2024.12.27 法然院、真如堂、金戒光明寺 Honen-in temple, Shinnyodo temple, Konkaikomyoji temple

■法然院
通称:法然院(ほうねんいん)
山号:善気山(ぜんきさん)
寺号:萬無教寺(ばんぶきょうじ)
本尊:阿弥陀如来

浄土宗系単立寺院。鎌倉時代初め、専修念佛の元祖法然房源空上人の弟子である安楽・住蓮が鹿ケ谷に念仏道場を開き六時礼讃(阿弥陀仏を昼夜に6回拝む)を勤めたことに由来します。1206年(建永元年)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫の二人が安楽(遵西)・住蓮を慕って密かに出家した事が上皇の逆鱗に触れるという事件が起きました。結果、念仏が禁止され、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。1680年(延宝8)、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂(にんちょう)和尚によって、翌1681年(延宝8)に安楽・住蓮の両僧を供養する伽藍が建立されました。
浄土宗内の独立した一本山でしたが、1953年(昭和28)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となりました。通常伽藍内は非公開ですが毎年4/1~4/7と11/1~11/7の年2回、伽藍内部の一般公開を行っています。境内には谷崎潤一郎、九鬼周造、河上肇ら多くの文人の墓があります。

見所
・白砂壇(びゃくさだん)
山門を入ってすぐの場所の両側に白い盛り砂があります。水を表わす砂壇の間を通ることで心身を清めて浄域に入ることを意味しています。

・講堂
1694年(元禄7)建立の大浴室で1977年(昭和52)、内部を改装し、現在は講堂として、講演会・個展・コンサートなどに利用。

・本堂
1681年(延宝9)5月に客殿造りの堂宇がまず完成し、1688年(貞亨5)再建時、佛殿と拝殿を別設。堂内には、本尊阿弥陀如来坐像の他、観音・勢至両菩薩像、法然上人立像、萬無和尚坐像を安置している。本尊前の須弥壇(直壇)上には、二十五菩薩を象徴する二十五の生花を散華している。

・経蔵
1737年(元文2)建立。中央に釈迦如来像、両脇に毘沙門天像と韋駄天像を安置。また多数の経典の版木を所蔵。

・方丈
1687年(貞亨4)、もと伏見にあった後西天皇の皇女の御殿[1595年(文禄4)建築]を移建。狩野光信筆の襖絵(重文・桃山時代)と堂本印象筆の襖絵(1971年作)が納められている[夏期は収蔵庫に保管]

・方丈庭園
中央に阿弥陀三尊を象徴する三尊石が配置された浄土庭園で中興以来、清泉「善気水」が絶え間なく湧き出ています。洛中名泉の1つとして知られています。

・地蔵菩薩像
本堂正面の石段上にある尊像で1690年(元禄3)、忍澂和尚46歳の時、自身と等身大の地蔵菩薩像を鋳造させ、安置されたもの。

・椿の庭
敷地内に椿が多く本堂北側の中庭には、三銘椿(五色散り椿・貴椿・花笠椿)が整然と植えられている。花期は3月下旬から4月中旬。
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■真如堂
名称:真如堂(しんにょどう)
山号:鈴聲山(れいしょうざん)
正称:真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)
本尊:阿弥陀如来

円仁が唐から帰国する際、船上に現れた阿弥陀如来を彫刻して延暦寺の常行堂に祀り、984年(永観2年)、戒算(かいさん)が、この像を移したのが始まりで伽藍が整備されたが応仁の乱(1467-1477年)で焼失し、室町幕府第8代征夷大将軍の足利義政の寄進により現在地に再建されたもの。紅葉の名所として有名で、寺の南に隣接して金戒光明寺があります。1717年(享保2年)再建の本堂は京都市内の天台宗本堂としては最大規模で重要文化財。本堂北西には洛陽観音霊場として知られる新長谷観音堂、別名、新長谷寺(しんはせでら)がある。本尊の阿弥陀如来は洛陽六阿弥陀仏巡りの一つ。
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■金戒光明寺
名称: 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)
通称: くろ谷さん(くろだにさん)
山号: 紫雲山(しうんざん)
宗派: 浄土宗
本尊: 阿弥陀如来
創建: 1175年(承安5年)
開基: 法然上人(源空)
場所: 〒606-8331 京都市左京区黒谷町121
電話: 075-771-2204
札所: 洛陽三十三所観音霊場巡礼 第6番札所
アクセス:
・京都市バス(32・100・203・204系統)で岡崎道下車。徒歩10分
 京都市バス(5系統)で東天王町下車。徒歩15分
・駐車場は乗用車 30台(黒谷駐車場 60分 400円 / 最大 800円)
 で大型バス駐車場は有りません。

説明
浄土宗七大本山の1つ。浄土宗の総本山である知恩院ぶ格式の寺院。当寺は別称として「くろ谷さん」や「白河禅房」と呼ばれ紅葉の名所として有名。1175年、法然上人により開かれた寺院です。本尊を阿弥陀如来。通称をくろ谷さん(くろだにさん)。幕末の文久2年閏8月1日(1862年)9月24日、会津藩主の松平容保が京都守護職に就任すると、京都警備の拠点として本陣を置いた。兵士1,000人が京都を京都に常駐させ1年おきに交替したが人数不足を補うため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置いて、治安維持に当たらせた。1868年10月の大政奉還に伴う王政復古の大号令により、薩摩藩・長州藩が京都市中の支配権を確立し、京都守護職はわずか6年で廃止された。会津藩ゆかりの地として、ここには鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士が祀られている。

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