少し前の台湾を楽しむ~往年のガイドブックを眺めながら
はいえ皆さんこんにちはえ片倉美ですえ 問題なく見られていますかあの今日はです ねえっとライブ配信ということでえ皆さん とねこの大年の台湾についてえ分かいたい と思っておりますえ声の方とか問題あり ませんかもしよろしければえっとチャット の方でえメッセージをいただけたらと思う んですけど聞こえてます かだ大丈夫かな あれえっと大丈夫ですか皆さんえっと 聞こえています かあ聞こえてますねあ5あさんありがとう ございますはいえっと今日はですねあのま 皆さんとあのこのえ大年の台湾でだけど 日本統治時代とかま新国統治時代ではなく てですねあのついあの最近の昔の台湾をね えっと分かち合いたいと思いますま実は この企画はですね以前にもやったことが ありましてあのすごくね好評だったんです よねで私もま非常に楽しくやらせて いただいたのでま今回はちょっとまた少し 掘り下げてね色んなお話をしたいと思い ます今日はあのチャットも開いていますの で是非皆さんあのなんか思い出とかがあっ たらねあの教えていただければまたそう いうお話もね色々こうえ教えていただき ながらやっていけたらいいなと思ってい ますはいえっとまず早速ですねえっとこの えまガイドブックなんですよねで私もこう いったガイドブックをですねあのま今 私自身が手掛けてることもあってあのま 最近あんまりガイドブック書かないんです けどねまでもこうま1996年とか7年 ぐらいにま台湾に暮らし始めてあの最初の 方ねやはりこうフリーランスで来ているの であのなかなかこうね仕事も収入も安定せ ずにあのこういうガイドブックのね仕事と かを非常にありがたく受けていたんですね でえ私がねこうガイドブックの仕事をこう 受けるというのはまどういう意味合があっ たかというとま私は元々ま私片倉はねあの 元々台湾と何か特別な縁があったわけでも なくて親戚がいたわけでもなくてあのね あの例えば祖父母が台湾で生まれたとか そういうことも全然なくてで台湾人の友達 っていうのも全然いなかったんですよで たまたまこう大学時代にあのいわゆる バックパッカーをやっていてでその貧乏 旅行を続ける中でね台湾とま偶然巡り合っ たんですよねで当然その時の印象と今の こう台湾に対する印象随分違うんですけど もこの昔その1991年に最初に台湾に 行ったんですけどまその時は当然この ガイドブックをあのま使ってるわけですよ ねであのまその時に当時ですねまいわゆる
自由旅行という言葉で言われていたこのま 個人旅行ですねでこういたもので使える ガイドブックっての実は2つしかなかった んですよ1つはま地球のなり方でもう1つ は今ここにあるこの自由自在ってガドブッ あるんですけどこの自由自在までもただ この自由自在は基本的にJTBのツアに 入る人たちのまガイドブックといういうね ニュアンスもあるのでまどちらかと言えば まちょっと高級思考だったであの地球の あり方とこのま自由事代この2つしかなく てですねま他にも出てたんですけどまここ に今写真出てるようにあったことはあった んだけどま基本的にはま団体旅行ツアー 旅行向けのガイドブックだったんですよね ですからまおのずとほとんど全員が地球の あり方を買ってたんじゃないでしょうか ねであのそういう状況だったんですけども 私もその後ねこう太陽に暮らし始め てまこの今ここに移ってる自由時代って ガイドブックをねちょっとお手伝いさせて いただいてこれからま私のライター人生と かも物書きのねえ暮らしが始まったんです けど私がこうガイドブックの仕事を受ける 1番のポイントは何だったかて言と勉強 できることだったんですよま当然私もね 台湾に縁があってき生きていたわけでない のでこう台湾について詳しいわけでも何で もなかったのでねまずは勉強をしなくちゃ いけないで私は中国語も学習力は全く なかったですからやっぱりこうあのその 言葉の勉強もしたいと思ってましたしま 台湾についてのこう知識というのがね全然 なかった状態でそういう状況だったのでま 0から勉強ができるこのガイドブックま 当然ねガイドブックなんで責任があること なんでそんなね中途半端な気持ちやっちゃ いけないんですけどまあのねこうま初めの その勉強っていう意味合いを込めてね ガイドブックの次第をやらせていただき まし たでまそういう状況だったんですけども この時代のガイドブックを見てくとですね いろんなことが分かるんですよねまず 例えばこう台湾がどういういう場所である かていうその魅力をねあのま当然伝える わけなんですけどもじゃその台湾の魅力 ってどこにあるのかっていうことをまこの ガイドブが当然こう出すわけですよね全面 に押し出してくわけですよねでその時の こうポイントがやっぱちょっと違うんです よね例えばままだその1991年とかまあ 96年でもいいんですけどその頃の台湾 っていうのはですねま一応海原例も解かれ ているし名目はま国民党政権とはね自由
主義っていうこと言ってたんですよねま その共産主義に対してのま自由主義なん ですけどもそういった状況でありながらも 言論統制ってのはすごかったわけですよで 私もよく思い出すんですけど例えば たまたま知り合った日本語のできるおじい さんがあの政治とか軍事の話になると いきなり言葉が止まるとか ねあのそういうのよくありましたあと 私自身の経験ではないんですけどもえガド さんをガイドさんについてもらって旅した 人が中性記念道に行った途端になぜか ガイドさんが無口になるとかこれどういう 意味だか分かりますあの中性記念度紹介席 を記念したこのメモリアルホールを案内し ないわけにはいか ないでも案内したくないんです よでもちろん批判的なことなんか言ったら これどこに誰がいるか分かりませんから そうですからね台湾ねま当然これはあの 無口になるというのが1番賢い対処方法 だったってことなんですよ ねま今この写真に写ってる左上のね台湾の 旅っていう名前のしおりですけど例えば ここに相徳府ま現在の総頭歩が写ってます けどもこういうガイドブックを見てると ですねまほとんどの場合この日本当時の 歴史とかには触れてないんですよ ね だから総頭府の写真を出してもこれは あくまでも中華民国総頭府なのであって あの誰が作ったか何年できたかっていう ことをま伏せてある状態になってるんです ねまできるだけそういう風なとこには触れ ないっていう雰囲気だったんですよこれが ま1990年代前半のガイドブックですよ ねところがま地球のあり方とかはそういう のがあんまり関係ないのであのま普通にね 旅行の話をえ書きますからまそういう制限 はなかったんではないかと思うんですけど も例えばやっぱり私もこの今映ってる自由 時代なんか書く時にはこの国の名前とかに は相当ね敏感でしたよねあの台湾っていう 名前をつけていながらも政府の名称中華 民国でそこにクレームが来たりするわけ ですよでどっからクレームが来るかてこれ 2つ来るんですね1つは中国から来る中華 民国という国は存在してないだろうって いう言い方ですよね そしてあのもう1つは何かってうとあの 台湾人の中でもこの中華民国による台湾 統治ということを政党ではないと言ってる 人がいるわけですよねま実際政党じゃない んですけどこれね厳密に言うとねまそう いうところであの中華民国って言葉をどう
使うかとかですねまあとこのガイドブック も1990年代のガイドブック特に90 年代前半のガイドブックになると台湾人の ことを中国人って言ったりしてるんです ねまそういう側面もあったりしてですねま 中国人っていう理由はま中華民国がそう いう主張していたからなんですよ ねまそんな感じでいろんなその変化っての がありまし たで私が非常にこう注目しているというか ま今こう色々分析をしてく中でねこの重要 じゃないかなと思ってるの実はこのの上の 方にあるBQグルメが見た台湾っていう本 があるんですねでこれはですね非常に良く できた本であのいわゆるそういう政治的な ところに触れないようにしながらかなり 深い話をしてるんですよでテーマはこれ あのBQグルメなんてね食べ物の話を いっぱいしてあるんですけど実はこの中に 台湾の実情とかね台湾の今の姿っていうの が結構ねあの的確に表現されてるってい そういう面白さなんですねであとこのま あの写真もしっかりしてこれオールカラー の文庫なんですよでオールカラーで非常に ね写真も綺麗であのすごくね他の ガイドブック旅行書とはねかなりあの路線 が違うんですよねまこういうのもねあの こういう本がこれ私が台湾に暮らし始める 前に出た本なんでまだから90年代前半な んですよねまこれ非常にまあんまりねこう あの話題にならないかもしれませんけど 台湾のガイドブック士台湾のね書籍士ね 台湾を紹介する本の歴史を見てく上ではま このBQグルミンが見た台湾っていうのは 非常に大きなね転換期を示してる ガイドブックだったと思い ますはいまそんな感じで例えば皆さんこの 中で使ったことがあるってガイドブック皆 さんあります か 私はねま一応この中ではまこの自由事自分 が書いたんですけどまこれとあの地球の やり方はま使ってましたよねであとこの ちょっと下に行っちゃってますけどこれ マップルマガジンて小文社のガイドブック これも私後ほどこれ手掛けることになるん ですけどそれの95年版95年版1995 年版っていうのは私は全くノータッチなん ですけどあのこの本もねなかなかあの今 思うとすごく面白い本でしたねいわゆる ルルブとかマップルとかこういった本って いうのはまどちらかていうと表面的な内容 の旅行の記事が多いんですけどこれ結構 深くあの入っててですねしかも政治に深く 入るんじゃなくて文化とか人々の暮らしと
か自然とかに深く入ってくものなんですよ 結構ね今見てと面白いなと思ったりするん ですけどねあ胡椒持さん今ごめんなさい コメントね胡椒もさんあ別brother 宝島のね謎の島台湾これ私も呼びましたね 今確か私もつ近くにあると思うんですけど これもね非常にいい本でしたねあのこのえ 別brother宝島のね台湾ってのは 本当にあのこれも非常に あの内容がね面白くてまガイドブックのね 半中には入らないかもしれませんけどでも ま旅行の本としても十分使える本でしたね はいえっとウキFさんはいいつも ありがとうございますああの是非ねあの 海外に行ったことがない方は是非台湾に いらしてくださいあの治安もいいですしね 一々も親切ですしまあのある程度日本の 常識が通用する中で異文化を体験できます ので是非ねあの最初の海外旅行は台湾を 選んでいただければと思いますはい杉永 さんいつもありがとうございますえBQ グルメが見た台湾は在住期間リアルタイム の本でしたああそうですかねあのどうです か杉永さんあのこのね 1990年前半っていうのは例えばこう 美味しいお店とかをね紹介するっていうの もあくまでも団体ツアーで行くようなお店 の紹介が多かったんですよねだから例えば ここの屋台が美味しいよとかここの食堂が 美味しいよっって情報はほとんどなかった と思うんですよだからこのBQグが見た 台湾ってのはそういう意味でも非常に重要 な存在だったと思いますよ ねまあとこの杉永さんおられた1990年 代前半っていうのはですね やはりこの在住者っていうのもねま結構 あのま今ほどじゃないけどまいたと思うん ですねでそういった人々は逆にと情報に 飢えてたと思うんですよあの全くこのね あの情報が出回ってない時代でまもちろん インターネットもないですからねだから 口コミみたいなものが重要でまだねあの 本当に情報不足に苦しんでいた時代だった んじゃないでしょうかはいえ久保さんあ ありがとうございます 久保さんはなるほどザ台湾は現地法で引け でしたあそうですかまなるほど台湾はね あれ確か1990年ぐらいから出てるん ですよねでなるほどザ台湾もあの最初の頃 にねあったこう情報士としてはもう唯一の 存在だったと思うんですよ ねでなるほどだ台湾はちょっとあのま1つ ねあの私も後半あのネル台湾って歴史が 30年ぐらいあるんですけど後半の10年 ぐらいは私と私のパートナーで片倉まは
