「トリオソナタ フルート」工藤健  現代日本の陶彫作家展に「瞑想」出品 箱根の森美術館  広島県呉市幸町4-9  #広島 #呉市 #美術館通り #工藤健 #トリオソナタ #美術館

昭和12年(1937年)、工藤健(たけし)は秋田市に生まれる。
昭和39年(1964年)、日高頼子と結婚。
平成3年(1991年)、トリオソナタ制作。

1937 秋田市に生れる
1956 秋田県立秋田高校卒業
1958 東京芸術大学美術学部彫刻科菊池教室に入学
1961 46回二科展に初出品 (以後毎年出品)
1962 日比谷公園野外彫刻展招待出品 「石斧」 (秋田県立高等学校に設置)
     東京芸術大学美術学部彫刻科卒業
     47回二科展で特選受賞「源」
1963 48回二科展で会友推挙「第四法廷の開廷」
1964 東京芸術大学彫刻専攻科修了66年迄副手として研修
     修了展で学校買い上げ「椅子1」
     日高頼子(彫刻家)と結婚
1965 50回ニ科展で金賞受賞 「曖昧な慣習」
1966 51回二科展で会員推挙 「石花」館山カントリー倶楽部設置
1967 ユ-ゴスラビアセメント彫刻シンボジュ-ムに招待モニュメント制作
1971 多摩美術大学彫刻科専任講師
1973 58回二科展で会員努力賞を受賞 「定着された影」
1974 多摩美術大学助教授    
1977 第2回日動彫刻展に招待出品(日動画廊)(以後1989年まで)
1980 フジテレビ日曜美術館『造型する夫妻』日高頼子と出演
1982 高村光太郎大賞展でジャコモマンズ-特別優秀賞受賞「愛の変容」
     箱根彫刻の森美術館収蔵 
1983 二科会評議員就任 2006迄
1989 多摩美術大学教授
1990 個展 赤坂 アートスペース黒谷美術
1991 76回ニ科展で文部大臣賞受賞「憩えるマンド-ラ」秋田県立美術館収蔵
1992 秋田県アトリオン美術展示ホ-ル 個展 主催秋田県
     第五回現代日本具象彫刻展 大賞 主催千葉県立美術館
     「憩えるマンド-ラ(大)」千葉県立美術館収蔵
1994 新潟県南魚沼塩沢山麓にアトリエ建築
1996 現代日本の陶彫作家展に「瞑想」出品 箱根の森美術館
2002 日本美術家連盟委員に就任 2004迄
2006 二科会理事就任 2009迄
2008 多摩美術大学退職 多摩美術大学名誉教授
     多摩美術大学美術館にて退職記念展  DVDによる塑造の技法書刊行
2009 二科会参与就任

広島県呉市幸町4-9  #広島 #呉市 #美術館通り #工藤健 #トリオソナタ フルート #美術館 20241227 @akibingo

トリオ・ソナタ・フルート

金属像 / 昭和以降

工藤健 (1937(昭和12)―)

くどうたけし

1991

ブロンズ

145.0× 52.0× 40.0

一点

呉市立美術館

美術館通り
「美術館通り」は「呉市立美術館」の開館にあわせ、美術館や入船山記念館へのアプローチとして、呉市道幸町3号線を1981年(昭和56年)に整備したものである。 「美術館通り」の名称は、1987年(昭和62年)公募で決定された。 同年7月には建設省(現・国土交通省)の手づくり郷土賞・(ふれあいの並木道三十選)を受賞、同年8月10日の道の日には、建設省・「道の日」実行委員会により「日本の道100選」に選ばれている。

歩道に様々なモニュメントが置かれています。 芸術の町でもある

美術館通り(旧海軍病院坂)  美術館へ至る広い歩道は松並木の中に多くの彫刻が点在し、文化的な雰囲気が漂っています。日本の「道100選」 呉市幸町1番地の1  #広島 #呉市 #美術館 #彫刻 #歴史
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市道
呉市道幸町3号線
美術館通り
総延長 216.5m
西端 呉市幸町1番地の1
東端 呉市青山町10番地の1
接続する
主な道路
(記法) 国道487号
■テンプレート(■ノート ■使い方) ■PJ道路

起点側

終点側
美術館通り(びじゅつかんどおり)は、広島県呉市にある約200mの通り。起点側である呉市中心部側(国道487号)から終点側である国立病院機構呉医療センターへの一方通行。

