少彦名神社 愛媛県大洲市菅田町大竹 2024年1月24日

今回は愛媛県大津市にありますえ少な飛行
な神社こちらの方へ来ておりますえこの日
はですね見ての通りこのように大雪が降っ
ておりますこんなに積もることってま大子
でも比較的珍しいんではないかなという
感じでえちょうどカンパが来ておりました
ただあの松山市の方はですね全く積雪は
ありませんま多少え雪がちらつくかな
ぐらいでえツモるというようなことは全く
なかったのでえこちらの方に来る時もえ
まさかこんなに積もっているとは思わずに
え来てしまいましたで路面なんかももしか
したらあの国道外れたらえこう通行があの
普通の夏用タイヤのえ車で来ておりますの
でえ危険かもしれないと思いながらえやっ
て来てみたんですが道ははいあのその立ち
の部分はきっちり溶けていたのでまそれで
もあの橋を渡る時はあの橋の上は完全に
凍ってるような状態でしたのでえ非常にえ
慣れてない私としてはえっっかびっくり
ここまで来ており
ますでえ参道をこのように歩いているん
ですがもう雪に追われていてですねあの
普段とはちょっと景色がえ違ってしまって
おりますあのようにあのあ内版とかがあの
ありますのでこちらの方というようなこと
が書いてあるのでそれに従って進んでいく
んですがえ先ほどのところで左にも分岐が
あったと思いますまあちらの方からもえま
帰り道ですねはいそちらの方からあの出て
くるような感じでやはり参道がついておる
んですがそのまあの工事の人たちなのかま
あの交番のような建物が横にありますので
えそこの敷地内をここそのような道がつけ
てあるんじゃないかなというような感じな
んですけどなんせこのように雪に覆われて
しまっていてえよくわからないで小川も
流れておりますあの一応ここが川かなと
いうようなあの引っ込み方はしてるんです
があのそのヘリの辺りまで行くと雪がただ
上にかさってるだけだったりするかもしれ
ないのでちょっとこの日はあの余計な
ところに行かないようにえあの慎重に進ん
でおります
でえここからですねまた左に橋を渡った先
にえあのような休憩所のような屋根があり
ましてはいでま結局こちらのあの休憩所
方面から降りてくることになったんですが
あの石作りの何か形代車かなというような
ものがありますこれはま後でえ分かるん
ですけど下宮ですえこの上までですねえ
歩いて上がったりすることが困難な方の
ためにこの下のところででお参りができる
ようにという宮があそこにありましたで
この神社が祭っているえ少な彦の命という
神様なんですがこれは日本神話に出てき
ますえ大国主の命えこの人がま日本の国を
作ったとされている神様なんですがえ全国
を回ってですねえ農業とかあと医療とか
そういったようなものをま教えて回って
人々にその生活の基盤というようなものを
え教えて回ったというえ神様ですでえ有名
な稲葉の白うさぎというのもあのその途中
の話らしいんですがま私あんまり詳しく
ないんですがそのお世話をするまあの補助
をするためにえ一緒に同行してまったのが
この少な彦の命という神様なんだそう
ですでですねえその一向があの伊の国と
いう書の中もうこのあの原点の方は失われ
てしまっているそうですただあの他の書の
方にですねこの一部がえ移されていたで
その部分の中にですねえその一向がえ四国
へ渡ってきてイオの国に来た時にその少な
彦の見事が病で倒れてしまったそうですで
えそのえそのためにその大国主の命という
人あの神様がえお湯をえ父深から引いてき
てでそのお湯に使って少な飛行な飲みが
元気になりましたというような一説がある
んだそうですこれがえ道具温泉の始まりと
いう風にされております映像の方に戻り
ますが今え少なひこ神社三ローデンの説明
版まで来ておりますこのサンローデンと
いうのがこの少なひこえ神社の1番の見所
というところですはい今見えているこの下
に柱がえ何何本もありますえ1番長いもの
で1番奥が13mの1本の木の柱これを
あの何本も立ててこのようにえこのえ建物
を支えているんですがもうあの地面の上に
建物が直接乗ってるのはまあ10%もない
ぐらいのもうほとんどが中に浮いていると
いう建物ですでええ大津のこの有子の人
たちによって昭和9年にえこちらは立て
られたということですでえこの後で行き
ますえ配電本殿これらが立てられたのも
昭和7年まそれまでにはえもう神社あの
もっと昔からあったようなんですがその
もう失われてしまっていたということの
ようですはいこちらのえサローデン自由に
えお入りくださいというようなことがえ
入り口のところに書いてありますはいでえ
せっかくなので上がらせてもらいました
でえまこちらが立てられた後もですねえ
あのやはりこう痛んでしまってえ立ち入り
