vol.36 第一国立銀行発足への想い:私ヲ去リ、公ニ就ク|伝七邸 渋沢栄一塾(2023年12月4日放送)

電子地渋沢A 塾電子地底渋沢塾は東洋防の創業者 渋沢山武を伊藤電子とともに日本の近代化 を支えた人々の物語を国の登録有文化財 電子停を部隊にお届けしますこの番組は 東洋防株式会社の提供でお送りし ます 東洋防プレゼンツ電一地底100年 ヒストリー 外伝毎週木曜日午後6時から YouTube配信中渋沢A1と近代化を 支えた人たちで検索して是非ご覧 ください皆さんこんばんはふわゆかりです さて今夜も渋沢資料官顧問井上純さをお 迎えして皆様と一緒に過ごしていきたいと 思っています顧問こんばんはこんばんは よろしくお願いいたしますさて先週は帝国 ホテル渋沢Hがとても深く関わったホテル ですよねそうですねはいはいその場所での 大切なフォーラムで顧問がお話をされた その話の内容をこの番組でもお願いでき ますかという我がもさせていただきまして まずは1つのテーマということで先週お話 をいただきましたはい2つ目お話を今夜も 聞かせていただきたいなと思ってるんです けれども今日はどんなお話ですかはい テーマとしてはですねまがの中で世の中の 繁栄のために産業の進行を強く求めていた ところはあるんですけどその前提として 金融基盤を確立させなければいけないお金 の流れをちゃんと作らなければいけないと いうところに本したでその時にえ動いた 様子そしてえその中でえ出来上がった銀行 に対する思いそういったところをちょっと まとめて話はいさせていだいたんですけど も今日もそれについてお話させていただき たいと思いますえはいお願いしますはいで 渋沢ってのはあのま何度もお話してるかも しれませんけども爆発にバシンとして ヨーロッパを訪れてえそこでの体験でまず はその政治だとか外交だとか軍事だとか そういうものによって国力ってものがあ 示されるという風に思うところが多くある んですけども他国にこう卓してそういった 面が卓越していたとしてもですね小工業の が十分にこう発達していない国ってのは 決してその流星を迎えてる国とは思えない という風に感じたんですねそういう風に 認識したんですねでやはりそのえ産業の 進行経済の基盤をまずは確立させないと いけないという風に思ってで帰ってきて数 ヶ月の後にですね自分がそのヨーロッパで 得得したま渋沢流でいう合本という言い方 をするんですけど資本を集めるその司法に 基づいてえただ単にその金融資本じゃなく

てえ渋沢が言うには人材もそこには含まれ てるんですけどもで知恵を出し合いながら 事業を推進していくというその考え方なん ですけどもその試みとして勝者と銀行を 兼ね合わせたようなものを静岡でまずすぐ に規則書を書き上げてえ進めるんですで それがうまくこう火がつけ 静岡の地にがうまくこう栄えていくだろう しそしてそれをうまく電波させて世の中 全体に広げることによって国の繁栄に つがるだろうという風に思っていたところ があったんですねただまそういう実績を ですねあの拾われて明治政府の役人として 広めるにあたってはまずその基盤を整え なければいけないと強く説得されて自身も それを納得づくでまずは役人として基盤 整備をしてえいずれその企業等が 立ち上がってそれが世の全体にこう広がっ ていくような整備をしなければいけないと いうことで動いたんですけどもその時に だってただ単にその産業の進行というよう なことで空ないをするま自分の成果でも ですね相玉の商売などをやっていてえ利益 を追求する空ないをその行為として行う だけじゃなくてそのために必要な資金の融 というようなことの流れえつまりその金融 の基盤を確立しなければいけないという ことを強く目を向けていたようなところが あるんですねで明治の状況っていうのを ちょっとこう眺めてみるとですね政府が 設置した為替会社ってのがあったんですよ でま 銀行の類いっていうかそれにに通ったもの であるには違いなかったんですけども まだまだ粗略って言いますか荒々しいもの でもあったしい形にもなっていないで商業 についてはですね当時はまだまだその高業 というようなものが中心でで政治権力とま 交渉が結びついてお金の流れがこう作られ ているっていうような全体であって社会 全体にうまくそのお金が融通される 巡りらされるというようなところにまだ 至ってなかっただからこそ産業は貧弱なん だっていう風に渋思ってたところ でその為替会社自体政府が作ったその為替 会社自体渋沢H失敗だっていうにはっきり もう認めたんですねで産業を起こしてえ 広く社会に資金を生き渡せされるためには 自分もヨーロッパで見てきた銀行という ものをやっぱり作らなければいけないその 必要性を感じてたでえ当時大倉小島で一緒 に仕事をしていた伊藤博文がアメリカに 渡ってそのシステム等を学んでくるで議論 も戦わせたところがあってでそこで渋沢は 諸政策の立案からということで自らはあの

