【名前だけは知っている】北陸新幹線の終点:敦賀には何がある?【VOICEROID旅行】
[音楽] 関西の人間なら駅で時々その名を目にする だろうつるが東京暮らしを満喫してる方々 に置かれましても最近は鶴賀の文字を 見かけるようになっただろうと思います しかし関西移民からすれば敦賀というのは 北陸に向かう通貨点に過ぎませんし東京民 からすればそもそも敦賀まで向かうなんて ことがないでしょう今日はそんな名前だけ は見たことがあるけどぶっちゃけ何なのか よくわからんとし敦賀を歩いてみようと 思いますというわけでここは敦賀駅前の ロータリーずっと前から建中ですねと言っ てきた新幹線駅舎も今年3月に開業し祝賀 モードも落ち着いて新幹線がいる新たな 日常が広がっていました今までずっと封じ られていた連絡通路も当然解放されていて 動く歩道とエスカレータを伝って新幹線 コンコースに向かうと畳1000枚はしけ そうな 大広田コンコースの長さは200m広さは 5200m共に日本位のサイズです12両 の列車から降りてくる乗り換え客をさく ため広間の中央には19の乗り換え用 改札口が生前と並びます東京駅も19だ そうなので分厚いつの川は引下げたどく客 が改札を負債でも円滑に乗り換えさせて やるという意気込みが感じられます床面に は目立つ特急乗り場への案内標識企画外の 方向音痴が来ても確実に誘導するという 気合いが伝わります名古屋方面と大阪方面 とで矢印が2つありますが結局のところ どっちの列車も同じホームから出るので なぜ分けたのかはよく分かりません人の 多いタイミングに来たら意味わかるのかな これは少し前に特急で敦賀に来た時に取っ たもの後車ホームと乗車ホームが分けられ ているのでエスカレーターは一方通行2台 とも上りです特急で敦賀まで来ようという リッチマンたちは皆大変行儀が良くヨレに 並んで静かに立ったまま上に運ばれていき ましたここが京橋駅だったなら右が歩きで 左がダッシュという義士が通起こしそうな 光景になっていたでしょうコンコースの 大窓からは敦賀の市街地が一望できます ところが悲しいかな19もあった乗り換え 改札に対して普通の改札はたったの3台 裏口的な東口を合わせても5台つまり せっかく新幹線が伸びてもこの駅に来た ほとんどの人間は町を一別するだけで通り すぎていってしまうのですしかし敦賀は 古代から港町として栄えた町です見るべき ものは多くありますまずは駅前の通りを 歩いてみましょう町の名前は白金町この町 から気比神宮の門前町までの間が敦賀の 繁華街ということになっていますちなみに 通りを挟んだ向こう側の駅のある町の名前 はかわ町となっています鉄道駅の所在地と してこれ以上ふさわしい地名もない でしょう東京国際空港の羽田にた乗りを 感じます通りにはチェーン個人問わず 居酒屋や飲食店がの木を並べ東横やルート インほジバ本のホテルも集まっています お前らの崇拝する道民委員もそろそろ開業 するみたいですね自動車中心の生活様式に 変わっていって繁華街が駅前から道路沿い に移った町というのは数知れませんがここ は変わらず鉄道駅が町の中心のようです まあここ国道が駅の目の前だからそう見え てるだけという線も捨てきれませんがねと いうわけでここが駅前通りと国道8号の 交差点です目の前には滋賀の象徴アル プラザがありますこの風景だけ切り取っ たら滋賀のどっかの街角に見えますが実は 鶴賀って一時期本当に滋賀県だった時期が あるんですよね1872年の背反地県から 88年の香川県誕生まで続く混乱期に5年 ばかり他の霊南地域ともども滋賀県をやっ てました敦賀の町というのは意外にも広 徒歩で回ろうとすると足が棒になりますと いうわけで持ち込んだ自転車で街を回り ましょう今回私は車で敦賀に乗り付けまし たけど街中の至るところに合法的なシア サイクルが用意されているので列車で来て もちゃんと自転車で回ることができます 優秀なアタッチメントも得たところで街の 目抜き通りを走りながら港の方へ向かい ましょうアーケード街は白金町の交差点を 