【出雲めぐり⑲】⛩️🚗✨美保神社さんは筑紫君磐井の乱に繋がるのか?😨古事記&日本書紀な有名な出雲と山陰を巡りつつ古代史と神話を妄想解釈します😉
はいふきです今回も前回に引き続きみほ 神社さんをご参拝させていただきつつ さらに深掘り妄想を解釈していきたいと 存じますそれでは参りましょうというわけ で今回も前回に続きみほ神社さんを妄想 解釈して参りたいのですがその前に1つ 補足を入れさせていただければと存じます いつもこの不さんの動画をご視聴いただき ありがとうございます返信は控えさせて いただいていますがコメントもいつも 楽しく拝見させていただいております そんなですね前回の動動画のコメントの中 にこのみほ神社さんがみほの社として出雲 の国布に乗ってませんでしたっけていう ような記載がありましたこの件に関しまし ては前回もご紹介させていただきました 通り出雲の国付島君の神社タリストが載っ てあるこの赤い転線の箇所を見て いただければ分かります通りみほ社という 記載はないんです前回の妄想解釈はこれを 元に進めさせていただいたんですが実は ですねちょっと怪しい問題もはんでいるん ですというのもですねみほ神社さんの ホームページの方確認させていただきます とみほ神社さんが言うにはですね出雲の国 吹にみほの社乗ってますっていうことが 書いてあるんですねしかしこちらの出雲の 国ふを見ていただきますと乗ってはいませ んとところがですねこの出雲の国太 ちょっと微妙な文言が書いてありまして この赤い点線の最後の箇所に神社さんの数 が書いてあるんですがその数が45か所え そうだっけっていう感じなんですよね こちらの神社さんのリスト見させて いただきますと12345個しかないはず なんですよところが45個あるよって書い てあるんですよね全然数が合わないんです が実はこれに対してですね別の資料が ございましてその出雲の国不機の呼ばれる 資料によりますと島根軍のこの赤い点線の 箇所にみほのががあるはい乗ってるんです よみほ社がというのもですねどうやらこの 出雲国付の社本の中で最も古いものとされ ているものには見本の野の記載はないん ですが江戸時代以降に注釈所などが出され ていまして訂正された付の社本が出回っ てるようなんですよ実際どっちが真実なの かというのは謎なんですがそれ以降の出雲 の国付の社本はその訂正版に沿って作られ てるっぽいんですねですので訂正された 出雲の国付には確かにみほの社という記載 がありますでおそらく美穂神社さんなどの ホームページはその訂正された出雲の国不 の情報を採用しているのかと存じますで やっぱり問題はこの訂正はあくまで江戸
時代以降の人たちつまり公生の方々の印象 で訂正されてしまっていますのでこの美本 社が元々の出雲の国付に乗っていたかどう かという判断が突きかねますおそらく訂正 版は演技式などを参考にしつつ訂正して いると思われるのでこの元々の神社さん リストの方にもこの島根軍に45個の社が あるって書いてあるんですけどこれも ちょっと多すぎるんで微妙なんですよね 結局のところ真相は闇の中この辺の判断は 読み手の方がどちらにロマンを感じるかと いうところなのかもしれませんというわけ で前回の補足はこの辺で止めさせて いただきまして今回の話をさせていただき ますと実はこの美保神社さんには遺跡が あったようなんですねねあの美保神社さん の放物湖付近にあったようでまその発掘の ですね結果が報告されていたりしますので まずはそちらをですねご紹介させて いただければと存じます1つ目の情報とし ましては美保神社さんのホームページの方 にですね実はこの遺跡から発掘されたもの が記載されておりましたその情報をですね 参照引用させていただきますと読み上げ させていただきます経内地からえ4世紀頃 の真玉の破片や雨声などの宗教儀式で捧げ たと考えられる6世紀後半頃のこれはドバ ですかね土の馬と書いてドバがえ出動して おり古墳時代以前にも何らかの祭祀がこの 地で行われていたことが伺えますさ最後の 文章ちょっとえなんか筆たらずなえ気がし てるんですけど古墳時代以前にも何らかの 最があったって言われても4世紀も6世紀 も古墳時代なんですけどどういうことなん ですかねまちょっと筆たらずなものだった のかなというような気が若干しているん ですがまそれはちょっと後ほどのえ結果も