祇園祭2025.7.24 後祭の山鉾巡行 #shortsfeed #shorts #祇園祭

祇園祭 後祭の山鉾巡行は記録的な暑さの中で行われました。温度、湿度とも異常に高く沿道で観覧してる人々は皆、汗だく。百貨店の前を通ると、よく冷えた空気に全身を包まれ至福の時を味わえます。

名称: 祇園祭(ぎおんまつり)
古名: 祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)略して祇園会(ぎおんえ)
内容: 八坂神社の祭礼
開始: 869年(貞観11年)

869年(貞観11年)に祇園御霊会が始まりました。京都を中心に全国に流行した疫病が牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるとして、祇園社司の卜部日良麻呂(うらべ ひらまろ)が勅を奉じて6/7に当時の国の数66国に合わせ長さ二丈(約6m)の鉾(ほこ)66本を立て、6/14に平安京の男児や近郷の農民が神輿(みこし)を担いで神泉苑に赴き疫病退散を祈願する神事を行った。これが祇園御霊会の始まりです。ただし疫病の時だけ行われましたが970年(天禄元年 )以降、毎年、行われるようになりました。その後、平安時代にかけて祭は賑やかになり、やがて室町時代には現在のような山鉾が出現しました。この山鉾の数は年ごとに増え、15世紀中頃には58基もの山鉾が現在とほとんど変わらない姿で巡行を行ったとされています。ただ、1467-77年(応仁元年~文明9年)の応仁の乱では京都の町と共に山鉾も大半が焼き尽くされてしまいました。その戦が終わって23年が経った1500年(明応9年)、町衆が力を合わせて山鉾を復興させました。祇園社記によると前祭26基、後祭10基の山鉾が巡行をおこなったとされており、これが現在の山鉾行事・山鉾巡行の基礎となりました。

869年(貞観11年) 祇園御霊会始まる
999年(長保元年)田楽法師の無骨(むこつ)が「山」を作る。
1156年(保元元年)保元の乱で一時中断
1159年(平治元年)平治の乱で一時中断
1467-77年(応仁元年~文明9年)応仁の乱(別名:応仁・文明の乱)で一時中断
1500年(明応9年)、町衆が力を合わせて山鉾を復興
1708年(宝永5年)宝永の大火による市内壊滅し山鉾にも甚大な被害
1788年(天明8年)天明の大火による市内壊滅し山鉾にも甚大な被害
1864年(元治元年)蛤御門の変による大火で市内壊滅し山鉾にも甚大な被害
1966年(昭和41年)24日の後祭の山鉾巡行が17日の前祭に合同される
1979年(昭和54年)国の重要無形民俗文化財に指定
2014年(平成26年)24日の後祭の山鉾巡行が復活

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