右に曲がり国道8号沿いにつっています こういった商店街って大体駐車場がない からが車だと使いづらいという不便な点が あるもんなんですがその点この商店街は 考えていて歩道の空間を削り取って作った 駐車スペースが用意されていますしかも 一般的な列タイプじゃないので駐車台数も 多いですまあバック必須なので駐車苦手民 には少し食うかもしれません何度も 切り返して後ろを詰まらせてしまいます 商店街は血神宮前の交差点で左折し神宮の 門前町へと入っていきますしかしここで私 は道路のサインに流されるままに直進して しまい車通りの割にやけに広い白中の多い 通りに出ました後で道路の名前を確認し たら剣道敦賀港線だそう港に船がついたら 急にトラックが増えるやつかなこのまま 行っても目当ての場所にたどり着かないの で適当な交差点で博物館通りへと出て通り を渡って廃からな雰囲気の建物に到着し ます大和田銀行北前船で巨万の富を築き その富を敦賀校の発展に投じて実行教と 歌われた近代敦賀の大4陣大和正 その本人によって設立された銀行の本店 ですこの建物が作られた昭和初期敦賀は 対岸のロシアに向かって開かれた国際高 でした競技のイメージでは日本海側の港と いえば1に新潟があってにはないといった 印象ですが意外にも明治あたりまでは敦賀 の方が圧倒的な規模でした当時ヨーロッパ に向かいたい人はみんなこの町から ウラジオストクへと渡りシベリア鉄道に 乗り継いではるか1万km先の欧州大陸に 向かったものです建物の細部をよく見て やるとパルテノン神殿とかに使われてる ムチムチ柱が随所に使われていたりま とにかく色々古典的要素を入れたらしい 建築です設計者は長瀬競争あの兄弟吉田涼 を設計した人ですね機動体じゃない方他に は同じく兄弟の本館だとかかつての敦賀町 の長者も設計していますごく小さな都の割 に建物がやけに立派なのは敦賀の先進性や 国際性を強調するためのものだったとされ ています今ではこの建物も国の重要文化剤 です中身は鶴の博物 一応敦賀の歴史を網羅的に展示してるの ですがやはり港と鉄道のウェイトが高かっ たです敦賀は古代から交通の幼少として 栄えてきた町です地図を見れば分かるよう に敦賀の町の西には長さ10kmはある 半島が伸びていてこのおかげで町の前に 広がる鶴川は非常に波穏やかな良行の支出 を持っていましたで南を見るとちょっと山 を越えたら琵琶で背側を下っていけば京都 大阪ですこういうわけなんで平安の頃には もう幼少として認識されていたようで平の 清盛の着なで越前国士の茂森は本気で峠に 運河を掘ろうとしていたと伝えられてい ますちなみにこの琵琶湖運がとでも言う べき水路の開発気運はそれから1000年 近くを経た現代でもまだ人知ずくすぶって いるそうです何でも日本版パナマ運河にし てクルーズ戦を通すのだとか想像してみて ください藤川淀川を下るダイヤモンド プリンセスやクイーン エリザベスいやだいぶ無理あるなこれ旧 本店の周りはちょっとした街並保存軸街路 の左右には敦賀の整水を見てきたのだろう 古色を帯びた木造建築が並び道路は とりあえずこうしとけば歴史的に見える やろと言わんばかりに石畳で舗装されてい ます続いて向かうのは長く敦賀の繁栄を 支えてきた敦賀港のエリアです公案特有の 建物に囲まれながらも人の気配がしない 奇妙なしけさのある道路を走ります江戸 時代初め川村水によって西回り航路が整備 されて以降いわゆる北前船の風待港として 敦賀の証券は日本海側全域さらには北海道 にまで広がりますます発展を遂げていく ことになりますその繁栄ぶりは近代技術を 手に入れた新政府も無視できなかった らしく日本初の鉄道計画の中に東京や横浜 神戸といった早々たるメンツに紛れて 書き込まれることになりますあと当時の 日本海には頻繁に外国戦が出没していて できればいち早く安全な陸に荷物を上げ たいという要望もあったのですそうして 新橋横浜間の鉄道が開通してからわずか 10年後の82年敦賀の町に鉄道がやって きました執着は今後の北陸方面への延伸も 