【唐沢山城】佐野氏が守った関東平野を一望する堅城は、上杉、北条が執着した重要拠点

本日は唐沢山城を歩きます。 平安時代に平将門の乱を平定した武将 藤原秀郷の血を引くとされる佐野氏は、 戦国時代になると名君と呼ばれた 佐野昌綱を輩出しました。 上杉氏、北条氏、豊臣氏などの大勢力の 間を渡り歩き、戦国時代に城を守り抜きました。 ここは、関東平野を一望に収める、 誰もが手に入れたい魅力の地。 上杉謙信の十度にも及ぶとされる攻城をしのぎ、 関東一の山城と名を馳せた 難攻不落の堅城です。 昌綱のその功績をしのびつつ、 東北の鬼門である村檜神社を起点として 隅々まで歩きます。 ぜひ最後までお付き合いください。 本日は唐沢山城を訪れます。 さて、ここがる村檜神社入り口のバス停。 今、栃木市の中心部からコミュニティバスに 乗ってこちらまでやってまいりました。 この村檜神社から歩き始めたいと思います。 なぜここから歩き始めようと思ったかと 言いますと、今から向かう唐沢山城は 藤原秀郷が創建したと伝わり、その秀郷に 縁のあるこの神社を出発点としたかったからです。 そもそも藤原秀郷は、平安時代に平将門の乱を 平定したことで有名な武将ですよね。 平将門を討伐する前939年、 こちらで戦勝を祈願したと伝わっております。 そして、藤原秀郷が唐沢山城を 創建した時に、この神社が唐沢山城の北東の 鬼門にあたる場所にあることから 崇敬したと伝わっております。 ちょうどここに地図がありますけれども、 まずこの村檜神社から諏訪岳に 登ってですね、京路戸峠、 こちらを経由して、唐沢山神社の方に 向かいたいと思います。 実はここから唐沢山城跡までは直線距離で3km、 山の中歩いて2時間もかかる場所にあります。 村檜神社、社叢。こちらが天然記念物と なっているということですね。 かなり古そうな太鼓橋です。 そして、室町時代から戦国時代、 江戸時代初期にかけて、佐野氏が唐沢山城を 治めていたわけですけれども、その佐野氏も 藤原秀郷の子孫だと称しておりました。 美しい佇まいの本殿ですね。 この本殿は、重要文化財に指定されております。 建てられたのは1533年。 江戸時代にこの社殿を修復した時に 日光の眠り猫で有名な左甚五郎が、 瓜の彫刻を埋め込んだと伝わる柱が残っています。 こちらの大杉の大木もかなり立派です。 さて、ここからが関東ふれあいの道。 6月22日にツキノワグマが捕獲された。 これは去年の話ですかね。 少し気をつけて進みたいと思います。 今日はまだ6月の下旬なんですけれども 梅雨に入っているにもかかわらず、 なぜか猛暑が関東一円続いておりまして、 本日も関東、至るところで夏日になるという 予報だったんですが、この登山道、ご覧のように、 樹林に日が遮られて、意外と風も吹いて ますので、思ったほど暑くはないですね。 さて、ここが諏訪岳の分岐ですね。 ここからこの急な登山道を登ると、 諏訪岳に行けるんですけれども、今日はカットします。 直接、唐沢山方面に向かいます。 ここから先はいくつかピークが あるんですけれども、大体はこのように巻き道が ついてるみたいですね。 さて、ここが、先ほどのところから諏訪岳に登ると、 ここに降りてくるというところですね。 ここでトラバース道が終了です。 で、この稜線の向かって右手が佐野市、 そして左手が栃木市ということになるかと思います。 唐沢山城までは、ずっとこの栃木市と 佐野市の境界線上の稜線を進むことになります。 ここから佐野市側の多田駅に 降りることができるんですね。 そこに、ここに竹で組まれた鳥居と 茅で葺かれた祠があります。 栗の花で覆われたベンチ。 ちょっとこちらで休憩していきましょう。 この太いアカマツも御神木のようですね。 唐沢山神社2.9kmです。 一時間かかんないかもしれないですね。 これは江戸時代の赤松っていうことですかね。 この辺りは赤松、コナラ、山桜の木が多いように思います。 松風の道ってなってますね。 ここに降りてくるようです。 この左側からも別の林道が合流してますね。 そしてちょっと道が交錯してますね。 