますよろしくお願い しますさてこのシリーズなんと今回で4回 目となりますね前回は江戸大美をつぐ徳川 はい小演習編と題して東京と滋賀の小演習 ゆかりのスポットをたくさんご紹介しまし たように ねそしてこの番組おこ新はおこし古を尋ね そこから新しい知識見解を知るという意味 ですがこのおこ地の子を江戸大美の豪と 置き換えて東京にある滋賀ゆかりの スポットや滋賀県のスポットをご紹介する 番組ですそして先生今回のテーマは紫式部 ということですねそうですね一気に平安 時代にあの遡ってしまうんですけど遡り ましたあの今年の2024年えのタガ ドラマが光るきえということではい え現時物語を書いたえ紫式文の生涯を描く タイガドラマですのではいでまあ紫父自体 はあのあの自身はあのほとんど京都で生活 してたうんあの奥さんの娘さんですからね ね当然ねただお父さんがあの一然の国士と 言ってうん今まで言うとま検知みたいな ものになったんではい一前まで旅をしてる んです当時で言うとかなりの距離があり ますよねそうですねですからあのこの琵琶 の風景っていうのも彼女はそのの歌を残し てるんですがたくさん琵琶の風景っていう のをあの紫式部州っていう彼女のうん若臭 があるんですけどそういったものやなんか に残してるのでそれを通してあの紫式部の ま生涯の一端をえ今日は見ていきたいなと いう風に思いますなるほど確かに現地物語 の中だけでも795種も歌が入っていると いうことでその辺りをしっかりと知ること ができればうんうんドラマもそして滋賀県 への旅もさらに楽しくなりそうですねそう ですね本人が本人のなんていうかな体験で あの読んだ歌ですんでねまあの現地あたり はいわゆる小説ですけどもこれはま実体験 から出てきたあのえ若ですのであの当時の なんていうかな平安時代のま中期のこの大 を知る上でも興味深いところだという風に 思いますのでなるほど
よろしくお願いしますよろしくお願いし [音楽] ます高島市にある白神社にやってきました こちらは琵琶にある鳥も有名ですよねそう ですねはいま滋賀県で1番古い神社って いう風に言われてるんですけどはいあと 全国にもなんか300ぐらい分霊って言い ますか白引神社があるらしくてうんそれの ま元締めってことですよね はい正しい神ですねそうですねはいでは せっかくですので中に行ってみましょうか はい石碑があるようですのではい [音楽] [音楽] はい先生こちらがハデと本殿はい立派です ね日田吹きのはいそうですねあも桃山時代 の終わりっていうかう淀のひよがまか 関わって最高された車線のようですけども はいで今様々なご利益があるらしいので はいえ商売繁盛も含めてそれからあの交通 安全もあの叶えてくれるということなので なるほど今日のロケの安全を祝ってあ大事 ですねはいあの回りしていきましょうか はいお願いします [音楽] はいここに石碑がはいあのありますけど あちらに村崎市部が読んだ歌が書いてあっ てこちらが説明があるんだと思いますけど もなるほどあのもちろん白ひげの滝 の手間もなく立ちにつけて宮子小石もって いうことではいえ紫四部があの お父さんのと一緒にえお父さんが一然の 国地になったんで今のま地時みたいなもん んですけども一緒にまえ越前に行く際にま 塩津の方に向かって行くんですけどもはい あの琵琶はあの大津から千津まで船で行く わけですよねですからここの小岸のあの 自作通ってずっとあの塩津の方に行くん ですけどなるほどその途中でこの辺をあの とか海って行ったんですよこのこの辺りを 東人の辺りをでそっからこう見たら網引く 民がいてで量をされているそうそうそう子 さんがいてそが非常に手もなくって忙し そうにしてるの見るとうん見てまそういう 風に見るについてまう今離れてきたんだ けどももうもう無は恋しくなったとあこ から 道でがしそうもうすぐねえ都で立った ばっかりなんだけどうんおそらく前に行く のがちょっと嫌なのかなそうそれでもう都 がこしいっていう風に言ってるっていう なるほどうん宮もず生まれた時から都育ち だから嫌だったんでしょねお嬢さんうん どんなところか分からないから不安って いうのもあったのかもしれないですねそう