見据えて敦賀の街中ではなく日本海との 連絡を考えて金ヶ崎でした鶴賀校は岩壁と 鉄道桟橋が用意された典型的な鉄道連絡線 の港となりましたその2年後日本初の 1000m級トンネルの柳トンネルが完成 日本海の鶴賀校と琵琶湖班の長浜が1本の レールで結ばれ茂森の時代から700年 望まれ続けた鶴川琵琶湖間の大量輸送期間 が完成しましたというわけで敦賀の中核 敦賀港のエリアにやってきましたこれは 1913年に建てられた敦賀港駅の復元 駅舎です中身は小さな鉄道博物館になって いてここが日本の玄関だった時代の時刻表 やジオラマ東京初ベルリン行きの切符 なんかを見ることができますこの建物は 1999年開催の敦賀の博覧会に合わせて 完成したようですがさもずっとこの港の 変遷を見続けてきたかのような貫禄があり ますなんか硬い中の公民館みたいなためで 本当にこの駅舎が日本の看板をやっていた のか疑わしいものですが実際にはこの駅舎 以外にも気仙会社の事務所や待合室税関の 長者が並んで立っていたので船のデッキ からならそれなりの風格を持って佇んで いるように見えたはずですこんな感じに こちらはさっきの復原駅舎から300m ほど離れた位置にある博物館建物は当時 この場所に立っていた敦賀駅と鉄道桟橋の 調車軍を再現したものです真ん中に挟まれ ているのがさっきの鶴名駅の駅です復元 建築がこんな近接して2個もあるなんて あんまり聞かないけどよそにもこういうの あるんですかね忠実に再現したさっきのと 比べてこちらは現代風の解釈が入っている ので窓の数などに多少際がありますが当時 の外国人が初めて目にした日本の風景を 想像することはできますこちらの建物は 杉原中の命のビザ関連の博物館になってい ます命のビザの話は今更ここで話す必要も ない有名な美談ですが実はその救われた ユダヤ人たちが送られてきたのがこの敦賀 校の鉄道桟橋だったのです博物館の名前は ツガムゼウムムゼウムというのはユダヤ人 が暮らしていたポーランドの言葉で博物館 を意味しますムゼウムの隣のコンテナ軍は 鶴名駅のもの奥に目をやると草の中に錆び たレールが沈んでいますオア連絡の ターミナルとして絶頂の時代を迎えた鶴賀 校のその後ですが戦後は朝鮮満州の県益の 創出に冷戦地についてないふわふわした 連中の対等のせいで商売上がったりになり ウラジオストクへの連絡戦はついぞ復活し ませんでした駅そのものすら2009年に 最後の列車を見送って以降トラックだけを 扱うオフレールステーションになりました まだ配線15年程度ですので敦賀の町の中 には今でも配線跡が残されています おそらく日本で最も歴史ある配線後 でしょう長さ3km足らずなので移行 マニアなら是非ここを走った国際列車を 妄想してニタニタ笑いながら歩いてみると いいでしょう昼も回ってランチのピーク タイムも過ぎたのでそろそろお昼にし ましょう昼食はもちろんよヨーロッパ県 福井に立ち寄った時のランチは必ずソース カツ丼というマルールがありますちなみに 福井本体のヨーロッパ券と敦賀の ヨーロッパ県は単なる本店視点の関係では ないらしくそこんとこわきまえずごっちゃ にして話すとあっちよりうまいと怒られる ことになります私のように実際ソースが 関西寄りになっていて福井のものより甘い 味に仕上がっています料りで美味しいわけ ですこのところずっとカツ丼ばかり食べて たので今回はスカロップをいただくことに しましたネの方にもエスカロップっていう これに酷似した料理がありますが関係性は ないとされています敦賀もネムも戦前から ロシアとの因縁がある街ですけど特に ロシア料理というわけでもないようです さて午前は近代敦賀の鉄道の遺産を見てき ましたなので午後は古代敦賀の遺産を見る ことにしましょうここはさっきスルーした け神宮町1番の交差点を見下ろす木造の オートリーは春賀大社や伊島 神社春大社や島神社のオトリと並び日本 トリーと呼ばれていますトリーの大きさは 高さ約11mとてもぶら下がって懸垂でき そうにありませんトリーの形式は1番豪華 そうに見える支柱を従えた両部トリーと 