令和5年度高知県文化人材育成プログラムvol.4「フォトグラファー3者鼎談~ローカルからグローバルへ~」
お待たせしました時間が参りましたので ただ今より高知県文化人税育成プログラム ボリューム4フォトグラファー3者定だ ローカルからグローバルへを開催します 本日はお忙しい中ズーム参加いただきまし てありがとうございます私は高知県文化 財団の宮路と申しますどうぞよろしくお 願いいたしますそれでは3人の講師の講師 の紹介をさせていただきます最初に住田 和夫さんです住田さんは1952年に高知 市でお生まれになりました1970年県立 高知工業の機械化を卒業され1983年 大阪写真専門学員を卒業されましたその後 文化庁派遣 芸か在外研究研修員としてICPで研修を 受けられました作品はtheニュヨカ やフランス大手新聞リベラシオンの紙面 ウブに掲載されています日本国内では銀座 のソニーギャラリーやニコンサロン山口県 の集団士美術館を始めフランスの パリホストラブ や apadエキスポシカゴOKハリーズ ワークスOKKハリーズワークスオブ アートロシアのアルカギャラリーなどで 作品を展示されましたシカゴ美術館と スミソニアン国立アジア美術館デンバー 美術館中南市美術館には作品が修造されて います林田胡障2002年IPA国際写真 省2004年4伝現実4伝芸術文化省 受賞2020年2014年ロシアの ウラジオストック国立経済サービス大学で 客員行使また同じ同じ年の2014年から 2016年までフィリピンのデーラサール 大学で講師として写真を教えるといったご 活躍をされて ます次に木戸高子さんです木戸さんは 1970年四年生まれです総括大学経済学 部卒業後プロラボ勤務を経てフリーランス フォトグラファーとして独立2003年 ニューヨークのICP卒業その後 ニューヨークで白黒銀煙写真のプリンター リタッチ高知新聞への連載などを行い ながら自身の作品制作発表表を行って まいりました2008年帰国国内外で古典 グループ店に参加し作品を発表されてい ます2021年家族の親密な関係性を納め たシリーズスキンシップ でフトフルシザクカルクリティカルマス トップフティフォトグラファーズに選ばれ さらに2022年フミン フォトグラフグランドショ就勝 レンズカルチャーサマーオープン2022 優勝2023年デイライフトアワード優勝 アーノルドニューマン賞でファイナリスト
に選ばれる2022年から市都市に在住さ れています写真集に東日本大震災の被災地 を撮影した次安シン2021 年現在アジアと 芸術デジタルのウェブマジンウェブ マガジンで見えない日常SAシリーズを 連載中です3人目は吉岡ささんです 1963年に高知しておになっており ます1990年からアメリカで写真 化すいませんえ1990年からアメリカで 写真家としてのキャリアをスタート 2005年からは世界中の加速機研修所を 研究所を訪れ特に2007年にはスイスの セルンで撮影を行いその成果が認められて 2008年にはブリティッシュジャーナル オブフォトグラファーでベスト科学写真書 写真家に選ばれまし た彼の作品集ビッグサイエンス スタンフォード経加速機センターは東京都 写真図書室に修されアメリカの サンディエゴ写真美術館と高地県立美術館 にも作品が修されています現在は高知拠点 に作品を発表中 です以上で紹介を終わりますここから公演 となりますので司会進行を高知県立美術館 石本安ホセンター庁代理浜チーフと交代し ますよろしくお願いしますはいえじゃ知 県立術館ですよろしくお願いいたします じゃあ早速ですが第1部として3人の写真 人生とトワークの自己紹介としてえっと それぞれお話しいただければと思います じゃあ最初に住田さんよろしくお願い いたしますはいえこんにちは住田和夫です えっとこの度はそのズムオンラインに出演 させていただきましてありがとうござい ますえっとですね私はちょっと小学校の時 からですねちょっと変わっていたんですよ ねえと言いますのはもう極との緊張症 そして赤面教症でえ友人を作ることもそれ から人前で話をすることもえ異性の人と話 をすることもできなくてですね悩んでおり ましたでずっと悩みまして高校生になると ですねあの親のアドバイスも聞かず反抗 ばかりもう勉強は投げせてですね事故の その性格改造しと思いましてまラグビーブ に入って汗を流したりそかあと宗教活動も こうやってたんですねでえですからその 悩みが解決できないままなんとか高校卒業 しましてですねまあの社会に入ってえ会社 に入ったわけなんですけどもその県外の 会社のある上司に絶て的にいじめられまし てですねあの心をちょっと崩したわけです ねでえもとにかくやがて退職してえそれ からもう あのどう言いますか心を非常に崩しまして
兄が非常にこう心配しましてですね兄が 大学時代の時の写真部におったもんです からそのカメラのニコマートFという新品 のカメラほぼ新品のカメラを私にくれまし てですねえそれが私の写真との出会いな わけですでですからこう昼間仕事をし ながらえ写真をしたわけです空いた時間に 写真をしましたでですけどそのコンテスト などを中心に目的としたあの 写真活動でして本格的なその作家的活動し し始めたのは 1984年 ジプ森沢ゴと言うんですけども実は私旧名 が森沢かなんででえ父親は高した1984 年頃ですでちょうど30歳ぐらいだったか なえ67歳で父がガで亡くなりましてで そうするとですねあの生存中のその父のせ 余韻がもうつきまとってですねも非常に ショックでしたそれからあとえ職場の人間 関係の悪かったもんですからものすごく こうストレスが溜まったわけですで ちょうどその頃ですね目に入れても本当に 痛くない可愛いえ幼女の子がおりまして家 に帰るとですねストレスでたまっあの人数 までこう悪くなってしまった私の顔を見て 子供たちが泣き始めましてですね怖い 父さん怖いことでそれがものすごいシクで ですねこれなんとかしなくちゃならないと いうことでえ子供たちが寝また夜にあの 石屋線フィルムを使用してですねあの もつれたちょっと帰ってくれます かス線フィルムを使用しましてそのもれた 心をちょっと待ってくださいねえこのよう にあの真中にえ自分の身を置くことによっ てその瞑想的にあるいはそのお前のように ですねあの撮影をし始めたわけですでえ 1984年から1990年ぐらいまでま この夜にえ赤外線フィルムを使っての仕事 をし始めましたでえやてですね あの少しずつ土佐の夜のお繁華街でタムし ている人物を撮影したくなりましてですね あのまある日これから土佐深夜入ります けどもえ高知市の夜景ですでえある日土佐 の夜の撮影中にですね何年かぶりにその 偶然応じに出会ったわけですね え その母の弟なんで非常に私と近い関係なん ですねで彼はその男性なのになんかこう 女性っぽい印象がありましてこういう言葉 今は言ってダメなんですけどゲだったん ですねでえ王子はですねあの新子服のセビ の厚で整形を立てていたようですけどうん なかなか仕事が綺麗で評判が良くてまハリ が良かった頃工事市中心部にあるゲバに こう理したようですでですがやがてですね
あの品ができましてですね下屋を閉じまし たで今度はそのバーにですねスタッフとし て勤務し始めたわけ です あのそういうことで王子のですねこの叔父 はの話が少し聞いたんですけどもなかなか この保守的な土佐のえ土地というのはあの この芸をものすごく偏見で見られたり人間 扱いしてくれなかったと言っておりました で私がこのようにですねあの叔父に頼って あの夜の世界を取るのに非常に叔父が サポートしてくれましてだですからその 頼ってくいける頼ってくれることが叔父に とってはすごく嬉しかったと思いますあの 日陰でずっとおったもんですからでその こういう連の土佐の写真が撮れたのは やはり叔父のおかげでございますでえっと それからですねすいませんねちょっとあら え次にシベリアにこう行きたいんですけど これ電波押さとたねああ出てましたねで 冒頭でも言いましたようにあの本格的に 写真数の原点になったのはえジップの死で ありますま父の死後第2次世界大戦5旧 満州からえシベに抑留されましてえ信仰を 味わったその体験を式に残してるのを発見 しましてですねあの父への思いを元に シベリアの撮影をすることにしまし たで えこれは あのモスクワから800ぐらい東の方の ドイツの主要所なんですけどもねえこの ようなこれはキネルという駅であのドイツ 軍あるいは日本軍商工が下ろされてそれ からたさんあえ選ぶかあ収容所まで興奮し たわけなんですけどもこのように父の足跡 をずっと私は追いましたで父親の時代は 徴兵検査がありましてあの村1人でも多く ても2人ぐらいしか選べないこの兵に選ば れたわけですでこの名誉に非常に本人も 家族も喜んだそうですねでこの兵というの はですですねそれなかなかなれないんです よ例えば家柄成績行人格が温厚であること それから真面目であることえ親類に全回い ないということそういう条件がありまして 最後のハードルが男前でなければならでき ないということでえ非常にこの人間的にも こう優れていましたのでま私が心を崩し そして大学もこう行かなかったことに対し て非常にこう残念がりましたで えまこのように [音楽] あの本当この選ぶかの冬に行ったんです けども えなんかこうポチはあまり雪見ることない んで真っ白いこう銀世界の中になんか街
売りの少女みたいなのが出てこんかなみ みたいなことを思いながら歩いてると ふーっとこうファインダーの中に入ってき たんですねでえ撮らせてもらいましたけど も ま100年ぐらい経ったらこんな顔になる かもしれませんねあの可愛い少女でえこう いうしの写真を親父の残しおいた初期元に え取ってきまし たで えこれはあのナホトカと言ってここから え日本あの日本軍法力が夢にまで見た の近くの日本人墓ですこれでナフカまで せっかく来てえ死んでいた人もたくさん いるわけですでこれがナフトかです ねで次にこうニューヨーク行きます え1995年ですえ高知県はあ自主 企画検証生徒というもがありましてですね ま私のテーマは高知県の文化行政と世界を リードするニューヨクの写真文化について だったかなえ海外の文庫や優れた技術を 学ぶための研修制度に応募しましてま合格 となりましてえニュヨークに1週間ぐらい 行かせてもらいますで初めのその ニューヨークでしたのでしかも出張で行け ますのでま嬉しくて若くしたんですけども ま映画やテレビで見るニュヨークのビルは 綺麗でですねその世界に初めてこう入って のでセベロにネクタイのを閉めて ニューヨークに行ったわけなんですけども えところがニューヨークで行きかう人は 1人もセビロな来ていなく薄汚れた服装に ですね薄汚れた運動靴えそれえをほとんど そういう姿で人が歩いておりましたでこの 頃ちょうどですねあの元黒人フットボール 選手のジシンプソンの妻殺しの疑いでえ 裁判判決の日だったかなえの街をこう背を きてえ歩いてるとあっちこっちの場所で 黒人からあの今日の判決は教えてほしい みたいなこと言われましてよく後で調べ ましたけども黒人のあの根深い人種差別の 米国ではですね白人を優先する裁判官より 中立的な派をしているアジア系 の伊藤裁判官を選んでですでその方が伊藤 裁判官に私が間違われていろんな国の方 がああの質問あのされましたであの申し訳 ないですけどちょっと時間がないものでえ 結論から言いますとあのま学生時代から8 代ぐらいまでずっとこう自分を出せなくて 表現できなくて長い長い間私は非常にこう ネガティブなマイナスのこの人生を送り ました えその失った時間をこう取り戻すように 写真活動したわけなんですけどもあのそう したコツコツしたあの撮影さ写真をですね
