「鯤(こん)」 栄久庵憲司 作  広島市中区基町15番2-1号 空鞘橋東詰北側   #広島 #広島市 #こん #モニュメント #海と島の博覧会 #栄久庵憲司 #基町 #観光 #サッカースタジアム #鳥

「鯤(こん)」 栄久庵憲司 作  広島市中区基町15番2-1号 空鞘橋東詰北側   #広島 #広島市 #こん #モニュメント #海と島の博覧会 #栄久庵憲司 #基町 #観光 #サッカースタジアム #鳥 20240522 1 @akibingo

広島市中区新サッカースタジアムの傍らに、鳥のような形のモニュメントがたたずんでいる。市中心部でも注目度の高い場所の一つだけに、いったい何なのか気になる人も多いのでは。調べてみると、向いている方角にも意味があることが分かった。

 鳥のような翼とクジラのような長い胴体。ステンレス製で全長15メートル、翼の長さは18メートルある。高さ6・5メートルの支柱の上で、まるで飛んでいるような、泳いでいるような…。作品名は「鯤(こん)」という。中国の思想家荘子の話に出てくる想像上の巨大な魚だ。鵬(ほう)という鳥に変身して飛び立つ伝説を基に作られた。

平成元年(1989年)に西区で開催された「海と島の博覧会ひろしま」のシンボルとして博覧会会場に設置されたものが、開催後中央公園に移設、そして2010年にこのサッカースタジアムの傍らに移設されたもの。

栄久庵憲司 作 「鯤(こん)」

日本を代表するインダストリアル・デザイナー、榮久庵憲司。 戦後日本の日常生活のあらゆる場に、優れたデザインを残した。 代表的な作品としては、半世紀以上もその姿を変えずに世界中で使われている「卓上しょうゆ瓶」が挙げられる(昭和36年発表。現在はニューヨーク近代美術館にも収蔵されている)。そのほか、オートバイ(YA-1)、アップライトピアノ、郵便ポスト、成田エクスプレス、新幹線「こまち」、博覧会場の施設など、関わったジャンルは多岐にわたる。一貫していたのは、「モノの声を聴き、心を感じる」という榮久庵独自の考え・『道具論』。それは栄久庵のもう一つの顔「僧侶」としての精神から生じていた。
昭和5年、浄土宗の僧侶の息子として東京に生まれる。生後すぐに一家はハワイへ移住、父は開教師として働き、榮久庵はアメリカのモノ文化に触れて育つ。昭和12年帰国、15歳で海軍兵学校へ入隊。終戦と同時に父が住職をしていた広島へ向かうが、一面の焦土に衝撃を受ける。特に、焼けた市電や自転車が発する「助けてくれ」という叫びが耳に届き生涯心から離れなかった。その後、父の後を継いで僧侶に。亡くなった方々の供養を重ねる中で、「仏(ぶつ)と物(ぶつ)。多くの人に平等にモノが行き渡ることで、人々の魂も救われる」と、工業デザインを志す。僧侶の傍ら、東京藝術大学で当時は未知の分野だったインダストリアル・デザインへ進出。「使いやすくて美しい量産品」を目指して、仲間(GROUP of KOIKE)とともに、多くのデザインを生み出した。一方で、「small but BEAUTIFUL」や「幕の内弁当美学」といった独自のデザイン論で、日本ならではの道具と人との関係や日本文化としてのインダストリアル・デザインの価値を国内外に向けて説き、職能の理解促進に尽力した。「デザインに出来ることは何か」と、災害など新たなデザインの領域にも早くから着手、後進を育成する一方で、人とモノの関係性を見直し社会のありようを考える「「道具寺構想」など、最後まで独特の哲学で日本のインダストリアル・デザイン界を牽引した。

北(きた)の冥(うみ)に魚あり。
其(そ)の名を鯤(こん)と為す(鯤という)。
鯤の大きさ、その幾千里なるかを知らざる也。
化して(形が変わって)鳥と為るや、其の名を鵬(ほう)と為す。
鵬の背、その幾千里なるかを知らざる也。
怒(ど)して(奮い立って)飛べば、
其の翼(つばさ)(は)垂天(すいてん。空一杯)の雲(くも)のごとし。
是(こ)の鳥や、海の運(うご)く(嵐で海が荒れる)とき
即ち将に南(みなみ)の冥(うみ)に徒(うつ)らんとす(天翔(あまかけ)る)。
南(みなみ)の冥(うみ)とは天(てん)の池(いけ)なり。
鵬が南(みなみ)の冥(うみ)に徒るや
水に撃(う)つ(海上を滑走して浪立てる)こと三千里。
つむじ風に搏(う)ちて(羽ばたきをして)上(のぼ)ること九万里。
去るに六月の息(いき)を以(もっ)てする(六月の暴風に乗って飛び去る)者也。

