見沼代用水の東縁・西縁(瓦葺調節堰〜通船堀まで)をレジェンドと歩く #見沼代用水 #坂本正博 #東縁 #西縁

どこ行くの?水の流れに聞いてくれる? 行ってらっしゃい。 本日のメニュー前半スタジオで坂本さんに インタビュー。後半三沼大水を歩きます。 川の国アドバイザー坂本正さん。 埼玉県農林部副部長 県庁の職員として長年都関係の仕事を行ってきた川ぬ専門家です。ミ沼大水にとても詳しいです。 あ、どうも本日ありがとうございます。はい。 え、わざわざお越しいただきまして時スタジへようこそお越しくださいました。はい。 えっとですね、坂本さん、あの、え、三沼大陽水にやたら詳しいんで、その辺のお話をお聞きしたいんですけども、 三沼大陽水とは埼玉県から東京都の境まで流れる南北約 60km、 東西約20kmの様路のことです。 江戸時代増え続ける江戸の人工を支える ため神殿開発が必要になりそれまで農業 要水として使っていた三沼という沼を拓し 新たにト側から水を引いてミ沼大水が作ら れました。 ミ沼大水が作られたのは12年約300年 近くの歴史のある水路です。気班であった ざべが江戸幕府の名を受け、武蔵の国に 赴き、気龍流という技術でしました。 約60kmに及ぶ工事はすでにあった星川 を利用したり、第一地の裾を利用したりし て工夫され、6ヶ月という短期間で完成し ました。またミ沼通船堀が掘られたことで ミ沼大水は運にも利用され江戸と生きして 様々な物資を運びました。 集は約200年間続きました。 2019年には沼大水 が世界 施設遺産として登録されました。 坂本さん、あの、えっと、どういったことでそんなに三沼水のことを詳しくなったというか、仕事は県庁におられたんですよね。 そうですね。 うん。あの、県庁で、 えっと、37年ぐらい はい。 その農業土木と言いますか はい。農業要水とか、ま、濃だとか、 それからた池だとかね、 まあ、埼玉をぐるぐる回って仕事をしてた中で はい。はい。あの、親が はい。 農林省に務めてた関係もあって はい。 埼玉県の うん。 何々部行くとしたら農林部行きたいなと思ってたので、 それで念願叶って 農林部に入れたので はい。はあ。は。希望して入ったんですね。 そう。 うん。 初めに所属されたところが 春日部 都改良事務所っていうんで うん。7 年ぐらいてそ沼の方に大宮事務所とか 映ったわけですか? それで中川水計農業水事務所っていうのが 中川水計農業推理事務所にあったので はいはいはい うんそれは55ぐらいの じゃもう本当に うん もう仕上げ段階で仕上げ うん 農業推事務所の所長になって 三沼大陽水のことを うんうん とか西も含め 葛西の方が多かったね。火の方が多かった。 2 号半だとか 火量の方も含めてやっぱり合理があ うん。自分では 嫌だなと思いながら あの無名によってパイプラインなんかやりましあ あそういことなんですね。ああ、 ミ沼は はい。 私の育ったところですと。 はい。 いうことではい。 あの、小学校の効果にも沼の通りなんていうのが始まってね。 うん。そういうことで 子供の頃がミ沼水の近くで そうですね。 座ったんですね。 ああ。 環境。坂本さんの時代はまだ田んぼがいっぱい残ってて み大水から水を引き込んで みんな食べをしてたわけですよね。 そうですね。 ああ。うん。うん。 じゃあ、あの、三大水で遊んだり、 遊んだり。 はい。 で、え、高校行っても近かったから はい。 その新入生、歓迎マラソンなんで 要水の周り ああ、そうですね。 うん。やったりね。うん。大水は 冬は水がなかった。 ま、水ですからね。 要水がね、 今はね、 えっと、氷かなんていうので 冬もその水使ってるから はい。大宮市のところまで 水が年な夏にも冬も流れて そういうことで今はずっと水が流れてる いつも綺麗な水で う冬になると はい 石をどければシに取れたとかね うん 水生活要水が大切になったので 今まで土水だったところを コンクリート3面よくみんな嫌いだっ はいはいはい。面コンクリートにして それで余った水ねを年に回したと。