【どうして家康】静岡が重要拠点になった理由は? 大河ドラマ便乗・静岡の旅
今あなたがご覧になっているスーツ旅行 チャンネルの宣伝です僕は高校生の時に 就職に失敗しましてやることがなくしょう がないからお金持ちになるかと YouTubeを始めましたら本当にお 金持ちになりました手に入れたお金と時間 まだ若いということで体力もありそれらを 活用して色々と旅行の動画を作っています 変な旅行もたくさんやりましたハワイまで 1日で旅行したり東京からロンドンまで 列車と船だけで旅行するというのもやり ました特にご好評いたいているのは歴史的 な道のりをたどるシリーズで例えばは自転 車で東海道や中仙道などの道を走ったこと があり ます今回はタガドラマで大変話題になり ました徳川家康についてです徳川家康は 1603年江戸に幕府を開きましたがそれ からほどなくして静岡スプ城に移って しまいそこで晩年まで大御所として政治の 頂点に君臨しましたこの静岡ですが西側に は安部川さらに険しい山などがそびえまた 東側には箱根などがあり西方面から攻め のってくる敵に対する防衛拠点として大変 よく働いたそうです今回はこの静岡市や 周辺の観光地を巡りいかに徳川家康の選択 が素晴らしかったかということを紹介 できればと思い ますおはようございます今日は秋も深まる 2023年11月19日日曜日公共二橋に やってきましたここからの眺めは日本の シンボル是非東京にお出かけになったら 1度はここからの伏見など見てって ください僕のじゃない僕が言うことじゃ ないんですけれどもここから帰る時に後ろ にずらっと並ぶ東京中心部のビル軍が見事 ですよこれがね二重橋観光の1番のもしか したらハイライトかもしれませんではこの 立派な東京首都の景色は一体誰が作ったの でしょうかもちろん私たちのご先祖が みんなで力を合わせて作り上げたのですが 1人その厚労者を上げるとするならば じゃあお前はここに行って関東の漁となる のだ秀吉に命じられこの田舎であった関東 に移りすまされた徳川家康がじゃあこの 江戸拠点として広大な自分の土地を作って いこうと考えてそして奥に江戸城を開き 明治士によってこのお城は天皇陛下の 持ち物となったのです今は国民の総意に 基づく国有 財産ちなみにワンポイントアドバイスして はですね二重橋あれなんですよねあっちが 二橋有名なこっちがね有名で二重橋だと 思われてるんですがなんか二重にあるん ですけど実は違うという罠が1つあります
ので是非お間違いなく近づくとあんまり 二重橋が見えないですね僕結構高居前に ずらっと同じ高さの高層ビルが並ぶこの 景色が好きでしてま今風に言えば国民の 統合の象徴たる天皇陛下の地位を必要とし ている国民の総を公に向かって示している ように見える しまた江戸は260年間江戸幕府だった わけですが反対側はそして幕府に中性を 誓う五家人たちの武屋敷であったわけです がまるで上様ナーリーというタイミングに ごけ人がずらっとここで皆下を向いて頭を 下げてひれ伏している様子を今に示して いる歴史的な光景のように感じられますと いうことですね今回は静岡に行くんです けれどもこの首都東京の特に中心江戸城は まここに昔ねま山京交代とかで地方から やってきたその大名とかがこうみんなここ で暮らしたりとかね色々用事すましたりと かしてたわけですがその人たちに将軍が 攻撃されて氾濫されてしまうとやばいと いうことが昔あったんですねまともかく 徳川家康がここに江戸城を作ってその後 素晴らしい仕組みを整備して260年間 幕府をここに存続させることができたので その間に首都も大発展いたしましてま今の ような光景につがっていると思いますただ 最初はねもしじゃ江戸城なんこんなんが できてここをもうもう1発ねこうぶっ倒し てやろうみたいな感じで氾濫とかが起こっ てしまうと江戸幕府は大変ということで 考えましたこれよりもはるか西の方に徳川 家康は寸far城という広大なお城を築き 将軍はすぐに辞めてしまって2代目に後を 譲り自分は大護所として静岡の寸far場 に住むことになったのですそして長らく スプと江戸の両方にめちゃめちゃ偉い人が いるみたいな状態が続いていました今回の テーマは東京を守るために作られた静岡と いう巨大な街を見ていきたいと思います ちょうど朝日も差してきて出発にはいい タイミングなんじゃないですか高居の正面 玄関東京駅から出発しましょう20分後の ひり号に乗れるかな良港通りからまっすぐ 行けばかっこいいんですけどねもう今日 寒いから地下から行きますま地下も なかなかいいですよ良港通りは元々高居と 東京駅つぐための道なんで日本の表通り みたいな感じですかねちょうどぴったり でしたね静岡行きの朝の2番と言っていい かな8時3分発ひ5003号で行きますあ 空いてるな一応ね指定席は全部売り切れ らしいんですよだ自由席は東京からだっ たらまあ座れんだろう軽く考えてきました がそれで良かったみたいですあそうか車内
販売がなくなったんだったは弁当がない グリーンに変えようかなグリーンに変えれ ば弁当変えますからね車内でもあの新幹線 が出るまでは発車はしませんがホーム場 車内でお待ちくださいみたいな放送を多分 し始めると思うのでとりあえず乗っとこう 静岡までこの早い列車で行けばわずかに 59分で着きますからね弁当のことを考え てるよりも行く方が早いわ冬の日の朝に 東京駅を出ていく時の景色の美しさはもう 素晴らしいの一言ですよこの立派なビルも 元々は幕府に中性を誓う侍の人たちの それぞれ住まう館だったわけ です でなぜその人たちは中性を誓っていたかと いうと色々理由はありますが1つにはは 静岡があったから逆らえなかったっての あったんじゃないですか自由席全然乗って ないですよ僕の予想通りまこの先まだ品川 と新横浜まで乗ってくるとはいえ全く 向こうの方までお客さんは1人も座って ないです からこれ将来自由席なくなると思うんです よね指定席は一席も今空がないわけです から静岡へ出かけるならば是非とも見たい 光景が富士山です今日はもう冬の気配置で ばり東海道新幹線に乗って最に富士山のを 見ることができるのは品駅を出た後となり ますここで見えりゃ安心ですよ雲も全く ありませんとりあえず午前中は最高 でしょう晴田日に富士山の美しい景色を見 たら進行方向右側のい席を選ぶことですね 覚えやすいですねい席がい席ですから 富士山がはっきりと見られる最初の場所は 新横浜駅を出てからしばらく相模川を渡っ て伊勢原厚木の辺りで大山の向こうに見え 始めます光はここ時速285kmで 突っ走り富士山は次第に大きくなります よく晴れた日ならではの楽しみ方です 富士山の見られる時期としては断然冬がお すすめです夏の時期なども朝早くもしくは 夕方ですと見られることもありますが一般 的にはよく晴れた日の冬が最高冬は1日中 見られるということも珍しくありません この後富士山は次第に隠れていき給料地帯 の間に入っていってしまいますがこの山の 影に富士山が完全に隠れた直後も見所東海 新幹線名物のカラフルなお家がずらり並ぶ 景色を見ることができますそしてここから 静岡県 へでもやっぱり三島を過ぎてからのここが 1番の見所でしょう奥に新高速道路を少し みながら完璧な状態の富士を今日は見る ことができました少ずつこの芦山の両線 から富士山が現れてき
て時間と共に変わりゆく長めがあるのが 素晴らしいと思います列車はこれから先 新富を通過します完璧な景色が見える時は 車掌さんから案内が入ることも多いです 特に最近多くなりましたねこうなりますと 車内はお客さん皆進行方向右側に釘付け シャッターの音が鳴り響くのが毎度の パターンですこれから先は富士市街の精子 工場軍を見ながら進むことになります工場 のエトスと富士山のコラボレーションが また見事 ですこのように東海道新幹線では特に新 富士駅の前後広大な平屋が広がっていて 遮るもののない美しい富士山の姿を見る ことができ ますしかしもうしばらくしますとこの 富士山の景色も見めですこれから突然山の 中に入っててしまうんですねあ今日は もっとよく見えているものがありますこれ もチェックしておきましょう南アルプス 方面の山々すっかり雪をいいています将来 はあの地下に世界最速の鉄道中央新幹線が 開業する予定です遡れば果は山梨県甲府 方面に続く富士山の横を流れる川藤川の上 を通りまし てこれで雄大な富士山の見える区間は 終わりこれから先は一気に横に険しい山が そびえるようになりあとは新幹線は ひたすらトンネル区間地下区間を抜けて その区間が終わるともう静岡市街中心部と なります静岡市中心部までひたすら富士山 が見える区間はなく山の中を行くのです これがね静岡に行くまでの重要な景色なの で是非覚えておいていただきたいですね 今回のメインテーマかもしれません富士山 が見えるのもいいんですけどねこの トンネル区間が続いていくということです よなんでトンネル区間が重要なのかという とあの静岡の地理的な重要性の象徴になる と思いますまもなく静岡です午前9時静岡 駅に着きましたおはようございます時 張り詰めたの放送がかかるのがいいですね 実は昨日も来たんですよ静岡じゃあお腹 減りまして朝ご飯まだ食べてなかったです からね東海県にしようこれ食べながら 行こう確か明治時代からあるんじゃないか な東海県の名物サンドイッチ日本最後の サンドイッチだという説があったと思い ますこれでまず見に行くべき場所はやはり お城でしょうねスプ城公園に行きましょう 地道歩きながら東海県サンドイッチを食べ ていて県民にどう思われるかわからないん ですが歩きながら東海サンドイッチを 食べるなんて 素晴らしい静岡の二宮近所になれるかも
しれません味は美味しいですあそうそう それお城へ行く前に大事なものがありまし こにね書いてあります交通の要所だったん ですね江戸時代東海道府中宿と書かれてい ますこれ府中というのはどこかというと ここのことですねえ静岡のことです江戸 時代まで静岡という言葉はありませんでし たその代わりに使われていたのがスプでし て江戸時代には静岡城とは言わなかったん ですね敦賀の国の都と書きましてスプ今で も甲府という言葉が山梨県には残って使わ れていますがそれに対応するような形で 静岡県はスプだったのです江戸時代には ここに3十のお堀を巡らせた巨大なお城が ありましたそれが寸far城ですが天主角 は江戸城よりも大きかったそうですなぜか と言ったらばまあ江戸城を守るため でしょうね多分じゃあその日本一だったと いう大城は今どうなっているかと言います と一部は県庁に一部は学校などに作り替え られましてまた広大なお堀の結構な割合は 埋め立てられて今商店街などとして使われ ていますここら辺はもうこっから先 行き止まりですね昔はまだまだ先があった んでしょう今ちょうどこんな感じのところ に来ていますがもうお城の東側のお堀は ほとんどが埋められましたなんかこことか はねプールがあるんですけどもしかしてお 堀をプールに流用してんのかなさすがに それはないかもしれませんけれどもで さらにこのスプ場公園と書かれた一番内側 のところに昔はもう1つお掘りがあったん だそうですが現在はほとんどが埋められて いますお城の中には静岡市歴史博物館も 入っています行列がすごいですねお客さん がいっぱいタイガドラマがもう境に入って いるからですねもうすぐ終わりますタイガ ドラマをやるとお客さんがいっぱいその 舞台にやってきます正直この動画もタイガ ドラマからのお客さん流入を狙って作って いますよくスプ場の写真として紹介される ところへやってきましたここが一番お城 っぽいですよね徳川家康は江戸場での将軍 の仕事はすぐにやめてしまってその後は 大護症としてここに君臨することにない ましたまそれすぐやめてしまったのには 色々理由があるそうですけれども辞める ことによって後を継ぐのは徳川秀太さん ですよ徳川家がずっと将軍を受け継ぎます からということを世の中に示す狙いがあっ たみたいな話ですよねよく言われる大御所 というのはここに始まった言葉なんですね 中に入ると早速県庁の目の前にでかい穴が 開いているんですけれどもで水が溜まって いるんですけれどもこれが江戸時代ここに
3銃をなしていた立派なおりの1番内側ま お城にとっては最後の守りとなる部分だ そうですでほんのちょっとだけありますが これ埋め立てられてしまったところをもう 一度発掘調査いたしましてどうもこんな 感じで石垣が並んでいたのだそれが湿度し たりとかですねま昔こんな感じの構造だっ たみたいですよというのを今ここに復元し て見せてくれているものですあと今1番の 見所はここかな寸far城の本丸日本で 1番大きかったという天主角の跡地です今 発掘作業が進められているところです天主 角というのはこんな感じの土台がありまし てその石垣の土台の上に天主核を建てる わけですで上の天主角はもうほとんど戦争 や災害や廃除などによって失わりまして 天主角が残っているオ日本で12しかあり ませんスプ城も残っていませんでしかも寸 風城はこの下の天主台すら存在しないん ですね天主角がないのはともかく天種台 すらないってのはなかなかですよね本当は この上にめちゃめちゃでかい石垣の 組み上げた高いこう土台があってその上に さらにものすごい高さの天使角があった らしいんですけれどもなんでもあの静岡 県庁のあの上の方のフロアと同じぐらいの 高さあったらしいですよすごい高さなん ですがまあの大スラ存在ですね破却されて いますでこれなんでかと言うとここの上に あったその土台を全部取り壊して他ん ところに運ぶことによってお掘りを 埋め立てて街の開発に当てたからだそう ですねだから手っ取り早く言えばさっきね こ埋め立てられたお堀とかを一部見ました けれどもあのお堀を埋め立てるために天主 台をぶっ壊したということらしいです実際 に天使があった頃は寸の城下町を見ながら 反対側には富士山がさぞやよく映った でしょう戦国時代結局1番の出世を解ける ことになった徳川家康は子供の頃ここで 今川吉本の人質として暮らしていた時期が ありまして当時それ素晴らしい思い出だっ たそうですねえ老人になって自分のつの 住処としてついにここを選びたいとスプに 移り住む時に次のような理由をあげたそう です子供の頃の思い出があるスプは温かい から老人にも暮らしやすいスプのご飯は うまいそんな理由もあったのかと思そして ここが軍事上重要な拠点であってまた各 大名が私たちに挨拶を来るにも便利な場所 じゃないかということでお城ここに大規模 増えして住むことになったという話です 家康像の横には家康手植のみかの木がある そうでして相当な立派さですけれども樹霊 400年みかってそんなに持つんですかで
今年もまた見事な身をたくさんつけてい ます 鳥が食ってるみたいですね鳥がね食べた後 があるんですけどもちょっと私たちは取る ことはできないなこれ本当なのかな家康が 植えたみかだと言われているっていう パターンだと思いますけどね多分え将軍職 をのい寸隠居の檻州から献上されたみかを ここに移したものと言われている確かに 調べてみたんですがこんな支えの横木が つくぐらいにとんでもなくでかい木でして 普通のみかの木という感じではありません 6000個ぐらい身が収穫できるいるそう ですそんなにですかしかも色々商品開発さ れているようで家康みかとしてあの マーマレードとかにして販売されている らしいです家康が江戸を離れてスプに 移り住んだ理由なんですけれどもま おそらくですね大阪対策だと思います当時 まだね関ヶ原の戦い終わった後にも西日本 とかですねまその特に大阪に豊富県もおり ましてもしかしたら幕府転覆を狙ってくる かもしれない勢力がいましたでそういう人 たちが西の方から江戸へ攻めのってきたと にそれ食い止めなきゃいけないんですが その拠点として静岡は超いい立地だった ようです江戸時代初期はまだね江戸が田舎 で本当何も整備できてない状況でしたから それがちゃんと整うまでは特にこういう スプとかのね今あり合わせの街を使って こっちの方が江戸よりもだいぶ構造が進ん でいたと思いますんでこういうお城とかを がっちり作って出来かけの江戸をちゃんと 今のうちは守っておかなきゃ静岡が重要な 街だったんだと思います場内におでんの店 がありなりましたお城の中で営業すること やっぱ相当昔から許可をもらってやってん ですかね静岡の大田は大正時代に歴史を 発すると言いますが名物は持つですね戦争 中に食べるものがなくなって戦後じゃこう いうのも食べてみようかて食べて意外と 美味しかったと今名物になっているらしい ですモは噛み切るのに時間かかりますから ねもう口の中にてもぐもぐやりながら行き ましょう大根は先に食べてきましたこの リッチのいいスプ城防御能力は高いですよ ここに静岡庁 もし名古屋からJR東海軍がリニア通作し てください攻めてきてもある程度は持ち られるんじゃないですかあだめだjr東海 は新幹線で攻めてくるでしょうからね静岡 県庁の休刊ですね全国にもいくつかある かっこいい県庁のうちの1つだと思います 今の時代は西から攻めのってくるとすれば 新幹線をみんな使うと思いますが昔は新
