【兵庫】姫路城の城下町は江戸時代の◯◯だった!【姫路】
皆さんこんにちは本日は姫路市に来ており ます姫路と言いますとおそらく一番有名な のはこの駅前の道をずっとまっすぐに行っ たもう見えていますねあちら姫路城です 姫路といえば姫路城なんでこの上の方に 登ったらすごく綺麗に見えるんでちょっと 登っていきましょうかいろんなお城を巡っ ていきましたがおそらく市民に最も愛され ているのはこの姫路城です姫路の人にね 姫路のいいところは何ですかという風に 聞いたらね絶対に名前が上がってくるが この姫路です姫路の場所が分かんない人も 結構いると思いますのでここで確認して おきますと姫路はどこにあるかというと ここですね神戸のちょっと西側にあります つまりえ兵庫県ですねこの姫路城あもう出 てるなえっと現在僕がいるのが姫路城の 南側にある姫路駅なんですがこの駅から ずっとまっすぐ進んでいったら姫路城に 到着するといった形になっていますが しかし当然ですが僕のチャンネルでそんな 簡単な巡り方はしませんこちらが姫路城の 昔の小地図ですえ今見て分かります 通り現在のお城までまっすぐ伸びている道 というのはですねもうこの頃ないんですよ で現在地の駅というのがどこにあるかと 言いますと大体この辺りですこちらの地図 が僕が事前に準備してきた地図なんですが 黄色いのがですねかつてあった道で青いの がかつてあったお堀ですねでどこかなと 思って見てみるとここが駅ですつまりこの 駅の目の前に進んでいくとお堀があっても 通れないわけですじゃあこのお掘りがあっ たのはどこら辺かなと思って見てみると 大体あそこにです ね横断歩道があるの分かりますかあそこら 辺にお掘りがあったと言われていますなの でここを通って向こうのお城に進んでいく ことは江戸時代にはできなかったんです じゃあ江戸時代の人たちはどうしていたか と言いますとここの駅からですね西の方向 に進んでいくとここにかつての道があるん ですよなのでまずは駅を西の方向に進んで いき向こうにある昔の道を通ってお城まで 向かっていきましょうさて駅から西の方向 に移動してきました現在地がこここの南北 に通っている道が昔からある道鹿街道です じゃあ見てみるとこれが鹿街道ですねで さっき僕がいた駅というのはこちらの方 あそこに展望台が見えていますこれですね だからま展望台から3分くらい歩いてくれ ばこのかつての道に出ることができます 是非ね姫路城訪れるんであれば昔の道を 通ってみた方がいいでしょうなぜかと言う とですね大体姫路場といったら皆さんがお
城が始まると思うのはこの辺りだけなん ですよ実はそうではなくって姫路城という のはもっと大きいですこのくらいの大きさ があったので現在がいるこの場所もほぼお 城の中というかお城に入るすぐギリギリの 場所みたいな感じです先ほどお見せした小 地図で確認してみるとここに駅があって西 の方向に移動してここが鹿街道でちょっと 北の方に行きますとここに高架があるん ですよねでこの効果の横に青いお掘りが あるの分かると思いますこれパッと開いて みると現在地ここら辺なんですよねという ことはもうこのお掘りの中に入ってしまえ ば完全にお城の中浄化町になっているん ですだから もうあそこに見えていますがえちょっと ぼやけたなあこうですねはいあそこに見え ていますが効果の辺りもうこの辺りからお 城は始まっているんですよというのが 分かりやすい絵がこちらです多分これは 江戸時代に書かれた長官図といってま鳥の 目線から書いた絵なんですがここにあるの が姫路城の天主角でえ現在地はどこかなと 思ってみていくと大体この辺りに当たり ますここにねお掘りがあるの見えますかね ここのすぐに門があるんですね今から通り ますのがこちらの門だから右側にお堀が あって左側にもお堀があるというのが 先ほど見ていた地図ではこの辺りですね右 と左にお掘りがあってここに門があったん だろうということでじゃその門の跡地に 向かっていきましょうさて高架の真下の 辺りまでやってきたんですが地図を見て みると昔の道というのはこのガードを出て 左側この道ですねしかしこの道残っている んですが今ねこっちの方に繋がっているん ですがこっちは昔なかったのがえ地図を見 たら分かりますもうちょっと向こうの奥の 方に入り口があったんですねでその後に カクっと曲がってこんな感じでえこの現在 ある商店街ですかね中央通りという風に 書いてありますがここに繋がっていました 大体こういうねお掘りの跡とかは地盤進化 が置きやすいんでこんな感じであの床の方 に近づいて見てみるとへこんでたりするん ですよますかねこっちの 方この辺りが少しへこんでいるかなと思い ますちょっと分かりにくいんですがここは 分かりやすいですよ ねここの地面 はま突然ぐっとへこんでなんかこっち側が 高くてこっち側が低いみたいなそんな感じ になってるのが分かるでしょうこれは おそらくお掘りが昔あったからその影響で 盤が弱くなっているんだと思いますとは
