日本の痕跡を辿る・ちょっと変わった釜山観光

夕暮れの瀬戸内会を進むフェリーこの フェリーの行き先は韓国プサン今回は帰り のフェリーが出るまでの24時間の間日本 と関係のありますプサンの観光地を回って みましたのでご紹介しますどうぞよろしく お願いいたしますさあというわけでね昼の 12時ちょうどプサの国際フェリー ターミナルに到着ますごいピカピカのこの フェリーターミナルなんですが意外とね プサ駅が近いんですね徒歩にしますと大体 56分くらいでねつくことになっています ましかもねあのちゃんと道を歩くことも なくねこういう風な歩道橋をね歩くんです よねそしてこの歩道橋歩いていますとね 左手に何やらね謎の空き地があるんですね この空地一体何だろうということなんです がま実はこれね埋めたて地なんでござい ますそしてこの埋立て地を眺めてから1分 歩くとプサ駅に到着でございますでねここ の埋立地なんですけど実はつい最近のなん ですよまこちらのね航空写真をご覧 くださいまこちらは2023年のね写真な んですけどまご覧の通りねあの国際 フェリーターミナルの南ら辺にね丸い水路 のようなものがある埋立て地がありますが こちらがね先ほど見ました埋立て地で ございますでこちらがですね2003年ま 20年以上前の写真なんですがま見ての 通りね梅たで後方もありません今のプサ駅 がですねもう本当に海にすぐ面していたと いうことがね分かりやすいコースとなって おりますお察しの方がいるかもしれません がこのプサ駅が海から近いのは偶然では ありませんまかつてのですね日本統治時代 を含めた1965年までのプ駅はさらに南 にありましたがまこれはですね実は旧国際 桟橋から非常に近いところにあったんです かつてのプサ駅は東京駅を設計したタの 金庫にある非常に立派な建築でしたま こちらの駅舎はね家事で丸焼けになって しまってまその後現在のプサ駅の位置に 移動したそういった経緯がありますまただ 戦前の駅はここからですね北京やホテま ましてはもうヨーロッパ駅みたいな列車も ねバシバシ発車していたそういった1大 国際拠点だったんです現在ではプサン駅 から出発する列車は1番奥でもソル駅ま このように大陸への玄関口としての役割は 失われてしまいましたまただこれでもです ね国際フリーターミナルから駅がすぐ近く まそういったリッチからは鉄道の国際一大 拠点だったプサンその名残りを見ることが できますというわけで駅でございますお KTXが見えていますねおそらくあの列車 もソウルまで行くんじゃないでしょうか おおい駅校内も広くていいですねピカピカ いややっぱりこういう巨大な待合室がです ねいかにも大陸って感じですよねちなみに こちらのプサ駅を出る列車はほとんど全て ソル行日本みたいな通勤電車も一緒に出る 駅ではありませんからまこのようにスーツ ケースを持った人がたくさんいますさあと いうわけでプサ駅の西内側まで出てきまし たがなんかですね思ったよりも田舎っぽい 風景ですねビルとかもあんまり大きくない しまそしてねあの正面の基地局のアンテナ がたくさん立ってるビルちょちょちょよく ありませんよ駅前にこういうのがあるのは 大都市の代表駅にこういうお店があるとは ちょっと思わなかったですねまただこの 辺りはテキサス通りと言いましてま米軍の 陥落街としてね発展した町でまプサンでも ね1位に争う治安の悪い町のようですまあ じゃあねなんでこんなところに来たかって 言いますと両替のためですねまこういう 治安の悪いところっていうのはねレトの いい両替賞がよくいるもんなんですよと いうわけでここで円をボンに監禁しました そして呼んだですねUberでウーバー タクシーですねで行きましたのが今回 止まるホテルま激安のホテルなんでね中身 はまそこまで特筆することはありませんが ただこのなんか輪っかに吊り下げられた謎 の照明みたいなのがですね神内至るところ にありましてまこれだけは非常に不思議で ございますではホテルに荷物を置きまして 街へ繰り出しましょうままずはねちょっと 昼飯ではねこの辺で食べようかなと思い ますただいまですね警察署の前にいるん ですけどこちらの石碑プサンチン埋立記念 機朝鮮相徳南次郎所とありますのでま つまりこれは日本の統治時代に作られた石 ということになるわけですこれは驚きです ねというのもこちらの南次郎さんという方 はですね公民家政策とま簡単に言いますと 朝鮮の方の文化をですねま日本に合わせて ま朝鮮を事実上日本と一体化させようと