ですねあの連載をさせていただきましたで ずっと長期連載をしてたんですけどあの 特に私たちがねタッチしていない時代の なる台湾っていうのはあの結構ね広告が 取れたんですよ ねこれが非常にあの重要なポイントで広告 を取るっていうことでその雑誌を成り立た てただから久保さんあのナールフ台湾は これ基本的にあの無料でしたよねホテルと かあと広告を出してくれてるレストランと かま広告出してくれてるパブとかに行くと 無料でもらえるっていう本だったんですよ ねでまこの広告がですね非常によく取れた そうですあの今これがねもう本当に今広告 でビジネスをしてる媒体ってのは本当苦労 してると思うんですけど特にコロナ以降 ですねま台湾の店の経営状態も変わりまし たしあと日本人がにおいて閉める比重と いうのが確実に下がってますよねこれ私も ちょっと機会改めてこれオンラインサロン ので話そうかなと思ってるんですけどこの 10年前20年前30年前と比較した時の 現在というのはこう非常に今日本人の比重 ってのは下がってますよねつまり台湾の 人々にとって台湾の人のビジネスにとって 日本人客日本人観光客っていうのがま 少なくなっているということまあとはお金 も使わなくなってるということねだからも 当然広告を出すメリットはないわけですよ ねでそういう激変の中に今あるんですよで まナルト台湾のその初期っていうのはも その広告を取るのがすごくまま楽だっ たっていうとね当時営業してた人には 申し訳ないんですけどまかなりねいい形で 広告取れた時代だったんですよねまこう いう時代をずっとこう30年続けてきてま 現在ねなくなってしまいましたけどまなぞ 台湾もね あのに重要なポイントがあったと思います ねはい えあゆみさんえあゆみさんはあ20年前 ですかね20年前今日いろんな話出てき ますけど20年前の台湾ってやっぱ今随分 違いますよねだからあの今日はねちょっと その辺皆さんと分かち合いたいと思うので いろんな思い出話があったら是非聞かせて くださいはいえウキFさんえ日本語しか 分からなくて個人でタに行ってもLRTに 乗れますかまあの問題ないと思いますよね あのそもそもですねあのこれ言葉が通じる か通じないかってよりもあの表示が ちゃんとしてますから台湾は逆に言うと その海外からの旅行者を受け入れることに ついてはあのこれちょっと大胆な発言1つ 許していただくとしたらね私ははっきり
言って日本なんかよりも断然台湾のが進ん でると思うんですよどどういうことかって いうとね言葉のできない外国人旅行者来た 時に日本っていうのは必ずしもま今 もちろん日本も努力してますけどね努力し てますけど必ずしもね外国人旅行者にあの 温かい国ではないと思います表示とかね 例えば皆さんバス乗った時にねバスの運賃 をいつ払うんですか前前払いなんですか 後払いなんですかとかあとワンマンあのえ 均一料金なんですかそうじゃないんです かっていう説明が特に外国人の目に当たる ようなとこにはどこにも書いてなかったり しますよねでこういうのはもう非常にあの 外国の旅行者から見たらねあるところだと 思いますよで あのこういうところ台湾人はま非常にその まね表示をあのデザイン化したりですね そういうケアを結構やってると思うんです よで特にここ10年ぐらいの台湾はその辺 をすごく意識してると思いますよねです からまLRTってこれLRTはライト レールのことなんであのライトレールは あの高尾と炭水とあと進展ってとこに走っ てるんですけどあのMRTねあのえ地下鉄 とかモノレールとかこういうのもあるん ですけどこういうのは逆にあの言葉ができ なくてもま路線図を携帯電話で見ながら 乗れば全く問題ないですしあの表示も しっかりしてるんでま特にあの問題ないと 思いますよねただ今日お話しする1990 年代とか2000年代のあの台湾はそう じゃなかったですね結構外国人にあの不便 を感じさせるところだったと思いますよね うんはいえ持さんえ防のえ台湾グラフティ あこれはですね私は持ってるんですけど 台湾グラフティはですねこれあの私あの 日本の家の方に置いてあって今ちょっと 手元にないんですけどあのこの本もいい本 でしたよねでこういうねあの胡さんも多分 歴史を相当ね見ておられる方だと思います けどあの写真はやっぱりね時代を感じるの で面白いですね今日これからも出てきます けどねあのあの時代のこの時代のこの風景 その時代のま写真っていうのがね本当に 時代をこう示してることが多くて結構 面白いですよねはいえ本州さんえはいあ これウスキFさんへのメッセージですね 自伝都電と同じなので乗れますよプリート カードでタッチ乗車が可能です1番楽です そうですねあの私もねちょっと こ台湾にはあのカと言ってですねま いろんなあの えちょっとこれ見えますか皆さこういうね あのICカード交通系ICカードがあるん
ですけどこういうのをですねあの1枚持っ ておくとこれにお金くとバスも電車もあの コンビニでの買い物とかねそういうのも 全部できますからでこう例えばこれ今 チェブラーシカのカードなんですけど結構 ね面白いのいっぱいあるんですよ例えばね これは皆さん見えます かこれあ見えないかなこれ何かっていうと ちょっと見えないかなあのグデたっていう キャラクターが竜に乗ってる今年辰年なん でねまこういうのがあったりですねあと 台湾た皆さん大好きなあの招き猫のカード ですよねこれね招き猫とかですねハロー キティが あのハローキティがですねこうちょっと [音楽] あの虎のぬいぐるみをこれこれ虎年 バージョンなんですけどそれとかですね あと私が非常に好きなのはこれですねこれ ちょっと見えますか私超好きなんですけど あの超の模様の入ったカードですねこれね こういったあのICカードが売ってるので これ1枚100円とか200円ぐらい買え ますんでこれを1枚用意していただいて あの地下鉄やねあの えバスに乗るのはすごく便利だと思います のであのぜひぜひウキFさんあのねあの 買ってみてくださいあと鈴木中さんえナタ は当初は男性観光機をターゲットにしたと 思われる雑誌でしたが年を減ることに クリティ上がりましたそうですねなるほど じゃ台湾はですね元々あのまこれねどうし て男性男性韓国機がターゲットたかって いうとこれ私も聞いたことはないんで確証 ないんですけどあの時代のねえ広告を出し てくれるお店がやっぱり夜の店だったん ですよで夜の店が広告を出してくれるから あのそういう内容が多かったですねあと もう1つはですねそもそも杉永さんの時代 って女性の旅行者少なかったですよ ね女性が旅行台湾旅行するていうケースが 非常に少なかったと思うんですよだから あのまそのなぞ台湾とかも観光雑誌です からどうしてもそのま男性をターゲットに するわけですよねそうすとそういうところ に広告効果を感じる夜の店が広告を出して くれるのでまそういうね あの店の内容が多くなるということですよ ねはいであゆみさんえ20年前ですが キリンホテルと思いましたキリンホテル後 で出てきますあのキリンホテルねもう残念 ながら今なくなっちゃいましたけどもうね ツ旅行で行ったらもう定番のやつでしたね キリ大判定ってねうんはいえ内明さんはい え時代的に仕方がなかったかこ台湾の歴史
研究は今ほど知る機会がなかったからでし たでしょうが桜島の謎の島台湾は間違って 内容かれたという印象が残っていますそう ですか具体的に教えてくくださいちょっと これどこが間違ってのかちょっと教えて ください僕はちょっとよくわかんないです けどね特に厳重民族についてのも部分です ああそうですかどういうところが間違って たんですかねまでもねこのうみさんで言の もよく分かるんですよねあの台湾のことを 発信してる人自体がまずすごく少なかった であと発信してる人が少ない上にですね 当時統制社会ですから発信源がみんな政府 なんです よで台湾の実情とか庶民庶民発の情報と かってのはもうほとんどなかったと言って いいぐらいなくてでたまたま台湾の人と 台湾の人が日本に住んでいてそういう人と 接触してるような人たていうのは結構 いろんな情報を持ってたかもしれません けれども台湾が発信してる情報はすなわち 中華民国の発信であってかつ国民党の発信 であったんです よだからこういうのっていうのはもう非常 に偏りますよ ねだからま言ってみれば北朝鮮今の北朝鮮 みたいなもんであの紹介席というのは偉大 な人物であり偉大なまリーダーであ りっていうのこをあのこれでもかこれでも かっていう風に言ってきますしま小警国に ついてもねあのそういう一面的な情報だけ を発信していて他の人が発信する自由も ないし手段もないですからそのまもらった 情報をそのまま文書にしてしまうとあのま そういう間違いというかねあのまいろんな 偏ったものが出てきてしまうとまこの時代 はねそういうのは本当にま横行してました よ ねま私もねそういうのが本当にまたくさん そういうの見てきましたけどま今はねそう いうのま許されないし逆にま今ねま皆さん 初め非常にあの多様にお詳しい方多いと 思うので変な間違いをするとねすぐ指摘さ れますよねでその指摘ができなかったって いうのも逆にこの悪い状態が長くついて しまった理由だったと思うんですよねどう でしょうか内見さんはいえウキFさんえ 日本人ですら日本で整理権を取り忘れます からねそうですね私ねあのま年間ね10ま 去年10回は帰ってないですけどま結局 78回帰るわけですよで78回っていうと 結構てるような気がしますけれどもあのね 帰るたに全国いろんなとこ動くんでそう するとね本当にねこの交通期間によって この運賃の生産方法とかが違ってたりね
あのまそういうの困りますよ ねであと私がねもう1つねこれはさすがに 困るだろうっていう風に思うのはですね こないだ函館に行った時に函館の路面電車 に乗ったんですよまは路面電車に乗りに 行くのが目的だったんですけどねで函館に 路面電車に乗りに行った時に1日乗車券を 買おうとしたらこれあの当然自伝の伝統と いうのは人いないですよねあの無人益です よね基本的にね伝統ですからそうすると この1日乗車券どこで買うのかってことを ま分からないわけですよでまもちろん日本 人はなんかウェブサイトでもね何でも見れ ばあの車内で買えますと書いてあるね車内 で買えますということは書いてあるんだ けどこれ外国人わかんないんです よでどうなるかって言うと函館駅の観光 案内所に外国人の行列ができるんですよで みんな函館市電のこの1日権買ってんです よねでしかもこの路面電車だけが乗り放題 の安いパターンとロープウも乗れるとか バスも乗れるとかっていうのもあるわけ です切符はねでこれを一一その職員が説明 してるわけです よでこういう状態がね日本ってやっぱ まだまだねあの多いと思うんです ねで中にはねあのよくJRがやるんです けどあの安い切符は前日までに買わなく ちゃいけないとかねあの当日は売りません みたいなあのまこれどうしてか私もよく 分かりませんけどそういうやり方をして たりですねまもう会社によって バラバラそういうのがこう外国人旅行者に ね非常にこうまちょっと外人こ可哀そうか なと思ったりしますよねいかがでしょう 長倉さんありがとうございますえ今は かなり田舎に行って行っても困りませんね バスもちゃんと表示が出ますあこれ台湾の 話ですよねそうですね台湾の地方のバスっ ていうのもやっぱどんどん改善されてます よね あの昔はね本当バスで飛ばしたりするし あのバス停に名前書いてなかったりします しね非常にあのバス乗りにくかったんです けどだから私なんかもねこう初期というか ねまだ対話に慣れてない頃はねあの終点 まで行くバスだったら安心だって思って ましたね 途中でバスを降りるっての結構ねあのま もちろん間違えることも間違って降り ちゃうこともあるし あの折りそびれてしまうこともあるしね 結構大変でしたねま今そういうの随分 変わりましたよねまあとアプリがあって アプリでね今どこにいるかってことを