あったりするんでそちらで参照させて いただきますとしてさてここでやっぱ気に なるのは土の馬ですよね馬蟹とどう違うの かなっていう気がちょっとしてもいるん ですがま6世紀後半頃のですね土の馬と いうことですので時代的にはですねもう 古墳時代後期というかアカ時代に突入して ますですのでそがのうこさんとかの時代 ですまとにもかにもそんなアカ時代に突入 している頃もここちらではですねどうやら 祭祀が行われていたということがここから 見てとりますそしてもう1つやはり古い 歴史の方を見とかせていただきますと やっぱり4世紀ですよねこの4世紀といえ ばなんてたって空白の4世紀ま古墳自体 前期ですこちらは真玉の破片ということな んで玉作りというですねまそちら関係なお 話なんだろうなっていうのがないとなく
分かってくるんですが玉作りに関する情報 に関してはこちらえ島根県美保神社形代 遺跡湿度の玉作り資料という研究報告結果 加藤さんとですね山浦さんの研究報告結果 がありましたのでえこちらの方参照引用さ せていただければと存じます付さんの方で えちょっと情報をピックアップさせて いただきましたがまちょっと間違っている かもしれませんのであの正確なものはです ね資料の方ご参照いただければと存じます まずは読み上げさせていただきます1つ目 石材の999%が壁玉のため壁玉に限定し た玉生産を行っていた2つ目攻防遺跡が 発見されないことから臨時的な生産が想定 される3つ目遺跡が海浜に立地し明瞭な 生活以降が検出されないことから他の 玉作り遺跡とは違った祭祀行為との関連性 を伺わせる4つ目みほの関から壁玉沖山の 黒曜石稲葉や岩見地方の土が混在すること から活発な会長交通の幼少を想定させる はいというわけでちょっと変わった遺跡 ぽいえ雰囲気が漂っているんですがえ 玉作りのですねま痕跡が伺えることから 玉作り遺跡さんなんですけど攻防がなくて ですね石材はですねあの以前ご紹介させて いただきました玉作り友神社さんあの付近 からですねどうやろ持ってきてるっぽいん ですよただあの辺って確か赤目のとかがえ がっつり取れる場所だったりするんですが えそういった赤目のとかは全然こちらでは 発見されず壁玉が99%でこんな壁玉に こだわってる遺跡ってめったにいない らしくてまこんな特定99%で特定すぎ ますよねだからなんかちょっと変わってる ねというような雰囲気がありますでですね やっぱりこちらはですねま玉作りの遺跡と いうよりは祭祀っっていうところがですね 関係性が高そうでというのもまずまこちら にも書いてある通り生活のやっていたよう な意向が全くないんでここにあの住みつい ていた形跡っていうのがあんまりないとま 半島の突端ですからねあんまり住みやすい とではなかったでしょうかつですねこちら の遺跡さんの他にもですねこのみほ関の ですね付近にはですねあの古墳がたくさん あるんですよ古墳がたくさんあるという ことはあのお墓だらけってことですのね 要するにですねま祭祀分母祭祀が行われて いたですのでこちらにはですね人が 住みついて何かをしていたというような 場所ではなくてま特別な祭祀をですね行う 場所だったんだろうなということがですね なんとなく伺えてまりますでその最初の 場所でお祭りされていた神様がみほすの命 でどうやらですねこちらはなんかえ野王
時代の時もちょっと見つかってるみたいな んですけどほとんどですね古時代っぽい ですはいというわけでですねまこれまでの ですねあの情報とえまた重ねて確認させて いただきますとどうもこの出雲地域はです ねまこれまで木さんが調べてみた感じでは ですね3つぐらいのですねえ地域に分け られですねまそれぞれがですね時代が ちょっと違いますといつも西武の頃はです ね2世紀3世紀頃を中心にですね西に分母 軍やですね公人谷遺跡といったですね野王 時代にですねえかなり栄えていた地域が ありましたしかし何やら栄子制水があった のかそんな栄えていた地域は西から東の方 にですね4世紀5世紀の頃はずれていき ます4世紀5世紀の頃は古墳時代前期から 中期どうやらこの辺りに住みついた一族 おそらく雲のオ国造家の方々は玉作りの 技術を財源にどうやらこの一族は栄えて いったようなんですが今回の美本神社さん の場所もですねおそらくこのま4隻以降と いうことなんでこのエリアに含まれそして