いうですね内戦一体公民化政策というもの をね進めた人だからですこのせいで韓国 ですとね南次郎さんの評判非常に悪いため まこういったものが残されていること自体 が驚きでございますしかも警察署の前に 堂々と置かれておりましてまイデオロギー はともかくとしてまこの土地の歴史を示す というま赤本来のね役割を果たすために 置かれているんでしょう石を通り過ぎまし てま商店とかがある区画にやってきました え日本風の居酒屋もありましておりなさい あ何を言ってるのかよく分かりませんがま 今回ね入りましたのはこちらのね冷麺屋 さんでございますただねこの冷麺ですね あの普通森って頼んだつもりだったんです けどちょっととんでもない量の麺が出てき ましてこれ全部食べんのは大変だぞうん いや味はねもう非常に美味しいんですけど まただ量が多すぎて全部食べる麺まとかね 思っていたんですがまお腹もねもう午後1 時で結構減っていましたので無事完食し ましたさあ原へを終えて次の観光地に 向かいますまプサ駅からねちょっと東の方 にありますのでタクシーで移動道端の柱に ポリスエンフォースメントと書かれた 黄色い看板がありましたがまおそらくあれ はオビを知らせる看板ですかね日本のはね 割と騙し討ちみたいなところに置かれてい ますが韓国はきちんとまでてくれるという のはねお国柄の差を感じますというわけで 15分ほど乗りまして到着しましたま こちらのね結構立派な建物まこれは何かと 申しますと国立日程強制動員歴史館おお さすが国立と名前がついてるだけあって 中身も非常に立派ですね多分この歩いてる 人は強制動員させられた人のことを表して いるんでしょうそしてこの動員とは一体何 かと言いますと1938年に日本が制定し た国家総動員法これね名前聞いたことある 方多いんじゃないかとは思うんですがま 要するに国民をですね個人の都合を無視し て戦争に駆り出すことができるようになる まこれによってま日本人も朝鮮人も多分 台湾の方も関係なくねま色々駆り出されて いたわけですでまそのことを避難するま そういった目的の博物館ですちょっと ハングルで何書いてあるか分かりませんが 多分1910年というのはですねま韓国の 併合が行われた年ですのでそのことをね 表しているんじゃないでしょうかで当時の ね物品がたくさん展示しておりましてま こちら日の丸にね大和魂とか書かれており ますがこれも多分ね韓国内で書かれたもの だと思いますまたこの大村彦太郎君と書い てあるやつなんですがま中を見ますとま風 吹く里って書いてありますねまこの里って つくのはね朝鮮内の特徴ですのでおそらく 大村彦太郎さんは朝鮮の方じゃないかなと 思います そしてこちらは皆さんご存知鹿島群島です ねまここでもね朝鮮の方が強制動員させ られていたというね展示もあります展示 内容はこのようにですね韓国語英語日本語 中国語ま4カ国語でね書かれておりまして 内容はねすごい理解しやすいですね圧巻な のはですねこの展示室の最後の方にあり ますこちらの大量の写真強制動員させられ た人の肖像ですねまあ控えめに言いまして ね勝手に働かせるっていうのはね人件無視 ですからねま当時の日本帝国はまとんでも ないことをやったんだなということをね ひしひしと感じますで上にはですねまもう ちょっとビジュアル的なね展示室もあり ましてでまこちらね右を振り向きますと あるのがま炭鉱でございますねま想像に 固くないと思いますが当時の日本はねま 炭鉱たくさん持っていましたからここでも ね当時の朝鮮の方はたくさん働い てらっしゃったんでしょうでまね写真も 飾られていますまあただ中ねこの写真見た 感じねそここまでね悲惨な労働という感じ もありませんがま本当に悲惨だったら写真 なんか撮られないわけでねまこれに限ら ないたくさんのねひどい労働があったんだ と思いますでその一例がですねまこちらの 戦闘系が突っ込んできてるところは 防空号に入ることはできないこれもね多分 本当にあったんじゃないですかねま やっぱり人間ね我が身可愛いものですから あの他人をねどんな理由でもね今としてで も自分助かりたいものですから多分こう いう看板も本当にあったんじゃないかなと いうのはね想像でできるところですさあ そして展示の最後こちら船に乗ってね笑顔 の方々まこれは日本に強制動員させられた 方がプサンに戻ってきた様子ですまそして ねこちらの1番最後にですねま私がなんで ここに来たかの理由がありますそれが こちらの1本の線路ですま強制動員させ られた朝鮮の方はねほとんどの人がこの 