ま古典などを通して人に出会いあるいは人 が涙してくれたり笑ってくれたりえそう いう姿を見るとですね自分を表現すること がどういったか自分の存在感を感じ いわゆるアデTみたいなものを感じること ができたわけですで えま後がない年齢にもなりましたけどもま これ からもうおどこまで自分が世界で走れるか え写真で表現しようと思って頑張って 頑張ろうと思っておりますごめんなさい 以上 ですありがとうございました はいじゃあ次に木戸さんよろしくお願い いたしますはいよろしくお願いし ますはいえ写真家の木戸孝子ですあ今日は あの参加していただいた皆様あそれから あの主催していただいた皆様どうも ありがとうございますえ私のえこちらのお 2人との出会いはあのニューヨークでした 高知ではありませんえ吉岡さんはえ共通の 高知出身の友達が紹介してくれてあの会い ましたのでえ高知の人って分かってのあっ たんでですけれど住田さんはあの私が通っ ていたニューヨークのICPという学校の あの先生でありえニューヨークでも一流の あの 銀煙管写真のプリンターであるブライアン ヤングというあの方が紹介してくれました でえすみ田さんからあの名刺をもらったら 住所が高知券だったのでで私は中村です よっていうことになってもうすぐにあの ニューヨークの町で息統合しました えで私があの写真を始めたのはですねあの ま偶然のような理由だったんですねえ中 学校の時に私は体操部に入っていたんです けれど中村高校に行ったら体操部があり ませんでしたそれで体操部の友達の1人が なぜか写真部に入ろうかって言い出したん ですねでそれであの部みんなで写真部に 入ってでま適当に言うたら適当に写真を 撮り始めたんですけどあの初めて暗室で プリントしてもうこの因果市にこう画像が 浮かび上がってきた時にすごいなんか感動 しましたすごいこれはすごいと思ってで 高校3年生になってあの自分の進路を真剣 に考えた時にもうこう挑戦してもどんなに 挑戦してもできるかどうかわからないと いうことがやってみたいなと思いましたで それであの写真を初めて真剣にやって みようとあの思い始めたんですねであの 日代芸術学部に行きたかったんですそれで あの受かったんですでも両親からえ入学は させてあげれてもその後お金を払い続けれ んて言われてあの断らましたそれで結局
あの他にも合格していた相加大学に行く ことにしましたで相加大学はあの海海外 交流が盛んでで写真をやるならあの私は ニューヨークかパリに行きたいっていう夢 を持っていましたのであの相加大学に行く ことにしましたで留学したいと思ってその 実際行ったんですけどでも大学生になると あの短期留学はしたんですけどの長期の 留学は挑戦しないままでの私は写真とあの ヒップホップダンスとねあのやりながら 大学生活をエンジョイしていましたでその 頃コーネルキャパあのロバートキャパの弟 ですコーネルキャパ有名なあの写真家の ロバートキャパの弟のコーネルキャパがえ キャパキャパ店ていうあの戦場で亡くなっ たお兄さんのロバートキャパとの作品と コーネルの作品とそれを一緒に展示すると いう兄弟展示っっていうのをその東京都 富士美術館で開催したんですねで富士美術 館があの私の大学の目の前だったので コーネルキャパは大学も訪問してでなんと その写真部のみんなとミーティングをして くれるっていうことになったんですねで その時にコーネルが教えてくれた言葉を私 は今でも覚えていますえ写真を撮る時は目 と頭と心を常にオープンにしておくんだ よっていうのをねの教えてくれましたで 大学卒業後はその東京のプロラボに就職し てカラープリンターとしてあの真っ暗な 暗室で完全に真っ暗な暗室なんですけど カラーの暗室はあのそこで働きましたで その後はあのカラオケ会社のカメラマンと して雇われてカラオケボックスの春行写真 って言ってあの出来上がった時に綺麗な 建物を撮る写真なんですけどその春行写真 とかあのメニューの写真とかを撮ってい ましたででもその会社が落ち目になって あのもういつの間にか知らん間に首になっ ていてでま強制的にフリーランスになった わけなんですけどそれでの入ってくる仕事 は何でもやってでもそのうちにこれが私の 取りたか写真じゃないってこれがやり たかったことじゃないって気がつきました で生活も不安定でもうこのままじゃいか んって思いましたで私はそのコーネル キャパのことを思い出してあの人が作った 学校に行ってみたいって思うようになり ましたそれがインターナショナルセンター オブフォトグラフィでみんながICPと 呼ぶあのニューヨークにある学校ですで ここからじゃああのニューヨークに行って から取り始めた作品を見せていきます はいえICPはですねあの1年に1度受験 できる機会がありますで私は44回目4年 目にやっと合格しましたそして2002年
32歳の時にニューヨークに行きましたで 英語はなかなか上手にならんし友達も なかなかできなくてもう貯金を崩して生活 することを考えるとお金もあんまり使え ないというクラスでは英語が聞き取れずに 落ちこぼれていくそんな毎日の中でうん だんだん写真が撮れなくなってきたんです ねその最初行った時はもうワクワクして いっぱい撮ってたんですけどその時期が 過ぎるとだんだん取れなくなってきてでも そんな中でもうとにかく悲しい時惨めな時 孤独な時もう何でもいいからとにかく1枚 シャッターを切ろうって決めました でそれまではあのいい写真とかいい瞬間と かを撮ろうとしていたと思いますでもこの 時はあそんなことに関係なくとにかく シャッターをを切ろうて決めましたでそれ を続けていくとあそのうち孤独な時間が あるからこそ見える今まで見えてこなかっ た見えてなかった美しいものを見つける ようになってきましたえそれが theordinaryアシていうこの 見え日常という意味のこの作品になって いきましたICPに入ってからえ日本で 写真の学校に行かなくて本当に良かったと 私は思いましたえ日本のような上下関係が ないので先生と生徒は同じ写真家としてお 互いから学び合おうとしてましたえ宿題も 半端じゃありませんでしたえ同じ ストリートにうん同じ通りにね朝から夜 までいてそこで1日写真を撮り続けろとか あのクラスが始まる時に皆さん2人でペア になってくださいねって言われてでクラス の終わりにじゃあ来週までにお互いの ヌード写真を撮ってきてねとかそういう 宿題なんですねでもし日本で写真の学校に 私が行っていたら結局その日本の教育と 社会の枠組の中に収まって先生に気に入ら れる写真を撮ろうとしてそこで終わってい たかもしれないなって思いました えICPを卒業した後はあのハンクス フォットというニューヨークでもあの一流 の白禁煙写真の現像書で働きましたで 取り扱うのはそこの現像書で取り扱うのは もうアート写真ばかりで1枚数10万から 数百1円で売れていくようなものばかり でしたでクライアントはあのアダムフスと かあベラルーターリンデイビスアーサー トレスなど世界で一流の写真形でしたで私 はそこでスポッティングの仕事をしてい ました暗室で焼いたプリントにはあのネガ の上の誇りや傷が全て焼き込みますでこれ を細い筆と専用のインクで消す作業が スポッティングですこの作業しないと暗室 でかあ暗室でプリントする写真は完成し
ませ ん私は大学を卒業してすぐ働いた東京の プロラボでスポッティングを教わりました 東京のラボではもう誰もがやりたがらない 細かい作業で下っぱがするような仕事だっ たんですけれどまそのおかげでワーキング ビザが取れてニューヨークで働けることに なるとは思っても見ませんでしたえしかも 私のスーパーバイザーのマークが教えて くれたスポッティングの技術はもう東京で 学んだスポッティングとはまるで違う仕事 と言えるほどのレベルの高い技術でしたで 週末にはここの現像所の暗室を使わせて もらって自分の作品をプリントしまし た2008年に私は帰国しましたそして あのニューヨークで知り合った旦那さんの 実家が1台だったので仙台で暮らし始め ましたでまだ日本の生活に溶け込めずにい た2011年3月11日え東日本大震災が 起こりましたライフラインが止まり水や 食料の調達も必要でえ写真を取りに行く ことは実は考えもしませんでしたでも そんな中あの高知新聞社から撮影を頼まれ たんですねえガソリンがあの調達できなく てあの時誰にもガソリンを売ってくれ なかったので記者が誰も仙台に行けないと いうことでしたでそれと同時にICPの 友達のクリストクリストフバンガードと君 から電話が来てドイツの雑誌の仕事でもう 成田から車で仙台に向かってるからって 言って高子のうちに泊まらせてくれって 言うんですねであ私はその頃ローライ フレックスしか持っていなかったんです けど仙台の友達がデジタルカメラを貸して くれてクリストフたちは車で来てなぜか 撮影に行く条件が全部揃ってしまって私は あこれはもしかして行かないといけないと いうことなのだろうかと思い始めたんです ねで次の日3月15日に彼らと一緒に名取 市売り上の津波の被災地に行きましたで 最初はここで何を取るのかその前にここで 写真を撮っていいのかどうかさえ分から ないような状態でしたとにかく祈りながら シャッターを押しましたででも一旦取り 始めたらこの悲惨なところだけ取って 終わってはいけないと感じて1人で被災地 に通うようになましたそのうちに季節が 巡って通明の日には海も瓦礫も真っ赤な 夕日に包まれてものすごく綺麗でした目の 前にあるものはまだまだ破壊されたもの ばかりででもそこには何者にも壊せない 美しさがありましたそしてだんだんと綺麗 な写真が増えていきました私はたくさんの 人が亡くなった場所で綺麗と思っていいの だろうかとちょちょっと悩みましたでも