こちら側は東京農工大学の演習林なので、 立ち入りには許可が必要みたいですね。 唐沢山神社0.6km。 さて、そろそろ唐沢山城の城域に入ってまいります。 その城域に入っていく前に、唐沢山城の 歴史について概観してみたいと思います。 この唐沢山城は、 鎌倉時代以降、佐野氏の居城として ずっと機能しておりました。 そして、佐野氏代々の中でも佐野昌綱が この唐沢山城を大規模に改修して、 関東屈指の堅城を作ったと言われております。 この佐野昌綱は名君として知られております。 この唐沢山城がこの戦国時代の 厳しい時代を生きながらえたのは、 この佐野昌綱の才覚と唐沢山城の 堅牢さにあると言われております。 佐野昌綱は北条氏と上杉氏、二大勢力の 間に挟まれて、この二大勢力の間を 行ったり来たりして独立を保っていきました。 1559年には、 その当時、上杉氏の傘下でしたが、 北条氏政に3万5千の大軍を持って城を 包囲されましたが、謙信が即座に援護を 差し向けたために、その北条軍を 撤退させたということもございました。 上杉氏により十度にわたって唐沢山は 攻められましたけれども、上杉謙信を 大いに困らせ、この堅牢さが非常に 関東一円で評判になったため、 関東一の山城という称号を得るに至りました。 そして唐沢山城は江戸時代に入って 1602年に廃城となります。 佐野氏は麓に佐野城を作って、 現在のジェーアール佐野駅のすぐ北側ですね、 こちらに移りました。 なぜ唐沢山城が廃城となったかという ことについては、詳しくは分かっておりません。 江戸で火災が起こった時に、唐沢山城から それを発見して、慌てて江戸に駆けつけた ということが元になって、江戸城を 見下ろすとは何事かということで 廃城が決まったというような言い伝えも残っております。 実態としては、唐沢山城が難攻不落の とても攻めづらい城だったので、警戒された ということもあったと思います。 佐野城に移った佐野氏なんですけれども、 結局その後1614年に改易されてしまいます。 佐野氏は江戸時代に入った時には 佐野信吉の代になっておりましたが、 この信吉は婿養子として迎え入れられた藩主でした。 そして、この信義の兄が富田信高と言いまして、 宇和島藩の藩主だったんですが、 問題を起こしまして改易されました。 そして、弟の佐野信吉が藩主だった佐野藩も 連座という形で改易されることになってしまいました。 兄弟という理由だけで改易されてしまうのは、 ちょっと無理筋なような気もしますが、 何かそれ以前の伏線があったのだと思われます。 さて、建物がちょこちょこと出てまいりましたね。 もうそろそろ唐沢山神社の境内に入って くるのかもしれないですね。 あと0.3Km。城跡の遺構が早速出てまいりました。 二重の堀切、本丸と北東の峰を 大きく分断しているそうです。 北や南の急斜面にまで伸びて、 竪堀状に落ちている。 おそらくこれですね。 これと、あ、そこにももう一つあるのか。 ここ、ここと、あちら側に、 掘り切られて、そして逆側もこちらと そしてこちら側、これが二重の掘り切りと いうことですかね。 ちょっと場所は、はっきりとは 特定できないんですけれども、 そういうことにおきましょう。 ここの階段を登ってみましょうか。 もう5時近くなので、続日本100名城の スタンプをまずはゲットしておきたいです。 ここも曲輪の跡ですね。 ここは何かの遺跡かな。 さて、ここにも堀切状のちょっと窪地がありますね。 こちら側はもう急峻な崖になっています。 ここにも曲輪の跡がありますね。 杉曲輪というところみたいですね。 御仏殿があったとされる。 ここにも木の階段が付いてます。 建物の裏手ですね、これ。 金の丸とお花畑。 唐沢山神社。 ここが二の丸みたいですね。広いです。 そして唐沢山神社、こちらってなってるので 進んでみましょう。 いつの間にか立派な電柱が現れてる。 井戸が現れました。 車井戸。 上の方から太鼓の音が聞こえてくる。 別名ガンガン井戸。 本丸のすぐ下に位置するか。 ということは、この上部が唐沢山神社、 つまり本丸のあったところですかね。 何はともあれ、まずはスタンプをゲット。 舗装道路に出ました。 