(37)【日本一周修学旅行】地図でたどる城下町・徳島の昔と今《徳島》

おはようございます 本日は4月22日の火曜日 時刻はもうすぐ11時を回ろうと
しているところ 現在地は徳島です 徳島を旅行する人の多くは おそらくこのJRの徳島駅から 旅がスタート
ということになるんでしょうが 僕のチャンネル見てる人のほとんどは 歴史好きだと思いますので 徳島にやってきて 1番最初に向かう場所といえば 徳島城でしょう ということで僕も 徳島城に向けて歩いていきます 地図を見てみると 徳島駅のすぐ真裏に山がありまして この山の上にありますのが徳島城跡 と書いてありますので 交通の便はいいでしょう この徳島は 電車がない都道府県として有名です いや 何を言っているんだ? 電車は目の前にあるじゃないか という風に思うかもしれませんが これ実はですね 電車ではないんですよ 電車は電気で動く車 という風に書く通り 電気を通っていくんですが ご覧の通り この列車の上には 電気が通っている電線がありません 県外からやってきた僕からするとね こんだけ規模が大きな駅の上には 大体電線がごちゃごちゃしている っていう風に 決まっているような気がするんですが こういった光景はなかなか珍しいです この徳島を走っている列車は 全て電気を使っておらず ディーゼルで動いています 日本全国 たくさんの都道府県がありますが 電車のない県というのは この徳島県だけです そんな線路の上を
高架で歩いていきますと 公園に出てきます この公園が 徳島城があった場所です もうついちゃったよって感じなんですが とりあえずまず先に この徳島城について
お話しさせてください こちら看板見てみますと 天正13年 つまり1585年の四国平定戦に 功績のあった 蜂須賀家政という人物が 秀吉から 現在僕がいるこの阿波の国を 与えられまして 徳島城を築城しました という風に書かれています おかしくはないし 間違ってもいないんですが 実はですね 徳島城があるこの場所には その以前から ちょっとしたね 前身となるお城がありました 猪の山っていう風に書くんですが 猪山城です 猪山城が作られたのは室町時代 当時阿波の国の守護を務めていた 細川頼之によって 築城されました そこにやってきたのが 土佐の国の武将 長宗我部元親です 土佐の国というのは
現在の高知県辺りですね ここから出発した長宗我部氏というのは もうほぼ四国全体を
統一するようなくらいまで 勢力を拡大するんですが その中で この徳島にあった 猪山城を攻略しています という風になりますと ほぼほぼこの四国というのは 長宗我部氏のもの
という風になっていた時に こっちの本州の方からですね 豊臣秀吉 当時は羽柴かな? 羽柴秀吉が本州から
四国に乗り込んできます この戦いによって 四国統一が目前という状態にあった 長宗我部氏というのは 領国を減らされてしまいまして 現在の高知県あたり 土佐の国にですね その一国に制限されてしまいます そして制限されたということはですね 空きができるわけです ということで阿波の国にやってきたのが 蜂須賀家政という人物でした ということでさっきの
この看板に戻ってきます 秀吉から阿波の国を与えられて 徳島城を築城というお話になるんです この看板の名誉のために
言っておきますけど 別に間違ったことが
書いてあるわけではありません まずは徳島城がどんなお城か っていうのを見たいので とりあえず山の上の方向に
向かっていきます 現在の僕がいる位置を確認してみると ここです 周辺見てみたら分かります通り 平地が広がっている中に ポツンと山があり その山の上にお城が築かれている というような状態になっています このような構造のお城を 平山城という風に言います 平山城というのは お城の構造としては 大体中盤くらいの構造ですので 四国平定のお話があった通り そのくらいの時代に作られたんだな ということが分かってきます 現在僕がいる場所が 山の南側 ここにあります石垣を見てみると 上下左右の石と それぞれ影響しあって形が作られている というのが分かりますので この形は 打込接 といった石垣の作りです この打込接についても 石垣の中では大体中盤ぐらいの作り方 しかし少し歩いていきますと このように 巨大な岩が並んでいる場所が見えます 多分元々岩があって これ活用したんでしょうね 今現代的な感じで見てみると このように補強されていることから