コーネルキャパの言葉を思い出したんです ねえ写真を撮る時は目と頭と心を常に オープンにしておくんだよっていうそれで 私は自分がその場で見たもの自分が感じた ものを取り続けようって決めましたそして 次第にエネルギーのことを考え始めました えエネルギーは壊されることも作られる こともないただ形を変え存在し続けると いうのがエネルギー保存の法則ですという ことはここここは津波で突然命を奪われた 人たちのエネルギーでいっぱいなのかも しれ ない私が見た何物にも壊せない美しさは なくなった人たちのエネルギーだったので はないだろうかって思うようになりました で被災地を歩き回りながらそのエネルギー を感じてもうそれを感じたまま写真に映せ たらそのまま映せたらてまるでもうそれは 年始するようなそんな気持ちで撮ってい ましたで2012年9月1日に私は初めて の子供を産んだんですけれどでその子が 生まれる2週間前まであの大きいお腹で 撮影を被災地で続けていまし たで子供が生まれる前は うん生まれたらね音部して撮影に行こうっ て思ってたんですでもいざ生まれたら 子育てはそんな甘いものではありません でしたで被災地で今まで死死というものと 向き合ってきたのが今度はもう誠意の爆発 のようでしたで子供が生まれて最初の頃は もう睡眠不足で疲れきっていて写真を撮る ことも忘れるほどでしたでも11ヶ月に なった頃もう取らないかんて気がついて このち父を飲んでいるセルフポートレイト を撮りましたえこの写真が私の今の プロジェクトスキンシップへと発展して いきましたえスキンシップという言葉は実 は英語件では全く通じない言葉ですあ アメリカと日本両方に住んだことで私は 日本のスキンシップのユニークさを知り ました日本では子供と一緒にお風呂に入る のは当たり前ですがアメリカではあこの くらい大きい子供とお風呂に入ってると 性的虐待を疑われますえ3歳頃過ぎると 大人は服を来たままで子供の体を洗って 大人が子供に裸を見せないそうですえー 生まれてすぐから赤ちゃんをね生まれて1 日目からすぐ赤ちゃんを1人で寝かせる 家族も多いようですで最近はねあの多様性 ということが流行りのように言われるよう になって来ましたけれどあの家庭の中の こと子育てのこと家族の関係性ということ も異なる国や文化によって大きな違いが あります社会的に見過ごされてきた分野で あり多様性への理解を深めていく分野の1
つだと思いますえさらにアメリカの アメリカにタッチ研究所っていうところが あるんですねでそこのディレクターの ドクターティファニーフィールドていう人 はねを言っていますタッチの多い文化では 大人の攻撃性が低くタッチが制限されて いる文化では大人が攻撃的になるでここで タッチとスキンシップは同じほぼ同じ意味 ととっていいと思いますでまた日本に スキンシップという言葉を広めた平井信義 さんという小児科のお医者さんは スキンシップはも子供の精神安定罪だとも 言っていますでアメリカアメリカはですね あの世界の中でも特に子供へのタッチが 制限されているタッチの少ない国です そしてまたえ10の乱射などが頻繁に起き ている国でもありますえドクター ティファニーフィールドの言葉と日本がね 開国そして戦後からもうどんどん アメリカナイズしていることを考えると私 はもうこのスキンシップの素晴らしさを本 にも欧米にも伝えたいと思いましたでこれ だけ情報社会になりアメリカ化も グローバル化ももっともっと進んでいく でしょうけどね日本の良い部分は本当に 変わらずにいてほしいあ変えてはいけない と強く思いますえ最後にあのスティーブ ジョブズのコネクティングtheDots ていうねメッセージを紹介したいと思い ますあのこれはあの直訳すると天と点を 繋いでいくっていう意味なんですけれど もうその時にはバラバラに見えたりもう いいことか悪いことか分からなかったよう な出来事もねそして回り道みたいなで みたいに思えた出来事も後になって 振り返ってみると1つの道になり繋がって 今の結果が導かれているだから誰が何と 言おうと自分の好きなことを貫けていう メッセージだったんですねで私自身今まで ね今までを振り返った時写真という部分で 全ての点と点が繋がってきたと思いますで そう感じられると自分の前に起きてくる 出来事に無駄なものはない全てに意味が あると思えてきますでそうやってこれから ももう天と点をつぎながらどこまで行ける か世界の中でどこまで行けるかとにかく 進んでいこうって思っています今日はどう もありがとうございまし た ありがとうございましたじゃあ最後に吉岡 さんよろしくお願いし ますあありがとうございます写真家の吉岡 と言いますえこのような貴重な機会 をいただきましてありがとうござい ます最初のイメージをいだき
か1990年10月3日カリフォルニア州 サンディエゴで東西ドイツ統一のニュース を見ました大勢の人々の換気の姿がうし 出され心の中であの場所へ行くしかないと 思いまし た友人にカメラを担保にお金をありその日 の飛行機でベルリンへ飛びベルリンの 壁沿いにある美術館に向かいまし た前日のニュースで見た大変なお祭り騒ぎ は収まっていましたが辺りには余韻や匂い 暑さが 漂い特別な場所に来てしまったそんな 気持ちにさせられたことを思い出し ます1980年代後半私はドイツ表現主義 の去に画家に憧れていましたこれは あくまでも個人的な感想ですが私にとって ドイツ表現主義絵画は内面をえぐるように さらけ出すBそれは内側から外側へ向かっ て放出されるエネルギーを感じるものでし たある意味絵画は何もない白いキャンバス から始まりそれを内側からのエネルギーで 満たしていく作業だと思い ますそれに対し写真のキャンバスは混沌と した実際に目にすることができる実世界で すでに満たされてい ますそれを形正方形の資格の枠で切り取り 整頓し写真政策の工程を経て作品を 作り出していき ますそんな実大する世界を切り取る作業だ と思い ます実際内なる美芸術の探求など未熟な私 にはあまり考えられないことです が 同じ1980年代後半私はカリフォルニア サンディーゴの大学で写真を学んでいまし た西海岸の写真といえば写真家アンセル アダムス氏エドワードウエストン 氏ファインアートプリント写真家が有名 ですよね当時この大学でもファインアート プリントの影響が強く私もシステム等の 勉強をいたしまし た当時特に記憶に残るのは学校の旅行にて アンセルアダム氏のオタクをツアーに行っ たりエドワードウエストン氏の息子の コールウエストン氏のオタクへお邪魔し 多くのファインアートプリントを見る機会 に恵まれました恵まれた環境といえば車で 1時間ほどの場所に写真美術館もパサン デゴがありそこには世界中の有名な写真家 たちの展覧会が開催され時には世界的な 写真家に会うこともできまし たしかしそんな環境の中私は自分の写真を 見つけ見つけることができないでいまし たそんな時に写真美術館で偶然出会ったの がドイツで出版されている写真雑誌です
そこにはヨーロッパの芸術家が写真を媒体 として使用し表現し芸術作品を作っている ことが紹介されていまし た自分の写真が芸術家としての方向性を 感じた瞬間でしたその出会いの1年後冒頭 でのベルリンへの旅の話とつながり私の 人生を変え雑誌主催の展覧会がベルリンで 開催されそれに出展することができこの度 が私の写真会への大砲となりまし たここからフォトグラファーとしての活動 が始まり ます最初 にサンデー5のギャラリーへの プロモーションから始めまし た地元ののギャラリーガイドを参考にし1 つ1つのギャラリーに電話をかけ交渉し 写真を見てもらうことからスタートしまし た営業ですそこで新しい出会い素晴らしい 出会いがありまし たその中で も特筆すべき出会いの1つがダッグ氏名 さんとの出会いでした当時彼は地元でを 経営しており地元のアートの業界では名 知られた方でした彼のおかげで私の作品は サンデーゴの写真美術館に修造されまし た営業の続きですその後車で2時間ほど ある ロサンゼルス世界的なギャラリーや美術館 が点在するロサンゼルスに営業にきました そこでも素晴らしい出会いが 今は存在しないのですがマークフォックス ギャラリーバーガモントステーションって いう色々な現代アートビューズとか写真 ギャラリーとか集まるところがあるんです けどそこ にそこの近くにあるマークホックス ギャラリーのマークさんと出会い彼の紹介 でベバリーヒルズのデザイン事務所を紹介 してもらったりロサンゼルスのアート シーンを学びまし た営業は続きます次にサンフランシスコへ 車で8時間かけて訪れましたそこでも展覧 会に参加し雑誌にも掲載されました当時 自分に言い聞かせていたのは雑誌に掲載さ れる展覧会を開催するなど実際に後に何か が残せる行動を行うということでした自分 の思いだけではなくそれを証拠としてのさ なばいけないと自分に言い聞かせていまし たうん と自分 は そしてそしてニューヨークで もロンドンパリでも同じように 営業しましたいろんな出会いがありまし た写真で永住権も取りアメリカにも住み
ましたでも自分 は正一杯やってるつもりでし たニューヨークでも実力10割努力90% でなし得る夢を叶えることができると思っ て活動していました しかし客観的に自分自身を見つめると自分 の限界に直面セザを得ないところまで来て いました世界的な写真家になるには おそらく 才能も努力も不足していたのかもしれませ んさらに最も重要な運もかけていたかかも しれませ ん写真家のとしての自分の限界を 感じ心が折りかけていた私は車でサン ディエゴカリフォルニアへ旅立ちました そこで友人を頼っ てシリコンバレーにある友人卓 に着きましたそこで加速機研究施設と運命 的な出会いをしまし た当時直線で3.2kmも続く世界で最も 長い施設であるアメリカエネルギー賞所有 のスタンフォード線型加速技センターを 訪れましたそこが友人の職場でし た漠然と3.2kmの直線の研究施設が 宇宙の始まりにする壮大な問に立ち向かっ ていると聞いて驚きましたそしてこの研究 施設を撮影したくなりました友人が エンジニアとして働いていたため比較的 容易に施設内にアクセスできましたただし 正式に写真を撮るためには許可が必要でし た公式の許可を得るために 研究施設の広報に向かいましたそこで 出会ったのが広報担当のニールカルダー さんでした彼は私に1時間だけの時間を くれまし た当時の記憶ではそのように感じました そして彼の紹介でスイスのセルンに 出向き えっとスイスのセルンに出あ出向き映画 天使と悪魔の舞台でもある場所を撮影し ましたセルンを撮影をきっかけにイギリス の雑誌で科学写真家として紹介されまし た高知県立美術館とでともご縁がござい ましてヤンガーアート店カメラ オブスキュア時の蘇生柿のきプロジェクト などに参加させていただいております そして今開催さされている高知県立美術館 会館30周年記念店そして船は行くにも第 4点事室高知県ゆかりの美術ににて作品を 展示させていただいており ますさらに2004年2月1日から井町上 の博物館にてワシに商店を当てた企画点を 企画中ですローカルの和し神産業を日本 だけではなくグローバルに発信していき たいと思っています世界を回ってきて今