いえしっかり作られてという感じなんで なんか他の地域に行ったりしたらもう ちょっと分かりやすいものがあったりする んですが今回この姫路はないなさて 向こう側今僕が見ているのが西の方角なん ですがえこんな感じでカクカクカクカクと 曲がった後に向こうに進んでいくという話 をしていたんですがちょうどよくねここに 看板がありましたよ鹿松門って読むのかな えなんて書いてる姫路南方の外堀にかかる もんで条のえ外の港である 鹿松町たということが書いてありますで その港に向かう街道に向かって開かれて いることからこの名前があるだからし松門 という風な名前だったんだよと Googleで鹿松という風に検索してみ たんですがこのように現在僕がいる場所 から南の方向に点々とそのような名前を つけている施設というか場所というか そんなものが並んでいるのが分かるかと 思い えこの南の方向にえ鹿といった港があった わけですこれとか分かりやすいですね カクカクと曲がっていた僕がさっき歩いて きたのはこっちの方が駅なんですよで駅の 方からこっちの方に進んできてここに鹿間 街道がありますよとまっすぐ行きましたと で多分この点線が今残ってる道なん でしょうねでこの道を右に行って進んで いったらここが商店街なんですが昔はその 奥の方にある道をカクカクと曲がって そして北の方向に向かっていったという ような形ですなので現在僕が見ているこの 道ですがこの道というのはこの門の右側の ここですねこの南北の道ということで じゃあ昔からあったこの道を北に向かって いき ましょうそんで北の方向に向かっていき ますとまたこんな感じで屋根がある アーケードが出てくるんですがこの アーケード は多分ね上から見たら分かりやすいかな 上空からの地図を確認しますこちらが かつての小地図ですこの現在僕が指差して いる道を見ていただいたら分かるかなと 思うんですが少し斜めに下がってるんです ねこの道を現在の上空の地図から見ると このような感じここが斜めになっていて今 も昔の道が残っているのが分かりますこの 黄色い道はね新しい道ですつまりはなので 今通ってきたのは大体ここをかくかくかく と曲がった後に北に行ったで昔の道に到着 したんでこれをまっすぐ行って黄色い道に 出るのではなくあれが黄色い道ですねでは なくえこの細い屋根があるアーケードを右
に曲がって進んだ方が昔の道ですという ことであちらの新しい道ではなくこの古い 道を進んでいきます長管図でこの周辺が どのような光景だったのかというのを確認 してみるとえ鹿の門を入っていきますと 大体このような状況なのでなんだろうな 河原のお家が結構出てきてるのかなでも 外側堀の外側は川のお家はないんで やっぱり住んでいる人が全然違うん でしょうねこっちの南の方は多分え農民と かそういった人々が住んでいた場所でこの 辺りは長屋になってるので商人でしょうね この小地図ですが結構ね地図に色が塗って あって分かりやすくしていますえこの紫 っぽい色この紫っぽい色が塗ってある場所 には商人が住んでいましたということは 現在いる僕がこの辺り歩いてきたんでうん やっぱり商人が住んでいたんですねちなみ にこの濃ゆい紫というのはお寺っぽいな うんお寺っぽいですね現在のこの光景を見 てもまだね商人の方々が住んでらっしゃる みたいなんで同じような使われ方をして いる場所なん でしょうこれが今僕見てる方向南の方向 そしてこちらが北の方角です多分一番複雑 だったのが今通ってきた道でしてこの辺り に駅があり西の方向に行きで北の方向に 行ったらなんか駅の高架下を通ってで鹿門 ですよと言った後に右に曲がったら現在 見えていたのがこの道なんですがあとはね この道をずっと北の方向に進んでいきます とこのような門がありでもうそっから まっすぐ進んでいけばまちょっと途中で 曲がったりはするんですがまっすぐ進んで いけばこのような姫路城が出てきますとま 姫路城というかあの本丸とかそこら辺なん です がまそういうことでこの道をずっと まっすぐ進んで昔の江戸時代の人々は姫路 城に向かっていったわけです実際に姫路城 があった頃の時代というかま姫路城らしい 時代をえ体験したいなと思うのであれば こちらの道を通った方がいいでしょう姫路 駅が開業したのはいつなんだと思ってです ねしてみたんですがここにありました開業 年月日が1888年つまり明治21年当然 ですが江戸時代に鉄道は通っていません 鉄道が通っている現代はですねま姫路の 中心というかえ人々が集まる場所というの はおそらくこの駅前だと思うんですよです がこの鉄道がないという風になりますと 当時1番栄えていた交通移動の手段といえ ばま海なわけですだからその交通の手段と えお城をついでいるのがえ重要な鹿間街道 でしたそんな鹿間からお城に続いている
この道というのはですねかつてはすごく 賑わっていたんだと思います現在は全然人 がいませんがそのように考えて想像で補い ながら歩いていきましょう実際に自分の足 で歩いてみるとま駅前の辺りは結構開発が 進んでいてわかんなかったけれどこの辺り は普通に昔の道が残っていますねちなみに 先ほど通ってきたここのお堀ですがこのお 堀をですね外側にある堀と書いて外堀と 言いますで現在も残っているこの姫路城の すぐ近くにあるお堀ですがこれはですね 内側にある堀と書いて内堀ですで現在はね 残ってないもう1個のお掘りがここに乗っ ているんですがこれはまその中間点にある ということで中堀という風に呼ばれました でこのねお掘りでま囲われている区画の ことをクワと言うんですがえ内側にある車 が内グワそして中間地点にあるのが中グワ そして外側にあるのが外という風な呼び名 で呼ばれています現在僕がいるのは外車 です外車はさっきお話しした通りこの紫色 の色で塗ってあるので大体町人が住んでい た場所でしょうなのでまあ町人が住んで