裏古事記山陽山陰編1日目 岡山県古代吉備文化財センター

[音楽] [音楽] [拍手] [音楽] 一応ちょっと向こうの情たら移動時代に かけての生活の道具の移り変わりをま簡単 にえっと鉄の方さしてもらっているという ところになりますはいこちらの方がえっと 野旧石器時代ですねちょっと縄文時代より まちょっと1個古いやつになりますで こちらの方まあの当然のことながらえっと 旧跡時代も石の道具以外にも多分木とか骨 とかっていうで作られた道具使われたたと 思うんですけどもま日本の道場で腐って なくなってしまうでうんま私たちが目に 見えるものと言ったら石の道具しか ちょっと今現在目に見えることができない とはいはいただただ石の道具だけしかない んですけどもそれだけでもやはりちょっと えっと色んな情報を仕入れることができ ましてうん向こうのナイフ型石器の方で 黒い石黒い石ありますあれね沖の黒曜石な んですあ沖沖沖の島沖の島から島はい持っ てきたんだ島根ですねはいで有戦闘機って いう書いてあるところについてはこれね 香川の北部台の佐海道って呼ばれてる市な んですなのであの旧跡時代の方からもま 色々と動き回るのあの獲物探しながら うろうろ動き回ってる中でもやはり沖ノ島 とか香川の方とか行っていわゆる石の材料 ですね石もう旧石人にとっては石っていう のがとても重要な戦略物資だったのでそう いうようなところからやはりあの資料に 適した石はそこにあるよってことが分かっ ていたので取すいません沖ノ島ってこっ から何キロぐらいあるんですかえっと 150とか200とかそそんな距離を旧石 時代に船で行たたするいやあのですね 沖ノ島1番寒い時期は微妙に陸続きだった かもしれないあの今より海水面が70m 80m1節には 120m海水面が低かったっていう話なの であの確実に3と瀬戸については陸です あそこはもう広いポンチですえあなるほど はいはいなのでだから海で渡あの海を渡っ てていうよりはえっと地続きで歩いては 取りに行きますただ沖の方については微妙 なところがあるのでま渡航技術は多分持っ てますあの関東の方で神津島っていう一外 のあの沖の方に1個あるんですけどあそこ はどう考えても1番最でもあそこは海だ うん えもうそのにはもう都技術を持っていた だろうという風には考えてます うんでまこちらの方がもう縄文時代になる

わけなんですけども皆さんどちらから福岡 です福岡ですかあじゃあ福岡だったらまだ 福神奈川 神奈川じゃあ奈の見たらここの縄文時見て もへぼとかと思うと思うんですけどもあの やはりあの東日本とは違ってやはり ちょっとあの西日本って縄文時がま出 づらいうんあじゃ縄文時代は東日本の方が 発展してたということです発展してたと いうかあちらの方に遺跡が多いま発展し てるしてないかはま微妙なとこったこと ですね多いのか多くないのかも発が進ん でるからねうんもうそこら辺がわからない ですけどでもやはり日本の方が非常に性が 高いがよく出てきているっていうことだけ は確かですねあのやはりあと関係品の時も よけ出てきましてま西日本なかなか出てこ なくてま岡山でもちょっとこういうような 形でかなり復元のところが大きいんです けどもあの当然のことながらえっと縄文 時代1番の発明としてはドキという形に なりますまじゃドがま最大の発明という その理由うんって何だと思いますやっぱ土 を焼いて形を作ったいにですよねにになん ですよああなるほどで煮炊きできるから今 まで固くて食えなかったものはいはいとか そういうようなものがにすることによって 食うことか食べることができてその分が 自分たちの栄養に全て取り組むことが できるでま特にあの縄文時代はもう海って のが発達していくんですけどもあの皆さん もうしみはいはいはいはいはいしみを普通 にあの焼いて焼いて食おうと思わないです よねあれどいうそれ当然のことだからにし てでパカって開いたらまそこのやつをま ちまちま食うこともあると思いますけども やはりしみやったら出汁が出てより食料ま 食事が美味しくなるとかっていうような形 になると思うのでまいわゆるあの見する ことによって自分たちの栄養が全て 取り込めるっていうことがやはりあのうん いいことだったのかなとすいませんすい ませんこここの変わった形の子は何ですか あこれね装飾品なんですよ品腰飾りとか水 あの垂れ飾りとか指輪とかってもうあの 縄文時代になると身に飾るためのものが出 てきますやはりただあの岡山の方では やはり後期の方ですねま4000年ぐらい とか3000年ぐらい前からにしか ちょっと出てこないんですけどもまあの 基本的にはそういうような形で出てくる ことは出てきます実際は実用性はあります あありますへえはいおるあのこれ使うだけ でもま あの旧跡時代はま斧もあるんですけどもま