幹線はありませんでしたからそうすると どうやって西から攻めてくるかま基本的に はここれを使ったでしょうこれが東海道 ですまこの道を通って江戸の方へ向かう わけですよねということでまここで敵を 防げるばいいわけなんですがこ向こうの方 を見ると険しい山がありましてあの山の 手前のところに険しい川もあります ちょうど天然の防衛ラインが形成されてる わけです行ってみましょう面白いと思い ますちょうど次のバスが来るまで少し待つ のでここにあった静岡市役所を見てみます か店長も立派ですけど市役所もびっくり するぐらい立派なんですよこれトイレ貸し て欲しいんだけどこれトイレ借りに行って いいのかな大丈夫でしょうねあなんか リニア作品店あリニアじゃないかシニアか リニア作品店がここで出されるわけない ですよね1番ホットでやばい話題ですから どうしたんですかみたいなとんでもない 豪華さなんですよねトイレもお借りする ことができました立派なステンドグラスも あり朝の光が差し込んでいます1934年 の春行ですでこれ元々は何であったかと いうことなんですがま目の前に石がきとか もありますけど元々はお城の施設だったと 思いますよこれですね元々市アクションに なる前は静岡御用邸というのがあったん ですね県庁の石垣を前にしたこの地に重厚 な木造2階建ての宿舎があって天皇陛下が 静岡にお出かけになった時にここを宿泊所 として使うための静岡御用亭があったの でしたが昭和20年の空襲で燃えてもう なくなってしまったそうです跡地は政令 指定都市である静岡市青い区役省として今 使われているんですけれどもま大体徳川家 が使っていた資産は明治信号はもう後続の 御両地とかになってね召し上げられていく んですよね江城もそうですしスプのここも そうだったということですねじゃそろそろ バスの間だなちょうどいいつなぎになり ましたあと2分でバスが来るわ東海道の 府中の次の宿場 町出るかなマリ子営業所行きあれあそこに 止まるのあそこバス停じゃないですよね あそこなのかあっちなんだ ああ市役所前はねバス停があっちとそれ からなんかこっちに別れてたみたいなん ですよねバス停が2つあったんだうわあ 知らなかったバスは行ってしまいました もったいねえま幸い次のバスはあとまた4 分後には来るみたいですまそんならいっか ちゃんと今度乗り場正しく乗らないとな 大丈夫そうですねそうだねご予定前から 出るみたいだからうんここで大丈夫そう
ですねなんか随分こだわったバスだね床が 木目調だしなんか座席うわすごい充電器 までついてんの充電しとこうかなじゃあま とりあえず先に見てきましょうこれ 窓窓を開けてこっち側から見る静岡市役所 はかっこいいですよ市役所そのお隣が 東海道ですバスはね東海道そのものはまだ 走りませんちょっと道が狭いとか色々ある と思いますねうわブルブルする ブルブルブルあちなみにバスが走ってる この道は三行通りというそうですつまり 天王陛下が御用艇から静岡駅までお出かけ になる時の道だということですねバスへ どんどん西江向かいますすると前方に でかい橋が現れますあの橋はとんでもなく でかいですであの橋をを渡らなければ隣町 には行けません今は橋がありますけれども 昔は橋すらかかっていませんでした橋です 安倍川橋で降りればいいんだ なあこれこれこれここにね交番があるん ですけどここは元々ね川を渡る時の料金を ここの公園とか今の交番のところで計算し てたらしいですよバスを安倍川橋の手前の ところで降りましたこの向こうに安部川が ありますま現在地はこんな感じですね静岡 市域のかなり西の方にやってきてまして目 の前に川が流れています静岡の市街地の西 の果はここ安川まででしょう安川は江戸 時代もありましたもっともっと水の量が 多かったそうですでまだ徳川家康が生きて いた頃この辺り安部川に差しかかって ちょっと休憩ということになりましたそこ で住んでいた人たちが接待のために出てき て母上様もちろんご存知のことですがここ 安部川を上流に行ったところに先の砂の金 ですね金が取れるところがございますその 先に見立てたようなお餅でございますお 召し上がりくださいませきなこと白砂糖を かけたお持を徳川家康に提供するとあこれ は綺麗でしかもおいしいじゃないかじゃあ この名前をつけてやるよ名前は安川餅と なりましたそれ以来安部川餅は名物となり 東海道が安部川を越すところで今日も売ら れ続けているの です将にミカエル富士山が素晴らしいです ね昔より川幅が広がりまして [音楽] 地水火風空の橋がたくさんかかるように なってビュンビュン生きしていますがま こんなように高級的に歩いて渡るのが簡単 になったらもたった100年ほど前から ですちょうどここにね安倍川橋弥勒橋橋が あるんですが作られたのがちょうど100 年前のことになりますそもそも江戸時代に は安部川に橋をかけること自体が禁止さ
れるというかまありえなかったそうです要 はこれ交通の便利が良くなって簡単に 向こう行くことができるんですが簡単に 向こうに行かれてしまうということは反逆 者が来て寸far場の方じゃあよし攻撃し やすくなるぞと使われてしまうので最初 からかけていなかったとお城はあそこに あるわけですねえ天使角と大体同じぐらい の高さに今も県庁がそびえてい ます攻めのらせてはいけない天然の防衛 ラインということで安倍川が重視されまし たそれは引手は今の東京江戸を守るため だったということでしょうまところが今 ですね向こう見ますともう今は新幹線の 時代ですからね大阪から東京まで3分間隔 ですよ豊の家臣送り込み 放題鉄道が作られて国が1つになった今逆 に江戸時代みたいな国取り合戦的な考えで ねえ国家が運営されることはもうありえ ないでしょうていうか逆に爆発に黒船とか が来てもうこれは国力みんな一眼となって やっていかなきゃまずいぞっていうことで ねそれで鉄道とかも敷かれていったん だろうと思いますお城に巡らされた山上の 堀割街中に散らばる寺郡そして安部川と 春風城静岡守るためのいくつもの防衛 ラインを見てきましたがまだこの先に防衛 ラインに使えそうなでかい山があります これを超えて隣の市であります藤枝市の方 に抜けて行ってみましょういかに静岡が 防衛ラインとして適していたか感じられ ますバスが来てくれましたJR藤枝駅行 ですもうこの辺は基本的に江戸時代の道な んでね道幅もすごく狭いですよこれが大変 なところです江戸時代からずっと受け継が れている道なんで江戸時代当時道沿いに 延々とうわっていたという松がまだ少し 残っていますほとんど残っていませんがで も残っているだけでもものすごく貴重です その後ほどなくして結構な山奥に入ってき ました結構な山奥に入ってきてはいるん ですが横に国道1号のバイパスがありまし て高速道路じゃないんですけどね一般島な んですけれども山奥の割にはやけに充実し た一般道路に入ってきますでこれはつまり 静岡から一般道路で隣町の藤枝に行くため にはこのすごい山を越えていかなければ いけないですね基本的にはここねこの 宇都屋峠というのを超えないと西の方に 行くことはできませんまもしくはねもう1 か所行く道は今はあるんですけれども ちょっとそれはまた後ほど紹介します とりあえずこの宇都屋峠に行ってみ ましょう つまり西の方から静岡を攻めるためには
この峠を大勢の軍勢が超えてこなければ いけないのでそを超えるのは大変ですから やはりこれも防衛ラインに適していると いうことなんですねどこまでも軍事的な 理由で静岡は選ばれてるんじゃないかなと 想像します そろそろバスも内峠に差し掛かりますま今 はねこのように大量の車が通る動脈になっ ています からもし江戸城の方を攻めるとなったら この国道1号バイパスをブーンと運転すれ ば簡単に江戸方面まで繋がっていますが昔 はこんなのはなかったですからいかに大変 だったか想像がつきますはい静岡市はここ までです静岡市敦賀宇都屋に着きまし たここから先は宇トンネルを抜けます今の 時代は大変便利になりました車がバンバン バイパスに入りバスもまた藤枝出しへ抜け ていきますこれができる前はどうだった でしょうかできる前はこっちだったんです ねこれね道がありますほらちゃんとお家も あるんですよ江戸時代から交通の幼少だっ たから観光地になっておりまして自転車の 人が行きました僕も行きますこは面白い ことに江戸時代から始まってえま江戸時代 明治大正昭和平成とご通りの道が残ってい ますえっと多分これかこれが多分平成の 時代に作ったトンネルなのかなこっちがね 確か昭和の時代に作ったトンネルかと思い ますまどちらもこの峠道をズバンと1本で 貫いて反対側まで簡単に行ってしまうん ですが昔の道は行ってみましょう行けば 静岡のことが分かりますからこれね徳川 イアとかの時代は多分1/1も幅はなかっ たと思うんですけど今はこんなにでかい道 が作られて重要感染道路になっちゃって昔 はそうそうそうそうそうこれも昔よりなと 思いますけど昔はこっちですよね宇都屋を 越えていく東海道の三筋です昔の建物が よく残っています木造家が並ぶ峠入って いく道筋ですどんどん道は細くなって山の 中へ入っていくように見えますが実はこの 先に峠越の拠点のね街がありますまだ食事 とかなんか飲み食いとかできると思います なんか膝が痛くなってきたな3年前にここ 来た時もね峠に来たら膝が痛くなったん ですよねなか懐かしいなまあ大丈夫 でしょう今日はよし来た来たここは宿場町 ではありませんけれどもこの先がこのこの 山を超えてくんですね峠越の三だという ことでその手前のところで休憩できるよう な茶見などが並んでいました実際にここで 休憩して山越の方へ行ってみたいと思い ます書いてありますね交通の南緒宇の野峠 ま平安時代から江戸時代ぐらいまで使われ
ていたあそうすか平安時代の道もあるん ですよね平安時代の道と江戸時代の道と 明治時代の道があってであと大正時代の道 もこの奥の方にトンネルがあってで向こう に平成とえ昭和のトンネルもあるんでしょ 今日は日曜日だからね観光シーズンでお客 さんいっぱい混み合ってるかなと思いまし たけど全然混んでないですねスーツ旅行 チャンネルお客さんがいないようなところ ばっかり行ってますねまずらした僕の完成 がずれてるんだけどずれてる方がね楽です よ観光客と引っ張りだにならないから それぞれのお家が野望を出してくれてい ますここは車屋さんでえ向こうは伊勢屋 さんこのこんな感じで江戸時代こういう風 なところで営みをしている人たちはヤゴを 作って出していたのですがそれが今でも 受け継がれているのかなで当時使っていた ような形で看板を出してくれていますこれ ね京都の方から来るとこっちがひらがなに なるのが特徴ですねおお 頼もしい東海道の観光をしに行く峠声の人 たちが今日いっぱい歩いてるみたいですね じゃあ大丈夫か僕も歩きで行ってみようか なちょっと熊が怖いんですけどねここにも 石碑が立ってます明治天皇のご昇級所 でしょう明治天皇結構いろんなとこ出かけ てるんですけどここで休憩をしていったと いうことですつまり天皇も使っていた ぐらいの当時唯一の道だったんですね明治 時代にはここを通るしかなかったんですよ 静岡から出発したらそうそう小田原攻めの 時には豊富秀吉もここで休憩したという ことでしたねみんな使う重要道路だったん ですね今秀吉の置いて行った茶碗は見学 できないそうですがそう前はね見学できた そうですここのお家で保管されてたんだ そうです髪型から大名行列が来ましたね道 の端っこで地面にヒレしたら受けたかな やってあげればよかったですねそんぐらい のユーモアがなきゃね蕎麦屋さんすごい 混んでますね車がぎっちりそれはそうか今 車の時代ですね13人待ちだというので 蕎麦屋さんに行くのはやめました横にも なんか勘見所があるなここでババッと食べ て体力をつけていこわ中はねこんな感じな んですよいいですよねザ昭和の匂いがする 空感という解説になっておりましてえ店の 方がね非常に親切に色々昔のこととかも 教えてくれました僕が伺った時は中はこう いう風になっていたんですけれどもこの パフェみたいなのを作っていただいてです ねで出てくるまでの間にお店の方が何かさ れてるなと思ったんですがこれ白玉をね 注文があってから作ってくれるんだそんな
白玉すぐできるんですねパッと作ってくれ ましてお茶も2杯もいただきました昔から の峠を前にした休憩の 名称ここで甘いものをいいて力を蓄えて 静岡市の外へ藤枝を目指して歩いていく ことができるわけですね東海道宇都屋峠へ 登り口はこちらですです一応ね普段であれ ば熊が出ることはあまないらしいです熊 出没マップにもこの辺の情報はほとんど出 てきませんでした熊ではなくイノシシ猿鹿 がよく出るそうですねただ今年は分から ないですよ熊が山を超えて来ているかも しれません本当は峠を超えてね藤枝の方 まで全部行きたいんですけどどうしようか なバト観音がありますね江戸時代のもので 今でも街の人によって花がたけられている ようですバト観音と言いますのはこれあの 観音様の頭のところにですね馬がついてい て馬を祭っているんですけれどもなんで馬 があるのかというとま大体江戸時代ぐらい のこれ急行バのところで馬が荷物を運ぶの にものすごく苦労していて見ていてあまり にも馬が過酷そうで大変でかわいそうに なるらしいんですねでその過酷な勤務に ついている馬たちを少しでもねらってあげ たいそしておそらくはここの峠で勤務中に 倒れ死んでいった馬もいっぱいいたので そういった馬たちに対するといという意味 もあったと思いますもうこの峠を超える馬 はいなくて全部自動車に変わったんですが 今でもこの町の人たちによって馬には花が 捧げられ続けているわけですで僕の経験上 東海道と中仙道は一応全部行ったんです けれどもめちゃめちゃやばい峠道になると 馬頭観音が出現しますまつまり静岡市を西 へ向かって大阪方面に出て行こうとする時 はこのバト観音が出るレベルの急な峠を 超えていかなければいけないのだという ことなんですね峠に溝が切り込みが入れ られていますね江戸時代に作られたものな のか最近のものか分かりませんがこの 切り込みはいざここに大雨が降った時 ジャバジャバジバジバと上から水が落ちて きますその水を通すための排水路でこう いうのはあることによって雨の時でもある 程度まともに歩くことができかつ道が崩壊 しなかったという利点があるみたいです ちょっと怖いな誰も歩いてないですよ さっきはね結構いたんすけどね木々の合 から東海道宇都屋の街並を見下ろすぐらい で今日は良しとしようかなまお伝えしたい ことは大体言えたと思いますからね僕が 向こうの大阪方面からですね宇野峠を ダーっと駆け降りてきてよし俺が今すぐ 行って江戸城ぶっ壊して徳川飯ぶち殺して
江戸時代なんかすぐ終わらしてやるうおお みたいな感じでこう行ったらですねそこの 影から徳川家康が現れてお待ちしており ましたそれでこここでこう戦闘をするわけ ですまですが向こうの方にね寸far場と いう1台拠点があってそこの拠点から どんどんどんどん閉店がこっちに来ます からこうどれだけこう戦って勝とうとも なかなか勝つことができず哀れこの地に おいて徳川妥当の夢を果たせず内時にと いうことにねこうなるわけでございますで ま仮に守備よくここを突破することができ たとしてもこの先ではまだ安部川がまた 流れていてその安部川を一生懸命渡って 渡った先には超軍事拠点の三中の堀割が ある強大な寸far城が待ち構えている わけですからでそれをようやく超えて仮に この寸far城を攻略するすることができ たとして攻略してもまだまだ江戸との間は 離れていますよ最終目的地のここまで過酷 な道が続くんですねよく考えられてますよ この静岡から西の世界へつがるための三筋 として明治時代にかなりの努力を払って1 回トンネルは壊れてしまったんですけど もう一度作り直したりとかして今に姿を とめているのが明治のトンネルという観光 名所ですこっちは観光地でしかも日曜日で 人がいっぱいいるのでそれほど険しい山の 中を通ることなく熊の心配も比較的少ない 状態で通り抜けることができそうです僕の 知る限り明治時代に作られたトンネルと いうのはま結構ありますけれどもただ大体 その手のレガのトンネルというのは鉄道用 のトンネルです当時鉄道が優先されていて 道路はまだまだ後回しでしたそんな時代に 道路用の峠のトンネルが作られてるのは 結構すごいことですそれだけこのトンネル が必要不可欠だったということです ねこれを過ぎてやっと静岡市を抜けること ができましたこれから向こうは藤枝市です でもねこのトンネルができる前の江戸時代 のさっき途中で引き返しちゃいましたけど あの峠越の道だったら今の多分10倍か 20倍ぐらいは大変だったと思いますよ トンネルは楽ですよ本当にだからみんな 一生懸命作ったんですよねここもね ものすごく深い谷を人口的に改作して 作り上げて大変だったでしょうねで トンネルを抜けてきたら明治天皇のここで 駐車した後地ですね明治天皇がここで多分 人力車に乗ってたんだと思うんですが馬車 かなどっちかそのえご駐車跡みたいなこと 書いてありますけれどもさっきもあったん ですよね明治天皇がここで休憩しまし たっていう場所ねあのトンネルの向こうに
