【宇治市の歴史・前編】足利義満ゆかりの茶園があった⁉ 村瀬先生のぶらり歴史歩き 京都・宇治市前編
さあ始まりましたブラリ歴史歩き今回は 京都府の宇市にやってまいりましたました よろしくお願いします今回はさんにお願い したいと思いますはいなんやこの服装の 違い先生寒くないんですかこっちが おかしいねんなもう今う3度ですよ今はい ちょっと寒い ですねいや今回ねこれ江戸時代の絵なん ですけどこれが藤川ですよね本当だ変わら ず そうでここにかけられてる橋が藤橋で我々 今そちらの方にねいる形なんですよねはい はいに今こう我々がいる藤橋なんやけど はいどれぐらい古い時代にかけられたか 聞いたことあるえでもいや知らないです けど何回も掛け替えられてんねんけどね うんあのね初めにかけられたのがなんと 646年大下2年って言われてるんですよ 大下の会心の翌年にけられた言われる ぐらいま日本でもね最も古い橋の1つ なんて言われたりするそんなとこなんです よねはいえめちゃ貴重ですね今ここに立っ てることがそうちなみに今ね我々はい橋の ところにちょこんと出っ張ってるとこい ますよね思ってたんですよなんやこの オープニングにぴったりのスペースはて なんか我々のためにねじゃなくてはいこれ あることが行われてるって知ってるえここ でですかなんだろうなんか踊ったり踊る じゃないなあのこっち向いてあることしん のよこっち向いてそうあバンジジャンプだ 低い低い低いそんな高くはない高くないか えはさんうといえばパーンってイメージ するのって何ようじ茶だそうお茶のま有名 なとこやないですか実は豊富秀吉がここ から右側の水を組ませてそれでお茶を立て たみたいなそんな話もあるそうなんえ すごいすだから今でもこっからお水を上げ てお茶をイベントなんかで立てたりするっ ていうことがされたりしてるとこなんです よねええオープニングのスペースでは なかったんですね3の間って言うてね ちゃんと一緒ある場所なんですよあそう やった はいこの番組は等身ハイスクールの人気 講師村瀬先生が小地図を片手に今と昔の街 を見比べながらブラリ 歩き今回の舞台は京都府宇市 平安時代の極楽上土の世界を表現した平等 院の 歴史そして日本を代表するお茶宇茶の世界 を 深掘りそれではブラリ歴史歩きの始まり 始まりさあ入ってきましたよはいあもう 早速 美しいきはいうわ南にも映ってますよね いやこれ羽田さんラッキーよちょっとでも 風が強かったりしたらもうこれ水面にこれ 映らないからねはい本当だ 貴重ということでやってきたのは世界遺産 平等 院平安時代に前世を誇った藤によって立て られ極楽土を表現したと言われる 法道その歴史についてボランティアガイド の岩さんに話を伺い ますさんね今日我々特別にねはい開門前の 平等院に入れていただいてるんですがそう なんですよはいいつもと違うとこ岩さん あるんですよね扉が閉じているこういった 状態をうん一般の方が見ることがないん ですはいそうですよね買もされた後って いうのはいつもこう扉がい 様がこう拝めるようになってますめできる ような状態なんですねうん当然私もはい扉 が閉まってんの初めてでござい ますこちらが鳳凰道の中に鎮座する国方あ 如来座像日本を代表する物資上長の作品で 平安時代後期に納められたと言われてい ますそしてこの平等院の法道なぜ報道と 呼ばれるようになったのでしょうかこのね み堂の屋根の上に一水の方がうん止まって ますよねねこの鳳凰が止まっているという こととこの建物全体が今にも鳳凰が はたこうとしているように見えるところ から報道と呼ばれたんだという言い伝えが あるんですねかっこいいはいちなみに世界 遺産検定1級の花さんからすると今でこそ お寺やないのはいはいももなんでここ作ら れたかっていうのは実はこう問題にも出て くるんですけどさすがはいできるはいここ は元々はい貴族の別荘やったんですよね そうですそうですはいさが元々別荘を水源 通るつまり佐賀天皇の巫女なんですけれど もこの方がお持ちだったんですうんうん それを買ったんですねうんうんそれが藤原 の道長ということなんですうん 勝ったが道長のいい時代だったんですよと いう映画を極めてた頃の藤原 道藤原市が別荘を構えた宇は京都と奈良の ほぼ中間地点にあり水源にも恵まれ昔から 交通の要所として栄えましたまた自然も 豊かなため平安貴族の別荘としても愛さ れる場所だったんです でその別荘やったところをお寺に変えたの かええなんででしょうま変えたのは道長の 息子の寄り道のですよね息うんなんやっぱ 全てを今の全てを手にしたからはいこう 死後のことも幸せに暮らしたいみたいな欲 もいい線言ってますよねかなりいい線です