鉄道に乗ってねま日本ですとか海外とか いろんなところに連れて行かれたんです 現代の我々からしますと鉄道というものは ですねま夢とかワクワクとかね運ぶものな んですがまところとね時が変わればこの ように暗い役回りになることもしばしば ありました戦争の道具としての鉄道ま鉄道 好きとしてはですねまそういったことを 忘れてはならないまそういったことをです ね肝に命じるためここに来たわけですいや 非常に有意な時間でしたと思って外に出る とねなんかすごい合音がね聞こえまして あれはなんだ戦闘機です か多分そうですねまおそらくですね韓国の ブルーインパルスみたいなやつでしょう いやあんなビルのね間みたいなところを バンバン飛んですごいな日本だとねまず 許可されないようなところをね めちゃめちゃアクロバット飛行しています よま調べましたらねあちらはですね韓国の ブラックイーグルスというですねまあの 韓国でブルーインパルスみたいなという 表現は間違っていないようですねま極限 飛行をね専門とする部隊のようです韓国は やっぱり軍事大国ですからねこういった軍 関係へのアレルギーも少ないんでしょうか ま市街地のすごいところをね飛び回って おりますいや惜しいな晴れてたらねもっと 綺麗だったんでしょうねまずっと見ていて もしょうがないので坂を下りまして次の ところに行きましょうさあ到着しましたま こちらのね公園みたいなところ何かと申し ますとユナイテッドネーションズ メモリアルセメタリーインコリアま在韓 国連記念公園というところになっており ますま要するにですね朝鮮戦争で韓国の ために戦った国連のね兵士の方のお墓です いやすごい整っておりましてねその向こう にあの国連の旗とかまアメリカとかね参加 した各国の旗がねはえております非常にね 管理されたね完成なところでプサンという 街はね山形で兵器が少ないんですけどこの 国連墓地だけはもう贅沢にその兵器を使っ ていますねこういう一等地を提供している ということはまやはり韓国の方は国連に すごい感謝しているということなん でしょうでまこちらねはめてる旗なんです がまアメリカとかがあるのは知っていたん ですけどねエチオピアとかデンマークとか ねま意外とあこういう国も参加していたん だという発見があったことがね非常に驚き です朝鮮戦争と言いますとやっぱり日本人 からすると外国の戦争というイメージです がましかし日本の植民地支配がその原因と なったことはま紛れもない事実だと思い ます日本の歴史教育ですと第2世界大戦と いえばやっぱりアメリカと戦ったっていう 認識なんですよね大人になって辺諸国を 旅行するようになって思ったんですがま もうちょっとですね植民地支配ですとかま 日中戦争アジア侵略についてねま授業で 多くね時間を割いて習っても良かったん じゃないかなと思います少し説教臭くなっ てしまいましたがまこちらの資料官の最後 にあります旗これね歴史上初めて掲げられ た国連軍の旗ですいやすごいなまこういう ものを見ますとねまさにここで戦争が行わ れていたというですねとんでもない迫力を 感じることができます そして次向かいましたのがこちら朝鮮通信 士歴史間ちょっとね肩の力を抜きましてま 昔江戸時代頃のね展示を見ようと思います 午後ねもう4時半なんですけどやってるか なと思ったらあちゃんとやってますね しかもね涼しいあそして入り口にあるこれ 青いの問ですからおそらく江城の展示です ね内部もですね非常に立派ですねまこちら のね人形がおそらく朝鮮通信誌のねあの 服装の人形だと思われますでま壁にあり ます地図なんですけどまこれがねソウル から江戸までのね工程ですかねあ江戸と いうかねどうやら最終目的地ね私も今知っ たんですけど日光だったようですね江戸で はなくいやそこまで行ってたんだな知ら なかったまそしてね今回私が船で移動し ましたま大阪からプさんもねまこのように 津島や瀬戸内会を通ってねあの来ていたん だなとそういったことが分かるにな [音楽] てほここはですね結構小さい歴史感なん ですけど思ったより充実していますね予算 がねかけられてる感じがし ますさあただねここに来たのはこの歴史館 がねメインではないんですこちらのね地図 にあります 文字案内そうこちらはですねですよしかも ねただの城じゃないんですなんとですね 秀吉の朝鮮出平の際に作られたま要するに 戦国部将がね作った城なんですはあ やっぱりね城だけあってね急坂で結構汗 かえたなと思ったらあなんかね野良猫が3 匹いますねいやケナから野良猫じゃないか