あったじゃないですか多分ねトンネルが あるおかげで向こうからこっちまで歩いて 15分もかからないと思いますすぐ着くん ですよだからさっき休憩してまたここで 休憩してんのみたい休憩しすぎなんじゃ ないかみたいな短い距離なんですがこれは 多分当時トンネルがなかったのでそうする とこの峠の向こうで休憩してこの峠をこう 一生懸命なんか色々やって超えてきてはい やっと超えましたじゃもう1回ここで休憩 みたいなねあの昔はものすごく大変な峠 だったんだろうということちょっと想像し ましたもしかしたらちょっと違う話かも しれないですけどね明治トンネルをくぐっ てきたんですけどちょっとねタクシーを 呼ぶことにしました観光地になってるのは 明治のレガトンネルだけなんですけど僕は こっちの方が好きです宇都屋峠はもう トンネルだらけでねあそこに大正トンネル があります峠の上から山猿の鳴き声が 聞こえてくるのが心配なんですけれどもも 宇都屋峠は穴ぼこですよそれだけ重要な 峠道で車通りが多いということですねこの トンネルも今は第1戦を知る時ひっそりと していますが廃道にはなっていませ ん僕はこっちの方がかっこいいと思うんだ よな大正時代にこんなでかいトンネル作っ たのすごいと思いますよちょっとま後で 克服したのかな昭和30年代ぐらいまでは ここが国道1号だったようですからね さっきの店の人に伺ったんですけれども その店の方がまだ子供ほんの物心ついた ばかりの頃はこのトンネルはもちろん存在 したんですがここはもうものすごい砂利道 でねガッタガタガタガタとえバスが一生 懸命走っていくような国道1号線だった ようですこの体操大がかりなトンネルを 抜けて向こう側が静岡市ですよこの トンネルがもしなかったら向こう側で峠を 超える前に休憩してこの超えたらまた こっち側で休憩する大変な山が静岡を守っ ているんですね実はこの静岡への西からの 入り口は本当にこの宇都屋界隈にしかない わけではありません実はねもう1箇所一応 行ける道がありましてこっち国道1号です けれども南の方にですねイワ東明高速道路 さらに国道150号とかもありますあ タクシー来た宇都屋峠までタクシーで迎え に来ていただきここからですねぐるりと 八津市の方を回って今度はこの山の南側海 の方を目指してみたいと思いますはい海の 方に来ましたよ豊秀よが静岡しない寸城を 攻めるという時にじゃあまここら辺のね宇 峠とかはきっと幕府側によってしっかり 警備されているだろうからこっちじゃなく
て海の方から回り込んでやろうということ でここにね今も東海道線とか高速道路が 通ってますこの辺から行けるんじゃないの かさあどうでしょうかその実体やいかに こうなってるわけですねこの先静岡市へは 行けません実際にはねもちろん行けるん ですよちゃんと行ける道があるんです けれども早速まずいきなり出掛けから廃道 になっています防犯カメラ作動中この先を 行くことはできませんがここから先静岡 方面へ抜ける海側のトンネルがあります これは昭和初期に作られたもので当然江戸 時代にはこんなのはないでしょうこれ 向こうにね静岡このトンネルを抜けた先が 静岡市ですよ一応あるんですけれどももう このトンネルも今や車の通行は全く許さぬ ものになっておりま人もね誰も通れません けどもでもなぜか照明はついてるななんか ちょっとね不気味な感じもしますけれども こっから向こうはこれはこれで天然の南勝 大崩れ海岸となります名前からして明らか にやばいところですが一応ここを頑張って 海岸沿いにはつるようにして進めば鉄道と かもね新幹線とかも大体そんなところ通っ ていますがここら辺を通れば一応静岡方面 には行けますよ行ってみましょう昔から ここはすごい難所であったのでトンネルも 最近になでまだまだ作り直されてい ます静岡行く道はこんなのばっかりです よ新幹線のトネルも高速道路のトンネルも 日本坂トンネルそれも名前もまた有名な トンネルですよね静岡へ行く道は行くだけ で有名になります今教えていただいたん ですけどこのトンネルは割と最近できた そうですね宇都屋峠でねあの明治の トンネルとか大将のトンネル平成の トンネルとか言いましたがこれは令和の トンネルなんですねもう本当にそんなの ばっかりですよということでえトンネル から出ていただききましたがこれがその よりもならい大崩れ海岸ですか崩れる対策 としていくつもの覆道が設けられています が改良されているところもあれば昔の まんまのところもありますので旧カーブの 狭い区間が連続するようなところになって いますさっきのところ以外は廃道になって いない古いトンネルもまだいくつもあり ます山の共愛なところ行きますとここから 先はまた静岡市に入れます入れますが まだまだこっからとんでもない場所があり ますよあ一応静岡市の富士山の麓の景色が 見えてます景色は素晴らしいですよ景色は ね環境は大変だと思いますよ突然山が崩れ てきて車が岩の下敷きになってなくなって しまったような過酷な事件も起こったん
ですから一応ねお住まいの方とかお家とか が少々あるんですけれどもほとんどそう いうのも遠藤には見られませんもう住むの も大変というか住めるような土地がない からでしょう落石注意の看板ばかりです 江戸時代ぐらいになりますと静岡へ向かう 道ま当時の寸へ向かう道というのは基本的 にはどうもこれかもしくは宇都屋の方回っ ていくかというのしかなかったみたいです よそしてこれから先が一番えげつない区間 になりますがまた古めの狭いトンネルが ありますこれを抜けた先のところで道路は 右に急カーブを切ることになりますこれ なぜ急カーブになるかというと昔まっすぐ 行っているところがあったんです がよりも珍しい海の上の道路となるのです 元々はあちらでした海の際のところを岩 から崩れてくるのを守るようにして覆道が 設けられていたんですがしかし山が崩れて しまいまして今でもその時の山が崩れた時 のままの状態で残っています自然の恐ろし さとかこの大崩れ海岸の大崩れタやその ままを伝えているような見応えですただ 観光というかねうわすごいところだなと見 て楽しむにはいいんですけれどもここの 道路で大崩れが実際に発生した時に なくなってしま詰まった方がいたので あまりそれでね楽しいなと見ているだけで も済まないんですけれども景色は最高です ねとこれで大崩れ海岸の1番狭いところは 終わりましたそれと横からですねJR 東海道線のトンネルなんかも出てくるん ですけれど もちょうどこれですねついに人が住める ようなところとなりましてむしろここは もう静岡駅から電車でわずか2駅の立地の 良いところだということで急に都会的な 感じになります人の住めるところがある からですねちなみにこの辺りには昔鉄道も 走っていました昭和戦前期ぐらいまであっ たんですが当時の東海道本線の配線跡を見 に行ったんですけれども名前の通り ボロボロに崩れてしまっていましたあまり にも危ない場所だったのでもう2度と人生 で行くことはないんじゃないかと思います あとこの辺りの海の上を走る地図を見て いただきたいんですが明らかに普通じゃ ないですよ ねはいということで再び持駅です 新幹線は静岡家っての売ってるんですけど 在来線だと静岡チあんま売ってないんだな こやり方戦略が違うんすかね よいしょも痩せてるの痩せ細ったの 460mしかないのか多いお茶は大体静岡 のお茶使ってることが多いんじゃないです
かどこのとは書いてないんでねその時に よって違うのかもしんないですけどえ日本 世界ナンバーワンの緑茶イよま外国では グリーンティーなんか大して飲まないっつ ことですね昔大阪とか西の国から静岡へ やってこようとする人はこの山を何とかし て越えなければいけませんでしたそれは こちらの大崩れ海岸かもしくは上の方の もっと北の方にあります宇都屋峠という ことなんですが昔はねもう1個あった みたいです道筋が今ではもう存在しなく なっているんですが宇野屋峠の倍ぐらい 険しいようですが標高300mぐらいの ところに奈良時代平安時代ぐらいまでは短 距離の道があったみたいですねそれもね 痕跡をちょっと見てきましたので紹介し ますここが宇都屋でこここ大崩れなんです けどその真ん中のところにも昔道があった そうですもう今はね行き止まりになってい てこっから酒へ行くことはできないのです がハイキングコースにもなっています花沢 の里という場所があり江戸時代当時の石垣 が残っていますでこれは何だったのかと 言うとおそらく奈良時代とか平安時代 ぐらいまではここが東海道だったらしい ですがま戦国時代とかねあも桃山時代江戸 時代ぐらいになるとここを超えて静岡方面 に行くというのはあまり一般的ではなかっ たらしいですただともかく昔の雰囲気が よく残されれている国の重要伝統的変造物 群保存地区かなまそそういうに昔の建物が 残っているところとして定番の観光名所に なっていますま宇都屋と見て比べてみると こっちの方がだいぶ急な印象を受けます けどねテレビ番組のネタになりそうな ものすごく山の高いところまで無理やり 上がっていただくような構造になっており ましてさっきの宇都屋峠はそこまで標高が ものすごく険しいというところではなかっ たんですが険しさはだいぶ違うように見え ますこの山の向こう側が静岡市なんですよ ただこの山超えるのはも大変ですよまず車 で越えられる道は今の時代でも存在しない ですしあとはさっき下のところに見た街を 見てくださいもうこんなにものすごく下に ありますまこれがさっき言ったあの花沢の 街並だそうなんですけれども奈良時代 ぐらいまではここからさらにこの山を超え てなんでここを使ってたのかわかんない ですけど一応東海道が続いていたという ことですが江戸時代に使ってたのかま誰も 使ってなかったってことないと思います けどね見てくださいこの景色の良さこれは 静岡からの山波を超えて向こうに見える 八津の街並ですちょっと角度を帰れば静岡
のお隣の藤枝市街も見えそう ですいやいやいやいやこんな険しい山に崖 に周りを阻まれているわけですから静岡と 西方面との接続の悪さ防衛のしやすさと いうのがこの1枚に感じられますね さて東海道本線静岡駅に着きましたこの ままですね静岡から先さらに私の乗ってき た電車は熱海まで直通しますこのまま乗り 続けてみましょう静岡は西側は滅法不便な ようにできていて天然の要塞です一方で 東側は滅法便利ですこのまま直通で行け ちゃうんです よ 静岡を出てから東海道線の電車で東静岡草 清水とわずか3駅15分とかかってないん じゃないですかね清水に到着しました清水 町とちびまる子ちゃんで有名ですね東海道 線の電車ここからも違いのように早くや ごめんなさいあんまそういうことは言わ ない方がいいかなとんでもなく早く走るん でね超便利 ですこの電車211系ももじ引退が近づい てるんじゃないかと言われてますね東京 まであと169km清水は富士山がホーム からもよく見えます海の美しい街として 知られていますなんだって日本3大美行が 目の前にありますから今は合併して静岡市 清水国になりました清水これね静岡は海の 便利があんまり良くないんですけれども 清水はめちゃめちゃいいですJR駅の ホームからすぐ目の前ですよもうすぐ目の 前が海静岡ではそうしたことはありません というかそもそも静岡には港がないからね ご覧くださいここから世界に続く静岡県の 表玄関清水港の賑いをいろんな大型線が やってきてます大体ああいう巨大な船は 外国から来てるやつだと思いますま ちょっともしかしたら違うかもしれない けど多分そうだと思います で港周辺のところにも高架道路が巡らされ ていて車バンバン走ってますこういう景色 は静岡にはないんですよねなんでないかと いうことなんですけれどもま今無理やり 作ろうと思えば作れると思いますけどね 静岡校って今静岡港というのは多分ないと 思いますこれ静岡にも海は存在するんです がこの海の方を見てみると浜辺になって おりましてこれ浜辺だと水深が浅くなって しまいますからここに大型線が来ても 乗り上げてしまってえ船を到着させること ができませんだから静岡にはこ港というの はほとんどまともに存在しないんですよ 多分全くと言っていいほどないんじゃない かなどっかね漁船がつけられるところとか ちょっとあるかもしれないですけど
まあまあまあもう静岡にはね港はない みたいですですがこの辺り清水周辺はそう した砂浜だけではなくてねうまいこと地形 がうまく入り組んでおりまして外国からの 大型線などを取り込めるような天然の地形 が揃っていたのですま逆に言えば清水港が あったからこそ静岡は存在することができ たわけですね徳川家康もそういうことはね 分かっていたでしょう今でもそうですが 江戸時代もやっぱり物流の基本は全部船で やっていたわけですでも静岡にはつけ られる港がありませんで静岡の西側は 険しい山に阻まれていますしかし一方で 東側というとそっから特に何も山など 超えることもなく簡単に清水に行くことが できます静岡市周辺の地形はまさに成工統 西方面は豊秀などによって攻められては 困りますから宇峠やら大崩れ海岸やら そして安倍川やらま色々なものによって 西側を阻まれていましたが一方で東側は 東海道本線が全力で爆走できるような平坦 な地形となっており徳川家康が選んだこの 静岡周辺はまさに守りやすくて攻めがく 使いやすくて使われがい天然の立地があっ たんですねまだからこそ今でもね大都市と して反映することができてるんでしょう じゃあちょっとご飯食べようかな清水の 名物はマグロです清水でマグロが取れてる というより多分ね冷凍のマグロをあちこち からたくさん持ってきている援用漁業の 拠点らしいですよなんか日本の冷凍マグロ の半分ぐらいここに来るらしいですちょ逆 にここで食べなくてもいいんじゃないか そこら辺で適当に冷凍マグロ食べればね 半分は清水のマグロなんだから適ま せっかく来たんですからねオ常正常じゃ ないと思いますけどねあの数値マグロカ 定食注文しましたいろんな種類のマグロが 入ってますねいっぱい仕えているからです ねあと清水といえばそう全国でここだけな のかな桜エビが取れるところで有名です生 ですねシラスも取れるのかシラスも生です ねなかなかこれね手に入らないところも 多いですからシラスとか痛みが早いですし 冷凍するとだいぶ味が落ちちゃうのかな そしてここは目の前が岩壁のいいリッチ ですでいうのはねすぐそこに水上バスの 乗り場がありまして今から30分ぐらいで 水上バスに乗るんですけれどもそれがもし 近寄ってきていれば分かるからね監視し やすいということでここにしたのでした こうやって並べた方が美味しそうじゃない です かいずれも贅沢で美味しいねちょうど水上 バスの待ち時間があってよかったあかけん
なこんぐらいにしとこうタルタルソースも 美味しいからな何をどのように食べても うまい な海は便利のいいところですから船に乗ら なきゃねなんかピエロみたいな人こいるな そうそういうそういう感じなの出航する までに少し時間かかったんですけどあの ピオロの方がすごく面白くてね色々ゲーを やってくれましたよそれ勝手に動画に撮っ て出していいのかわかんないんでちょっと それは控えておきました清水の名物水城 バスは日曜日と平日とで運行ルートが違う ようなんですが今はこの清水駅前から 向かい側の東海台とかがある美保半島の端 っこの方まで行ってくれますまあとね平日 はなんかこの辺の工業地帯に多分お客さん を運ぶ通勤輸送とかもやってるみたいです よ色々ねこうルートがあるの面白い ですさて 山大美行の姿夕方のこの時間はいいんじゃ ないです かまず昔から水産資源の多いこの清水港は 日とかですねあの缶詰ですねハゴフーズ 缶詰も相当生産してるそうです左側あれが 多分遠漁かな前方からマグロを凍らせた 状態で持ってきているのだろうと思います そしてこの向こうにこんなに作ったように 美しい景色がありますか海の上から見た 富士山です特にこの清水子を昔から支えて きたと思います防波堤を抜けますといい 眺めになると思いますなりました手前の ところにはずらりとコンテナ用のクレンが 並び ます昨日もね来てこの景色見たんですけど だから2日連続で僕この景色見てるんです がコンテナがずらりと並んでいるのが経済 の中心という感じがします ねあれで世界の物が全部運ばれてるわけ ですから基本的に は カモの餌は100円で販売しておりまして たくさん寄ってきますまおそらく清水港は 明日もまた利用することになるでしょう なぜならばこれは本日これで最終便です けれどもスルガワンフェリーが出ており ますここから大切な行き先伊豆の遠いを 目指して毎日4便出てい ますこの辺になると特に長めが良くなり ますがえその代わり少々揺れますというの はですねまここから先割とこう概要の方に 近づいてきまして外の波のりが港の中へ 入ってくるからです美方半島は本当奇跡的 な形をしておりましてとこにこの入江の 内側のところなんかもう外洋からほとんど 隔絶されたところですからもう全然外洋の