いる感じの道があるんだなという想像をし ながらここを歩いていきますなんかあるぞ 戦前の中野門筋あ中の門ていうもがですね ずっと向こうの方にあるんでま後で説明し ますがその門がある筋だからえ中野門筋と いった道の名前だそうです中野門筋は江戸 時代の大手門通りまつまり大手門というの はですねえお城の正門みたいなことなんで まお城の正門に繋がっている通り道といっ た名前ですま各地にあります大手門通り ですねでこの筋沿いには代々町の年寄りを 務める年寄りってのはま町内会の会長 みたいな感じを勤める豪商など大きな屋敷 が立ち並んでいました まかつての写真見てもね確かにメイン ストリートと言ってもいいでしょうちなみ に現在僕が歩いているこの外車ですがま この辺りはね紫色の色で塗ってあって商人 が住んでいたということが分かるんですが ちょっと東の方向に行くと白 っぽい色に変わってくるんですよねまこれ 何かと言いますと白はですね武屋敷があっ た場所ですでま大きく見たらですね白い エリアというのはここが多分でっかくま 白くなってるかなと思いますでその外側に こんな感じで白いなんだろうなえとLG型 にま囲われてるそんな感じなんですがこの えお城のすぐ近くにある白い部分というの はですね結構偉い武屋敷で外側にあるのは ま足軽とか鉄砲体とかそんな感じでえま 身分としては低い人たちが住んでいた武器 屋敷ですだからまこの配置から見るに多分
敵がやってくるのは東の方だという風な 想定だったんでしょうね東の方向に守りを 固めてるそのように見えますのででこの 鉄砲隊たちがですね実際にえ戦になった 場合はこの周辺にあったお寺ここに いっぱい集まりましてま砦のような扱いを 受けてここで防御していくといった戦い方 を想定していたんだと思いますとにかく どんどん中野門筋を北上していきましょう これはまたアーケードが出てきましたね 読み方はちょっと合ってるか分かりません が西2階町か西二階町かそんな感じで読む ん でしょうさてこのアーケードですが大体ね アーケードがある場所は昔からあった道と いう風に決まっていましてこ地図を見てみ ましょうかあでもこれまっすぐだな完全に 昔からの道だなじゃあこ地図で現在地を 確認してみるとえ鹿門から北の方向に進ん でいきましてこちらが中野門筋ですでえ 現在はここの交差点ですねこの西の方向に あ西じゃない東の方向にずっと進んでいき ますとま町屋が繋がっているんですが途中 でね町屋が北の方向に曲がりますで北の 方向に曲がったかと思いますとまた東の 方向に曲がっていてで出口があるみたいな そんな感じなんですねでじゃ反対に西の 方向を見てみるとえこっちの方向にずっと 進んでいきましてあここにも出口がある みたいな感じでま町を道が通っているん ですよこの東西にまっすぐ続いている商店 街ですがこの通りが実は江戸時代の山陽道 でしたつまり西国街道ですつまりはこの 南北の道が姫路城下町のメインストリート でこの東西の道が西国のメインストリート ということでもうここがね多分当時1番 栄えていたエリアだろうと思いますそんな メインストリートとメインストリートが 交わるこの場所なので向にね面白い看板が ありましたよ脇本陣な跡こちら書いてある ことを読んでみるとなけは愛だったかな これ読み方愛出身の豪商でその屋敷は江戸 時代を通じて本人に通じる脇本人に指定さ れていたえ本陣というのはですねここに 街道が通っていましたのでま例えば殿様と か偉い人が通る時にはまここに止まります よみたいなま高級旅館と言ったらいい でしょうかそんなものを本と言ってました でそれに準じるような脇本陣だからサブの 本陣ですねそういったものに活用される ほどのお屋敷がここにあったそうです他に もこの脇本陣な跡からですね反対側の方向 を見てみますとここに は富といったお薬屋さんがあるんですねで さらに横の方見たらなんか古いものが写真
ですね残っているんでこれも見に行き ましょうかこれを見にって見ると戦前の 富谷八房って読むのかな富谷八房はえっと 1684年すごいな江戸時代ですねその頃 の創業の死でえたくさんの病気によく聞く というお薬を作っていましたと江戸時代の 姫路で最も栄えていた交差点というのは この交差点だったのでかつてはたくさんの 人々が行きかっていたんでしょうじゃこの 交差点からさらにお城の方向に進んでいき ますつまり北側の方角ですねすると1つ目 の交差点にですねあそこに看板がありまし てさの辻あ珍しいさの辻って読むんだ札の 辻っていうのが結構多いかなと思うんです が解説を読んでみると江戸時代ハト人相 書きここ難しいなハトというのはですねま 現代の言葉で言うと法律まあ今は法律は インターネットとかでバーと広がったり なんかテレビとかで広まったりすることが できるんですががそんなことかつてはでき ませんのでまここにねえあるかな絵があ あるなこんな感じのえっとなんて言うかな 掲示板ですかね掲示板みたいなものを置い てでそこでこんな法律作りましたよみたい なことを周知していたというのがまこの殺 の辻なんですが他にも人証書きこれ指名 手牌ですねそんなものを記した考察場と いったものがこの辻の男性の角ということ はこっちですねこの辺りにあったん でしょうで続きを読んでみるとここは姫路 城大手の中野モ筋と重要な講義の道再海道 の交差した城下町で最も多くの人々が往来 する場所であったという風に書いてあって えさっきの話と矛盾するじゃんという風に 