分かりますが あまり安定はしていないんでしょう このすぐ近くには 貝塚の看板がありました 貝塚があるということは当然ですが かつてこの周辺に海があった ということです 現在の海岸線は ずっと東の方向にあるんですが 昔はね 海面がもっと高い位置にあったので かつての海岸線というのは 多分このくらいの場所に
あったんでしょう さっきの石垣と比較してみると この辺りの石は あんまり形を変えずに 自然の形をそのまま
使っているように見えます 秀吉の全国統一事業の途中に 作られたお城ということもありまして 石垣を見てみると なかなかね 慌ただしく作ったんだろうな というような無骨な作りをしています ぐるっと山を歩いてきたら やっと登山道を見つけました ここから上に登っていきます 登っている途中にも 石垣を見ることはできますが ちょっとね綺麗すぎるんで 多分これは 後から作られたものでしょう 登る前に下から見ている感じでは 結構きついんだろうなって
思っていたんですが そこまでないですね もう足元見てもらったら分かります通り それなりに整備されていまして 登っている人は 今のとこすれ違っていませんが 結構登ってるんじゃないですか? ちょっと 整備されすぎていて 逆に見所が少なく感じますね さて 山頂に到着です 山頂はこのようになっております こちらが本丸です ここには 徳島城絵図といった絵図の看板があり 多分 ここに本丸って書いてあるので 現在僕がいるのは
ここら辺だと思うんですが この本丸よりも 1段低い位置に 天守閣があったようです さっきの絵図を見る限りでは こっちの方向に歩いていって 1段低い場所に天守閣 ちょっと見に行ってみましょうか 一般的にはね 天守閣っていうのは 1番高い場所に作るはずなので この上の本丸にあるはずだろうなって 僕は勝手に思っていたんですが このお城は珍しいですね 何やら 石碑が見えてきました こちらは 東二の丸跡だそうで 奥の方にあります あちらに見えている石碑には ここに天守跡と書かれています じゃあ この東二の丸自体が 天守台になってるってことか? どうやらそのようですね 結構高いぞ この徳島城の城下の中心地というのは こっちの大体南側の方角ですので その城下町から 天守が見えるるということを考えると 確かにここに置くのが
良かったのかもしれないですね なんで1段低い位置に置いたのか というのはちょっとよく分かりません ここには たくさんの人が歩いた後かな? 草が生えていない部分があり うわ怖い 高い 見えます?これ こんな感じ 危ねえ なるほどね 大体構造は分かりました このお城の防衛施設は おそらくですが この山の上の防衛施設よりも 山の下の防衛施設の方が 強かったんでしょう 上に登っても お城の遺構といえば 石垣がちょっと残ってるくらいで ほぼなくなっているという状態でした この徳島城は 明治時代に入ってすぐに 解体された そういった城ですので 当然ね 今見に行っても 建築物が残っている ということはないんです 多分こんな感じで 山に登って徳島城を見に行った人はね なんだあんまり強くなさそうだな という風に思って
帰っちゃうと思うんですが 実はですね そんな弱い城じゃないんですよ 四国平定で武功を上げた 蜂須賀家政が わざわざ弱い城を作るはずが
ないでしょう ヒントは このお城の周辺ですね ご覧の通り いろんな位置に 川が流れているのが分かると思います さらにGoogleで 徳島城古地図 という風に検索してみると このように古地図が出てきます さっき見ていた地形と ほぼ同じように見えますね 現在僕がいる 徳島城っていうのはこの辺り 動画が始まって 1番最初に この徳島駅から ずっと歩いてきて すぐに徳島城に着きましたが 当然ねそれは 現代の地図でありまして 昔はね 駅なんかありませんから ここのお城の中に入ってくるのは 相当大変でした もうお城の中に入ってしまっていますので お城の中から この昔の道を通って 外に出ていくというような 歩き方をしてみましょうか 現在地を確認してみると この徳島城の 今いる場所は南側ですね よく見てみたら ここにお掘りがあるのが 分かると思います ということで 徳島城の南側 ここにお掘りがある場所の 大体この辺りに今いるのかな? ここから南の方向に向かっていきますと 枡形と呼ばれる 四角い部分があります 今見ている方角が お城がある北の方角 ここから反対方向を見てみると 南の方には 何か昔の構造物が見えてきます こちらが 今さっき見ていた 枡形です 現在僕はこの枡形に入ってきて 中にいる状態です この後ろを振り返りますと 橋があり そこから 左の方を向いたら 門がありますね この枡形から 後ろを向いたら 橋があり そして こっちの左の方には 門が見えています ここにはかつての地図がありました 山の上に登ったんですが この本丸から少し降りまして 東二の丸で天守の話をしました さらに降りてきまして この奥庭園 奥御殿って
