観光映画『飛騨の高山』昭和43年頃制作 Hida-Takayama PR movie around 1968
自然が作る日本の屋根 飛騨の山々 衣のように重なり合った山々から「飛騨」と名付けた その山あいの真ん中がそのまま日本列島の中央にあたる 飛騨は日本のふるさと 飛騨の故郷は高山にある 東京から5時間 京阪神から4時間半 北陸より2時間 飛騨路はすべて深い山襞を分け入る 日本の表と裏を分ける分水嶺のトンネルを越えるとすぐ まぎれもなく生きている美しい日本の町がそこにある 飛騨の高山 人はそれを もっとも日本的な雅びた美しい山の町とよぶ 飛騨中の春をあつめて花開く高山祭は 日本三大祭のひとつ 豪華絢爛 「動く陽明門」といわれる屋台あわせて二十三台 江戸 文化文政の頃 飛騨の匠が腕を競って作り上げた精巧な祭屋台が 町中に美しい時代絵巻を繰り広げる その祭に 盆踊りに 朝市に 高山の暮らしの中の喜びと悲しみは すべてこの陣屋前広場にある 「陣屋」 徳川の天領として177年間 飛騨一円を治めた幕府直轄の代官屋敷が 全国で唯一つここに残っている あの祭屋台が物語るように 閉鎖的な山国の城下町としてではなく 広く東西の文化を吸収し 高山独自の高い文化を築いたのも 天領の残したひとつの大きな遺産であった そしてまた陣屋の裏庭に続く郷蔵や 血染めの門に 大原騒動をはじめとする百姓一揆の 哀しい歴史が刻みつけられている 歴史の歩みは戦国の将 金森長近の栄華の跡 高山城址にさかのぼる 金森時代には京文化を町作りに見せ 天領時代は江戸文化の花を咲かせ 時代の転換を橋渡しに 高山の文化の水脈は絶たれることがなかった 遠く神話の時代にも 高山に古いひとつの文化圏があったことを 山裾に広がる赤保木住居跡や古墳の数々が教えている 古代と現代が隣同士で向き合っている 神話の世界を現実に引き戻す新しい町が 南と北を結ぶ高山本線 国道41号線を帯にして広がっている 繁華街国分寺通り 本町通り その向い町から宮川をはさんで碁盤の目のように 古い三町 下町 東山の寺町 空町と続いている 岐阜県の北 高山盆地140平方キロ 海抜573メートル 人口5万5千 高山の歴史は古く暮らしはつねに新しい 寺町に香華を漂わせる高山別院は 飛騨一円の人々に「皆の御坊様」と親しまれている 御坊様は何回焼けても必ず新しく建て替わる お互い同士の連帯意識が こうした所から生まれるのかもしれない 寺町は続き 由緒ある寺と仏が東山から城山へと並んでいる 街の人々は 仏様 ご先祖様と話し合うことから 飛騨の歴史がいっそう身近なものとなる 生きることも死ぬことも そこに生まれた日常の行事にも 歴史の底を支える庶民の伝統が光を放つ 寺はある時は町の寄り合いに使われ ある時は旅の宿ともなる うっかりすると見落としそうな 小さな板葺きの御堂の屋根の曲線にも 何気ない飛騨の匠の血が受け継がれている 歴史の年輪は城山の照蓮寺にも見られる 寺としては珍しい 書院造 寝殿造の名残を留める 寺がお坊様のものではなく 信者のものとして広く開放された 初期の時代をよく物語っている 城山をはじめ 梅も桜も 春を待ち望む町じゅうの花という花が 晴れ晴れとした顔をのぞかせる 飛騨の春はいっときにやって来る 宮川は空の青さをきらめかせ 中橋の赤い欄干に春が光る 〽飛騨の高山 