思うかもしれませんがですね実はこの最か ごめんなさい西国道っていうのはですねま この道のことなんですが実は後に先ほどの 道に付け替えられていますのでまあうん 時代によって場所が変わったという風な ことですから矛盾はしていませんそん筋の 1個北側にある道あちらが現在国道2号と して知られている道路ですこの国道2号 ですがずっと向こうの方見てみてもね 分かるかなと思いますえこの辺りになんか 山っぽくなってんの分かりますかずっと この山のようなものが続いているんですよ 現在見ている方向が東の方角なんですが この山のようなものは西の方にも続いてい ますでさっきちらっと映ったようにここに は石垣があるんですねもうお分かりかなと 思いますがここにはかつてお掘りがあり そしてここに門がありましたこれが中の門 ですつまり地図で確認してみると今まで 通ってきた外車はここがですね商人が住ん でいた場所という話をしたんですがこれが
中野門なのでこの門から向こう側はもうね 武士が住んでいるエリアになりますこの 青いお堀の部分が現在いる国道2号線だ からねまこの辺りは全部水だったわけです でちょうどこの辺りにえ土で作った橋が ありましたので向こう側に渡ってえ門の中 に入っていく向こうの方にはもう武士が 住んでいますので普通の一般庶民僕みたい な人間はかつては入ることができません でしたそのような様子はこの長官図からも 見て取れますえ外の方だからお城の外には このよう にま屋根がですねま草で作られているよう なそんなお家が並んでいるというしました でその中に入って外車はこのように長屋が 並んでいまして中には草の屋根のお打も ありますがまほとんどは河で作られている かなといった感じでこれがですねここに ちょうど書いてあるのが見えますかね中野 門という風に書いてあるんですが現在地は ここでこの中に入るとどうなるかと言い ますとお屋敷のね長いこの兵がありまして で門があるみたいなこれが武屋敷なんで もう全然ね街の性格が変わっているわけ ですということでじゃあ武屋敷のあった エリアに入っていきましょうあこの中野門 は増型だったんですねこんな感じで四角く 防御の設備が出来上がっていましてま敵が 入ってくるとしたらこっちから入ってくる んですが入ってくる際にはここの様という んですがこの穴からですね鉄砲とか弓矢と かをバンバン打ち込んでいってえっと敵兵 を殺していくとでやっとこの中に入れたと 思ったらねもうこの中でま袋のネズミ状態 にされてこっち側からバーンと打ったり こっち側からバーンと打ったりまこの上 からも打てるんでまここでもいっぱい死ん でしまうみたいなそんな感じの防御の 仕組みが出来上がっていましたで見てみる と横にねこれ多分土の表現だと思うんです が多分草が生えてるんでしょうねここら辺 の土をいっぱい掘った後の土をここに持っ てってでここにドルを作るみたいなそんな 感じですということでマスガだったなら 多分入って1回左に曲がらなきゃいけ なかったんでしょうけどさすがにその意向 は残ってなさそうですねさて中野本橋を 通り過ぎましたので中車に入りましたもう この辺りは武士が住んでいた場所 ですということで中野門を通り過ぎまして まっすぐ進んでいったら行き止まりに到着 し1回右に曲がった後に左に曲がるといっ たま鍵形の形になっていたようですねこの 鍵型ですが多分残っていそうですよ今この 道をずっと進んでいきますと木があります
よねあそこで多分ぶつかって右に曲がる 必要があるん でしょうまっすぐ進んできましたら木に ぶつかってで1回右に曲がった後 にここから左に曲がらなければいけないと 現在もその昔の形が残っています多分この 道は昔からの幅を残してくれているん だろうな多分発掘かなんかあったん でしょうねでこっちの方見たら このように石垣が残っていますので多分 これも武屋敷の石垣をそのまま使っている んでしょうまここら辺はね確証がないので 僕の勝手な想像 です奥の方にはああ見えてますねいいです ね姫路場の天子角が見えていますつまり 現在地はここの道をまっすぐ行って カクカクと曲がったこの辺りから北の方に ある天使を見上げているそういった状況 ですじゃこの道をまっすぐ進んでいきます となんか右側に橋がかかっているんですね 広場があんのかなもう広場はなくなって そうだなあそこ車がいっぱい通っているん でまっすぐ進んでいくと多分この車が通っ ている辺りとその奥の方にあるのが先ほど 見ていた広場で右の方を見たら橋がかかっ ているのが見えますこちらの長図で今通っ てきた道を確認してみるとえ大体この辺り がが場で駅があった場所から鹿門に向かっ ていきで札の筋ですねここに察場が見えて いますで札の筋をずっと北の方向に進んで いきますとここが中野門でさらに先に進ん でいったらまっすぐ行って右に曲がって左 に曲がるみたいなそんな感じでえ広場に 到着でこの橋を渡って姫路城現在も残って いる内に入っていき ますてるこちらの堀が内堀ですだから僕が 立っているこの場所がですね中車でこの堀 の向こう側が内ぐになりますこの橋を渡っ た先にはもうね石垣ばっかりでかつての姿 は残っていないんでなんか弱そうだなと 思うかもしれませんが見てくださいこれ あの先ほどの長官図なんですが橋を渡って すぐ向こう側にはねこんな感じで白壁の やぐらがいっぱい並んでいた様子が描かれ ていますつまり今はねあんまり分かり にくいんですがこの石垣の真上の辺りに 矢倉とかがあってま向こうの方から僕が 現在いるこの場所を狙ってきていたわけ ですよだから攻め込むと思ったら見えない 位置にたくさんの兵が並んでいてでこっち を狙っているそのような状況ですしかも ですよおそらくですがこの橋もかつて木造 ですぐ壊せるようになっていたと思います だから敵がやってきたという風になります とねここのえ橋をぶっ壊して中に入れない
