「奥州市水沢」3つの遊郭を有した繫栄地の残照

平成の大合併で奥州市となった水沢 大谷翔平の出身地でもあります 3年ぶりの再訪です 奥州市の人口は10万人を超えるが全国平均より減少が激しいようです 水沢地区は商業集積地と城下町で栄えてきました 江戸時代から昭和まで「商人の町」でした 駅前には広大な盛り場が形成され 当時の繁栄ぶりが偲ばれます 日曜日の昼過ぎのためでしょうか 通行人は見当たりません 3年前と比べると空き地が増えていました 嘗ては風俗店もある歓楽街でした 現在はノスタルジックな盛り場です 実際どれほどのお店が営業しているのかは不明です 昭和の頃はどれほど繁盛していたのでしょうか 現状から想像するのは難しいですね 古い建物が多く新しいビルなどは見当たりません この先に興味深い光景があります 橋が架かっていますが川が見当たりません 寺小路橋 昭和27年の表記 下を覗いてみます 何と建物は川の上に建っています 闇市跡などで見ますが何故ここが・・ 狸横丁の入口も含めて川の上に建っています 駅前アーケード商店街からも確認できます とても不思議で気になります 経緯を知っている人がいたら教えてほしいです この辺りまでが川の上のようです 反対側の出口 広大な盛り場を抜けて駅前の通りへ出ます 高い片側アーケードの水沢駅通り商店街 既にシャッター街となって久しいようです 複合商業施設「メイプル] 2023年4月で閉店 商業の中心は国道沿いの大型店舗に移り 駅周辺は空洞化が進んでいました 大町周辺には昭和繁栄の残照がありました 当時をしのぶ看板建築群 豪雪地帯らしく雁木造(小見世)になっています 一部の雁木は有階アーケードになっています アーケードの上に建築されていますね 歩道なのか私有地なのか不思議な光景です 商業の町らしく蔵が多くあります 今回水沢を再訪したのは遊郭が3つも存在していたと知ったからです 水沢がいかに繁栄していたのか 知ることができます 昭和な雁木の町並みは趣があります 昔ながらの商店ですね まず最初は柳町遊郭跡です 藩政時代から明治の初年に柳町、立町等に貸座敷があったようです 綺麗に整備された一角 お忍び通りと呼ばれた路 昭和の時代には「水沢劇場」というストリップもあったそうです 大きな料亭「丸松」 火伏せの神である秋葉大権現 柳町からほど近い勝手町へと移動します 柳町などにあった遊女屋は宮下で集積させられたあと勝手町に移転してきました この通りに勝手町遊郭がありました 勝手町遊郭は明治32年ころから戦後まで続いたようです 芸妓と娼妓が混在していたようです 道がクランクして先が見通せないようになっていました 古い建物がわずかに残っていました もう1つの遊郭地である宮下へ向かいます 水沢城三の丸跡に建つ奥州市役所 大畑小路の武家屋敷 駒形神社の参道である宮前通り この参道が宮下遊郭でした 現在、名残はありませんでした 水沢の遊郭を整理すると 明治20年ころに宮下が遊郭地に指定され柳町などからの移転で「宮下遊郭」となり 明治32年ころに神社に近すぎるという理由で勝手町へ移転となり「勝手町遊郭」が誕生しました それで3か所に遊郭があったと言われるようです 水沢公園は桜の時期で賑わっていました 駅周辺は寂しい状況でした

商人の町として栄えた水沢、平成の大合併で奥州市となった現在の水沢駅周辺の様子を観てきました。3年ぶりの再訪ですが嘗て3か所に遊郭があったという繁栄の残照を徘徊してみました。
#奥州市 #水沢 #勝手町遊廓 #宮下遊郭 #大谷翔平 #昭和

00:00 大谷翔平の故郷
01:01 水沢の盛り場
06:26 メイプルと大町
10:55 柳町遊郭
12:08 勝手町遊郭
14:11 宮下遊郭

引用:https://kokontouzai.jp/archives/7725
   https://dl.ndl.go.jp/pid/1214235/1/184

14 Comments

  1. 3:50 興味深いですね。豊橋の街中にもこのようなものがありますね。たしかあそこは完全に川の姿は見えませんが。昔はそれほど土地を必要とするくらい栄えていたのでしょうかね。。。

  2. 超有名人、大谷翔平の出身地なので駅前とかもっと大谷一色だと思ってましたけど
    そうでもないんですね、足寄の松山千春みたいなの想像してました。

  3. 寺小路橋がかかる川に家を建てさせる 水沢市の行政は失格  住民が出てゆくのは当然の もと城下町

  4. また行きたいと思ってるうち更に寂れてて哀しい。。。。
    ところで、水沢の最も特異的な点というと個人的には(大谷選手でなく)
    「 Z 」
    なんですけど、気が付きましたか?

    Zバス Zホール Zアリーナ Zプラザ...

    まあ、全然「昭和」じゃないし、起源はむしろ「明治」なのだけど。

  5. かなり意外ですが営業している飲み屋はそこそこあり、週末はパーキングが埋まっていたりと
    侮れません。橋の上の建物群は実家の婆様曰く戦前で既に幾らか存在していたようですが
    増えたのは戦後のようです。昭和末位までは近郊からの客も多く不思議なほど人がいた故に
    川の上だろうが店を出したかったのだろうとの話です。

  6. 昭和40年代後半に水沢はよく行きました。祖母の家があったからです。すぐそばに「水沢劇場」がありました。それこそ川の上に建っていたと思います。近くの大きな料亭にも法事などで行きました。懐かしい思い出です。動画ありがとうございます!

  7. 1980年代初頭まではわりと大きめな個人資本の商売が成立してて、駅通りにはマルサン、マルカン、三春屋と3つの百貨店がしのぎを削り賑わっておりました。そんでジャスコ(後のメイプル)ができて独り勝ちになったかたち。
    ただ独占状態になってしまうと消費者の選択肢が狭まっちゃうから商圏としての魅力はなくなりますよね。
    加えて駐車場料金がかかることを嫌気して、開発の進んだロードサイドに人は流れ駅通り周辺は飲み屋街だけが残りました。よくある地方都市衰退のパターンをなぞっております。
    スーパーも以前は名宝、タカトヨみたいな地元資本のもありましたが今はないです。
    地元を離れ久しく、帰省する度に都心で見慣れたお店が増えていることに一抹の寂しさはあります。

  8. 当時は週末や日曜日になると人でごった返していました
    今は見る影もありません

  9. さびれて活気のない残念なシャッター街としか思っていなかった地元の駅前一帯が、動画で見せられるとなぜこんなにも魅力的に思えるんだろう。関東に出て6年目ですが、帰りたくなりました……

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