波が入ってきませんだからここに船を持っ てきてえ荷物の受け渡しをする中には ちょうどいい場所なんですねさっき僕水深 だと言いましたけど多分ね水深よりもその 波が入ってこないこのみほの松原とかが ありますが半島の防波堤機能が江戸時代に 徴用されたのだと思いますまとにかく 天然の良行と呼んで差し使えない 素晴らしいリチ ですでこの船が目指します美保半島はもう すぐ右側にありますあっという間の到着 松原が並んでいますね世界分解遺産になり ましたみほの松原です有名な見え方とは逆 なんですけれどもみほの松原の松と富士山 の写真はこれでいいんじゃないかと思い ますねよく取れてるじゃないです か一方でこの辺りの興味深いのは工業の 拠点としても使われているということです 江戸時代ぐらいまではねただ農民がいる だけみたいな場所だったらしいんです けれども多分遠洋漁船かな全部一般のお客 さんが乗るような船ではないと思いますが かなりの大型線が建造または整備されてい ます清水の反対側は美穂に到着しました いやこれで十分なんじゃないですかねみほ 美穂かな美穂の松原って有名なのはこれの 反対側なんですけどこの半島がこの細長い のでまどっちからでも富士山が見えれゃ いいんじゃないですですかここに砂が たくさん溜まりましてこの砂がずらーっと 長い海岸を作ったのでこれが清水港を守る 天然の防波堤として機能しているという ことです今日あの安部川に行きました けれども安部川が結構砂っぽかったじゃ ないですかどうもあの安部川の砂が運ばれ てここに来ているらしいです本当は美保 半島ももうちょっとうろうろしようと思っ たんですけどうろうろしてる間に日がむは 東む直前の景色が一番いいですよいわゆる 赤こ景色が見られるんだらもうこれで十分 じゃないですかあちょうどねヨットの方が いらっしゃいますけれどもこういうのが できるのも天然の旅行清水ならではですよ ねこのみほ半島のおかげで概要の波が遮 られて小さな船も簡単に戦することができ ますまあの方はもっとすご腕の方かもしれ ないけれどま美しさもそうなんですがこの 辺りの地形を海からよく見ておきたいです ね本当にこの辺りの地形って都合がいいよ なとつくづく思うんですけどもまさっき から見てきたように静岡の西側安川とか宇 とか大の方はもうすごい絶壁でその後清水 までは特に何の問題もなく簡単に行くこと ができてここは日本を代表する天然の良行 でこの清水からさらに江戸方面はどうなっ
ているかというとまたねこの置とかさた峠 とかめちゃめちゃ険しいところが続くん ですよねでまたここも超えていくのが大変 なわけですよなんか必要なところは全部 交通の便がいいんですけど交通の便が悪い 方が都合がいいところは合よく周りが山に 囲まれていて交通の便が悪くなっています でこれよりも静岡から北の方に行くともう あと北アルプスとかに標高3000mこの 北だけとか日本で2番目に高い山ですから もうそんなんばっかりなので静岡に通ずる 道ってのがないんすよね静岡市は本当僕が 考えた最強のリチみたいなですねもう こんなに都合のいいリチあんのかみたいな いい条件が揃ってるわけなんですがまただ 素晴らしい港がありましてねえこの港にま 今も客がいっぱい来たり空行名尾だで大型 線も左の方を見ればこバンバン来てしまっ ているわけでそしたらじゃあいくら陸上の 交通の便が悪くともじゃ船でここまで アクセスしてそれで攻撃すりゃいいんじゃ ないかということも考えられそうなんです が江戸時代は大型線の建造は現金だったん ですね500国多分すごく小さな船これと 相大差ないぐらいのサイズの船しかどんな に力のある大名でも作れなかったんじゃ ないですかねえそれ以上のもの作ったら 処罰されてしまいますから水上バスを降り て夕暮れの清水港日の出に到着しました ちょうど水上バスがね今出ていくところ ですけれどもここが清水港の一番奥まった ところですさっきはね清水駅のすぐの ところに来たんですけれどもそこよも もっと奥になってここがまあ江戸時代で 言えば1番リッチが良かったでしょうね だって1番奥まっているからここが波の 影響を受けにくいはずですからということ で歴史ある公共施設ですよねえ今年で 151年目税関がありますで税関とそれ から向こうには天の回送店と書いてあり ますがま今も運送会社としてご活躍中だと 思いますがこの名前からするに多分江戸 時代とかま新しくても明治時代にはすでに あったでしょうというような場所に占めて おりさらにこの1番奥まった波の影響を 受けにくいところにも県警のね警備の船と か止められていますけれど も水上警察署みたいなのがあるからあそう いうことか警察署があるんだここに交番が ね大 企業警察であとね驚くべきことなんです けど清水港の一番奥のところには山梨県の 土地があるらしいです富士山の見える港が あってでここに今煌めく商業施設ちび まるこちゃんミュージアムかなとかなそう
いうの色々あるんですけどここは元々国鉄 市水光線というとんでもなく列車本数が 少ない暇な路線だったその駅がここにあっ たらしいんですがまその駅が開発されて マンションになったりとかこのおしゃれ 商業施設になったりとかしてるんですが それをさらに超えてこの道の向こう ちょっと正確な範囲は調べてないんです けどどうもこの辺一体がね山梨県らしいん ですよいやっていうのはすいませんあの さすがにちょっと持った発言なんですが この辺の長明が入船町と呼ばれていますが 実際船が昔この辺までいっぱい来てたんだ そうですねま今は陸地がちょっと海の方 まで埋立てで進んでるんですけどどうも昔 は僕が今いるこの辺の道路もまここら辺 までも全部海だったみたいですでえ山梨県 がこの辺の途中を今も私有してるらしいん ですねもちろんその行政として静岡県なん ですけれどもここが山梨県の私有地で今 現在も存続していてえこの辺に住んでる人 とかこの辺のなんか企業とかは山梨県に 賃料を払って土地を借りているらしいん ですよあったこれだえ甲州買い置き場あと 書いてあります読めるかな全然何と書いて あるのか分からない不都合な事実だから もうかれてしまってもいいとかそういう ことなのかな別に不通もってことじゃない と思いますけどね要はねここに公州海の国 から持ってきたお米を置いておく場所が昔 あったということなんですねこれ結構重要 でして大体画面に写っているこの辺が山梨 県の土地らしいんですけれどもこに川が 流れてるじゃないですかでこの川はま今 こんな感じなんですが昔はと言うとこんな 感じだったそうですもう今ね五眼工事 しっかりされてるんですが昔はもう川の端 っこのところに船を上げるようなものが もうこちら側もね多分この辺が山梨県の 土地だったのかなもうこんな感じで やっぱり船が色々上げられているような 感じの場所でした船場になっていました 鉄道特に中央本線が開通するまでは山梨県 で一番便利な交通手段というのは船だった んですが甲府の辺りから藤川ずっと何かし て海に出まして海からまたちょっと通って 清水にやってくるこれが一番便利でかつ 唯一のまともな移動方法だったらしいです でその船に乗ってくるとどうもここに到着 するらしいんですよねでここでまお米とか を当時船で運んでたんですけどまたここ からあの積み替えてですね江戸とか大阪に 幕府が送るということをやいました鉄道が できるまではそれをやっていたらしいん ですけれどもまこれがね明治時代の多分
本当最後の方だと思います山梨から船で ここまでやってきていた時の写真だそう ですこれはね現在ちびまるこちゃんランド とかになっていますでそれ歩いてたらね ちょっと倒れてる方がいらっしゃいまして まその救急のお手伝いなどしてね今の ところおそらくご無事そうで良かったなま これから先もねえ病院に安静に送られる だろうと思うんですけれども良かったん ですがそれでねま人助けのついでだと思い ましてそこで会った方にね聞きましたあの お店の方 なんでもこの辺りの山梨県が貸してる途中 はものすごく賃料が安いらしいですね なんかどうも僕がネットで調べた限り山梨 県も処分に困ってるらしいですどうも山梨 県が持ってる土地はこの1番地と2番地の 一部なんか他にもねちょっとあるみたい 色々あるみたいなんですけれども店の経営 されてる人はねあそうそうあそこが山梨県 さんの土地なんですよねみたいおっしゃっ てたんですけどやっぱ他のお客さんは びっくりしましたねえ山梨県みたいな清水 の方でも知らない話みたいですこの山梨市 県のお米を利かしていたエリア今は商業 施設がありましてここから無料バスでね 清水駅まで送ってもらうことができます ここもさっきちょっと商業施設利用してき ましたでねこの無料バスがねこれ多分静岡 鉄道系列のバスなんですけど静岡のバスっ て一部座席がすごく狭くしているやつが あるそうでその代わり多くの人が座れる ような仕組みらしいですねまたここ後ろに でかい建物が立ってますがあれ鈴よの本社 ですね最近ではスカイマークまで一部株式 を取得したというんで話題になって ます元々ここ発症の企業今も本社は清水 ですよね世界の玄関清水ですはい再び清水 駅もう今日はねだいぶ疲れたんでご飯食べ て寝ようと思います清水モスカレーやって ますここ一カレー屋さん時々その地域限定 のカレー出すことありますけどまもう食べ てきたんですけどね結構清水の人たちと こう食べてるらしいですよま本当は八のお 店があるということなんですが手軽にここ で食べることにしましたあそこ新州蕎麦屋 って書いてありますねそういう選択もあっ たか実は清水ってやっぱりねあの山梨県 方面との繋がりがあるんでその先の長野 シノの方からもそばとか結構届くは届いて たみたいですよちょうどそっちの山梨の 方面に今のお客さんを運んでいく特急列車 が出ていったところです2時間に1回甲府 行きの特急が出てくんですね昨日はあれに 乗ったんですけど
も今日はもう清水に止まります本日の宿泊 はここです駅からねちょっとだけ離れた ホテルにしました1番駅に近いホテルでは ありませんがなんでここにしたのかって いうとねあの駅が近いのは立よく便利です けど東海道本線が夜中まで走り続けてるん で貨物列車がねわーんガタンガタンガタン ガタン夜中中走ってますからま静かさを 寄りもめるならこっちの方がいいんじゃ ないですか全国東海道本線と山陽本線は 本当夜中まで一晩中貨物列車走りもって ますんでちょっとねそこは気をつけてえ宿 とこ選んだ方がいいかもしれないですねま そんなものすごくうるさくないと思います けど線割と近く 禁煙室が開いてましたねあ結構広いないや 広くはねごめんなさい広くは間違えました 結構綺麗ですねコインランドリーアリー 朝食バキもなん結構物はいいみたいですで ドリンクサービスがねえ飲み物ミネラル ウォーターならいつでも飲み放題でレンタ サイクルが最長5時間までただで借り られるということなんですけどさっき水上 バス乗ったじゃないですかどうもあれに 自転車を積み込めるらしいんですよねあれ を使うと反対側のみほ松原の方 サイクリングして帰ってこられ るってことがいいねプロトイレもなかなか いいじゃないですかこんな完璧な感じなん ですけどまだリニューアル工事するらしい ですよ一どこにリニューアルする必要が あんのか なおはようございます横7です今日もよく 見えてるなでもなんかちょっと雲出てます ね心配だな朝っぱら富士山見てもだんだん 午後になると雲が増えてくるということが 多いですからでもこの寒さなら大丈夫かな 清水はやたら無料送迎バスが充実してい ましてあの山梨市県の植民地みたいな ところに近い商業施設港とえ温泉ですねス が健康ランドでフェリーの乗り場と3箇所 へ無料のバスが出ています出ているんです がバスが来ないんであれもしやと思っ調べ たらですね本日の運行状況あらあら昨日は 朝一以外運行してたらしいんですけどね7 時45分は結構かこれに乗りたかったんだ けどどうしようま予定変更ですよ ね本当は午後になったら来るつもりだった んですけれどもタクシーに乗ってもう山の 上上がってきちゃうことにしましたここは 清水が一望できる日本平です何やら書いて ある日本観光時百戦第1位入選記念これ いつのやつなのかなともかく第1位だそう です日本で1番旅行に行くべき場所は とりあえずここかもしれませんうちの
祖父母も先月ぐらいに行ったとか話して ましたね清水駅からタクシーで4000円 ぐらいかけてきたんですがそれまだバスが 始まっていないからですそんな朝早い時間 に来ましたので全然人はいません貸し切り 状態でここからの景色がこちらでござい ます素晴らしいよね惜しむべきは雲が山頂 にかかってしまっているということですが この雲もねま今はいい感じの位置にいて くれておりまして遠くから見りゃ分からん でしょう別にいいと思いますよはいでここ の見に来る時の重要ポイントとしては一お すめ時間帯がございまして朝がいいんじゃ ないかなと思いますねこれ午後になって くるとだんだん太陽が西の方に回ってあの 逆光になって眩しいし景色も見えづらく なりますのでえ私としてはこの時間帯をお 勧めしたいと思いますであとねあそこに 日本台夢テラスっていうのがありましてま それもいい眺めに作ってくれると思うん ですけどまだね朝9時にならないといけ ないんですねでなんですがなんかこういう 謎のこう棒が立ってるところがあって多分 ねここから見た方が景色いいんじゃないか なあのちょっとあそこの方に行ってみたん ですけど手前のところから見る限り木が ちょっとしっててね港の様子あんま奥まで 見えないのでえ私としてはこちらをお勧め したいと思いますこれがその昨日も散々 利用しました今日もね船でするつもりだっ てまだ行けてないんですけども清水港で ございます遠洋漁船か何かが出ていく ところではないかと思いましたコンテナー とかがね後ろについているのも見えまして 昔は静岡県で取れたお茶ですよねえ日本が 外国に輸出してえお金を稼げるものとして は明治時代にはま1つにはえ木とキトもう 1つお茶ですかねそれぐらいしかねなかっ たと思うんですけどそんな日本の経済発展 の石勢となりました茶輸出の港として栄え た清水ですでその清水子を守る防波この 見本の松原がずらり心にここにつっている のが見えますね本当はねこの松原のこの 沖合いの方へ出ていってえそこから写真を 撮ってこここっちからねこうやってみると こう富士山が見えてまこんな感じですか あの世界遺産の景色って感じになるんです けれどもま私が昨日撮影したねこっち側 からの見え方も結構いいんじゃないかなと 思いましたのでもう今日は行かないことに いたします朝から清水子は大忙し今日 月曜日ですからね到着出発ラッシュになっ てますよもういろんな船がはい出行します はい今入ってきましたはい入ってきました はいお互いみんなでぶつからないように気
をつけましょうちなみに日本代どこかと いうとこんな感じの場所でしてま静岡市と まここ静岡市清水区があるじゃないですか 清水の港ありますよねでその真ん中の ところにちょっとこう山みたいになってる ところがあってここから見ると清水の港が 見当せて綺麗だということですねまです から富士山と反対側静岡市街方面も一望 することができますいやこれもね見といた 方がいいですよどっから見ますまずはお城 から見ますかえお城がどこにあるか分かり やすいですなぜなら静岡県庁立ってるねえ この辺りが寸far場ですお城そのものは 見えないみたいですけれども手前の方の これがね画面の真ん中のこれがJR静岡駅 とかねえ見えると思いますでここに西の方 のあっちから豊富秀よが攻めてくるわけ ですからそれをブロックしなきゃいけない ということでえまず1つ目の境い目がその 安部川でございまし昨日ねあそこをバス 乗り遅れちゃったとか言って歩いて渡った 安川の弥勒橋が見えていますでこの安川の さらに向こうのところにビチと山がつって おりましてもう通る道というのはほとんど 存在しませんま海の方を迂回して来られる かなと思いきはこれも昨日タクシーに 乗っけていただいて通ってきたところです けれども超険しい崖の大崩れ海岸によって 阻まれていましてここにねちょっとお家と かが映ってるじゃないですかあそこはなん か観光のホテルだったらしいんですけれど ももう道が崩落してしまってあそこに行く ことすらできずガードレールとか見えて ますよねあれもう全部あのボロボロに崩れ ていって通行不能だそうですえ廃道になっ ているらしいですねというような区間も ありますでこの険しい大崩れの中でも人は 悲惨な災害を引き起こしてしまったまさに 壁が大きく崩れてしまってもうここを直す ことはできないだろうということで海の方 へ新しく道路を作り直してここも昨日 タクシーで通っていただきましたがえ そんなところもここからまかなり望遠 レンズで見ているからですけれども見る ことができます全国でも珍しいが上海の上 を行く区間ですさてえーじゃあこの山を いかにして越えてくるかということでこれ も昨日見てまいりました宇都屋峠はま ちょうどここに安部川があってですね 安部川を渡ってこの裏のところがま ちょっと山がねえ低くなっているのお 分かりいただけると思いますこの辺見て いただくとね多少こう山に切れ込みが入っ てるの分かるかなと思うんですけれども この間にちょうどうまく抜けられるところ