お祭りされている神様はですね北陸のの神 様なんで東にバリバリ縁があるおまけに 玉作りまでやっていたのなったらほぼ確定 玉作りのエンジニアの方々が北陸の方から ですねおそらくこの出雲の東部の方にです ね入植してきたんだろうなというそんな ルートが見えてまいりますですのであの 以前もですねこの出雲市の方々元々東国 出身の一族であってこの島根県在地の一族 ではおそらくないのではないかというよう なことをですねご紹介させていただきまし たがやっぱり今回もですねやっぱ北陸の ですねこの玉作りのエンジの方々が やっぱり来てそうな雰囲気がしてますんで うんま東の方から入植されてきたんだろう なというそんな雰囲気が漂っております そんなみほ神社さんの兄弟をですね色々 探索させていただいたら何やら細い道が こちらにございましたいや山の奥になんか 向かっているこんな道を見つけてしまっ たら行かないわけには参りませんと思った んですが結構険しい普段はテレバーカの布 さんはなんてったって階段苦手残党苦手 山道も苦手いやはやしんどいっす2つ目3 巻正当のモデル実はこちらをですねあの 調べている最中に1つ面白い資料がござい ましたのでえこちらご紹介させていただき ましとこちらはですね国立国会場間 デジタルコレクションさんから引っ張り 出してまいりました美保神社人徳略金に なります前半部分はですね一般的な新話の 情報ま今年の主の神様ですねこちらの情報 が書いてあったりするんですがちょっと
そこの部分はですね省略させていただき まして富木さんが気になったのはですね このえ赤い点線のえ箇所からなんですが こちらにはですね神宮工合が参観正当した 際の事情が書いてありまして今年の主の神 様という方はですねま神宮高校に アドバイスされた方という風になっている んですがこちらのですね美保神社さんの ですね人徳略記によりますとえまずこの 神宮工合党とですね中合天皇がですねあの 熊生正当しに向かうんですがその熊生正当 士に行った理由というものが書かれており ます九州のですね熊の方々がですねま氾濫 を起こしたという内容はですねまあいいの ですがポイントはですね左側の赤い転線の 箇所そちらの情報によりますと白木の国が このクの氾濫を後押し講演していたよと いうような事情が書かれておりますですの で熊政党というものは白木の国との代理 戦争であったということになりますこの 状況を簡単に追いかけさせていただきます と大体こんな感じなんですが時代は空白の 4世紀付近時の天皇は中合天皇とそして妻 となられた神宮皇后このお二方がですね 九州の熊を正当しそして神宮高号はその後 ですね朝鮮半島の方まで正当していったお 話こそがですねいわゆる3艦政党と呼ば れる出来事なんですがその時の状況が大体 こんな感じどうやらですね中合天道はです ね熊の方々と戦っているんですがその後ろ にですねいるのは白木の国そういった事情 をですねおそらく神様パワーで把握してい た今年の主の神様がですね中愛天皇にです ね熊の国を攻撃するよりもですね白木の国 を攻撃しないようというような信託をして いたというのがですねといらこちらでご 紹介されている内容のようですさあこれは なかなか面白い情報でしてこの熊とですね 白木の国が繋がっているというのはですね 乞食にも日本初期にも記述されておりませ んですのでこの神社さんの情報がですね 唯一の情報源という風になってくるんです がですのでこの事情はですねどこにも描か れていないかなり貴重な情報となってです ねいやなかなかいい資料見つけたよとなっ ているのですがしかしすいませんそもそも なんですけど富木さん神宮高校の参観政党 というのはですね創作ファンタジーだと 考えていますですのでまこういうお絵かき をさせていいてなんなんですがおそらく こういった事情ではないだろうなという風 に富木さんは考えているんですがいやいや 富木さん何言ってるんですか神宮高校が 参観正当したことは私事として証明されて いますよ公開同表知らないんですか本当に