あ、大陽水元々ド水路だったのを あのまドってロスが多いですから 3 面間のコンクリートにしたっていうことが起きたわけですね。うん。そうだね。うん。 うん。 で、その後どうなってたんですか? ええ、その後、 え、本当にみんなに嫌がら、え、生き物もいないよとか色々言われたんです。 ですけど はい。 私が特にしたのは生体系に 配慮しようということで、 ま、リゲーションお室イリゲーションと考えという意味なんですけど イリゲーションア室って 各航国に1つ あの魚にだとかいいものを作りましょうと。で、その中には深みを作ったり工さしたりそれから中に入れる色にしたりということで、 え、そんなことを手掛けた。 はい。そ、それの第1任者かもしれない。 あ、そういうですね。今は あの沼大陽水ね、埼玉しないで もう有名な桜並きに なっちゃってるし、 それから周りはまじ下げなって。 それは何年ぐらいかけてやったんですか? ま、10年か、10 年ぐらいですか。その時に県長にいらっしゃったんですけど。 ああ、そうなんですね。それでそのご担当っていうことで それをやられたわけですね。 そうだね。それで初めのうちはうん。 いわゆる 義姉点でもう最前線で はい。 うん。 とにかくをやって はい。 それで実さもやって 全部自分で設計して 痛くなんかしなかった。 えっとコンサルタント入れなかったんですか? 入れなかったんですか?ええ、さすが県長ですね。じゃあミ沼大水の回収工事を 10年ぐらいかけてやったと。 そうだね。 う、そういうことなんですね。 うん。 そっか。そっか。 それで うん。 その時とにかく環境に配慮したものを作りたいというそうですね。 ことであの大体その回収工事の延長って何キぐらい回収されたんですか? ま、本から はい。 川口のグリーンセンターまで晴れ 60kmって 言われてるから はい。はい。 うん。それの他にあるから 80km うん。 ぐらいではね、なる。 80kmっていうとあれですよね。 あの、川のト関のところから 河流まで全部っていうことですか? ああ、そこに渡って全域に渡ってそういうそういったあの魚が住めるように回収工事を仕掛けたわけですね。 そうですね。それであのミ沼は火流の方に はい。 え、埼玉市川口市 うん。 人の多いところの中を通ってるので、 え、水に対する考え方も、 え、あの、自分たちの地域要水だと、ま、 うん。環境のためのミスも一部だってことを、うん。 市町村全体が 理解してくれて、あ、そういうことですね。それでうん。 環境整備の金も市村が うん。うん。 ちゃんとゴミ拾いの お金を出してくれたりということはやってくれてる。 うん。なるほど。はい。 うん。うん。やっぱりミ沼大水って、 ま、住民の方も思い入れの強い方が多いってことですよね。 うん。結局あの地元の 人たちが うん。 地域で うん。 その水を守っていこうと うん。うん。 非常にその うん。 地域の財産だよと。 うん。 初めあの合併の時に うん。 ミ沼っていうのは単語の中だって嫌かったんだけど うん。 今はミ沼という環境の元にってブランド、ブランドになってますね、ミ響きが。 うん。 一応ね、そこ見ないと いけないんで見せていただいて。 なるほどね。是非ね。 あそこもね、 三沼のあの東大宮のところもね、向いとくといいですね。 うん。 これが、これが うん。 トゲトゲ。 いや、これね、元々ふわふわした猫なんですよ。 で、ふわ猫なんですけど、散歩してる時水溜まりに落ちると猫って 水に濡れとこうトゲみたいになるじゃないですか。 うん。 これでトゲ猫になっちゃうんです。あの、これが空立ちの花で うん。 立たちトゲ感でしょ。 うん。 これに引っかかってちょっと穴がいちゃうんですね。 ああ、 服に。そういう猫ちゃん。はい。 これ、この猫を うん。ふわふわ猫にな時はどうするの? この服脱ぐとパッと ふわふわになります。 じゃあわざわざ東京行ってト抜けて地蔵行かなくていいんだ。はいはいはいはい。 さミ大水これから見に行きますよ。 