お守りさ お守りさ お嫁にゆくまで あれこわいこっちゃえな あれこわいこっちゃえな 岳の白雪いつ消える 赤い欄干 中橋 中橋 行って戻って 嗚呼だしかん父っつぁまよ 嗚呼だしかん 母さまよ 向う空町 鐘が鳴る 暖簾出格子の古い民家のひとつに 民芸館として開放されている旧家 日下部家がある 広い土間に続く奥深い路地は 夏の日でさえ沁み通る冷気がある 大胆な力強い構成美 百年の炉の煙を吸い込んだ太い梁や艷やかな柱 権力に対する町人文化の忍従を 一気に爆発させた豪快さ 江戸から明治へかけての 日本の建築技術の全てを出しきった 充実感に満ちあふれている 日下部家を豪快な男性的とするなら 隣りあう吉島家は繊細な女性的タッチといえる ともに民家としては初めて重要文化財の指定を受けている 高山のことばで 品の良さを「こうとな」という そのこうとな良さを 小さな格子一本にも通わせているのが 高山の特産館 旧吉島家である 土間の空間を切る露地の格子 千本障子 お家の鴨居 一本の柱を途中で断ち切って 空間の持つこうとな美しさを生かしている 一之町の郷土館は 民家の文庫蔵をそのまま使っている 土に生まれた民芸を生かす民俗館に対して 町家の郷土民俗資料を蒐めている 時代の変転の底にあって ひそかに しかし逞しく生きてきた高山の暮しの鼓動が 脈うっている 手を合せた姿そのままの 合掌造り四階建 切妻屋根の若山家は 民俗村の丘に聳えている 御母衣ダムの湖底に沈んだ白川郷から移築され 生きた形の民俗館として 大家族制度の面影を伝える一世紀前の文化が そのまま 現代の暮しとともに受継がれている 深い急勾配の茅葺きの屋根 釘を使わず 「ねそ」という粘り気のある木と縄で締括られた建前 囲炉裏火が生活の中心であった住いの原形 養蚕が盛んであったときは 桑を食べる蚕の音が雨の降るようであったという 蚕棚 一本の木をそのまま階段として刻んだきざはし 全てが 暮しと風土の対話の中から生れた 混りけのない日本の姿である 江戸初期 土間生活の農家の姿を そのまま伝える野首家は かけ筵と板の壁 馬も人もいっしょに暮す 今はもう珍しい土台のない掘立式である そうした飛騨の昔を伝える家々の中で 機織 木工 一位笠作りなど 実際に生きた形で生活を営む民芸村が 伝統の大地に飾り気のない姿を見せている 笠が田植のなかで生きている 必要が生んだ暮しの中の美しさといえる 新緑のみずみずしさが山菜の味を思わせる 海を離れた飛騨人の舌が 江戸時代からの格式を受継ぐ高山独特の精進料理 山菜料理は季節の味を作りあげている 山国の味 五平餅 淡白な塩味 飛騨せんべいの香りが芳ばしい 飴玉 とら巻 町角には昔ながらの手作りの駄菓子屋がある 「ごめん あめちょうだい」 「はいはい これですか」 「はい ぼっちゃんありがとう」 「ありがとう」 柏餅にそえて さりげなく菖蒲をつつむ心遣 城山に駆ける子供達は 町じゅうの鯉のぼりの数をかぞえる 乗鞍の向うにはもう夏が待っている 夏山がひらく 高山の夏は 乗鞍の山頂からまっしぐらに滑り降りてくる あたらしい町の七夕祭 古い七夕は 江名子川に星をうつして 今と昔を天の川でつなぐ ほのかな安らぎが 夕暮れの川面にきらめく 松倉観音の絵馬市が 威勢のよい売声をあげる 縁起を祝い 清い馬が家に飛び込むよう 