ふさんはもを知りませんねはいえそんな 感じのおそらくですねコメントかもしくは ツッコみがですねメッセージで届くんじゃ ないかなと富木さんもそんな気がしている んですがいやはやもうこれが来たらですね 苦笑するしかないとですねもう本当に武 さんも思っているんですですがまそれは ですね解釈の違いだと思いますんでそのお 話は置いといてではですねこの美保神社 さんの信徳略記にはですねこの状況が書か れているんですがじゃあこの状況は一体何 だったんだとなんと言ってもこの状況は ですね乞食にも日本初期にも描かれてい ない事情ですなんでそれを美保神社さんは 出してきているのでしょうか乞食や日本 初期がですね捜索ファンタジーしていると するならばこんなですね新情報を美保神社 さんが出す必要性はないんです乞は日本 初期に準拠した情報だけを出しておけば いいはずにも関わらずなぜこんな新情報を 出してきているのかこの謎を富樹さんが 妄想解釈すると導き出される答えは1つ ですみほ神社さんが伝えている内容は参観 政党ではなく別の出来事を伝えているから はいなんといっても富木さんの動画を見て いただいてるですねあの大先輩初先輩方は ですねなんてったって不さんお詳しい方々 が多いのであのもうこのきしている状況を 見ますとなんとなくですねあれこんな状況 別のとこでもあったよなという風に 思い出される方がですねいらっしゃるので はないでしょうかはいそうそうなんですよ ねこの出来事あの参観政党ではなくて全く 別の出来事なんですよでその出来事という ものがですねこの状況とぴったり来るん ですよその出来事こそがつの君祝のラはい そうなんですよあの九州の方とですね機内 の方がですね戦っていてですねしかもその 九州の方々とですねえ白城の国が後押しし てるま凶暴しているというようなお話と いえばもうこれつの祝いの欄ですこれに 関しては日本初期に記述されていますんで この状況が合致しますただですねちょっと 日本初期に書いてる内容をですね富さんは ちょっとそのまま鵜呑みにはしておらず ちょっとこれはですね妄想解釈する必要性 がある内容だと考えていますんでその内容 に関してはですね古代子観光バージョン 1.さんの世界でですねご紹介させて いただきますがま現時点でですね言える 内容としましてはですね美保神社さんの 伝承というものを加えたですね3艦政党の 情勢というものを考えるとやはりこのツの 祝いのラがこの三観政党という神話の おそらくモデルであったかと存じますまあ
なんと言いましょうか美方神社さんの伝承 は何と言いましょうかその今年の主の神様 はなんてたってま先ほどもご紹介させて いただきました通り奈良時代以降か平安 時代ぐらいにですねこのみほの神社さんに かですね多分作られたと思われるんでま なんでそこでですねこの伝承が伝わって いるのかというのはやっぱちょっとよく わからないところですさあそんなお話をさ せていただきつつですね山道を進んでいき ましたどうやらこの久谷の社さんにですね なんとかたどり着くことができました なんかいいですね森の中にですねひっそり 佇むやしおさんしかもなんかこのやしさん 綺麗ですねこちらもですね是非ご参拝させ ていただきたいと存じます他にも水車さ成 車さんはありましてちょっと海辺の方に あるところなんてなんとも綺麗ですよね すごく雰囲気が良かったです海辺の神社さ んってなんか綺麗ですよねさて今回はです ねこちらでえ終了とさせていただければと 存じますこちらの動画を気に入って いただけましたらチャンネル登録高評価 応援等のコメントいただけましたら幸い ですというわけで今回はここまでとなり ますまた次回もよろしくお願いいたします
ミライースで出雲をドライブ旅😊
古事記&日本書紀な有名な出雲と山陰を巡ります😉
美保神社さんは筑紫君磐井の乱に繋がるのか?😨
◆参考資料
島根県皇典講究分所 編『出雲国風土記 : 校定』,島根県皇典講究分所,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1186554 (参照 2023-12-17)
皇典講究所, 全国神職会 校訂『延喜式 : 校訂』上巻,大岡山書店,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1442211 (参照 2023-06-18)
太安萬侶 [編] ほか『訂正古訓古事記 3巻』[1],河南儀兵衞 [ほか3名],享和3 [1803]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2578740 (参照 2023-06-17)
