「神殺しの大剣」として有名な霊剣・十束剣を祀る破邪・浄化の神域:岡山県・石上布都魂神社 (Isonokamifutumitama Shrine)
▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング、一之鳥居周辺
0:21 一之鳥居周辺
0:45 二之鳥居周辺
1:07 参道、手水舎
1:54 狛犬、社殿
3:14 本宮参道
4:48 本宮(奥の院)
5:35 磐座(禁足地)
どうも、管理人のヒロリンです。
今回は岡山県赤磐市に鎮座する石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)を紹介したいと思います。
岡山駅から津山線で旭川に沿って北へ、金川駅で降りると御津町という場所に辿り着きます。御津町の中心は備前の守護代松田氏の城下であった金川が中心。ここから車で約15分、旭川を東に渡って行くと丘に囲まれた田園に出る。新庄川沿いに更に登っていくと、緑あふれる西南の山の中に備前国一宮の石上布都魂神社があります。
神社の参道は細い山道になっていて、登っていくとやがて社殿が見えてきます。この辺りは神社を取り巻く自然林と山間集落の景観が一体となって、優れた郷土的なたたずまいを留めている。この美しい地域一帯を岡山県は「布都美郷土自然保護地域」に指定しています。
そんな郷土的なたたずまいを留めている場所に鎮座する石上布都魂神社の御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。素戔嗚尊は姉神である天照大神を怒らせたことで、高天原を追放された後に、出雲国の肥河の上流の鳥髪の地(船通山)に天降ります。すると、川上から箸が流れてきたので、人が住んでいるだろうと考え川をさかのぼると、一人の娘を真ん中にして泣いている老夫婦に出会いました。老夫婦は国つ神であるアシナヅチとテナヅチ。娘は、クシナダヒメという名です。
素戔嗚が老夫婦に泣いている理由を尋ねると、老父は「私たちには八人の娘がいました。でも毎年、山からヤマタノオロチが降りやって来て娘を一人ずつ食べていったのです。今年もヤマタノオロチが来る時期になり、最後に残ったクシナダヒメも食べられてしまいます。それが悲しくて泣いているのでございます」と答えました。
話を聞いた素戔嗚は、老夫婦に、クシナダヒメとの結婚を条件にオロチを退治することを持ちかけました。素戔嗚が天照大神の弟で、天上から降り立ったばかりであることを知った老夫婦は、喜んでこの申し出を承諾したのです。
素戔嗚は束(剣の持ち手)10個分の長さである「十束剣」でもってヤマタノオロチを斬って退治。ヤマタノオロチの尾からは三種の神器の一つである草薙の剣が出てきており、これが後に熱田神宮の御神体となります。
ヤマタノオロチを倒した十束剣はその後、霊威を帯び、それが石上布都魂神社に祀られることになります。その後、この霊剣・十束剣は崇神天皇の御代に当社から奈良県の石上神宮に遷されることになります。つまり、石上布都魂神社は十束剣の原所伝承地、石上神宮はそれを国家祭祀に組み込んだ中枢拠点とも言えます。
十束剣は石上神宮の禁足地に埋められますが、明治時代の調査で実際にこの剣が発掘され、剣のレプリカが神宝として当社に戻されました。これが当社の現在の御神体です。
日本神話の重要な場面で活躍した霊験を祀っていることから、当社に対する崇敬は篤く、現在の本宮(奥の院)が鎮座している場所に、1669年に岡山藩主池田光正が社殿を造営しています。しかし、この社殿は明治40年の時に大火で焼失。現在の社殿は大正4年に山の中腹の位置に再建されたものです。
現在でも境内左手に山へ続く道があり、約10分ほどかけて上ると、本宮(奥の院)が存在。参道途中に鳥居があり、一段高く祀られた小祠が本宮本殿。その背後に巨石(磐座)が幾つかあるが、磐座周囲は、針金で結界されて禁足地となっています。
出雲、備前、大和の国を結び、更にはヤマタノオロチを斬った霊験が祀られている当社。凄まじいまでの神威を感じられる当社の様子を是非ご視聴ください。
2 Comments
とても素敵な動画ですね!
これだけブレずにゆっくり動かすにはどうすればいいのか。自分が撮るとブレまくって、使えない動画ばかりで嫌になります。苦笑
御朱印が自販機の有名な神社さまですよね。今は墨書きもされているので時間に余裕を持っていきたいですね。自家用が無いとなかなかアクセスしづらいし参道の急な上り坂は夏場は危険ですよね😅磐座にサンダルで登って足が痛くなったのは今では良い思い出です😊