やはりちょっとこういう魔性というような 形であの必要性高いんだ木を切ったりす木 を切で あの周りが滑らかだとうん力あの与えられ た力が分散してありづらいんです磨くって いうのはで磨かないまだとやはりどっか どっかにあの力がかかりすぎて割れやすい なるほどうんなるほどなのでこういうよう な滑らかなものっていうものは力を加える のにはちょうどいいぐらいいなるほどて いう形で出てきますうんへえ時の形が増え てきますねもう常自体ぶっちゃけて言うと ああいう蜂って呼ばれてるものしかないん ですけどもや時になると高月とか亀とか あと機とかっていうのもあるんですけども ういわゆる食事を盛るためだからその用途 用途に沿った形のえっとドキってものが出 てくるのがまやい時代の特徴と思って いただいてもいいと思いますでその流の1 つにやはり1つ米ですねあ米お米がや時代 になってまいわゆる食べられるものが増え てくるとなるとあのその中で盛るものは 何かなとかというような形で少しずつ吹い てくるであとは亀とかいうの亀とか壺と かっていうものに関しては液体を入れる ためなのでうん縄文時代だったら川筋に 行ってそのこで水を組んでていう形なん ですけど今度は定住していくので自分たち の住居の中で水っていうものをどっかで 確保しとかないといけないという形でま こういうツ類ですね液体を貯蔵する確実に 液体を貯蔵する容器っていうものが出てく るってのがま特徴ではあるのかなああいう やつよりはやはり首が細くコンと転がって も水が一気にドンと出ないとかまそういう ような形も1個あるのかなと思いますなの でこういうその用途用途に沿った時が出て くるってのが野時代の特徴になってくるん だろうなという風に思い ます人殺すための武器ができてきたそう です特徴なんです特徴ですあそこに書いて ある 争にを超え力をが出現したいうことにあの 当然のことなから縄文時代の続とかで人は 殺すことができますけどもあちらの方は えっと人を殺すメイは人を殺す武器では ないよねとこっちの方はどう考えても石見 です剣ですからねもう続とか魔の続とかて もありますけどもどう考えても人を殺す ためだけがもしたうんうんまこれがもう その理由として要するに水開発巡るまあの 今でもそうですけども推理権ってあるじゃ ないですかあもうめちゃくちゃあの揉める 推理権いわゆる推理組合があって選挙も あって推理委員とか委員会もあってとかて

いうそこら辺でだからあの香川の三浦ダム あ高知か高知徳島のサダなかなサダの えっと香川水が何パかとでうんうん%香川 の方はカットされるけど徳島の行方は水 じんじんじんじん流れるといううんあれも だから推理権の関係なんですよはい水を 巡る争いですね上流で水全部使われたら 下流の人間水滴作れませんからそそうな ことでやはり1つ大きな力を持ってもう 自分たちの死活問題になるのでやはりあの 武器を持ってやはり周辺地域をまとめ上げ ていくていうことが多分必要になる うんうんおでねこれちょっと特殊機内の方 はちょっと低いんですけども本来はあそこ ですねあそこにってあんだけでかいやつあ になりますなのでそういうようなものが出 てきますでまこういう特色代まいわゆるお 墓とかいわゆる集落のお祭りに使われて いるようなものという形になりますので こういう特色代を使ったお祭りっていう ものがいわゆる今度はちびっていう大きな 地域に広がっていくっていうのが野地代 後期の後半以降という形になりますうん もう1つ重要なところがあってうんあの皆 さんはあの古墳の周りにハはエントハニが グラっと並んでるあれのあの時計となった ものがこの特殊機なんですようん要すに ぶっちゃけで言うと大和政権初期の大和 政権を作るにあたって日々の勢力っって いうものがある程度関わりがあったという のが示すことがこの特式代と形になります うなぜかと言とやはり観光総裁の中のおお 葬式のお祭りっていうものは1つあのうん 偉い人がなくなった時にそういう儀式化さ れますよねその儀式化される時にこういう 1つの岡山で発症したものがえっと いわゆる機内の方であるってことはそこに 何らかの形で岡山の早々切れの要素を 取り入れたという政権体が絶対あった だろうという風に考えられるのでまこの式 代ってのがとても重要なものにうん ますあの来てもらう来てもらうつか移住 みたいな形で朝鮮半島系の人たちが今来 たっていう理由がものがま出てきています し当然のことながら末と呼ばれているもの はこれ朝鮮半島の技術ですのでそれらも 岡山の方ではえっと最初の方にえ出てき ますとうんでこの朝鮮半島系の人たがま来 ている1つとしてあちらの方のあのつの ところでがありましてこちらのごなんです けどもあの発掘調査は今のえっと津岡山 ジャンクションの北ありなんですけども そういうところ で五工すり土手です河川の 土工であの書いてある通りなんですけども