そうそういう風な歌を読んでるということ ですねええこの歌からその時の紫式部の 気持ちをこう推察することができるんです ねうんそうですねここは身の海って身の崎 ってところはとっても古代から有名なとこ でやっぱりこうちょっと出てるとこもある んですけどま突出してるところもあるん ですけど水の方にあの海のカの欄っていう あのえ奈良時代にえ氾濫がありますけど そん時はなんかもここで活線があったり あの非常にま古代から有名なところです 個性のねはいはい [音楽] さて太田先生続いては琵琶湖にやってき ましたがこの辺りにも紫式部が来られたん ですかうんはいここは今の西町のえ長浜市 の西町の塩っていうところ塩浜の集落の すぐ近くにいるんですけどもはいあの徳3 年997年という年なんです え部があのお父さんが一前の国士になった ので今の福井県ですねあここを まお父さんと一緒に大津からここまで船で やってきてでここで上陸してそしてあの 塩津山ってまあ今 こっから歩きでなるほど山越をしたという ことになるんですけどもはいまその時に あのやっぱり歌を読んでるんですようでで あのこういう歌なんですけどもこれ紫式部 が読んだ歌なりますけどもでC蘭雪に 鳴らす塩山この塩山がいわゆる今で言うと 深坂自然の森 はいこちらどんな心情が込められているん でしょうあのコっていうのに乗ってるん ですねあ歩く歩くってさっき言っちゃった けどまあの本人は歩かないであのえ腰腰 ってわりますよねあの乗って運んでもらう よそうそうそう運んでもらうですかごと ちょっと違うんだけど腰に乗せてもらって ずっと超えてくんですけどそのかあのか かきたちがねかごじゃないですね腰かき腰 を腰をあの担う人たちがねまここはもその なんていうかな辛い道だとうんあのいう風 に言ってるけれどもこの塩津山っていうの はね顔たちがそう文句言ってたのっていう 話を聞いたんですよ紫支がねでまほんの ことは知ってる知ってるけれどもで4人 振る道っていうのはまあ障害というか なんていうかな衣装というかはもっと こんな山よりももっと辛いもんだついもん だよっていうあことを言ってるんですけど はちょっと超えたぐらいの 娘さんなんですけどでがなんかさすように こういう風に読んでるんですけどま ちょっとちょっとお嬢さんぽいねやっぱ うんなんかこう人生のすいも甘いももう
経験し尽くした人が呼んだかようなそう そうそうそうそうそうそうそうそううんう なことを言ってるんですけどうでちょうど ねあのここのここここ今車通ってますけど ここであの平安時代の1100年代のあの んかなあの港が発掘されてるんですよで紫 式部が通ったのはそれよりも150年 ぐらい前なんだけどまおそらくこの辺に港 があったあという風に平安時代もあま江戸 ジの港とかはまたちょっと違うんですけど この辺に港がおそらくあったという風に 思いますのでまその向こうが大津ですけど ね大津からやってきてこの港に着いて そしてこっからま腰であちらの方が塩山な んですけどまで超えてたっていうことだと 思うんですけどなるほどこのでも琵琶の 風景っていうのは当時とそんなに大きく 変わっていないかもそうですね港はもう だいぶ分かんなくなっちゃったけど風景は 変わってないと思いますねなるほど南部と ねこの北の方のビはこの景色も違いますし 紫式部がやってきてさらに険しい山道も 超えながら人生はもっと辛い よ顔顔のカさに行ったらこと知ってるわ つって怒ると思うんですけどなんかそう いうちょっとなんていうかなうん本当に ちょっともう年配の女性みたいな感じにで もその当時のこう紫式部の心情っていうの がこの歌から伝わってきますねうんそう ですねだからもう辛いって言ってんのは 