呼ばれるものかつて新物集合を取っていた 神社によく見られるタイプでこの神社にも 大昔は毛皮神宮寺という寺が併設されてい ました世界遺産でしかもどんなバカでも 適当にシャッター切るだけでそこそこ芸術 的に移る2つに比べてこちらは中分止まり でSNSの注目を浴びることもあまりなく 地名度は低いような印象があります伊島や 春賀大社と比べて人もまばらですしかしだ からこそ1番落ち着いて日本一の鳥居の 一角を観察できるというものです神社の ご利益にはここが北陸道の入り口である こと古くからの国際高の珍珠であること からやはり交通安全の項目が含まれてい ました10円のチップを払って今年もどう か無事故でいられますようにと祈り経済の 段差でつまづいたところで次の場所に 向かいましょう続いて向かうのは毛の松原 名前から分かるようにさっきの神宮の信淵 だった松原です富士山との組み合わせが 美しいみほの松原一面クソ緑の虹の松原と 並びこちらも日本3大シリーズに数えられ ています冬場朝鮮の方から北西の風に乗る といい感じにたどり着けそうな場所にある 敦賀どうやら昔から大陸側かららの侵入 ポイントになりやすかったらしく大地が 揺れ一夜にして松が生え白さぎが一斉に羽 たことで侵略者が恐れをなして逃げたと いう伝説が残っていますまた現在の北朝鮮 や宴会州を支配していた北海国からの死者 をもてなす施設もあったとされています計 2万本の創れな体育の松が枝を広げて空を 埋めたてうそとして暗くしかしこもれびが 刺したところが冷蔵と輝く松林は現代に おいてもどこか霊的なものを感じさせます 伝説が残ったり格式高い神社の庭になるの も納得というものですよその多くの松原 同様横断道路が整備されていてこの神さび た松のコースを風を切りながら楽しむこと もできますハロウィン楽しむ友達の オプションすらついてない梅スの人生歩ん でる皆さんもたまにはこういうのもいい でしょうさて最後はあまりイメージのない 敦賀の自然を見て回って終わりにし ましょう地名度は多分皆無ですが意外と 重要度の高い場所です次の場所は敦賀の町 を見下ろす山にある中池未出現地図だけ 見るなら港のすぐそばですしかし登山道が かなり離れている上山が競り出していて かなりの浮いを強いられます道中山の方 から車輪の音が響いてきました道端に自転 車を止めカメラを構えるとまもなく トンネルからねっとり電車が出てきます あれが新北陸トンネルかとお考えの人も いるでしょうがあれは三山トンネルという 新北陸トンネルの前座のトンネルです5年 前北陸道から工事中の橋桁を見上げた日 から北陸に来るたずっと工事が進んでいく のを見てきましたがいよいよ完成品とご 対面ですしかしやかましいので上半分しか 見えませんでしたしばらくするとさっきの 列車と入れ替わるようにして東京行きの 列車がトンネルに座れていきましたそして 新幹線の間近にあるここが中気出現の 入り口そして登山道を登っていくと出現 ですそうですねあの新幹線トンネルなんと 出現に水を供給する山の中という環境団体 土発点の場所に掘られていますしかもこの 出現ダムみたいな地形に泥が溜まり続けた 加減でデタが厚さ40mに渡ってツモって いるのが世界的に珍しいと評価され ラムサール条約に登録されていますもう エコロジスト粉子案件ですはこんなん我々 がリニアがどうだとかで騒いでいる裏で とんでもないトンネルが出来上がってた もんですこの湿地がラムサール条約に登録 されたのは2012年夏そして北陸新幹線 のルートが決まったのも同じ2012年夏 その時点での新幹線のルートは完全に湿地 の真下を通るということになっていました がさすがにラムサールシッチの直下はいか んでしょということになり慰霊のルート 変更が行われ現在の不自然なカーブが 出来上がることになりました三山トンネル の構造も可能な限り水脈を断ち切らない ための得意なものとなっていて上バ型の 断面を円形にした上で分厚いコンクリート で覆いさらにその全習をこれまた厚い防水 シートで包むことでどうにか水が漏れない