高知でやれることに向き合ってい ますこれからコチのグローバルがあ ローカルがグローバルを目指す時に グローバルはそこに行けば実を言うとただ のローカルであると考えローカルでできる ことを最善を尽くして行いその後世界の どこへ営業するかを考え努力するのだと 思い ますえ話は以上ですありがとうございまし たありがとうございましたじゃあえ一部の 方 えっと3人の写真人生とホトワークの自己 紹介の方はこちらでおしまいにさせて いただきまして引き続きえ第2部として えっとフリートークをできればと思って ますえっと第2部のテーマ大きくテーマは ホとは何かということでえ45分ぐらいお 話をということで3つほどえっと柱を作り ましたえっと最初のじゃあ柱について少し お話しいただければと思うんですけども1 つ目は写真に反省を捧げた3人の生き方 そのために世界を目指す意義というテーマ で少しえお話しできたらと思っております えっとまず住谷さんの方から話しますか え なんかちょっと難しいねなんか何言って わからないですけどもなでじゃあ世界を 目指して写真家になろうとあ思ったところ 写真家になるのは日本でもあの自分がこ 宣言したりわけですからいつでもどこでも 慣れるんですけどもやっぱりこう何回か 東京で写真まメーカー企画点がほとんど ですけどもそれをやってえやっぱこう色々 感じたことはやっぱりこう日本だけよりも やっぱりこう欧米でえやっぱり自分を挑戦 した方があの文化はまず違うなというあの 印象が1995年あるいは1999年え 文化庁在外研修院で生かされた時そ 1995年は高知県の自主企画で生かした ことあの行か行かしていただいた時ま非常 にこうアーティストを非常にこう大事に するよな文化が向こうはあるんで あのそれとあと身体障害者とかま ニューヨークは特にそうなんですけども あの身体障害者に対しても非常にこう 優しいところがあるんでま逆に高知より もっと田舎かなみたいなあところがあるん で僕非常にそういうあの芸術を大切の文化 の地でちょっと挑戦と言たらちょっと かっこいいかもしれませんけど同じその 挑戦するんだったらやっぱりそういう文化 の高い欧米の方がいいかなという風に思っ て えますそういうことを思って世界でえ走っ てみたいあるいはどこまで走れるかみたい
な えそういうのを思ってますねうんなるほど なかなかそのねあのお金のこと言うたら ちょっといやらしく聞こえるんですけど やっぱりこう価値観が違うんであの やっぱりあのま7/4inってて日本語で て大大通ですかね大通ぐらいの大きさの やつがやっぱりあの3000ドルとか 6000ドルとかもう平気でこう買う人も いるんであのやっぱりあの売れると嬉しい ですよねしっかり言うてあ良かったって いう気持ちになっちゃうねほでやっぱり あのそういう意味では日本では日本のまた 良さもあるでしょうけどもえ同じ挑戦する んだったらやっぱり欧米の方が楽しいし あの夢が絶対出てくるとまそういうことで え世界を目指してきますですねはい ありがとうございますうん木戸さんは最初 かららもう海外へっていう目が言ってまし たけどそうですねなんでだやっぱり私は その 一流どうせやるなら一流のとこでっていう その一流のものが見れて一流の人に会え てっていうその状況の中でやりたいって いう思がやっぱりずっとありましてそれで やっぱりニューヨークかパリで写真文化ね やっぱ世界の中の写真文化の先端を行って いるのはやっぱニューヨークとねパリだと 思いますのでねでそこにうんやっぱりそこ でやってみたいっていうのがうんあって うんですねはい吉さんの場合はもう大学 から写真はもうアメリカってあでも僕の 場合は写真をやりにあの写真家になるため に行ったんではなくてあの大学に行って何 を勉強しようかなって思ってそこで たまたま始めたのがあの写真 で写真家になろうとか思って生きんでいっ たわけでは全くないですえ最初は何に なろうと思ったんですか最初はですねねま 英語を勉強してそれでも普通に トイフコトも撮ったんですけどやっぱ全部 英語じゃないですかえで最初のコースは もうドロップアウトして次のセメスター から1からまた取り直してっていう形で やっていくうちにあのアメリカで住んでる と あの発言していかないと存在がないって いうか あのクラスでさもうワンセメスターという かもう23ヶ月なんですけど一言も口聞か ないたれともそういうのが普通にあって そうやでもなんか写真とかで頑張ってて 何かの結果を出してくると周りのあの反応 が変わってきて それでだんだんいいねとかいうなってくる
ともしかしたらみたいなあの先生にも褒め られたりしてそれで宇頂点になったりとか したんですけど同じ先生が同じこと別の 生徒に月の時に言っててえとか思ってでも そういう風に あの先生に立てられて正直今があるには うんあると思いそれの中であのそのドイツ のデビューとかそういうのが偶然重なっ て今に至るしそういうとか周りにアートが 好きな人が多かったので文学とかそこの 関係上ちょっと頭でっかちでもう同一表現 主義とかそういうのがあったのでそれを 写真を使って表現したいて思うようになっ たんですけどじゃんにって写真って アメリカで出会ったもってことですかま 日本でもあの写真は撮ってたっていうか そんな真面目に取ってたわけではないので あのそうですねアメリカ で初めてなんか中盤フィルムとかのも 初めて知りましたし あのあんまり知らなかったですじゃあ のめり込んでくのはその褒められてくて 面白くなってくっていう いややっぱ褒める褒められるって面白いあ だから先生があの褒めるのが上手なので まそれ に乗ってしまっ てこれそれとあの周りの環境がさっきも 言いましたけど写真美術感ありますしそれ とかうちの知り合いが写真のあの ディーラーとかやってるとうちに アービングペンとかがすごい有名な写真が 普通に今にあるんですねでそういういい ものに触れる機会があったので 色々それも勉強になりまし た住さんは常になんかこうニューヨークに 行きたいとかパリきたいとかって思って僕 に話すですよくそうなそうそれってやっぱ テンションが違うというか作品を作る意欲 がやっぱ違うとかそういう感じなん でしょううん作る意欲というかさっき言っ たにこう文化が違うんであのコチにおると 自分のアイデンティティみたいなのがどど 感じられないんですよねまアイディ感じる のはやっぱりあの自分のま例えば東京の メーカーギャラリーでの古典でいろんな人 と巡りやった時にあの泣たりあの涙して くれたり喜んでくれたりするお客さんを 見るとあやっぱり写真やってよかったとか そういう存在感があるんですけどあのど どうどういうかなもっとも大きいその あの日本という島国じゃないようなこうま あの歴史が違うようなそういうこう空気感 とか雰囲気とか下さをすごい尊敬するとか それからあと一旦日がついたらダーっと
広がっていくようなそういう夢があるん です欧米というとはしなく夢があるでそれ にこう自分があの乗ってみたいなとで乗れ なくても同じ人生でスパン生きるわけです からそう夢持つことはいいじゃないですか だから夢が出てくるうん湧いてくるでそう いう空気の中で自分がこうどう言ったか あの撮影してみたいし頑張ってみたいでも そうかと言ってあるですよやっぱりあの 父さんのあの写真というのはなかなか 向こうの欧米から見たらやっぱり外国人会 見たら面白い ああうんニューヨークはもうニューヨーク であきてるって言うんですけどパリフォト ではやっぱりあのニューヨークの写真を 出させてもらったりしてるんですけどねえ 今はもうエージェントがちょっと潰れ ちゃったんであの他のエージェントという かギャラリーをと今索してますけどもあの やっぱり妖精ね人間こ死ぬわけやからその いややっぱりあの頑張りたいなと思うよ ところでそれに撮ってみたいなと思って ますねまトタのも取るということも ちょっと頭考えてますけど今ちょっと私え 不正脈の病気になりましてあのお酒は 飲めれない状態なんでいややっぱいや やっぱりねお酒飲めないとダメなんですよ やっぱお酒を飲んでこライブでもいって それからだんだんだんだんこうあの見え ないものが見えてくみたい な酔っ払った酔っ払っだけいい写真取る みたいなとこあるんでそれはこう今あの 今度も1月にちょっと全面の施設するん ですけどもやっぱりあの悔しいなと思うし だから飲めれようになったら土佐をもう1 回取ってみてもいいかなとも思ったりもし てますねあそう ですまだからそれ変なしてますけどね今 じゃあ外国はもうナチュラルにテンション が上がるってことテンション上がるという かあのほらあの例えばあニュヨークの地下 鉄で写真を撮ると日本のの地下取るよりも あのずっとあの楽しいんですよあのニあの 日本の地下鉄逆怖いんですよ怖いんです あのところはあのアメリカだとあのその怖 そうな顔してる国場に人いてもあの結局 ずっとこうこれまでシャッター切らずに こうあの一眼レフをどンと構えてえずっと こう人間萌をこう見てみますとですね やっぱり波長がだんだんこう合ってくるん ですよねその時にやっぱりとて会いって 言ったらあのシーとか言ってくれるんです よねやっぱその時にこう機関銃みたいに ダダダダ取るわけですよねうんほで やっぱりあの自由にもなれる自由に取りた
理屈なしそんなようなこうあの雰囲気が あるということとあとやっぱりあの手鉄の 中でも必ず生活のためにパフォーマンスし てるんですよあの踊ってみたりある人は そのある人が言うのには刑務上がりの3人 のコラスがコーラスをしながらチップを 求めて生活してるみたいな結構お上手なん ですよ歌はで僕もこうチップやるんです けどもねであのだ から楽しいというかうんどう言ったか やっぱり日本にないものがあるということ とそれから自分のアデTを逆に感じたりえ 自分のこのどう言ったか あの性格がこうポジティブになるようなね そういう風なこうふわとした雰囲気になっ てく来るわけですよだからニューヨークは すげなんですねうんあなるほどそういう ことなんですね木戸さんも同じようなこと 感じますか あああのまそうですねそのみんながこう 自分らしいさっていうのがそのなんて言う 日本におったらあの変わっちゃうとかま私 も言われるがですよそれであのでも ニューヨークはもうみんなこう バックグラウンドも違うし文化も違う人種 も違う人たちが集まっているのでその あんた変わってるねとか言い出したら切り がないというかあの変わっみんな違ってい て当然というところがあってあだからま あのそういう意味ではあ言いやすいのは 分かりますそのあの日本で変わっちょうっ て言われる人がニューヨークとかにで 過ごしやすいっていうのはなるあるとは 思いますそれはじゃ3人とも変わりも 否定してる人が ますあのじゃあえっと時間もあれなので2 つ目行きたいと思うんですけども2つ目は 世界に羽ばたきた3人から見たえっと高知 のフードや文化が写真人生に及ぼした影響 や生かし方についてこの辺をちょっと え知が知にいたから逆にだから世界に行っ た時に感じたこととか影響を及ぼしたこと なんかやっぱり先も言ったように高知は もう魚美味しいそれ野菜はもうね新鮮な 空気も綺麗じゃないですかもうあの100 点満点だと思ですよ日本であの暮らすのに は生きるのにわですけどそれでこう人生 終わって死んでしまうというなんか妙に もた逆に悔しくなってくるでだから余計 ストレスが溜まってしまうまそういう意味 ではねそういう意味ではストレスというか なんかこうやりたいのにこんなことでえ 平分に暮らして死にたくないみたい なそれだったらもあの刺激になるところで こう頑張ってみたいという逆にそういう
