【お城めぐり】ずんだもんとゆくお城めぐり#51 佐敷城・宇土城

[音楽] この先へ行けばお城なのだ。 さっきと打って変わって、今度はがっつり山。 山の上の戦闘要塞なのだ。まあ、山とは言っても近くまで車で来れるから山登りはほぼないのだ。 で、この山にあるお城って、 ここにあるお城は差敷城なのだ。 [音楽] やっぱり聞いたことはないお城っすね。 差し場は上名人の加藤清正が気づいたお城なのだ。秀吉から両国支配を任されて国境の防衛として気づいたのだな。 やっぱり両国防衛用の拠点なんすね。 [音楽] 実際には梅奇っていう島塚の内乱や関ヶ原戦でも戦闘の舞台になったそうなのだ。 [音楽] ちゃんとして活躍したんすね。 まあ結局一国一条例で廃にはなったけどでも上名人のお城だからどんなものか期待が高まるのだ。 [音楽] ああ。場の説明すね。 内容はさっき説明した通りなのだな。こっちには縄バリズムあるのだ。うん。個人としたシンプルな縄針りすね。 [音楽] 周りに腰を備えた3 つの車を持つ連式なのだな。 縄張り図だけだと何とも言えないけど。 やっぱり実際に見るのが1番なのだな。 おお。 早速綺麗な石垣きがおめにえっすね。 見事な打ち込みはぎの石垣きなのだ。それにこの積み方は加藤清まさっぽさを感じるのだ。 そんな分かりやすい特徴あるんすか? この見た目そのものと石の間にまずめ石があるところかな?熊本城を見るとそれがはっきりわかるのだ。 [音楽] 石垣だけでそんなに特徴がはっきり分かるんすか?改めて考えるとマニアックな視点だな。 [音楽] つぎちゃんでももうその判別はできると思うのだ。 嬉しいような、嬉しくないような。ここから上登れそう。 [音楽] ここは絡めてもみたいなのだ。 裏口入場再び。そこは気にせず登るのだ。それにしてもここから見る石垣きも綺麗なのだ。 [音楽] 崩れそうな気配もないし生前と詰まれてるっすね。 [音楽] ここでも上名人の腕が光るのだ。 この石垣って当時からそのままなんすかね。 修復はされてそうだけど当時のものに近いんじゃないかな。だとしたらここまで綺麗に残ってんのもすごいっすよね。 [音楽] 技術力の高さが伺えるのだ。 [音楽] お、ちゃんとクランク上になってる。 通路を直線上にしないのはもはや様子日なのだ。 ここにはちゃんと問題あったんすね。 本丸に西モン差敷場の絡めてもなのだな。 案内版によるとここでキり入りの鬼が見つかったらしいのだ。 [音楽] キモって言うと豊の家紋だからここが豊大の城の証みたいなもんすよね。 [音楽] 秀吉の隅である証なのだな。豊田九州を支配している証とも取れるのだ。 [音楽] 軍事的な拠点と言ってもとの異厳を損わない作りだったんだな。おお。 [音楽] 分事拠点らしい見晴らしの良さっすね。 元全体がよく見渡せるのだ。街道の要をきっちり抑えてるのだな。西側は加工から海運の要も抑えてるのだ。 [音楽] 本当だ。今でも重要な立致なのは変わらないんすね。 いつも思うけどこういう要を見極める当時の不審業は本当すごいのだ。 で、この広場が本丸っすか?広さはそこそこあるみたいっすね。 [音楽] 巨一見は立てられそうな広のだ。まさに国境防衛の要想なのだな。 [音楽] 確かに腰を吸えた本拠って作りじゃないな。とはいえ石書きでがっつり囲ったお城だし。すると戦闘を意識した山というよりは国境を警備する支配拠点という方が点がいくのだ。 [音楽] それでも裕二でも対応できそうではあるっすね。 そこは加藤清マ正のお城。城の作りに関してはぬかりはなさそうなのだな。 [音楽] ぬかりないかは実際に見てみるとするっすか。 [音楽] 身の丸もかなり広めの車なのだ。 あちこちに階段あるし。ここが敷場の中数っぽいっすね。 [音楽] 確かにここに役所的な建物がありそうなのだな。 でも防備的にあちこちに階段があるのはどうなんだろう。マ型でもあったっぽいから美なさそうなのだ。 [音楽] なるほど。これなら簡単には突破できなさそう。作りからしてこっちが大手口っぽいっすね。ここから大手門に続くから間違いなさそうなのだ。 [音楽] じゃあ反対側はこっちはだいぶシンプルっすね。 段差を上がる階段だけなのだな。かにも裏口っぽい作りなのだ。 じゃあこっちが絡めてぐチっと。でも階段を 2 段階に分けて一気に登られにくい作りにはなってるのだ。 