はい。 せーの。 ああ、着きましたね。 着きましたね。 ここはどこでしょうかね。 えっと、ハ出しの辺りですね。 そうですね。あの、 はい。ま、初と はい。 え、揚げ はい。 うん。にまたがってるようなとこですね。 はい。で、あの、ミ沼大陽水を今日ちょっとご案内いただくんですけども、 これは 河き調整席って読めばいいんですか? そうですね。 はい。 ここであの、えっと、ミ大水が 2つに 東っていうのと西っていうのに分かれますよね。 そこのポイントなわけですよね。 うん。そうですね。 そのポイントで はい。 その上下によって はい。水量を調節してね。 うん。 それで世界考え施設以産ということでさっきちょっとそこに石があったので見たら 坂本さんの名前も ちょっと刻まれてましたね。 若い頃いうのね。 はい。若い頃に。 はい。 何年前ぐらいにこの辺は回収工事やったんですかね? もうあれから30年。 あ、30年前の 昔。 あ、そうなんですね。 うん。 あは。こですね。 うん。 はい。 じゃあここから色々とご案内いただいてよろしいでしょうか? はい。はい。こっから火流の方に はい。 ト側から うん。 ここまで来てここで分かれるわけですね。 ミ沼大水が。 そう、そう、そう、そう。 で、その手前には、あの、元々星川を使ってるからと、 あの、星川っていう川がね、 星川を使ってミノマ大妖精水を星川に入れて うん。 うん。 星川で あ、そっか、そっか、そ、あ、そっか。 それで星川を、 え、勝負で分けて、 それで ミ沼がこっち来てる。 あ、そっか。一旦じゃあミ沼大水に都大関から入った水を星川に入れちゃってんですか? 100%入れちゃってんの? あ、100%うん。 入れちゃって。 じゃあそこではミ一旦なくなるわけですね。 うん。 なくなるわけじゃないんだけど、実上星川を使って うん。共有してる。 じゃあ、あの、曲がりしてるわけですね。星川を ミニバ大水が で、星川を、 うん。 え、その、え、火流の方で分けて、 またミ大水と星川でうん。うん。 分れてるってことですね。 そうね。 うん。 うん。 ことなんですね。 で、分れてきたのがここにミ野水が入ってきて、 ここでさらに東西に分れていく。 そうです。よくできました。 あ、そういことですね。 そうです。はい。 じゃあそういうことですので皆さんお分かりただけましたでしょうか? これがね はい。 えっと、昔の はい。 ま、昭和の初めかな。 はい。なので、え、ここにレガ作りの ものを作って、 この向こうに鉄教かけたんです。鉄教。 鉄なんですか? 鉄。うん。 上は? うん。 上はレガじゃないんですか? 上はレガじゃないね。 橋下の橋だね。それでこれがうん。 はい。はい。 その橋を乗せる大兄弟。兄弟だね。 うん。なるほど。なるほど。 うん。レガ作りの兄弟っていうことだね。 荷物積住んだ船は 上を通ってた。 はい。 こね。 で、これから向こうに対岸にも連ガのありますけど。 うん。あそこにもちょっと下の方に見えますね。 うん。うん。 うん。だから昔だから多分これは増屋さんが作っただよね。こういう橋はね。 あ、ここが うん。 えっと、 綾瀬川、 綾瀬川ですね。じゃ、その上をミ沼大するよう通してたわけですね。 うん。 で、ま、有名なう ん。 ま、奇襲流というのがあるんだけど、 それの中で立体交差ではい。 うん。 掛、これが駆け費って言います。 うん。 掛とそれから四軍の不正越し。 はい。はい。 その2つの 技術がこれが奇襲流という技術で。 あ、じゃ、これは奇襲流なんですね。このやり方は。 流そうなんですよ。 ああ。 それでため池作ってやったのが関東流って言って。 ああは。なるほど。 うん。 うん。そうか。そうか。そうか。 ま、今でもそういうところ時々見ますよね。 ありますね。 ありますね。うん。 と施コしはあるのは 白岡町かな。 あそこは1番掛け費施越しの多い うん。 少村になってるんです。 首の農業配信があるから。 うん。うん。あ、水理構造物って言うんですか? うん。 