徳島県 徳島市 大日寺と一宮神社

朝一で大日寺へ。狭い県道を走り駐車場から2~3分歩いで参拝しました。
こじんまりとした境内ですが朝の涼しい時間で参拝できました。

Wikipedia抜粋
【大日寺】
ご本尊:十一面観音菩薩
四国八十八箇所第13番札所。 四国三十三観音霊場第5番札所。

815年(弘仁6年)に空海がこの付近にある「大師が森」で護摩修行をしていると大日如来が現れてこの地が霊地であるから一寺を建立せよと告げた。そこでその大日如来の姿を刻み、堂宇を建立して本尊として安置し「大日寺」と称したという。

元は國中寺の場所にあり、船盡社(船盡神社・船盡比賣神社)の別当寺であった。

その後、伝承では平安時代末期に、阿波一宮が神山町の上一宮大粟神社にあるのでは不便ということで当地に分詞され阿波一宮神社が造られると当寺はその別当寺となった。一宮神社の別当だった神宮寺が廃絶したため、現在の所に移り一宮神社の別当寺になったとされる。

南北朝時代に、一宮神社の東の144.3mの山の頂近くに一宮城が造られ、その城主であった一宮氏が当神社を深く崇敬し大宮司を兼ねる関係であったため、長宗我部元親の兵火によって一帯がすべて焼失し一宮氏は没落したが、江戸時代初期、徳島藩3代藩主になった蜂須賀光隆も当神社を崇敬し、当神社と当寺を再建した。

また、いつの頃か、当神社が札所になると当寺は納経所として、「本尊大日如来 一宮大明神 大栗山大日寺」と記帳するようになり、一宮寺とも呼ばれるようになっていた。

明治初期の神仏分離によって、当神社の本地仏であった行基作といわれる十一面観音を当寺の本堂に本尊として移され、それまでの本尊大日如来は向かって右の厨子に秘仏の脇仏とされ、当寺は神社の別当ではなくなった。

【一宮神社】
ご祭神
大宜都比売命(オオゲツヒメ)・天石門別八倉比売命(アメノイワトワケヤクラヒメ)

鎮座地は徳島市の西部で、周辺は「一宮町」という地名になっており、東方にある山の頂上にはかつて小笠原氏の「一宮城」という城があった。元々は上一宮大粟神社(名西郡神山町)が阿波国一宮であったが、参拝に不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ、こちらが一宮となったと伝えられる。

戦国時代の天正の陣で主戦場となり、当社を含め辺り一帯焼け野原になったが、江戸時代初期に阿波三代目藩主蜂須賀光隆によりいち早く復興し、1653年に遍路に来た澄禅は著書に「拝殿は左右三間、殿閣は結構なり」と書かれるほどになっていた。

四国八十八カ所霊場會HP
https://88shikokuhenro.jp/13dainichiji/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%AF%BA_(%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%B8%82)
とくしま御朱印ナビ
https://tokushimagoshuin.com/tokushma-goshuin-13dainichiji

阿波ノ國一宮神社
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3248
とくしま御朱印ナビ
https://tokushimagoshuin.com/tokushima-ichinomiyajinjya-goshuin

2 Comments

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