紙絵馬を玄関先に貼るならわし 高山の夏の風物である 高山では坊やを「ぼう」 女の子を「びい」という 盆踊りに出かけてゆく幼いびいが 月を拝む姿を見た 陣屋前広場の櫓をかこんで 高山の夏がいきいきと活気づく 高山の盆踊りは娯楽だけに始ったものではない お盆に帰ってきたご先祖様との話し合いである 話を運ぶリズムが歌となり踊りとなる 月も風もご先祖様も一緒におどる盆踊り それがなければ高山の夏は完成しない 夜の街に謡が流れる 自然の渇きをもつ旅人にも まぎれもない日本の姿を刻みつける 夏草が生い茂る 江名子川べりのお稲荷様の社に 千鳥格子の扉がある ごく近年まで どう組立てたか分らぬ 飛騨の匠の技のひとつ 高山市内にただひとつ残っている わずか3センチにもみたない根付 木肌を生かした像 そうした飛騨の匠の伝統を生かした工芸が数多い 飛騨の銘木 一位の木の木目を生かす 豪快な彫刻「一位一刀彫」もそのひとつである 橅をはじめとする原木を蒸気でむし 型に入れてプレスする曲木家具は 世界に伸びようとする飛騨の匠の 今の姿なのかもしれない 丹念に 木肌の美しさを黄金色に生かす 飛騨春慶塗 中山のふもと 渋草の窯は 江戸の昔から優美な中国風の絵付で知られている 小糸焼は 自然の土に民芸のまろやかさを作り出す 民芸は 使う人 作る人の合作である 高山の土で生れた茶器に 高山で生れた宗和流の点前がむすばれる 左に刀を差した武人のたしなみが 男前の帛紗捌きを生んでいる 秋 高山の実りは朝市から活気づく 棗 赤ごけ 赤かぶ 白菜 朝市は 近郊の農家の主婦の心外仕事 つまり余分な仕事の現金収入である 明るい素朴な飛騨言葉が流れる 「……そしゃちょっと見てくれんさい」 「こんでまあ百円あるんですね」 「ちょっとまあ見て……」 「はいはい」 「はい、375円」 「はい、はい、ありがと」 日本でいちばん高くまでドライブできる山 乗鞍岳は 海抜3,026メートル 夏の雪景から秋の紅葉 三段錦の自然の美しさを求める人が あとを絶たない 山の頂はもう冬の前ぶれを報せている 槍 穂高 焼岳 平湯から奥飛騨の温泉群が 新穂高へと続いている 「乗鞍岳は女の寝顔」という その岳がうっすらと化粧し始めると 赤かぶの季節である 桶をならべた宮川では 菜洗いが始る 冷たい水に 赤かぶが鮮かさをます 雪がくる前に ひと冬の漬物を漬けてしまうのが 主婦の大きな仕事でもある 色ぐあい 漬けぐあいが 漬けた人の品定めにもなりかねない 下手をすればひと冬じゅうの話の種になる しな漬 くもじ 塩漬 みそ漬 漬物は長い冬をたえる飛騨人が 生活の必要から生んだ味の芸術品といえる 汽笛が秋を引き裂く 冷たさが乗鞍から駆け足で降りてくる 右にゆけば村の道 左にゆけば江戸街道 その昔 代官様の行列が通った 野麦峠に通じる古い街道が もう 田の畦道のように身を縮ませてやせ細っている 秋は深い 国分寺の六地蔵が 小ぢんまりと身をよせ合って 秋の最後の陽射を惜しんでいる 飛騨国分寺 奈良時代 日本の国々におかれた国分寺のなかで 現存する数少ないもののひとつである 雨上りの境内の赤土からは 今でも 天平創建当時を偲ばせる布目瓦が 古い塔の礎石あたりに顔をのぞかせる 空に聳える三重塔と背比べをする 樹齢千年をこえた大銀杏が 葉裏をひるがえして境内いっぱいに 黄色い絨毯を敷きつめてゆく 