ねかりいあそうなんですかちょうど今の中 では末法の時代に入ったといううん 1052年というのが末法なんですねうん それがどんどん近づいてきたのでより道が お寺としましたよといううんうんそういう ことなんですうんあ今日の世界でははい 釈迦がなくなってから2000年後から こうよは釈迦の力がちょっとずつだんだん だんだんこう及ばなくなって世の中が 乱れるなんていう風なことがずっと言われ たんですよねそれがさっきおっしゃったマ うん そういうことですあで不安な時期ですよね それは皆さんはいでもそこまで権力を極め た藤原市でも不安になっていや俺将来 大丈夫やろか死だとどうなんねやろかって 思ってるっていうのはまやっぱり本当に1 人間やいうことですそうなんです [音楽] ねここで岩さんから クイズ院なんですけれども元々10円札と いうお札だったんですねうんこのお札が 破れて困りますなということではいどんな したらええやろということになってこちら の病院の建物を効果にしたのが今のこの 10円効果なんですそうですね美しいで この10円効果なんだけれどはいうん やっぱりちょっと違うんですねへえほここ がどう違うか分かりますり見たはいえ違え めっちゃ贅沢な間違い探しじゃないですか そうねうんええええ一緒やんちょっともう こ後半だだって全く一緒ですもんあのさ ですこの建物ははい回収後の建物になっ てるんですが元々この建物なんですよと いうことなんですがはいはいはいそれまで にこの気団って言うんですかそこの石の段 ですねはいああそこのところをある日突然 いじってるわけですでそのいじってるのが 昭和25年まではいだから25年以前の 写真を撮ったのでこのうん10円効果に 入っているというはい現在の10円玉が 製造されたのは昭和26年で回収前の鳳凰 道を元に制作そのため中道の団部分の デザインが異なっているんですちなみに 現在の団が混流当初と同じなんだそう そして旧1万円札には鳳凰道の鳳凰が描か れてい ます続いて3人は鳳凰道の南側へささん この角度も美しいですねそうですね私は 一番ここが好きなんですけどねはいもう ずっと案内されてる岩さんが一番おすめの はこの角度そこの角度なんですねまさに この味にミが映るそうですねこういう姿が なかなか他では見ることができないと思 ああで屋根なんですがうんはいほとんど もう平成にあの修理されましたはいはいで その修理されたんですがちょっと違う ところがあるんですねどこがこの屋根が 違うと思いますなんかあなんか色違います そうですさす実はですねこの屋根がうん 古い河が非常に良かったというのかなはい はいそれを残したんですねはい平安時代 から室町時代のカラがの上に乗っかってる つまり 平代町時代のはカ体がうん高度な作り方 だったんだなということが分かるという気 がするんです残ってるってことですねだ から古いカほどいいカラだったんだなと いうことが今日の人も真似てほしいなと いうことです ねそれからですねあの屋根のに方が一はい あのの止まってますねはいその頬の止まっ ているところから下の方にずっと河が伸び ていますはいその先っちょに怖い顔した カーラがおりますがうんワニワニに見える かあ竜なんですよ竜かはいあの藤原の寄道 さんがうんはい竜の化身だと言われており ましたのでああそれになぞらえてらしい ですねへえ と呼んでるんですうん普通は鬼がなんです けどうんですよねはいそれが乗っかってる んですよということですはい自にあ か続いては平等院の中にあるミュージアム 宝照官へ おおああすごい立派え先生美しい なあ生きてるみたいねえ曲線美しすぎませ んこれがねはい種の上乗っかってるうん はい初代の鳳なんですうんまパはこれが まさに上に乗っかってたわけですよね1つ 1つのお顔とかはいうんはいこの体全体見 ていただくとはいはい鵜高目だとか鶏の 戸坂だとかああそう胸の鱗は蛇だとかあ パーツかはいそ部分が複数の動物がこう そうなんですよ確かにそ作 本だこれが鳳凰なんですねうんこれが まさに言うたら1000年近くあの上に そうなんですよあの上にあったんですよ うんさらに奥へ進む とすごすごいっす ねこの空間は混流当時の法道内を再現国方 の法道中道壁を色彩で再現しているん ですこれがあの我が国最古と言われる大和 へなんですねほ国宝なんですけれどへえ その国宝の扉を再現していますというう ことですほどに豪華見Overですけどえ これはどういった意味なんですかあお 亡くなりになった方を必ずあ様がお迎えに なるというのはこのクゴラゴ図なんですが うんはいやはりあのここに書かれてます ようにはい下上昇だとかうん常本化粧だと