ようにするそのような仕組みになっていた んでしょう それでは橋を使って内堀を渡りえ内ぐに 向かっていきますと思ったけど橋を渡る前 になんか面白そうな看板がありましたえ 姫路城大手門と桜モバと書いてありまして 現在地がこの辺り入っていってああすごい なめっちゃ曲がってんなカクカクと曲がっ ていって中に入っていくんだここがですね 大通り後で説明しますがまあのお城の中に ある広い通り道ですで左側にはお屋敷が あって右側にもお屋敷があるみたいな そんな感じなんですねもうここら辺突破 するのがすごく難しいような作りになって ますねそれでは橋を渡って内堀を通りすぎ 内ぐに向かっていきます目の前にはま 先ほども言った通りここには今はぐはない んですがそれを想像しながらね入っていく とすごく楽しめるでしょうここに見えて いる端からこの門を通ってですね中に入っ てきましたけど多分ここに線のようなもの があるのは昔ここにね石垣があったんです よというような目印のように見えます 向こうの方にもねあるんですよ足元えー できるだけね人の顔が映らないようにして いるんですがこんな感じ見えますかねだ から先ほどの境界線を踏まないようにして いけばおそらくかつての通り道が分かるか なと思いますということでこのラインの 左側ですねここの部分が昔の大通りだった 部分ですすごいなこれ向こう側ね芝生 みたいになってるんですけれど芝生の ところにも分かるようにしてくれてる よ僕はこの昔の大通りを通って向こうに 進んでいきたいんですがちょっと通れない ようになっていますのでま仕方がない 回り道していき ましょう向こうに見えている場所から 回り込んできましたこから見たらですね ここにあの道の跡みたいなものがあり 向こうにもあるんですよだから現在僕が 立っている場所が昔の道ででこっちに進ん でいけばお城があるそんな感じですじゃあ ここから先はですね内ぐだけが映っている 長管図に変えていこうと思うんですがご覧 の通りですね現在僕がいる辺りはえ大体 ここですね現在僕はここにいるんですが 周辺にはねたくさんのうん屋敷があるん ですよがもうねそれはなくなってしまって います今から中に入っていってこの姫路城 の内側にはいっぱい残っている様子をお 見せするんで現在僕がいるここ3の丸と いうんですが3の丸にねほぼ残っていない というのは結構違和感があるんですよでは この3の丸のお屋敷たちはなぜ消えて
しまったのかその理由がですねこっちに 歩いていったら分かりますその理由が 分かるというのがこちらですこの石にです ねが書いてありまして歩兵大重連隊あ火と いう風に書いてあります江戸幕府が倒れて 明治新政府が成立し明治時代になるとです ねお城を廃するという風に書いて廃条例と いった命令が出ますその命令によって全国 のお城は壊されることになりました皆さん がご覧になっている3の丸ここは陸軍省の 管轄になり歩兵大10連隊の弊社が置かれ た場所です向こうに見えている姫路城も 入札の上取り壊すことになりましたえそれ がですね2350線という風な金額で落札 されたようですところがですね取り壊しに も膨大な費用がかかりますということでお 城を入札した人もですね取り壊すことはせ ずにそのまま放置してこの姫路城は荒れ 放題になっていきましたそんな荒れ放題 だった姫路城はですね現在見てみると綺麗 に保存されているんですよなんで現在に 至るまで綺麗に保存されているのかという 話はですね中に入からしようと思います ここにちょうどいい姫路城の歴史という ものがあったんで読んでみますね元々は 鎌倉時代頃に赤松海村え赤松炎神といった 名前も有名ですがそういった人物がですね え作ったお城という風に知られています 当時鎌倉時代ですのでま北条といった一族 がですねえ失権法条師として政治の実験を 握っていましたその法城士たちを倒そうと いう風に考えて東の方向に向かっている その途中に作った城だそうですまその頃は ですねまお城というよりは砦でと言った方 が我々の感覚には近いんじゃないかなその くらいの規模のものでしたじゃあ我々が 考えるお城のような形になったのはいつな のかという話になってくると思いますが それはですね橋秀吉がモ攻めのためにこの 張間に入国してで3十の天使を築いた頃が おそらくその頃だと思いますこれがその時 の地上の様子を描いた浮です描かれたのは 江戸時代なのでま橋秀吉と言いますと徳川 の敵ですからえ橋秀吉という名前を避けて いるのが面白いところ当時この姫路城の 上手は黒田官兵彼が秀吉の張間閉廷に協力 してこの姫路城を献上しましたとはいえ その頃はまだ城と呼べる形になっただけで あって現在のこの豪華で複雑な形のお城を 作ったのは徳川イアスの娘向こである池田 照正ですこの池田照正が関ヶ原の戦いでえ 武幸ををあげてこのお城をもらいそして 入場していきますその後約9年間という 月日を費やして現在も残っている大きな 天主と小さな天使を結んだ天主軍を
