原爆犠牲ヒロシマの碑 元安川には原子爆弾投下で散らばった原爆瓦が川底に多く埋まっていた 広島市中区大手町2丁目3−13 #広島 #原爆ドーム #資料館 #広島市 #原爆 #平和公園 #世界遺産

花崗岩の台座の上に、原爆瓦を組み合わせたパネルと碑文、その裏に、焦土広島のパノラマ写真、原爆瓦発掘作業のレリーフ、これに説明(日・英)を加えた陶板がはめ込まれている。その上に「もどれない風」をテーマに昇天する犠牲者の魂を表現したブロンズ像が置かれている。

原爆犠牲ヒロシマの碑 元安川には原子爆弾投下で散らばった原爆瓦が川底に多く埋まっていた 広島市中区大手町2丁目3−13 #広島 #原爆ドーム #広島平和記念資料館 #広島市 #原爆 #平和公園 #平和 #世界遺産
20250202  @akibingo

原爆犠牲ヒロシマの碑(げんばくぎせいひろしまのひ)は、広島県広島市の広島平和記念公園内にある石碑。

概要
広島県高校生平和ゼミナールによる被爆瓦保存活動の一環として、1982年(昭和57年)8月5日に建立された。

広島県高校生平和ゼミナールは、『第二の原爆の子の像建設運動』と位置づけて、その石碑を建立した。

幅3m・高さ1.5m・奥行き0.7mの石碑。石碑の上にはブロンズ像。石碑内には原爆瓦が埋め込まれている。石碑には当時高校生だった被爆二世の原案を元にした碑文が刻まれている。

2014年(平成26年)には、2001年の芸予地震で破損した石碑の修復も行われた。

歴史
1977年(昭和52年)7月、広島電機大学付属高校社研クラブによる元安川での被爆瓦を掘り出す作業が運動の始まり。その後、1978年(昭和53年)2月に広島の高校生たちにより『広島県高校生平和ゼミナール』が設立。

平和ゼミナールが活動を開始した1977年(昭和52年)頃は、元安川には広島市への原子爆弾投下で散らばった原爆瓦が川底に多く埋まっていた。

その後、1981年(昭和56年)2月11日の新聞で、広島市は原爆投下時に散乱したレンガや瓦を、建設省(現国土交通省)太田川土木事務所の許可を得て清掃する方針を表明。平和ゼミナールは、同日中に川底の調査研究と、それまで整備を早急に行わないように申し入れ。広島市との調整は平行線に終わり、それ以降瓦を掘る運動はさかんになり、同年4月には幼稚園児から高校生まで参加する活動に発展。5月31日には、市民・被爆二世、さらには修学旅行生たちも参加するようになっていた。

1981年(昭和56年)7月には、市民の間からも保存の声が出始めるようになった。

当初は、瓦の保存、ましてや碑の建設に否定的だった市も態度を変化させていき、1981年(昭和56年)10月に碑の建設が決定。

1981年(昭和56年)12月には1回目の募金活動を実施。1983年(昭和58年)1月10日までに3,400万円近くを集めた。

活動開始時には10枚の原爆瓦を掘り出しただけだったが、平和ゼミの100回の活動で約7000枚の原爆瓦を発掘した。掘り出された瓦は原爆体験伝承教材として活用された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原爆犠牲ヒロシマの碑 2008(平成20)年2月8日改訂 〔地図番号47〕
建立年月日 1982(昭和57)年8月5日
建立者 原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会
制作者 芥川永ひさし (当時・比治山女子短大教授)
形状 花崗岩の台座の上に、原爆瓦を組み合わせたパネルと碑文、その裏に、焦土広島のパノラマ写真、原爆瓦発掘作業のレリーフ、これに説明(日・英)を加えた陶板がはめ込まれている。その上に「もどれない風」をテーマに昇天する犠牲者の魂を表現したブロンズ像が置かれている。 (碑の大きさ:幅3m、高さ1.5m、奥行き0.7m) 建立の目的 原爆により犠牲となった人々の叫びを永遠に記し、ヒロシマの心をあらわすとともに、戦争の悲惨さと核兵器廃絶の課題を学び、平和への決意を固めるため。 碑文 「天が まっかに 燃えたとき わたしの からだは とかされた ヒロシマの叫びを ともに 世界の人よ」
特記事項
1 原爆瓦(被爆瓦) 爆心地に近い原爆ドームそばの元安川河床には、原爆の熱線で表面が溶けた瓦がたくさん埋まっていました。1977(昭和52)年以降、平和記念公園一帯で平和学習を続けていた広島県高校生平和ゼミナールの生徒たちは、数千点に及ぶこれらの瓦を掘り出しました。彼らはこれを「原爆瓦」と呼び、くずれた破片に犠牲者の叫び、苦しみを重ね合わせていたのです。
2 瓦の発掘と記念碑建設 1981(昭和56)年、広島市が元安川の美化工事にのり出した時、高校生たちは、瓦の発掘と平和への決意を固める碑の建設を呼びかけました。戦争も原爆も知らない世代が中心となってつくりあげたこの碑には、彼らの努力の結晶である「原爆瓦」がはめこまれています。
3 公募された碑文 碑文は、全国の小・中・高校生から寄せられた2,000点をこえる案の中から選定されたものを原案に、碑文作定委員会が作成しました。原案は被爆二世の蔵田順子さん(当時、安田女子高校生)が寄せたものです。

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