政府にいた時改正係りっていうねいわゆる 明治の政府全体をうまくまとめていくまた 新たな政策を立案していくようなシンク タンクの長としてえ勤めてたところがあっ たんですでその役割を担っていた渋沢が やはりその銀行の制度をまとめて国立銀行 条例というのをまとめてでそれに基づいて 最初に立ち上がった第1国立銀行というの を渋一がリードしていくことになるんです ねで大倉省島ではもうなかなか限界自分の やられることは限界があるということで潔 よく持してしまってで民間で基盤整備を 務めなければいけないということでまず 最初に手掛けたのが金融基盤の確率第1 国立銀行を起点としてのものだったんです ねでその銀行っていうことで指導に当たっ たんですけどもまだまだその新聞市場に 広告等を出してもですねえ株式を集めるに しても銀行に関する理解はまだまだ乏しい 時代でもあったしえそういう風にはうまく はいかなかったとで日本初の本格的な 株式会社でもあるということでえその第一 国立銀行今のみずほ銀行になりますけども なんとか成功に導かなければいけないで ここで国の政策転換もあってですねえ出資 していた大資本家が破綻をしてしまったり して銀行自体が立ち行かなくなるかもしれ ないでもここでそれで終わりという風に幕 を閉じてしまったらですね銀行というもの はいつまで経っても成立はしないだろうし 銀行そのものに対する信用は得られない だろうし株式会社というものについても 信用が得られない形になってしまうとで渋 市はもう 身体極まったっていうぐらいに平身程と頭 を下げて下げてで当時の状況についてこと 細かに説明をするでしかもこの先こういう 改革案を持ってるんだってことも説明して 回ったでそれがあ1つその渋沢の誠意とし て伝わってえ出資してくださった方々も 無敗の状態には耐えてくれたしじゃあその 改革案に向けて増資が図られるだろうから ということっでその雑子にも答えてくれた ということでなんとかその難を乗り切って え数年かかりましたけども銀行をちゃんと こう起動に載せるようなところがあったん ですね渋やっぱりその信念持ってえ事業 事態をやり遂げなければいけないそれが 1番の責任だという風に思った以上は やり遂げるというところ最近の企業経営者 からすると何か不祥示が起こると責任を 取って自してしまうと頭を避けてしまうと いうようなところ があるんですけども渋市はむしろ頭を下げ てその責任を取るためにその事業をなんと

か形にするというところまで導く人であっ たっていうところでえ実はこの 渋がかかった銀行の海洋式の時にえある 言葉を走ってるんですねちょっと読み上げ てみると流通の数字不食の根底にある銀行 そのものはそういうものなんだとで私を 去り公につき協立の意念を拡充し全国の 人民をま助け補うことていうようなことを 目的とするものなんだってことを言ったん ですやっぱり公意識ってのを非常に意識し た人の言葉であって銀行たるもの銀行が 利益を上げるんじゃなくて世の中を進行さ せるために必要な事業であってそれによっ て銀行が潤音であれば間違いないけども 銀行がは銀行の利益を上げるために行動 活動するのはよろしくないよってうなこと も言わとしてたところがあったこれは銀行 創立に際してその銀行業に対して発した 言葉なんですけどもうんま繰り返しになり ますが今の企業経営者全てにおいてこの 言葉ってのは噛みしめた方がよろしいん じゃないでしょうかっていうのを多くの 経営者の前でえ渋沢一になり変わり述べ させていただいたということですでも やっぱりねそこの部分ってあるようでない んですよねでうん言葉ではねみんなそう いったようなことを言うんですけれども うんちょっと苦悩が来ると逃げるはいはい はいどうしてもね人って弱いんでうんそは も人間のねあの思ってる本質の部分が出て しまうんだと思うんですけどもうんうんで 修以上ってその何かを成功してうん次に力 を注ぐ時でも一般の人って授業が成功する とちょっと自分の予の時間にこう走ったり とかするんですよねうんでもそれ以上に皆 さんのためにていううんそれ渋沢さんと 関係ないことだよねっていうことでも 分かったって話を聞いたりとか分かっ たってそれに対して動いたりとかしてる 部分がいっぱい見え隠れしててその中で この人は成功者でするっと来たんだろう なって思ってると頭を下げてとかもう うまくいかなかったとかあるのであの渋沢 の経営理念だとかについて講演することが あるんですねで渋沢の言葉を拾っていく中 でやはりこれはロゴとソバの中でも述べ られている 体力気持ちからそれの必要性を強く解く ところとあとは事業系においてえ必須の 条件として絶大なる忍耐力が必要なんだっ てことを言ってるんですよやっぱりその辺 のところが耐えてえ耐えてっていうような ところうんそれがあってえ道が開けてい くっていうことあのよく人間の子供を 育てるのと一緒なんだっていうことを言う

んですねうん健康な状態でずっとスクスク と育つってことはまずありえないでしょう とうん折に触れてその様々な病気を患って 見たりでその都度親は心配して手をかけて え面倒を見るとそれによってこのまままた 1つ成長していくんだよというようなこと それに耐えるっていうことのと同じことで うん企業もそうやって育てていかなければ いけないんだっていうことを言とする ところがあるんですね自身もよろしくお 願いをいたしますよろしくお願いいたし ますありがとうございましありがとう ございまし た東 プレゼンツ年ヒストリー ガデ毎週木曜日午後6時から YouTube配信中渋沢A1と近代化を 支えた人たちで検索して是非ご覧 [音楽] ください電子停渋沢塾はYouTubeで もお楽しみいただけますyahoooや Googleなどの検索サイトから電子 指定渋沢宿で検索していただきお楽しみ ください それではまた 来週この番組は東洋防株式会社の提供でお 送りしまし [音楽] [音楽] た [音楽] [音楽] H [音楽] [音楽] [音楽] H

日本有数の工業都市である四日市にある「伝七邸」。
日本の近代化を牽引し、今尚発展を続ける「東洋紡」と、国の登録有形文化財「伝七邸」の100年を超える物語をお伝えしていきます。
今月のゲストは、渋沢史料館 顧問 井上潤さんです。

〇伝七邸 渋沢栄一塾
東海ラジオ番組 毎週月曜日 よる7:45~8:00

〇伝七邸 ホームページ
https://denshichitei.jp/

〇東洋紡
https://www.toyobo.co.jp/

伝七ステーションは三重県の魅力を「受け継がれた人の想い」と捉え、SDGsの観点から地域ならではの持続可能性を映像を通じて発信します。
〇伝七ステーション公式HP(毎週木曜日18:00に4本以上の動画を更新):https://www.den7st.net/

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