ことを高知にいるから思うんですよねうん ほんで高知にあのあの欧米でもいいこと ばっかりではないんですよもうえ加減な ところあるしな間があるしから責任を取ら ないとこあるし時間は守らないであの潔感 清潔感もま場所のてはない日本だとっぱり あのパクというかねであの時間通り全てえ タクシーでもバスでも苦しいしが人のいう ことも信用できるしとかいうな良さがこう 振り込ように見てくるんですよね外国言え ば日本の良さみたいなの写真活動において みたらやっぱりあるいは写真の表現活動と いうかま手も含めてなんですけども やっぱり外国の方が面白いんですよねうん あの説明たようんだからこたにはでも外国 から見たら高知のあの特に高知のそういう 田舎のお夜の方が面白いとかあの言うん です言うと多いんですよもうこんな アメリカの写真なんかもうありきてるよっ ていう人も多いんですけどじゃ高知がある からこそ海外が刺激的に見えそういうこと ですね僕の場吉子さんどうですあ最近まあ 10年前からあの井町と一緒にプラチナム プリント用の紙をワシを開発してそれを あの川田菊先生の作品が手といって ボストン美術館にも入ってるんですけど やっぱりそのコチの文化神わしっていう ものに着目してそれと写真と共にそれを 世界に発表していくっていうことを最近 特にやっていて最近もプリントをしてるん ですけど土佐発見士っていうのはすごく もう言ったらF1みたいな紙ですごく シャープで綺麗なプリントができて今別日 にも飾られてるんですけど今別のもっと 安い神でうんあのプリントできないかって 今考作していてそこでプリントしたもの はそこまでのシャープさも出ないし写真と してちょっと厳しいところもあるんです けどやっぱりコチの文化その紙文化みたい なものと写真を融合させ てそれ を発表していきたい何がコチでできるん だろうだから髪がが取れる場所山に行って 山を撮影しその紙ができたこあの工程とか も撮影したんですけどそういう高知にいる からこそできることを するその特色があるとわを使ってそれで その加速器などの写真をプリントすること によってこれが 1000年持つだから今の科学の現在が 500年後1000年後に美術品としても 残るし科学の資料にもなるそれが高知から 発信 できるだから高知の偉大さっていうのは 多分そういう地元の産業とかそういうもの
ともしかしたら外からのものを結びつけ てそれをどのよう に発表していくか見てもらうかっっていう ことが やっぱり地域の特色を表に出す1つ1つ ですけど方法ではないかと思いますなんか 写真の資産地象みたいなことができ るってことそうですだから土佐発見士を 10年前に作った時に最初 もう神の原料を作る人皮を剥ぐ 人すく人とか全てがもう分断されてるのを それをつげて1つのあのわしの流れを 作ろうとしててでそれを をもう行くところまでもう美術品まで しよってしてそこまで達成したやつを月に もっと縦に行ったので今度は横にもっと 波及一般の人にあの知ってもらってその 土佐発見士だけじゃなくて土佐わしを使っ て作品を作っていくっていうことができ たらなとは思いますうんなるほど じゃ木戸さんは中村高校から高知も知っ てるし東京も知ってるし海外も知ってる しってなった場合どうですかそうですね私 はあのまあの出たくて出たかですけど私は あのね田舎でまその頃は高校の頃はあの もうこんな何にもないところにおれんと 思ってあの出たんですけどまね結局東京に 行ってニューヨークに行ってニューヨーク まで行ってそしたらあのコチが大好きやっ たということをやっとあああの認めれたん でしょうねやっとそれでニューヨークに いってま住田さんと会ったことも私は実は 大きかったんですよその住田さんとあの 大手えってこの人放置県に住みながらあ 写真家になるってあできるがやって思った んですよその私はそのこんなところにおっ たらそんな写真家とか慣れるわけないろと 思って出た方だったんですけど住田さんは 高知にいながらにでねあの海外でも しっかり活躍している写真家にあこれ できるのかと思ってでああももしかして私 ももう帰っても大丈夫かなみたいなあの そういうアイデアは実は住田さん と会ったことによってすごく大きく自分の 中にアイデアとして入ってきたんですよね もうそれ帰れるかな私みたいなあの実は 帰りたかったりしたのかもしれないんです けどでも そのうんどこかでいやまだまだまだまだ まだまでってずっと思ってたんだと思うん ですけど私がねこのテーマで1個言いたい ことはあのこの高知県の人ってやっぱりね 行動力があると思うんですよ私はそれを すごく思っていてその吉岡さんの話聞いて も住田さん話を聞いてもやっぱり行動力な
んですよその実際思ね思いついたことを 行動に映すっていう行動力はなかったん ですよ全然うんいや話を聞いたらすごい 行動力学生時代からそういう性格的なこと で悩んでたでしょはいであのやっぱりあの 人ゴミの中入の大嫌いやったんです映画ま 映画はね映画すけたけどもうとにかく人中 嫌いだったんで旅行も嫌いなんです今でも 大きな本当旅行嫌写真が好きたから 仕方なく旅行するかみたいなもうあの正直 言って話すとそうですもうだって旅行って どんなトラブルがあるかもわからんしその トラブルが面白いからあの好きなんだいう 人もいるんですけど理立ってる人いるん ですけど嫌いなんですよ旅行はでも やっぱり写真が好きなんですよ写真のため にはやっぱり旅行するというなうんうんで あのまそういうことですよね [音楽] うん まだからやっぱりどうしてもお酒飲める ようになったらさっきも言ったように土佐 も考えるそれからあは今はやっぱり外国で やっぱりこうま古典今のところはちょっと 古典とかパリホトみたいなの僕狙ってるん ですけどもやっぱりあのま面白いんですよ ねうんこのもリベレーションに乗った時も やっぱ嬉しかったですねあのフランスの大 の新聞ですけども あのやっぱり自分の作品がやっぱり あの新聞者の10人のどうか写真聞の全員 がやっぱりこれ面白いから乗せて乗せる じゃないかみたいなこのフランスへ行った 時の食事のさせてもらってね色々向こうで いないと分からんようなあ情報とかいうの も全部こう吸収できたしうんでそれがまた 刺激になってまた今後の自分の活力みたい なもができてきたからだだからこう高知と いう狭い1/47の世界の中におるように もあの都県47あるでしょはいその中で あのどうだこうだでやるよりもやっぱり このあの写真の世界って狭いもんなんです ようんもう本当狭いですよあの世界って 言うけど本当せ12時間で行けますからね うん12時間っていうのはバスで小事から 東京までの距離でしょ飛行機で12時間 です外国で行けるから地球の反対側に 行けるからやっぱりあのどかあの素質な ある若い人って僕いると思うんやけどね あのうんだから僕ら木戸さんとか僕とか あのさんがこう話したことをねねえ参考に こう頑張ってもらいたいと思うよねやっぱ ね うんまこの話は後でも質問で多分出てくる 話なのでうんあはいまた話せればと思って
いますえっとじゃ最後3つ目これ多分あの いろんなご意見があると思うのでえっと目 はミラーレスカメラの普及により気軽に SNSで公開することができるなど え写真ブームを支える若者について フォトグラファーから見たコト剤口座です ね材でさらに写真感を目指す県民の方に アドバイス何かあればということなのです が最初にえっとこのミラーレス要するにえ デジタルカメラになってえ気軽に写真が 撮れることがまいい面ではあるんですけど ま悪い面って言ったらなんだろうな ちょっとはピントあれですけどいいじゃん とか思ってしまうところもあるんですがま その辺コート剤あるとすればどんなところ だろうっていうところで綺麗に取りすぎ ちゃうってのもあれなのかもしれないん ですがその辺ちょっと吉岡さんの方まず 綺麗に取れ てそれでそれを崩すことができるじゃない ですかまず最初の写真をフィルムとかで 始めた時は最初の綺麗に撮れるところが 非常にむ式が高くて難しい難しいそこに 至るまでに挫折をする方が多いと思うん ですけど今その敷が低くなってすぐ取れる のでそれはすごく素晴らしいと私は正直 思いますあの僕あれですけどえ逆にそう 色々苦労してえっときれに取れたから テンションが上がってもう1回取りたくな るっていうこともあるんじゃないのかって いうこと作品を作るとしてで作品を作る時 に簡単に作れた方がはい あの別の作品も取れるしいろんなことが できるんですけどこのまそれは人の それぞれの考え方なのですごくこの1つの プリントを作るのに非常に苦労しましたと いうとこで 自己満足で終わる部分っていうのもかなり あると思うんです けどなんか もっと作品としていろんなものを表現して いきたいそう考えると楽な方があくまでも 個人的なです意見ですけど楽な方がいいか なって思います じゃあデジタルでよかっあの進化してって それをを受け入れて えっといいことばかりだよねっていや私の 場合は元々があのアートを写真で表現 するっていう形だったので写真 を前は写真家じゃないとかて言われたこと もあるんですけどえだから表現する道具と しての写真はいそれが今のカメラで非常に できてしまうで最初あのの作品とかは ポラロイドのしのを使ってはい作ってるん ですけどなぜポラロイドを使ってたかと
いうとその時差がないんですよね取って すぐ見れるはいあの昔は36枚シャッター を切ってそれから現像してプリントして絵 が見えるだからそこではい あの意図してないものが写ってたりする 楽しみもあるんですけど私はそれを求めて はなくてもう瞬時に見えるものが欲しくて 正直昔デジタルカメラがあっ たら私は非常にあ良かったと思う方の立場 の人間 ですその反対の方もいらっしゃると思い ますじゃあ反対の多分すみさんは フィルムですよね最初はうんとか今も基本 的なフィルムですけどやっぱりえやっぱり 僕はちょ心崩した時二十歳ぐらいから フィルム現像プリンティングフィルム現像 プリンティングやってるじゃないですか そうすると自分自身のこうカラーみたいな もができてるんですよねカラーというか あのままカラーですでえあのだからそう いう意味では自分しか分からないような こうま運べてるわけはないけどこうスキル というかあの個性あ半額と一緒なんですよ 十分でも2度と同じ作品なんかできないん ですよあるフィルムの場合はだからそこに こう あのクオリティというかあの価値観がある ことを認めるようなあの世これからは逆に アナログが僕はあの認めてもらえたような 期待するんですけどもけその一方で シャッターチャンスを逃がすというもあれ もあるんですよ例えば あのニューヨークでえ僕はちょっとあの 選択するのにあのあのなんて言うかなあの あのコインで入れてこう回すコイン ランドリーコインランドリーを探してる時 にあの風をこう着る後ってるからなんだと 思ったら牛みたいな黒人が喧嘩してるんだ ドンでそれであ俺こういう写真が撮り たかったんだよみたいな感じでもう必死で ですねあの近づいてフィルムでこう取った んですよでそれを楽しみにあのそれだけを こう楽しみに楽しみにこう夢見ながら飛行 機でも別のそのあれ入れてそれから家へ 帰ると途端にももう即現像したんですよね そうするとあんまり慌てすぎて定着駅を言 たささあオーマイゴドですよまとにかく僕 は悔しいなもう今後一生あの写真は取れ ないと思いますねあうんあのそれぐらい すごい喧嘩だったんですようんほんであの 白人の女の人が来てねへいあのもやめやめ やめ言うんですよでそれをやると続けて やると警察官が来るんですね通報でそする と今度は刑務所入るんですよアメリカって そういう文化あるのでその刑務所入って