それ日本で1 番多いのは埼玉県らしいですね。 ああ、そうです。 うん。 ずっと繋がってるんですね。 繋がって。ずっと繋がってたね。 でもここまでしかないわけですね。 そう。 うん。だから高がこれだけど貴重ですね。 うん。で、向こうはもう新しい構造物だから 古いの壊さないで脇に作ってよかったね。残す。 あ、そうですよね。残しそうとしたんでしょうかね。 うん。 うん。 ささん、ここでなんか2 つに分かれてますね。 そう。 奥の方が西ですね。 西ね。 はい。 まっすぐ行ってる方が西。それでこれでぐりゃーってここ曲がってる。 曲がってますね。 ね。 これ東 東だね。 あ。あ、駆け取って書いてありますね。 やっぱりここに書いてあるね。運のため綾瀬があの上を駆け取りにしたと。 ああ、 それでレガ作りで うん。 え、昭和35年まで使われた時 うん。 で、今現在地ここ うん。 はい。 それで で側が ト側 これですね。 ト側で星川星川か。 これ大関で うん。こっから水が来て川どこから? 星川はこの星川って星川橋であるから 星川橋は こう来てこう来てこう来てこう来てここまで あここまでの星川 と うん ここまで星川だね あそっかそっか うん ここから一応星川使ってここまで来てるね あそうだね本当にトイレを整備したり うん あの散歩できるようになってるわけですね そう うんすごい声が 声がて亀がいてある程がカメラマンか。 あ、安川ですからね。 うん。カモがいて。魚いるね。カモだ。カモン、カモン。坂さん、ここどこですか?なんか、 これがね、 え、 あの、東大宮 はい。 新水公園と言って はい。ここの下は えっとさっきあの西と東で分かれましたけど 西の方ですね。西 この下に水路があるってことですか? この下に水路があるんです。 あるんですね。 こななんで暗球にしちゃったんですか? 水を流すためには水面勾配で 低くしないといけない。 低しないといけない。 あ、すごい深くなっちゃうんです。 深いところですよね。 ああ。 それで1つは はい。 切り同して深い水を作ってもいいんだけど、 ま、危険もあるし。 はい。はい。はい。 ということで はい。 どうしたらいいかっていうと皆さんは埋めちゃだよっていう方が多かった。 梅使い掘りよりもうなんか使えた方がいいなって いう話があって はいはい じゃあ公園の利用か浸水公園みたいにしようってことになったわけですね。 そうそう。それで浸水公園にするためには 水源はって言ったらじゃあ ポンプで あの下は水があるんだ。 はい。はい。え、西りの水を組み上げてるわけですね。はい。 それでここを流そうということで。 あ、で、今水がないですか?これ夏場水が入るんですか? そう、水があって はい。 適当に はい。 石を配置して 水面が まあ30cm ぐらいかな。ジャブジャブジャブジャブあ、 歩けるような勾配にし、 えっと、じゃあ夏に来ると子供さんがたくさるんですか? 子供。いや、もう大人気。 大人気。 うん。でも結構敷地が広いんですね。 そう。前からカットカットしたった。 あ、そっか。そっか。 画面なったから深いから 深から。ああ、それで うん。 そっか。そうか。でも、ま、こういう風にするとね、 そうだね。 子供さんも喜ぶし うん。 あ、誰が見ても気持ちいい場所になりますよね。 うん。 うん。え、よくやりましたね。 うん。よくやりましたね。 うん。 で、今ここってコンクリートじゃないですか? うん。うん。うん。うん。 あ、よくアサルトでやるとかでしょ? うん。うん。うん。 あれよりも明るくていいですね。コンクリートの色が。 あ、色がね。 うん。 うん。で、ここなんかほら はい。 滝、今小さいけどね。 ちょっと滝になってます。 滝になったり で、え、石を上手に配置。現地汗みたいだよね。こういうのはね。 ん、 現地汗です。 現地汗だと無理ですよね。 うん。そっか。やっぱ公配があるんですよ、結こね。 そうだね。 うん。 あの、ポンプだから元を あ、げてるんだ。 ポンプを上げて そっち流れること。 そ、そか。