要するに自分が都で生活してればもう ちょっと楽地になんやけどなんでこんな 田舎に来なきゃいけないのっていうですね なんかそういう宮子たちのお嬢様の不満 みたいなのも入ってるんだと思いますはい これからの暮らしどうなっちゃうのかなっ ていう心配もここからそうはいそこを聞く と若い女性のうん悩みのような感じもし ますねそうそうですねまそういうことでま 紫式の当時の状況とかあるいはこの塩山 っていうねあの当時のこの滋賀県のチリえ をよく示しているものだろという風に思い ますなんかに感じられたよう はい はいさて太田先生先ほどの大見から少し 下って前原にやってきましたが小岸に 大きな岩がありますねはいはいこれあの磯 の浜っていうところなんですけどでここ あのみさがちょっと飛び出てるんですはい 今でもそうですよねちょっと飛び出てると 思う翌年か行った翌年かよよ年の早い段階 でおそらく帰ってると思うんですけどもう 12年で後にして戻ってこられるんです そうですちょっと理由もう1つよくわから ないですけどはいそれはお父さんも一緒に
うんお父さんと別れてお父さんおいうん 一然に置いて1でうんへちょっと理由が よくわからないんですけどもまとにかく あの京都の方に帰ってくるんで大抵あの 琵琶湖ってあのあの南に下がる時はことを 通るんんですけどもなるほど行とはルート が違うんですねそうそうそうそうも行は 個性が多いんですけどでその時にここの先 を通った時にま歌を読んでるわけですよ なるほどそれがこちらですねはいであのれ 同じ心にこおるのことですけどねのなく何 を思いずる人や誰ぞ持っていってま磯ん ところでまつが泣いてるけどま私も同じ ような心なのかなっていうことでで何を 思ってるのかなってつるも何を思ってるか 自分はもう含めて人や誰思ってま誰か思う 人があってその人を思いながらま泣いてる のかなっていうようなことをですけどうん でこれこれが誰を持って今父が読んでるの かよくわからないんですけどもしかすると 都でこれすぐ結婚することになるんではい あの信孝って藤原の信孝っていう人とね その人のことじゃないかとも言うんです けどなるほどええじゃあこう越前に お父さんを残して今日に戻る途中もう過去 は振り返らずに都子にいる方のことを思っ て読んだ歌かもしれないもね今はあれです ねカしかいないですねあのそうですね らしいツがいないか当時はツルが泣ていた んですねそうですねはいとても有名なとこ ですでそこにもあるんですけど毎州のあの 歌屋なんかも打たれ歌われててあの石碑は 残念ながら紫シじゃなくてあの万4州の歌 の石碑なんですけどまあの非常に昔からま 琵琶の中では有名な場所だったなるほど はい様々な方の心を動かす景色だという ことなんですねはいこの石も昔からあった でしょうからねあのなんていうかな象徴的 だったんですよね石が見えてあだって相当 大きな立派な岩ですよねはい遠くからでも よく見えたでしょうねはいまということで おそらくこの自作をもうだいぶ前1000 年代の話ですけどえもう今から21000 年ぐらい前かなえの話ですけどま通って いったってことですねはい ふさあ先生さらに南に移動して安しにやっ てきましたがコシ道路沿いに大きな立派な 花被がありますねはいはいあのコシ道路に も案内があるのではいあのすぐ腰道路通っ てれば分かると思いますけれどもこれも あの紫式部があの帰り道あの越前からの 帰り道にあのこの沖から歌を読んでその歌 が残ってるということでその歌を責にして ここに置いてあるっていうですねはい なるほどそれがこちらの歌ということです