出るのに弁護士使って出るだからあのその あれあれがあるのでえあの人たちも知っ てるからもうその白人の女性が声かけた 途端にもうパーと散ったんですけどもね それはあのすごい喧嘩でしたねあのじ匹が 知ってたからドンドンねほんでちょっと 怖かったんですけどあの自分もこう視だて 取ったんですけどねでそういう意味ではあ しまったあれがデスだったらうんしっかり と取れたたにとそれが1つありますねそれ となんかこうアンダーグラウンドなところ にどういても人が目立たないところで目が くむんやからあんか暗いところ暗い わざわざフィルムでは取りにくいところに わざわざ目がいっちゃうんですよねでその プリントする時にデジタルのプリントと それからあのあのゼシバプリントって言っ てあの白黒のプリントこう見た場合には私 にはやっぱりねあのゼあのゼシバプリント いわゆる銀の薬品つったプリントの方が 深みがあってマイルドに感じるんですよね うんあのだからどっちもどっちを取るか ですよねうんほんでまあ出てたらもいいそ したら両方持っていたらどうて言うんです よねあの現場へ両方じゃいかなですよどう しても両方持っていくとなんかこう集中 できみたいなとこあって僕の場合やけどね ねこっちはフィルムでこっちはデジタルだ とそういうできないのでどっちかにこう 絞るうんまそういう今ちょっと葛藤してる のはあの値段も割合いイがしもぐっと高く なってるしあの役員も高くなってるしで ちょっとあのままとめ買いはしてるんです けどあの円高の時にあのBHからですけど ねあの&Hってニューヨークで比較的安く 写真に薬品とか売ってるんですけどねで そういう意味では全くデジタルを僕は否定 するもんでもないですねうんひさんはそう ですいや私はあのどっちでもいいじゃない ですかはなんですけどえっと私はでも暗室 がすごく長かったので私は実はその暗室で 作る作品って大好きなんですよで大好きな んですけれどその結局は表現方法 うなのでその自分が何を表現したいかどう 表現するのかっていうことの方が重要で その手段は何でもかんと思ってるんですね でそれで私はデジタルカメラを買ったのは すごい遅くて2020年にやっと買いまし た最近です最近ですすごく最近ですそれ まで使ったこともありませんでしたあの 使い方も知りませんでしたずっとロー ライフレックスであのニューヨークで手に 入れたローライフレックスで250ドル くらいであの働いてたハンクスポットの 同僚からすごい安く譲ってもらったんです
けどもうそっからもうすごく気に入って もうなんかすごいもうすぐ自分のカメラ みたいになってローライフレックスがで ずっとそれで撮っていたんですけれどだ から被災地も全部あの震災の後も全部 ローラフレックスでですはい全部ローラで 取ってましたそんなの持って歩いてる人 1人もいなかったのでまあのそれであーで 次にでもスキンシップの作品が始まったん ですねであのさっき見せた1番最初に撮っ たあセルフポートレイトスキンシップの 作品の中で1番最初に撮ったセルフ ポートレイトはローラフレックスで撮った んですよでローライフレックスでセルフ ポートレートを取るのってものすごく 難しいんです実はあのそこにえっと三脚で 立てておいてですっごい長いあのなんだ シャッターリリーズあのプシュって押す ような あののシャターリーズをけてで自分であの 横になってで子供におちのましてでその シャターリリーズをうまくこう画面に入ら ないようにうまくこう布団の下とかに隠し てお乳飲ませながらプシュって押してお乳 を飲んでいるにも関わらずもう1回 ちょっと離して赤ちゃんを置いておいて また向こうに行ってローラをこう巻かない といけないんですねフールをはいはいはい フールを巻いて こかちゃんはいこうやって巻いてまた戻っ てきてあじゃちょっとお乳飲んでってって こうやってお乳飲ませてまたプシュってし てていう作業を繰り返すのがものすごく 大変で出きたのが楽ですねそうなんです それで等々あ等々これは必要かなという ことになってでしかもあのパンデミックの 時にものすごくいっぱいあのフィルムでっ てしまってものすごくお金がかかって しまってそのネガカネガなのでネガは現像 にネガ現像だけ出してえネガ出来上がった ネガを自分の家でスキャンしてプリントし てっていう手順なんですけどそのネガを 買うお金ネガ現像のお金っていうのを すごい使ってしまってパンデミックの時に 時間がちょっとできてあのなんていうか家 にいられる時間ができていっぱい取って しまったというその家で取るあの プロジェクトだったのでそうそれもあって とうとうあのデジタルカメラを買ったん ですけどそしたらやっぱりそのセルフ ポートレートはすごく楽になりましたそる のははいセルフポートレイトそれとさっき 清田さんが言ってたように暗いところで 撮ることがすごくやりやすくなってあこれ はまもう本当に表現何を表現するかによっ
て何を取るかによってちでもいいなと思い まし たなるほど質感ですね質感をいや白黒の フィルム場合のプリンティングの質感を はいはい最近はあの見る余裕がないような 周りの人があのあのそのギャラリーのあれ も含めてあのおるような気がしますけども ただこのちょっとフランスへ行ってある 美術館とあるギャラリーにあの見せる機会 があってあ見てもらいましたけども やっぱりね静を見る見るんですよねうん静 をこう見てあの見てくれてやっぱりあの ビューティフルとか言われたらやっぱり こう質感をやっとあ見てくれるあれを 分かってくれるあのそういうギャラリーも いるんやなと思ってまちょっと嬉しかった んですけどもねうんあのそれはいうんすい ませんやっぱり高知日に石本さんの プリントがあるじゃないですかはいその 通りですいい白を見るのはやっぱここだと 思いますそう僕の立場から言えばプリント 命なのであのプリントしたものなんですよ ねやっぱりイメージではなくてうん プリントその石本さ石本さんが焼いた1枚 のプリントを是非見て欲しいなって僕の 立場からは思うんですが綺麗なバライタで やられた焼かれた写真を知らないのでえだ から何がいいか悪いかが分からないのであ わかる見方が分からないだからうんだから いっぱいなんだろう僕なんかもいっぱい いいプリントを見たのでいいって判断が できるかもしれないけどその何がいいか 分からなていいの見せられてもこれがいい のかなっていうなるほどなるほどとこだと 思うんですよだから若い人に石本さんの プリントがどれだけ綺麗なのかいいもの かて言葉 で言っても どうだからすみ田さんとかもやっぱ自分で プリントしてきてどんなものが綺麗なのか が分かってるとそうその綺麗さがわかる そう うんアンセルアダムスのなんか質問があっ たでしょあはいあれアンセル アダムスのヘルナンデスのっアラですよね あのニューヨークで僕2回か3回ぐらい見 たんですけども あのギャラリーだったんですけどえっと ちょっと他の前売ぐらいの大きさの プリントがですねもうやっぱり僕あの そんなに景色 はそういうあのあれはあま興味ないんです よそのあの興味なかったけどあ ヘルナンデスののでアンスルダムスの主の プリントはもう本当鳥肌が立つぐらいの
プリントでたね2500万で売ってました よへえうんあのニューヨークでましたけど でやっぱりそれ見るといややっぱりいい なあと思いますねやっぱりね白黒写真の プリントプリンティングはねうんま ちょっと話変わりましたけどまちょっと そういう話になったんでじゃあそれはだ からもアナログもデジタルもそれぞれの良 さがあるよねっていう感じでまとめちゃっ ていいのか なでもまだからアナログアナログで本物を 見てほしいっていうところは正直あるます よねでもだんだん因がしがなくなってき てるしそれとか昔の因がしと今の因がしと 多分はい銀の眼流量銀の眼流量とかが違う のであの美しさがあの昔の美しさが今 ちょっと表現できなくなってるしだんだん それが進んでいくと思うんですねなので そこだけ をそこだけを注視するの もね難しい話かなって今の人にそんな綺麗 なプリントがあるんだよできるんだよっと 言ってもあのそれはどこで自分ができる のってなっちゃうじゃないです かまあの白白そういうのあるたら確かに 比べたら昔の石さんのじ比べたら銀河が 減ってるとかやっぱ比べたらやっぱり黒の のまこの保さというかそ遠もそうし黒の黒 が違うんですよね別ま閉りってみたいな ですがマルチグレードというまあのイが できてますのでねイルフォードのでそれで こう1つか10かぐらいのこのフィルター で操作をしてその操作によったら昔のほど 綺麗ではないにしてもやっぱり出るには 出るんですよ風が今のところは綺麗に出る んです比べたらうんやっぱり昔は良かった なと思うんですけどもだから あのちょっと えどどうしたいかなあもう僕はその白クル プリントをあのやめたくないのでまこれ からもなんか続いてほしいとってますけど もねそうんまこの話後であの質問のとこに も出てますのでえっと引き続き後でできれ ばと思います1つだけあの県民の方に アドバイスをということなのでお参方一言 ずつでもうん なんか写真家を目指したい人に要するにす さん竜のアドバイス吉岡さん流の アドバイスさんのアドバイス写真ってあの 言いますけど例えばほらあのコマーシャル ですねコマーシャルを目指してやる人もま 写真家は写真化ですけどその写真家を 目指すというのはコマーシャルの写真家 でしょうかねあの例えば商品撮影はいうん これもなんか一般あの写真家写真家とこう