分かるようになってきてるんで随分こう いうのもね進化しましたよねはいえ本州 さんえ年末年始東海岸をバスで銃弾しまし たがこちらはまだまだ苦労しましたあそう ですかえ具体的にどんな感じでで苦労し ましたかあの乗り継ぎのバス停が例えば 静浦とかだと思うんですけど静浦とかの バス停でこう大東側から行ったバスとカレ 側から来たバスが接続してたりするんだ けどこの接続の状況が全く見えないとか ですねあのま自刻表を見てれば分かるん ですけどただ自刻表乗らないで例えば大東 から行った時に静こで終点ですよ乗り換え てくださいった時にその次の乗り換える バスが何分後に来るのかが分かんなかっ たりするんですよねこういうのは結構 困りますよ ねはいえ奥田さんえ沖縄の中口から拝聴し ていましたあありがとうございますえ台湾 人旅行生沖縄にいっぱい来てますねそう ですねはいあのえ東京大阪北海道につぐ 旅行先らしいですねあそうですかはい20 数年前に大平駐在となった時日本の防止 役所で海外天使を出すさに天使先を台湾と 書いたら役所で中国と修正されましたそう ですね確かにそうだったんですよねはい 最終的には大北で折り合いましたそうです かまこれもね本当に10年20年かけてね 交渉してま台湾のね人々が交渉してまま 台湾の人々が日本にね巨竜権永住権取っ たりする時にねあの国籍を中国と書かれて たわけですよねでそういうねちょっとま ことがまずっとあったでこれもねま ようやく改善されましたけどま奥田さんの ケースみたいにあの転出届する時にあの 台湾と書いてら中国と修正されるって なんか頭来ますよねこれねなんかこれあの そもそもねあの政府が別であるのにあの 台湾の人々が日本で暮らす際に日本の役所 が勝手に中国と書くのはままだこれま ごめんなさいこれちょっと大の人に申し訳 ないんだけどあのままだね実がないと思う んですよところが奥田さんが台湾になのに 中国と書かれたらで日本の役所に中国に転 しましたってかかあの記録が残ってしまう といろんな不利益出てきますよ ねこれ何を本当考えてんのかなと思います よねまでもえ最終的に大平で落ち折り合っ てま良かったですよねはいはい胡椒もさん え朝茶酒の家ね朝茶ま夜の店ですよね全席 だった頃ですねそうですよねで私はね正直 してこういうそのま私あの酔っ払いっての がものすごい嫌いなのであの酔っ払いと 一緒にいるだけで本当にもう嫌なんでね あのお酒飲むとこ自体があんま好きじゃ
ないんですよでお酒もあんまり飲まないの でまこの手の店って私非常に弱いんですよ ねだけど全くノータッチだったんですよね 私がね台湾に関わり始めた頃にはもうこの 頂茶っていうこの文化は結構もう消えつつ あったんでま消えつつだったか下がり調子 だったで浸水編がま浸水編相当言ましたね あのあのチス編相当が大北市長時代にです ねこういった夜の店とかをどんどん 取り締まったんですよでそういうのもあっ て随分と このま減っていた印象ですよねまあとねお 金がすごく高かったのでとてもじゃない けど入れなかったってのもありますよ ねはい えウスキFさんはいはいえっとアメリカの 民主党政権が台湾を巡って日本と中国に 戦争せてているのが怖いまこれはね ちょっといろんな意見があると思うんです けど あのまこのバイデン大統領の台湾政策って いうのはまちょっとこれもねまこれ ちょっと機会改めましょうちょっとこれは ねあの今これで話すとちょっと話が違う 方向に行ってしまうんでねはいゆ博子さん え炭水戦が開通した時は懐かしいですそう ですね1995年でしたかね96年かなあ 違う違う違う1995年96年はあの 木格子戦が開通したのは確か98年とか だったかなちょちょっとごめんなさいあの 確実な話じゃないんですけど え家族はなかなか乗りたがらなかったです そうですかこれ危ないってことですよね うんま実際ねあのうんこの台湾のMRT LRTねこうできた時特に 木作りしたからあの故障続出でしたからね 例えばあのフランスのマトラって会社が 作ったんですけどあの 木作り運転なんですけどその雨がが降って ですね台風が来た時に大雨になって線路の よに線路のに水が溜まってしまったとで そのことをクレームをつけたらフランスは 何と言ったかフランスには台風はないから 分からないって言ったそうですねところが なんでこんなふざけたこと言うのかって いうともう皆さんお分かりですよねどうし てフランスがこんな突っぱね方をする かって言とこれは国民党が 汚い契約をしてたからです汚い契約ともう お分かりですよねフランスに払うお金と いういう名目で政府からお金引っ張り出し て着服してた人がいっぱいいたんですよだ からフランスはね通常のま金額しかもらっ てないもしくは通常以下の金額で受けおっ たのに文句言われたので反発したというの
が真相だそうですねまそういう時代ですよ ね台湾のねはいでまそういうのもあって まあね目測戦は特に自己質だったてことも 多分乗りたからなかったんでしょねであと ですねゆさんあのこれはねちょっととかな んですけどえっと台湾の人って結構ね結構 乗り物についてはね保守的だったりするん ですよあの例えばあのま今でこそね体中と かあのまね高尾とかタナに行く時にみんな 台湾新幹線乗ると思うんですけど台湾鉄 乗ると思うんですけど台湾高速鉄路ができ た時に結構乗らなかったんですよね太の 人々でどうしたかていうとまず新しいもの が怖いっていうのがあったそうですあと もう1つは値段が高いね値段が高いので あのまどうしてもこのねあの節約をしよう として乗らなかったっていうのがある みたいですねはいだから台湾は新しい路線 が開通する時に1ヶ月とか2ヶ月か無料で 乗せたりしますよねそれをねこういう ところから来てるんですよ結局新しい 乗り場できましたよ例えば高尾にLRT ライトレールができましたよって時には まずはライトレール乗って見してもらわ ないとみんな乗ってくれないの でねそういうあのえこともあるの でこの無料キャンペーンを必ずやるという ねまちょっとそういうところに繋がって くるんですけどねはい ええ杉永さん宇様え謎のし台湾現物がまで 手元にありますので後確認しあそうですね 是非え久保さんえ19えごめんなさい民国 80年1991年当時公共通はバスしか なかったのでね連盟校舎手札っていうね あのこのバスマップですよねえこれを見て 路線の白が湾大変でしたこれ皆さん分かり ますかね今あるかな こっちあのねえっと新書サイズぐらいで あの新書サイズぐらいでね結構分厚いバス だけのためのバスの路線図っていうのを 売ってたんですよ でこれがですね結構面白くてあの地図なん だけど路線しか書いてないですよね久保 さんそうでしたよねあの見るとですね地図 じゃないんですよ路線の終点と起点の駅が あってでそこにどういうバス停があるかと かひたすらこう打ってやるだから路線図で はあるんだけど地図じゃないんですよだ からどの辺りを走ってるか全く分かんなく てどこのバス停でどのバスに乗り換え られるか全く分からないんですよだから家 の近くを走ってるそのバスを最初の関東と かの地図で探してまず例えばじゃ久保さん が住んでるお家の近くのバス停がどこに あるかそしてそのバス停から何番のバスが
出てるかを見てその番号に従ってこの路線 図を見てどこに行けるのかを探すんですね あとは慣れとま慣れしかなかったっていう ねそういう状態だったんですだから旅行者 がこの台湾のバスを使いこなして結構大変 だったと思うんですよ ねだからま慣れている人とんでる人は逆に 言うとあんまり問題ないですよね自分の 行動範囲の中をチェックしてるだけでいい ですからだけどこのバスは本当にねあの 大変でした ねえちょっとごいね次行きましょう うんとオイスターライスさんゲボガイド はいこのジャンルが気先ほど故さとか質し ましたあそうですかあねオイスターライス さんねあのこのゲゲなんですけどこれはね 今これ皆さんあの下の方に映ってると思う んですけどこれね香港台湾ゲゲボガイドっ ていうのがあると思うんですけどこの本は ね実は あのファンが多いんですよねこれ元々あの バイクのね雑誌から発生した本なんです けどもうね本当実態験を元に書いてるので まずいものはまずい美味しいものはおいし いってはっきり書いてあるんですよでこれ ね服を書く立場から言うとねなかなか それってできないんですよね特にねあの どことは言いませんけれどもあのま 旅行会社とくっついていたり出版社が 旅行会社でくっついていたりあのその ガイドブックが広告を取ってたりすると 例えばその広告を出してくれてるところっ ていうのはあの悪く書けないんですよ ねそうですよねで悪く書けないのであの そこ美味しいと書いてしまうわけですよ そうするとその方読んだガイドブックね 読んだ人があのま残念な思いをするって話 になるんですけどこのゲゲガドはそういう ことが一切ないんですよだからもう本当に あのま正直ベースなねでもこれはすごく 面白いと思いますこの本私今手元にもある んですけどこの本もねあのすごくあの 面白いと思いますあのオイスターライス さん是非ねちょっとえ故障サイトから注文 してそうなんで是非是非楽しんでください 面白いですよねはいでえっと5あさんうみ さんねはいえちょっと長いですねえ確か 台湾の産地原住民は産地住民はえ人口の多 の神族て産地を終えられたという説明は書 れていましたでも今では多くの原住民平地 原住民の子孫か平地原住民女性と漢字の 根拠存であると言われていて産地戦住民は 元々山に生活したと言われてますまこれは ですねはいちょちょっとだけ説明し ちょっと長いんでねえっとこれはですね
あの台湾の厳重民族もま当時ま宇さんが これ言ってるのは多分ま旧族政府が認定し ている部族が旧部族時代だと思うんですね 今16部族になってますけどでこの旧部族 のうち多数派と少数派で考えた時に あのまもちろん1番多いのはま安族2番目 は台湾族3番目はタイヤ族だったんです けど当時ねえっとこのま台湾政府ま中華 民国政府の言い方があのこういう言い方を してたんですよで実際はねあの例えば大湾 族なて台湾で生まれたタイヤ族とか台湾族 は台湾の山の上で先祖が生まれたって伝説 持ってますし網族はあの先祖は遠遠い昔 南方の島から船を船に乗ってやってき たって言ってますしあとそもそも台湾の 原住民族は本当の厳重民族ではなくてその 原住民族が暮らし始めたよりもさらに前に 台湾には住民がいたしかもその住民は だったって伝説をいくつもの部族がその 伝承を昔話持ってるんですよねまそういう ちょっと複雑なところもあってでまた考古 学的な尺度から言うと氷河器には中国大陸 と台湾は必ず繋がっていて氷河機が終わっ て海面が上昇した時に台湾は島になっ たっていう言い方をま高古学やねあの地質 学でやる言うんですけどもあのそういうの もありますよねだからまいろんなね複雑な いくつかの説があって1つで言い切ること はこれできないんですよであともう1つは え 今この氷河器は台湾と中国体力が繋がって いてまユーラシアプレートっていう プレートの上に乗っかっていた1つの陸 だったっていう言い方をするのはこれ実は 中華人民共和国がこれ言ってるんですよね 中華人民共和国ってのは中国人たねま自分 の都合のいい話がしませんからこの自分の 都合のいいこの学説を大きく取り上げて それ真実だと言っているんです よねただまこれはねだからまそれ間違っ てるとは言いませんけどもいろんな言い方 があるので1つではないっていうところを ねちょっと中国の皆さんにも分かって ほしいな中国共産党の皆さんにも分かって いただきたいなと思いますけどねいかが でしょうはいえ杉永さんえ私もMRTの ない時代でしたので外出時は必ず大平の 市街図とえ連校舎手札を持っていました そうですよねこれもうなくちゃいけない あのカに入れてましたよね当時ねみんなね あのカにですねこのこの新書サイズ ちょっとね分厚いこのえバス路線図をね あの入れてましたよ ね はいであと次よしねあえっとウキFさん
函館で路面電車とロープAの乗り放題は えっとねロープAは乗り放題じゃないです ロープAがくっついてるチケットがある だけであのロープAが乗り放題ではない ですねはい函館バスかな函館バスと函館 市電のあの契約でやってるのかなはいえ胡 さんテレビの一般人参加の番組では名前と 同時に外商放人の表示が出てましたねそう ですねこれねあのもう今なくなりましたね 今はね身分証明書からも消えてますからね これねあのだからこれも台湾社会の変化を ね感じますよねはい本州さんえ静浦まさに その通りです静浦っていうねあの町があっ てえま町というか集落ですねこれはま族も 住んでる土地なんですけどここで実は対 あの大東から来たバスとカレンから来た バスがこう接続する状態になっててあの カレンから対当結ぶバスってのは直通する バスで1日何本かしかなくて多くの場合 これで乗り換えるんですよねまでも本水 さんここ何にもないとこにバスてありまし たよねあの静浦って集落はね結構近くにま そいうの集落あるんですけどバス停確か 何にもないとこじゃなかったですかここね ちょっと私もちょっと記憶がま結構昔の話 なんで違ってるかもしれませんけどねはい え久保さんバス停には全てのバス停名所が 出ていましたが位置関係が分からないで 結局乗り過ごすことがしりましたそうです ね今でもあのバス停にはですね全てのここ を止まるバスのあの番号書いてあるんです よで番号とバステの一覧が載ってるんだ けど実は近くにあったりするんですよね あの同じ名前のバステがねでこの位置関係 が分からないってのはね確かにそうなん ですよこれあの同じバス停なのに離れて たりするんですねでそういうのはね ちょっと結構やしいよねはいあとマーク ちゃんさんえターチノリー新年らえシジに メファ台湾はいそうですねありがとう ございますマークちゃんさんは日本語 できるんですかねにいちゃんあズマえっと すいませんえっとマークちゃんさん旧歴に 明けましておめでとうございます台湾皆 さん台湾を好きでいてくありがとうござい ますっていう風におっしゃってますはいえ 杉中さん1980年代の沖縄から来た留学 生のビザのあ国籍は琉球と書かれてました そうなんですよねね今でこそ台湾の人は 沖縄のことツセって沖縄っていう感じを 北京台湾過で発音して言いますけど昔は 琉球だったんですよねでこれはねえ元々 琉球は13世紀からえ民国に民に兆候して ましたよねだから自分たちの続行だって いう考えがあるんあったですよね長らくで