ねはいはいで大津島 え島森神やこれインですねはい波も騒がぬ わの裏って書いてあるんですけどはいこの まあ尾島っていうのがどこかっての なかなかちょっと難問ではいちょっとあの 馴染みのない地名 今あの沖島って島があはいはあの大見八幡 にありますけど実はこっから見えるんです けどもはい今日はちょっと霞んで見え にくいですけどはいあの沖島のことじゃ ないかって言われてま琵琶湖開き島ですね は人が住んでる島ですけどうんという話が あるのともう1つあの沖島のあの 東川に沖津島っていう今は陸続きになって ますけど島があったんですけど時はもう1 つ島があったんですねはいでそこではない かなと私も思ったりもするんですけどで それはあのなんでかてこ島もる神やって 書いてあるでしょうであの沖島の方には 大島沖津島神社っていう大きな神社がある んでま沖島にも神社があることはあるん ですけどもはいうんちょっと非常に難しい どっちかと悩むところですねはいこの大島 沖島神社だとする とあの島かなていう気もしないでもないん ですけどなるほどでま前こがあの途中から 見てるわけですよねええ船の上からそう そうそうこちらを見てそうですねへえで その島がこうもうむいんであの何にかって いうとその波が騒がないようにこうとめて いるっていうか荒くならないようにしてる のではないかお神がねえでそれがあのわわ の裏の大きでそうじゃないかっていう風に 読んでるってことなんですけどうおそらく 大井と渡辺をこれついにしてるんだと思い んですけどあなるうんあのうんあの長老 さんとこう子供とねへえでまこの辺りが その今席が立ってる辺りがわの裏ではない かという風に考えられてるんでこの子に おそらく敵があるんだと思いますけど なるほどまいずれせよこの沖合いであの 奥島とか奥島を見てま読んだ歌だろうと いう風にえ考えられていますはいうん そしてあの波も騒がぬということはこの神 様のおかげで安全に琵琶このの船で渡る ことができていたこそうことですねはい はい田先生はい ついに石山寺さんですねそうですね最後 13番ふし 石山寺ここもまあ非常に村崎式部と係わり があるところであの今まで見たのところは こう一前からの生き返りでしたけどそれ からしばらく経ってからまはっきりわかん ないんですけどもいつからっていのがね あの原地あり彼女の代表作である原地あり
をま書き始めるんですけどその書き始めた 場所がここだという風に言われてるので 石山寺だと言われてるのでえ ちょっとご参拝ガテラあの見学に行き ましょうかはい紫式部の人生にとっても 大事な場所ですね はいお邪魔し [音楽] ます田先生本道の前にやってきましたが 石山寺さんの名前にも石入ってはいが立派 な岩がそうですねこれあの警戒石っていう 石の種類らしいですけどもはいそこにも 書いてありますけど国指定の天然記念物に なっているものであの石山寺っていうのは この石石野山のように見えると思いますが うんこの石石山が元で石山寺だという風に 言われあのまそそう名前がついたと言われ ている名のりえまさにということですはい で石山寺といえば1まあ1番1番かな1番 かどうか分からないけど非常に石山寺を 代表する建物として知られてるのがタフと ああ綺麗な建物ですねそうですねはいえ 日本を代表する他方島だと思いますけども え昔あのプラモデルがあってこれなかあの はいえ他方島のプラモデルがあったんです かうんうんこ作った覚えがありますけれど もへえあの有尾な姿で あの本当にえ滋賀県全国的に誇れる文化だ と思います多くの方に愛されているという ことなんですね はい太田先生本道の前にやってきました はいそうですね国宝のえ石山寺本道はい 元々はあの奈良時代にえ本道も作られた もうんですけどもえ平安時代にこう改築さ れてるっていうかま再建されてるっていう ことなんですねね平安時代の中ぐらいかな はいはいで今そのまま平安時代のままこっ てるなかなか平安時代のね本土ってないん でここに指定されてますけどはいうわあ すごく歴史を感じますねでこっちのあの 清水の舞台みたいに酒作りになってんです けど雷蔵とか沼がある前についてるんです けどこれはあのさっき見ましたあの白ひげ 神社と同じでえひよとそれからヨにを 付け加えられてですねうんでここに今 後ろ側にこれ現地の間って書いてあります けれどもはい村式部がここにまあ一前から 帰ってしばらくしてから え少子っていうえ一条天皇の中宮から言わ れてまなんか面白い物語を書きなさいって 言われてそんで高層を寝るためにあのこの 石山寺に散してま当時の石山寺はあの女性 がたくさん散したことで有名ですけもはい 散してそしてそのうんここからまそれで この場所に散したという風に言われてるん