があってここから山を越えて向こう側が 藤江だしもしくは八津市ということになる わけですね西の方からは滅法交通の弁が 悪いのですがえこっちで1度寸far場を 超えてしまえばあはある程度まとまった 兵器がつっておりまして江戸幕府と直接 繋がる重要な港清水港へつがるわけですね えもしくは幕府直轄地の甲府へとつがる港 でもあります山梨県のねえ土地があると いう話を昨日お伝えしましたでこの清水港 まではこう便利に使えるんですけどこれが 終わるとまた険しい山が連続するように なりましてでこの山がねサタ峠と言いまし てま今は横国道で通れるんですけれども昔 こんな浮いの時代ねこんなったそうです もう危なくて歩くのも大変ということで 静岡のリチは本当に都合がいいですね港 まではある程度広い安定した土地があるん だけどそっから向こうはまた峠道になっ てって交通の便が江戸バ府的には悪くあっ て欲しいところはちゃんと悪くなってると よくできていると思いますでさらにそっ から関東方面江戸爆を攻め落とそうとして 登っていく場合には箱根の山があります からあれもまた攻撃する時には超えなけれ ばいけない南勝幕府の防御拠点として 大きな機能を果たすことが期待されます 昨日東海道新幹線でね冒頭オープニング 撮影して富士山が藤川のところで見えます でこの富士山が見えるんですがこっから先 は静岡市内まであとはひたすらトンネル ですという風な話をしてトンネルの映像と か見ていただけましたそれがつまりねまた 江戸方面にもまた交通の便が悪くなってい てそれだけ防御地点として優れている静岡 の立地の良さを感じさせますわ東海道新 幹線が今静岡駅を通過にかかりましたね もうあっという間に安川も超えて新幹線が 長いですからね16両もありますからはい 越えました安倍川を超えて大きな左方向へ のカーブへ今ここら辺でねおおお進行方向 左側に富士山が見える見える反対の列車と 行き違いをしながら今日も天気がいいです ね皆さん名古屋大阪へ大急ぎしばらくの間 の記念札でシャッターチャンスとになり ます静岡を出てから一瞬だけ演技のいい 東海道名物の左富を見ることができるん ですねこれを過ぎましたら新幹線は江戸 時代には人々の通行を阻んでいた険しい 峠道日本坂トンネルを使ってその中をあっ という間に通り抜けてしまい ます16両も長さがあって色が白くてよう にビカと照らされていると新幹線がどこを 走っているか見られていいですねこれで新 幹線が見る静岡市内の景色は最後でしょう
あそこのトンネルに入って日本坂峠を地下 で超えていくことになり ます一応ねこの山の上を日本坂峠という そうです宇都屋峠の倍ぐらい険しいみたい ですね大崩れよりは真な道だと思います あとあそこに見えている安川がま砂利した 川じゃじゃないですか昨日もねちょっとお 話たと思うんですけどこの安部川が海の方 までずっと砂を運びましてこの砂がですね 海流によってこの辺りをスルーして じゃんじゃんじゃんじゃんじゃんこっち 運ばれるそうですねそんでみほの松原の つりますこの砂が出来上がってその広大な 天然の防波堤に守られた清水湖は江戸時代 盛に利用されることになったわけですねま 今でも盛に利用されています本当全部が 時給時速でやってんのがすごいですよね港 の中は外用の波が入り込まず大変穏やか です一応ね外は船が血行してしまうぐらい 風が今強くてえ波がザーザーしていると いうことなんですけれどもちょっとこっ からで分かりにくいかなで白波が少し立っ ているのとかね見えるかなと思い ますちょっと見づらいかなこうありますよ ねなんか伊豆の方が港があんまり良くない みたいでこっからねこうスガワフェリーに 乗って富士山の前を横断してあっちの伊豆 半島の方にね次は行こうかなと思ってたん ですけどどうもあっちの港に説がするのが まずいんじゃないかタクシーの運転手さん はおっしゃってましただから午前中はね 結構みたいですこの風が弱まりばなあここ からの景色が分かりやすいですね日本の 松原の外側と内側でどれだけ波の影響が 違うかっていうのはっきり分かると思い ますここで船をつけるってなったら大変 ですよこの大波に揺られながらま江戸時代 だったらこんな状況では危なくて船で 近寄ることはできなかったでしょうねでも こっちだったら全然問題ありませんね波 なんか存在しないじゃないですかだから 造船所もあるんですね戦争中は軍需工場と かとしていっぱい使ってたみたいです展望 台いくつかありますんで何箇所か見て回っ てみてください9時になったらば日本台が 夢テラスですかあ来ましたお茶を飲んだり できるそうですねあでもテラスからもう いいですねま結局色々いい場所はあると いうことです ね駅家天然ガスを運んだ船がまた清水港に 入行しました世界の富を運んできてますよ 特に八津方面から大海岸を見て安部川静岡 市街 ずらーっと曲って清水まで連続的に同じ 視線で楽しめるってのがいいかもしれない
な静岡はまさに一望できますからねよしそ したらロープウェイに乗らなきゃねここ から日本平ロープウェにて下へ降りますと 徳川康のお墓九山東商宮があります大勢 乗ってるみたいだからこっから今のうちに 取っとかなきゃね目の前の鶴川の手前の とろにびえたこれがくさんですこちら始発 となっておりますのでお手を振って いただかなくて結構 向こうの日本平から谷をひにして反対側の 黒山にやってきます元々お城があった みたいでね久城の石垣跡だそうです徳川 家康が言うには久山が一番静岡で軍事的に 重要なところなんじゃないですかねと 亡くなる直前に行ったらしいですコイン ロッカーがただでよすごくサービスがいい ね100円返却式でしたあとここからの 景色を見といた方がいいですねこれ今ね 西側京都とか大阪方面とかを見ています 向こうが藤枝方面ですま例によって大崩れ 海岸がさっきよりもだいぶまた間近に見え ていますけれども大崩れ海岸の海の方を 自動車がぐるっとえ一旦海の上を走るよう なところ崩れてしまったところとかもここ からえ破壊されてしまったその崩れた暴落 部分とかも見ることができていますがえ ここら辺に安部川の加工がありましてま例 によってその安部川から運ばれてきた砂が ここに溜まってですねでここは崖なんです けれども崖の下にまとまった兵ができて今 真っすぐな道路ができてここ自動車が ビュン走ったりとかですねそれから崖の下 のところでその安部川の石を使ってイチゴ の栽培がしやすいらしく割とあったかいと いうことでイゴが名物になっているところ だそうですまどうもね最初はこの九山の下 のまこの辺はこれ九山のこの山が崩れて あの辺にこう兵ができてこれが運ばれて みほの松原になったって話だったんですが ずっと静岡でも信じられてたんですがどう もガセネタなんじゃないかという話ですね バスで来るともうこの下から上まで上がっ てこなきゃいけないっていうの結構大変な んですけれどもロープウェイであれれば楽 だと足し不層な年配の方もたくさん見えて いますてかもうほとんどの人はロップ ウェイで来てるんじゃないですかね僕は後 で歩いて帰りたいと思いますがこれですね 東小大権源って書いてあんのかな大阪夏の 人の翌年豊美を倒すことができてもう 思い残すことはないという状態で綺麗 さっぱりお亡くなりになった徳川家康港は その遺言の定めの通りここにすぐ神として 祀られることになりましたその後日光東小 宮とかも作られたんですね結構東商宮が
有名なんですけれども九山の方が先だそう です江戸時代当時増援された立派な車線が 今にも残っていますとんでもなく豪華な 構造で彫刻も立派なんですけれども日光 東商宮もそうなんですが家康がなくなって から割とすぐ完成させてるんですよねで1 年とかそれぐらい作っちゃったんじゃない かなとんでもない速さですまやっぱりあれ かなニュース製の話題になってる時にすぐ 作っちゃった方がインパクトがでかいって いうことかな癒さもなくなったんだって へえなくなったのか話たら超豪華な電が 出来上がってえもうできたのすぐ作っ ちゃえば話題性がありますもんね徳川家康 湖東小大門園への参拝は一応今では明治 政府の指導によりまして新物分離という ことでここは神社になっていますさらに この国宝の電の裏側を抜けて墓所にも行く ことができるようになっています墓所所と 呼べばいいのかな最初は軍事施設だった わけですけど城だったわけですけども多分 豊家がもう滅亡したからもう別に使わなく ていいってことなんですかねそれでこの 軍事施設を改めて家康のお墓とする計画を 自分で立てて実際にすぐに徳康はなくなっ てお墓になりました人生の区切りとして 完璧ですよね江戸バ府大丈夫かなと不安な もに始めた1603年の江戸幕府その後 豊富秀を滅ぼして1615年に滅びました がその翌年に思い残すことはないとここに 死んでいきましたちなみにここから江戸を 見守るという意味なんだと思いますが 西向き東京方面を向いて設置されている らしいですあとこれは元々ものではなくて えま江戸時代ちょっと経ってから徳川家光 が東商軍をね日光とかクノ山とかをま デラックスにリニューアルしていったん ですけれどもその徳がイミの時代の リニューアルで今のような豪華な塔になっ たんだそうですねま筋違いなあれだったら 申し訳ないですけど徳川家光ってちょっと お金使いすぎですよね大丈夫だったのかな 大丈夫じゃななかったと思うんですよ家康 の頃はね良かったと思うんですけどエ幕府 結局家光の後ありからもうお金全然なかっ たでしょすごい貧乏な組織っていう印象な んですけど家康が晩年乗っていた馬を埋め たのはここだと伝わるみたいですね諸君ら は金のなる気を知っているか誰も知らない ので家康は3本の木を書きましたよろず ほどの良きま何でもほどほどに 正直で 慈悲この3つの機を大切にすればきっとお 金は入ってくるであろうと歌詞に言いさた そうですでその一切に従ってちょうど良さ
そうな木があったのでご親睦にしているつ ことなんですねまあしかしこれ作った時の 徳川はお金めちゃくちゃあったと思います よ当時お金持ってた理由があるんですよね なんでそんなにお金持っていたのかって いうのをこの後見に行ければと思います それはね正直だからとかねよずほどの良と かそういうのを守ったからということと別 にあると思いますちなみに本当の正門は 身分の高い人だけがここを使えるようです 一応開けてくれてるんでね空いてる様子を 見ることはできるんですけれども我々一般 人は横の通用口から参拝することになり ます天皇陛下とかであればおそらく正門 から行けるんでしょうねこちょうど家康が 好きだったというナスが1個だけまだなっ てるじゃないですかこれあのみほの松原と かあの辺で作っている特殊な野菜だそう ですあとはね200円でゴみくじを買って みましたあ買うって言っちゃだめだあの 宗教法人ですからねえっと200円多めし ました運勢は基地だったらけもま正直それ はねんでもいいです別に大吉でも今でもん でもいいんですけど僕は見たかったこっち ですねここでみくじを引きますと徳川康子 東大本健えご君と書いてありましてその 残されたありがたい言葉が全部のみくじに ついてきます僕のやつはこれでした天下 太平知性長はえ上たる人の慈悲にあるぞ 世の中が長く平和であることは正常を行う もの国民を愛する心の馬によるものである ゆに常に上に立つものはこのことをよく 心得て政治を行うが良い僕自分の人格は 本当に素晴らしい模範的なものだと信じて いるので政治家になれるかもしれませんね ま大変そうだからなやりたくないけどね もう1個書いてありますね人間の行うこと はなかなかうまくいかないが思いやりの心 を持って辛抱強く努力していけば幸運が 巡ってくるそうすね江戸みたいな土中に 飛ばされてねなんか適当にお前やってみろ 豊秀吉にパワハされても辛抱強く努力して いや江戸を開発して頑張るんだ色々やって おりましたら天下取ることができました 我慢すれば絶対うまくいくかわかんない ですけど家康の場合は辛抱強く努力して 実際うまくいったパターンの人ですよね あとここにね五十の塔の跡地があります ずっと明治時代までここにあったらしいん ですけれども明治時代に新物分離霊が出さ れまして五十の塔はお寺だからねお寺は 壊しましょう壊されちゃったそうですね あったらさや立派だったでしょうちなみに お客さんの多くがロープウェでここまで 登ってくる関係上のドアに明らかな村が
ありましてみんなロープウェで降りたお客 さんが一斉に見て回ってくるのでちょっと タイミングをずらすとにすいている状態で 楽しむことができると思いますjr東海の ずらし旅あとセットで購入すると300円 で入れる博物館がありまして撮影はでき ないんですけども家康が関ヶ原の戦いの時 に使ったと言われるかとかですね日本最高 の鉛筆とかですね結構面白いものありまし たね300円だったら見てった方がいいな と思いましたじゃあ帰るか静岡駅一旦 出ようと思いますんですがちょこっから バスに乗って静岡へ行ければいいなと思っ たんですがこの時間はどうもないみたい ですだやっぱロープウェイで帰りますか 贅沢な話でしたけれどもせっかく若いん ですからねもっと過酷な道で参拝したかっ たなロープウェイを使ったらあまりにも 簡単でしたねロープウェって大体ね山の上 から下を結ぶんですけれども日本平ロープ ウェは2つの山のま多少高定差はあります けど2つの山の山頂部分を連絡するんです ね山の下に降りるってのはないんだあ雲の 具合もさっきより良くなりましたね一瞬 だけ見てこうあばっちりじゃないですか やっぱりこっちの方がいいです よ冬は結構見られると思いますバスで静岡 駅まで1本で行けるんですけれどもま今時 車社会ということでバスも1時間に1本だ ということで今日はもうほとんど乗る人は いないみたいです例によってちょっと座席 感覚が少しだけ狭いバスかなあいいじゃ ないすかまだ開けて消し 見ようあこんないいの普通の車で見るより もバスの方が車高が高いからだいぶ目線が いいですね最高ああちょ惜しかったなこの バスの窓越しもいいですよね旅行気分が 高まり ますまたどうせ右側に曲がりますからあ 静岡に行く時は左かなあそこれ清水に行く 時はね右なんですよあ右側に座っときゃ よかったかなあでもいいじゃないいいじゃ ないですか茶畑も見える しあなんかこの辺りの名見るために ぐるぐる回るんですね同じようなところ ぐるぐる何回も走ってますよこんな路線 バス初めて見たな1時間ほど乗りまして 静岡の街中にやってきました新静岡バス ターミナルですねJRともう1個の静岡 鉄道の駅があります元々は城の一角だった ところ今電車の駅になったりこんな立派な デパートみたいなのできたりですね新静岡 セノバと言うんですけど特に有名なのは あの爽やか炭焼きハンバーグですがえ57 組124分待ちのレストランがあります