ここに書いてあるあのではえっと82m 発掘調査の幅が82mだったのでそこまで しか出てないんですけども地形的に見ると さらに上流の方からずっとやってるだろう とでこういう五眼工事についても日本で 自然発生的ではなくていわゆる当時の先進 地域中国朝鮮の人たちの技術を用いて作っ ていますのでこういうものを作ってえっと 川を固定して安定させたその外側に集落域 とか水域を作って自分たちの生産力を 高めようこの時期からもうあの川をどうに かするま戦国時代もそうですよね震源包み とかってあと常川の当選とかっていう形で 江戸城江戸の市街を作るためにト側は邪魔 だからグニて負と話なじゃないですか 要するに自分たちが住んでるところをどう にかするためには1つやはり洪水とかって いうもので水をうんいけないそういうよう な工事っていうものはもう古時代から 始まっているというこの1つの例となり ますあの中に海水を入れて見詰めますうん で蒸発しま水分が蒸発したらあのところに 使用ができますという形でゆド園がま えっと東北の方でも縄文時代ぐらいに若干 あるんですけども本格的に大規模の形って のがま岡山うんがえっと1番1番最初って 言ったら言葉が変なんですけども1番古い うんものが岡山まで出てきているとでま あの長時間火にくべる高房になるって形で 1回ほぼ1回こっきりしか使わないものな のでもう割れたら全部捨てるのであほそう いう意味かなるほどであんだけ溜まってる もう1m以上も溜まっているというじゃあ これ舐めたら塩なりしますかねえっとね 洗ってしまったからダメいまま土の中に 入ってるからもう全部なってしまってると 思いますけどもうん うんでま鎌倉とか室町に関してと若干あの 記録っていうののはなくなってくるんです けども江戸時代になるとままアの塩っての も有名なんですけども岡山の塩っていうの も有名であのここの小っていうところ [音楽] に [音楽] T

2023年(一行からみれば令和5年が適当だろう)11月20~23日まで山本健造弟子の会主催の裏古事記山陽山陰巡礼に同行撮影記録。
岡山駅で集合してる吉備彦神社から、吉備津神社からここ古代吉備文化財センターへ。山本健造先生の著作にご関心ある方は弟子の会 元田さんへ電話かFAXしてください。0943226744  

建国の謎、日本最古の書物といわれ古事記や日本書紀にも嘘や隠蔽捏造があるという、もともと諸説がたくさんある皇室につながる日本の神話の中でも、有力な説になりえ、かつ誰も知らない説を、実況とともにシリーズ化していきます。

全ては超能力者として有名で94歳で亡くなった山本健造先生の自費出版本からの引用と、山本健造先生弟子の会の方へのインタビューで構成されている。

私との縁は、今年に入ってからの動画、九州福岡八女市鍼灸師会会長の元田先生から、「天孫降臨の謎ツアー」に誘われたという経緯で実現した。

前提:山本健造氏が赴任した飛騨で老人からいつか広めてほしいと口伝された、代々伝わる神話。
半信半疑で老人から口伝を記録した山本健造氏は、その後現地調査を進め、口碑が事実だということで書籍を出版した。
天皇とは何か、天皇につながる歴史は皇紀より300年ほど遡る。
山本健造弟子の会が口伝を広める使命がある。

山本健造先生の神武天皇以前を小川が要約すると以下三点。
ポイント1
天孫降臨の「天孫」は、「飛騨縄文人」
記紀、古事記・日本書紀は天孫降臨の史実を隠蔽した作り話を
でっちあげた。正しい部分もあるが正しくない部分も多い
天孫族は飛騨族であったが、古代出雲教には不都合
※出雲とあるのは、現在の出雲教とは関係なく、古代出雲教を指す

ポイント2
出雲の国譲りも古代出雲教の捏造
古事記や日本書紀は天皇が書かせたのではない
当時の反皇室勢力が出雲(古代出雲教)
天孫族(飛騨縄文人)を裏切った出雲族は(渡来系)
天孫族の系譜大和朝廷に対抗し大国の大国主命を担ぐ
譲ったのではなく、譲る他なかった

ポイント3
出雲に抵抗した尊皇派こそが同和・被差別部落民のルーツ
全国に移動した日本民族に、当時の出雲教は天照大神を貶めようと歪曲
した情報を流布する
同和問題の原因は古代出雲教にまで遡る

※注意:出雲教は現代ではなくあくまで古代。

以上は誰にも証明できないであろう古代の話なので、諸説の中でのひとつとお見知りいただければ幸い。

小川陽吉責任編集

1 Comment

  1. 元田です‼️ 吉備津神社の直ぐ裏手に巨大古墳があり、遺跡が多数輩出していて 偶然 資料館があり、発掘研究者が実に熱心にご説明して頂きました~😅敬服した次第です‼️

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