落ちた銀杏は子供達のかくれんぼうのお付合をする 銀杏の葉がすっかり落ちたら もう高山に雪のくるのも間近い 雪が降ってきた つもる話は来年の春まで 先づ国分寺の塔の上を真っ白にして 雪の長い長い話が続く 町も人も橋も川も すべてが冬の自然にとけあい 天と地がひとつになる白一色 飛騨の高山は長い冬ごもりに入っていく 木の国 山の都 高山の町が見渡せる東山の丘に かつては雪深い飛騨の山から山を渡り歩いた 木地師の群の墓が静かに眠っている 宮川べりには万人講とよぶ 昔の刑場跡がある 百姓一揆で戦った山の民の 菩提を弔う石碑に 「皆泣く」と刻まれた文字に哀れがしみる 賑やかな商店街が交叉する 鍛冶橋の人の行き来が ひとつ心で気忙しくなる年の暮 どの町角にも火防の神 秋葉様が祀ってある その秋葉様にも年越の祝肴の鰤が供えられる どの家にも飛騨鰤が正月を待つ 東山の寺の鐘という鐘が鳴り響く除夜 凍てつく道は一宮の初詣 乗鞍が新しい顔を見せる 花餅の下で語らう飛騨の子供達の 冬の楽しみのひとつに版画がある 飛騨の匠の血を引く器用さと こつこつとやる丹念さが 飛騨特有の見事な版画を彫りあげる 自分の手で作った版画の凧を 自分の手で新春の空に高々と泳がせる いかにも雪国の出初にふさわしい 勇壮な巻き込みの渦が寒さを蹴散らす 滑り止め 藁靴 飛騨言葉で「ずんべんど」 「ぶくり」とよぶ高下駄 節分の夜 町方では鬼をはらう思い思いの行列が家々を訪れる 江戸以来の伝統をもつ料理屋さんでは 飛騨の旦那衆が集まっての節分会 節分を境に 人々の春へのあこがれが強まっていく 〽暖簾 出格子 さんまちに さんまちに 粉雪ふる夜は むず凍みるんでなかろかえ むず凍みるんでなかろかえ 炉火の灯りも人恋し 囲炉裏がこたつに こたつがストーブに変っても 語り継がれる飛騨の冬の夜話は変らない ……すまんこっちゃなー そ言ってござるんよ 手につばきを付けてな 穴をぎゅうぎゅうと大きうして ぎゅっぎゅっと大きうしてそいでも見えんに 穴んとこでほやってや ぐーっとこやって開いてな ひょいっと覗かすと思ったら 何かどしたもんで どすーんと叩かれたと 傍から ひゃーっていってな飛びあがってみたらな 後ろにな馬方さんがおってな このたーけやろーって そいったの わかったか なぁ 冬の高山の味 網デッキに朴をのせ 味噌を焼いて食べる しな漬けのかぶ 朴葉みそ こけ ぜんまい 春は小豆菜 折菜 ふるさとを離れた飛騨人が夢に見る 郷愁の味でもある 山国の春は遅い 夜話を幾つも幾つも聴いたぼうは 宮川の猫柳の芽が 少しづつふくらんだのをまだ知らない 高山の春は 宮川の猫柳が教えてくれる 〽蛍の光 窓の…… 山の分校の子供達も 町の学校も 春に先駆けて巣立ってゆく 〽文読む月日 重ねつつ…… 〽……乗鞍の山 激ち流るる宮川の水 山と水とを後に前に…… 帽子の白線を一本につないで 雪解けの川に尽きぬ思い出を流す人もいる 乗鞍のふもとに一生を過す人もいる 都会へ飛び立つ人もいる その皆が おなじ熱い思いを抱いている おーい 俺は高山が好きだーっ おーい 俺は高山が好きだーっ おーい 俺は高山が好きだーっ 高山が好きだーっ 高山が好きだ…… 同じ乗鞍のふもとで 永遠の別れを告げる人もある 「野焼き」とよぶ弔いが郊外にある 飛騨人は