えただもう皆さんご存知ように沖縄琉球は まさと民のね2二重支配対戦下にありまし たからあのまこれは彼らの都合なわけです よでえっと沖縄県があのま1972年の5 月にこう日本領になった時に日本に戻され た時にでもですねえ中華民国はこれに反対 してるんですよねで今中国が沖縄を狙っ てるそのま弁というかですねあの中国が 沖縄を自分たちをま狙おうとしてるという そのま理由もそこにあったりするわけです よ元々民の続じゃないかかとねそういう 言い方をこのましていたとましているん ですね今でもねだからまえなら長らくね この琉球っていう言い方をして沖縄って 言い方を使わなかったっていうね話があっ たりしますはいえ胡椒もさん料金が高く私 も1回も行けませんでしたこれ朝茶のこと ですねあの夜のお店のことですねまあの なかなか普通に払えるお金じゃないですよ ね あれはなんであんなに皆さんお金があった んでしょうねはいえYSDさんえ今uu カードが普及してからまあまりないん でしょうけどバスに乗ってたら知らない人 に両替を頼まれたりお札を渡されて何元 返してそして一緒に払ったことにしてと 言われたりしましたあ結構これ複雑ですね あのystさんはあの言葉はできるんです よねきっとねこれねあのよくね言葉ができ ない人の場合によくあったのは あのそのお釣りが出ないってことを知ら なくてあのちゃんと小銭に用意してないで 乗ってしまう外国人とかいいるわけですよ ねでそういう時にですね台湾の人々が 代わりに払ってくれたりすることありまし たよ ねそういう経験してる人多いんじゃない でしょうかねで私もね何度か実はあるん ですよね あの その当時ね10私覚えてるの10元の時代 とか12元ぐらいの時代があったんです けどあの1回バスの時ねでその時にあの ま12元だった時に10元しかなくて15 元出そうとしたらパッと後ろの人が止め られてあのこれで払いなさいって2元 もらったりしたことがありましたねうんま そんなとこにもねこうま親切というかま こういう親切に甘いすぎるの良くないん ですけどねあのまそういう経験も正直な ところありまし たうんまでもこういうねお札を渡されて何 元返してそして一緒に払ったと伝えてって いうのはこれねこういう合理的な発想って いうか湾の人ってこうどこあの
すごくまあなんて言うんですかねあの賢い ですよねあのそういうあの庶民が協力 し合ってなんか損をしないように振る舞う みたいなことが結構大変の人よくあります よねあの今でもそうので時々感じたりし ますね はいえあゆみさんえ木作り戦闘に乗って 楽しみますはい私もそうですまあの危険 っていうかですねまあの実際なんか危ない 事故があったわけじゃないんですけど あのま何かあったら怖いですよねで例えば ですねあの木材線の6丁って駅が両三里 って駅があると思うんですけどその先に トンネルがあるんですけど木作り乗って いるとあ今文庫線って言いますけどねこの 文庫線の1番前に乗ってるとこれ前の ライトが弱いというかついてなかったり するんですよそうするとこれあのトンネル 入る時真っ暗なんですね中であれはすごく 怖いとでしかもその近くにお墓があって あそこ何が出るか分からないからっていで 対応の人はあそこの前に乗りたがらないっ て話があったりしましたねはいま実際ね トンネルとか通る時に上から物が落ちてき て列車とぶつかるって事故は世界では結構 あるんですよま台湾ではねそういうのは あんまり聞いたことないですけどねまだ からまあのそんなに危険とは言わないです けどまちょっとねあのま注意してなったは いいかもしれないですね はいはいえうみさんはえ台湾の友人はえ 木作りた事故の後本当に火の車フツだと 言っていましたそうですね確かにねまただ ね私はねまちょっと詳しいことは分から ないんですけどもこういった事故もですね あのまちょっとやっぱりね事故についての このまあなんて言うんですかねアセスメン トって言うんですかねこうなんか事前調査 みたいなのが足りない気がするんですよね 台湾ってねだから台湾鉄はその辺ま jr東海とJR西日本がねしっかりやった んですけどあの結構ね外国の会社に任せる と結構そういうの危ないですよねだから あのま外国のまそれこそフランス人がね 台風の水浸しになった時に あのまフランスに台風はないからみたいな こと言ってあの言い訳をしたっていうのも そうなんですけどまそういう風なことを 許しちゃいけませんよね本来ねだからそう いうのはちょっとけない気をつけて いただきたいとこですよねはいえ克さんあ 克己さんはあの克己さんかなはいお久し ぶりです中国に行った台湾人ビジネスマン にが案内されて現地の長家の看板を見て ぬるしたという笑い話がありましたはこれ
はね台湾で頂茶この酒の家と書くのはあの そういう夜のお店なんですよ中国だとこれ おお酒売ってるお店になるんですよね多分 ねあのま随分違いますよねだから中国とね その台湾のねその北京語と台湾加護はどの ぐらい同じなのかどのぐらい違うのかって 話まいろんなとこでいろんな人が言って ますけれども私なんかはねちょっとねま これちょっとま皆さんにこの考えを皆さん にあの伝えるつもりはないんですけど 押し付けるつもりないんですけどちょっと 私ね今日ね実はあのかなとねあの餃子を 食べに行ったんですよで餃子屋さんが中国 人がやってるんですねあの特に北方の 中国人でそのその餃子を頼んだらですね その餃子がなくて別のものでもいいか みたいな話をしてたんですけどこの人が 話すちの北京事故の北京語はね聞いて わかんないんですよで特に私はねま語学的 にそんなにね中国うまいわけでもないです しあとですね元々中国で中国を勉強してる わけでもないし あの台湾に来てから独学で中国を学んだの であのこの自分が聞いてる日常的に聞い てる台湾の人々が話す台湾加護中国って ものしか分からないんですねでそういう 立場から言うと中国の表現とか発音と台湾 の表現とか随分違うと思いますよよく みんなねいろんな本とかで同じだって書い てる人いるけどどうでしょうね随分 ニュアンス違うしあの発音も違うし あのまどうでしょうね皆さんどうお考え でしょうかね特に中国できる方はちょっと ご意見をお聞かせくださいはいええケト さんえ屋台のものは不衛生だから買わない でと20年前に行った時に日本語世代の お父様ガイドさんに言われましたそうなん ですよねで実際このお父様ガイドねの方は ね正しいと思いますあの私もねこう20年 前でねこのガイドブックなんかを見てると 今例えばこ写真出てますけど例えばかき氷 なんかもねあの氷がどういう氷かわかん ないんですよでしかもお金を触った手で氷 触ったりしてますからで今はねかき氷 っってみんなあの機械でやりますよねあの ガーってこうねお皿こう持ってこうやって やりますよねだけどあの昔はあのカナ みたいなやつで氷を削ったりしてたんです よでそういうやり方をしているくせにお金 を触るんですよねだからそれだとま衛生 状態がいいとは絶対に言えないですしあと まねこのお皿なんかも本当水でバケにた水 でだけだったりしますからねだからあの 衛星状態はねやっぱり良くないと言わざる を得なかったですよねだから私もね
1991年に大学生の時にあの中台湾 初めて行ったんですけどかき氷は食べられ なかったですねやっぱ危なかっ危ないと 思ってたし危な危なかったと思いますあと 今でこそそんなことないんですけどね昔は ねカットフルーツを売ってたんですけど カットフルーツは絶対食べちゃダメだって よく言われましたねそれなぜかって言うと カットフルーツは川を向いてカットされ たら新鮮かどうかわからないからです よまそんな話をねあの聞いたことがあり ますねま確かにね屋台とかに関してはま 言い方を変えればね地元の人が食べてる ものは大丈夫なんだっていう言い方をする 人たちもいたんですけどただやっぱりねま やめた方がいいという感じがしますよね あの時代ねあの時代今は違いますけどね はいはい胡椒持さんえ中華航空でえ羽田 国際線からの小海石空港行ってましたそう ですね小海石国際空港って言ってましたよ ねで あのえちなみにこの小海石国際空港チン 海石ねあの英語でちゃん海石って言ったん ですけどえCKS国際空港ですよねチ海石 ねであのえCKS国際空港に到着しますっ ていう放送ありましたよねで中華航空は 元々あのまナショナルフラッグということ で え成田に入れなかったんですよねで成田に 入れないからどうしたかていうと羽田から 出る唯一の国際戦だった私もよく使って ましたけどあので羽田から行くっていう ことは当然これ便利ですよねだからあのね みんな中華航空喜んで使ってたんです よであのよく冗談って言ってたのはあの 中華人民教が台湾にくれて最大の プレゼントはこういう嫌がらせなんだって 言ってましたねつまりええナショナル フラグは成田に入れちゃダメだみたいな ことをねあの上から線で中国が行ってきた のであの仕方なく中華国は羽田を使うんだ けどそれで羽田空港経羽田空港発着になっ た中華国はボロ儲けできたんですよねはい え直美フルマさんえ2005年に大編に 留学した時にその路線の方持ってました そうですねこれはねいつ頃なくなったのか 今でもねないわけじゃないんですね今でも 売ってることは売ってるんですよただね 結構変更とかもあるしあの新しいルートを ね走るようになったりすることもあるんで 結構ね あのま内容変わったりするんですよねはい ああとですねえ本数家さんえ中国の市内 バスでは必ず地図あるのでこの点だけは 中国のガラでしたそうですね懐かしいです
ねあの私もね中国1990年に初めての 海外旅で中国行ったんですけどねまず町に ついたら1番最初にやることは地図を買う ことでしたよね で一部確か人民源で6角とか7角ぐらい やったんですよ1990年頃のね中国の ってでそういうのを見ながらねどこにバス 停があってねどのバスでこれ乗ればどこに 行けるのかってことを探しながらね南京と か上海の持ち歩いたことありましたね 懐かしいですね今どうなんでしょうね今 ああいう中国の街って地図とか売ってるの かなちょっと あのちょどうなんでしょうねもし分かっ てるかる方いらっしゃったら教えて くださいはいあと胡本さんビザが必要でし たそうですねビザ必要だったんですよねで あのビザをねわざわざ取りにあの白金台 まで行ってましたよねはいか犬さんはいえ 1990年代に行った時大平の全バス路線 が乗っている手のひらサイズの本買ってバ ましたこれですそうですねかいさんが おっしゃってるのがその手のひらサイズ ちょちょっとこう細長いですよねで分厚く てねであの安いんですけどちゃんとこう カバーがついてましたねビニールの ビニールのカバーついてませんでしたね こういうのがねで今思えねあれもっと もっとねたくさん買ってあの保存しとけば よかったなと思いますねはいみほえあご みほなんて読むんだろうみほちんWさんっ ていうのかなえすいませんえ太陽の ガイドブックが女性を意識するうになった のは2010年代以降でしょうかそうです ねまそういう言い方が正しいんじゃないか と思いますっというのはですねあの私も 2004年からあの小文社のマップルマガ ジンってのをねあの任せてもらって作る ようになったんですけどあの小文社のです ねガイドブックなんかを見ていくとあの やっぱりねあのまタイミングとしてはです ね台湾茶ブームあともう1つはね渡辺 マリナなんですよあいや今渡辺さんも書い てますけどでマリナさんが書いた本が結構 大きな意味を持ってた思うんですよねで あのまちょっとね言い方がすごく変な言い 方なんですけど台湾旅行に胸を張って いけるっていう言葉を使ってる人が当時い ましたよねというのはあのそのそれ以前の 1990年代それこそ90年代後半に入る までぐらいの台湾っていうのは男性天国 みたいな言い方をしてる人がたくさんいた んですよで私もねベネスて会社をやめて あの対応に渡る時にですねえ先輩社員から そういうこと言われたことありましたなん