かうんこれはどういう意味なのかという ことははい常本には必ずあ様がついてこ られるお迎えに来られるというのが本当な んですねまこれ行いがいいそうですそう ですそうですこのの話ですねゲボになると 本来うんあさが来ないはずなんだけどはい ここでいらっしゃってやはりおられると いうことはり さんが全てが平等になりたいうんうんボで あってもあなたの行いがどうだったのかと いうことはうんうん大世は平等にうんあ様 自身がお迎いになってということを描き たいということで書かれたのうんあ本来 ならちょっと違うんだけどそうかなり違う んです平ていう概念から言うてうわあそこ まで考えてあるんかもしれないですね 続いてやってきたのは1879年創業の 日本茶専門店ホリー7名園お茶の栽培から 製造販売まで一貫して自社で行い上質な宇 茶を取り揃えてい ます原さんねはい堀7名園はい7円って 聞いたことあるはいえ私初めてですまし ぜひ聞いてみはい教えてください実はです ね今が大体600年前え室町時代になるん ですけどはい足吉光将軍の時代にうのこの 町ま里ですよね昔だったらいいお茶が 取れる場所が7か所うんはい指定したん ですわまその色々ま茶がいっぱいあったと 思うけどもその中でも7か所いおが取る とこを指定したが七っていうんですねあ その後もどんどんどんどん時代が進んでえ 街が近代かなってんのでたまたまうちが今 育ててる茶園奥山茶園というんですけど1 箇所だけ残ったんですねだから7面のうち 1つ残ってのが私どの奥山茶園これ町時代 足吉光が指定したその七名園のま唯一現存 してるところあそういうそうすいよなはい 七名の名の感じもなんか草冠ついてるん ですあそうですこれはね草冠の名前の中チ ていう意味を表すんですねで7つの茶園 いうですねへえ何気にめっちゃいい質問や 問なんか気になって はい今回特別にう7名園で唯一残る奥山 茶園を案内してもらいまし たさあ羽田さんこれはねあの昭和の初めの 頃の地図なんやけど平院がこちらはいで鉄 今JR宇駅がここでちょっと山側に来た ところにあるのがああここの七名園の1つ なってるわけやでねねですねやっぱ頃から やっぱりあんまり建物とか立ってない感じ ですよねあここは全部ね今もう周り全部 立ってますけども道もなくうんはいあ 原っぱと茶畑が広がってたんですよねへえ じゃさをこう出荷する時ってかなり大変 やったでしょ担いで大変私子供の心やから 見てるだけやったけどね作業してる姿見て と大変です積んだ新民を運ばはのも内棒で 活いでねあ今の下のとこまで持っておられ てわとかは一応あったんですか一応あった もうほんまにのみみたいなよああなんで このうでお茶が魚になったんですかうはね そのお茶にのとって気候とドジがすごく 良かったんですうん藤川が琵琶かられ うんずっと向かってれてると思いますね はいその宇の藤橋からこう狩を見ると北 向いて流れてんですねここら辺ではで伏見 桃山でこう90°曲がってあの大阪の方 行ってまたの方はいでその藤川がこう立つ 川が北えでくれ地形のがあったんですね それともう1つはがから中止した洗浄地が ものすご広がってたんですよ太鼓にはい はいでそれが洗浄地ちゅうのはあの砂が あってお茶の木にはすごく栽培が水がそう ね根がずっと行くんですね へえさらに抹茶を作る際のうに適した宇石 が取れたこともあり自然や加工環境が揃っ た場所だったん です続いて抹茶を製造している様を見せて いきました失礼します失礼しますうおええ こんな ええにさんのところ本当に石で引いてほる んですねあそうですねもう昔からもうこれ しかやってませんのか今80代80代が ありますね はい1時間に1であたり40gしか引け ないです 茶が高い高い当たり前ですよ1時間に できる量られますもんねえ1日引いてても ね10台しても8時間として300で でしょうんほんまにちょっとしかいけない 本当や貴重ですねうんそして今回奥山茶園 で20年以上の歳月をかけて生まれた抹茶 野をいだきます普通はお菓子先行かんです けどもいいてからちゃなんですけどまお口 の中がお菓子であらないうちはわがまま 言うてですね抹茶を先飲んでいただいてる ですお茶の味をあそうですそうですそう そうぜひちょっと味っていただいはいじゃ ちょっと早速いいですか気に飲んで いただいたありがとうございますあと ござい ますあ待ってもう めっちゃ香りが うん [音楽] えほっとするうんほろにがさの中に爽やか さもあってだんだん旨みが広がっていく 感じ旨みがねうほんとに旨みが強いねあ やっぱ本場のぱ違いますねうんじゃ ちょっとしていただき [音楽] ます苦みていうのはほとんどないですうん