やたら気なあのハンバーグ屋さんがあるん ですよね僕はお城で食べますまお城という のはすなわち県長ですけれども県長の飯は 結構うまいんすよどこもいつJR東海に 攻め込まれてもいいように僕の方が見渡し づらく鉄壁の守りになってます ねよし安全よし16回に来ました知事直轄 組織ってやばそうなやつもあるんですけど 僕はこっち ですいかにもお城の中という感じのリチだ まお城の中ですからね昨日も渡りましたが 二重のお掘りうちのあの本丸の辺りなどを 見渡しながらのお昼とになります富士さん も見えますよちょっとまだがかみがちだな なちょっと間違ったものを頼んでしまった んですよね仕組みをちゃんと理解してから 注文すればよかったわまでもこれも美味し そうすね600円600円700円かな サラダは別ですなかなかバランスを豊富な 食事ですねっとねもっとバランス豊富な やつもありましたよちょっと食堂からの 帳簿は僕は思ってたほど良くはなかった ですねでもう1個お隣に別館がありまして ここからの景色はすごいと思いますよいや 展望台がこっちにもあるんですよこんな ところもあるのか昨日は実はやってなかっ たんですが基本的には毎日入れるみたい です へえあちょっと清水港とかも見えますねで それからねさっき登ってった日本平がこの 辺の山かであの山の上のところからさっき この辺り全体を見たのでしたあテラスも あるじゃないですか大体向こうからこっち まで来るのが1時間ですテラスで景色を見 てる人の姿まで見られねあとこっから 見下ろせば寸場の彫りの中を見られます けれども昨日あそこに行きましたねあそこ に天主があったんだな高さ30mちょい ぐらいはあったんじゃないかということ です当時日本一だそうですけど30mって のどれぐらいですかねあのマンション ぐらいだったかな県庁の真下ま元々は城の 真下だったところからまっすぐ伸びる 東海道先の方を見渡せば安部川やその先の 山々によって大阪方面ががっつりと固め られているのがまし特も思ったでしょうね 来るなら来てみろ秀よりいやそれ調は 良かったんですけ少しまずいことになり ましてスガワンフェリーの運行状況が出た んですが本日全結構 あちゃあいやどうすんのこれどうする家康 ですよこれ行って終わりにして帰ろうと 思ったのにもう見るようなところ大体見 ちゃったんですよねなんかありますね割れ た茶碗だなこれお城のやつじゃないしょ
多分誰か置いてったんですよねそんな こんなところにお城時代のものが無造作に 置いてあると思えんわちくし昨日のうちに フェリー乗ったがよかったなと思ったら ですねこれに書いてあります徳川家康子五 君人の一生は重荷を覆て当期道を行くが ごとし急ぐべからずそうですねでこの後に 続くのはあれでしょあの不便なの当然だと 思ってれば何でも便利に感じますよみたい なで2番目がそれなんですよね富を常と 思えば不足なしそうす心に望み怒らば困窮 したる時をを思い出すべしそうですね貧乏 で金がなかった時代を思い出せばこんだけ きって旅行できて十分ですよ新幹線はか 静岡駅すら存在しないような時代の人ね 急ぐべからず言われるまそうなんだろうな て気がしてきます今日は大人しく帰ってき ましょうまた来 ますはい2日経過いたしましてまた静県に ってきました現在地は清水港ですもう何回 清水に来たことか念願かって駿河フェリー に戦ですこれでまた清水を出て伊豆方面へ 向かうことにしたいと思います今日も 富士山は完璧ま完璧だからこそ来てると いうのもあるんですがなんかね珍しい船が 1個来てるみたいですあれ地元の人もあの 船何かしらねと言ってました白浜丸って あれ東京ワンフェリーですよね東京湾 フェリーは普通ここ東京湾じゃないからい ないはずなんですけれどもなぜか来てい ますおそらくどっかそこら辺にその船で 整備をしててちょうどその整備が終わって 試験公開かもしくは東京方面に帰るところ なんでしょう珍しい光景を見ました静岡で 徳川家康の話をするならこの船に乗らな いっていう選択はないですよ仙内にも早速 三葉青い例のタイガドラマのポスターとが 貼ってありますがいやこれねただの フェリーだろどっこい江戸時代からの重要 航路そのまま引き継いてる結構面白い路線 なんですねこの船は静岡市内のからスガを 大きくショートカットして西井の問港と いうところを結びますこれでね問いと読む んですけれどもこの問にこの地図にも書い てありますが問金山がありましてここにも なんならポスターが貼ってありますけれど も江戸時代にお金を生産するための拠点と して日本で2番目えサドについて非常に 重要なお金生産拠点だったそうですね幕府 の財源だったんだそうですねでなんか結構 ねこのサドが日本で1番なんですけれども 佐とその途中にもこう金の取れるところが あって幕府はこのルートを ということんですがま特に江戸時代初期の 拠点である静岡寸とここのお金の取れる問
が結ばれたこのスガワンフェリーのコルは 重要だったわけですね江戸時代ぐらいまで はお金はま作るものだったらしいんです けれども五の船に乗った昔の船乗りの人 たちがみほ松原を右手に左手には富士の 小山を見てさあいず金を取りに行くぞと いう気持ちで船を進めていたに違いあり ません後方には清水の町さらに続く静岡 市街中心部へのずらっと並ぶ都市部の景色 が過ぎ去りましてえ進行方向の左手丘の上 は険しい山の地帯になっていますこの山の 辺り一体を見渡しますと大きなお寺があり ましてちょうど船の後ろにま隠れており ますけれどあれが政権寺だと思います政権 寺は江戸時代徳川将軍家の庇護を受けて 大きなお寺となりまして今でも東海道の 名所となっておりますがつまりあそこに 徳川家の関係のお寺を設置しておくという ことはリクロで江戸方面にさらに攻める時 の足止めの拠点にもなるということだった んでしょうねその政権寺の一体を過ぎます とこの奥の方へですね険しい山波がまた そびえておりましてご覧ください道路が また例によって海の上大崩れ海岸で見た ような景色ですが東明高速道路はもう土地 がないということで海の上を走るように なっていますあの辺りがサタ峠 おそらく昔は海沿いを行くことができ なかったのであの辺を頑張って江戸時代の 人は超えながら江戸方面へ向かっていたと 思います本当によくできた防御の拠点です よねだんだん富士山の見え方が良くなって きますスガワンフェリーは富士山を海から 見られる定番の観光名所にも今なりつつ あります清水の街並と見本の松原が後方に 過ぎ去るようになりまして概要に出るよう になりました景色はその分どんどん良く なりますがま多少概要の波の影響を受ける ようになります今日はこの間と違って波は 比較的穏やかでそれほどは揺れていません が上下の動きがあるのがこの映像からお 分かりいただけると思いますこの辺にする と分かりやすいか なちょっと揺れてますよねなお本線の名前 は富士ですが本線富士号はただいまタイガ ドラマとキャンペーンということだと思い ます徳川県の三葉青井を選手のところに 掲げての運行をしておりますいつもやっ てるわけではないと思いますなおこの頃は 剣道223号線に指定されておりますが 多分富士山となぞらえて番号をつけたん でしょうねたまたま223番になったのか なだとしたらすごすぎると思いますそんな 剣道富士山グッズ危ねえ危ねえ危グッズ じゃないやこれ食べ物ですね日本人はこれ
のことについて話すのが大好きこれの名前 は大番焼きと呼べばいいのかご座草と呼べ ばいいのかいろんな名前がありますけれど もまここは静岡ですから今川焼きがいい でしょうと思ったら仙内では一応焼きとし て紹介されてましたあと先ほど清水を同時 に出発したあの東京ワンフェリーの船なん ですがちょっと公式ホームページで調べて みましたがどうもやっぱり今トライアルの 最中みたいですというのは思考運転の行っ てる最中みたいなんですが公式ホーム ページにはこのようにあります11月24 日2日後です久里浜港に黒船 再来こんな船をね新しい予想で作りました 新規デビューする前の状態で今ここで運転 をを行っているいいことを見られましたが あれ黒船なんですねあれが来たから江戸 幕府は崩壊したと言っていいですよ三葉 青井の五葉の船に乗って沖合いに黒船を 見るなんてなかなかできない経験ですよ ここ数十年で何人がそういう経験をしまし たでしょう ねああれは奥からあの紙を運んでくる船か ななかなか珍しいものを見られたと思い ますちょうど向こうに煙突がいくつも そびえる光景が見えます上の製造で有名な 市の町富士市の街並が見えていますで おそらくはその富士市の田の浦子という 人口的に作った港がありましてそっから紙 を運んできた船だと思いますあとあちらに いる東京ワンフェリーのあの船は日本に昔 来行した黒船の佐花号と大体同じ大きさ らしいですね東京ワンフェリー公式サイト に書いてありました本当は本日から久里浜 港に収益するはずだったらしいんですがま ちょっと毒検査が長引いた関係で遅れたと のこと富士さんの眺めはここら辺からが 一番いいでしょう遮るものが何もない海 からの眺め です乗り込んでからずっと座席座って なかってようやくまともに座った結構快適 ですねなんか広広いな広いな特別席もある らしいですさて清水を出行してから1時間 経ちました僕は西一に来たのはこれが 生まれて初めてなんですけれども結構温泉 のホテル旅館がいっぱいありますねい温泉 として観光市有名です船は港に入りました がなかなか設備の整ってなさそうなところ ですねこの船相当大きいと思いますけど 岩壁がなくて何この海の上に突き出した ような形のこの特定に渓流するんですね 大変だこりゃでも一応そこに岩場があり ますからま多少南側から来る波が荒れてき たとしても多少は防げるっていう感じかな 防波堤とかないの特にこんだけ防波堤も何
もなけりゃそりはすぐ結しますよねという 感じだあの見事な清水とはもう比べるまで もないですまあの防波堤とかもね整備した 方がより良いとは思うんですけれども市水 から遠いまでであれば仮にフェリーが血行 してしまってもね遠回りすればまま行け なくはないので離島とかと違ってあの生活 ができなくなるほどではないからま防波堤 の整備がものすごく急がれるというわけで もないのかもしれないですねじゃあ温泉街 を抜けてあ結構都温泉立派なんですねバス の便もあるな船は17時40君が最終なん ですけどバスだと17時47分18時27 分これで前時三島駅の方から東京へ抜ける こともできますまたこれ随分大きな松です ね江戸時代当時からあるんじゃないですか じゃなかったらねこの邪魔なところにある のは切り倒されてると思いますよ10分 ほど歩きますと対金山とかけられた看板 ここ1番の観光名所に来ました上には三葉 蒼井の5盆江戸幕府のお金の出所はここ だったんですねここと新潟県の佐金山 でしょうちみみにこの感じで問と読みます 都に見えますけど問いなんですねまあの旧 金遣いでは都と表記していたと思いますよ ト金山はスーパーの肉リバみたいな音楽が 流れてますね世界一の巨大金塊があるのが ここの売りいろんなところに看板を出して いますこれ以上でかい金ののべ棒ってのは ないそうですねそんなのがあるんですよ 26億円ぐらいの時価だそうです入り口に 大番コバザクザクのオブジが置いています が江戸時代の貨幣って面白いですよねま 当時は世界的にそこだったらしいですけど の本当にリアルな基金属が海兵として扱わ れていました今は違うじゃないですか ちょうどここに1000円札あります けれどこの1000円札自体に1000円 の価値があるわけではないじゃないですか ただ私たちがこれは1000円の価値が ある紙切れとして有効な日本銀行権 チケットとしてこれ使っているというだけ でま初戦はただのチケットなのでみんなが いや日本銀行権ってなんかこれもう無駄な んじゃないみたいにこうもしみんなが思い 始めるとこれが紙屑になってしまうという リスクがあるんですけれども江戸時代には はもうリアルな基金属を紙切れとかそう いうんじゃなくて本当の価値のある基金属 を集めてでそれでお金を作ってそのお金 自体にもちゃんとその値段がつくようなね えだからま極端に言えばこの26億円の金 の延べ棒を26億円札として使ってたよう なもんですよねというようなえ凄まじい やり方だったそうです今は大変便利になり
ましたねみんながちゃんと銀行券を使って それでやり取りできるようになったから それだけ貨幣経済が発展したってことなの かなじゃこの1000円はえ見学料に使い ましょう実際にはクレジットカードが 使えるということだったのでこれ見よがし にゴールドカードで支払いをすることにし ました中に入ってからしばらくは だだっ広いこのディズニーランドみたいな 土地があってなんか金の声がいますよ確か にいっぱいなねこれ可愛いですねとかある んですけれども肝心の鉱山はどこにあんの かなと思ってたんですがま多分ね昔ここで こう色々仕事場としてこういうスペースも 必要だったんでしょうねしばらく進んだら ばありました急に狭くなりますさっきまで のだらっぴいスペースから狭い穴ぼこ山 です江戸時代からずっとこうだったのかと 言うとどうも昭和30年代の姿みたいです ねこれはそう最後はね東海道新幹線が できるぐらいの頃までは一応やってた みたいでしょト金山1960年代です ねもう今は資源枯渇いたしまして金が 取れるということはそんなにはないそう ですちょっとはあるみたいですけどね入口 は江戸時代風になっているんですが実際に 中へ入ってみるとコンクリートの壁でして 分まで使っていた時の状態でそのまま残さ れていると思います昭和30年代の コンクリートのトンネルの中に江戸時代風 の木の門が設けられてたりしてちょっと そこが面白いポイントだと思いますがあ これが昔のスルガワンフェリーですねあの まさに清水とここ問の間を生きしていた船 の昔の姿だと思いますここで取れた金を たくさん積んで三葉青いの拷問を掲げて 清水の港へ向かっていたんです ね今でも同じルートで使ってるんだから すごいですよ今はどこも江戸時代風の飾り がされてますし実際僕もそれを見に来たの でその方がいいんですが元々は最後三菱が 使っていたはずです今の三菱マテリアルが 使っていたと思いますなのでえ多分最後 ここを掘るためのトロッコとかがね中に 通ってたんじゃないですかでおそらくそれ の配線後ここに1本こっちに1本通ってい たのではないかなと想像しますでこの周り にいっぱい丸田が巡らされていますけれど もこの鉱山が崩れてきてしまわないように それを支えるためのものですがあこれ本物 かこっからはすすりっぽいですね掘った穴 が崩れてしまわないように崩れると大事故 ですから壁にこういう風にねコンクリート を巻きつけて補強するんですけれども江戸 時代当時はコンクリートがありませんでし
たのでこういう風な丸田とかを組み上げて え周りが崩れないようにやっぱり固めると いうのは一緒でしたでおそらくそれをこう 雰囲気的にここは再現できるのでまここも ね表面を割と固めたりとかあんまり危険が ないようにえより安全対策を施していると 思います の様子がちょっと変わったのが分かる かしらはい分かりますよそう言われれば さっきまではコンクリートのトンネルの ようだったけどここは木で周りが囲まれて いるような気が江戸時代は今のように鉄や コンクリートといったものがなかったから 木を使い板を支えていた僕がお伝えした ような感じのことですねまなんですけど この辺の壁もある程度近代的な技術で固め られていると思います江戸はは過酷だった と思いますけどねまでもまだここはほんの 序の口でしょうでこの奥のところに神社が ありますがこれは当時からあったやつなの かなライトアップもしてくれましたねま これもし創業していた当時からあったのだ としたらやっぱりこの神社のところまで来 てじゃあすいません今から1番奥の方まで 行きますから山の神様私たちを何卒守って くださいということを祈っていよいよ本番 の行動の奥の方へ進んでいったのではない かと思い ますさっまでよりも的になりましたもんね 温度系だ昭和30年代のやつか なそうではなさそうねあこれはサド金山で も見たやつだな多分これは水のポンプでは ないかと思いますけどねあそうみたいここ からさらに地中180mぐらいまでかなり 掘り続けるそうです金を求めて掘り進めて 実際に金を見つけますとあれがね今も残っ てるところらしいんですけどちょっと 分かりにくいですけどねそライトアップし てくれるんですよこの黒い筋が入っている ところがこれがが今でも残ってるとだそう ですでこういうところからうまいこと岩を 集めていくとでそれを1集めるとま大体 30gぐらい金が昔取れたみたいですね金 鉱脈を求めてひたすら掘り続けて地下深く まで進みますと地下水に当たってしまい ますんで地下水がそのまま行動とか鉱脈の 方へ流れ込んでしまったら作業を続ける ことはできないから電動ポンプとかが なかった時代にこれですよねこれが江戸 時代のポンプですよねひたすらもう夜でも 誰かが 組み上げ続けてたそれにこの作業は夜を 問わず交代で行われていたのそっか休んで しまうとせっかく掘り進んだ行動が水没し てしまうんだとのことですねあの僕は今日