かあるのかってねでもそういうまちょっと こうね時代遅れというかそういうこと言う 人もいるぐらいねあのま男性天国の イメージ強かったんですけどあの渡辺 マリナさんの本が出て以来随分変わりまし たよねで渡辺マリナさんのあの本はあの 特にこの台湾家っていうキーワードがあっ たんですよねだからこの台湾家っていう1 つの新しい日本にはなかった楽しみ方で 中国にも香港でも見られなかった楽しみ方 がまダイレクトに響いたってのがあると 思いますよねで私もあの1度だけ渡辺 マリナさんインタビューしたことあるん ですけどあのま渡マリナさんの言葉を借り て言うとですねあの時その何も知らなかっ たって言ってましたね何も知らなかった ところで行ってみたらもう人は親切だし 食べ物は美味しいしあのますごく楽しい食 ができましたとでその中で偶然出会ったの がこのお茶だったっつってましたねだから だから本当にねあのえマリナの旅れタは 台湾でしたっけあの本のね影響力は 大きかったと思いますよね はいだからあの渡マリナさんの本が出てま 台湾地に火がついてでで台湾側があのま これ観光とか旅行業っていうのはま やっぱりね仕掛け人が必要だと思うんです よま仕掛け人っていうよりはむしろお金 ですよねだから台湾政府がそのま日本の 女性客にも台湾が受けるってことにてあの まこのね危険あのま特に安全だしこの人も 親切だしってことはま自分たちもよく 分かってたでしょうだけど日本人の女性機 にあこういうのが受けるんだってことを 分かって台湾政府がまお金をつぎ込み始め たということが非常にね あのま大きなターニングポイントになった のかなって思ったりしますはいえ本水さん 西側の山際の話だけクロップされたですた ね現そうですねあの保族とかはまその説明 でも別に間違いじゃないんですよねただ私 はねまこれあのオンラインサロンの方では 1回ちゃんと話したことがあるんですけど あの台湾にいた平地原住民いわゆる平法族 と言われる人たちがえ民族韓民族の移入を 受けて移住を受けて同化していったって いう話しますよねで私もそういう風に解釈 してる時もありますしそういうこと書く こともあるんですけど実はこれは相手ィを 失ったことは事実なんですけどこれね兵族 が肝心化したとも言えるし肝心系住民が兵 族化したとも言えるんです よこのポイント忘れちゃいけないですよね つまり中国大陸から歌ってきた幹人系住民 が台湾に土着化した側面っていうのを忘れ
ちゃってるんですよ ねで特に1960年代70年代の台湾って のは国民との一等独裁政権時代の時には ですねあのそういう方をはっきりしていた んですよこのあそういうそうい方反対です よね兵法族が肝心化したんだとねそういう 言い方を一面的な言い方をしてたのでそう に思ってしまうんだけどでも当然文化 そんなことはねないこと分かりますよね 肝心住民もまた100年200年っていう ま時間を経て台湾化した台湾に土着化し たって側面もあるわけですよねだから台湾 語のボキャブラリーの中にえ 兵族期限の言葉があったりねあとは食べ物 の中にもえ台湾土着の兵族が持っていたと 思われる食文化が残っていたりするわけ ですよまそういうところもねちょっと重要 ですよね はいはい えオイスターライスさんえゲゲガイドは アニメのパルディなで昔名はていたファン ロードてそうですねファンロードですねえ 粋のタ系なのでねその切り口から2000 年以前のタが利用されてるらしいんで 面白いと思ってますそうですねあのファン ロードって雑誌はね私はまま見たことある んですけどあんまり詳しくはないんです けどなんかそのファンロードの雑誌の固定 読者がみんな買ったらしいですよねだから ねさっきの渡マリナさんの話もそうなん ですけどこうやってなんかきっかけがある とね大きな数が動くっていうのはあります よねはいえ本水さんただの道でした静浦 そうですね道路沿いにバステがあるだけ ですよねはいえしかも行き先表示がただの 杉浦が途中停留所あそうですね分かり にくいんですよねあれねはいえ5明さんえ 昔台湾で大に流行した日本人は日本語授業 は日本の母語ということでえ選択でき なかったのに沖縄出身者は日本人とは別に 管理されて日本語授業は選択できたそう ですえっとこれごめんなさいいつの話をし てるんでしょうかうみさんこれは戦後何年 頃の話ですかね ねつまりこれ台湾の大学に留学した日本人 があ日本え留学した沖縄の人は日本語の 授業が受けられたってことですかそれ何年 頃の話ですか ねちょっと教えてもらえればと思います はいカンフコンフマンさんはい1990年 6月え中国に駐在しに香港経で鍵へ出張し ましたえこれ初台湾でしたここは普通語は 通じるけど中国とは全然違う日本だという 印象がありましたそうですね鍵だとね結構 あの94年1994年だと鍵って結構台湾
語世界だったんじゃないですかねあの今で もね鍵ってそういう傾向が強くてあのよく ねこれあの言うんですけど あの住民の特定の属性の度が高い町例えば あの鍵ととかえ消化とかまタナもそうです よねあの放浪系の人たちが圧倒的多数なん ですよで例えばこれが新築とかになると 発火系が混じってくるしまあと新築は外商 人も多かったですよねで鍵は外商人当然 いるんだけど鍵とか体内の特色これ皆さん ちょっと興味向い話なんですけどね鍵とか 体内の場合外省人は町の中じゃなくて 集まって一定の場所に暮らしてたんですよ だからあの外商人外っていうのが外商人外 じゃなくて外省人集落というのが特定の 地域にあったんですよで今あのえ鍵に関し てはあの鍵公園の鍵公園と鍵の市街地の間 ぐらいにその外商人だけが暮らしてる 大きな集落があったんですけどまここも 全部都市開発もう後方もないんですけどね で高度に暮らしているわけです外人はそう すると街の中では度が高くなってで台湾語 だけで完結する社会ができますよねで教育 の関係で学校で北京語教育台湾加護を習っ てそれができる人たちも当然出てくるんだ けどこの人たちは使い慣れてなかったり するわけです よそうなるとこれ使い慣れてない言葉に なると外国人が話す片言のまいわゆる ペキン語とかをね話した時に切り替えが できないってことよくあるんですよ ねこれ今でもそうですよ今でもその自分 たちの言語自分たちの土地町についての 言語の常識というものから外れた人たちが 来た時にあの切り替えができないって いうでこれ私なんかでも今でもね鍵に行っ てね時々あの一発目のコミュニケーション が通じないことがあったりするんですよ あの話してると話ね盛り上がるんだけど それ一言目っていうのが通じなかったり するんですよねちょっとこれもまた面白い 話だと思いますねまで1994年の鍵とか ね是非お話伺いたいですねきっとなんか 濃厚ななんか濃密な経験をされてるんじゃ ないでしょうかねはいえ杉永さんえ鉄の 炭水線乗るのが好きでした鉄の炭水線です かいいですねはいあのまだね旧型客車が 走ってた時代ですよねはい大平駅の大北駅 の様子もねあのまだ地上行時代ですよねも この辺の話なんか逆にスナさんとかはね よくご存知と羨ましいですね私私初めて 言った時は既にもう炭水戦ってあの営業 停止してたんでねで地上駅時代の大北駅も 知らないんですよね はいはいえアジアえ今ありませんが日本
アジ国のベテランCAさんは1人で北京語 台湾語英語日本語の4角はなんすえそう ですかすごいですね ええはいえウキFさんえ博多台湾の船あ船 のね考慮できないでしょうかそうですね 博多とかね鹿児島でもいいからなんかね船 で台湾来られたら随分違うと思うんです けどただね今船で台湾行きたらすごい高い と思うんですよ値段が飛行機の方が断然 安いんじゃないかなと思うんですよねだ からま安さを求めて求めてしまうと ちょっとま期待外れなのかなと思うんです けどまウキFさんみたいに飛行機がね あんまり得意じゃない人ってのも当然い ますからねあの船は船で選択肢があったら いいんじゃないかなと思うんですけどね はいえカンフーマンさんえ北京で中国習っ ていますがあ今ですかこれ今北京習ってる んですかねえ台湾で話すとすに大力が来た のかと言われてしまいます僕でもえ中国人 の話す中国台湾単なす台湾過去は成長ゴミ なのにさがありますすごに分かりますそう ですよねあの私個人の言い方で本当申し訳 ないですけどね私はねま今日のその行在 さんのおばさんもそうなんですけどあのね 聞いてわからないていうのね聞き取れない んですよねあのもこもこしててあの はっきり話してくださいってこう言いたく なるんですよで台湾の人たちのこの言葉 っていうのは非常にはっきりしてると思う んですよねであのその北京の人たからせる これがペキン語なんだって胸を張って 言い返してくるでしょうけど特に対話に 慣れてしまうとねそのなかなか中国の人の ねこのいわゆる普通プートンホアっていう ね普通語っていうのはなかなかその 聞き取りに食いというかね あのまもももこもこしてるっていうかね なんかそんな言い方したら怒られるかも しれませんけどまそんな印象がありますよ ねはい克己さん羽田の国際線タイムなら 田舎の駅のような小さな小屋でしたそう ですね今ねもう全く想像できないですよね でなんかね羽田の国際線タてなんか薄暗く てねでも小さいなりにあの中華悟空専用 だったから便利でしたよねあの混雑しない しなんかすごいすごくねいい印象でした ただあのバスに乗ってかなしけないんです よね あの駅からねモレルの駅からねそれが ちょっと不んでしたねはい えうみさんあちょっとこうつはちょっと 飛ばしますね厳重民族の発音うんそうです ね台湾の人のその北京語っていうのは北京 語ごめ台湾加護っていうのはそれぞれのね
世代だとか属性だとか性別とかついた先生 とかによって結構違いがあるんですよね 例えばあのえ厳重民族の人が話すあの台湾 加護ってすぐ分かりますよねあと日本語 世代のおじいさんおばあさんたちが話すえ 台湾加護もすぐ分かりますよねあとハカち が話す あの台湾確にも癖があってあの基本的に あのそんなにねあの分からないことも多い んですけど例えば白下の人たちでよくある のはあの二重母イ例えば酔うっていう発音 をいいって発音している人結構いますよ ねあの結構これ癖だってま中高年世代に 限られますけど若い人はそういうの全然 ないと思いますけどね結構だからその俗文 によってねこの言葉のアクセントやこの 発音のスタイル話し方のスタイルっての違 うってのは確かにありますよねはい胡椒 持ちさん水氷はNGでお酒も水割りもNG でビールはおすすめでしたね牡蠣は怖かっ たですねそうですね牡蠣は美味しいんです けど一番危ない食べ物でしたよね当時ね私 はだから昔に関してえばアチ園て食べ なかったですねやっぱ危ないで怖かったで 今ではね普通に食べますけどこの牡蠣で 当たったらまた大変ですからねこれねはい ゆみさんタは台湾愛読してましたあそう ですかね渡りさんねはいえ杉中さん渡マ さんは以前に女性に優しい台湾として日本 ジ国キャンペーンをしていたと記憶しが今 1つうまくいかなかったのかもしれません そうかもしれないですね多分ね日本アジア 航空はねちょちょっとこれごめんなさい私 分かんないんですけどマリナさんの本が出 た後に使ったんだと思うんですよ あのまだからマリナさんの本に乗っかる形 でねま逆だったらちょっとまた違ったかも しれないですけどねまちょっとこれは ちょっと分からないです はいはいえ克さんえ男性向けたのイメージ といえばさよならチチはいありましたね 甲子運命さんねえさよならチチという映画 がありましたが1990年頃にはあの放射 シの映画のおかげでそういうメージが払拭 されていましたねえそうですね確かにね あのまそういうね男性天国のイメージって いうのはねま現実としてあったんですよ ねはいま今男性天国といえばこの北東温泉 なんですけどあの今ちょっと皆さん画像 見えてますかあのこの熱海大反転っていう のがね今もありますけど北東にあるんです ねここはもうその手のホテルとして有名 だったんですけど あのねこれ出来立ての頃ですよねま今はね 結構ま大きいホテルなんであの今もねその
