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どうも、管理人のヒロリンです。

日本人の総氏神である天照大神を祀る神社の中の神社、伊勢神宮。その創建は第11代天皇・垂仁天皇の第四皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)によって成し遂げられたことが日本書記や古事記に記載されています。

日本書記によると、天照大神はもともと「ともに床を同じくし、殿(あらか)をともにして斎鏡(いわいのかがみ)となすべし」と言って託された八咫鏡(やたのかがみ)をご神体として、宮中にお祀りされていました。

しかし第10代天皇・崇神天皇(すじんてんのう)の時代、国内には疫病が流行り、多数の民が失われます。百姓はさすらい、反逆するものも出てきて、徳政をもってしても治めがたい状況に崇神天皇は「共に住むと天照大神様は安らかになれない」と考え、皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)によって八咫鏡は宮中から大和国・笠縫邑(かさぬいのむら)に遷されます。

その後、第11代天皇・垂仁天皇に命じられ、倭姫命は笠縫邑(かさぬいのむら)に鎮座されていた八咫鏡をよりふさわしい宮地にお祀りするために、諸国を巡業します。

しかし、決定的な場所が中々見つからず、最終的に現在伊勢神宮が鎮座している五十鈴川の上流に至るまでに倭姫命がめぐった土地は大和、伊賀、近江、美濃、尾張の5カ国を含み、全部で約20年かかったとされています。仮に20歳の時に巡業を命じられたとしても40歳まで巡業を続けている計算となり、当時の平均寿命を鑑みれば、生涯のほとんどを天照大神が鎮座する場所を探す旅に費やしたことになります。

この長い旅の間に倭姫命が滞在し、天照大神をお祀りしたと伝わる土地が今も20カ所以上あり、「元伊勢」と呼ばれて地元の人々の誇りとなっています。

奈良県の御杖(みつえ)村には倭姫命が杖を忘れたという伝承があり、その杖が御杖(みつえ)神社に祀られています。また、伊勢の櫛田(くしだ)には、倭姫命が櫛を落としたことが地名の由来。ほかにも、船に乗っていると魚が自然と集まってきた、人々を取り殺していた神をお鎮めになった、神嘗祭(かんなめさい)に奉納される懸税(かけちから)の起源になった「倭姫命視咋穂鶴」のエピソードなど、多くの伝承が各地に伝えられています。

倭姫命が五十鈴川上流に来た時、天照大神は倭姫命に次のような神託を出します。

「この神風の伊勢の国は、常世の浪、重浪の帰する国なり。傍国の可怜国なり。この世にいらむと欲う(伊勢の国は常世の国からの波が何重も寄り来る国であり、都から離れた辺境ではあるが美しい国なので、この国に居たいと思う)」

この神託に従い、倭姫命によって天照大神は現在の内宮にご鎮座され、伊勢神宮の歴史がここから始まることになるのです。

その後伊勢の地にとどまった倭姫命でしたが、後に日本神話の英雄:日本武尊(ヤマトタケル)に対し、重要な役割を果たすことになります。

日本書記によると第12代天皇・景行天皇は息子である日本武尊に対して西方の各地征伐に任命し、休む間もなく、今度は東方の各地征伐(東征)を命じます。日本武尊は失意のまま叔母である倭姫命がいる伊勢神宮に立ち寄ったのです。

「今度の遠征には部下もいないので勝ち目がない、行きたくない」と倭姫命に思いを吐露する日本武尊。倭姫命は草薙の剣と火打石の入った袋を渡し、こう言います「慎みなさい、怠ってはいけません」と。

これに勇気づけられた日本武尊は東征の途中に謀略によって殺されかけますが、倭姫命から渡された草薙の剣と火打ち石でこの危機を脱し、見事東征を果たすことになります。つまり、倭姫命は日本の歴史上、重要な役割を果たしのです。

このように倭姫命は日本にとって計り知れない功績を残したにも関わらず、陵墓の伝説があるだけで、倭姫命をお祀りする神社は全国に皆無でした。これを惜しんだ伊勢市の人々が国会にお宮の創立を働きかけ、大正12年11月5日に、今回ご紹介する倭姫宮(やまとひめみや)は創建されました。

倭姫宮は伊勢神宮内宮(皇大神宮)の別宮に定められ、20年に一度、社殿を新しくしてそこに倭姫命を遷す式年遷宮も行われます。

伊勢神宮創建の功神を祀る倭姫宮。伊勢神宮参拝の際は創建の物語に想いを馳せ、倭姫宮に参拝するのもお勧めです。

さて、次回は2020年最後の投稿。遂に伊勢神宮外宮の動画を公開します。2020/12/25(金)公開予定。是非ご視聴下さい(*´ω`*)

Yamatohime no miya is a Shintō shrine in the city of Ise in Mie Prefecture, Japan.

This Shrine dedicated to Yamatohime no mikoto.

Legend says that about 2,000 years ago, Emperor Suinin ordered his daughter, Princess Yamatohime-no-mikoto, to set out and find a suitable permanent location from which to hold ceremonies for Amaterasu Ōmikami. Prior to this, Amaterasu Ōmikami had been worshiped within the Imperial Palace at Yamato, before a temporary location was created in the eastern Nara Basin. Yamatohime-no-mikoto is said to have set out from Mt. Miwa and wandered for 20 years through the regions of Ōmi and Mino in search of a suitable location.

When she arrived at Ise, she is said to have heard the voice of Amaterasu Ōmikami saying that she wanted to live forever in the richly abundant area of Ise, near the mountains and the sea, and it was here that Yamatohime-no-mikoto established Naiku, the Inner Shrine.

Jien records that during the reign of Emperor Suinin, the first High Priestess (saiō, also known as saigū) was appointed to serve at Ise Shrine.

7 Comments

  1. こんにちは。
    倭姫宮ですね(^-^)
    今まさに編集中です!
    やっぱりヒロリンさんの動画は美しいですね(; ゚ ロ゚)
    本当に勉強になります!
    承認が出たので明日にでも月讀宮の動画を立ち上げます。
    倭姫宮は年内にはというところです(; ゚ ロ゚)
    編集頑張らないと(^_^;)

  2. こんにちは。私も来年こそは伊勢神宮に訪れてみたいです。スローで、滑らかに流れる映像、本当に素晴らしいですね。次回の動画の方も拝見させていただきますね😊

  3. ご苦労された初代の斎王様を1800年もお祀りしてなかったことに、寂しさを感じました。参拝の折は小雨が降りすごく寒かったですが、倭姫はもっと大変だったのでしょうね。伊勢に参拝するときは倭姫にも感謝しながら行かなくてはと勝手に思っています。

  4. 小石を敷き詰めた場所が多いですね!ポツンと小さな社が気になりました。何故か、狛犬がいない(*'▽')
    今日、午後からブラついて撮影して、帰って映像見たら、全てスローモーション撮影してる😱😂😭もうイヤ😭😭

  5. 今回も本当に素晴らしい映像でした!拝見しているだけでひんやりとした心地良い空気感が伝わってくるような…🥺💓
    そして概要欄がとても興味深かったです!初めて知る事ばかりだったのでそうだったのかと本を読むみたいに夢中になりました🥰

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