あったかいのに真冬の格好で来てしまっ たってのもあるんですけどものすごく暑く てですね大体こういう洞窟とかに入って くると寒い入道とか寒いじゃないですか 行動とか炭鉱も寒いんですけれどもここは なんか地熱のあれなのかなこ熱いみたい壁 はそんなあったかいて感じじゃないけどで も温泉とかが湧くわけでしょ地熱もあるん じゃないですかうんやっぱりそうらしい ですこれ江戸時代の送風機だそうでして あの温泉のガスとかね熱とかそういうもの から逃れるためにこれで環境を整備してい たと書いてあります壁を固めてる人たちが いますけれどもこれ両脇の人は裸で真ん中 の人は服着てますね結構裸で勤務してる人 が多かったみたいな説明がありました 暑かったかららしいですよおこれはリアル な産業遺産じゃないですかこれはトロッコ の配線後ですね昭和30年代までここで 本当に三菱グループでやっていた時の 名残りだと思いますこの辺もそうですね 多分元々この下のところに線路があったの を上から今固めて私たちが歩きやすく整備 してしまったということだと思います が江戸時代の人たちが置かれていますけど 実際には多分昭和30年代ぐらいまでおお 首がこっち向いてすいちょっと怖かった ですけども江戸時代当時の雰囲気を伝える ためにこれ人形とかで分かりやすくして くれていましたそれも非常にいいんです けれどもも一方で壁にこれリアルな昭和 30年代までここが最後まで営業していた 当時のものは一部残っているというのが 興味深いですこのスイッチとかも多分当時 使っていたのがまだ今でも壁に埋め込まれ ているんでしょうねというかなんなら トロッコとかその線路もまだああるみたい だよな放置されてるのかなあれそうですよ ねあの門から先にもまだ多分何km何 10kmもしくは何百kmと延々このの山 のあちこちで金を求めて掘り進んでいった 跡が残っていると思い ますもう行くことはできないでしょうねだ から多分この向こうからトロッコへこう 入ってきてこっちへ行ったまトロッコの 路線とそれからこっちへ行ったのと少なく とも2手の分岐点だったんですねまもっと もっと校内は迷路のように分岐しまくって いることでしょう今のに気ななかった いかにも江戸時代っぽい雰囲気なんです けれども昭和30年代の雰囲気も同時に 味わえるのがいい ですまた熱くなってきたなも壁に下ってる のは水っていうもう温泉なんじゃない一応 冷たいかなそんな冷たくないなあ温泉本当
にあるじゃないですかあほ入ってる入っ てる金鉱脈があったらいいなと思って掘っ ていたらば温泉が湧きましたじゃあ せっかくだから入っとくかということで今 の問い温泉の歴史に続いているのではない かと思いますこの休憩所この大丈夫なの 鉱山で働いてる方もしよければ教えて いただきたいんですけどこの火を火をたり とかしてるいいいもんなのかまでもやって たんでしょうね多分で元々はここに トロッコが走ってたわけじゃないですかで トロッコだとこっからこっちにね次は コースが続くんですけどここの鋭角カブは まできたかな多分いや無理ですよねだから そのために多分向こうからこうトロッコが 来てで一旦ここにこう突っ込んだ後 折り返しこっちに入ってるとか向こうから 来たトロッコが一旦こっちに突っ込んだ後 また折り返しということで多分動いてたん だと思うんですよねだから元々その トロッコの折り返し設備として使っていた 場所をうまいことこういう電池スペースと して今は再活用しているということなん だろうと思います外へ行くにつれて だんだん涼しくなってくるなまさか中が あんなにあったかいとは思わなかったです よそのあったかい温泉水地下水みたいなも 多少こちらに流れてきてんのかなこもさや 温かかろうこれ今入っていったところの上 にもなんか階段で登れるようになってます 一般の人は立ち入り禁止みたいですけれど も石垣で固められたところの真ん中をこう 抜けていくのは明らかになんかの産業の後 だと思うので多分こっちにもなんか普通の 人が行けないような穴とかが開いてるん でしょうねそういうの見てみたいなさて じゃああは資料感でえ世界一大きい金の 延べ棒みたいな見て帰りますかあとは資料 感を見ていった方がいいですねむしろ こっちのが面白いかもしれないなえこんな に綺麗なの軽重キギってやつじゃないです かあの江戸バグフができた頃の大番何 そんなに綺麗な状態で残ってるんですか もっとボロボロになってるものかと思い ましたけど徳川安の事態に製造するた まさにここら辺のやつだと思い ますこれね全部一緒に見えるんですけど実 は結構違うそうですね徳川家康から家光 ぐらいにかけては対金山とかでも金が大量 に取れたんであのじゃんじゃん自分でお金 を生産して自分で金を生産して金持ちに なるという反則技みたいなことがてきたん ですがまだんだんそれが厳しくなってきて ですねあまりここでえ金が取れなくなって くると多分この原とかの時代だと思うん
ですけれどもこの効果効果というか貨幣の 中に含まれている金じゃない材質のものが ま結構多くなってきてえ違う金属をこう 混ぜ合わせて作るようになってきたらしい んですよねま10円玉銅で作られてます けれどもま例えばねその銅の成分が減って えアルミニウムとかねなんかニケとか別の 材質に変わって10円玉が作られたとして も日本国政府が発行している10円玉で あれば10円は10円じゃないですか別に それ価値が変わったりしないっていうのは 今の時代なんですけど江戸時代はその金貨 のコバとか大番の中にえ金がどれぐらい 含まれてるかによって同じ一両でもね全然 価値が変わるみたいなこのバージョンの コバは価値が少ないみたいな感じですね 結構複雑なことになってたらしいですだ から結局こういう金とか銀とかが採掘でき なくなっていくことが江戸幕府が傾いた 大きな理由であったみたいですよ江戸時代 最初の頃はもうじゃんじゃん自分でお金を 作り出す力量があったのでそれだけの金が たくさん取れていたのでまそれで例えば 九山の東商部とかねそういうのも豪華に 作ることができたんですけれども江戸時代 の後期とかになるとあんな豪華なもの幕府 が作りましたみたいな話はあんまり聞か ないですよねあとはこれを見ていかなきゃ いけないですねこれが世界最大の金塊です かえ25万Gっていうことだから 250kmもあんのこれそんなにあるん ですか江戸時代からの歴史に経を表して 三葉青いの5問を入れたんですね持主は 三菱マテリアルでしょ元々対金山を最後に 経営していた企業が今でもこれを所有して いますていうかなんだったらこの博物館今 でも三菱系ですからね別に経営は変わって いませんあの金の延べ棒は三菱マテリアル が4億円ぐらいかけて製造したらしいです よ世界一の座を達するためにですねでこの 向こうのとこに今見てきたところが見え ますけれども昔は1962年までやってい た時はこうだったんだそうですなるほどね なんかこう石垣とかがあってなんか上に あったんだろうなとと思っと上に先行場 みたいなのがあったんですね多分取れた その原石をこう持ってってでここもこう うまくねこう加工してでいらない成分を こう捨てたりとかここで金の成分だけを こう取り出したりとかしてま最終的に製品 とする工程がここで行われていたのだと 思います上へこう持っていくケーブルか インクラインみたいのあったんだなもう ほとんど当時の建物は分かんなくなっ ちゃってますけど水槽が1番目立ちますよ
ねこれ多分水槽でここに薬品とか水とかを 貼ったりしていらない物質を取り除く作業 を行っていたと思いますそれだけはここに 今でも同じように写ってますねこれとうん あと円内にはやたら色々な種類の鉱物が 展示されています満貫クラストまここは 金山ですからね関係はないと思うんです けどこれハワイで取れたやつですしなんで ここで展示されてるのかなこれ多分ねここ が三菱マテリアルのやってるところだと 思うんですよねあのここ今でも三菱系列 ですから多分あるんじゃないのかなそう いう余ってる鉱物がでもう置いとくぐらい だったらここで見せてあげようみたいな 感じなんじゃないかと想像します足湯が あるなここで出てきた足のあえ結構なんか 色々成分豊富なんですかなんかこ神伝物 みたいなのが見えるような気がするけども ちょうどいい温度の足湯ですがこれね足湯 が出てくるところの岩が豪華なんだよね やっぱり鉱山会社だからいい岩を色々持っ てるんでしょうねこのここで対金山で取れ てたかなでもだったらそう書くと思うんだ よねあとそうそう僕は今回はやめとこうと 思うんですけどここの名物といえば先取り ですよねみんなやった方がいいんじゃない ですか静岡県内のなた川たち天竜がは 大井川安部川藤川であとは金川かな砂を ここに持ってきてくれていましてその中 から先を拾い上げてみましょうのコーナー です750円と意外に安いな先取りまるで 巻こ取りが鳴いてるような感じなんですが あの夏の時期だとものすごく観光客が増え て混雑するようですよ僕はいつも空いて いる時期に空いてる場所に行くからねあの 金山の観光施設今も三菱系で運営されてい ます三菱マテリアルの子会社なんですねだ からま三菱のものもねいっぱい置いてある んですけれども元々は江戸幕府の開発した ものでそれが明治時代に明治政府のものに なった後大体ね払い下げられて財閥のもの になって特に三菱はそれ払い下げを受ける ことが多かったみたいですねで現在に至る ということで意外とだから徳川時代からの 歴史的な経緯が今でも続いてるんですねも 今の問はちゃんと観光の町として一定の 地位を得ておりましてコンビニもあるし ドラッグスターもあるし結構都会的な印象 ですねで昔の歴史もあってこの松ここにも さっきも見ましたけどラッと並んでんの これ結構古いやつだと思うんですよね松の 木の根元でコンビニにいてねえおでんを 購入しましたま静岡の文化ということ でこれちょっとまだ船が来るまでに時間 かかるんですよこれ食べて待ちますじゃあ
また静岡へ帰りましょう帰りの清水港へ 向かう船があちゃんと来てますね来てます ねよかったよかった来てますあれに乗って また向かい側の清水まこの辺に明りが ぼやっとついてるこれがあの立派な清水港 の辺りだと思います清水までまた連れて もらいましょう本当静岡ってよくできて ますよね都合のよろしい完璧な立だと思い ました割とすぐに来てくれましたね要は あの江戸体の金を運んだ捕船を再現して 同じような雰囲気でやってくれてるという ことでしょうちなみにフェリーの運賃なん ですがえ清水から片道2000円ですで 帰りオーロの半を持って出しますと1割引 で1800円になりました船はだけでやっ ているのでさっ乗ったのくなんですけど じゃフレもねこのテーブル付きの席とか 結構スペースにもゆりがありますしえ線内 でこたこ焼き合てたりとかねえそれから これもイカもこう焼いてくれてこれ先ほど あの今川焼き注文しましたけれどこれ船の 外部デッキのとこでこういうの焼いてるん ですよポン酢で食べるたこ焼きを静岡の 名物にするために開発中だそうです実際 すごく美味しそうな匂いだもう帰りの時間 は富士さんは見えないだろうと思ったんで 帰りの時間に食べ物とか回しておくことに し たなんかびっくりするほど美味しいですよ うん何生地がいいのかな地上でも売って ほしいぐらいですけどね自分の近所で打っ たら毎日買って帰ります けどポン酢とのバランスも良く生地自体の なんか出来も良くネギも素晴らしくいや 全てにおいて完璧で540です絶対食べた 方がいいと思いますさてこの日の短い シーズンは逆に夜間公開になるということ で日の長いシーズンだとね夜間公開になら ないんですけれども星空を見られるように 仙内の明りを今からどんどん消してくれる そうですすごい本当に真っ暗になりました こんな初めての経験ですえ千後にさっき まで降りました遠いとかが見えますあと空 の明かりとしてはあんまりYouTube のカメラには星って映らないんですけど これ木星だそうです木星は映るんですね なかなかいい感じで取れましたよカペア座 と富士市の明りに照らされる富士山の コラボレーション明山もねえ一緒に移して おきましたもっと天気が晴れてる時だっ たらねちょっと今日多分夜ガス手だと思う のでそれがさーっと晴れればもっとよく 見えるかもしれませんさあもう前方にまい 清水港が見えておりまして波もさっきより またさらに少なくなってきましたま今日は
ないでますね左てああれがみほの東台です ねで裏のとろに日本平がありましてえっと ねどっかあったあったこれがね日本平の ホテル僕本当は今回の旅であそこに 泊まろうかなと考えていたんですがえ非常 にえ人気でもう全然満室続きということで 宿泊はしませんでした正確なホテルの名前 は日本大ホテルですなるほどねあそこから ソリ富士山の景色よく見えますよ静岡市街 のまい明りもこちらへ届いていますねあと ひんなことから僕この船に直書きでサイン させていただくことになりまして光栄なん ですけれどもませっかくなんで何か宣伝を と思いましてあの先ほどのたこ焼き タコポンてやつなんですけど絶対美味しい んで絶対おすすめです書かしていただき ましたこれで売上が増えたら嬉しいですね さらにご行為で2階の特別席も見学させて いただきましたや50000円で乗れるん でね普通に50000円払って乗れば よかったなと思ったんですけれもちょっと そこねえうんちをケチってしまったんです がいや50000円でこれでコーヒー付き ですから乗ればよかったです ねこうこいて入れていただけてその良さに 気づくことができました日本平を真正面に 見 ながら清水の港へ入るんですねはい清水 着きました雑な感想で申し訳ないですけど 面白かったですね唯一無理のコロだと思い ますよこんな綺麗に見えるなんてあの静岡 県道223号ってのはたまたま鉄板だった らしいですよだその鉄板だったのを目を つけて静岡県がそのまま航路のあれに指定 しちゃったんですね清水湖からJR清水駅 までは無料送迎バスが出ています本当何で も清水のバスは無料なんだよなも清水界隈 の無料送迎バスネットワークはとんでも なくてですねこれスルが健康ランドって いう近くにスーパーあるんですけども宿泊 もでき面白いところなんですが駿が健康 ランドまで無料送迎バスがあってここから ですね山梨市の伊沢健康ランドまで無料 送迎バスがあり長野県のあれ藤見の方でし たかね新州健康ランドというところもまた 無料送迎バスがあるんですよだからま あそこのホテルに泊まればという話なん ですけれどもただで長野まで行けるんです よちょっとすごいすごいよね徳川けもあの 無料送迎バスのルートを使ってえ水運とか も活用してシナノの国の米とかもこっちへ 運べるように考えてたみたいですようわ ホームライナーいるじゃないですかいる じゃないですかてかもう行っちゃいます けどもホームライナーすごくいい電車で朝
と晩にしか走ってないんですけどこの電車 に乗れば超快適に爆走して三島まで行く ことができます三島から新幹線に乗って 帰りゃ良かったないやこれこういうことな んですよ今清水にいるじゃないですかで 東京方面に帰る時ここから三島まで行って 新幹線に乗り換えて東京帰るのがま1番 最短ルートなんですけど三島はちょっと 遠いんですよねそこまで普通電車でずっと 乗ってくのは面倒なんでじゃ静岡まで バックして静岡から新幹線で変るってのが 大体のパターンなんですけどこの時間はね 清水から三島まで超快適に高速で走る ホームライナーがあるんですよこれ昼間の 時間帯は普通電車しかないですから清水を 出たら大い神原新神原藤川藤吉原東高の 浦原片沼津で三島と行くんですけれども ところがさっき行ったホームライナーに 乗れば300円かかりますけど特急の車両 で清水富士沼津ですからねでま沼津止まり なんで三島出るためにはあと1息今 乗り換えて行かなきゃいけないですけど 確かそんなここの乗り換えはね手間じゃ なかったはずなんですよそれ三島から新 幹線帰ってもねいいなその方があの値段も ちょっと安くなりますしねいいなと思った んですけど今回は静岡周りで帰りたいと 思いますあまいいんじゃないです 211もね期引退しちゃいます しあっという間にわずか10分にて静岡駅 に戻ってきましたこの動画もそろそろ 終わりです終わりの際にこの静岡という 感じの並びについて少し考えてみたいと 思いますつづくいい名前だと思いますね この静岡しかしまだできてからわずか 150年1660年ぐらいの歴史の浅い 名前です静岡駅を出たところの地下通路各 方向にに伸びていく矢印が天馬町験町五町 本山色々ありますけれども歴史的な長明 ばかりでかっこいいな静岡市と思いますが 元々は静岡ではなくスプだったわけですお 伝えしましたなぜこのスプという街の名前 がなくなってしまったのかということです がまずこれ明治心の時にスプとか府中とか 呼ばれていた街の名前を静岡に変更する ことになったのでした駅前の地下通路を 上がって人々が賑わう今夜町の一角町内は どこもやですがこの道を突き当たった ところだけ明らかに明りが少なくなって いるのに気づきます黒海の高級車も1台 迎えに来ているこの高級量定は富郎と言い まして元々は徳川吉信さんのお屋敷だった ところですしかも徳川吉信のお屋敷と言っ ても江戸時代に徳吉信が住んでいたわけで はもちろんなくて解説によりますと元この
