本納城 ”黒熊大膳亮景吉の居城・要害堅固な山城” つわものどもが夢の跡・城跡めぐり59

本納城は室町時代後期、享禄2年(1529年)に構築されたと伝えられる、地の利を生かした要害堅固な山城であった。軍記によると永禄の頃、黒熊大膳亮景吉(くろくまだいぜんのすけかげよし)という武将が、この地を拠点として24郷を治め武威を誇っていたが、本納城は房州里見の支城であるため、長南武田の進攻に備え、佐矢止砦、壇上砦を強化していた模様である。
永禄7年(1564年)国府台合戦ののち、房州里見の傘下を離反した土気城主、酒井胤治の軍勢に急襲され永禄12年(1569年)3月28日落城、城主景吉は切腹したと記録されている。その後、土気酒井氏方から城代として、板倉右衛門他2名がきて統治したが、天正18年(1590年)小田原落城後徳川幕下の旗本知行地となり廃城となった。本、中、下城址、削壁(さくへき)、抜穴、袋狭間(ふくろはぎ)、狼煙台址等々、中世山城の遺構を多く今にとどめている貴重な城址である。

茂原市指定史跡(現地案内板より)
本納城址 所在地 茂原市本納310 昭和53年12月28日指定
本納城は室町末期、享禄2年(1529)に構築されたと伝えられるが、地の利を生かした要害堅固な山城であった。永禄の頃、黒熊大膳亮景吉という武将これに拠って24郷を治め武威を誇っていた。永禄7年(1564)国府台合戦ののち、房州里見の傘下を離反した土気城主、酒井胤治の軍勢に急襲され、永禄12年3月28日落城、城主景吉は切腹したと記録されている。
その後土気方から城代家老、板倉右衛門がきて統治したが、天正18年(1590)小田原城落後、徳川幕下の旗本知行地となり廃城となる。
本、中、下城址削壁、抜穴、袋狭間、狼火台址等々、中世山城の遺構を多く今にとどめている貴重な城址である。
平成2年3月26日 茂原市教育委員会

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