ようにしていますjrtt曰効果は適 MENで工事中は一瞬水量が減ったがその 後は元通りになって安定しているとのこと ですそれじゃあなんすか知事の言動は全て 茶番だったってことっすかと思った人も 多いでしょうが実はこのやり方生ぜ深さ 100m程度までの浅いトンネルでしか 通用しなくてですねアルプスのような土 かぶりの多いトンネルだと通じないそう です5分ほど山を登り普段のしちへと たどり着きました数えるほどしかない ラムサール出現だというのに私以外誰もい ません地方を山に囲われた草原は話に聞い ていた通り天然の貯水だこのように見え ますそして下界の敦賀の町からたった数百 Mしか離れていないはずなのに文明から はか離れた山奥の大自然のようにも感じ られますこのコ民家もいいスパイスになっ ていますこれはかつてこの出現で工作が 行われていた頃の復元建築です北海からの 死者をもてなし北前船で設け大和連絡で 栄えそして新幹線を迎え敦賀の町は千年の うちに時間を惜しむ人間のペースに合わせ て目し変わってきましたしかし山の上の この出現は下界の時間貧困層を鼻で笑い ながら時間を贅沢に使いながらゆっくりと 変化していっているようです霊のごとく この神秘のゆりかごをどこの馬の骨とも 分からん種に置かれないように出現には低 そ木道がかかっていましたこんな小さな 出現ですかさすがに固有がいるということ はないようですが脆弱な少士たちが無数 生息しているようですひょっとしたらこの 映像の中にも絶滅寄付種が映っているかも しれません名前だけは見たことあるけど何 があるかはよく分からない町鶴がそこは 古代より交通の幼少として時代に合わせて 変わり続け一方で変わらない自然も要する 港の街だったのでした今回はここまでご 視聴ありがとうございましたどチャンネル では旅行動画を週1本程度のペースで アップロードしていくつもりです チャンネル登録とメンバーシップニコニコ チャンネルに入会していただくと私と財布 が嬉しいので是非よろしくお願いします
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ゆらり休息街散策(ゆーぎり さん)
海風に乗って(こばっと さん)
あの日描いた夢(甘茶の音楽工房 さん)
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#日本の交通を研究する会
42 Comments
いつも素晴らしい動画、ありがとうございます。楽しみにしています。
敦賀に来たらサイクリングおすすめです
飲食店は少ないですが魚うまいですよ
1泊2日で十分堪能できます
公共交通機関が充実してるのはなぜか考えたら原発があるからだと思った
文章が美しい。物書きとかされてます?良い才をお持ちですね
/"(  ̄△ ̄)"\ノふるさと納税で福井鉄道えちぜん鉄道の1日乗車券などを手に入れたから、また北陸行きたいね。何日かかけて敦賀と福井回って、ヨーロッパ軒食べ比べとかもいいね。
敦賀って将来的には高知市や宮崎市と同じくらいの人口は確保できるでしょ。
言葉選びが素晴らしいですね
敦賀といえばやっぱパ軒だよ
金ヶ崎城が抜けていますね、
金ケ崎町は岩手県。敦賀市金ヶ崎町⛩は福井県。柳ケ瀬は岐阜市、柳ケ瀬線は旧旧北陸本線。
近所の街の歴史とか名所とか知れてとても勉強になります
敦賀公式チャンネルかな^ ^
杉原千畝の軌跡がここにあったなんて驚きだな 僕の地元には彼の出身校である瑞陵高校があって功績についてはおぼろげに覚えてましたがこうしてはっきりした軌跡は初めて見ました
県民ですら(小学校の校外学習で大抵連れていかれる)原発以外は何があるのかあまりよくわからない街です。湿原いいですね〜行ってみたい
敦賀駅から徒歩圏内に福井1号店の『平和堂敦賀店(現アル・プラザ敦賀)』が在りますし、徒歩で少々時間が掛かりますが敦賀市役所方面へ行くと、『ラーメン一力』が在りますし、敦賀市役所隣りには、ソースカツ丼で御馴染みの『敦賀ヨーロッパ軒中央店』がありますよ!