そか。 倍急に設計してあるわけですね。 そうだね。 背にペットを入れないでくださいって書いてあるけど。 ああ、 背って言うだけすごいですよね。 はい。背ですね。 うん。 そう。坂本さん、ここはどんなとこなんですか? はい。これはですね。 はい。え、ま、ミ水を 作った人ということで、あ、 え、沢べた長王ということで 伊沢部 そうです。 で、この人は8大将軍 吉宗が はい。 連れてきた 人。しかも どっから連れてきたんですか? 機州から連れた。 和歌山あたりから。 和歌山ですね。はい。 それでここはミ沼ということで沼 うん。 それを干し上げて でそこにお米を作って それで江戸のあの食料事情をよくしようと あを監拓ってですか? 拓してそこに米そう米を植えてと いうことで はい その水源地 沼がなくなっちゃったわけですね。 のりの水で大水大きな水て変わりの水ってんで ミ沼 あ、それでミ沼大水っていう風にこの大水ですね。ミ沼大 ということで うん。 この人は その時すでにも関東に行った 60歳60 歳だったです。60 歳だった。 うん。 それから このミノ大陽水を はい。 え、どこに作ろうかってことで、あ、川 あそこから引っ張ってきたと はい。 いうことで、 しかも6ヶ月で全部作り上げたと。 うん。で、ミ沼大水の仕組みとしては様水を、 え、水を流すにあたってのなんか工夫した点とかあるんですか?特徴的なものってあるんですか?水沼大陽水の。 そう、それはあのため外を関東流って言って はい。 こっちは 高水。高い水ね をどうやって持ってくるかということで それは奇襲流という 奇襲流はあって 流って言われるわけ 言われるわけですね。 で、なぜどういうことかっていうと、串は山があって はい。 そっからあの海岸線に田場あるけども はい。 その水をいかにして持ってくるかって言ったら はい。 トンネルにしたり、 ま、水道だね、 水道にしたり、 掛けって言って火を 上通したり はい。ま、橋みたいなとこに水を通したわけですね。うん。 立体交差を駆使して作ったということで はい。 いろんなとこで 水路の立体交際をします。 立体交をするってのは特徴的なですね。 なるほど。 うん。 ま、あの、埼玉県には火災水路、あとこの三沼 大水っていう2 つのあの巨大な様水色体系があって、ま、火災よ水色はこのため池で、え、あの水をあの水路に流しているという、 ま、いいわゆる関東流って呼ばれた手法ですよね。で、こちらは、え、奇襲流っていう うん。 風に呼ばれてるわけですね。 そうですね。はい。 うん。 ここもなんか芝フ広場ですけど うん。 これ元々どういうとこだったんですか? あ、ここはね。 はい。 あの、田んぼ地帯で 田ぼだったんですか? 水電ですね。 あ、 それであの左手に見えるのが沼大陽水の 東 あ、こっちの方走ってますね。はい。 そこの山の裾をやっぱり陽水よこう引いて はい。高いとこを通して低い田ぼに水を流すってことですね。 ですね。 これが和歌山向いてます。 帰れなかった。 本当は和歌山に帰りたかったのに。あ、 もう俺帰れねやって和歌山に向いて立って ます。和歌山の方見てるですか?これ。 うーん か。 水さんはどこにあの今日構えてたんですか?関東だと。 関東は 111歳でない。 あ、じゃ、そんな相 お寺に、 お寺にか じゃけみたいに うん。いや、好きじゃないよ。 関東軍大職ではなかった。 うん。最後は身の軍台を兼ねましたけど、もうこれは死ぬ時やね。俺みたいだね。 それはだって坂本さん好きで働いてんだから。 緑がいいですよね。 素晴らしいすね。 うん。うん。 うん。てます。このから道が欲しい流れてるね。これ道を作ってないですよね。うん。 それで、えっと、水の溜まりとね、あっちにもあったかやちたみたいに やっぱりこんな風に ね、これすごい綺麗。ここちゃ盛がいい感じですよ。そうですね。 水のはね、やっぱりフて気持ちいいとこですよね。リゲーションオスっていうお話があったんですけど、それはあのこの辺で言うとどんな ことなんですか? はい。