作り上げたんです当然ですがこれらの天主 軍とそれを結ぶワタリアグは国宝でしてで 下に書いてありますね日本で初の世界文海 産に登録されましたこのタイミングでえ 姫路城ともう1つ世界分解さになったのが 奈良にあります寺ですそれではそんな世界 ありでもある姫城に入っていきましょう ありがとう ございさて中に入りましたけどもうね本当 見所は山ほどありますので全部説明する ことはせずにま僕が要点というか知って いる話だけ話していこうと思いますこの門 までが3の丸でこの門をくぐったら2の丸 ですこちらの門を過ぎます とがねすごく綺麗にかっこよく見えるん ですが攻めているというとこの別れ道をね どっちに行けばいいんだという風に困る わけですよで例えば右に向かって進んで いきましょうかじゃ実際に進んでいって みると分かるんですがこっちはねあの 行き止まりになってるんですよねあこっち に少し門があるぞちょっと見てみましょう かこのくらいの大きさの通路であれば実際 にここに石を積み込んでしまって人が通れ ないようにするなんていう作戦も立てれ ますのでま実際戦いの場合はそういった ことも考えられていたんでしょう要するに このようにしてま大軍がやってきた場合も 線の大軍がやってきたら500と500に 分けるみたいなそんな感じでね敵を分散さ せていき倒しやすいようにしていたその ようなお城ですということでこの別れ道は ですね右に行かずに左に行くのが現在の 順路ですしかしその前にこの姫路城がなぜ 保存されたのかという話をしていません でした続きですねその続きが こちら中村大佐懸賞費といった石碑がある んですよ中村大佐とは一体誰なのかこちら がその中村大佐中村茂とまたの名を中村 新二郎と言うんですが一体どういう人物か と言いますと江戸時代末期から明治時代に かけての陸軍の軍人さんです明治時代に 成南戦争といった日本最後の内乱が起こり ました新政府に不満を持つ不平士族を率い て戦ったのが最後高森です日本の成南の 部分で起きたつまり九州の辺りで起きた 成南戦争ですが最後はですねこの鹿児島の 辺りから北上していきで熊本城周辺で戦い になりますこの熊本城にえ新政府側として 残っていたのがですね先ほどお話ししてい たえ中村大佐です中村大佐は成南戦争で 燃え落ちていく熊本城の姿を見て大変な ショックを受けましたその後青南戦争が 鎮圧され落ち着いた後ですね中村大佐は 東京の方に戻ってきますその途中でこの
姫路えここにあった第10連隊ですねそこ に立ち寄りまして姫路城を目にするわけ ですするとそこにあったのはボロボロに なって放置されている姫路城でしたこれは まずいと中村大佐は考えますそしてこの 姫路からさらにですね東京の方に向かって いくとなりますと名古屋もありますので 名古屋城の参上も見てこれはまずい名古屋 城もやばいぞという話になってきます そして最終的に東京に到着するんです東京 に到着した中村は当時の陸軍のトップで ある山形友に自談しますなんとかして姫路 城と名古屋城を保存してほしいそういう風 に言うんですねその願いが聞き入れられた ので現在も姫路城はこのように残っている んですだからここに中村大佐懸賞費が残っ ていますそれでは天主に向かって歩いて いきましょうある程度歩いていきますと このような矢が見えてきますこちらのは小 やぐらと呼ばれておりまして千姫といった 人物に関連のある矢倉です千姫とは一体誰 なのかと言うとですね徳川家康の孫に 当たる人物です彼女はえ徳川と豊富の略 結婚の中で豊秀吉に嫁いでいますしかし皆 さんご存知の通り豊富家は大阪夏の陣で 滅亡しますということで大阪城はどんどん 燃えていってしまい楽生するんですがその 燃えさかる大阪城からが救出されたのが 千姫でしたそんな千姫は本田たかの孫で ある本田たとと再婚します本田た時の父で あるただは桑名10万国の阪だったため 結婚式は桑名であげられましたその後 本田家は張間の国への移動により15万国 に稼働されますしかも家康の孫娘という ことで結婚祝に10万国のお祝いをもらっ ていますだから一気に10万から25万へ と大出をしたんですこの化粧やはその時の 結婚祝で千姫のために作られたものです こうして本田ただが姫路城に入り仙台の 池田テルマが気づいた城にさらに手を加え ましたそうやってただ時と千姫の住む場所 とされたのがこの西の丸ですその後千姫は 女の子と男の子を生みました男の子はです ね本田家の四となるということで本田家は 反映していくだろうという風に思われたん ですがしかしですねそううまくはいきませ んでしたえ男の子は3歳で死んでしまった んですその後も千姫は神に祈ったり神社を 立てたりして男の子が生まれますようにと いう風にお祈りをしていたんですが一向に 子供が生まれませんということで次第に 周囲はこれを豊富秀よの祟りだという風に 言うようになりとうとう本田た時も死んで しまいましたつまり千姫は最初の夫である 豊秀よりそして自分が産んだ息子さらには