「荘子」逍遥遊篇より

製作 栄久庵憲司

 中国の古い書物に、鯤(こん)という巨大な魚が大きな鳥に変身して翼を空一杯に広げて飛び立つという話が記されています。
 このモニュメントは、鯤を素材として、21世紀に向かって大きく羽ばたく広島をイメージして作成されたものです。

’89海と島の博覧会・ひろしまの開催を記念して設置
広島市

(案内板より)

鯤の案内板

「むかし、北の海に鯤という魚がいた。
その大きさは何千里あるのか見当もつかないくらいだ。
鯤が化身すると鵬という鳥になる。
鵬の背中の大きさも何千里あるか分からない。
鵬が翼を広げて飛びたつと、空一面を覆う雲のようである。
海が荒れる季節、鵬は南の海(天の池)を目指して飛び立つ。
海の上を羽ばたきながら3,000里飛び、つむじ風を羽で打って9万里ほど上がる。
鵬は南の海に着くまでの6カ月間、休むことなく飛び続ける。

…だいたいこんな内容かの」

「何千里、何万里いうて、中国らしい壮大な話じゃね」

「白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)の世界じゃもんの」

「魚の「鯤」が鳥になったら「鵬」と名前が変わるんじゃね。鵬いうたら、「巨人・大鵬・卵焼き」の横綱・大鵬もここから名前を取っとるんかね?」

「そのとおり。大鵬という四股名(しこな)はこの話から取っとるんじゃそうな」

大鵬という彼の四股名は、中国の古典「荘子」にある、翼を広げると三千里、ひと飛びで九万里の天空へ飛翔すると言われる伝説上の巨大な鳥に由来する。
この四股名は、師匠二所ノ関(にしょのせき)が最も有望な弟子に付けるべく温存していたものであり、その点では師匠の期待以上によく育ったと言える。

(「大鵬幸喜」ウィキペディア)

「ついでに言うと、大鵬薬品という社名もこの話から取っとるそうじゃ」

社名は横綱・大鵬幸喜の名前にちなんだものではなく、荘子の逍遙遊の鵬について書かれた一説に由来する(ただし本社の大代表の電話番号は横綱の語呂合わせ4527となっている)。

(「大鵬薬品工業株式会社」ウィキペディア)

「なるほど。名前の由来を調べてみたら、けっこう面白いね。ほいで、このモニュメントを作られたのは誰?」

「栄久庵憲司(えくあん けんじ)という、工業デザイナーの方じゃ」

「工業デザイナーか。どんな物をデザインをされとってんかね?」

「一番有名なのが、これじゃろうの」

「これって、どれ?」

「目の前にあるじゃん」

キッコーマンしょうゆ卓上びん

「…キッコーマンのしょうゆびん?」

「ピンポーン! 正解じゃ」

首が細く、底に丸く広がっているガラスびん。
世界各国のレストラン、ご家庭で親しまれているこのフォルムが誕生したのは1961年のことでした。
デザインを担当したのは、GKインダストリアルデザイン研究所の社長、栄久庵憲司さんらのグループ。
栄久庵さんは現在、日本の工業デザイナーの第一人者として世界的に知られる存在で、「成田エクスプレス」のデザインも手がけています。

商品開発当時、最大の難題は「液だれ」でした。
注ぐために傾け、それを元に戻すと注ぎ口からもれてしまう。
そのため、しょうゆさしには必ず受け皿が添えられているものが多かったのです。
100以上の試作と思考錯誤を繰り返した末に、とうとう誕生したのが現在の液だれしない形です。
人間工学に基づきながら、握りやすさ・安定感などの機能性も追求し、さらには親しみやすく美しいデザイン。
1993年には通商産業省の「グッド・デザインマーク商品」に選定されました。
発売当初から改良の余地のない完璧なデザインがロングセラーという結果を生み出しているようです。

(「しょうゆのおいしい話」キッコーマン)

「へぇ、メーカーの人じゃのうて、デザイナーの方がデザインされたんじゃね」

「それまでのしょうゆ差しは、しょうゆを注ぐたびに垂れよったけぇ、容器やテーブルを汚しよったんじゃそうな」

「それで、液だれせんような構造を考えちゃったんじゃ。「100以上の試作と思考錯誤を繰り返した」って、すごい努力をしとってんじゃね」

「で、どうやって液だれを防いだか知っとる?」

「注ぎ口の下側をカットしちゃったんよね。こうすることで、しょうゆが下に垂れることがなくなったんじゃと」

「おぉ、さすがは主婦。よう知っとるのう」

「これくらい、常識じゃん」

「あと、それまで陶器製じゃったのを透明ガラスにしたけぇ、残量が一目で分かるようになったんじゃと」

「1961年じゃけぇ、もう50年も使われとるんじゃね」

「発売開始から一度もデザインを変えとらん、文字どおりロングセラー商品じゃのう」

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