聖域感に満ちた、気高き森厳の社。立ち上る神気に呆然としてしまうほどのパワーに溢れた北陸地方No.1神社:福井県・若狭彦神社、若狭姫神社(Wakasahiko Shrine)
ओम ओम ओम हम्म ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम आ हो आ हम्म ओम ओम ओम ओम ओम ओम ओम हम्म ओम ओम
▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:33 一之鳥居周辺
0:56 若狭姫神社 二之鳥居周辺
1:19 若狭姫神社 楼門周辺
2:10 若狭姫神社 社殿
3:01 御神木 千年杉
3:32 若狭姫神社 末社
4:05 乳神様(大銀杏)周辺
4:28 能舞台周辺
4:50 境外末社 小浴神社
5:47 若狭彦神社参道、狛犬
7:02 若狭彦神社 楼門周辺
8:05 若狭彦神社 社殿
9:33 鵜の瀬
10:58 元宮 白石神社
どうも、管理人のヒロリンです。
これまで1000社を超える数の神社に参拝してきた僕。そんな僕が歴代トップ3に選んでも良いと思っている、北陸地方No.1神社を今回は取り上げたいと思います。
その神社が鎮座するのは福井県小浜市。気高さ、神聖さ、美しさすべてが詰まった奇跡のような森厳の社、若狭国一宮・若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)と若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)を紹介します。
若狭彦神社、若狭姫神社はそれぞれ上宮、下宮と呼ばれ、この二社は密接な関係にあります。別称として郡名から「遠敷明神」とも呼ばれています。JR小浜線東小浜駅より南へ500m離れた場所に下宮の若狭姫神社(0:56)が、駅から2km離れた場所にある長尾山の麓に上宮の若狭彦神社(5:47)が鎮座。
鎮座地周辺は北陸道の出発点にあたる若狭にあって、かつて日本におけるシルクロードの玄関口と呼ばれた場所。ここから大陸文化が都へと伝えられました。
若狭彦神社の御祭神は若狭彦大神で、これは天津日高彦穂々出見尊(あまつひたかひこほほでみのみこと)(山幸彦)と同一神。若狭姫神社の御祭神は若狭姫大神で、これは山幸神の妃である豊玉比売命(とよたまひめのみこと)と同一神です。
山幸彦は、天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と、山の神の娘・木花咲弥姫命(このはなさくやひめのみこと)の息子として誕生。三つ子の兄弟の末っ子であり、長兄の海幸彦と諍いを起こしたことで有名です。このいざこざは山幸彦が兄の大事な釣り針をなくしてしまい、必ず見つけ出せと責められたもの。山幸彦は海の神の援助で難題を解決し、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)という美しい伴侶まで得ました。そして子孫にも恵まれ、孫は長じて初代天皇・神武天皇となります。
山幸彦は海の宮の豊玉比売命を娶り、現地で3年を過ごしました。そのため、大漁満足などの海に関するご神徳があります。また、豊玉比売命は鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)を素早く生み落としており、安産の神としても崇敬されています。
小浜市の白石という地区には「鵜の瀬」(9:33)という場所があり、その鵜の瀬では遠敷川の清流が巨巌に突き当たって淵をなしています。この巨巌の上に、まず若狭彦大神、次に若狭姫大神が降臨しました。この鵜の瀬の南方150mの場所に元宮である白石神社(10:58)があり、降臨後にまずは白石神社の地に鎮座。
その後、二柱の神は永久鎮座の地を求めて若狭国を巡歴された後に、715年に若狭彦神社、721年に若狭姫神社の地にそれぞれ鎮座されることになります。
若狭彦神社、若狭姫神社を合わせ、「遠敷明神」。あるいは、「若狭一宮遠敷上下宮」とも、「遠敷神社」とも呼ばれてきました。
そんな若狭彦神社、若狭姫神社の二柱の神様が降臨された鵜の瀬の淵は奈良東大寺二月堂の若狭井の水源と伝えられる場所。752年2月、実忠僧正が行法を修し、神名帳を奉読して神々を勧請したところ、遠敷明神だけが遅参します。
遠敷明神はそのお詫びとして閼伽(あか)水を献上することを約束。それで二月堂修二会の香水は、修二会初夜の終わりに、閼伽水を鵜の瀬の霊域から東大寺二月堂の若狭井へ水を送ると伝えられています。また、鵜の瀬は若狭彦神社の送水神事の斎場で、東大寺二月堂の裏手には遠敷神社が祀られています。
若狭彦神社、若狭姫神社の境内は立ち上る神気に満ち満ちており、その神々しさにしばし呆然とするほどのレベル。そんな森厳かつ神聖な雰囲気を是非ご視聴ください。
Wakasahiko Shrine is a Shinto shrine in the city of Obama in Fukui Prefecture, Japan. It is the ichinomiya of former Wakasa Province.
The shrine is actually a twin shrine, consisting of the Wakasahiko Shrine, or “upper shrine”, and the Wakasahime Shrine, or “lower shrine”. It is also sometimes referred to as the Onyu Myōjin.
The origins of Wakasahiko Shrine are unknown. According to the shrine’s legend, the two kami appeared in the guise of people from Tang at Shiraishi hamlet in Shimonegori village, Onyu County and the Wakasahiko Jinja was built in 714. It was related to its present location in 715. The lower shrine, Wakasahime Jinja was built in 721. The shrine first appears in historical documentation in the Nihon Sandai Jitsuroku in an entry dated 859, when the upper shrine was promoted to senior second rank, and the lower shrine to junior third rank. In the Engishiki records of 927, the shrine is listed as a Myōjin Taisha. By the Kamakura period, the Wakasahiko Jinja was named the ichinomiya and the Wakasahime Jinja as the ninomiya of the province. Originally the upper shrine was the center of rituals, but this shifted to the lower shrine in the Muromachi period. During the Meiji period era of State Shinto, the shrine was rated as a national shrine, 2nd rank (Kokuhei-Chūsha), under the modern system of ranked Shinto shrines.