さん今言おうと思っごめんさっき言うた 本当にあれですよねあのお菓子食べて口の 中甘くしてって必要がないぐらいみが抑え られててなんやろあのお出して言ったら いいすぎですそうですそうですまお茶が 持つさきほども言いましたけど網野さんの 一緒のテアニンていうのがないね旨みの元 ですよねはいそれがまあわぐらいあるので ほとんど苦みしりがないていう街うんこれ から伝統がどうやって残していきたいと ですかそうねこの抹茶の文化 は文化って言うても抹茶うはあの作る方 ですのでねこれを絶やさないようにうん やっぱりうの抹茶はすごいなっていうこと を伝えるためにもこの栽培方法製造方法で またイこれが1番感じに違うかなと思っ ですよそこら辺のやり続けてるところくさ ないでま次の台もそこといてほしいなと 思ったにねあり言われへんけどはいタトで 美しかったそうですね違いますよ ねまだ下にうみ残ってますもんうんこれは すごい わ今回のブラリ歴史歩きはここまで2人が 巡った地図はご覧の通り豊かな自然に恵ま れ交通の要所として栄えた宇そして藤原 一族の映画を今に伝える世界遺産平等院が 時を超えて多くの人を魅了し続けています 次回も京都府宇ぶらり歩きそれではまたお 楽しみに [音楽] N [音楽]
【村瀬先生のぶらり歴史歩き】#75京都・宇治市前編
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今回の舞台は京都府・宇治市
平安時代の極楽浄土の世界を表現した世界遺産・平等院の歴史や
日本を代表するお茶、宇治茶の世界を深掘りします!
なぜ宇治に平等院が建立された?
10円玉に刻まれた鳳凰堂と実物との違いとは⁉
現存する足利義満ゆかりの茶園があった⁉
村瀬先生がわかりやす~くご案内します!
出演:村瀬哲史・羽田優里奈
00:00 オープニング・宇治橋の三の間
02:53 貴重な開門前の姿 平等院鳳凰堂
04:52 平等院鳳凰堂の成り立ち
07:27 10円玉に刻まれた鳳凰堂と実物との違いとは?
09:05 南側から望む 鳳凰堂の見どころ
11:09 ミュージアム 鳳翔館
14:04 足利義満が開いた七茗園の一つ 奥ノ山茶園
17:56 宇治石で丁寧に挽いた抹茶 成里乃
【宇治市・後編】はこちら
eo光チャンネル 「村瀬先生のぶらり歴史歩き」
この番組は、大手予備校、東進ハイスクールの人気講師・村瀬先生が古地図片手に、今と昔の街を見比べながらぶらり歩き様々な歴史スポットをたずねる番組です。
古地図を見れば知らない歴史が見えてくる!
番組公式サイト【全放送回公開中!】
https://eonet.jp/eohikari_ch/program/murase/
「eo光チャンネル」とは?
関西の光回線でおなじみ「eo」のテレビサービス「eo光テレビ」をご契約の皆さまだけが視聴できる地上波11chのコミュニティチャンネル。
地域情報・バラエティなど関西特化の番組を毎日放送中!
eo光チャンネル公式サイト https://eonet.jp/eohikari_ch/
光回線ならeo https://eonet.jp/eo/
再生リストはこちら
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4 Comments
気温3℃とはとても思えない先生の格好。😆
羽田さんのお口からは真っ白な息が見えるのに。
平等院へ行ったのはもう50年以上前かな。小学校の遠足で。
お昼は宇治川の中州で弁当を広げましたけれど今と昔では風景が全く違います。
当時石を積み上げた護岸みたいなものは無くなだらかに水面と繋がり そのまま川に入れるような感じでした。
抹茶は一度だけ、ちゃんと点ててもらったものをいただいた事がありますが、確かに一般的なお茶とは別物で甘いお菓子にぴったりでした。
しかし1時間かけてたった40gしか挽けないなんて…
また調べてみると市場に流通している抹茶の7割ほどが単に粉状状の茶葉で本来の抹茶では無いとあって驚き。
玉露も宇治発祥だと聞いた事があります。
一般的な煎茶に含まれるカフェインはコーヒーの半分ほどなのに玉露は逆にコーヒーの倍くらい含まれるとか。美味しく淹れるためには湯温に注意が必要。そして独特の甘さ。
通常五千円前後の価格帯で上を見ると天井知らず…なので、毎年の母の誕生日にしか買いませんけれどね。
この平等院鳳凰堂の修理工事で初めて、丸太素屋根というものを見ました。ここも行きたいなと考えていますが、京都は観光客で1年中ごった返していますから悩んでおります。
宇治川の水そのまま飲むのはキツいなぁ。びわ湖の水。。
羽田さん賢い!