とかがあの危険な状態にずっとなって
しまっていたそうですでそれをえまたえ
こうもえ修復するということでえそれが
完成したのがえ平成24年ですので今の
この綺麗な状態になったのは平成24年と
いうことですなのでそのこれだけ立派なが
ある割にですねそんなにこう致命度が高く
ないえすごい建物があるのに例えばま大津
観光で行った時に真っ先に上がるその大津
城だとかえ我流山荘だとか富山とかといっ
たところに比べるとちょっと致命度が一段
低いというのはまそのえこのようにえ公開
されるようになってからまだ日が浅いと
いうことがま原因なんではないかなという
風に思いますで今あの窓の外に見えていた
あの山あれが富山ですはいちょうど
こちら側の方からえ富ます山公園に上がっ
ていくえ車の道がついておりますで今あの
実はこう戸が開いてたのでえ前に来た人が
えちょっとその開けたまま帰っちゃったの
かなと思ってそっと閉めたんですがでよく
見ると反対側も同じぐらいえ透かしてあっ
たのでこれは湿気がこもらないように意図
的に開けてたんだなと思いましてえ後で
こっそりまた元の状態に戻しており
ますでその近くの富山公園なんですがえ
公園の上の方え展望所になっておりまして
ここからですねえ大津の市街地が一望
できるというあの非常にいい場所にある
公園ですでえまた花の時期なんかにはあの
人でもとても多いえ人気の公園ですで冬場
はですね大津は盆地にありますのであの
よく雲海に沈む街でもあり
ますそのえ雲海に沈んだ町をえ上から
見下ろすというま格好の場所でもあります
でえこう先ほどの三六電からですねの景色
がそういうのがもし見れたらもっと良かっ
たんですが残念ながらその
富山がまちょうど邪魔になる格好でえ市街
一の方はここからは全く見ることができ
ないちょうど真裏側にあるのがこのえ少な
彦なミ神社ですでえ現在この三ロデやえ
車田配電などですねこれらがあるえこの
場所はえ昭和の初めにえできたというのは
先ほどご説明したんですがえこの神社自体
のこの由来というかえ優勝ですねこれはえ
これもちょっと正確にえどこから始まった
というのは分からないみたいなんですが
もう1400年代の頭ぐらいえ大津は当時
はイオ宇都宮市ですねがえこの納めていた
当時えすでにその宇都宮市からこの神社に
え何か奉納されたというようなそういう
記録はあるそうですなのでまそのぐらいえ
室町時代にはすでにえその神社がここえ
この辺りのま場所は変わっているかもしれ
ないんですがあったということのようです
でえその後ですね戦国時代に入りましてえ
また神社がえその改築をされたというよう
な記録があるそうですでえまその後廃れて
しまったようででえ明治時代に入りまして
でこのえハセ山という山の麓にここはある
んですがその山頂の方にですねえ五両それ
と祠これがあることがえ見つかったそう
ですでえ大正時代に入りましてそこからえ
ま勇の皆さんによって復興しようという
ことでえ神楽殿ですとか山の中にそういっ
た建物も建てられてでえこの今見て
いただいているハデ奥の本殿これが昭和7
年で先ほどの三ロデがえ昭和9年ですねに
え立てられましてえかなりえその内容地区
一体でえこう参拝者がいらっしゃるような
えとてもえ賑わう神社になったところが
ですねまた戦後に入りましてあの管理など
えできなくなってまた廃れてしまっていた
これをえ後にま復興したというのが現在の
えこの神社ということですでえ映像の方
ですね今配電の左側の方へえ回り込んでき
ておりますえこの先えこれ今見えている
裏側これが本殿ですね非常に立派ですあの
規模としてはですね神社としてそこまで
配電なども大きいわけではないんですが
本殿がとにかくえ立派な作りをしているな
という結構印象に残るはいそういう建物だ
と思いますでえ脇にこのような石段があり
ますのでまこれえもう私の修正としてこう
いうのを見ると先をえ確かめずにいられ
ないというはいでえこれをずっと上がって
いっておりますがずっとそのま先ほども
言いましたようにあの山頂付近の方にま5
両があるつまりま奥宮がえあるというのは
もうこの時点では確定的だなというのが
あるのでこうどんどん山の上に登っていっ
ておりますのでえそこまでまちょっとこれ
だけの雪ですしあの普通のあの革靴で行っ
ておりましたので無理かなと思いながらえ
どんどんこう登っていってるんですがこう
林の中に入るとですねまあの傾斜も急に
なりましてずっと1本道でえ上の方までえ
階段が続いているまこういうのを見ると
少なくとも階段の上までは行ってみたく
なるという処分ですのででえこの辺りは
ですねえ石段がこのようにしっかりして
おりますなのでえその段の上に足を
しっかり乗せて進めばあの滑ることは
なかったのでこれなら上まで行けるんじゃ