敦賀の歴史といえば、鉄道資料館の北にある金ヶ崎城(敦賀城)跡も紹介してほしかったな。
古くは平氏が北陸を南下する木曽義仲に対抗するために作ったといわれ、中世には足利尊氏により京を追われた新田義貞が入城して戦った城でもあり、戦国時代には信長が浅井・朝倉の挟撃に遭って秀吉が殿をつとめた退却戦をおこなった城として有名です。なかなか歴史的に重要な場所なのです。
楽しかったです🎉
環日本海経済圏が実現すれば、ここも再び栄えるだろうけど…
まぁ、相手国的に無理だろうな
開通する前から需要が期待値ほど無いから無駄遣いはやめろと散々言われていたのにこの体たらく。新幹線はローカル界隈を衰退させるだけとの現実をまだ理解出来ない地元民は勝手に衰退していけはいい
「とりあえずこうしとけば歴史的に見えるやろ」とかいう言い草好き
ちょいちょい入る字幕と別解釈の毒舌が😂
大和田銀行は大和田伸也さん、獏さんご兄弟の祖先だそうですよ😮
8:45 東京発ベルリン行きの切符なんて手にするとき、「銀河鉄道999」か「Ambitious Japan」か現代ならどんな脳内BGMが流れるんだろう。
旧立ち絵最後の動画
久しぶりににっこーけんさんみたが、しゃべり続けのなかに程よい毒舌。交通安全祈願の後につまづくとかのボケを交えつつ、見てて飽きない楽しい動画でした。
敦賀祭りの気比神宮知らんのやろうなすごいで
初めて動画を拝見しましたが、言葉の言い回し、選択が素晴らしいと思いました
GWに琵琶湖付近へ用事ができたので、ついでにこの動画の通り敦賀を観光したいと思います!
敦賀は便利で住みやすい街やで。
他の地域が不便に感じるくらい。。
何でも近場に揃っとる。
中池見湿地は、裏口(国道476)から入ると階段や坂道のぼらずに済むから楽やで。
万博やるよりも、運河を作った方が良かった。
敦賀にラムサール条約登録されてる場所あったの初めて知った…
最後の立ち絵
平和堂があるくらいしかわからん
北海道からだと敦賀は関西圏に行くための1つのルート、内地に上陸する為の場所になるので割と重要な場所。
福井に数年住んでいた。
福井県は嶺北(越前)と、嶺南(若狭)に大別できるが、最大の違いは
「言葉」
だ。嶺北の「あの~お~」という独特の言葉が敦賀を境にして劇的に変わり、関西弁になる。
敦賀は道路とガールズバーが良かったw
河村瑞賢にしてないのはあえて?
大和田伸也 大和田獏って大和田銀行設立者の子孫なんだ??
土被り(どかぶり)
ブラタモリのような雰囲気で楽しめました。敦賀の街に泊まってみたくなりました。
氣比神宮は越前一の宮、越前二の宮は少し離れた越前町にある剣(つるぎ)神社
神社のある地名は「織田(おた)」と言って、かの織田信長で有名な織田家と縁のある土地だったりする
これからの敦賀駅は越前嶺南の敦賀駅から若狭嶺南の敦賀駅に変えたほうがいいと思いますからね〜