「千年の都」に鎮座する、疫病を払う都の守り神:京都府・八坂神社(Yasaka Shrine | A Sacred Oasis in the Heart of Kyoto)
※本動画は参拝客を映さないこと、収益化をしない(営利目的にしない)ことを条件に撮影を行っております
▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 西楼門
1:40 手水舎、参道
2:23 西側参道沿い摂末社
3:08 南側参道沿い末社
4:28 南楼門
4:53 舞殿
5:19 本殿
7:56 東側参道沿い摂末社
10:32 能舞台、斎館
10:58 北側参道沿い末社
12:56 四条御旅所
13:47 大政所御旅所
13:59 三条御供社
どうも管理人のヒロリンです。
今回は京都府京都市に鎮座する八坂神社(やさかじんじゃ)を紹介します。
日本有数の花街・祇園に位置し、地元の人たちから「祇園さん」と親しみを込めて呼ばれる八坂神社(やさかじんじゃ)。
毎年7月に行われる祇園祭は日本三大祭の一つに数えられ、幕開けの行事「吉符入(きっぷいり)」から31日の「疫神社夏越祭」まで、1カ月にわたり様々な神事・行事が繰り広げられます。
四条通りの突き当りに位置する西楼門が八坂神社のシンボルとして有名ですが、これは正確には正門ではなく、そこから外れたところにある石鳥居がある南楼門が正門(動画内では4:28で登場)。信仰心の篤い人は一度大通りを外れ南楼門から入る人もいるとか。
現在の八坂神社の本殿は、5度に及ぶ焼失の後、1654年に4代将軍・徳川家綱の命で造営されたもの。もとは2棟に分かれていましたが、本殿と拝殿を一つの屋根で覆った構造で「祇園造」という独特の建築様式で建てられています。
本殿には一般の参拝客は立ち入ることは出来ませんが、中央に主祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)、東にその妻であるく櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、西に夫妻の子供たちである八柱御子神を祀っています。
本殿の下には清らかな池があり、今は漆喰で塞がれていますが、昔は青々とした水を床下に見ることができたといわれています。
八坂神社で祀られている素戔嗚尊(すさのおのみこと)は「国生み・神生み」の神・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が禊を行った際、鼻をすすいだ時に生まれた神様。
『古事記』によると、高天原(たかまがはら)での素行のせいで天上界を追放された素戔嗚尊は出雲の地に降り立ちます。そこで、8つの頭と8つの尾をもつ巨大な怪物・八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して生贄の少女を救出します。この少女が後に妻となる眉目秀麗と名高い櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)です。
素戔嗚尊と櫛稲田姫命との間には八柱の御子神がいるとされ、総称して八柱御子神と呼ばれました。この中には「お稲荷さん」として親しまれる、京都の伏見稲荷大社の主祭神・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)も含まれています。
素戔嗚尊は、その力強さから疫病をもたらしたり、その反対に退けたりする疫神とみなされました。後に、同じく疫神とされる牛頭天王(ごずてんのう)と習合し、八坂神社に祀られることになります。これが疫病封じを祈る祇園信仰の始まりです。
そんな八坂神社には疫病を退散させるために境内社や祭事に、古来の人々から脈絡と受け継がれた願いが込められています。
コロナウイルスをはじめとする様々な疫病が猛威を振るっている昨今、まず外せないのが西楼門をくぐった先にある「疫神社」(動画内では2:23に登場)。疫神社の御祭神は蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)。
武塔神(むとうしん)という神が旅をしていたとき、蘇民将来という男に一夜の宿を借り、そこで貧しいながらも心を込めたもてなしを受けたことに感激し「『蘇民将来の子孫です』と記した茅の輪を身につければ疫病より免れるようにする」と約束。
この伝承に由来し、祇園祭の最終日に疫神社の鳥居の前に大きな茅の輪が掛けられ、ここをくぐったものは疫病が祓われるとされています。
また、八坂神社を代表する祇園祭も初めは疫病退散のためにはじめられた祭でした。西暦869年、この年に貞観(じょうがん)地震・津波等の災害、疫病が大流行します。疫病の大流行が確認されたのがその年の5月26日。そのわずか10日後に平安京の庭園・神泉苑(しんせんえん)に当時の国数にちなんだ66本の鉾を立て、神輿を送り、疫病退散を祈ったのが始まりです。
様々な神社が祈祷を行ったが収まらなかった当時の疫病。八坂神社が祇園祭を始めとする祈祷を行ってようやく終息したとも伝えられており、様々な疫病が猛威を振るっている今だからこそ参拝したい神社といえます。
Yasaka Shrine, once called Gion Shrine, is a Shinto shrine in the Gion District of Kyoto, Japan. Situated at the east end of Shijō-dōri (Fourth Avenue), the shrine includes several buildings, including gates, a main hall and a stage.
The Yasaka shrine is dedicated to Susanoo in the tradition of the Gion faith as its chief kami, with his consort Kushinadahime on the east, and eight offspring deities (yahashira no mikogami) on the west. The yahashira no mikogami include Yashimajinumi no kami, Itakeru no kami, Ōyatsuhime no kami, Tsumatsuhime no kami, Ōtoshi no kami, Ukanomitama no kami, Ōyatsuhiko no kami, and Suseribime no mikoto.
Initial construction on the Shrine began in 656. The Shrine became the object of Imperial patronage during the early Heian period.
According to the Engishiki Jinmyocho, the much lesser known Nunakuma Shrine in Fukuyama is the source by which Gozu Tenno entered Yasaka Shrine through Kanjo.
In 965, Emperor Murakami ordered that Imperial messengers be sent to report important events to the guardian kami of Japan. These heihaku were initially presented to 16 shrines; and in 991, Emperor Ichijō added three more shrines to Murakami’s list. Three years later in 994, Ichijō refined the scope of that composite list by adding Umenomiya Shrine and Gion Shrine.
From 1871 through 1946, Yasaka Shrine was officially designated one of the Kanpei-taisha, meaning that it stood in the first rank of government supported shrines.
5 Comments
八坂神社、たくさんの神様がいらっしゃるんですね✨️
そして、いつもながら、映像と音楽の一体感が素晴らしいです。
ヒロリンさんの選曲のセンスはステキですね✨️
近々、私は、熱田神宮での奉納演奏に参加して、歌を奉納します。
三峯神社の動画の音楽にピン!ときたので、その音楽を、歌詞なしで歌うことにしました。
奉納にぴったりの音楽に出会えたこと、ありがとうございます✨️
1369年の歴史を持つ古い神社、神明須佐之男の祭祀の地!作品はいいですね。いいね、頑張って、お疲れ様でした!👍🏻👍🏻👍🏻
この間のGWに参拝しましたたが参拝客でごった返していました、その半数以上が外国人でした。近頃外国人による乱暴狼藉がニュースに取り上げられる事もありあまり良い気はしません、人が一人もいない境内は凛としていてやはり神聖な神域で有ると感じますね、本当にヒロリンさんのカメラワークと相まって芸術です。いつもありがとうございます😊
祇園祭行きたいけれど、なかなか泊るところ取れなそうですね。
人が沢山居そうなので、行きたいけど躊躇してしまう神社です
しかし摂末社多いですね。
ヒロリンさん、こんばんは🌙
人がいない八坂さんを初めて見ました🫢
いつもと違って、なお一層、厳かな雰囲気ですね⛩
美御前社も出てきて嬉しいです✨✨✨