なと思ったんですけどまやっぱりちょっと ねあの去勢されてないような感じがあり ますので野良かもしれませんねまプさん 結構野良猫が多いんでねまこういうところ はね気をつけまししょねというわけで歩い ていますとま上の方見たらですね石垣が 見えてきましたよこの石垣のすごいところ はですね日本の石垣そのものなんですよ もっとね大陸はこうレガ作りでね垂直の壁 みたいになるんですけどこれはもう完全に 日本のものだわいやすごいで今ね階段を 登りまして目の前に見えてきましたのが 天主台と言われてるところですねまこの上 にね天使角に相当するものが立っていたん じゃないかと言われるんですがもうでかい 高いもう日本でもねこれだけの石垣があっ たらねもう一級品のね城と言ってもいいん じゃないでしょうかまそういった クオリティの石垣でござい ます いやあこれはすごいなちょっと感動ですね ま日本にもね城はね多くあるんですがま 大体の城はですね江戸時代にねま作られ たり回収されたりしたもんなんですまこの 朝鮮出版の段階戦国時代ですねこの戦国 時代の石垣がねこれ残っているというのは ね日本ではなかなか見ることはできません ままさにね韓国に残されたまこういうお城 ね実は和城って言うんですけどま和城なら ではの光景だと思いますすごいね生々しい んですよねこの石の積み方とかがままさに ね戦争中作られたんだという雰囲気がね 感じられますまちなみに1番上ですね本丸 どうなってるかって言とま公園のように なっておりましてこちらのねあのあでかい なあにしたらでかいんですけどこれはね あの挑戦自体最近立てられたものですま 本来ここね海に突き出した眺めのいい ところなんですけどま今はね木が押しげっ て全然何も見えませんまただね地図などを 見ますとねここ眺め良かったんだなって いうのがね想像できるところですいや規模 感そのものはねそんなに大きくはなかった んですけどいやでもね日本の石垣の残存 状態がものすごく良くてねこれはこれで 大変興奮しましたいや素晴らしかったです よいや午後からのだあったんですが結構 いろんなとこ行きましたねまそろそろね お腹も減ってきたというわけでプサンのね 現在の中心地ソミというところにやってき ましたで今回食べるものはねもちろん韓国 といえばねこれでしょう焼肉でございます え韓国の焼肉ね日本と違いまして 付き合わせが非常に多いんですよねで しかも店員さんがねこういう風に焼いて くれるんですよま韓国ね焼肉ま肉焼くだけ じゃんとか思ってたんですけどま実際に来 てみますとねなんというかこう店員さんの 書作とかがね胴に入っておりましてこれは もう文化の1つなんだなということをねま 強く感じる焼肉体験ですでまあま見るだけ じゃないんですよもちろん食べるだけ 食べるだけとか食べることがメインです からねま実際に食べてみましょういただき ますうわあうまいうまいあちょっとね表情 が変わっておりませんので美味しいのか どうか分からないよと思うかもしれません がこん時ちょっと疲れておりましてねま 表情には出ておりませんがもう内心はね うおうめえというね感じになおり ますいや大変満足しました初日終了ま明日 はですね14時に船が出ますのでまそれ までね午前中の間観光しようと思いますと いうわけで翌朝ま窓の外からね線路眺め ますともうこれもですねKTXの車両です ねすごい透明に見るとねなんか0系に見え なくもないような雰囲気ですいやそれにし ても線路と港が本当に近いな昨日も言い ましたがプサン駅は海上輸送との接続の ために作られましたまそういったことが よく分かる光景ですさあ2日目なんです けどね雨が降っておりましてねいやもう 韓国の気候は日本と全く同じですねこの 時期はもうムシムシじめじめしております でやってきましたのがぷぴょんドンという ねあたりでございますでね道路を挟んだ 正面に見えている建物なんだか古るそうな 感じしませんかそうなんですよ近くに寄っ てみましてもなんか装飾の感じとかがです ねいかにも昭和とかに作られたような感じ です正面の看板には東洋卓publ 株式会社武山支店とありますこちらの建物 は想像通り日本統治時代に作られたもの です中はですねこのような図書館となって おりましてまあまり大きな声を出す感じで はありませんまそして現代はですねプサン 金元代歴史館の別館としての役割もあり ましてこのように朝鮮移住案内とかあり ますねま展示物も展示してあります 建物自体の解説もありましてま全体的に