側面攻撃も通しやすいっすからね。 その辺りで抜かりないのは逐名人の仕事なのだな。 ただ石書きが少し低すぎる気もするんすけど、あの辺とかすぐ登られちゃうっすよ。 [音楽] あれは波上処理の後なのだな。廃の後再利用できないように石垣きを崩したのだ。 [音楽] ああ、ここも波処理されたんすね。通りであちこち石垣が低いと思った。 [音楽] ここは甘草一期の本拠地に近いし波上も徹底的だったと思うのだ。 加藤清マ正の健を再利用されたら止まったもんじゃないっすもんね。 [音楽] ここがサの丸で南側の最前線なのだな。 三の丸は長細いくわっすね。麓元の見晴しもいいし最前線って感じ。 [音楽] 幼少の監視には売って付けなのだ。 本当ここって城を立てるためにあるような立致だな。 全方位を遠くまで見渡せる立は早そうないのだな。 改めて思うけど、幼少を見極める不審業の目聞きぶりは本当すごいのだ。 [音楽] おまけに風通しも良くて気持ちいいし、 天使の最上会にいるような心地よさなのだ。 真夏じゃなければもっと心地いいんだろうけど、 [音楽] それは言わないで欲しいのだ。 [音楽] 大手門まで下ってきたのだ。ここの場合はおってもって呼び方なのだな。 [音楽] きっちり整ったマのもんすね。 [音楽] 大手にふさわしい作りなのだ。 外側は波上処理でだ崩れてるけど、 そこは想像で補うしかないっすね。 あとここでも特殊な鬼河原が見つかったとか。 おお、大手モにもあったんすね。やっぱ家紋入りのやつっすか。な [音楽] んでも天下太平国土暗音ってんである鬼らしいのだ。 [音楽] そりゃまた特殊だな。式場が単なる山じゃない証っすね。 今残る石垣もそれを示しているのだな。 改めて下から眺めると綺麗に積まれた石垣騎室よね。加藤清マ正の石垣技術の高さが伺い知れるのだ。 [音楽] そういや、さっき石垣の積み方で加藤清マ正の特徴が分かるとか言ってたっすけど、 それはこの石垣を見た通りなのだ。 うん。積み方はさっき打ち込みはぎって言ってたっすよね。 [音楽] んでもって隙間なく地密に積まれてる印象すね。わずかな隙間も小さいで敷き詰められてるし。あとは 1つ1 つの石はそれほど大きくないけど、表面はガタガタしてなくてむしろツルツるなのだ。 [音楽] それってつまり石の技術がものすごく高いってことっすよね。 そういうことなのだ。これは他の石垣とは違う加藤清正独自の義法なのだな。 これが逐名人の技の1つなのか。石垣き1 つで技術力の高さが分かるもんなんすね。 そこが加藤清マのすごさなのだな。じゃあ 差し場はこれで一通り回れたから次のお城 へ移動するのだ。 [音楽] ここは街中にある公園かな? [音楽] 今は公園になっているのだな。 [音楽] 差式場と違ってあんまり素人感はないけど、 [音楽] 移存状況はそれほどでもなさそうなのだな。そんなこのお城はう城なのだ。 [音楽] この辺りの地名そのますっすね。 う城は2 つあってう城って呼ばれるものと普通にう城と呼ばれるものがあるのだ。 今のはう城の方なのだな。 すると古城の方は戦木時代より前の そうなのだ。ここは黒人漁師の市やが拠点にしたお城なのだ。南北目町時代から続いて秀吉の九州生の時に廃になったみたいなのだな。 [音楽] じゃあ古城の方は存続200 年くらいか。結構長いな。 そしてその後に両手になった小西永が新たに気づいたのがもう 1 つの方のう城なのだ。う特別して金星城なんて呼ばれ方をするのだな。 [音楽] 小西長って言うと 豊大の1 人で加藤清正とライバル関係にあった部将なのだな。 じゃあその2 人は常にしのぎを削り合ったと。2 人は同じ秘の国の領になったけどだんだん仲が悪くなったそうなのだ。 ありゃ、相性が悪かったのかな。 [音楽] 日母の国の領有権で度々対立したり、新教の違いで対立したり、朝鮮出定の時には朝鮮の死との感情へ 1 番乗り争いしたり、さらには朝鮮側に清マの高軍予定を密刻して清マを蓋たせようとしたとか。 [音楽] そこまでするの と。ま、加藤清正とのエピソードは偽話を含めてたくさんあるのだな。 バッチバチだったんだな。 そんなところでまずは男城の方から見ていくのだ。見渡す感じ。普通の公園にしか見えないっす。 [音楽] 広場はっぽくはあるけど説明版には腰くるわってあるっすね。