1つあの地位を得てるホテルですけどま 当時そういうね人たちがたくさん止まって いまし た はいはいえ杉中さん今はちょうど能力の1 月2日ですが今日ねえ海の時代でも歴の 正月3日間は現金だったトバをやっても いいと音なしでしたあそうですかええ えっと私が見たのは運券のコビねえ賭博場 と貸していました街中が賭博場と貸してい ましたそうだったんですかそれは海原齢 時代です かあの海原例が終わった後は賭博っていう のもまもちろん掛けこととしては禁止だっ たと思うんですけど結構ねやってた人はい たみたいですけどねはい えちょっとちょっと先行きましょうかね ちょっとねすいません えっとあコンフマカンフーマンさんは 1997年まで中国内で仕事しています ああそうですかだ随分ね中国も変わりまし たからねはい胡椒持さんNHKの小では 基本的に打はないと言ってましたあそう ですねあのこれいわゆる北京語台湾加護 ってのは打音っていうのはないんですよね 有気音と無気音なんでねだからこのガイド ブックでねま必ず出てくるのはあのこの ルビをどう振るかなんですよでこれを中国 人が使ってるこのえピンイていうのをね 引かれてBUって書いてあのをブと書いて しまうでこれは全然違うっていうねあの あの日本語の部ではないというねあのそう いうのはちょっとありましてねはい ちょっと先行きましょうはいお土産なん ですけどお土産なんかもね皆さん色々買っ たことがあると思うんですけど今ここに ガイドブックを開いたらですねこうある もの全てが輸出禁止になってるというね これもちょっとあの時代を感じますよねで この亀の白星これ青海ガまペキので粒子 こって言うんですけどねこの青海ガなんて いうのはもう絶滅寸前だったんですよ今 昇龍級で見られるようになりましたけどね あの昇龍級って島がありますけどそこ昇龍 級であのこの陸の上から海が見られ るっていうのねすごくおすめの私も大好き の場所なんですけどもあのこの漁師コって いうねこの青ガを白星として売ってたとか ですねあとま孔雀の羽で作った殺れって いうのはこれあの孔雀は台湾にないので 多分これ輸入品でしょうねであの分析これ 分析っていうのはこの暴行と海域で取れる 石のことでねイカなんかもよくねあの作っ てたんですけどこれも今多分輸出禁止に なってますよねあと腸の標本とかねま今
もう絶対輸出禁止なんですけどワシントン でねまこんなのも時代感じますよねあと これ昔の高尾駅ね あの高尾駅の表現がですね駅の兄気分と いった風格のあるえ高尾駅と書いてあるん ですけどこれね皆さん見えますこれねえ ただ長野駅はもうね長野新幹線作った時に もうもう特にではありそうなつまんない 駅舎になってしまったのでもうこういう 古い駅じゃなくてむしろ今で言うとね奈良 駅がちょっと近いですよ奈良駅の旧駅舎ね ただし奈良駅のあの駅舎は人風建築って いう分流をするんですけどこの高尾駅に 関してはこれは人風建築じゃなくて定款 様式帝国のの冠と書いて定款様式っていう んですけど書きましょう か定款洋式っていうねあの昭和10年から 昭和20年までの10年間ま昭和10年 前後から昭和20年敗戦までの大日本帝国 にのみ存在した建築スタイルでまこれ私も いくつかの本で書いてますけどえ箱型の 建築母体に東洋式の屋根を乗せるっていう スタイルなんですねまこれは戦争時期戦争 期のものとして [音楽] あのま国意発生っていうね意味合いを込め て作ってるんですけどま日本にしか存在し なかったしかも戦後には存在してないので 非常に珍しい建物でこれが実は高尾駅の他 に高尾市役所今歴史博物館なってですけど そことか高尾宗長者これも定款様式だった んですねだから高尾ってのは本当に定款 様式が3つもあったっていうねあの面白い 街だったんです ねあとこれね丸公園皆さん公園って行った ことある方いらっしゃいます杉永さんは 多分行ったことあるんじゃないかなと思う んですけど私もほとんど行ったことはある んですけどほとんど思い出にないんですよ ねまここはね本当に衛星事情にすごく問題 があるってみんなに言われながらも味が 良かったのであの大人気だったんですよね で実際にねこの丸公園で昔商売していまし たってお店が今店を構えて離れたとこでお 店を開いてること結構あるんですよ大体 人気点ですよねだから大平の人たち台湾の 人たちの記憶の中でこの丸公園ってのは 本当に非常にあのま大きな意味を持ってる んだろうなと分かりますよ ね次ちょっと行きましょうかこれあの え丸公園の地図なんですけどこれなんかも 貴重ですよ ね見えます か ねこの丸公園ねあのこの地図は本当にこれ
貴重だと思いますよこれ台湾の人とか見 たら結構これあの欲しいって人いるんじゃ ないかなと思うんですけどね あのこのロータリーの中がそのまいわゆる これ多分不法選挙だったと思うんですよ あのちゃんとしたねこう衛生管理もされて なかったし土地の管理もされてなかった ところにバーっと人が集まってきてそれが ま建物がだんだん立派になってて屋根が ついてお店もねしっかりと店構にな店構を 作っていったんだと思うんですけどこの丸 公園ね沿岸っていうのは本当にま戦後は円 って日本時代は丸公園って言ってたんです けどまこのこういったところでねあの屋台 料理を食べるというのがまツなディープな 旅行者のま定番だったんですよねだけど 例えば杉永さん あのここどうですか衛生状態とかねあの それこそねバケツが1個用意したってその バケツの中で食器洗ったりしてたんでま かなりね危なかったのかなって気がします よねま何もない人はこう言って大体何も ないんですよあの私もねインドとか インドネシアとかベトナムとか色行きまし たけどあのお腹を壊したことないですから ねまそういう感じですよねはいえ宇明さん え丸公園1989年初大湾旅行のさ行き ました うんまあ特にねこの屋台料理が美味しいっ てのはまずここでしたよね大平では ねはいあとこれはですねカレ駅なんです けどカレ駅の写真なんですけどこれもね ちょっと面白いですね今カレ駅場所が映っ てですねものすごい不便な場所にあの今の 駅はあるんですけどもう今全くこうこの旧 駅は街の真ん中にあったんですよねだから あのこのカレンの駅っていうのはま日本 時代の駅ですけどあのもうこの駅はもう 存在しないんですよねで1980年に あの線路の幅も広げて近代化したのでその 時にねあの駅を旧駅を廃止してなぜか 町外れの不便などに新しい駅作ったんです よで同じことをですねあの大東もやってる んですねだから大東も日本時代の駅は街の 中にあったんですけどあの今は大東駅と町 てものすごい不便な場所にあります タクシーに使わないとね町に行けないって いう本当にね何を考えのか分からない不便 な街になっちゃってます残念ですよねあと ここにえタクシーはブルーバードが多いっ て書いてありますけどこのブルーバードね これはねヨルって会社があって台湾の企業 と日産の定型で作った車だったんですよだ から一時期はこのブルーバードが対応に 異常にたくさん走ってたっていうねただ
車検制度とかしっかりしてないのでこの1 回デビューしたこのブルーバードが10年 20年走ってるんでボロボロだったらしい んですよねまそんな話もあったりします でこれもちょっと皆さんあの共有したいん ですけどもえ台湾の飛行機線ですこれね 例えばですね今ちょっとないものとして ですね大平から高尾までちょっと見えます か皆さんね所要50分1日92便って書い てありますよ ねこれとんでもない数ですよね92便で 飛行機の始発っって確か6時からだったと 思うんでま6時からね12時間あったま 12時間じゃ15時間あったとしてもあの これどのぐらいの本数かどのぐらいの頻度 か分かりますよねで あのま所要50分でこのお客様が全部今 台湾鉄流れてるんですねま当然ですけどで この時期っていうのはバスも5分起きに 走ってたんですよ大平と高尾ってで列車も たくさん走ってましたからま列車は もちろんそんなね5分起きなんてことは ありえないですけどあのでバスが5分起き に走るってどういうことかって言うとこれ あの体中に行くバスも対南に行くバスも 高尾に行くバスも当然同じ高速道路走る わけで大平から南に向かうバスは常に渋滞 してたんです よでもう本当深刻でしたね私の経験ではね 高尾からタトまでバスで7時間買ったこと ありますけどね本当にね大変でしたこの 時期の移動はねで飛行 機がまこれだけたくさん飛んでたんです けどそれでも席取れなくて ねあとですねちょっと珍しいのはですね 体中が結構ねあの飛行場として空港として 大きいんですよねで体中から例えばカレン この飛行機ね1日5便飛んでたんですよね で今体中とカレンっていうのは実はすごい 行きにくいんですよこちょうど山を超え られる道がないので体中から彼に行く場合 は北回り大平警備を高警備で行かなしいけ ない ただ今は列車がスピードアップしてるので ま逆に体中から彼まで1日かか るってことはなかったんですねないんです ね今ねだからま あの今ね体中から彼に行く人達ていうのは ま日で日とか1日かけていくんでしょう けどま当時は1日5便飛行機が飛んでいた とかですねあと体中からはね あのまあの暴と肉飛行機あったり金肉飛行 機あったりしてるんですですけどもあの 体中からあと大東行きの飛行機ってのは 珍しいですよ
ねそれとですね大平とカレンっていうのが この所要時間見てください大平カレン大平 体中同じなんですけど所要時間30分って いうのはこれ水平飛行ないんです よで体中に関しては体中に大平から体中に 引く飛行機松山空港から体中に向かう飛行 機というのは体中にまっすぐ向かうんじゃ なくて1度の方に向かうのでキールの側 から行くとこれあの遠回りするわけですよ ねだからあのこれ大平から体中ってのは 直接飛んだらもっと早いんですよだから 機内色が出ないのであま出るんですけど 出るのでサンドイッチとクッキーとあの パックに入ったジュースを飛行機が飛んで シートベルト着用サインが消えなくてもり 始めるんですねまそんな思い出があります 私1回だけ体中まで飛行機の乗ったあり ますけどあとね克さん今お話されてます けどえ体中とカレンの飛行機乗りました 清掃権まで上がってすぐに降りるという 感じでしたそうですねただね克己さんあの この体中カレンの飛行機あの天気どうでし た私ねもし今ねこの体中とカレンの間を 飛行機乗れるんだったら絶対乗りたいです ねあの山の写真を取りたいですね今ね大平 から高尾に行く飛行機も乗らなくなって しまったので中央300の特に玉山の辺り の写真を撮るのがすごく難しくなっちゃっ たんですよあの今あるとしたらま大平から 大東に向かう飛行機に乗ればまあの反対側 から見えるんですけど東側から見えるん ですけどね今この現状としては大平から見 た時にあの高尾への飛行機も飛んでないし 体内も体中もないですから あの中央300の上 を見られるっていうチャンスはほとんど ないんですよねま国際線でもちろんねあの え万国行きとかでね大北からあの見える時 ありますけどまそういうねあの話もあっ たりしますねあともう1つね面白いのはえ 高尾と暴行島の間に飛行機は1日36便に 飛んでるってことですよねあの皆さんこれ ね日本人はちょっと分かりにくいことに あの暴行刀っていうのは高尾との繋がりが すごく強いんですよだから あのこの高尾からこの暴行刀の飛行機は これだけ飛んでるってことはまこれよく ですよマコに行く飛行機は大平からマに 行くのは1日13便しか飛んでない高尾 から飛んでる飛行機は36便あるわけです よねだからこれが1つのま現実だったん ですよ暴行っていうのは明らかに高尾に 近い街だったねまそういうあの話もあり ますねもこれこのね地図なんかほ貴重です よねこれねなかなか