あの、とにかく 浮き物に優しいと はい。 いうことで はい。 要水の原則は はい。 な、何かって言うと うん、 あの、なるべく平 はい。 素計数なんて難しいことありますけど、ツルツにしとけば流速が早くなる。 はい。うん。 それと、 えっと、ま、断面的に、ま、近くに近い方が 断面が小く済むということで、それがあの、要水の、要 水にあのコンクリートの3面間が1 番ロスがないわけですね。水でという ことで考えれば はい。うん。うん。 しかしこういう子なんかは少しダメに余裕を持たして そこで生物に 優しい感じにしようと はいはい。 いうことで 例えばこの区間はあの石を積んであります。 はい。 これは自然ですね。 うん。 で、 それであそこに来た魚は うん。 あのああいうでこぼコによってそこを来て休むところ。 うん。食事するところ。うん。 このイリゲーション和応和室のおかげで うん。 あの、そういった魚がいっぱいいるっていうことですかね。 うん。そうですね。 え、どめのためにも、ま、コンクリートですけどコンクリートの疑惑なってますね。で、あるんだけど水今日ありますね。 水深どのくらいですか?今 80cmぐらいあるか。 ああ。 ただ、あの、水路の底こ見てもらうと はい。 石になってるでしょう。 石になってます。 のるっとした 断面じゃなくて はい。はい。 うん。これを交互に置いたり うん。 うん。そうすると川の流れがこう ちょっと動きが出てくる。 動きが出てくる。 皮幅が広いですね。 そうですね。これでも 3tぐらいか。 うん。 うん。 ສ 坂野さん、ここはどこ?どこですか?はい。 ここはどこかな? あ、席がありますね。 席がありますね。 席。これがの有名な ミ沼の通り。 通り。 ね。 はい。 で、ここはなぜ有名かって言うと、 はい。 これはいくらでもあるんだけど、ま、肛門式運河と言って はい。 え、パワ運河よりも 古いうん。運が ということで江戸からし川まで船が来ます。 芝川を超えて今度あ、ミノ大陽水こまで来てさあ沼にあげるのにこれ柴川とミノ沼大陽水のえ水が 3mある。 3mってで同いことでここに席を設けた 3 段階にして、え、江戸まで運んだという都ぶり。長い屋間だ。 これ文化剤私がミノ間大陽水を工事してた 頃は八丁の周りに家が張り付いてますので そこの下水がみんなこっちに来ててああ このりは良かった通天堀ぶりというぐらい 汚いとこだったんですけど文化長がよく うんしようということで、え、咳を作って それで、え、船は多分1/2やったかなの 船を作って浮かべてそれで実際に こうあのえ毎年ですけど8月の最終水曜日 にその船をかべてみさんとその通船堀量を 見学してたということであの安部さんは この通りのえ工事にはかかってたんですか ?工事はミノ大水ができ た後はい。 確かね、3年ぐらい後に はい。 やったと思うので。 あ、ここをね。うん。 はい。 その頃はそ部屋さんは沼町の監拓。 そちらの方に 力を注いたので直接あの人島式ではなくても 見沼大陽の機能を高める ということで 計画は知ってた。 そういうことです。 ですね。 じゃあ坂本さん、あの今日1 日お付き合いただきましてありがとうございました。はい。 ちょ、もうだいぶ日がくれてきましたので、そろそろ閉めたいと思うんですけども。 いや、楽しかったですね。はい。楽しかったですね。 色々専門的なお話で、あの、全部あの、十分に理解できたわけではないんですけども、また、あの、機会を見つけまして色々と教えていただければと思います。 はい。 はい。ありがとうございました。 はい、ご苦労様でした。ま、いいところいっぱいありますので、これを見本にしながらより良い環境を 作ってければはい。 水と緑を保てると いうことで皆さんのご協力よろしくお願いいたします。 はい。じゃ、引陽水路観光チャンネルをよろしくお願いします。 はい、 ありがとうございました。 どこに富士山の方? この突き当たりにあるんですか? あ、そうすか。 また見てね。チャンネル登録お願いします 。