ないかなと思って登り始めてしまいました
でえこの覆っている雪もですねこれま新切
ですあのアイスバーンになってるわけでは
ないのでえ滑りにく意というのもあって
ついつい登っていってしまっているんです
が実はこの石段が途中まではしっかりし
てるんですけどだんだんだんだん怪しく
なってきますもうこの辺りで傾いていたり
もうずれてしまっているのもぼちぼち出て
きておりますまだあのほとんどの段は
しっかりしてるんですがもう次の段ぐらい
からですね完全に浮いてしまってグラグラ
してるようなものが出てきてでえさらに
登っていくと一部もう完全に段がなくなっ
ていてえ岩の路面をえ登らなければいけ
ないでそこにこう雪が積もっておりますの
でえそこに足をかけて体重かけた瞬間に
ずると滑るっていうようなそういう危険な
場所も出てまいりますでえ最後の踊り場
からえ鳥までもうここまではほとんどもう
段がなくなっておりましたなのでもう四
つばですあの手袋もしてないのにえこう雪
に手をついてでえ片手はこれそのまま
ジンバルを構えておりますので左手は
ずっと雪ん中に突っ込んだまんまみたいな
感じで最後の踊り場からえその鳥のすぐ
手前までえ撮影しながら登りでそこでえ
カメラえポケットに閉まってえ最初の
踊り場まで降りてきたでその辺りまでです
ねもう左手えずっとえほとんどの時間雪触
りっぱなしになっておりましたのでもう
左手の手首から先がなくなったんじゃない
かっていうぐらい完全に感覚が消えており
ましたあのその後しばらくですねもう
しびれぱなしというかあっためてもえ最初
のうちは痛いというような状態になりて
おりましたのでまくれぐれもあのそういう
バカな真似はえ真似しないようによろしく
お願いします雪がなければですねこれを
登ってえ上まで途中に神楽での後とかまえ
その表示板だけみたいなもうたもはない
みたいなんですけどそういったような場所
もありますのでま散策コースとしてもえ
こちらお参りに行くのにえちょうどいい
ぐらいのえ結構歩きがいのあるえ道なんで
はないかなと思うのでまだまあのまたえ雪
がない時にえ来たら是非登ってみたいなと
いう風に思っておりますでえこの道の上
ですねえこれが明治時代にその5両が
見つかったとされている場所なんですが
五良ま普通はま天皇とかそういうえ尊い方
が亡くなったそのお墓ということなんです
けどでここはですねその少な彦の命のお墓
という風にされておりますこれがえっと
この神社に伝わっていたのかそれともその
伊の国不か何かに書いてあったのか
ちょっとその辺はあの私では分からないん
ですがえそのお話の中でえ大国の主の命に
えついてそのま同語温泉でえ病を直して
もらってえそのままですねまた愛媛イの国
ですねこれをずっとま回っていたところ
そのえ菱川を渡る途中にえちょっと事故で
少な彦なの命はえなくなってしまったって
いうようなお話があるそうですえ少な彦な
命がなくなったとかあのえその読みの国に
行ったとかまいろんなパターンで伝承は
あるらしいんですはですがこちらはまそう
いうことで肘川で亡くなったのでその鳴き
からがまその近くに埋葬されたでそれが
この上の5両なんではないかというのがま
ここの神社のあの演技ということですあ
これ映像カメラのアングルが傾いており
ますこれはあの左手をえ雪の中に突っ込ん
でこう手をつきながらえ歩いてるでま足元
も明らかに段がないというのがえ映像でも
分かると思いますこの雪の下が岩になって
てえ足を引っ掛けるこうくぼみを探し
ながらえ登っているというところですでえ
次上に見えているえその踊り場これが最後
の踊り場だったんじゃないかなという
だいぶ上の方まで登ってきててでここまで
来てですねえその石段がだいぶ怪しくなっ
てきて帰ろうかどうしようかでももうあの
完全にえ鳥が見えておりますのであそこ
までは行きたいなとえ色々葛藤しながらえ
少しずつ登っているところですでえまた
神社の演技の話に戻りますがえここは
つまりですね少な彦の命のまお墓これを
祭る神社ま亡くなった場所を祭る神社と
いうまこれは全国でもかなり珍しいえ事例
なんではないかと思いますちょっと他では
え聞いたことがないなあというはいそう
いうえ珍しい演技を持っておりますでえ
映像いよいよここからがえ最後の踊り場
からの最終アタックですでえこの映像で
見るとえ端っこの方はまだ段が残ってる
ように見えるんですがここももうあの
しっかりと足が踏み込めるような状態には
なってないですで真ん中のところはもう見
ての通り段が完全になくなっててえ雪の下
はあの岩という状態だと思いますもちろん
全部え牌で確認したわけではないんですが
なのでですねもう見た目以上にえかなり
危険な状態ですでえまカメラも構えちゃっ