その最後のあかしを飛騨の空高く 岳に生れ 岳に帰ってゆく 帰る人も 生れてくる人も 千光寺の円空仏はおだやかな微笑で迎える 朝焼けの中に新しい飛騨人が生れた 野にも山にも あざやかな春の光がまきちらされる ひとつの農家の片隅で ひと筆ごとに素朴な土びなさまが誕生する ひと刷毛ごとに祭が近づく ひと針ごとに祭へいそぐ 裃がウィンドウをかざる 神社の社務所や公民館 町の屋台組の家々で祭稽古が始る それは高山の人々にとって 春の野に小鳥が鳴くのと同じなのかもしれない 暮しの中に自然の静謐を巧みにつかみとり それが日常の行事に生かされている 祭囃子が春を待つさえずりのように町へ流れる 何十本という糸を巧みに操り 一年一度の晴れの舞台を飾ろうと からくり人形の趣向を凝らして余念がない 清浄な気持でお祭を迎える 祭提灯 幟旗が人々の胸をときめかせる 三百六十余日目の光をあびて 町々の組元の屋台蔵が開かれる 試楽と本楽 一年にただ二日の光をきらめかせる 屋台が出る 神様をよび迎えるために 家々ではみあかしを出し 出格子に簾をかかげる もっと大事なことは 祭というひとつの行事を 皆が心をあわせてやり遂げることにある 高山の人口が急速に膨れあがる 飛騨一円はもとより 全国から どよめきのように激しい人の波がおしよせる 見知らぬ国の人の波もあれば 小さな波もある すべてが年ごとに繰返す新鮮な驚きであり 豊かな季節感である 春を待つ山国のよろこびが 年を積重ね 暮しの智慧と技術を 思い切りつぎ込んだ重厚な祭行事となって爆発する それは さながら日本の おとぎ話の国の美しい時代絵巻である 夜祭の曳別れ歌が ゆれうごく提灯とともに 三百年の昔にかえる 夢と幻想の世界へひきいれる 本楽の朝 玄関先で神様のお導きの赤土をまく 飛騨人にとっては耳に焼きつく懐しい音 「かんかこかん」の響きが行列の出発をしらせる 祭 それは神に従いつき祀る 祭 それは神降しの式典でもある 宮代はあくまで仮の宿であり 祀る人の心に従い神はどこへでもゆく 高山じゅうの一軒一軒を訪れ 町の人は神を通じて 祀る人と迎える人がまったくひとつになってゆく 家々では軒先に神様をお迎えする 人々が捧げたのは手を合せるその心であった 高山の町中を 長い長い行列が いつ果てるともなくえんえん二町も続いてゆく 屋台の上にのぼっている子供達の誇りは やがて伝統を受け継ぐ力となるであろう 自然は 長いひと冬の眠りから覚めて躍動を始める 山も水も町も人も すべてが祭に加わり 春を讃える 真っ暗な屋台蔵の中で じっと祭の日を待ったであろう 広場に集るひとつひとつの屋台は そのまま高山の人の心を表している 故郷を持たぬ人にさえ故郷を感じさせ 今はもうなくなった 大切なものにめぐり会えたよろこびを分つ 飛騨の高山が新しい時代の中をどう変ろうと 飛騨人の熱い心は変らない 日本の心の故郷は飛騨の高山にある
文部省選定観光映画コンクール1968年度最優秀賞作品
父のチャンネル@jf2iwl に細切れでアップされているものと同じ動画です。
脚本 曽我部博士
音楽 小川寛興
語り手 滝沢修
企画 高山市
制作 東京福原フイルムス
24 Comments
自分が1歳のころの高山市・・この町で育ち 斐高をでた身としては 白線流しの映像は 感涙ものです。貴重な映像ありがとうございます!