呼ばれたりこうみんなに一緒してるんです けどあの写真家というのはやっぱりあの私 が思うのには仕事持っててそれからあの 写真をやれるよ十分な時間のある仕事を 持っててそれから写真をやった方が本当 写真化的な写真ができるいわゆる作家的な 写真がこらえやすい環境になると思うます ねうんであのまだからその写真化を目指す というのはさなのかそま作家的なことを 選ぶのかいうことについてやると自分の 職業の選択をせにかで聞こえは確かにいい んですよコマーシャルのフォトグラファー の方がでもその仕事をしてま あの新聞配達ずなんでもやっといてそれ から本格的にその作活動をするんやったら やっぱりそっちの方を仕事持っててやった 方が僕は僕の意見はいいと思いますね いわゆる作家的な写真化になりやすいと いう そういうことですね木戸さんはあれですよ ねコマーシャルもやってますもんねあはい そうですねはいまそれをやってみて私は これじゃなかったと気づいた方法じゃあ アドバイスやったのでまねそのうんそう いう仕事の仕方っていうのは色々色々もう その人が見つけていかないといけないこと なのかもしれませんけどその作品を作 るっていう意味ではあ意味で言うとその そのさっきのえっとSNSとかの話に戻り ますけどやっぱり今この1枚の写真を じっくり見るっていうことがなかなかあの なくなってると思うんですこのスワイプ スワイプで早くでそれでその1枚の写真が どういう意味があるのかっていうのを見る うん考えてこう見る稽古をするっていう いうのかなそのこれがどういう意味なのか 謎解きをするような じっくりした見方をするっていのが自分が 作品を作っていく時の勉強にもなるのでは ないかとあの作品を本当に作りたいとうん 思っている人にはそういう写真の見方って いうのをあのしてみたらどうかなというの はあの思いますねありがと吉岡さんどう ですか写真家になるというか自由だと思い ます自に好きなようにやったらいいと思い ますじゃ好きなようにやるにはどうしたら いいですかいやだからそこはあのやっぱり だから自由にやるっていうことは非常に 難しいことで何をしたいかっていうことが ないと自由にもできないし ただなんか何々になりたいとかなんて言う かななんか大きく考えちゃうと動けないの で 自由にもしそこの猫がいたらにゃんこを 取ってもいいと思うんですねだから
もう自由 に取りたいものを取っていてそこから何か が発生してたらいいのかなて思います何々 になるって断言してなるのは非常に難しい と思うのでなるほど うんあの猫をよくここの近所に取りに来る んですけどでカメラを持った女の子が写真 を撮ってるん です入り口はそこでいいんじゃない でしょう かと私思い ますそろそろまああ時間過ぎてしまいまし たのでそろそろじゃあえっと事務局の方に 1度返してあとはあの質問が来てますので 後でお答えいただければと思っております よろしくじゃ事務局の方にしますえ住田 さん木藤さん吉岡さんお疲れ様です天の チーフもお疲れ様でしたえっと以上を持ち まして応援の部署了しますえっと5分間の 休憩を取りますのでえっと今3時7分と いうことですので12分まで休みを取り たいと思います12分になったら質疑応答 になりますのでよろしくお願いし ます お時間となりましたので質疑応答を始め ますなおこの高知県文化人材育成 プログラムは後日編集はでき次第高知県 文化財団の公式YouTubeチャンネル で配信する予定ですので皆様にはえっと声 が入ってしまうこととかご了承お願いたい と思いますえっとでは質疑応答ですがまず 前アンケートにのご質問をいただいてお いだいてました方からの質問についてお3 人から回答いただきその後に本日のお話を 聞いての質問をお受けしたいと思います ZOOMの参加者の方は質問がある 方質問がある方はミーティング画面の参加 者から手を上げるをクリックして意表示を したまましばらくお待ちください事前質問 の回答終了後に指名させていただきます それでは天野チーフよろしくお願いします はいえっとじゃあ質疑応答でえ最初いいて たえ質問何個か天野の方がピックアップし ますので皆様にお答えいただければと思っ てますえっとまず えっとそのまま読みますえ私はアンセル アダムスが好きでモノクロ風景写真を撮っ ていますがあまり良い作品はできませんと おさ方でモノクロにお詳しい方がおられ ましたらモノクロ撮影についてアドバイス があれば教えていただいと幸いですという ことでカラーとモノクロでモノクロの時 ちょっと気をつけてることとかおさん方で あれば ちょっとえっと写真を撮るってことは多分
一緒だと思うんですがモノクロ撮る時 ちょっと注意してるなってところ何かあれ ばおすさんからきま僕の場合はフィルム 現像ですねまずはいうんフィルム現像の 温度と時間うんそれをちょっと常に気にし てますでえっと吉子さんの方がはかに僕 よりクオリティが高いと思うんですけども あのよく20°でて教科書の書いてるん ですけど僕の経験では223ccぐらいが 1番いいと思いますねで223ccぐらい であの久によったら温度は高くてもいいと 思いますよあのちょっと流あるはかって あのリアリティがってて面白い場合があり ますからま2億活なんかそうなんですけど もまず気をつけないかのはフィルム現像 ですねフィルム現像で時間とその温度それ を気をつけなるほど着位置を入れないそう 正着もうそうあのだから僕の大失敗した 順番を間違えずにもう今度はもう現像液 ってもうでっかい書いてますけども現像 停止定着うんでそれとあとあのなるべく 新しい駅を使うように心がけてますで総先 と変色したりあの汚くなってするのでえ 新しい駅を使いますなるほどうんまこれは もうプリントでもそうですねでフィルム 元造をまずしといてそれから後プリント になってくわけですねプリントもやっぱり 同じように新しい液をなるべく贅沢にを 使って推薦を長くするそれがこですそう すると変色しないんでそれに気をつけて ますアナログの場合はそういう風にや るってことですそうですデジタルとかどう です かデジタルで多分撮影される方の方が多い と思うです が白黒撮白黒でこれをえデジタルで撮ろう と思う時 なんか気をつけることありますいや一緒に カラーも白あまり考えたことがないですあ 逆にないですだ普通まデジタルカメラで 撮影するじゃないですかそれの時 にあの 白黒写真にしようって意識をしてあまり 取ったことがないと思いますう私は私も あんまり意識 してないと思いますただただあのモノクロ でもカラーでもいつも私が見るのは光を見 てますああはいはいはい2を見ていてその 多分取る時にもう こうあのあ出来上がりの画像を想像して いるというかっていう部分はあると思うん ですだからそのプリント暗室で焼いたとし てもうんその うんデジタルで撮ってそのま私はデジタル で撮っても結局ライトルームと
Photoshopで暗室と同じような ことをしていると思うんですけどその暗室 と同じようなそのプリントの過程っていう のかなそれそれでこう自分がこう見た時の [音楽] うん映像を再現しようとするようなこう あのプロセス暗室うん写真の焼き方って いうかあのそれがま自分は大事にしてるか なと思いますねアンセルアダムスも いろんなところを焼き込んだりとかすごい はいはいあの1つのプリントを作る工程が あるのでそれでそうですねデジタルもそう いう木戸さんが言われたように 色々やれるやれるから反対にやれるやれ すぎてどうしていいのかが分からないだ 結局どのような絵が欲しいどうしたいって いうのが分かってうんそのためにその工程 があるっていううんことだと思いますうん そうですよね でただ取っただけでアンセルアダムスの よう な写真が そうですねは取れないし写真を撮っただけ じゃなくてもう絵を作ってたんだと思い ますアンセルアダムスはうんそのゾーン システムとかでやっぱりその僕もやったん ですけどあんまり覚えてはないんですけど やっぱり旅行する時にどこをニュートラル グレーにしてと か考えて最終的にプリントすることを考え て録を決めたりとかはあるとは思うんです けどそれ はそこまで普通はやらないですよねだから 色々工夫はされてプリント1枚のプリント を作ってるってことそう最終的に要するに アナログであればその薬品をこだわったり とかっていうこともするし Photoshopでできることだったら もうできるだけするっていうそうそういう ことですじゃ最終的にどの絵が欲しいか みたいなのが分かってないとそうそこが できないまあそうですまこれに付随してた んですけど写真によって心を揺さぶる手法 なんかあったらっていなんかこうなんかか なんか意図して作りたいって作っあの撮影 したことってあります か割と撮影 は僕なんかは早いの で あんまり あんまり意図的にはいこうしようとかって いうのはあんまりないです自然体でいき ますすさんありますあの心揺さぶるという 意味は感動したりするとそうですね逆に なん悲しくなったりとそれはですね
やっぱりあのホル社隊にもよりますよね ええうん例えばあのシベリアに私親服をし たもんやからどうしてもその父が見た世界 見たくてチアに行ってあのシビリアにヨ 時代の足跡をずっと辿って取ったんです けどもこの今の若い人にえそれを見せ たって何の感度もないわけですよねところ が未だにその未だというかもこれ8年 ぐらいか10年ぐらい前の時ですけど ちょっと新聞に連載させてもらった時に 手紙が来まして未だにですねあの主人の 帰る人を待っているえ山のあの人なんです けどそれて書いてたんですよでシビレの 存在をあのま あの示して表してくれて書いてくれて新聞 にありがとうみたいな来てたんでですごく 感動してたんですよねそのとであるまたは あ9万州で僕ちょっとそれはものすごい 失敗したんですけど写真的にはカラで撮っ たんですけどもその写真もやっぱり皆 その9万州のでおった時の親父の市長の主 をその写真の下にずっとこう僕は書いて 決して写真的にはもう大した写真ないん ですけどもそれでも泣いてましたからね 泣いてる人が多かったですからねあの昔 電気ベルってあの下でこうフリーで貸して もらったんですよねあのギャラリーをえ その時にやっぱりあのえ満席にと来てです ね大したことないんですよ写真はでもその 実際父親は書いた主機それから写真書いて 主写真でそれをずっとこう見ててやっぱり こう感動してくれたりしてたんですよねだ からト飛車隊によってそれぞれの考え方が 違うわけなんであの感動すられが違うと 思いますねうんだと僕は思いますどう好き ですうんはい私はあの手法という意味で はえないと思思います要するにあのこうし て思わせてやろうと思って取ってることは ないってこと その人の心を揺さぶることができる手法 つまり何かそういう取り方とかうん テクニックみたいなテクニックみたいな ものがあるかないかといううん問はないと 思います答はあでも自分の中でテーマを 持って撮影に挑んでるってことはおさ方は 一緒ですよねそれは一緒ですでまこれに 答えがあるとしたら私はどれだけ取った時 に自分が心を揺さぶられたか自分がどれ だけ揺さぶられたかっていうのがあの結果 的にその写真にあの出せるのか出せないの かそれはもう自分の写真家としてのうん うん力量かもしれないしその時の偶然なの かもしれないしいろんなものいろんな要素 があってそれができるのかできないかその 1枚熱量をどれだけかけるかうんそれは
