江戸を守り続けた社、将門公・商売繁盛・首都に息づく江戸総鎮守:東京都・神田神社(Kanda Shrine | One of the best spots in Tokyo)

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 社号碑、参道
0:34 随神門、手水舎周辺
2:32 御神殿、狛犬
3:34 獅子山周辺
4:27 末社 日本橋魚河岸水神社
5:19 末社 小舟町八雲神社
5:37 末社 大伝馬町八雲神社
6:06 末社 江戸神社
6:21 御神殿側面、後方
7:06 合祀殿
7:23 末社 三宿稲荷神社
7:44 末社 末廣稲荷神社
8:33 境内石碑

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は東京都の神社の人気度ランキングを作成したら必ずトップ10に入るであろう有名な神社、東京都千代田区に鎮座する江戸総鎮守・神田神社(かんだじんじゃ)を紹介します。

東京都千代田区外神田。秋葉原の電気街や御茶ノ水の学問の街、そして神田・日本橋・大手町・丸の内といった江戸以来の商業地・政治経済の中心にほど近い場所に、朱塗りの鮮やかな社殿を構える神社があります。それが、正式名称を「神田神社」、通称「神田明神」と呼ばれる古社です。

神田明神は、単なる地域の鎮守ではありません。江戸の町を見守ってきた「江戸総鎮守」として知られ、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など、江戸・東京の中心部に広がる広大な氏子地域を守護してきました。現代の東京を象徴するビル群、商業地、オフィス街、学生街、電気街に囲まれながら、境内に足を踏み入れると、そこには江戸の記憶と都市の信仰が重なり合う、独特の空気が流れています。

神田神社の鎮座地の特徴は、まさに「東京の中心にある聖域」という点にあります。現在の所在地は千代田区外神田。すぐ近くには秋葉原、御茶ノ水、湯島、本郷といった個性の強い街が広がります。秋葉原側から訪れれば、電子部品、アニメ、ゲーム、IT文化が集まる現代的な街並みの先に、突然、朱塗りの随神門と社殿が現れます。

一方、御茶ノ水側から向かえば、大学や病院、楽器店が並ぶ文教地区の気配を感じながら境内へ至ります。つまり神田明神は、商業、学問、医療、情報、文化、政治経済が交差する場所に鎮座している神社です。古くからの江戸の町人文化と、現代東京の最先端文化が、ここでは不思議なほど自然に同居しています。

神田神社の歴史は、社伝によれば天平2年、西暦730年にまでさかのぼります。出雲氏族の真神田臣が、現在の大手町・将門塚周辺にあたる武蔵国豊島郡芝崎村に、祖神である大己貴命を祀ったのが始まりと伝えられています。その後、平安時代に関東で大きな存在感を示した平将門公の霊が、延慶2年、西暦1309年に祀られるようになり、神田明神は江戸の信仰の中で重要な位置を占めるようになりました。戦国時代には太田道灌や北条氏綱などの武将からも崇敬を受け、さらに江戸時代に入ると徳川家との関係によって、その地位は大きく高まります。

慶長5年、西暦1600年の関ヶ原の戦いに際して、徳川家康は神田神社で戦勝祈願を行ったと伝えられています。そして神田祭の日に勝利を収め、天下統一への道を開いたことから、神田祭は徳川将軍家にとっても縁起の良い祭礼とされました。その後、江戸幕府が開かれると、神田神社は江戸城の鬼門、すなわち北東方向を守る重要な位置へ遷座されます。現在の外神田の地に移ったのは元和2年、西暦1616年のこととされ、以後、江戸の町を守る総鎮守として、将軍家からも庶民からも厚く信仰されてきました。

神田神社に祀られている神様は三柱です。一之宮は大己貴命、いわゆる「だいこく様」。大国主命の名でも知られ、出雲大社の御祭神としても有名な神様です。国土経営、殖産、医薬、夫婦和合、縁結びの神として信仰され、神田明神においても、縁を結び、土地を開き、人々の営みを支える神として祀られています。東京の中心で働き、学び、商いをする人々にとって、大己貴命は、単なる縁結びの神ではなく、都市の活動そのものを支える神ともいえる存在です。

二之宮は少彦名命、神田明神では「えびす様」として親しまれています。少彦名命は、高皇産霊神の子とされ、大海の彼方・常世の国からやってきた小さな神様として神話に登場します。大己貴命とともに国づくりを行い、医薬や酒造りなど、人々の暮らしに関わる知恵を授けた神とされます。神田明神では、商売繁昌、医薬健康、開運招福の神として信仰されています。大己貴命と少彦名命は、神話の中でともに国づくりを行った深い関係を持つ神様。その二柱が東京の商業地を守る神社に並んで祀られていることは、非常に象徴的です。土地を開き、産業を興し、病を癒やし、人々の生活を豊かにする。神田明神の信仰には、都市の繁栄を支える神話的な構図が重なっています。

三之宮は平将門命です。平将門公は、承平・天慶年間に関東で活躍した武将で、神田明神では除災厄除の神として祀られています。将門公は、時代によって評価が揺れ動いた人物でもありますが、関東では民衆を守った武士の先駆けとして強い信仰を集めてきました。神田神社のもともとの鎮座地に近い大手町には、将門公の御首を祀る将門塚があり、神田明神の歴史と切り離せない存在です。明治時代には一時、本殿から摂社へ遷されましたが、昭和59年に再び本殿に奉祀され、現在の三柱の形となりました。