懐かしいです。素敵な作品、映画🎥ですね~全国、世界の方に、見ていただきたいですね😂貴重な映画を拝見できて、感謝します~😂👍👍👍🎶✨😉
この頃の時代っていいなあ。
お正月も楽しかったことだろ
節分も重厚で、そしてBGMになんか知らんが日本の清新な空気に胸が詰まる
でも………いま
飛騨も中国人ばかりで歴史的情緒が消えたね
Xにもコメ入れたった(-。-)y-゜゜゜
自分の生まれた街高山これからもよろしくお願いします🙇♀️⤵️
今、帰化人の市長や知事が日本中の祭りを廃止にしています。嘆かわしい事です。
名前を日本人風に変えて仕舞えばなかなか見抜けなくなる。名前変更の禁止と通名偽名の禁止が必要。
僕の地元静岡県の遠州掛塚、掛塚の屋台は飛騨高山の屋台に比べて小さいですが螺鈿細工や金糸銀糸で縫われた天幕刺繍などで高山の屋台と並ぶぐらい豪華絢爛です
飛騨高山・・それは日本の原風景、そしてヤマトびとの心のまほろば。 昔の高山市街は色が統一されていてシックだ。コンクリートのビルなどもほとんど見当たらない。 それこそが貴重。 現代、そのように復元されることを望む。さすれば、真の意味での小京都。観光客はさらに倍増するにちがいない。
平湯温泉って、交通の便は悪いのに、結構客がおるんよね。
その平湯温泉から約1時間で高山に行けたと思う。
高山もまた、客がそれなりにいる。
この頃が一番良かった。
1968年。カラーテレビの普及が進んで。日本人が幸せな未来を信じた。
語り滝沢修(あの人ですよね)音楽小川寛興 聴き入り、見入ってしまいました。最優秀賞も納得してしまいます。当時の素朴な白線流しと卒業生たち。いい映画ありがとうございます。
まだこの時、高山から更に山奥に入った所に住んでいました。スキーのシーンは時代を感じますね。
この頃 バレーボールの練習試合の為 高山線に早朝に乗り 1時間かけて高山に出かけました 一番近い高校が高山だったからです 高山駅に着き ホームに有った 蕎麦がたいへん美味しかった事 湯気のたつたつ食いは部員大勢だから出来た事 それ以来 立ち食いはしていません
半世紀も前だと、もう外国と同じ感覚だ
飛騨の高山。
下呂温泉。
どちらも、岐阜県の山奥の秘境の地にあります。
まちなかの人は、これが日本だとは、知りません。
日本の異世界に分け入ってみよう!
貴方に、明日から新たな世界が、開けて来る。
こういう昔の映像は必ずと言っていいほど「昔はよかった。前を向いていた。希望があった」みたいなコメントつくけど、とてもじゃないけど、こんな時代は暮らせないなぁ。。。
公害に差別に学生運動や左派によるテロ行為、、、
絶対現代の方がいいと思うけど。
配信感謝申し上げます。現在の日本、ほっと出来る時間が、ない所にこの動画は、忘れかけた日本の心を思い起こす動画です。
飛騨高山、数十年前に一度訪れて居ります。日本の風俗風習、文化は、後世に残して行かなければならない。
初期の新日本紀行を見てるようだ・・・
高山、ほんと好き…
同じ岐阜でも遠いから1日旅行やけど…🥹
ひたすら過去から現代の風景を巡る。こういうのでいい。
うるさい芸能人とかおしゃれスポットのマーケティングなんかいらないですね。
この当時は東京オリンピックの4年後で東京タワーも首都高速も完成し首都圏にはビルが立ち並び、排気ガスによる公害が問題になっていた時代。
田舎の人々は「おらが村にも道路やビルを作ってもらわんと不公平だべ」と都会との格差への不満を噴出させ4年後に田中角栄が総理大臣となり日本列島を大改造。
自然破壊を伴うインフラ整備はこの映像に映っている方々自身が望んだ事なのです。
みんな欲しいものは同じなのです。田舎の人も都会の人も同じ人間なのだから。
移民がいない日本 もう二度と元にはもどらない
懐かしくて 15歳?
友人と寄せて頂きました♪
陶器作りを見学しました 乾燥してる棚お日さまの下で写真をパチリそして事件が、、、
立った瞬間ガラガラと倒してしまいました
おじさんに
弁償しますごめんなさいと言ったら
何でもかんでも金で片付けるな❣️とお叱りを受けました
いい思い出です
おじさん叱ってくれてありがとうございました
高山に❤
20数年前20代前半の頃に1人ドライブ旅で高山へ行き小糸焼のコーヒーカップ&ソーサーとスプーンを自分土産に買いました。焼き物には詳しく無かったのですが小糸焼は味がありとても素敵に見えました。今も使ってます。