ですけどもそれが今現地の間っていう風に 言われて残ってるんですがはい え本当お人さんがいるんですけど今日 ちょっと今お色直しの最中で今日は ちょっと今まだまだいらっしゃれません けどはいまここにで参道してそんでま正面 にこう琵琶が見えるのであのそこのおに こう琵琶というか川かなが見えるので琵琶 に月がこう映るのを見てそれをまえヒント にして現地ありの妻の間からま書き始めた のがこの場所だっていう風に言われてます なるほどでもう村時代のあの日記類あ南北 所時代から村ああの石山寺ですね石巻は なんかにもまあれ鎌倉時代の作品ですけど もそれにもこう現時のマってのが出てくる しま花会省っていうあの南北長時代かなの え現地現地物語の注釈書にもその話が出て くるのであのえ村地区学校であの現地物語 を書き始めたっていうえことが書かれてる のでですごく有名な話だねこれはあの滋賀 県でももちろんですしま日本でも有名な話 だったらしくてあのあの有名なねあの信長 もはいあのトラコ山城っていうのを作るん ですけど元気3年にはいえあの大寺を 攻めるためにその時にあの えこうドラゴゴ山のお広目の時の記録が あるんですけどもその時にあの信長のあの 家臣の太田魚市っていう人もあのトゴ山 から石山までは見えないと思うんやけど はいああの琵琶のあっち側には石山寺で そこは原あたりのあ紫式部が聞こした ところだっていうことをわざわざ書いてる んでねあの琵琶の風景としてなるほど織田 のなもおそらく知ってたんでしょうねえ 本当にだからこの話は有名な話だったん ですねああでそれが今でもこう伝わって るっていうのが素晴らしいことだという風 に思いますはいなるほどもう信長校も知っ ていてそして現代にも愛されているこ現地 物語がまさにこの場所でここから見た月 からはい想を得て書かれたっていうその 場所をまだ見ることができるっていうのは 贅沢ですねそうそうですねあ放物も たくさんすりとかねあの紫四部のすりとか お持ちになってらっしゃいますしま紫四部 と共にまゆんできたお寺とも言えるかも しれませんねままもちろんあの最33場所 の所でもありますけどはいもこうはるか昔 にいらっしゃった紫式部という女性が確か にいたっていうその即席をしっかり感じ られるっていうのはいいですねそうそう ですねはいそういうところだと思い ますはいこちらが紫式部のク刀という風に 言われているものですはいうんちょっと紫 も珍しい形をしていますねそうですねあの
紫式亡くなってからの抽選のあの灯なん ですけれどもはいあの北京イトって いう塔があるんですがそれを3重ねてるま 包イトの傘の部分を3つ重ねてるという べきなのかなこのこの傘の部分これ傘なん ですよこれこれが傘ではいで上にもう1つ 傘があってへえ本当は総林っていうこれ 五輪島のあのなんてゅうかな一番上部が 乗っかってますけど林ってもっと長いやつ ででこれが等身って言ってこれ今ホさんが 4体ここに刻んでありますはい各面に1体 ずつはいはい国の重要美術にもなってるの であのま本当に塔として石造物としては 貴重なもんだという風に思いますはい なるほどではもうお参りに来られる際には 見逃さずにしっかりと見ていただきたい ですそうね特に年はということですはい はい太田先生石山寺さんの中を進んでき たら紫式部の像がいらっしゃいましたね はいあの昭和54年に作られた塔のよう ですけれどもうんまちょうどあれかな執筆 してる最中かなね美しい姿で筆を取られて いますねまあのこの石山寺ね紫式部のこと