聖徳太子の古墳【物見山】海上の森 ⛩大田さんと物見山登山ツアーその6 #short
太田さんと会社の森 ツアーモ山は日本の国大国主の巫女終わり 王子消徳大使の古墳ですということでね なんか山頂 [音楽] から反対方向に降りてき たらこんな感じでこの上が山頂なんです けど降りてき たらなんと なんと消徳大使の古墳ということでねこの巨石巨石っていうか石めちゃめっちゃ完激しまして すごいでかいんでこれないレベルだよね でかいですね はい不思議月のワグマが出るそうですはい いかがでしたでしょうか今ご覧いただい てるのはお山から降りてきて会社の森の 入口に向かう途中に咲いていた桜ですもう ね日が落ちてきているのでねちょっと見え づらいかもしれないんですけれども ということでモツアはこれで終了となり ますありがとうございました
物見山(ものみやま)
愛知県豊田市と瀬戸市の境にある標高327mの山
📢✨大田さんの情報
名古屋神社ガイド⛩
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#物見山
#聖徳太子
#聖徳太子の古墳
2 Comments
そうでした、まだここがありましたね。聖徳太子のお墓。
厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれることも多いのだけど、『古事記』では上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと)、『日本書紀』では厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこと)などと表記されます。
”とよとみみ”っていうと、豊臣を連想しますよね。秀吉は意識していたかもしれない。
”聖徳太子”の初出は『懐風藻』(かいふうそう/淡海三船/751年)とされます。
”トヨ”の名を持つだけでなく、養育したのが額田部湯坐連(ぬかたべのゆゑのむらじ)で、額田郡の人っぽいので三河色が濃いように感じます(三河は豊の国)。
『新撰姓氏録』によると額田部湯坐連は意富伊我都命(おほいかつのみこと)の後裔で、イカ=伊賀ともゆかりがありそうなんだけど(厩戸皇子が伊賀の忍を使った最初という話があります)、額田部氏の祖は天津日子根命(天津彦根命)とされます。
天津彦根命といえば、天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた五男三女神の一人で、多度大社をはじめとした多度神社の祭神になってますよね。
つまり、厩戸皇子(聖徳太子)を介することで海上の森と多度社がつながるというわけです。
すごい回り道だけど。
それにしても、あそこにだけ巨石がたくさんあったのは不自然というか違和感があって、何かありそうでしたね。
九尾の狐はヤハウェの化身、キリストを導いた、との説あり。古代イスラエル、ユダヤ、キリストの意思が神道に浸透した國、日本。たえちゃん、おおたさん、お疲れ様でした。⛩️🌿🌀🗾🐲🐦🔥💖