日本列島を日本たらしめる、国土そのもののご神霊を祀る難波大社:大阪府・生國魂神社(Ikukunitama Shrine | The representative shrine of Osaka)
▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 社号碑、狛犬、手水舎
0:56 拝殿
2:23 生玉天満宮、住吉社、皇大神宮
3:10 上方落語発祥の地碑、注連柱
3:29 生玉の杜
4:02 精鎮社
4:23 南側末社三社
5:17 西側末社四社
6:36 北門周辺
7:03 生國魂神社 行宮
どうも管理人のヒロリンです。
今回は大阪府大阪市天王寺区に鎮座する生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)を紹介します。
日本国土の守り神である生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)の二柱を祀る生國魂神社。難波大社とも尊称される同社は難波の街を南北に通る二つの幹道、谷町筋と松屋町筋の間で、大阪城から南へ延びる上町台地の中央に鎮座しています。
かつては大阪城の場所が生國魂神社の鎮座地でしたが、豊臣秀吉が同地に大阪城を造営するにあたって現在地へと遷座しました。大阪を代表する神社といえば住吉大社がすぐに思い浮かびますが、実は生國魂神社は大阪のど真ん中である大阪城や、かつて皇居が置かれた難波宮一帯を神域として祀られていたほどの名社なのです。
生國魂神社は生島大神、足島大神を祀りますが、この神々は皇室と深くつながっています。この二柱の神様は出雲から諏訪に渡った建御名方神(たけみなかたのかみ)が奉祀したと伝わる神様。生島の「生」は島々が「生まれる」働きを、足島の「足」は島々が「充足して成長する」働きを神格化したもので、日本列島に「生を与え満ち足らしめる」神であり、平安時代初期の神道資料『古語拾遺』には「生嶋是大八洲之霊」と記されています。
大八洲(おおやしま)とは日本の古称で、国土を治める朝廷も生島大神と足島大神を重んじました。現在の皇室にも生島大神と足神大神はお祀りされているほどです。平安時代から鎌倉時代の間、新しい天皇が即位すると天皇は大嘗祭(だいじょうさい)を執り行い、その翌年に難波津に使者が送られて、生島神・足島神に住吉大神を合わせて「八十島祭」が営まれました。一代一度の大切な祭りです。これは、朝廷が重んじた生島大神と足島大神が祀られている生國魂神社、住吉大神が祀られている住吉大社が共に難波津の近くに鎮座していたことが理由です。
大阪城や難波宮は、現代では内陸部にあるため「八十島」といわれてもぴんときませんが、かつてはすぐそばまで海岸線が迫っていました。太古の大阪市はほとんど海のなかで、生國魂神社の鎮座地である上町台地が南側から北にむかって伸びて細い半島を形成し、東側は巨大な河内湖でした。大阪の由緒正しい神社仏閣や巨大古墳が生駒山の山麓から南側に続いているのは、このような地形の制約によるものです。
そんな生國魂神社の起源は約2700年前の神武東征に遡ります。九州の高千穂を発って難波の石山碕(現在の大阪城周辺)に到着した初代天皇・神武天皇が、生島大神・足島大神を祀ったことが同社の始まりです。
後に豊臣家の庇護のもと「難波大社」として繁栄。社寺への参詣が庶民の娯楽となった江戸時代には境内で各種興行が開かれ、上方落語の祖と仰がれる米澤彦八、『好色一代男』など数々の浮世草子で知られる井原西鶴という逸材を輩出。また、浄瑠璃作家の近松門左衛門が同社を舞台にした『曽根崎心中』、『生玉心中』を書くなど、上方芸能・文化の発展に大きく寄与したことは特筆に値します。
生國魂神社は幾多の火災や戦災に見舞われた神社としても有名で、明治維新以降でも明治45年のミナミの大火、昭和20年の大阪大空襲、昭和25年のジェーン台風など度重なる大難で社殿はその都度焼失、倒壊しました。現在見られる社殿は昭和31年に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。何度も再建された同社の社殿ですが、その造りは1606年に豊臣秀頼によって修築された際の造りを継承しています。
生國魂神社の社殿は本殿・幣殿を一つの屋根で葺きおろした上に千鳥破風・すがり唐破風・千鳥破風を三重に乗せた天守閣を思わせる他に類例のない様式で「生國魂造」とも呼ばれます。残念ながら一般参拝客はその造りの詳細を見ることは出来ませんが、屋根の一部は垣間見ることが出来ます。日本そのものを守護する神様が祀られている同社。そんな格式高い同社の様子を是非ご視聴ください。
Ikukunitama Shrine is a Shinto shrine located in Tennōji-ku, Osaka Prefecture, Japan.
Ikukunitama Shrine is an engishiki myojin grand shrine that had its beginning in worshipping Ikushima-no-kami and Tarushima-no-kami, located in Ishiyamazaki, the area of present-day Osaka.
It is Osaka’s oldest tutelary shrine which had its beginnings in prayers for nation-wide peace. There’s the main shrine, hall of offerings, and in front of that is the hall of worship, corridors, and ceremonial rooms, etc. The existing buildings are all made from concrete, having been rebuilt after the war.
It is said that Emperor Jinmu went to Ishiyamazaki during his easten expedition of the country to worship Ikushima-no-kami himself. In 1585, the shrine was moved to its present-day location due to Toyotomi Hideyoshi’s construction of Osaka Castle. Unlike its current concrete construction, Ikukunitama Shrine was built using a unique style called Ikukunitama-zukuri. The five gate, four sided main shrine and the 7 gate, four sided hall of offerings were roofed in the style of Nagare-zukuri, and traditional contruction techniques were also used in the front portion of the roof. In 1871, the shrine was classified a Kanpei Taisha.
Futhermore, it is also known for Ikukuni Tamamatsuri, following Ikutama, Temma, and Sumiyoshi, Osaka’s big three summer festivals.
7 Comments
隣にでかいマンションが有るようなところに由緒正しい神社が有るのは 良いですね。
秀吉が遷座させたとは いかに大きな権力だったか思い知るところです。
ヒロリンさん、こんばんは🌙
実は今年、この近くに何度も仕事で行っていたのですが、
こんな神社があったとは🫢‼
また来年、行く機会がありそうなので
ぜひ参拝してみようと思います🙏
こんばんは。毎年7月の11日と12日には生玉祭りが行われ、この2日間は多くの人で賑わいを見せる様です。職場の近くにあり訪れることも多いのですが、ヒロリンさんの映像を見るとまるで別世界の様に映ります!
ヒロリンさん こんばんは🤗🤗 いつものことですが 映像が素晴らしすぎて ただただ ホーと見いってしまいました😅😅👍👍🙋🩵🩵
建御名方神が奉祀した神様を
神武天皇から現在の皇室までが大切にしているなんて、、、
お恥ずかしながら知りませんでした。
私な奉納演奏に参加していますが
私の個人的なテーマは「伊勢と出雲の融合」です。
そのテーマが、既に歴史的にあったこと✨️
そういえば、お仕舞(能)を習っていた時、「三輪」という演目は「伊勢と出雲はもともと1つ」と伝えていることを知りました。
私の勉強不足から、もしかしたら間違って受け取っているかもしれないけれど、ぜひ、参拝しようと思いました。
ありがとうございます✨️
私は千葉県出身ですが、昭和61年1月に生國魂神社で成人式に参加させていただきました。良き思い出です。
間違いなく日本一の神社チャンネル😊
日本一のクオリティー!
このチャンネルに出会えたことが幸せです❤
ありがとう!