見沼代用水にとても詳しいレジェンド・坂本正博さんと、
瓦葺調節堰〜西縁・東縁を訪ね、見沼通船堀までを辿ります。
前半は、スタジオにて坂本さんのインタビュー、
後半は、坂本さんが手がけた、イリゲーションオアシスによる整備などの解説を交えて見沼代用水を案内していただきます。

<坂本正博さん>
川の国アドバイザー

元・埼玉県農林部副部長

見沼代用水土地改良区の事務局長

中川水系農業水利事務所所長
見沼代用水だけでなく葛西用水路の整備事業に携わる

杉戸町環境会議の会員

南側用水路清流プロジェクトメンバー

<見沼代用水>
施工及び管理
施工/水資源機構・埼玉県
管理/水資源機構・見沼代用水土地改良区

見沼代用水は、埼玉県にある灌漑農業用水。江戸時代の1728年(享保13年)に、
幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために武蔵国に赴き開削した用水路です。
灌漑用の見沼を埋め立てて新田が作られたため、その代替用水という意で「見沼代用水」という名称です。
埼玉県行田市付近の利根川から取水され、東縁代用水路は東京都足立区、西縁見沼代用水路は埼玉県川口市に至ります。
埼玉・東京の葛西用水路、愛知県の明治用水とならび、日本三大農業用水と称され、疏水百選にも選定され、世界かんがい施設遺産に登録されています。
(参考:Wikipedia)

<瓦葺調節堰(かわらぶきちょうせつぜき)>
埼玉県上尾市瓦葺にある瓦葺調節堰
見沼代用水路を西縁と東縁に分水する堰
二つに分けられた見沼代用水路は、綾瀬川の下を伏越でくぐります。
かつては逆で、綾瀬川の上を掛樋で通っていました。(舟を通すため)
今も、掛樋の橋を支えていたレンガが綾瀬川の両岸に残っています。
レンガの橋の続きが、掛樋史跡公園に伸びています。

<東縁(ひがしべり)・西縁(にしべり)>
瓦葺調節堰で、二つに分水された見沼代用水は、台地の縁に沿って西縁と東縁に分かれます。
・東側の台地に沿って掘削された見沼代用水東縁(全長約16km)
・西側の台地に沿って掘削された見沼代用水西縁(全長約22km)

<東大宮親水公園>
所在地 : 見沼区東大宮2、3丁目地内
JR宇都宮線東大宮駅から下車 徒歩15分
https://www.sgp.or.jp/higashiomiyashinsui

<見沼自然公園>
埼玉県さいたま市緑区大字南部領辻450-1
JR浦和駅西口から「埼玉東営業所」行きバスで「締切橋」下車
https://www.saitama-park.co.jp/minuma-shizen-park/

<井沢惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)>
紀伊国出身の治水家。
28歳で紀伊藩に仕え、水利、新田開発事業を担当。
土木技術の練達者といわれた大畑才蔵から水利技術を学んだ。
享保元年(1716)、紀伊藩主徳川吉宗が8代将軍に就任し幕臣となる。
当時60歳だった為永は勘定所に登用され、数理に精通した為永は以後15年間、
諸川の改修、新田開発に尽力、享保の改革における治水・農政面で大きな役割を果たした。
為永は関東の大農業用水、武蔵国の見沼代用水などを建設しており、
その代表実績、武蔵国の見沼通船堀は日本最古の閘門式運河。
世界的に有名なパナマ運河に先立つこと約150年の享保16年(1731)、
徳川幕府の命により、物資輸送を目的として開かれた。
通船堀は近世の土木技術、流通を考える上で貴重なものとして国の史跡に指定されている。

<見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)>
国指定史跡「見沼通船堀」は、1731年(享保16年)に完成した
閘門式運河(こうもんしきうんが)です。
その名のとおり、見沼を流れる三つの水路、東西の見沼代用水と芝川の間に船を通すために造られました。
東西の見沼代用水と芝川は、その水位差が3mもあったため、東西2ヵ所ずつ閘門(下の図の「一の関」、「二の関」)を設け、水位を調整して船を通しました。
見沼通船堀の開通により、江戸との舟運が可能となり、見沼で収穫した米や籾などが江戸に運ばれ、江戸からは肥料や荒物などが運ばれました。
昭和初期にその役割を終えましたが、江戸時代中期の土木技術の高さと流通経済を知る上で貴重な史跡として、昭和57年に国指定史跡となりました。
(引用:さいたま市サイト)
https://www.city.saitama.lg.jp/004/005/006/008/p077225.html

見沼代用水土地改良区
https://www.minuma-daiyosui-lid.or.jp/

水資源機構
https://www.water.go.jp/honsya/honsya/index.html

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日本中に張り巡らされた用水路は、
40万㎞(地球10周分)ともいわれています。
用水路は美しい水田風景と豊かな文化を育んできました。
ホッとする用水路観光を始めましょう!
水路と水田文化研究所・日本用水路観光協会では、
主に埼玉県東部の用水路の風景を紹介してまいります。

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