すごい大事にされてるなと思います日本人 としては結構嬉しいですねはいというわけ でね外に出てきましたがまこの辺りはです ねあの山形なプサンの中にあっては ほとんど唯一と言ってもいい古くからのね 兵なんですこのためこちらの看板にもあり ます通りこの和かて書いてあるのが分かる でしょうか江戸時代の日本人が朝鮮度貿易 をする時にですねここに流していたんです けどまそういったものがね昔からある通り プサンのね戦前の中心地といえばここだっ たんです東洋卓銀行のプサン視点があった のもそういう理由ですねでさっきの建物 以外にも日本の痕跡をたどれるものがあり ましてちょっとねこれ裏手に出てきちゃっ たな正面に回りましたがまこちらねまじ ってあるのが分かる通りお寺でございます 中に入りますとちゃんとね金ピカの釈物と かがありましてま現在でもお寺としてね 活動してるということがありますでこちら ね出格大閣ってありますがまかつては日本 統治時代東本願寺だったんですねここは東 本願寺プサン別院だったんですがま日本が 撤退した後はですねまこのように韓国のお 寺になっているんですでま建物とかも全部 立かわっているんで痕跡はないかなと思っ たんですがまこちらのいかにも古るそうな 金よ見ますと大正9年新州大谷派本願ジプ 別院と書いておりましまらこのだけがね 日本代から残されたもなんでしょうよく まあ戦を超えて残ったないやちゃんと保管 してくれてありがとうございますこの辺り はですねもっと日本時代の建物があるん ですけどま相ちょっと時間がありませんの でねそろそろ最終目的地に行ってね日本に 帰ろうと思いますさあというわけで到着し ましたのは茶市場こちらね魚市なんです よ普通の市場とはちょっと違いましてま このように今並んでいる魚をその場でね 注文しましてでこの場でさばいて上の席で ね食べることができるというわけでもう 鮮度100%が保証された市場なん ですというわけでもう値札もちゃんとあり ましてね天使の人とね交渉ですね刺身 ややっぱりね韓国の方日本語がね結構 通じるんですよねとうんタコ伊とタコこれ あこれ刺身あじゃあ刺身オオというわけで ねもういろんなものをねセールスさせられ ており ますもう全部で一体何音になるのか全く 想像できないんですがもうとにかく言わ れるがままね魚をたくさんね購入して しまいましたでまこのようにね購入注文が 確定しますとまおばちゃんにね連れて行か れて2階に上がっていきますで2階もです ねま色々解散物は売っているんですがま やっぱりメインはねこういう座席になって おりましてま多分ねここで待っていたらね あの魚がたくさん出てくるんじゃないです かあ周りの人もねあの刺身とかねなんか 焼き魚食べてます ねはい10分ほどしますとね役目が出てき て多分ねそろそろね刺身タコなんかもね出 てくるんじゃないですかと思ったら出てき ましたタコの刺身ですアビですいやうま そう はね美しそうですよというわけでね食べて みましょういただき ますいやうまいですね濃厚濃厚ですよただ ねちょっとなんか謎の謎の衝撃を感じる 一体これはなんだと思ってよく見てみます とタコがね動いていますねあまりにも新鮮 すぎてタコの足がうねうねしております タコの吸盤がですね口の上の方に張り付い てきたんですねこれにはびっくりしました ここまで新鮮なものは食べたことがなかっ たんでまあでも生き物を食らっている感じ がしてこれもまた新鮮な感覚と思って待っ ていると次々に魚が運ばれてきました こんな頼んだっけなと思ったんですがま 全部美味しいので全く問題ありませんでし た完食まただね全部合わせて6000円 くらいになったなちょっと誤算でござい ましたさてもう12時ですねそろそろね港 に向かわなければなりませんというわけで プサ駅に帰ってまりまし たま行も通りました歩道から見えているの がプサン港ま並んでおりますのが下関行き 博多行きそして私が乗ります大阪行き大陸 の玄関口としてのプサンはもう歴史のカダ に行ってしまいましたがしかし国際的な港 としてはまだまだ現役ですブルクから日本 と関係の深いプサンの町今回日本が関わる ところを巡りまして今後の日韓有効のため に果たして何ができるのだろうかまそう いったことを考える旅行となりましたただ 今回はですねたったの24時間でしたので 次はもうちょっとゆっくり巡りたいですね というわけでこの動画はこれで終わりに なります皆様ご視聴ありがとうございまし たいいねまたチャンネル登録もできれば よろしくお願いします