書いてある場所が さっき古地図を見ていた場所です そのさらに 南の方向に向かっていきますと 枡形 大手門だったのか 大手門っていうのは 正面玄関みたいな そんな意味と思っておいたら 大体分かるかなと思うんですが その大手門から出た現在地はこちらです 門が見えますね っ て言ってたのが 鷲の門 この鷲の門は 当時のものが戦前までは
残っていたんですが 徳島の空襲によりまして 焼失してしまいます そして平成元年に作り直されたもの というのが 現在ここで見えているものです さて再び古地図を見てみると 鷲の門出てすぐには ここに赤い線が引いてあると思います これはね 古地図見ていたら
結構よくあることではあるんですが この線は 当時のメインストリートみたいな感じで 思ってもらったらいいですね なので 門を出て南側に進んでいきますと 右側になんかでっかい門が見えてくる その橋を渡りますと こちら 侍屋敷とか書いてあるな だから侍が住んでいたんだな そこを通りすぎると町屋 町屋 町屋と ここら辺が商店街ですね つまり 門を出て 南の方向に向かっていきます すると かつてはね この辺りにお掘りがあったんだろうな という場所があるんですが もう現在はなくなっています 工事中になっていて どうも通れなさそうに見えるんだよな どうやら立ち入り禁止で 中には入れないっぽいんで 地図で説明します 徳島城を出て南側にあるこの 豪勢な門ですが 寺島門と言いました この門を通って川を渡り 向こう側に行こうかなという風に
思っていたんですけれども どうやらね この辺りが工事中になっていて 通れないようなので ちょっと 回り道をしましょうか 現在僕がいる場所がここ 門から出て南側に行って ここの線路が通ってるの分かりますか? この線路はですね お掘の跡を活用して
作られた場所ですので ここに 寺島門跡 そして この寺島門の前には やっぱりあるな 寺島橋という橋があったんです なので ちょっとここら辺のね 工事エリアは通り抜けて この橋の先の部分まで移動しましょうか 移動してきました 現在僕がいる場所の 右側にありますのが かつてのメインストリートに
かかっていた橋 見てみると もう細い道になっているし 橋自体も撤去されています どうするんだろうな 作り替えるのかな 分かりませんが とにかくこの橋を渡った先 こちらにありますのが 江戸時代頃のメインストリートでした この現在僕が歩いてる 道の向こう側に 駅ができましたので この道の1本向こう側の方が 現在は大きくなっているんですが かつてはここが 1番の商店街だったようです 人の流れが変わることによって 都市の構造自体も変わった
例だと思います 昔ながらの家が ちょっとは残ってるんじゃないかな?
と思って 歩いてみたんですが 全然残っていませんね 多分 これだけ残っていないっていうことは 空襲でこの一体焼かれてしまったんじゃ
ないかな? ちょっとだけ調べてみましたが 空襲についてはよく分かりませんでした さて ずっと歩いてきますと ここで通町は終わりのようです 今まで歩いてきた道は この橋を渡ってまっすぐのこの道を 赤い線を辿ってきた形になっています そして正面にぶち当たったところで 線は左に曲がってるんですね 反対側見てみると お掘の部分がちょっとね