概要
1981年(昭和56年)整備、名称は1987年(昭和62年)公募で決定。法令上の路線名は、呉市道幸町3号線である。 呉市幸町入船山公園内の呉市立美術館の南側を通るゆるやかな坂道で、美術館開館にあたり整備され美術館外観と合わせた歩道敷や屋外美術が点在する並木道である。

太平洋戦争以前は、呉市市街地と海軍工廠、海軍病院などの旧日本海軍の施設を結ぶ道路であったが、呉市は、1980年(昭和55年)から入船山公園周辺の文化ゾーンの付加価値を高めるため、美術館の建設と美術館前の通りの改築整備に取り組み、芸術性のある散策路に生まれ変わった。このとき、歩道にレンガ調のタイルやブロックを敷き詰め、タウンスクエアから美術館、入船山記念館にかけての約200m区間に、15体の彫刻が並べられた。この通りの愛称を募集したところ、1982年(昭和62年)4月に「美術館通り」に決まった。

軍港として栄えた呉市の歴史的建造物と芸術の香り漂う景観の調和が高く評価され、1987年(昭和62年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」に選ばれており、同年建設省(現・国土交通省)手づくり郷土賞(ふれあいの並木道)を受賞している。

呉市中心部からみて東側の休山峰に存在し、周囲は呉鎮守府・呉海軍工廠ゆかりの遺構が存在し海上自衛隊呉基地関連施設がある。

路線データ
路線名 : 呉市道幸町3号線
起点 : 呉市幸町1番地地先
終点 : 呉市青山町10番地地先
延長 : 210m (幸町3号線216.5mの一部 )
幅員 : 18.5m (最大27.5m、最小16m)
歴史
呉は近世までは散村で、1890年(明治23年)呉鎮開府以降に発展した都市である。元々この地は古代から亀山神社が鎮座していたが、呉鎮開府時に接収され司令長官官舎およびその関連施設群(現入船山記念館)が整備された。

この道は中世から近世にかけてここに存在していたかは不明で、近代以降は海軍敷地内にあった道で呉市中心部から呉鎮・呉工廠や呉海軍病院(現国立病院機構呉医療センター)を結ぶ道であった[5]。ただし、戦前の都市計画図などの民間の地図ではこれらの施設は記載されていないため、現存する地図ではこの道の存在を確認することができない。呉軍港空襲での被害状況は不明。

1924年呉市作成の都市計画区域図。右側に広島湾要塞司令部と呉鎮守府の検閲済みと記載されている。

1945年第一復員省作成の戦災概況図
戦前の呉市地図。海沿いの呉鎮および呉工廠の道路は記載されていない。
終戦後、旧海軍施設はイギリス連邦占領軍が接収し、のち大蔵省(現財務省)に移管、つまり国有地であった。1966年(昭和41年)この道を含め公園敷地は呉市に無償貸与され、市はこの地を史跡として指定して古名をとって「入船山公園」と名付け、以降呉市が管理していた。さらに、国から譲与を受けた旧指令長官官舎については国から重要文化財として指定を受け、史料館、文書館を増設しながら郷土史料を収集保存・展示し、この翌年である1967年(昭和42年)に入船山記念館として開館している。そして呉市制施行80周年記念事業の一環として呉市立美術館整備が決定され、その前の通りとして同様に1981年(昭和56年)再整備された。2010年(平成22年)旧軍港市転換法に基づき、この道を含めた公園一体は呉市に無償贈与された。

「自然と美術の調和 美しき道のあるお宝!の巻」(美術館通りと呉市立美術館) – 中国放送
呉市立美術館前を彩る通りであり、歩道は美術館外観と同色のレンガタイルやレンガブロックが敷き詰められている。また屋外芸術が点在し「芸術の散歩道」の景観を呈する。以下、沿道の美術作品を列挙する。

工藤健
トリオソナタ バイオリン
トリオソナタ フルート
トリオソナタ ハープ
菊竹清文 SKY-SCAPE
芥川永作 「帰る人」の像
圓鍔元規  春うらら
黒川晃彦 切り株に座って
関孝行 うでをくむ男
山本正道 思い出
飯田義国 天の小さな柱(鴎よ!)

柳原義達 しゃがむ女
茂木弘行 ゆめ
上田直次 愛に生きる
水船六洲 斧
空充秋 くれの木
籔内佐斗司 走る童子とカエル
高橋秀幸 美の王国の入り口で・・
日新製鋼 自然に還る

沿道の松並木は戦前から植えられたもので、樹齢は400年を超える。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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