この三柱の組み合わせは、神田明神の個性を非常によく表しています。大己貴命は出雲神話につながる国づくりと縁結びの神。少彦名命は知恵と医薬、商売繁昌の神。そして平将門命は、関東の歴史と武士の記憶、災厄を鎮める御霊信仰の神です。つまり神田明神には、神話の世界、江戸以前の関東の歴史、そして江戸・東京の都市信仰が重層的に重なっています。出雲大社につながる大国主信仰、少彦名命との国づくりの神話、将門塚に象徴される関東の霊的記憶、徳川家康と江戸幕府の歴史。それらが一つの神社の中で結びついていることこそ、神田神社の大きな魅力です。

社殿の特徴も、神田明神を語る上で欠かせません。現在の御社殿は昭和9年、西暦1934年に再建したもので、権現造の形式をとっています。最大の特徴は、当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート造でありながら、総朱漆塗の伝統的な神社建築の姿を保っている点です。本殿、幣殿、拝殿に加え、神饌所や宝庫が重なり合うように構成され、昭和初期の神社建築として新しい形式を持つ建物とされています。設計には伊東忠太、大江新太郎、佐藤功一といった近代建築を代表する建築家が関わりました。

この社殿は、単に美しいだけではありません。鉄骨鉄筋コンクリート造でありながら、木造建築に見えるよう小屋組や柱間に工夫が施され、近代技術と伝統意匠が見事に融合しています。また、拝殿の手前を土間にし、その先を畳敷きとすることで、参拝者が靴を履いたまま拝礼でき、神職が床上で祭式を行える構造になっています。これは、近代都市の神社として、多くの参拝者を受け入れるための実用性を備えた設計でもありました。さらにこの社殿は、昭和20年の東京大空襲にも耐え抜き、平成15年には国の登録有形文化財に登録されています。

境内には、御社殿のほかにも見どころが多くあります。昭和50年に建立された総檜・入母屋造の随神門、神田祭の資料や神宝を展示する資料館、だいこく様やえびす様の尊像、氏子町会の神輿を納める神輿庫など、神田明神が単なる観光地ではなく、今も祭礼と信仰が生きている場所であることを示しています。特に神田祭は、江戸三大祭の一つに数えられ、神田明神と江戸の町人文化を象徴する祭礼です。神輿、山車、氏子町会、町の誇りが一体となるその姿は、神田明神が「江戸総鎮守」と呼ばれる理由を今に伝えています。

神田明神は、東京という都市の記憶を凝縮した神社です。ここを訪れることは、単に神社に参拝することではありません。江戸から東京へと続く都市の歴史、その中心に生き続ける信仰、そして古代神話から現代文化までを一望する旅でもあるのです。

Kanda Shrine is a Shinto shrine located in Chiyoda, Tokyo, Japan. The shrine dates back 1,270 years, but the current structure was rebuilt several times due to fire and earthquakes. It is situated in one of the most expensive estate areas of Tokyo. Kanda Shrine was an important shrine to both the warrior class and citizens of Japan, especially during the Edo period, when shōgun Tokugawa Ieyasu paid his respects at Kanda Shrine. Due in part to the proximity of the Kanda Shrine to Akihabara, the shrine has become a mecca for technophiles who frequent Akihabara.

Kanda Shrine was first built in the second year of the Tenpyō Era (730 AD), in the fishing village of Shibasaki, near the modern Ōtemachi district. In order to accommodate the expansion of Edo Castle, the shrine was later moved to the former Kanda ward in 1603, then moved once again to its modern site on a small hill near Akihabara in 1616. The shrine has been rebuilt and restored many times. The current structure was destroyed in the 1923 Great Kantō earthquake and rebuilt in 1934 with concrete, and thus survived the Tokyo firebombing of World War II, unlike many of Japan’s historical structures. Restoration is being done on Kanda Shrine, and work continues today.

The three major kami enshrined are Daikokuten, Ebisu, and Taira no Masakado. As Daikokuten and Ebisu both belong to the Seven Gods of Fortune (Japanese, “Shichifukujin”), Kanda Shrine is a popular place for businessmen and entrepreneurs to pray for wealth and prosperity.

3 Comments

  1. 成田山新勝寺にに詣でている私は祟りが怖くてもう行きませんが 綺麗でパワーのある神社でした。
    少彦の命の像は小さくてはいって無かったのですか❓

  2. ありがとうございます✨️
    実は、私、平将門の大ファンなのです!!
    日本画の個展に伺うために
    静岡県掛川市に行った時、
    偶然、十九首塚に立ち寄ることが出来て感動していたくらいです😅

    東京大空襲があった3/10、
    毎年、浅草神社での奉納演奏に参加している身として、東京大空襲に耐えた神社があるなんて感慨深いです。

    鮮やかな神社✨️
    参拝したことはありますが、映像の印象は、鮮やかな神社です。
    今もなお、平将門は民衆を守り、そのエネルギーがそのまま映像に現れるのでしょうか?

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