今回は山代温泉です、
 山代温泉は何と僧 行基が発見したという伝承が残る程の古くからの温泉です、江戸時代には既に現在の総湯の位置に共同浴場があり、その周りを湯宿が囲むという形の温泉街が形成していたそうです、そしてその総湯を囲む地域を【湯の曲輪】と書いて【ゆのがわ】と呼び、これは総湯を天守、囲む湯宿を曲輪とみなして城郭の様に例える北陸地区の温泉場のはしりといって良い温泉場であります、
 時代は移り山代温泉は【湯女の山代】と呼ばれるくらいの歓楽街的な発展を遂げ、今では【湯の曲輪】に在った木造3階建ての湯宿はほぼなくなっています、今回の【吉田屋】さんも元はここ【湯の曲輪】に在ったのですが、規模拡大に伴い近くの山沿いに移転しています、
 その昭和時代に歓楽街として大発展した山代温泉ですが、バブル崩壊と軌を一にして苦しい時代に突入し今に至ります、
 山代温泉の苦境を最も分かりやすく見せているのは、温泉街で最大の宿【百万石】の最近のニュースですね、【百万石】は明治40年創業という老舗ですが早い時期に総湯から離れた広い土地を確保し早くに規模拡大して昭和の団体旅行や高級化の波に最も早くから乗った宿であった訳です、バブルの波に乗りに乗って百万石の特別室50数室が連日満室が数年間続いた事が今でも語り草になっています、
 所がご存じバブルは崩壊しあれほど賑わった団体旅行があっという間に消え去り、特別室を連日埋めていたバブル紳士も嘘のように消え去ってしまい、お客さんが消えた後には大きな設備と多くの従業員が残るという結果になってしまいました、その為にその後百万石は2008年にはとうとう営業停止していますが、そのあまりのネームバリューと立派な設備の為にその度に新たな運営者が現れては断念という事をこの10年程は数回も繰り返しています、
 念のために言いますと今現在は新たな運営者で営業している様です、
 話を【吉田屋】さんに戻しますが、そういった苦しい時代を経ても滞ることなく営業されている事はなかなか立派な事であると言えるでしょう、【湯の曲輪】から現在地に移転の後には本館と離れの松風庵とで営業しており、離れや本館の特別室は全て浴室付で夕食も部屋食対応となっています、今回①ではロビーから客室内と客室内湯、夕食・朝食を紹介しています。

District Hokuriku
Prefecture Ishikawa
City   Kaga
Ryokan Yoshidaya sannoukaku

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