2度目の夫である本田たを失って出血する という悲しい人生を送りましたそんな千姫 が住んでいたのがこの姫路城の西丸です この西丸から見える姫路城の角度というの が結構有名でしてよくポスターとかに活用 されています上空から見たら分かりやすい んですが姫路城の天主というのはですね 大きな店主がここにありましてその周りに はこんな感じで小さい天主がえ3つあり それを廊でついでいるといった構造をして いますそのような構造を連立式天主という 風に呼んでいまして姫路城がその連立式 天主の代表的な例です他にも有名なもので 言うと松山城も連立式店主になりますこの 姫地上は壁と屋根瓦に白いシが使われてい ます屋根瓦見えるか なあちょっと分かりにくいかもしれません がまとど白いシが使われているのが見える ででこのような様子からお城が白く塗られ ているつまりえこれをですね白い詐欺が 羽ばたいているようだということで白さぎ 城もしくは白城という風に別名で呼ぶこと もありますそれでは西の丸を後にしてまた さっきの場所に戻っていきましょうさて 化粧安倉の真下に戻ってきましたここから 天主はですね右に曲がっていくんですがあ 現在工事中ですねこの道も結構有名な道 ですが まちょっと今見てもわかんないんで今回は 触れないでおきましょうさて工事エリアを 抜けましたがもうこのように天使角がすぐ 近になってきますちょっとね雨が降ってき てるんで早めに天主に入っちゃいましょう [音楽] か手内部は結構ね他のお城も同じような 説明をしていますので今回することはない ですがこの姫路城で最も特徴的なのはこの 最上会ですね いやそれでもね天使の中身の大きさが 段違いにでかいですよこのように階段は急 になっていますま急になってるのはですね できるだけこの建物の内部の面積を広く しようということでこの階段の面積を狭く するといったことで急になっているんです お城の構造の話はですね姫路城以外でも できるんですがこの話は姫路城の天使角 最上会でしかできません姫路城の最上には このようにがありますご最新は姫路小部狼 と書かれていますこの姫路城の天使格を 舞台にした天主物語といった物語があるん ですがあ今上に書いてあったのはこれね ジャンルがホラーなんですよかつて公人 天皇といった方がいらっしゃったんですが この公人天皇いつ頃の人物かと言いますと 奈良時代の最後の方ですねその王子に小部
新王といった方がいらっしゃいましたこの 小部新王の父は公人天皇ですが母はですね 井神内新王といった人物でしたでこの井神 内新王の息子である小部新王がよし次の 天皇だという話になって交代使になるん ですが実はですねここから陰謀が始まって いきます伊神内新王がえっと公人天皇を 呪ったという話になってくるんですねと いうことで伊神ない新のの息子である小部 新のお前は天皇にはふさわしくないという ことになりまして交代使から外されて しまうんですこうして次の交代使を見つけ なければという話になって交代使になった のが後の神無天皇皆さんご存知でしょう 平安時代の1番最初の天皇ですそんな話に 大がついてどんどん伝説が広がっていき 最終的にはですね姫路城に住むと言われる 妖怪小部姫といった妖怪が生まれますえ 小部新王の娘だったかなそんな感じの人物 がここに住んでいてなんか恨んでいる みたいなそんなお話なんですよということ で現在もこの姫路の天使角西城会には姫路 小部狼が祀られているわけですこちら窓の 外を見てみたら向こうの方に今日出発した 姫路駅その展望台が見えています今も人が いますねこちらいい感じに模型がありまし たので今日最後に今回通った道を確認して いきましょうえ1番最初駅からスタートし ましたがこの辺りがおそらく駅かと思い ますそこから西の方向に歩いていきます とし線が見えていますがこの辺りが鹿街道 で右に曲がると鹿門がありえここがですね SGのカクカクしたところですがそこから さらに東の方向に進んだらこちらが中野門 筋でずっとここの階を進んでいきますと 多分これがあどっちだあこっちかこれです ねここがえっと札の辻じゃない殺の辻かと 言っていた場所 ここが多分え最街道でしょうねでずっと 進んでいきますとここが中堀でこれが中の もで入ってい たらこちらが3の丸で2の丸で 本丸で現在いる店主ですああよかった雨は 上がってそうですねこれにて今回の動画は 終了ですご視聴ありがとうございました
〇目次
00:00 姫路駅
05:39 外曲輪
21:54 中曲輪
26:28 三の丸
31:49 二の丸
34:51 西の丸
38:31 天守
○参考書籍・サイト
姫路城公式サイト:トップページ – 姫路市
https://www.city.himeji.lg.jp/castle/
姫路市:トップページ
https://www.city.himeji.lg.jp
姫路観光ナビ ひめのみち
https://www.himeji-kanko.jp
●公式ホームページ
https://youeleschool.com
●Twitter
Tweets by Y_Eschool
●Instagram
https://www.instagram.com/Youtube.ele.school
●メールアドレス
marutakeebisu.yh@gmail.com
取材依頼や案件なども募集しております。
お気軽にお問い合わせください。
Amazonほしい物リスト
https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3ODNCBI95ULS0?ref_=wl_share
動画制作に活用する予定の書籍などのリストです。 ご支援いただける場合はよろしくお願いいたします。
#観光 #歴史 #旅行
19 Comments
丘みどり様の故郷だよ❤
古地図シリーズ新作! 待ってました
概要欄の目次が空欄になってます!
