広島東照宮 広島市東区二葉の里2丁目1−18  #広島 #広島市 #東照宮 #神社 #徳川家康 #歴史 #被爆建物 #文化財 #二葉山 #広島藩 #江戸時代 #広島県 #広島駅 #再建

広島東照宮 広島市東区二葉の里2丁目1−18  #広島 #広島市 #東照宮 #神社 #徳川家康 #歴史 #被爆建物 #文化財 #二葉山 #広島藩 #江戸時代 #広島県 #広島駅 #再建  20240425 1   @akibingo

開業: 1648年
電話番号: 082-261-2954
主祭神: 東照大権現(徳川家康)
創建: 1648年(慶安元年)

広島東照宮は、広島県広島市東区の二葉山山麓の約300 mの高台にある東照宮で、尾長東照宮ともよばれている。現存する被爆建物の一つであり、それらは広島市指定文化財となっている。

御由緒
広島東照宮は徳川家康公を御祭神にお祀りした神社です。家康公薨去(こうきょ)後33年忌に当る慶安元年(1648年)、当時の広島藩主浅野光晟(みつあきら)公(浅野家第四代)によって、広島城の鬼門(北東)の方向に当たる二葉山の山麓に造営されました。光晟公の生母は、家康公の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康公の御遺徳を敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀りました。歴代藩主、社領三百石を付し、広島周辺の崇敬を集め、春秋の祭礼の外、家康公薨去後50年に当る寛文6年(1666年)以後は、五十年毎に盛大な祭典が行われました。 社殿は、「二葉山山麓に位置し、観望の美麗なるは、毛利氏広島に築城以来、第一のもの」と云われていましたが、昭和20年8月6日の原子爆弾(爆心地から約2,200m)の熱風により、桧皮葺本殿、中門、瑞垣、拝殿は焼失。 現在の社殿は、昭和40年4月、家康公薨去後350年祭を記念して再建されました。

文化財
被爆による焼失を免れた唐門・翼廊・手水舎・本地堂・御供所・脇門・神輿および麒麟獅子頭は、広島市指定重要有形文化財です。創建の頃より存在するもので、広島の歴史・文化上価値が高いものです。

御神徳
東照公の御神徳は、一言で言えば下の御遺訓に示されます。

家康公は、天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城で誕生されました。 当時の日本は、戦国時代と呼ばれた戦乱の世であったので、幼い時から人質にとられ大変な苦労をされ、困難な道を歩まれました。しかしよく困難に耐えて、堅忍自重、時節の到来を待って、混乱の社会に新たな秩序をつくり、学問をすすめ、産業をおこし、国民生活の安定を図り、江戸時代260余年にわたる輝く文化と、平和の基礎を確立され、近代日本の進展に偉大な寄与をされます。その功績は近年海外においても、高く評価されるに至りました。 元和2年(1616年)4月17日75才をもって駿府城で薨去されましたが、朝廷より、東照大権現の神号宣下があり、神に祀られました。 この御遺訓は、公がその生涯の体験から、身をもって示された処世の秘訣と云われていますが、今日においても、一段と深い意義を示しています。

金光稲荷神社
広島の由緒ある家内平安と商売繁盛の神様

御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ・稲荷大神)

御由緒
今から約250年前、元禄の頃よりこの二葉山山頂に祀られた、東照宮の境内社です。 その遠き昔より、商売繁盛家内安全等、諸願成就の神様として神威赫々たるにより金光稲荷大神と稱えられてきました。 山頂の奥宮までの階段約500段、朱塗鳥居120数基、毎月1日・15日には、広島一円から多数の参詣者があります。

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