ないですよねあともう1つこれねラシラシ に大平から直行できたんです ね大平の松山空港からランスに直行便が 飛んでて1日1便ですけどねあのこういう 飛行機も乗ってみたかったですよ ねまこなんか見てと本当ね話つきないです よ ねはいまこれあの私が作ったガイドブック で私が撮った写真なんですけどええ平駅ね ま皆さんこれちょっと皆さんご存知かも しれませんけど大平駅のこの前にですね 歩道橋があったんですよでしかもねこの 歩道橋って場所がずれてるんですね今これ あの皆さんこの歩道橋の位置考えて いただくとあのあこれ駅の北側から撮っ てる写真ですね駅これ正方形をしていて あの東西な同じ形をしてるんであのどっ から見ても南か北川判断できないですけど これ北側から撮った写真です ねまこういうねあの駅はそのまま変わって ませんけどねまこの宮殿様式中国北方宮殿 様式って言うんですけどねあのこういう だてもがで私もねキャプションに大平の 新しいランドマークだって書きましたけど ねもう今ね30年前の話ですからねあと 体中液も今保存されてますけどもやっぱり ちょっと雰囲気違いますよねやっぱり戦後 にその国民との時代に色々ねこう回想され たりこういらないものがつけられたりして いらないものって例えば何かっていうと これよく対応と話すんですけどこれなん ですよ台湾それ国民党時代にね あの国民党時代のその えまデザインて言うんですかねこの増築と か改築する時にこの駅の正面に時計をつけ るっていうのがあったんですねでもちろん これ建築物保存の立場から言うと太陽の 人々はできた当時の問題ものにしたい戻そ うってしてますからあのこれ当然今 取り外されてで外もねあのあのしっかりと こう昔のような雰囲気にね変えてますけど ねあとこれ高尾駅ですね高尾駅もあのこれ も現役時代の写真ですこれ貴重ですよね今 思うとね今もこれ物残ってますけどねあの 保存されてますけどまこの写真は今民国 85年って書いてますけど1996年に 撮った写真です ねあとこれ皆さん分かりますかこれねえ山 線っていう あの新地の南に地南って街があるんです けど千南と消化の間が山と海と両方に分れ て走ってると思うんですねそれの山線の方 でしかもこれ急戦なんですよ今こう トンネルで走ってて今これ16分っていう 日本時代の駅なんですけどこれ将皇勝つて
いう字に興味の今と書いてね将皇と書く駅 なんですけどもう今廃止されていてあの もう今ねあのでも駅は残っていてここ今ね あの観光鉄道っていうかねあの電動 モーターバイクみたいなのが走っててそこ でこの線路の走れるというね非常に面白い アトラクションになってるんですけどま これねあの線路の上を走るモーターバイク のツアーはちょっと私今年できればツアー でやりたいなと思ってるのでまちょっと 興味のある方是非ねあのあのまた情報を 追っていただけたらと思い ますねまこういうこれなんかね復興号って いうねこの水色の車両が結構印象的なん ですけどこの復興号なんかもねあのもう今 なくなっちゃいましたけど ねまこういう写真なんかもね変わってない ように見えて変わってたりしますから ねであとこれはですねもこれが昔の旧対等 駅ですねあの今の駅じゃなくて昔の日本 ちゃにできた廃止されてしまった対等駅 です ね であとはです ねこの山里って駅もねあのま今もこのあり ますけど私が行った時は本当にまだこの頃 ね私あの全く忠国できなかったので あのま本当にねま今思ってよくねあの言っ たなと思いますけどあのここも網族の村を 訪ねる時にオートバイでね大東から行って あの途中でによったらね駅長さんがすごい 親切にしてくれてねお茶の回してもったり しました けど懐かしいですよ ね はいあとキップなんですけどねこれ皆さん 覚えておられる方もいると思うんですよ 切符ねこの切符これね車内であの切符を 車内補充権をね出していた出してもらうと こうやってね金額のところをね手で切って たんですよこれ今52元徴収しましたって ことなんですねあのこ72って書いてあり ますけど72元っていうのがまあ乗車券の 切符の値段でえ私多分これ20元の切符を 勝て乗ってで乗り越しで52元払ったん ですねであのこういうちょっと変わった形 の車内補充権があったりまあと貢献貢献 乗車券がねあったんですよねでここにはね 貢献乗車券は最近少なくなったって書いて あるんますけど今もうなくなっちゃいまし たから ねであとこれねゆタイピアオって言うん ですけどこれあの月の台とかてこれホーム のことなんですけどこのホームの入場券が あったんですよで入場件はですねあのこう
いってペラ髪みたいな感じでくれるんです けどあのこういうのもねよくお土産に いかがですかみたいなこと言ってたんです けど ねあと武田駅今これね私も1月の13日に この駅の横に池神一郎博士文庫っていう 日本語室があってそこの式典に行ってき ましたけどこの武田駅はねこういって昔の 駅舎日本時代の駅舎が残ってたんですよね それであのこの駅舎は今どうなったかて いうと今この駅の後ろに高架化されてるん ですよ鉄道がで高架駅になってるんだけど この駅舎はあの今も残されていて永久に 保存されることになってい ます ねでこれがあの戦後に作られたカレ駅です さっきあのあったのは昔日本時代の駅が 戦後の戦後に撮影された駅なんですけど これはもう戦後に作られた今のカレ駅の 仙台の駅舎 ですねあのただし彼の市街からはかなり 離れてるって書きましたよ ねはい あとこれですねあのまだこう古いタイプの バスがこれまだね中国際空港小海席国際 空港ねCKS国際空港っていうね名前で 呼ばれた頃の東園空港がですねあの駅ね このバスでバスでしかあの町にアクセス できないんでもうこれも大混雑だったん ですよ でここにね1人あのおじさんが案内する おじさんがいてものすごい漢字の悪いおじ さんでね悪いというかあのまあのとにかく マイクも何もない状態で肉でバンバンこう 案内するわけですよだからこれね愛そ なんかもうゼロなんですね漢字悪いとか そういう悪い意味じゃないんですよこれ もうとにかく肉で次のバ何時次の場何時 どこどこに人たこれ乗ってっていうことを ひたすら1日中話してるんですよで1日中 ってどうした分かるかっていうとどの時間 の飛行機でついてもそのおじさんがいるん であのね 大丈夫なのかなと体もねおかしくしちゃう んじゃないかなっと思ってたんですけどね あのそういう人がいまし たで当時はねまだ台湾記者客運っていうね 半官半民というかまほとんど公営のバスが 走っていたんですねでこれがま民営化され て今国交国の光とか国交客ってバス会社が 運営することになってますけども随分ね バスも変わりましたよねでこの頃この車両 は違うんですけどアメリカからねあの グレーハウンズのバスをその直輸入してた んですよでこのグレーハンズのバスっての
はまた乗り心地が良くてねあの豪華な がっちりとした車両でね良かったですで このグレーハウンズのバスね本当なんか 残して欲しかったなと思うんですけどどっ かに残ってないのかなって今うさん書いて ますけど書いてくれてますけどグレー ハンズはもう全く使われてませんね今ね ただねコレクターが持ってるって話はある んですよだから車検があればこれイベント とかで走れるんじゃないかって話がない わけではないんですけどねまあ懐かしい ですねでこの中世空港からねあの大平地点 の道路もまたね混雑するんですよこれ渋滞 するんですよ本当大変でしたねあとねもう 1つちょっと皆さんここ見て欲しいんです けどねこの時代のね印刷技術たとこ中力の 歴っていう字がね出ないんですよねだこれ 削除してもらわなくちゃいけなかったって いう ねでこれがあの当時の1996年現在の 97年現在のあのえ大平駅周辺のバスあ バスなとはま地図なんですけどねま例えば 今ここに今見えますかここに今え西駅東駅 ってありますよねでここに北駅ってあるん ですよ3つあったんですよ ねでえっとバスは台湾台湾記者客の独占 事業だったのであの当然これはねあのこの 台湾記者客っていう台湾記者ってこれ台湾 記者客のことなんですけどこれの独占事業 だったんですよあとはえ市内バスを運営 するところが一部だけ都市館輸送のバスを 出していてそれがこれなんですねこの北門 バスターミナルとあのここに市内近郊の バスタウーラに行くバスはここから乗って たんです ねであとここに市内バス乗り場ここに市内 バス乗り場ってあるんですけどこことここ とこことここにしないバスがあるさっき 久保さんがさっきお話しされてましたけど バスのあの路線図を見てもその大平駅って いうバス停が大平駅のどこの面にあるのか がわかんないんです よものすごい不便でしたねこれねあと当時 はです ね呼吸博物院にばすってのは分かり にくかったんですねここにあったんですよ であの大平に詳しい人がタバに住んでる人 っていうのは正門町から乗ると便利だった んですけど大平駅から外国人旅行者が呼吸 に向かうとするとともう本当不便だったん ですよね分かりにくくてで呼吸博物院まで 大平駅からバスで大体40分ぐらいかり ましたから ねま本当不便でし たね
あとここにねこう新築東園に行くバスって いうのがこの北バスターミナルから出るん です ねでって何かって言うとこれは空港肉バス です空港とキールですねが書いてあります 空港とキール修正空港とキールでこれ皆 さんちょっと不思議に思ったかもしれない んですけどあのえ台湾記者軍の北バス ターミナル西バスターミナル東バス ターミナルがって南はないのか南はないん です よでどうしてかって言うとこれあのどうし てこれ西東北になってるかって言うとこれ 一的に東西北なのかなって思っちゃう ところ南がないのおかしいですよねこれ 違うんですよこれね北は台湾の北部に 向かうバスが出るターミナなんですよで西 は台湾の西海岸エリアに向かうバスつまり 大南も高尾も体中もそうなんですよでここ 1番大きいで東っていうのはキルンとかま 中世空港西にあるんですけどあのま西東北 とも言えるんですけどね あのそうに行き先によって分けてたんです よ ねまこれもねガイドブックとかで紹介され てるわけじゃないんで分かりにくいですよ ね南にこれから高尾とかタナに行くから南 バスター一生懸命探した人絶対いたと思う んですよねまそれ辺はねま難しいです ね はいはいえ五藤義さんありがとうござい ますえ五藤さんねあのえウーラに行くバス ね生理権がえ細長いね棒状の紙でしたそう なんですよねこの棒みたいなねこう短冊 みたいなねありましたねあれをねこうお金 を払うとあれをくれるんですねであれを 持っていてその降りる時あれを返しました よねでねそうあれもなんか今ほとんど見 なくなっちゃいましたよね今もうペラペラ なこうね あのレシートみたいなもんになっちゃい ましたから今あの短冊みたいなもう ほとんど今見ることないです ねはいえ中倉さん中力は元日に来ましたあ そうですかえ市尾周辺てああティにおつテ におつって何かってとあの農用者ですよね 農用者って言っていいんですか長倉さん あの農用者って言ってね台湾で走ってる こうあの農業用のね幸運機みたいなでも 普通に走るんですけどねまそれを長倉さん 追いかけておられるのでそれを見に行った そうなんですけどねなかなかあれも味わ 深くていいですよね はい これはですね中山ホなんですけどちょっと
これもねまた懐かしいものいっぱいあると 思いますまずねちょっと皆さんこれ ちょっと見ていただく前にあのこの地図の ずりを考えて欲しいんですよ今もし私たち がガイドブックを作ったりあのま雑誌 なんかでねあの地図を入れる時にはこの ずりは絶対やらないんですよどういうこと かってとこれ1番下が中山駅中山駅になっ てますよ ねつまりこれあの タプ液入ってないんです よで今の頭取りでやるとしたら必ず上を 切っ て大平器入れますよ ねで丸山大反転っていうその存在価値が それだけ高かったってことなんですよあと これJTVのガイドブックなんでJTVの ツは必ず中列に行ってたんですよだから中 列所絶対入れてくれってリクエストがあっ たんです ね だから今だとこの上を切って大平器を 入れる とねまそういうこのずりに1つにしてもね 非常に面白いですよ ねあと今もうねなくなってしまったホテル がいっぱいありますよねこの服脚線も なくなっちゃったし黒錦大反転も今ないし あの硬大反転も今工事中だしね統一大反転 もなくなっちゃってしねやっぱ結構ねそう いう変化大きいんですよねこの富と大判定 なもないですよねだからあの本当にねこう いう変化見てくと面白いですよ ねまあとね地図をイラストで書くっていう のも今あんまりないと思うんですけどこの 時代ね台湾っていい地図がなかったんです よ本当に元になる地図がなかったのであの 私もね地図コレクションしてるんでね結構 地図を作ってるところに行って見せて もらったりしましたけど見せてはくれるん ですよただコピー取らしてくれないので あのちょっと困りましたよ ねでそうすると観光局とか用意して くくれる地図を元にやるしかないのでま なかなかねやりにくいとこありましたよ ねまあと 例えばねこ国立台湾博物館は勝率博物館 でしたからね昔ねあと今ここに予備口外 ってありますよねで実は私今日昼間ね ちょっと天気良かったのでちょっと自転車 で走ってきたんですけどこの予備口外のね この内容外なんかも今予備こほとんどない ですよ ねうんまちょっと寂しいというかねこ人口 現象とね社会の変化っての感じますよ