38分24秒 暴れん坊将軍で有名な坂道
大阪生まれ大阪育ちだけど行った事ないんだよな姫路城
姫路城横に庭園の好古園やラストサムライでの撮影場の書写山、姫センで有名な姫路セントラルパークもあります
都市規模的には関東でいうところの宇都宮?と同じくらい?
記念切手を思い出した!
次姫路にいらしたら野里の方も古い街並みでいいですよ🎉
面白かったです。長かったのですが、最後まで観てしまいました。
還暦過ぎた姫路出身者なので、ここにある姫路城の歴史や外堀・中堀の位置などは、ほとんど知ってましたが、やはり、古地図と照らし合わせて街並みを歩いていく、というこの企画は面白かったです! 来年、アクリエで講演もするということのようで、聞いてみたいのですが、私は、ちょっと時期的に無理ですが、どうぞ頑張ってください。 なお、最初の方で、通り中で陥没のような地盤沈下を探しておられましたが、私は、そのようなものを感じた記憶がありませんけどね、この辺で。 動画でもある坂のような高低差はありますけどーー。 他地域では、そういうことがあるのですね、それも見てみたい気がします。
初めて見ました!
正に本日これから姫路城🏯を見に行きます!😂😂
商店街アーケードの道が昔ながらの生活道路・旧道?だったりする。
姫路は東京ではアクセントが違う。めにアクセントがある。
地元民でよく姫路城には遊びに行きますが、三の丸広場の直線のタイルが何だろうと思ってた謎が解けました。
説明看板を見て歩くようにしたいです。
天守閣と言うのは、明治時代に建設された高層建築物を「〇〇閣」と呼んだものにならった俗称ですので城郭などの歴史を語る時には、使うべきではない呼び方だと思います。
天守の有る近代城郭の基礎となったのは、織田信長が建てた安土城と言われています。
それまでは、城郭の中心に見張り台となる櫓が建てられていたものを権威の象徴に作り変えて天守を生み出したのです。
また、安土城の天守(安土城の場合は、天主と呼ぶ場合が多いです。)は、織田信長が居住場所としていました。
安土城の天守以外では、居住する為の場所ではなく武器や食料等を保管する場所として使われていました。
姫路城に最初の天守を建設したのは、説明の様に羽柴秀吉でした。
当時の大手門は、東側です。
この部分に、当時のままの所が残されているそうです。
その後に入城した池田輝政にて羽柴秀吉の天守を壊して元の天守台を囲う様に今の天守台を築きました。
昭和時代に、天守台の石垣が傾いていたので大天守を解体して石垣を積み直す工事の時に羽柴秀吉時代の天守台を確認しています。
池田輝政が、巨大な城郭を建設したのは、大阪城に立てこもる豊臣家を包囲して豊臣方であった毛利家の間に楔を打ち込む為です。
また、大阪城を包囲する目的で建設された城郭は、「彦根城」や「伊賀上野城」、「和歌山城」等が有ります。
姫路城で特徴的なのは、堀の構造が同心円状ではなく一筆書きの様になっている事です。
堀の始まる場所は、本丸の北東の場所で姫路神社のある場所です。
そして、終わりの場所は、北東の野里門の所です。
同じ構造の堀を持つのは、江戸城だけです。
姫路には、陸軍が駐屯しており軍需工場も有った事から空襲を受けて市街地中心部が焼け野原となりました。
また、この空襲の時に大天守の最上階に焼夷弾が落ちたのですが、不発弾だったので焼失を免れています。
その不発弾は、当直の兵士の方2名により天守の外に運び出されたそうです。
また、空襲を行ったアメリカの軍人の証言によれば、姫路城の周辺は、レーダー観測で建造物の無い沼地と判断したので焼夷弾を投下しなかったそうです。
戦後に、姫路市長となった「石見元秀」市長により大手門より姫路駅まで続く50m幅の大手前通りを多くの反対を押し切り空襲からの復興の為に建設しました。
国道2号線は、昭和の初め頃に中堀を埋めて建設されましたが、戦後の混乱時に建物が建てられて2車線の道路となっていました。
それを昭和40年代頃より拡張工事を行ない35〜45年位前に今の幅の道路となりました。
また、姫路市が行っている道路拡張工事で国道2号線の為に埋められていた長堀の遺構が、発掘調査で確認されています。
尚、姫路城では白漆喰を定期的に塗り替える為の工房が、場内に有り何時も何処で白漆喰を塗り替える工事を行っています。
姫路城の天守にカップルで上がり、天守の確か大阪の方に向くと2人は別れると言い伝えが有るらしいですよ、それはあの千姫の怨念と言うか千姫が豊臣秀頼と大阪戦いで秀頼と千姫が離れ離れになり幸せになれなかったので千姫の思いがそうさせるのじゃないのかと人に聞いた事が有りますね
しかし今でも千姫の思いが
そうさせる何て千姫の豊臣秀頼を思いが強かったのだと思いましたね‼️
城下の古地図、懐かしい。30数年前、この城下町をテーマにして卒論書きました。地図だのフィールドワークとか…大変だったの思い出しましたわ。
来月姫路城に行く予定なので、検索していたところこちらの動画が目に止まりました😊!
楽しい動画で、行く前に見れて良かったです😊!
ありがとうございます😆👏