はあの島崎東村もまま近代のえ文庫です けどもえ島崎当村も書いてますしそれから 松尾場所屋なんかも紫部を読んだ歌じゃ ない早くやながあったりしてですねまうん 江戸から明治近代にかけてのま文学でも 非常に扱われた石山寺え紫式部ということ なんですけれどもさらにま江戸時代だと こうたくさんのね絵があの西さんに たくさん残ってますけど絵があの月を見 ながらえ現地を気候するっていう紫式部の 姿を描いたあの絵がたくさん作られたり ですねま絵画とかえ文学とかま芸術の世界 でもま非常に有名になったあお話ですので それが今度はまドラマで再現され るっていうことですのでまどういう風に 石山寺の部分がねあの描かれるか非常に 楽しみなとこですねはいもうまさにその後 の世の様々な文学会に行路をなした人たち に影響を与えた紫式部その紫式部の即席を 本当に感じにねていはいそドラもり楽しん でいきたいですねはいで合わせて滋賀県に これだけゆかりのあるということはいえ 知っていただければと思います はいさて太田先生今回は光る紫式部の奇跡 田房編ということで長浜市舞原市安市 そして高島市の白髭神社大の石山寺をご 紹介いただきましたうんはいあここは今日 は平安時代の話でしたけどあの滋賀県には たくさん平安時代の他にこの跡とかま特に あの仏さんを中心にね紫式部の同時代の ものもたくさんありますのでえ他もあの紫 式部に限らず平安時代の石宮席を尋ねて
いただきたいなという風に思いますはい あの今日色々とお話を聞かせて う行く道中そして前から京都にる道中は なんだかこうモヤモヤとした気持ちを歌っ た歌が多かったななんていう風に思って こう滋賀でハッピーな気持ちというよりか は色々とこう人間らしい不安になったりと か葛藤があったりとかそういったところを 感じて人間らしさを感じることができたり ですとかこちらの石山寺さんではうんうん 現物語のきっかけとなった そう嬉しいな感ましたま彼女 が現地ありを書くにあたってのま様々な 背景まおそらく嫌なこともあるやろうし 嬉しいこともあるやろうしそういったこと をこの滋賀の旅でえがま背景にあることも あったんじゃないですかねそではま現地 物語りのあの1つのえま書き始めたって いうこともそうですしそれから物語の内容 にもきっとこの琵琶の風景えというものが 影響してると思いますのでそういう思いで またえ滋賀県え琵琶を見つめなしてみるの もいいのかなという風に思いますはい今回 ご紹介した場所是非皆さんも訪れてみて くださいねそれではまた次回お会いし ましょう [音楽] さよなら
今回は、ぶらりロケ企画♪
【温江知新4〜光る!紫式部の軌跡探訪編 〜】と題し、2024年の大河ド
ラマの主人公「紫式部」にスポットを当て、意外と知られていない紫式部ゆかりの地と滋賀県各地で
紫式部が詠んだ歌を通して、紫式部の生涯を探ります。
出演:森田 恵奈
太田 浩司(淡海歴史文化研究所 所長)
※温江知新とは
温故知新=古きを訪ね、そこから新しい知識・見解を知る。という意味。
この温故知新の【故(こ)】を、江戸・近江の【江(ごう)】と置き換えて、滋賀ゆかりの文化や歴史、隠れスポットからグルメまで!東京にある滋賀ゆかりのスポットや滋賀県のスポットをご紹介する番組です。
<今回ご紹介したスポット>
■白髭神社
滋賀県高島市鵜川215
https://maps.app.goo.gl/pYr3nTFMbt2hxyfP8
■塩津浜緑地公園
滋賀県長浜市西浅井町塩津浜
https://maps.app.goo.gl/bhdEJfQYMnsidbNT9
■磯ノ浜(烏帽子岩)
滋賀県米原市磯
https://maps.app.goo.gl/UDQP3177NqFUZRf66
■紫式部歌碑
滋賀県野洲市喜合
■石山寺
滋賀県大津市石山寺1丁目1−1
https://maps.app.goo.gl/GLaEyKRqhXh9z69n9
#紫式部 #光る君へ #滋賀