少々説教臭い動画になってしましました!反省!!
釜山はブラタモリ的な歩き方をしても楽しめる良い街でした!

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ここ最近は国外が多いですが、国内外の鉄道を中心とした旅行動画をいろいろ上げております。是非とも他もご覧ください。

◇X→https://x.com/harimaya884

6 Comments

  1. 戦国時代の石垣が日本ではなく釜山に残っているのは感慨深いですね。
    昔、東京から欧州までの連絡乗車券があったと聞いたことがあります。
    昔から釜山は国際的な港だったようですね。
    はりまやさんはすごく真面目な方だと思っていましたが、しょうもないギャグなんか飛ばして、親近感を感じました。
    釜山にゆっくり滞在してみたいですね。

  2. 素晴らしいレポートでした。
    自分、小中を釜山で過ごしているけど、
    学校の先生は誰も、こんな場所教えてくれなかった。
    いい勉強になりました。

  3. 共感しました。日本人として、こういう巡り方はいいと思いますね。国立日帝強制動員歴史館には私も行きました。炭鉱の写真がそこまで悲惨に見えないとおっしゃっていましたが、たしかにその手の疑問が残る施設です。「朝鮮人は防空壕に入ることはできない」という看板も、明らかに日本人が書いたものではありません。当時の日本を批判する思いが先走って、客観性の乏しい展示が多いです。

    しかしながら植民地支配は事実で、秀吉の朝鮮出兵も事実です。韓国に行って、韓国から見た日本を知るということは、有意義なことだと思います。日本による韓国併合を含むアジア侵略について、日本人はもっと知るべきですし、アジアを旅行するなら、その知識を携えて行くべきだと考えます。

  4. 朝鮮時代の奴婢制度や戦後の南北朝鮮の徴兵制に比べたら統治時代の労働環境は割とマシな方だったと思う。いまだに障害者を徴用してこき使ってる国に、80年以上前の徴用を非難する資格があるのか甚だ疑問。

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