到着しました。 これまでか。終わっちゃったのか。 登ってくる時は全く後ろを振り向かな かったので気がつきませんでしたが、 関東平野一望のもとですね。 ここが上杉謙信や北条氏政氏直、何度も 攻め入ったんですけれども、なかなか落ちなかった という難攻不落の唐沢山城の本丸ですね。 ここは数多くの猫ちゃんたちが住んでいる ことでも有名みたいです。 この猫ちゃんたちに会うことを目的に 来られる方も結構多いみたいです。 ここでは美化や清掃のため、一人200円以上の 入山料を求められているようです。 東京スカイツリーも見えるんですね。 うん、今日はちょっとそれらしきものは見えないですね。 あちらが早春のカタクリで有名な三毳山もある。 ここは南城跡。 すごい深い掘切がありますね。 さて。 田沼方面に降りることにしましょう。 ここで、関東では貴重な、この唐沢山城を象徴する石垣が、 いつ構築されたのか、補足で説明しておきましょう。 名君と謳われた佐野昌綱は1574年に 死去し、その後嫡男の宗綱が城主となりました。 宗綱も謙信の度重なる攻撃に耐え、 北条氏、佐竹氏、織田氏と同盟先を変え、 この城を守りましたが、1585年に北条方に 討ち取られてしまいました。 その後、北条氏から養子を迎え入れ、 佐野氏は存続しましたが、これに不満を持った 佐野房綱が出奔して豊臣秀吉の元に走っています。 北条氏が豊臣秀吉により滅ぼされると、 佐野房綱が唐沢山城を取り戻し、 佐野氏は再興されました。 城内に残る堀切は戦国時代の遺構ですが、 神社のある本丸を中心に残るこれらの石垣は、 佐野信吉入城後に畿内から職人を 呼び寄せて整えられたと考えられているようです。 梅林公園1.6km。この梅林公園という 道標に導かれて下ってきております。 先ほどまでの道と比べると、ちょっと石が ゴロゴロ路上に散乱していて、 歩きづらい道になっております。 つつじヶ丘入り口になっています。 四ツ目堀。 ちょっと地図で確認してから進んだ方がいいな。 なんて読むのかわかんないんですけど、 「露に垂れるにね」って書かれて、神社。 こちらはちょっと別方向に行ってしまう みたいなんで、この方向に行った方が 佐野の市街地に出られるみたいです。 ちょっとあのまま行ってしまうと、 もう一つ東側の別の沢の方に降りてしまう みたいで、なんかここはさっきまで歩いていた 関東ふれあいの道とは別次元の道ですね。 ちょっとここは水平道みたいになって ますけど、心もとなくなってきましたね、道が。 道型も怪しいな。 崩れかかってますね。 ここにもなんか井戸の跡がある。 太鼓橋もあるな。 水琴窟に悪さをしてるカラス発見。 全然逃げねえな。 あ、水を飲んでんのか。 人慣れしちゃってるな。 全然逃げませんね。 もうこれ1mもないんだけど、 こっちの方が怖いよ。 やっと逃げてった。 よいしょ。 神橋。 ここにも猫ちゃんがいますね。 さっきどう行ったんだろう。 ここからこう行っちゃったのか。 それでこう来たのか。 この間にもいろんな堀切が3箇所もあったってことか。 全然気がつかなかったな。 升形があって、「土やぐら」っていう 脇から入ればいいのか。 大炊の井、築城の際、厳島大明神に起請をし、 その霊夢により掘ると水がコンコンと湧き出た。 水質を浄化してるんだ。 錦鯉はたくさん泳いでいる。 武者詰と大炊の間の虎口。 かつては武者詰があったそうです。 食い違い虎口ですね。 敵が直進できないように、鍵の手に 折られて食い違いに作られている。 内側は桝形になっている。 ここですね。 そしてこれが天狗岩だそうです。 大剣山とも例えられる岩山。 ここが駐車場ですね。 トイレがある。 県立自然公園となってる。 さて、ここからですね。 城からの下りもこのように、 なかなか急坂で、攻め手には辛そうです。 本日は小さな大名であった佐野氏が、 あの手この手で守り抜いた唐沢山城を歩きました。 ご視聴ありがとうございました。 ご感想ご意見をコメント欄に お願いいたします。 村檜神社から5.3キロ歩いてきました。 田沼駅まであと2.0キロ。 もうすぐそこに舗装道路が見えてますね。