てるので私の場合はえーそうですね左手と
え両足というもう3点でだから3点指示が
できないのででまでもこの登りということ
でまだなんとかいけるということで粘って
粘ってえこの鳥まで行ってやろうという
ところなんですがももう滑ることはえある
程度覚悟の上でえなので顔もえ地面からま
30cmぐらいの高さまで本当にもう
はいつくばるようにしてえ登っております
もう滑っちゃってもま怪我をしないぐらい
の高さを維持していこうという感じですで
えま上まで上がってきてで鳥の先がえま
山道だとまだこれしばらくはい山道上がん
なきゃいけない山道はもうどこでどう滑る
か本当にに危険なので危ないのでもうこれ
はやめようということでえあそこでカメラ
を閉まってそこからでえそのもう赤ちゃん
の高ばいのような体勢でそのまんまあの
後ろ歩きですねでえじりじり降りるという
ような形でなんとか戻ってきたという
ところ
ですでえ画面はサンロデの前まで一気に
戻ってまりましたでサンロデ奥側からこの
ようにえスロープでえぐるっと下の方へ
回り込んでいく道がありましたのでえ
こちらの方へ降りていくところ
ですでえこの下からですねやはり見上げる
アングルというのがこのサンローデンは
一番こう迫力があるというかま1番の見所
ではないかなとでえ写真なんかでですね
やはりホームページとかで紹介されてたり
とかするようなえ時もこの下側からえ取る
というアングルがとても多いですやはりえ
上の建物ももちろん立派なんですがそれを
支える柱これがえま目玉ということですで
今画面の左のこの斜面のところなんかもえ
普段はま草が生えていたりというような緑
が見えるで奥側からあの写真を撮る場合も
やはりその斜面のところは緑ということで
えあまりこの雪の三ロデというのはえ写真
とかでも見たことがないのでえそもそも別
にえ大津は雪が多い雪深いところという
わけではありませんのであのとてもえ
珍しいえこういう雪景色の三ロデを見る
ことができてま結果的になんですけど私は
とてもラッキーだったなという風に思って
おりますでこの奥ですねこれえ補修されて
取り替えられたあの元のえこれ木材がこの
ようにえ展示をしてありまし
たでえまこの説明版がこれ手前側にあり
ましてでその将来の文化剤指てまそれを
見据えてというようなことで保存してある
というようなことなんですがま確かにこの
建物がえ今後もずっとま100年200年
という風にえ維持されていけばえ文化財
指定というのはま間違いないんじゃないか
なとまそれぐらいえ立派なえ迫力のある
建物ですはいでえいよいよえ映像最後の方
へ向かっておりますで先ほどのえ木材がえ
置いてあった建物の前をそのまんまえ道
スロープを下っていくとえ前方にえ最初え
入ってくる時に見えた休憩所の建物こちら
が見えてまいりまし
たでえ右手に移っているえ建物ま工場の
ようなに見えるんですがはいでえその
休憩所のこの
え鉄パイプのようなえもので作ったこの
休憩所なんかもですねとかその手前側のえ
スペースえこの参道とかこの辺りももしか
するとこの工場のえまオーナーさんの土地
なんじゃないかなというような感じでま
そちらがえこのスペースやこういう資材と
かですね建物なんかをご提供されてるん
じゃないかなというような感じですでえ
こちらえこの左の赤いやつですねこれえ
おすな探検体だったかなはい2月25日え
今年2024年ですねえおすな探検隊と
いうことでえ途中であの私が苦労して登っ
ておりましたあの石段からさらに先へ向け
てですねまみんなで探検に行きましょうと
いうようなまそういうイベントをされる
ようですでえそれにえその集合場所として
えこれも最初の方でちょろっと言いました
下宮ですねはいこちらの前つまりま今のの
え休憩所のところですねそちらに集合し
ましょうというようなことが書いてあり
ましたのでもしえこのえ動画その25日
までに見られた方で興味のある方はえ
よろしければ参加されて見られてください
はいえーこちらの映像これで終了です大子
に行かれた際はですねえまちょっと市街地
からえ少し外れたところにありますが富山
公園に行く時には本当についでに寄れる
場所ですのでえ是非えサンローデンの方
行ってみてくださいご視聴ありがとう
ございまし

大洲市にある少彦名神社に、大雪の日に行ってきました。参楼殿が有名で、写真などで見かける機会が多いかも知れません。
なお、近くの菅田町菅田にも同名の神社がありますのでご注意下さい。

2 Comments

  1. そういえば少し前に道後温泉にて少彦名の神様や大国主さまの説明板ありましたね!動画見て思い出しました!

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