田中知邦 著『美保神社神徳略記 : 出雲国美保関』,美保神社々務所,明32.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/816122 (参照 2023-06-16)
藤本充安 編『島根県史要』,川岡清助,明40.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/766205 (参照 2023-06-16)
太田亮 著『諏訪神社誌』第1巻,官幣大社諏訪神社附属諏訪明神講社,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983470 (参照 2023-06-16)
神宅臣金太理 勘造 ほか『出雲國風土記』,讀書室世龍 摸,寛政5 [1793]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533538 (参照 2023-06-16)
蘆田伊人 編『大日本地誌大系』第27巻,雄山閣,昭5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1194083 (参照 2023-06-16)
美保神社
http://mihojinja.or.jp/
島根県・美保神社境内遺跡出土の玉作資料
https://k-rain.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2015&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
■ふどきさんの古代日本史考
https://www.youtube.com/channel/UC5Ta7v_I7UsL1xkvho8TYww
■ふどきさんのtwiiter
Tweets by Fudoki_san
■ふどきさんのInstagram
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#出雲神話
5 Comments
美保神社は二社二祭神あり、事代主よりタカミムスビノカミの御子、天津神の三穂津姫命が上座に社を構えています。
風土記記載の、北陸由来国津神の美保須々美神が祭神ではないですね。
大和王権神話普及団は、逆柏手を打って憤怒の死を選んだ、事代主の鎮魂に配慮したのでしょうか。
お天気に恵まれましたね! 青い空が印象的です。
三韓征伐どころか神功皇后の実在すら怪しい時代です。
楽しく拝見しました。
今年は当チャンネルに出会えて楽しい時間を過ごす事ができました。
ありがとうございました。
良いお年を!
あれ?これ言うの早かったかな?
コメント取り上げて頂きありがとうございます。スッキリいたしました。
そして磐井の乱に繋がるとは…妄想が捗ります!
親新羅天皇時代と親百済天皇
外交上の差なのか血脈上?嫁さんの実家?なのか
磐井の乱の真実知りたい
継体天皇から変わった?
東テイ人を深堀してよ。風土記の前。
例えば邪馬台国が北九州や四国だとしたらがっかりするくらいの小国。三韓の一つ分しかない。
茨城県が日高見国で、邪馬台国。女王国として出雲、越、東日本がある。千葉県は阿波忌部氏が入って狗奴国。前方後円墳が多い。伊都国が糸魚川付近。一大国が出雲。福井県が末盧国。
そもそも西日本は稲作や呉服が入っていて、呉の勢力範囲。ちょっと見れば分かる。対馬島から九州は見えているからカン海=海流に乗って南に漕いで九州を避けていける。
倭国大乱はヤマト政権による出雲平定や、日高見国平定の事。
丹後や出雲が耕作地が少ないのに国を作っていたのは、海洋民族だったから。沖縄から出雲、能登、東北地方は日本海流を行き来して人々を、ナマズのような範囲だから呉では東テイ人と呼んでいた。
それか沖縄が邪馬台国。呉に睨みを効かせられる。アマミキヨ族がいた。アマは海人族だから、後年、彼等が琉球王朝を立て、倭寇になって行った。
北九州や四国って範囲が狭すぎる。三韓より狭い。大月氏国に比類しない。畿内説はあり得ない。馬はいたし、ハマグリは取れない。末蘆国からは海を渡るとは書いていない。
紀元後すぐに160人の生口を長安に運んでいる。どれだけの兵士が随行したことか。大きな船か大船団になっていた。陸ばかり見過ぎ。