大きなスペースになっています 現在僕がいる場所というのは この赤い線が 壁に当たったところ 北の方角見てみましょうか さっきお掘があった ちょっとね水が溜まっているスペース というのは現在 駅になっておりまして 先ほど僕が歩いてきた道というのは この道です 正面は もう進めない状態になっていたので ここを左に曲がると すると橋が見えてきます この橋は 新町橋って書いてますね 川 っぽく見えるけど 向こうから今満ち潮なのかな? 水がどんどん上がってきてるんで ちょっとね匂いも 潮の匂いがしてるんですよ 今でこそ向こうの方に 橋が見えるし 橋を見てもね 橋はいっぱいあるんですが 古地図を見たら分かるんですが 僕が今見ていた橋といのは この橋で この橋以外にね お城の中に入っていくような橋は 1 つもありません つまり どういうことかと言いますと できるだけ防御がしやすいように 橋の数を制限していた ということなんでしょう この周辺は 吉野川の河口に出来上がった 三角州ということもありまして 周辺は自然の要害となっていた
川がいっぱいです つまり 川を渡るための橋の数を
制限してしまえば 防御が簡単になるんですよ もしも敵がここのお城を攻めよう という風に思いますと 向こうに渡る必要がありますので 絶対にね この辺りに集結します という風になりますと 防御側からすればね この橋さえを守ってしまえば あとは何とでもなりますので 向こうに全軍を集めてしまうと そうすれば 別の場所とかはね 勝手にもう川が流れていて 警備が薄くても大丈夫みたいな そういう状態になりますので そのような工夫がされていたようです この川の向こう側にある海からは たくさんの物資が届いてきて この対岸にあります町屋に 入っていき そして商売が行われていた そんな場所だったようです さて橋を渡って 目の前の道をずっと進んでいきますと ご覧の通り山が見えていきます こちらが徳島の有名な山 眉山です そしてこの山ねよく見てみると ロープウェーがあるのが ここに確認できるんですが その山の麓元にあります駅を見てみると 阿波おどり会館と書かれています この建物はロープウェーの駅と 阿波おどり会館が
合体したものになっています 僕は阿波おどり自体は
見たことないんですが YouTube高校の初期にね 英語の翻訳をしてくださっていた 長谷川さんっていう方が
いらっしゃるんですよ その方が阿波おどりをやっていた っていうことでなんか
ちょっとね親近感があります あら最後に ロープウェーで上に登って 動画を終わろうと思っていましたが ちょっとダメそうですね 阿波おどり会館の
ミュージアム見に行きます 歴史から見た阿波おどり
っていうのがあるな 阿波おどりの起源 いろんな説があるのか 精霊踊り なるほど 踊り念仏がまず1つ目ですね 2つ目は 町衆の踊り なるほど 3つ目が 築城を祝って無礼講を許し それに感激した町人が踊り始めた 要するに よく分かっていない
っていうことなんでしょう 分かっていないことをね これだっていう風に断定するのは 僕は好きではないので もうね分かってないことは 分かってないって
言ってもらえた方が安心です 資料館自体はそんなに
広くはなかったですね 上の5階に登ってきたら このような光景を見ることができます さて本日はね ちょっと夕方くらいから 雨が降るらしいので 早めに移動してしまって もう1個くらい動画撮れるかな? と考えています ということで徳島を出発し 香川へと向かっていきます

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#旅行 #日本史 #日本一周修学旅行

6 Comments

  1. 日本一周修学旅行シリーズ楽しみにしております。どうぞ無理なく頑張ってください。徳島藩主蜂須賀至鎮(よししげ)に嫁がれた敬台院は、織田信長と徳川家康の曽孫にあたるそうです。徳島城🏯の説明とてもわかりやすいです。ありがとうございます😊

  2. 天守閣が一番高い場所に築かれていなかったというのは、珍しい構造ですね。河川を巧みに利用して防御力を高めていたのも興味深いです

  3. 先日、鳥取駅が有人改札から自動改札になったとニュースがありました。その最後に主要駅で有人改札なのは徳島駅だけだとおっしゃっていました。

  4. 徳島城といえば原生林と貝塚と地層。この原生林に猿がいると聞いて通学の道すがら毎日探した。歴史に全く興味の無い子供でした😅

  5. 動画を視聴してお城の構造や石垣の積み方の種類を少しずつ学んでいってます
    丸竹先生の日本一周が終わる頃には私も少し知識が増えてるかもと期待してます

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