ねで今ここにねわざわざねこうタプ駅と このま当時ねこの三越のねこの魔天郎が ですね非常に存在感も示してましたから この魔天郎ね進行見越しデパートとあの この巨大に書かれてますけどここにやっぱ こう歩道鏡があってね懐かしいですよね これちょっと皆さん行ったことがある人 いるんじゃないでしょう かはいえ長倉さんえはいあのTにおつは ですねえ農業運搬者ですね農業運搬者ねえ 法律上はグレーズらしいですかそうですね あれ法律上どうなんでしょう ねちょっと謎ですよねはいえうみさん えっと昔中力の工業区に通っていた時にえ タプ駅の裏から白人の運転するグレイ ハウンドに乗って行っていましたどうして 発火人が乗ってるって分かったん でしょう白人が運転する運転士さんああ はい乗客も半分以上発火人でしたねだから 客運というのか白人を運ぶからね客って いうのかななんて冗談も思いつきました なるほどね中力はねあの平っていう街と あの隣合わせなんです けど中力と平っていうのはその放浪人と 白人がこう別れて住んでるようが印象です よねだからあの中力は白人が実際に多いん ですけど あのま面白いところですよねただ観光地で ないんでねあのなかなか あのガイドブックであげる機会ってのは ちょっと少ないんですけどね はいはいえ本水さんえ今まさに内湾海線 消化収集戦旧山線を何日で回れるか経過し ていますあそうですかねあの例えばねま今 ちょうど私あのこないだ海線についての 原稿を あの日本台湾交流協会っていうねあの大使 観機能を持ってる組織の機関しかあるん ですけどそこに現行ま不定期連載してるん ですけどそこに現行ね海線の現行ちょっと 提出したんですよでそこにもちょっと書い てあんですけどえっと海線に限らずですね 海線もそうだし収集線もそうだし駅駅の すぐ前にですねあのUバイクっていう シェアサイクルがあるんですよ ねですからこのシェアサイクルを使って 駅前散策なんかをすると結構楽しいですよ ねあの収集なんかは自転車があれば結構ね いろんなとこあの回れますしあの楽しいか もしれませんねただね収集線も海線も ちょっと本数が少ないんでねちょっと不便 ではあるんですよねあと [音楽] あの消化の街の消化の駅の前には電動 アシスト自転車があるのでこれも結構いい
と思いますねで今行ったねこの消化とかえ 海線の駅とかですね収集線の沿線の駅とか は逆にあのなんでおすすめかなんでシア サイクルおすすめかって言と平地なんです よ平地だからやっぱ自転車見るんですよね ただこの内湾線と旧山線に関しては結構山 がちなところなので坂道が多いだから ちょっと自転車だときついかなっていう 印象はちょっとありますはい良い旅を なさって くださいはいえ復興後ドアを駅員さんが 閉めていたのが印象的でしたそうですね 長倉さんあのねただね私がね来たばっかり の頃はドア開けてましたよ開いてましたね でやっぱりね2000年ぐらいに事故が 結構続いてあのドアを閉めるようになった んですね駅員さんがこう1つ1つドアを 閉めて回ってたますごい労働力労働だった と思うんですよねあれねまそんな話もあり ましたねはいうきFさんえ台湾に個室寝台 走ってますか残念ながら走ってませんね あの個室寝台ってか寝台列車を走らせる ほどのねまあのまあなんて言うんですかね こう時間がまかからないんですですよね今 ねもうどんどんスピードアップしてます からねただえっと信頼を今計画している 豪華列車はありますねちょっとこれまだ 全然情報出てませんからねわかんないん です けどはいえ克己さん残念なこと中でしたあ 体中からカレンの飛行機夜中でしたかああ なるほど夜に飛ぶ飛行機あったんです ねはいえっとあとなんか皆さんコメント言 ましょうちょっとねはいYSDさんはい 自分が初めて止まったのがキリンホテル 1番いいホテルがアンバサダーなんですが どちらもなくなってしまったんですねはい えっとですねキリはね多分お世話になった 方多いんじゃないかなと思うんですよね あの台湾でね結構比較的値段が安い値段を 抑えた あのツアーに参加すると大体キリ大反転 止まってたんですねでまこれがくなって あの結構ね旅行会社は結構困ったって言っ てましたねあとアンバサダーに関しては これはあのえっと立て替えているんですね 今ねでま老朽化したっていうのもちょっと あるんですけどねま結構そういうに考える とねあのホテル随分ねあの皆さん久しを 感じてるとこなくなったと思うんですよね さっきちょっとこれ皆さんねここの地図見 ていただきたいんですけどここにあの ホワホワ大反転ってありますねこのホテル も今もうないですからねここ今あの老人 ホームみたいになってます
ねまそういうにねどんどんなくなってくん ですよねこういう親しみをね感じるホテル がねちょっと寂しいですよ ねはいえ杉中さんえこの地図の男性になり ますが留学時代は中華の中華少女ね足毛か 通いましたあ中華症状そここですねこの 北門からこういう状態に中華少女ってね 中華路に面してあ面接か中華路の上にあっ たんですよね私はね中華症状を残念ながら 見ることできなかったんですよね言ってみ たかった ですはいえ胡椒持さん え特急外の抵抗大反転が上々でしたがあり 突然統一大反転がなくなっていましたそう ですねこれどっか地図だったかな これですね統一大反転え統一大反転にね ここにあのこれがあったんですねレッド トップっていうね校長芸人っていうねあの いわゆるこれあのなんて言うんですかね 男性が女性の格好をしてダンスを見せる賞 があったんですねでこれがね非常にあの 話題になってたんですけどあのま今もない ですけどねで統一大判定も今もうね後方も ないというかねビル建て替えちゃいました から ねうんああと胡椒持さんはいえ黒人大判定 アンバサダーの2階のヤムチ懐かしいです ねえあの行きましたね私もね黒人大半とは ねやっぱ日本人台湾における日本人社会で もね結構いろんなねパーティーをやること が多かったりあのま旅行でねアンバサダー に泊まる人も多かったしあとねフライト アテンダントの方がねこう宿にしてたも あって結構日本人とはね繋がりの強い ホテルでしたよねで私もよくこの国人大 反転のあの2階がちゃ行ってきましたね あと え黒人大反転の14回だったと思うんです けど視線料理はあったんですねでここも 結構美味しかったんですよね うんはいえ五藤さんえ大あ大百貨店が気に なりますその後見しなってますああ違い ます違いますこれねダイヤ百貨店はですね 実はこの三越とえっとねあちょっとこれに は乗ってないかな今この魔天ロがあります よねこれがあの三越なんですよでここに シェラトンありますよねあシェラトンあ これシェラトンじゃないですこれヒルトン ですねヒルトンがあってその間にだ大きい アジアと書いてダア百貨店ってのあったん ですよちょちょっと見ましょうかちょっと 待ってくださいねどっかにあったかな これか なうんねこれはヒルトンですよねでここに え進行魔天ロ大路ま今の進行三越百があり
ますそしてここにあのこのダイヤ百貨点が あったんですけどただ百貨店っていう言葉 がいわゆるデパートメントストアではない んですよこれいろんなものを扱っている いろんなお店が入ってる空間まデパートっ てそういうことですよねまだからまてはい ないんですけどあの小さいお店がね いっぱい入っててで号とかが注目されたの は高級品がたくさん並んでたってことなん です よでここは逆に言うとね庶民的なものを 売ってたので結構ね面白かったんですねお 土産になりそうなものなんかも結構売って たしあの本屋さんなんかもね結構庶民的な あの本屋さんが入ったりしてて結構 面白かったんですねで今もここはあるん です今もありますぜひちょっと次行ってみ てくださいで私はね初めて台湾に来た初 初めて台湾に来たえ 1990あごめんなさいさっき私1991 年に最初に対応に来たって言っちゃいまし たけど違いますね 19902年か3年ですねでその時香港 からあの中華航空で台湾に入って72時間 ストップオーバーができたんで台湾で降り たんですよねでその時にあのこのダイヤ 百貨店の中に入っているユスホステルに 泊まりました ここに郵送ホステルがあったんですよ国際 青年の家っていうねでそれが私のね初めて の台湾体験だったんですよねなかダヤ百家 店なんかも本当懐かしいですよ ねでも本当この頃はねまだこの駅前 ごちゃごちゃしててねでも良かったですよ これ大百店の郵送ステに泊まるとこの駅の すぐ裏が予備口外で安くて美味しい食べ物 がいっくらでもありましたからねもう本当 に面白かったですなんか見たことがない ものとかいっぱいありましたしねでしかも 定食とかが多かったんでお金のないね旅行 者には本当に良かった ですで今日も私ここ通って帰ってきたん ですけどやっぱりもうね随分さびれちゃい ましたねもう予備こもほとんどなくなっ ちゃってますしねうんやっぱこう少子家と 社会の変化感じますよねはいえ胡椒 muchさん黒人大反転ねコピと呼んでい ましたそうですねコピンって呼んでました ねはいで宇明さん中華少女初大湾旅行で 行きました 転職をしてる人のための靴が売られてい ましたあそうですかそうまたその時代そう いう人いたんですねあの台湾はですね転職 の習慣が結構盛だったんですよところが あの大正時期大正時代大正12年だったか
なえ攻玉会っていうねあの台湾人の医師が いてこのこの人漢方医だったんですけど この人が中心になって天然足天然則って いうねあの天然則会っていうのを作って この転職をやめようて言ってるんですよ やめようって運動を起こしたんですねで 日本人もこれあの転職が良くないっていう 考え方だったのでこの工業会一種をですね ま支援してま転職がどんどんどんどん なくなってったんですね元々転職っていう のはねあの女性が働けないようにするよう なものですからあの非常にま良くないと あの言われていたんですね日本ではねそれ で今あの この攻玉会医師がまやった天然速会って いうねこの活動でこの台湾から転送が どんどんなくなってったんですね はい中倉さんえっと自分の知らない時代 ですが正門長にナショナルの看板がある 写真が面白いと思ってましたナショナルの 看板あの国際杯って書いてやつよね あのナショナルって台湾国際杯たんですよ ね ねこれですよね今ちょっとチャットで書き ました けどねナショナルねあのそうですね昔のね だから看板なんか見てると面白いですよね あのなんか表現なんかもねちょっと今と 違ってたりするしで逆にね日本の影響が どれだけ大きなものだったのかってことも ねあの管理させられますよね はいそれではねあのじゃ今日これで2時間 なっちゃいました終わりにしたいと思い ますで今ね皆さんちょっとこれね メッセージなんですけどこれ10え日本 時間11時からですねあの えちょっとテレビ台湾のテレビなんです けど丸山大半天のねあのグランドホテルの 歴史をですねあの今ドキュメンタリーで やっていてこれが非常にいい番組なんです よですからねあのちょっとこれを是非皆 さん見てくださいちょっと今コメント欄に ちょっと書きます ねちょっとここを皆さん今これ終わったら すぐにクリックしていただきたいんです けど今このチャット欄に あの送ったこのアドレスをクリックして いただくとライブで見られますのでえっと 結構ね貴重なあの台湾も今日実は第3回目 で1回目と2回目で台湾神社時代の話をし てしまったのであの今日はもう戦後の話な んですけどもしご興味のある方 いらっしゃったらね非常に面白い番組ま 中国なんですけど見て楽しめると思うんで これライブ配信してますので是非あの
こちらもご覧くださいはいそれではね今日 ちょっと2時間長いあのライブ配信でした けどもちょっとまたね好評であればこう いう機会をまた作りたいと思いますえそれ ではね今日はこれで終にしたいと思います どうもありがとうございましたごげよ さよなら さ
7 Comments
いかがでしたか。もし好評なようでしたら、こういった企画を続けていきたいと思います。
私も昔のガイドブックをいくつか持っていますが、そんな見方があるのか、ととても興味深い内容でした。
チャット参加したかったです😅片倉さんや皆さんの興味深いやり取り楽しかったし、勉強になりました😄
貴重なお話ありがとうございます
ガイドブックから考える台湾の歴史!面白い企画だと思いました。続編、続々編、おねがいします!
片倉さんもおっしゃっていましたが中国語には濁音はありません。有気音(発音時に激しく吐息が出る)と無気音(発音時に吐息は漏れない)の違いで音や意味の区別をする言語です。濁音発音も発音時に吐息がもれない発音であることから、中国語の無気音を濁音発音で代用する日本人が非常に多いです。
渡辺まりなちゃんは、ワーズワースの庭?だったかテレビ番組で、松山剛さんと来たときに、台湾にはまった気がします。
あの番組ではお茶屋さんの和昌の先代が出てました