あると思いますや写真って怖いから出て くるからねそれが怖いですよ うんはいセルンを取ったじゃないですか その時に感じたのが自分の小ささ小ささ 意味のなさ 結局そこでされてる方達ていうのがずっと やっててそれで宇宙の始まりとかを研究さ れて てそれ を切り取ってそれに何の意味があるんだろ うて反対に思いました あああのこんなすごいところに行って こんなものを取るんだっていう勢いで行っ たんです けど言ってしまうとあただ のまあバスタんだまスタンディングただ そこにい てそこ をたまたま切り取ってるだけなんだなって いう虚しさがありまし たうんなかなか うんままどめがま後でその哲学的な話にも 多分話をしなくちゃいけない時が来るん ですがうんまちょっとあのもう23個最初 にやっとおきたいですのでちょっとお話し いただければと思うんですけど えっと地域文化に触れる機会が少ないって 感じてるんですけどなんかこう自分から 取りに行ったりしてますかあのああよよ そうですよねあの50ccのバイク買って え山を走ってますあの髪ができた原料が ある山 に そして そのちなんていう か放置に住んでても行かないこんな近くに 山があるのに行かなかった知らなかったで こんな世界があるんだっていうのを 今撮影末を兼ねてっていうか知る地域を 知るうんことはしてるしてますすさんはお 酒まってこですね [音楽] うん父さんのやっぱり夜 夜がも本当は好きな世界じゃないけど やっぱり怖いもみたさんみたいなとこも あったしなんかやっぱり夜に発あいますね やっぱり さんどうですはいええそうですね私はその なんてか自分で気がついたんですけどその どこかに何かを取りに行くってタイプじゃ ないみたいなんですよどうやらその多分 自分の人生の中であー起きてきたことから 自然にあの取りとっていてでそれが自然に 自分のプロジェクトになっていくっていう だからこの場所を決めてどっかの場所に
取りに行くっていうタイプじゃどうもない んですねあーだからここの地域の文化に 触れる機会をえ欲しい人吉岡さんみたいな タイプもいるしうん木戸さんのタイプ みたいに別になくても取れちゃう人もいる よってことかなああそうですねまでも シワントガーとかはあはいどっかであの きちんと取っておきたいと思ってるんです けどはいだからどう関わってくるかなんだ と思いますその自分のあ人生とか生活と どう関わってくるかでそのプロジェクトに なっていくのかなっていかないのか取るの は取ってますよあのパチパチ海でも川でも いろんなとこで撮ってるんですけどただ プロジェクトになっていくかどうかって いうのはあ私の場合案外これを始めようっ て始めるんじゃなくって色々取ってるうち にあれこれちょっともうちょっと取ってみ たいなっていうような感じで後になって気 がついてプロジェクトにいつの間にかなっ ていくという感じですね うん最後多分もう1つぐらいしかできない のであのさっきのちょっと大物をやりたい のですが写真というものがデジタル化して 綺麗なものと以前と比べ格段と綺麗に 取れるようになりましたとえでもえ晴れと 毛の毛の日のものや え苦しみとかをそのマイナスの部分を 打ち出すものに取るにはどういった手法が ありますかということでえっとちょっと 補足がありまして写真がデジタル化し加工 しやすくなったとえっと取るものも綺麗な ものや作品主義的なものに確率化されそれ がいいという風潮が強くなっていますと 車体も輝度哀楽の喜びや楽しみ晴れと毛の 晴れの方を良しとする風潮も強くなってる 気がしてなりませんと毛の方の日のえ 悲しみや怒りというものを表現するのが何 セのようにも思いますと無理にそういう もの取る必要もあるかあ取る必要はないか と思いますがそういったものを取ってく 必要あと思いますどのような表現がして いいですかというちょっとこう哲学的な 問題が最後にしようかなと思ってるんです がどうです晴れと毛要するにえまそのいい 綺麗にに取れるからこそいいものだけが イメだイメージとしていいものがいいって いう風潮があるんじゃないかという質問 ですけど何かお話 があれ ばそうなん ですだからこれえっと決してえっとニーズ が悲しみや怒りにないわけではないと思う んですよさっきの喧嘩の話もうんそうだと 思うんですけど怒りですよ
基本的には取りたいものを取ればいいと 思うんですそう震災とか手ですよねはいあ ああそうかだからあの取りたくない人は 取らなくていいと思うんですよそれで あの取り取りたいとかもうもうやっぱり 何かをうん何かをずっと追いかけていくっ てそんな簡単なことじゃないのであの うん本当にもうこれを自分がはやらないか んっていうそのそう自分はこれを取りたい し自分はこれを取らないかみたいな取らず におれんみたいなそういう思いがあの思い になった人が取ったらええわけであのと 思ってるんです けれどその何を取ってはいけないもないし 何を取らないといけないもないしあだから 本当に自分が う撮りたいものを取ればいいのかなと思い ます私はあの自分すごくじいちゃんばあ ちゃん子だったのであのじいちゃんが死ん だ時にあのじいちゃんのお葬式のうん写真 を撮ってまさに毛のヒですはいじいちゃん の死顔も撮りましたでも周りの人も私が どれだけじいちゃんばあちゃん子だったか 知ってるので何にも言わないんですです じいちゃんの死顔を取っててもで自分とし てはそれがそのじいちゃんへのお別れの 仕方だったというかその写真を通してお 別れをしたというかじいちゃんの最後の姿 を撮っておきたかったどうしてもどうして も取りたかったっていう気持ちだけでした ねま最終的僕そう思いますが頭の中でうん 今の時期はこういうものを取った取ったら 受けるとかこういうもの取ったら面白い かとか思っても長しないんですようんああ だから長するためにはやっぱ木藤さん言わ れたように取りたいものを取るも単純です よこれ取りたいものを取るそうすると やっぱり長長続きできるんですね写真で そういうことと僕はそう 吉さんどうです うー昔あのサボ公外の難民キャンプに行っ たんですけどあはい取れませんでしたああ 逆に取れなかったですそうですね あのその木戸さんの311もそうですか あまりも状況が状況がひどい時に は何でしょう なうんそこを撮影することは非常 に色々考えさせられるじゃないですか わざわざサブまでいで飛んでいっ てそれでunhcrの人に あのいっぱい人が亡くなって殺されたお墓 をに取りに行きたいっていう自分がい てで もそれは叶わなかったんです けどそう
いうなんか軽い気持ち軽い気持ちでで言っ たわけではないんですけどうん あのその毛のところ はうんセンシティブなところなので うん [音楽] あのと取れる人が取ったらいいのかなって 思います31日の時も僕もアメリカにいて それでみんなに言われたのが写真今撮る いい機会だねみたいなことを言われたん ですけどそれじゃないだろって思ったん ですよだからだからその表面的に入って 撮ってそれでこんなすごいことがありまし たよてそれでまた帰っていくわけじゃない ですかうん写真かというかカメラマンはで も うんそこで暮らしてる人というかうんなん そのうんやっぱりそこで暮らしてる人 が残ししていくうんべきうんものなんじゃ ないかなとうんて思います思いますそれは 思います私もやっぱりあの3.11の後 やっぱり取りに行っても1日取らない日も あるんですよ歩きもあるだけでうんで歩き もあるだけで取らない取れないうん時も あってでもやっぱりあれは近かったという かその自分の生活の中うんだったから取っ たんだなという自分分の人生の中に起きた ことだったから自分であこれは私がここに 住む人として取らないといけないって思っ たというかだから何回も何回も行けたから こそちょっとずつ取れるようになったり ちょっとずつ見える見えてくるものがあっ たりっていうそういう状態だったと思い ますね毛のところも取っていいと思うん ですうんうんうんうんもし取る理由があっ てあねそれでもし取るだけじゃなくそれ 発表しようと思えば発表することに対して 責任がうん生まれてくるので うんそこは取る行為と発表する行為は やっぱり別のことかなとは思いますどう 発表するかにもよると思うんです けどそろそろ時間なのですが何か一言ずつ じゃあもらって終わりにしましょうかさん 最後に一言もう時間なんですよ何を何か こう今こまとめみたいな最後にあの県民の 皆様に何かこのフォトグラファーを目指す 人たちにうん うんやっぱりあの写真っていろんなその 例えば民間でも僕嫌な目にあったんです けども矛盾があるんですよね色々もう本当 り間違ったことが通るとかそういう嫌な 経験も僕してるんであのやっぱり写真って ファインダーから覗いた時に誰も邪魔され ない世界じゃないですか邪魔何も邪魔され ない自分の世界でその自分の世界で思った
ことを取れるのでえそういう意味では やっぱりあのうん写真というのはやっぱり あのメンタルの関係でも非常に僕はいい 行為だと思いますということで写真ぜひ やってください てじゃあ木戸さん指名は吉岡さんにしよう かなえっとそうですねあまず今日は長い間 ね聞いていただいてありがとうございます え 写真そうですねあのな何でもいいと思うん ですよ別に写真じゃなくてもその何か本当 に自分があー大好きなものこううんま写真 もあの大好きでも 長くやっていくと辛いこともいっぱいある のででもあのどんな仕事でもあの一生懸命 やって うんいると辛いことって絶対あると思うの であのだったら好きなことで辛い思いし たらいいんじゃないかと私は思ってあの 写真家をずっと続けてるのかそれだけでは ないとは思うんですけどまあだからあの そうですね あのうん自分がやりたいことを一生懸命 やってみるというのはあの1つの手かなと は思いますはいはいじゃあよ最後自由に やって くださいうん自由にやってくださいてのは 漠然としてます けどあのまずはもうも色々考えずに取っ たらいいと思いますでそこで悩んだらまた 周りの人に聞いたりとかしてそれで どんどん知識を深めていったらいいんじゃ ないでしょう かありがとうございますえっともうお時間 になっていました過ぎちゃいましたので じゃあ事務局の方にお返ししたいと思って おります今日は本当におさ方ありがとう ございましたございましたあどうもすみ田 さん木戸さん吉岡さんそして司会進行の 天野地府長時間にわりましてありがとう ございましたズーム参加者の皆様もあ本当 にありがとうございまし た OG
高知県文化財団では県民の文化芸術活動を支援するとともに、芸術を産業・観光・地域振興に生かすことのできる人材の育成を目指し、「高知県文化人材育成プログラム」を開催しています。
このたび令和5年11月19日に開催した第4回講座のアーカイブ配信を開始しました。
講座に参加できなかった方、高知の文化芸術活動等にご興味のある方は、ぜひご覧ください!