地は徳川幕府の大館屋敷であった明治元年 全将軍徳川吉信港は謹慎のオミを見から ここ寸分に移されま最後高森の差し金とか もあったかと思うんですが徳川吉信は江戸 時代の最後の最後天皇や明治政府に建つ 逆賊として扱われるようになってしまい ましたそして処罰することは免れたんです けれどもその後謹慎としてま穏やかに隠居 しなさいということになりまして最初は 水戸にその後は静岡のこの場所にしばらく 住み続けました20年ほど住んでいたそう です最後の将軍が親ごめとなった後 しばらくの間住まうことになったこの敷地 には当時作られたが今でも残っているそう です食事すれば見ることができますまこれ ね行きたかったんですけれどもまあそこ かなりの高級な亭ですからしかも夜の時間 でしょうすいません予約しないですけど今 から1名で食事できますかって行くような 場所ではないと思いますので私も行き たかったんですがちょっとそれは諦める べきだと思いますお昼だったらまだ行けた かな天皇陛下とかもねお食事に使われる ようなところだそうですからともかく明治 時代が始まった時ここ静岡に引っ越した徳 信は天にはかった人という認識のもで時代 を始めざるを得ないことになったわけです けれどもそんな逆風の中の徳川けは中と いう町の名前まスプもしくは府中という町 の名前だったわけですがその町の名前を 改めるように明治政府から言われたのだ そうですままず府中というのがまどうも都 っぽい徳川家が住んでいるところがそう いう都という感情を使うのはどうなの かっていうのもあったかもしれないし府中 という読み方がこれがま忠義がない府中と も同じ音で演技が悪いというなんか色々 理由はあったらしいんですがこの静岡の 名前については静岡市役所の前のところに 大きく公式見解が掲示してありますので見 に行きましょう静岡の由来明治2年背反 事件を前にして寸分または府中と言われて いた地名の解消が半丁で協議されたこの 半長靴gewの前身に当たるんですけど まだ背反知見前だったので 半長靴でじゃ誰が県制を担当するのかと いうと県民の選挙によって選ばれた知事ま 今であれば川知事かこれを担当するわけ ですけれども当時はまだ江戸時代からの 名残りで 半長靴をした結果この北の方にあります山 静は山にちなみ静川と一旦は決まったが半 遠のこのなんとか先生は時世を思い土を 考えて静岡すなわち静岡が良いと考えと いうことなんですがでこれで実際に立ち
まちこれで静岡に決定とのことであります がじゃここに5文字書かれている時世を 思いたこれ何なのか5文字しか書いてい ないのでここから想像するしかないんです けれどもまおそらくですが当時明治政府 そして天皇陛下に対し徳川家ははかった ものとされたわけでそれに対して今でも 一応県の成長になってはおりますが私たち は決して皆さんに今後2度と歯向かうこと はなく静かにしておりますからどうぞ何卒 よろしくお願いいたしますという意味も 込めて静岡にしたのではないかと思われ ますまただ静岡市の公式見解としてこれが 発表されることは多分ないと思います太平 洋戦争も終わって地方自治の時代になり まして今地方自治体の権限も昔よりも だいぶ戦前よりも大きいものになってい ます民主主義の時代においてですね私たち はお国にはえませんからみたいな意味で この町の名前がつきましたという風なこと を自治体が発表することはないでしょう 本当にそうだったのかも何とも言えない ですね実際明治新から1世紀半経ちまして 静岡県はあまり静かな件ではなくなりまし た今国作でリニア中央新幹線を静岡県の 北部にも逃走という話をしていますが今の ところその着の許可は与えられておらず 中央新幹線の建設もこのままでは事として 進まないという見込みになっていますスプ の名前は市民の愛する強度の別名として今 も普通に通用しますまたかつて日本一の 規模を誇ったスプ城は今だいぶ昔の姿を 失ってはいますがしかし調査が進み昔の姿 を少しずつ戻していきたいという気運も 上がってきています日本の政治の仕組みも すっかり変わりましてま僕もまだまだ理解 できていないところが非常にいっぱいあり ますがしかし明治身の時のようなもう 私たちはここでとにかく静かにしていよう というような雰囲気はもう完全になくなっ たと言っていいでしょう白く美しい静岡駅 校内に見ておきたいものがありますね県民 に対し中央新幹線の会用へ向けての理解を 求める張り紙です中央新幹線を建設すると いうことは日本の大動脈輸送を二重系統化 し災害に対する抜本的な備えとなり日本の 社会経済活動を大きく活性化させることに もなりますそして中央新幹線ができると いうことになれば静岡県内の皆さんの利便 性も向上させたいとJR東海としては考え ていますということを逆に言えば出さ なければならないほど今中央新幹線の開業 へ向けての状況は到着状態になってしまっ ているということです僕はこの動画を使っ て視聴者の皆さんにリニアを建設させて
くださいとかね静岡県民は川指示に投票 するのやめてくださいとそういうことを 言いたいわけではなくただ静岡に今いる殿 様が国をまた動かすよう なまでの黄時代に戻ったようだなと考深く 思うだけですその気持ちを共したいと思い ましたの川知事と江戸の久保様岸田総理が どういう風なやりたりをしてどう決着を つけるのかていうのは僕にはちょっと予想 はできないですけれどもただ日中国から どうも黒船がやってきそうな感じです からそれを考えると やっ ままるで江戸時代も今の時代もあんまり 本質的には変わってないんじゃないかなと 思わせてくれるような良い体験だったと 思います政治的なというよりはねあくまで なんか旅行が楽しくなるような話ができれ ばなというのは僕の基本的な考えですさて 東京行きのひ号ひ520号に乗って帰り ますひ520号は20時39分発の予定 でしたが本日5分以上駅に到着しました私 はこの光号には乗れないだろうと思って おりまして後のこだま750号に乗るもん だと思って駅へやってきますと光号が遅れ ていたので乗ることができました途中停車 駅は新横浜品川だけでまっすぐ東京駅へ 向かってくれます後のこだま号であれば 各駅で1.5倍ほど時間がかかると思い ますラッキーリニアができればこういう風 なことも少なくなるんじゃないですかノン ストップの光号の本数も増えるんじゃない かなと想像します予定では中央新幹線の 開業まであと3年とちょっとですもう そんなに迫ってるんですね信じがいしかし 予定通りには行かないでしょうま石利用者 としてはただあるものを使っていくという だけですねこの切符静岡初東京行きです けれどもま品川はね江戸時代から品川って いう名前の町ありましたけど静岡も東京も どっちも明治になってからできた名前なん だななんかこれも感慨深い話ですねノン ストップ直行でも一瞬で新横浜きました いや今週結局東京静岡間新幹線多分4往復 ぐらいしちゃと思うちょっとねやりすぎな んですけどやってみて思いましたけど やっぱり途中止まらずに1本で静岡までえ 行く早い新幹線が基本的に1時間に1回の 運行になってますからでそれと各駅停車の こだま号が2本という感覚で運転してます んでやっぱり名古屋とか京都新大阪に来と 比べると静岡の方たちは色々ねあのそこら 辺に気を使うこともあるのだなということ をえつくづく実感したところでしただから jr東海さんはあの静岡駅に停車する新
幹線を増やしてくださいと別にそういう話 じゃないんですけどま自分が普段静岡に 行く頻度よりも名古屋京都新大阪に行く 頻度の方が多いですからまそれを考えれば ていうねえま自分自身の形状になって しまいますまそういう風に思うところも ありますしまとはいえもっと本数がねえ 将来にわたって増えればいいなということ も思います最終的に1番感じたのはそこ でしたねこの数日間お楽しみいただければ 何よりでしたえ静岡県の皆さんもえご覧 いただきありがとうございました今あなた がご覧になっているスーツ旅行チャンネル の宣伝です僕は高校生の時に就職に失敗し ましてやることがなくしょうがないからお 金持ちになるかとYouTubeを始め ましたら本当にお金持ちになりました手に 入れたお金と時間まだ若いということで 体力もありそれらを活用して色々と旅行の 動画を作っています変な旅行もたくさん やりましたハワイまで1日で旅行したり 東京からロンドンまで列車と船だけで旅行 するというのもやりました特にご好評 いただいているのは歴史的な道のり用ル シリーズで例えば自転車で東海道や中仙道 などの道を走ったことがあります
2023年11月19日
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00:00:00 新幹線で静岡へ向かう
00:09:55 大阪方面を防衛する安倍川
00:26:17 防衛する宇津ノ谷峠・大崩海岸
00:46:40 超便利な港町 清水
01:04:32 駿府城の本丸 久能山と日本平
01:28:48 幕府の金策ルート 清水ー土肥航路
01:58:38 「静岡」の由来を知ってから帰宅
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創価公明着実に拡大発展青年会員増大後継者着実に拡大発展創価公明着実に拡大憎しみ妬みは悪人悪党の証拠公明議員全員当選続くアンチ創価哲学的原始人目を覚ませ😊
サンドイッチを初めて駅で発売したのは大船軒ですよね?(明治32年)
唐突に始まった貨物列車の
音真似が上手くて吹きました!!
話し方、表現力が抜群。解説の口調がとても流暢で面白く大変楽しめます。 流石に若い世代の人らしく携帯で地図や必要情報を即時入手して行動が出来ると言う醍醐味があって昭和生まれの高齢者にとって学ぶ事が多く嬉しいです。 英国在住35年、日本が懐かしいです。 駿府は私の曽祖母が武家の出身で、徳川家康時代の恐らく旗本(近藤家の末孫)だったと推測しています。
賤ヶ岡の「賤」は「いやしい」と読むので「静」にした、と中学で習いました。
駿府に居たのにわざわざ出張ってうつけに討たれた東海一の弓取り
家康が駿府を選んだ理由、今川に人質で居たという土地勘、洪水の多い安倍川の流れを変えるために全国大名の金を出させ指示をし治水工事をさせ西北からの防御を整えた。
さらに東には清水ー富士間の山々に加えその先の箱根の険が最大の防御になる。
なぜ東に備えたか?それは自分が好きな小説の影響があるが二代将軍秀忠との確執に対しての防御(隆慶一郎著影武者徳川家康好き)による。
漫画にもなりましたが結構面白いです。
静岡といえば”ひかり”ですね。(*^-^*)
判ってないな!1番は、大坂城や!勉強し!
ですから…こそっ✨‼️
のイマ、ココ、『ヒカム💖💓💕🧡❤️🔥✨‼️‼️‼️=ヒカリ、∞【無限大】💖〜❤️🔥✨!!!=人類史上、最大・最強=戦わないこと。・最良・最高😃✨の幸福(ecstasy)顔💖💓💕🧡❤️🔥✨‼️‼️‼️』なのですょねー。
(^o^)/
笑っ✨‼️
健康ランドとマグロ目当てに行きます。撮影向きではありませんが。
三河って有力地侍が多く、おまけに味方。土地が余ってなく、織田・豊臣幕府直轄地であったらしく、徳川幕府の時も天領(幕府の土地)であったとか聞いてます。
こういうブラタモリみたいなのすごく良いです
静岡に昔住んでいたので泣きそうです
さっさとリニア開通してひかり号を静岡に停めればいいと思うんですけどねぇ。
静岡県民に聞くと"リニア要らない"ってこたえてるんですよね。
僕は神奈川中央部に住んでいるんですが、リニア開業が伸びているので新幹線の新駅計画がなかなか進まなくて残念です。
Mr. Suit, I love your program! I am Japanese living in US for many decades. For myself forgetting history of Japan, your program is teaching me great deal of history. Thank you for your hard work and I like your voice. Sounding as same as JR announcement! Fuji san was sooooo beautiful in your video!! I cried for thinking of my home land… please keep up your wonderful work!
静岡市民なのに知らないことだらけ…
何でここまで静岡に詳しいのか…
ホント素晴らしすぎます♡
土肥金山懐かしかったです
最後の10分ほどの皮肉っぷりが、素晴らしい。内容に満足しきった後のエピローグのような感じで全編通して面白かったです。
スーツさんの東海道シリーズ大好きです。
駿河国をここまでわかりやすく解説している動画はないと思います。
これからも動画楽しみにしております。
知らなーい❤そんな質問は徳川家康に訊いてくれ✌️
42分24秒のところアコード映ってる!!
いつも楽しく見させて頂いています。
携帯を持たないものですが、あの望遠レンズは何カメラをお使いなのですか?
凄いズームで見えますね!知りたいです。
静岡ってもちろん環境もいいんだけど、「静岡」っていう語感が醸し出す清潔感がいいのよね。
不思議なもので例えばビール1つとっても例えば「静岡麦酒」とか静岡の文字が入るだけで、とても美味しそうに感じられるんだよなあ。
静岡はよく地震の津波で煽られるけど、そもそも静岡県の沿岸部なんて大して人が住んでいないのよ。
静岡は家康が隠居に選んだ安全、安心、安住の土地。将軍たる人物が地域の歴史や地理情報を把握していないわけがないからね。
耐震基準も最強クラス。地盤も強固で海抜も静岡駅付近で20m、沿岸部の用宗でも6m近い。
沿岸部にも人口が密集、埋立地や崖の上の擁壁だらけの住宅が多い神奈川や東京とは違うのだよ。
人口過密地域で起きる首都直下型や相模トラフに比べたら、どう考えても被害は少ないだろう。
みんるいおべっちょせせくりてえら
かつて静岡市の外堀近くに住んでいました。取り上げて下さってとても嬉しいです。いい番組でした。お城近くは駿府城攻略を難しくするため、狭い道も多く、また直進路が少ないため進んでも前後不覚になる様な場所が多かったです。次回、是非そんなところも見て頂けるといいなと思います。
北海道から九州迄転勤した人が、日本中歩いたけど、住むのは静岡が一番だと言って居たコメント拝見し、納得しました。確かに権力を、手にした徳川家康が、選んだ土地ですね。
東海道新幹線が、何かのアクシデントで。停止した際、リニアは、大した代替には、なりません。
「やばい峠には馬頭観音がある」は勉強になりました。
城残しとけよ
この日夜勤明けだったから寝ちまってた。。
起きてすぐ近くの駿府城に散歩行ってたら会えたと考えると後悔が😢
なぜ
静岡浜松に世界に誇る
バイクメーカー
HONDA、YAMAHA、SUZUKIが誕生したのか
知りたいです
日本語の勉強に最高です。外国人ですが、日本語の未熟の友達に推薦します。
う~ん、もうちょっと歴史を学んだ方が良い。
丸の内のビル群は江戸時代に1ミリもそこに土地を持っていなかった薩長クーデターの張本人で、イギリス死の商人トーマスグラバーに師事した坂本龍馬の海援隊で経理部長を務めていた【政商】戦争財閥の創始者岩崎弥太郎が大日本帝国政府から東京駅の計画を知って武家屋敷の跡地を二束三文で買いあさって後に鉄道が通って資産価値が爆上がりした結果。
ちなみに三菱地所には1日当たり10億円の家賃収入ががザクザク入っている。
次回は静岡市~湖西市まで!
動画🙋頼むよ✨
久能山から日光は富士山を挟んで一直線になってるらしいですよ
あなたのファンの一人です。
FMラジオのDJのような声と語り口調。聴いていて耳に心地良いです。
静岡、清水出身?
てくらい静岡に造詣深いですね。
40:07
江戸中期以降は、交番とその裏の公園は、晒し首場。
祖父母の家が浜当目だったので、大崩海岸は小さい頃に通ってすごい怖かったのを思い出しました
たぶん消える
静岡東照宮に行ったら家康本人の手形を紹介しないと!!あの独特な手相は必見ですぞ
安倍川橋はたしかイギリスの鉄骨でつくられてるんだよね
川勝、お堀に落ちれ。落ちたらウケるな。
沼津に住んでいる者からすると富士山はいつでも見えるけど雪が積もっていないとつまらない・ただの山 旅行から帰ってきて富士山を見ると帰ってきたなと感じる
大河でも今川義元公を慕ってたし、可愛がられてたのかも。
れいわ新選組のデモで駿府城に行ってきました。
帰路を間違え浜松までハーレーで走りました。
静岡の紹介ありがとうございます。静岡人でもしらない解説勉強になります。うちの家にも馬頭観音ありますね。
20:52に出てくる橋は「弥勒橋」と言って驚いたことに大正14年の竣工です。
大正時代にこの構造も驚きですが、現在でも普通に使える道幅で設計された事には本当に感動すら覚えます。
おかげで今でも現役で使うことができています。