筑紫の山海から広がる護国のご神徳を仰ぐ社:福岡県・筥崎宮(Hakozaki Shrine | One of the three major Hachimangu shrines in Japan)
▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 社号碑、一之鳥居
0:45 狛犬、手水舎
1:21 楼門、筥松
2:16 拝殿、本殿
2:41 絵馬殿
2:56 亀山上皇尊像奉安殿
3:12 筆塚、お潮井砂
3:28 唐船塔、蒙古軍船碇石周辺
4:00 廻廊裏末社
5:20 あじさい苑
6:33 裏参道
6:59 お潮井浜
どうも、管理人のヒロリンです。
今回は福岡県福岡市に鎮座する、日本三大八幡宮のうちの一つ、筥崎宮(はこざきぐう)を紹介します。
九州地方は応神天皇が神功皇后の胎中のまま各地を回った地であるためか、八幡大神(応神天皇と同一神される神様)に関する信仰が顕著な地で、筥崎宮にもその特徴が見られます。
筥崎宮創建のきっかけは「筥崎の松原にいきたい」という八幡大神の託宣でした。鎮座地箱崎に残る伝承によると、筥崎宮のご祭神の神功皇后は三韓出兵(朝鮮半島出兵)から帰国すると筑紫国蚊田の里(現:宇美八幡宮)で応神天皇を出産。その際に胎盤を箱に入れて埋め、目印に松の木を植えています。それが筥崎宮の巨大な楼門の近くにある「筥松」(1:21)と呼ばれるものです。
筥崎宮が篤い崇敬を集めるきっかけとなったのが、鎌倉時代に起きた蒙古襲来。北条時宗が鎌倉幕府8代執権になった頃。日本は元(蒙古)から服従を要求する国書を数回受け取っていました。その時の天皇・亀山天皇は、一身に代えてもこの国難を去らしめんと伊勢神宮と石清水八幡宮に祈願。幕府は御家人に異国警固番役を命じて戦いに備えました。1274年、総勢4万の元軍が博多に上陸。激戦の中、筥崎宮も焼失します。ところが翌朝、海を見ると、元の船団は忽然と姿を消していました。これは神のご加護に違いない。亀山上皇はただちに筥崎宮再建を命じ、「敵国降伏」の宸翰(しんかん)を下賜されました。
その後、1281年にまたしても元の大軍が襲来。およそ2カ月の激しい攻防を経て、停泊中の船団を激しい暴風雨が襲います。この「神風」によって元軍は壊滅し、亡国の危機は去りました。こうして海外防護の神・筥崎宮の栄誉は、武功・勝運の神威と共に歴史に刻まれることになります。
そんな筥崎宮の参道は、博多海岸から一直線に延びているのが特徴。その参道には大きな石鳥居が二つ並びます。いずれも堂々たる姿を現わし、笠木島木の先端を反りあがらせていて、貫と笠木の長さが同じという特異な形状をしています。
さらに先に進むと見えてくる楼門(1:21)は、83坪に及ぶ広大な屋根を持ちます。その向こうには緑の木々が茂り、商業ビルの立ち並ぶ福岡市の中心地であることを忘れるほどの静寂を漂わせています。
鮮やかな朱色をした本殿(2:16)は、総建壺46坪、左右に庇を伸ばして車寄せを備えた流造。清々しく磨き込まれた本殿は、国の重要文化財に指定されています。
建立当初、外賓を接待するために特に美麗を尽くすようにと勅令を受けた筥崎宮。はるか昔、箱崎の浜が見渡す限りの白砂青松であった頃に、一国の威信をかけて造営されたこの宮は、どれほど立派に見えたことか。湾岸の開発が進んだ今も、筥崎宮の神威だけは、千年以上変わらぬ存在として守られています。
Hakozaki Shrine is a Shintō shrine in Fukuoka .
Hakozaki Shrine was founded in 923, with the transfer of the spirit of the kami Hachiman from Daibu Hachiman Shrine in what is Honami Commandry, Chikuzen Province in Kyūshū.
Japanese samurai defending the stone barrier — from the narrative picture scroll Mōko Shūrai Ekotoba, which was painted between 1275 and 1293. During the first Mongol invasion on November 19, 1274 (Bun’ei 11, 20th day of the 10th month), the Japanese defenders were pushed back from the several landing sites. In the ensuing skirmishes, the shrine was burned to the ground. When the shrine was reconstructed, a calligraphy Tekikoku kōfuku (surrender of the enemy nation) was put on the tower gate. The calligraphy was written by Emperor Daigo, dedicated by Emperor Daijo Kameyama as a supplication to Hachiman to defeat invaders.
The shrine is highly ranked among the many shrines in Japan. It was listed in Engishiki-jinmyōchō edited in 927. In 11th or 12th century, the shrine was ranked as Ichinomiya of Chikuzen Province.
From 1871 to 1946, Hakozaki was officially designated a Kanpei-taisha, in the first rank of government supported shrines. Other similar Hachiman shrines were Iwashimizu Hachimangū of Yawata in Kyoto Prefecture and Usa Shrine of Usa in Ōita Prefecture.
2 Comments
楼門の立派さに惹かれますね。福岡は良い神社沢山あって羨ましい限りです。
宇佐 石清水 と此処が3大八幡宮なんですか?鶴ケ岡かと思っていました。
因みに紫陽花は白が好きです。
お潮井浜で、なぜか、涙ぐみそうになりました😢❤
祈りと意志を形に表し、見えてわかる形にして進むことの大切さをひしひしと感じました。
護国の社をいろいろ知れて、有り難いです💓
また、機械オンチの私が、やっと、使用音楽を知ることができて、視聴する楽しみが増えました😂