腰くわって言うともっと長細いイメージだけどな。 [音楽] かなり幅のある腰なのだな。 メインの車と大さない気も 実際の使い方はメインだった可能性もあるのだな。 で、こっちの高台の方が資格かな。 いかにもの高台なのだな。 見た感じ段差に車がつってるみたいっすね。 [音楽] 割とシンプルな縄張りなのだな。じゃあ早速登ってみようかな。 1段登ったけど同じような兵置が続くな。 四角の周りを何十にも腰で囲った縄張り みたいなのだな。バベルの塔の形みたいな イメージかな。白の形としてはイメージ つきやすいけど、あんまり見ない形式っす ね。この形式って防御的にはどうなん だろう。どうしても全方位を守らないと いけないからそれほど硬くもなさそうなの だ。上兵に人数をかければそれなりに守れ そうだけどやっぱいまいなのかな。 他の山みたいに地形で同線をある程度制限できれば少人数でも守りきれるんだけど。 [音楽] そっか。この場合だとどこからも登ろうと思えば登れるもんだ。だからこの形式は他では見ないのかな? [音楽] [音楽] まだ縄張りが不完全なところが中世のお城っぽいのだな。そういうところもまた面白いのだ。また 1段上がったのだな。 お、ここは横掘りが掘ってある。 急に言語になったのだな。 横掘りがあって崖の傾斜もかなり急。これはお袖れとは登れないな。 確かこの上が本輪だからその周囲は防御を固めてるのだな。 [音楽] ならその周りもうちょっと固めて欲しいけど。 そこはまだ縄張りが不完全だから。さてここを登れば本なのだ。 [音楽] 通路はかなり細いっすね。 当選が細いのは防衛側には有利に働くのだ。 おお。門まで復現してある。 中世のお城の再現も雰囲気が出て実にいいのだ。ここが本っすか。 [音楽] かなり広めの車なのだ。 建物の復現もされてるっすね。 立ち食いだけ復現されてるところもあるのだな。 建物の数も多かったんすね。 するとここは漁師の本拠地としての色が強そうなのだ。うやしがここに本拠を構えたのだな。 なるほどとなると斎というよりは白方って言った方がいいのかな。 上の要素があるや方とも言えるんじゃないかな。 まさに中性乗格の様式を持ったお城なのだな。 そういう様式ってあんま見ることないから割と貴重な意向なんすね。なかなか面白いお城が見れたのだ。じゃあこの勢いのまま近城の方へ行ってみるのだ。 [音楽] ここから近いんすよね。 ほぼ隣の位置だから少し歩けばつくのだ。この辺りみたいなのだな。 [音楽] 確かに歩いてすぐだったっすね。 でもこの案内版以外にお城っぽいところないっすよ。 あんまりこうは残ってないのかな。ひとまずこの先へ登ってみるのだ。いって普通の公園すね。 [音楽] これと言って行こうは見当たらないのだな。一応この広場がほんまに当たるらしいけど。 [音楽] うーん。何もわからん。金星世城だから石垣きとか堀で囲われたタイプのお城だったんすよね。 [音楽] 説明版にはそう書いてあったのだな。ただ府によって 2 回も波上処理されたってあったから。じゃあ後方もなくなっちゃったんすかね。 今残るのは名残りくらいみたいなのだな。 本丸だったこの広場が残るのみか。 ここに銅像が立ってるのだ。 上手だった小西永の銅像すね。 う城と小西雪長を忍ぶものなのだな。 両民からは慕われてたのかな? [音楽] ウ城周辺の整備に貢献したらしいからそれなりに慕われたんじゃないかな。ただその後挑戦進行があったから 1 年半くらいしか在場しなかったみたいだけど。 それでも町の発展には貢献したんすね。 あと小西雪長はキリスタンだったからキリスト教の不教にも貢献したみたいなのだ。 それもあって関ヶ原戦で処刑された後、 イエスカイの手で葬られたそうなのだ。 キリスタンからも慕われてたんすね。処刑 されずに生き残ってたらどうなったん だろうな。その後の歴史を考えると行き づらかっただろうけど。じゃあう城のお 城りはこのくらいかな。今回の旅は いよいよ次のお城で最後なのだ。お、次で ラストっすか。ラストはやっぱりああそこ で決まりなのだ。 明日1 日かけてじっくり見て回るとするのだ。 やっぱそこっすよね。最後も楽しみ。 [音楽] ።

肥後国領主2人(不仲)のお城

今回は佐敷城と宇土城
(撮影時期:8月中旬ころ)

Write A Comment