平安時代に藤原秀郷が築城したと伝わる唐沢山城は、その後衛を名乗る佐野氏により、室町時代から江戸時代初期まで守り抜かれました。戦国時代に佐野昌綱は、越後の上杉謙信や小田原の北条氏政に繰り返し攻められましたが、両者の間をうまく渡り歩き、戦国時代を生き残りました。
特に上杉謙信には、度々攻め込まれ、その数は10度にも及ぶとされます。ある時は撃退し、ある時は開城し、唐沢山城を守り抜きました。そのため、唐沢山城の名声は、世に響き渡り、関東一の山城と謳われました。この時代に唐沢山城で佐野氏の独立性が保たれたのは、昌綱の優れた才覚と唐沢山城の堅牢さだと言われています。

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【タイムコード】
◆村檜神社      : 2:25
◆二重の堀切     : 10:07
◆唐沢山神社     : 13:33
◆大炒の井      : 19:43

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【唐沢山城】
◆現在の唐沢山城本丸跡には、石垣が張り巡らされ藤原秀郷を祭神とする唐沢山神社本殿が鎮座しています。石垣は、江戸時代初期に積まれたものです。本丸やその下段の神社社務所のある南城跡からは、関東平野の展望が開けており、条件が良ければ東京スカイツリーも目にすることができます。上杉氏や北条氏などの戦国大名が、この地を押さえたかった理由が垣間見えます。
◆この唐沢山城の遺構としての見どころは、城内各所に残る石垣と数多くの堀切です。前者は江戸時代、後者は戦国時代に築かれたものです。車井戸(復元)や大炒の井も見る事ができ、高所であるにも関わらず、水の確保に苦労がなかったことも、難攻不落に一役買っているものと思われます。
◆唐沢山城は、猫の住む城としても有名で、数多くの猫にいたる所で出会うことができます。どの猫も近づいても、全く逃げる様子は無く、スキンシップを楽しむことができます。
◆山上までの公共交通機関は無く、クルマで山上に登ってアクセスするのが一般的ですが、麓から登山道を利用して、田沼駅からなら約1時間半程度で行くことができます。
それ以外にも、動画で紹介したコース以外にも、数多くの登山路があり、いずれも麓には、駐車場があります。

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【チャンネル】
@歩いて旅するにっぽん 城跡を歩く

歴史を紐解くことによって、往時の武士の息遣いや緊迫した雰囲気が感じられる場所を徹底リサーチして厳選の上紹介しています。

◆運営会社:アスタービジョン株式会社
ウェブサイトはこちら
https://astervision.co.jp/

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【撮影機材】
◆GoPro HERO10 Black

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【編集ソフト】
◆PowerDirector 365

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動画の一部で、地理院タイルに地名・アイコン等を追記した画像を利用して配信しています。

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1 Comment

  1. ようこそ地元へ!。
    先日数年ぶりに唐沢山城へ登城し続日本100名城スタンプをゲットしネコたちにも会ってきました。
    この時期でも木々に囲まれた城内(神社境内)は強い日差しが遮られ心地よかったです。
    小学・中学の頃(半世紀も前の話です)は定期的に田沼側から唐沢山に登っていました。
    昭和30年代は車道も砂利道で狭かったのですが、佐野や田沼からの路線バスもありました。
    当時のテレビ番組(確か鷹の羽根?)のオープニング映像がこの道で撮影されたと聞いております。
    地元にいながらなかなか登城できませんが秋口にでもゆっくり訪れてみたいと思います。
    ご紹介ありがとうございました。※チャンネル登録は済んでおります。

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